タイとタイ語に魅せられて

タイとタイ語に魅せられて

PR

カレンダー

プロフィール

Lamyai_daeng

Lamyai_daeng

サイド自由欄

★タイ旅姉妹ブログ★
『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』


★オススメのタイ語学習★
☆タイ語教室(カフェレッスン)☆
タイコムランゲージセンター

☆タイ語入門書☆
『らくらく話せる!タイ語レッスン』 ナツメ社

バックナンバー

2025/11
2025/10
2025/09
2025/08
2025/07

コメント新着

サブロウ@ Re:ヘルファイア・パス 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[16](11/06) 参考になりました 近日中に訪問してみます…
さわでぃん@ Re:サタヒープ海軍基地内へ サタヒープ海軍基地内のビーチへ![6](10/29) このブログはどこかに移転したのでしょう…
サイコロ@ Re:サタヒープ海軍基地内へ サタヒープ海軍基地内のビーチへ![6](10/29) はじめまして、だいぶ前の記事ですが、調…
ウーテイス @ Re:プラナコーンキリ ペッチャブリー城壁を探して[2](12/04) 人生の達人。タイの国民性素晴らしい! …

お気に入りブログ

月一バンコク202… New! masapon55さん

🔥世の中昨日で3連休… かもめ72&35さん

クハユニ56形、クモ… GKenさん

蒲郡ラグーナに行った 放浪の達人さん

わたしのブログ ウーテイスさん
バンコク竹亭日記 バンコク「竹亭」さん
法喜が語る 法喜さん

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2013/08/26
XML
テーマ: タイ(3444)
カテゴリ: タイ旅行記
ワット・プラーンマニー、別名ワット・ルアンポー・パークデーン本堂での
参拝を済ませた私は、お参りセット売店のところへ戻ります。

売り子のおばさんはニコニコしながら早速私を案内してくれます。


ここに日本人は来たりしますか?

「沢山来るわよ。日本の軍人だと思う」

まるで自分だけが知っている秘密を明かすんだとでも言いたげな顔つきで
私の目を凝視しながら教えてくれました。

自衛隊に違いない。
自衛隊の人達が連れ立って、今でも慰霊に訪れているんでしょう。




あ、本当だ!

「これをお供えしてね」と花を差した花瓶を渡してくれました。

ありがとうございます。
花代と案内してくれたお礼も兼ねて100バーツ札を手渡そうとすると
断るではないですか。感謝の気持ちですと伝えてようやく受け取ってもらえました。

「じゃ、私は戻るね。サヨナラ」

さよなら ^^

最後は日本語で嬉しいじゃないですか~。
受け取った花をお供えし手を合わせます。

  • 03_01.jpg


ここはというと、



第三十七師團慰霊碑




なんでこんなところに? と思うかもしれませんね。

太平洋戦争の末期、インドの英印軍に打撃を与えるはずが逆に英印軍の
ビルマ進攻を許し退却することになったインパール作戦の大失敗の後、
日本陸軍はタイで英印軍を迎え撃つ作戦に変更を余儀なくされました。

バンコクでは連合国軍の爆撃が激しくなっていたこともあり、
ナコンナーヨック に定めたのです。

理由は、山があるから。
山間部に洞窟を掘るなどして要塞化を図ろうとしました。

タイ国内やビルマに展開していた部隊が続々と ナコンナーヨック に集結します。
その中に第37師団もいました。

第37師団はなんと中国の山西省西南部普南からはるばる南進してきたのです。
途中ベトナムでは、フランス領インドシナからフランス軍を駆逐し、
ベトナム、カンボジア、ラオスを独立させる「明号作戦」(1945年3月9日)に参加、
成功に導きます。勇猛な師団だったそうで。

ナコンナーヨック 入りした時の兵力は約1万。軍馬を3,100頭携えていました。


しかし英印軍との戦闘になる前に終戦。
この地に駐屯していた各部隊はそのままこの地で抑留されます。

と言っても大多数の兵は塀の中に囚われるでもなく、
畑仕事などをしながらのんびり暮らし、翌46年日本へ復員したのでした。


この碑は、第37師団の戦友会が、命を落とした兵と軍馬を慰霊するために
1989年3月25日に建立されました。

立派な慰霊碑です。
ふとなぜか天井が気になったので見上げると…

  • 03_03.jpg


うわぁっ! 思わず声が出てしまいました!


