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2008.06.06
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以後、予想される動向

1、私の言うことが邪魔くさい人は、私の言うことを切り離すか、取り込もうとする

アセンションと悟りは関係ないもの。くぅブログすら、神の完璧なる導き。
くぅさんもアセンションの役割を担った。くぅブログで我に返った人は、逆に惑わされている~。などなど。

2、アセンションが何なのか迷う、離れる、探求する人々が出てくる

黎明さんが正しいのか、銀河連盟さんが正しいのか、はたまたその他の人が正しいのか。 一体どうすりゃええね~ん。っていう人が出てくるのではないかと。

その中には、黎明さんから離れて独立した体系を作られる方もいらっしゃることでしょう。
黎明さんの力が弱まったのをいいことに、その体系を取り込む形で新しい体系を立ち上げる方も出てくるかもしれません。
他にもアセンションから離れる人、アセンションをより深く探求する人、様々でしょう。



そこで、私の提案です

1、ネット、アセンションから離れてみる。


一度頭を空っぽにして、関係ないことに没頭してみる。
そうすると今まで見えていなかったことが見えてくるかもしれませんし、
今回の件について意外にも理解が深まるかもしれません。

2、バランスの取れた情報を集める

情報を制限してしまうことは危険なことです。
どんな人でも同じ情報のみ一ヶ月も与えられていたら、完全にそれを信じるようになってしまうでしょう。無意識に浸透してしまえば、意識はほとんど関係ありませんから。
情報は必ず両面から集めることです。 ある一方からのみの情報ではそれに対して正確な判断が出来る可能性は極めて低くなります。

恐らく今回のアセンションにはまっていった方は、
アセンションに関する情報を集め、アセンションに関するブログを巡回するうちに、次第に黎明さんだけでいいとなっていった。最終的には黎明さんに賛同する人のみのコミュニティーが形成され、そこだけを巡回するようになっていってしまった。
要するに、 情報源はどんどん狭い範囲になっていき、その方向も一方向のみになっていってしまった (黎明さんに賛同するものばかり)。これでは正確な判断は不可能でしょう。

一度アセンションから離れられた方も、今までと同じ習慣(アセンションブログ巡回、スピリチュアル系の本ばかり読む)を続ける限り、また何度でも引き戻されることになると思います。

そうならないためにも、
情報は幅広く、多角的に収集する。 これが大切なのです。

3、視点を上げて考える癖をつける

視点を上げて考えると、いろいろ便利です。
例えばある小説を「話の作り方」という視点で読んでみる。
こうすると普通に読むのとは、学べることが違ってきます。
松本人志さんなんかはこの世の全てを「笑い」という視点で見ているのではないでしょうか。

視点を上げる方向は無限にあります。とりあえず、ある視点のみを取り出してみるのです。それだけで、勝手に抽象化が起こります(=視点が上がります)。これは情報の正しさの判断にも使えますし、甘い言葉に騙されることもなくなります。

例としては、 魂の次元というシステムから、順位付けという視点を取り出してみれば、あんなに批判していたはずの資本主義と変わらないことをやっている と気付きます。それでは何百次元に行ったとしても、悟りには辿り着けないと分かってしまうのです。そのシステム自体から飛び出さないといけない。

私は黎明さんのブログを指摘してきましたが、視点を上げて見ると
勝手に背後にある論理が見えてくるので、それを書いてきただけなのです。



さて、今までブログをやってきたわけですが、ネットも仮想現実に過ぎません。
文字や写真だけでその人の何が分かるというのでしょう。

人柄がいい、言葉に愛がある。
そんなことに判断の全てを委ねてしまっていいのでしょうか。


それは情報の正しさとは何の関係もないことです。

ネット上で見る限りは愛溢れた人だと思っていたけど、会ってみたらそれとは正反対の人だった。
逆に、犬猿の仲だった人と現実に会ってみたら意気投合した。
こんなことはざらにあるでしょう。文字で伝えるのが下手で誤解されている人だっているはずです。

本当に心の底からいい人がいたとします。
その人は自分の言うことは正しいと思って善意から教えてあげている。
でもその人が正しいと信じているものが実は間違っていたとしたら?

