駒札によれば、
「
西岸寺(さいがんじ)
寺伝によれば、ここは平安時代の末、当時の関白であった
藤原忠通(1097~1164)が建てたと伝えられる法性寺の小御堂が
建っていたところで、忠通の子、九条兼実(1149~1207)もことのほか
この地を愛で、花園御殿とも呼ばれた。
後白河法皇もしばしばこの地に御幸されており、後に法皇の御製(ぎょせい)に
ちなんで西岸寺と号した。
親鸞聖人(1173~1263)は六角堂で救世菩薩(くぜぼさつ)より夢告を
受けたことから、兼実の娘、玉日姫を妻として迎えたと伝えられる。
しかし、、承元元年(1207)この地より越後に流され、
以来、玉日姫(たまひひめ)は、この小御堂(こみどう)を守り、
親鸞聖人の安否を気遣いながらここで亡くなったという。
その後、玉日姫に仕えていた田村光隆(たむらみつたか)
(有阿弥1176~1269)は親鸞聖人の弟子となり、九条家より
小御堂の寄進をうけ、西岸寺を開き、玉日姫のお墓を守ったという。
本尊は阿弥陀如来像、祖師前には親鸞聖人絵像とともに玉日姫の木像が
安置されている。
寺宝には親鸞聖人作の草鞋竹杖御尊像(わらじたけづえごそんぞう)や
九条兼実の木像などがある。
玉日姫の木像は救世菩薩と同じ如意輪の御天冠をかむり、十二単に緋の袴、
右手には念数、左手は開蓮の姿で、親鸞聖人夢告の救世菩薩の化身と
考えられ、衆生に肉食妻帯の基本を示し、女人往生を示されたお方として
古来より人々の信仰を集めた。 京都市」

石碑


玉日姫御廟石碑


榮春寺 2011.10.20
京都駅から伏見街道へ 2011.10.19 コメント(1)
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萌芽月さんComments
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