小説力学 読む > 書く > 眺める 京理義高のブログ
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まず、氷ノ山(ひょうのせん)といえば、標高1,510m、兵庫県最高峰で鳥取県との県境に位置し、冬はスキー場になったりする山です。地元民以外は距離的に周辺まで行って前泊する必要があり、1泊2日のプチ一人旅になりました。まあ、危ない目にもあったので僕にとっては大冒険になったのだけれど、それは後ほど。初めに断っておきますが、このような文面になっているのは山岳小説の影響をもろに受けているからです。ただ、話を面白可笑しくするために事実を捻じ曲げたりはしていませんので、ちと退屈な長文になるかと思われますが了承ください。今週の金曜日は午前中に健康診断があり、どうせなら休もうと有給休暇を取り、午後16:00から神戸を出発しました。姫路から北上。朝来市に着いたときは20:30頃で同じ兵庫県内とは思えないほどの移動時間、車中で読んだ『還るべき場所_笹本 稜平著』で感動し、ちっとも退屈することがありませんでした。明日のことを考えて気分が高揚し、洋画『アナコンダ2』も面白かったのが手伝って、ついつい深酒をしてしまいました(^^;7:00起床、軽く二日酔いのまま、八鹿駅まで。登山口まではバスかタクシーしか手段がなく、バスの待ち時間は1時間弱だったので迷わずタクシーを選択しました。タクシーの運転手は長い距離での気遣いなのか、けっこう話しかけてくれ、僕がこれから氷ノ山登山する話をした後、昨日みた『アナコンダ2』がジャングルもので怖かっただの、『ヒグマ』が生息し、実施遭遇したらやですねだの、そんなことを経て、乗車代9330円也をしっかり取られ、やや登山意欲を削がれた僕は早速登り始めました。登山ルートは大きく分けて2つです。福定親水公園から氷ノ山国際スキー場方面に行くか、布滝方面に行くかで、今回はスキー場方面から登山しました。丁度10:00ぐらいに出発し車道を抜けた先に、高原リゾート地顔負けの広大な展望が広がっていました。シーズンオフなので店は全部しまっていますが、自動販売機はあるし、水洗トイレもあるので申し分ないです。東尾根登山口より本格的な登山が始まります。30分間ずっと木製階段を上り続け、最初の遭難小屋へ到着しました。20℃を下回っているのに汗が吹き出してきます。小休憩し長い樹林帯を経て神大ヒュッテへ。この付近は背の高い木々がなく、広がる展望を楽しみつつ登ることができます。そして山頂!この写真で多少は伝わると思いますが、素晴らしいです!静かです!悩み事なぞ、すべて忘れます!実はこの写真に帰りの登山道が一望できるのですが、こうみると帰り道の方が良く見えます。到着が午後1:00過ぎ、山頂には3人の登山客がいました。遠くに見える小さな集落はどんな民俗学があるのだろうか。あの山はなんだろうとか。考えつつ、腹ペコだったので、どんなご飯であっても美味しく感じるシチュエーション、持参してきたオニギリとカロリーメイトをぺロリとたいらげ、何度も同じ景色をボーっと眺めていました。ずっと居たい気持ちに鞭打って下山しました。氷ノ山越の遭難小屋までは展望も良く、登山道が作りこまれているので楽しさ倍増です。遭難小屋から地蔵堂へ向かう道を進んで、氷ノ山まで3.0kmの看板を過ぎたあたり、流水の音が濃くなり、沢近くに下っていくと…道がない!?周辺をさまよっても、行けるような道がなく、考えた上で少し引き返したのだが、いろいろ考えた。時間は午後3:00、周りは少しづつ、だが着実に暗黒感を増してきている。急いで今下ってきた道を登り返して下山したら、その時の体力であれば確実に午後8:00は超える。午後6:00には真っ暗になるだろうから、2時間は暗闇の中を進むことになる。そんな経験のない僕には荷が重すぎる。そんなことを考えていたら、ピンク色のテープが枝に張られていました。