右手に建っている碑誌を文字起こししてみます。
改行位置は原文どおりにましたが、読み易くするため段分けをしてあります。


日本旧陸軍 第三十七師團碑誌

 第三十七師団(冬)は 一九三九年(昭和十四年)三月二十五日
九州で編成 中国山西省普南へ出征して警備に任じ 次いで一九四
四年春 中国縦断の大陸打通作戦に参加して南進した

 すなわち中国運城から南へ征旅一万四百余粁 千山万岳を踏破し
仏印を経てタイに入り一九四五年夏 英印軍との最後の決戦に備え
てこのナコンナヨックに進出した 図らずも同年八月十五日終戦

点を仰いで長恨極まりなく武器を捨ててこの地に駐留し力尽きて倒
れし多くの兵馬をこの地に埋めて 一九四六年 故山に復員した
先の大戦において昔しくも戦没せし殉国の師団将兵七九二〇柱と
師団軍馬四三七六頭の精霊を祭り わずか七歳で消滅した歴戦の師
団と軍旗三旗を偲び 併せて大戦間失われし彼我幾多の犠牲を悼む
と共に 永遠なる平和への思いをこめて この碑を建てる

 このナコンナヨックは 師団終焉の記念すべき地であり 師団が
ここに駐留間 タイ王国官民から賜わりし温かい友情と この碑建
設に尽力下されしナコンナヨック郡役所及びプランマニー寺のご厚
意に対し 深く感謝の意を表する そしてこの碑が 末永く日本と
タイ王国との親善の礎石となることを祈る

  一九八九年三月二十五日(第三十七師団創立五十周年記念日)
               第三十七師團慰霊碑建設奉賛会



師団創立50周年にあわせて建立したんですね。

ちなみに「冬」とは、第37師団の兵団文字符です。

兵団文字符は、師団や独立混成旅団などの大きな部隊に名付けられました。
元々は部隊名を秘匿するためのものだったのが、愛称的に用いられたりもしたようです。

ちなみに第37師団には「冬」兵団のほかに、
大陸打通作戦時に付けられた臨時の略号「光」兵団という呼称もあります。

  • 03_04.jpg


慰霊碑の裏面には、

一九八九年(平成元年)三月二十五日 建立
    第三十七師団創立五十周年記念日)
   第三十七師團慰霊碑建設奉賛会
           会長 山中 貞則


とありました。

背後には仏像も鎮座しています。


そうそう、碑誌にある「軍馬」については機会があれば
ちょっと綴りたいと思います。


ワット・プラーンマニー に来た目的を済ますことができたので、
次の目的地に向かうとしますか。

来た時とは違う門から出てみます。
目の前にはだだっ広い無料駐車場を備えた土産物店群がそこかしこに。

  • 03_05.jpg


衣服が目立ちますが、わざわざここまで来て買うんですかねぇ?
もうちょっとこの地ならではのものを売ったほうがいいようにも思えるんですけど…。


表の 国道3049号線 を目指しててくてく歩いているとまたもや牛さん模型が~。

  • 03_06.jpg


遠くに山並みも見えて、なんとものどかな景色です。
こっちの参道沿いにも

  • 03_07.jpg


入口まで延々と連なっています ^_^;)

途中でこんなものも発見!

  • 03_08.jpg


これってシロアリの巣ですよね?
初めて実物を見ましたよ。


入口近くまで歩いてきたところで、でっかい観光バスが通過。

  • 03_09.jpg


しかも2台も。
「バスを連ねて参拝に来る」ほどの人気ってにわかに信じられなかったんですが、
この光景を見て信じざるを得ませんでした。凄い人気ですね、 ワット・プラーンマニー

寺の門から歩いて5分で 国道3049号線 に出ました!

