京のかみさん ちょっとぼやきのブログ

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2011.10.27
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カテゴリ: 京都伏見町屋
おはようございます。

今日の京都は冷え込んでます。

全国的に快晴ですね。今日も元気で過ごしましょう。

昨日、伏見街道にある、「西岸寺」に行ってきました。

駒札によれば、

西岸寺(さいがんじ)

寺伝によれば、ここは平安時代の末、当時の関白であった

藤原忠通(1097~1164)が建てたと伝えられる法性寺の小御堂が

建っていたところで、忠通の子、九条兼実(1149~1207)もことのほか

この地を愛で、花園御殿とも呼ばれた。

後白河法皇もしばしばこの地に御幸されており、後に法皇の御製(ぎょせい)に

ちなんで西岸寺と号した。

親鸞聖人(1173~1263)は六角堂で救世菩薩(くぜぼさつ)より夢告を

受けたことから、兼実の娘、玉日姫を妻として迎えたと伝えられる。

しかし、、承元元年(1207)この地より越後に流され、

以来、玉日姫(たまひひめ)は、この小御堂(こみどう)を守り、

親鸞聖人の安否を気遣いながらここで亡くなったという。

その後、玉日姫に仕えていた田村光隆(たむらみつたか)

(有阿弥1176~1269)は親鸞聖人の弟子となり、九条家より

小御堂の寄進をうけ、西岸寺を開き、玉日姫のお墓を守ったという。

本尊は阿弥陀如来像、祖師前には親鸞聖人絵像とともに玉日姫の木像が

安置されている。

寺宝には親鸞聖人作の草鞋竹杖御尊像(わらじたけづえごそんぞう)や

九条兼実の木像などがある。

玉日姫の木像は救世菩薩と同じ如意輪の御天冠をかむり、十二単に緋の袴、

右手には念数、左手は開蓮の姿で、親鸞聖人夢告の救世菩薩の化身と

考えられ、衆生に肉食妻帯の基本を示し、女人往生を示されたお方として

古来より人々の信仰を集めた。 京都市」


西岸寺高札.JPG

 石碑

西岸寺石碑1.JPG

西岸寺石碑2.JPG

玉日姫御廟石碑

西岸寺石碑玉日姫石碑.JPG

玉日姫御廟.JPG

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Last updated  2011.10.27 09:02:36
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