来た時は完全にスルーしていたのですが、何やらみみずのような文字が書かれている。どうやらがけ崩れが発生したため、迂回路を辿れという注意書きでした。迂回路とはいえ、獣道です。昨日の雨でぬかるんで滑る地面を進んでいき、急斜面を下ったときは生きた心地がしなかったです。ようやく沢まで下りました。もう全身泥んこで、とても人前にさらして良い状態ではなくなっていました。沢からがけ崩れのあった登山道を見上げる。元々あった道が5メートルぐらいの直角な壁になっていました。以前にあった台風の影響だろうと思います。崩れているのは登山道だけではなく、沢付近の壁、倒れた木は殆んど原型をとどめていないぐらいにひどかった。沢を渡り登山道へ復帰。しかし!!登山道がまたなくなっている…幅10メートル、長さ30メートルぐらいの巨大な滑り台のような斜面はさっきの沢の下流まで続いている。ところどころに鋭利にカットされた岩が突き出していて、恐らく足を踏み入れたら、ぬかるんだ土で足を取られ、確実に転落します。暗澹たる気持ちで再び沢へ。そして沢を下りました。もう沢というか、柔らかい土が密集し、足を踏み入れたらハイカットの登山靴があっという間に埋まってしまい、沼を恐る恐る進んでいく感覚でした。うき石に根こそぎ持ってかれている巨木、いつ落石があってもおかしくない左右の壁に囲まれ、上流で急に雨が降ってくれば鉄砲水になりかねない。ちょっと進んだところで、小さな滝が見えてきました。下れないこともなさそうでしたが、地図上では大きな滝に続いているルートで、沢下りはそれ以上無理と判断し、今回の登山で、いや今までの登山で一番怖かった崖登りを実行しました。崖といっても20メートルはないと思うのですが、滑りやすい脆弱な土にかろうじて埋まっている木の根に命を預けるのは、けっこうなギャンブルだし、危険を伴います。登っている途中、「還れないかもしれない」だの「自分の身の丈を超えた登山だった」だのパニック障害の初期症状バリの思考になりだし、震える筋肉に呼吸が荒くなる。半分ぐらいで斜めに伸びた太い木があり、その背に座って休憩をとりました。ここまで来ると肝が据わってきて、前向きになり、一気に登ることができました。ようやく登山道へ復帰。僕のスキルでほぼ無傷だったのは運が良かったと思います。下山路もなかなかの悪路になっていましたが、さっきのがけ崩れルートを考えると天国です。よれよれになった足で登山口に着きました。着替えを済ませ、公園内には滑落事故の看板…事故があった場所はだいたい想像がつきました。実は沢超えた後の登山道が崩れていた所に横断していたであろうビニールテープがゴールテープを破った後のような状態になっていました。つまり、崩れた斜面を渡ろうとして、滑落し、慌ててつかんだテープだけれど、所詮ビニールテープであるから人の体重を支えることなぞできなかった…奥多摩の雲取山を東日原から登山したときの死亡事故の看板も思い出した。あの場所も豪雨の影響で50センチぐらいの極細登山道で、横は数百メートルはありそうな崖。まあ、その時は足がすくんでしまい途中で登頂をあきらめたのだけれど、今回は帰り道だから危険の中を進んでしまいました。山を甘くみてはいけないなんて考えながらバス停まで歩いていた矢先、僕を抜いていった軽トラックが急停車しました。地元のおじいさんらしく、バス停までのっけていってくれるという。しかもこのおじいさん、登山道が崩れてしまっていることも知っていて、話をきくと「早く登山道を修復させないといけない」と言っている。なんだかすごい縁だなと思いつつ、最終の17:50便の時間まで心配してくれたおじいさんにお礼を言い、帰宅したのでありました。これを書いている今日は全身筋肉痛です(^^;
2011年10月02日
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