  • 03_10.jpg


「お帰りの道中どうぞお気を付けて」と。

時刻は、11:36。


次の目的地は、目と鼻の先です(笑)







<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:130バーツ

※旅は2013年8月16日(金)に行いました。

<参考>
『瀬戸正夫の人生(下)』瀬戸正夫著、東京堂書店、2001年
「長い旅路」 『平和の礎』第3巻、独立行政法人平和祈念事業特別基金(PDF)


つづく


  • ワットプラーンマニー.jpg






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013/08/26 11:12:25 AM
コメント(10) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


詳しい説明でした!  
ナーン さん
英霊たちに祈りをささげる、日本から来た一般人が、私もそうしたいです。

牛の模型が並んでいる・・・タイらしい光景ですよね~。
なんでも模型とかモニュメントにして飾りたがる傾向にありますかね。仏教関係の事柄も目に見える形にして示してあります。あと、動物のね、植木を動物の形にしちゃいます。

こういうの、あり塚って言うんでした?
これも珍しいから保存してあるんでしょうか。この中に、おびただしい数のシロアリがいたんですね・・想像してしまいます。

この手のバスね、見かけますよね~、柄が派手だったりしませんか。ど派手な観光バスあるよね~。

気をつけて~またどうぞ~~みたいな看板、タイでもあるんだね。私、文字読めないから気が付かなかったんだぁ。 (2013/08/26 12:30:24 PM)

Re:詳しい説明でした!(08/26)  
Lamyai_daeng  さん
ナーンさん
>英霊たちに祈りをささげる、日本から来た一般人が、私もそうしたいです。

ここ、一般の日本人にも結構知られているようで、帰ってからググッてみたらブログの訪問記がいくつもヒットしましたよ~。

>牛の模型が並んでいる・・・タイらしい光景ですよね~。
>なんでも模型とかモニュメントにして飾りたがる傾向にありますかね。仏教関係の事柄も目に見える形にして示してあります。あと、動物のね、植木を動物の形にしちゃいます。

お寺に動物などの模型を寄進するのってどういう意味があるんでしょうね。狛犬とはまた違う意味づけでしょうし。興味深いです。

>こういうの、あり塚って言うんでした?
>これも珍しいから保存してあるんでしょうか。この中に、おびただしい数のシロアリがいたんですね・・想像してしまいます。

アリ塚ですね~。保存してあるわけではなく、勝手にシロアリが築いたもののようですよ。タイって結構そこらにあるようです。私は初めて実物を見ましたが ^_^;)
うっかり間違って壊したらうじゃうじゃ出てきて大変なことになりそうですよね。

>この手のバスね、見かけますよね~、柄が派手だったりしませんか。ど派手な観光バスあるよね~。

タイの観光バスの塗装って派手ですよね~。お好みで注文できるそうですよ。これ、見た目は新車ですが、シャーシ・エンジンなど足回りは中古部品の寄せ集めです。

>気をつけて~またどうぞ~~みたいな看板、タイでもあるんだね。私、文字読めないから気が付かなかったんだぁ。

水上マーケットや百年市場を巡っていると時折こういう看板と言うかゲートというかを見かけますよ~。外国人客の多いところは英語併記だったりするんですが、ここはタイ語だけでした。
(2013/08/26 01:12:59 PM)

Re:旧日本軍第37師団慰霊碑 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[3](08/26)  
私もいつかナコンナヨックを訪れる機会があれば、この地で散っていった英霊達に感謝の祈りを捧げたいと思います。 (2013/08/26 04:37:11 PM)

Re:旧日本軍第37師団慰霊碑 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[3](08/26)  
しゅ☆じん  さん
こんな慰霊碑があったのですね。
知らなかったとはいえ、せっかくお寺まで行きながらお参りもせず
日本人として無礼を働いてしまいました。(>_<)
いつかまた行くことがあれば、しっかりと手を合わせてきたいです。
(2013/08/26 05:36:50 PM)

Re:旧日本軍第37師団慰霊碑 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[3](08/26)  
Tui☆  さん
うちの祖父もシベリアで亡くなっていますが、祖母の存命中は慰霊碑すらなく、靖国神社にお参りしてました。
こんな立派な慰霊碑がタイにはあるんですね。遺族は一度はここを訪ねてみたいと思うことでしょう。タイらしい抑留の暮らしの話もいいですね。
(2013/08/26 05:37:49 PM)