状況によっては、大変なことになりかねません。


あえていいますが、
くぅさんが言っているんだから、正しいなんて絶対に思わないでください。

それは私の望みと逆方向です。

自分で出した答えすら、自分が今信じているものすら、
常に間違っている可能性を頭の隅においておくこと、知識のバランスをとること、
考えることを諦めないこと。

この三つの姿勢が大切です。


黎明さんのグループは、黎明さんがクンダリニーヨーガがいいと言ったら、その日から自己流で始めてしまう怖さがある。
あれを自己流でやった場合、狂うか、死ぬか。 まぁどちらにしろ残念なことになるでしょう。深いところまでやろうとすればの話ですが。


最後なので、アセンションについての定義を再確認しましたが、最初は「昇天 という意味だったはず。 それがいつの間にか「魂の次元上昇、意識革命 にすり替わっている。

魂の次元上昇についてはこのブログで書いてきたとおりですし、意識革命についてはアセンションと呼ぶ必要性を感じません。アセンションというのなら、肉体を もったまま天に昇るぐらいのことはして欲しいです。それが出来なかったから、死なずに出来ることになったというのが真相ではないでしょうか。


あとこれは言いたくないことですが、最後なので言います。

アセンションを目指す皆さん、何かから逃げてませんか?
2012年にアセンションがあった方が都合のいいことがありませんか?


私もアセンションが~と騒いでいたときは自分が
逃げているなんて微塵も思っていませんでした。
でも、今から見れば逃げてました。
一見絶望的に見えるこの世界から逃げてました。
でも、それを認めた時とてもすっきりしたのです。


それに全ては必然?私にとってそれは楽しくないことにも気づきました。
なぜなら、偶然に出会うこと。
その方が、一つ一つの出会いを大切に出来ると思うから。

全て最初から決まっているのなら、奇跡も何もない。
決められたレールの上をただ走っていくだけ。それはなんだか楽しくない。
偶然という奇跡の中で、必然を自分の力で作っていきたいと思うようになったのです。


悟りとは、時空を超えて適用できる論理を体感すること。


仏陀の論理は何千年の時を超えて、今の社会にも生き残っている。

その一方、黎明さんの論理は私にちょっとツッコミを入れられただけでグラグラいってます。
何千年の時を超えて、数々の批判をくらっても残っていける論理とは到底思えません。

神に頼ってしまえば楽になるでしょう。
でも私は、 神は思考停止の合図だと思うし、人間は神からも自由であると思う のです。

悟りを言葉で完全に伝えきることは不可能ですが、その一面を言い表すとするなら
悟りとは「全てを捨て去ること」ではなく、
「全ての執着を捨て去ること」

と言った方がより正確でしょう。

なぜならば、
全てを捨て去るなら、悟ろうという意志すらも捨て去ることになるので永遠に悟れない
からです。要は、現段階では何でもかんでも極端すぎるのです。それは危険なことだし、私が中道に移行して欲しい、と言ってきた本当の理由はこれなんです。

5次元アセンションしたと認定された方は、それを捨て去ることは勇気のいることだと思います。しかし、いつまでもそこに執着していては、そこで成長は止まってしまいます。常識からアセンションへ踏み出した時のように、もう一度アセンションへの執着を捨て去り、新しい道へ踏み出してみませんか?

最後に黎明さん、あなたを通して私は大切なことをたくさん学べたように思います。
ありがとうございました。

銀河連盟さんと同じ時期にやめてみるというのもいいことかもしれません。
これを闇が去った捉えたり、神の完全なる導きと捉える、やめた時期に隠された意味があると考えるなら、まだ都合の良い関連付けの世界にいるということです。
最後にちょっとしたテスト感覚で試してみてください。

コメントくださった方、読んでくださった方、どうもありがとうございました。
私がアセンションに興味を持つことはもうないと思いますが、大変貴重な時間、空間を共有できて楽しかったです。

それではまろやかにさようなら。
くぅでした。





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Last updated  2008.07.01 06:06:37
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