Re[1]:旧日本軍第37師団慰霊碑 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[3](08/26)  
Lamyai_daeng  さん
バンコク「竹亭」さん
>私もいつかナコンナヨックを訪れる機会があれば、この地で散っていった英霊達に感謝の祈りを捧げたいと思います。

ナコンナーヨックのこの一帯には旧日本軍の足跡が一見そうとは分からいかたちでそこに存在しているんです。時間があればもっと丹念に巡りたかったです。
(2013/08/26 06:13:30 PM)

Re[1]:旧日本軍第37師団慰霊碑 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[3](08/26)  
Lamyai_daeng  さん
しゅ☆じんさん
>こんな慰霊碑があったのですね。
>知らなかったとはいえ、せっかくお寺まで行きながらお参りもせず
>日本人として無礼を働いてしまいました。(>_<)
>いつかまた行くことがあれば、しっかりと手を合わせてきたいです。

あることを知っている私でさえ自力で見つけられなかったので、知らなければ無理ないですよ。本堂から離れたところにひっそりと佇んでいるので、もしまた行かれる機会がありましたら、こちらも参拝してください ^^
(2013/08/26 06:16:29 PM)

Re[1]:旧日本軍第37師団慰霊碑 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[3](08/26)  
Lamyai_daeng  さん
Tui☆さん
>うちの祖父もシベリアで亡くなっていますが、祖母の存命中は慰霊碑すらなく、靖国神社にお参りしてました。
>こんな立派な慰霊碑がタイにはあるんですね。遺族は一度はここを訪ねてみたいと思うことでしょう。

第37師団の戦没者7,920人という人数は中国駐留時からの合計だそうです。移動が過酷で体の弱い方はついていけずに手榴弾で自決した方もいらっしゃったんだとか。その移動距離は実に1万1千800km。全員分の軍馬はなく徒歩の兵も大勢いたようです。私でも到底無理ですね。

>タイらしい抑留の暮らしの話もいいですね。

軍属(戦犯となった方と泰面鉄道・港湾管理の仕事の継続を求められた方は除く)も民間人もかなり自由度の高い抑留生活を送ったようですよ。
(2013/08/26 06:36:02 PM)

Re:旧日本軍第37師団慰霊碑 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[3](08/26)  
綾部 忠朗 さん
 父が 軍の職務で頑張った部隊と場所です! 4年前88歳にて無くなりました! 乗馬小隊 にて 軍馬 塚星 とともに居たようです! 生前も 宮崎県護国神社にて37師団会の慰霊祭を、私もおてっだいいたしておりました! このタイの地に慰霊碑がときいてはいましたが ここで拝見できたのはうれしいかぎりです! 今後父も資料を沢山残してなくなりました! 耳で聞いた事まとめて 本にしておこうとおもいます! なぜばら父は私の一番近いルーツであり、一番大事な人であり、かかわりある人土地など大切だからですね! (2015/01/16 01:39:59 AM)

Re[1]:旧日本軍第37師団慰霊碑 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[3](08/26)  
Lamyai_daeng  さん
綾部 忠朗さん

当ブログへのご訪問とコメントありがとうございます!

> 父が 軍の職務で頑張った部隊と場所です! 4年前88歳にて無くなりました! 乗馬小隊 にて 軍馬 塚星 とともに居たようです! 生前も 宮崎県護国神社にて37師団会の慰霊祭を、私もおてっだいいたしておりました! このタイの地に慰霊碑がときいてはいましたが ここで拝見できたのはうれしいかぎりです! 今後父も資料を沢山残してなくなりました! 耳で聞いた事まとめて 本にしておこうとおもいます! なぜばら父は私の一番近いルーツであり、一番大事な人であり、かかわりある人土地など大切だからですね!

お父様はなんと第37師団にいらっしゃったのですか! 貴重なお話をお聞かせいただけて嬉しいです。中国から大陸を大移動し各地の重要な作戦で大活躍した精鋭部隊にいらっしゃったので、きっと逞しく立派な方だったことと思います。軍馬塚星のその後も気になります。
綾部さんがお父様の足跡を本にまとめて出版なさいましたら、ぜひお知らせください。私も拝読し当ブログで紹介させていただきたいと思います。その日を心待ちにしております!
(2015/01/16 09:11:20 AM)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: