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日本に戻って、人を見たら、みんな目がつっていたので驚いた!うむむ、以前は一回も思ったことなかった。 時々悪気なく、「あなたたち(アジア人)って、目がつってるわよね、ほら!」と目をひっぱってつり目をしてくれる人たちがいて、これが本当に嫌だった。面と向かって言わないでとは言わないけど、いい気はしない(言い返すのも面倒くさくなっている)。 そお?私たちってそんなにするほど目がつってます?といつも思っていた。 ・・本当だった。よかったら、「アーモンドアイ」と呼んでほしいけど! 日本人は顔のパーツも体も小作りで、物静かに見える。一人一人ががちゃがちゃしていないし、全体にエネルギー量が少ないことに、あらためて驚いた。 で、看板や音、ナレーション、すべてが一度にあふれていて、クラクラするほどの情報量。 物の種類も多くて、なにを買ったらいいのかよくわからない。なにかを買おうとすると、いろんな種類が出ているので、どれを選ぶのか迷うので、結局買わないで帰る。だいたい、これって必要だっけ?と考え直す。 あまりにも不便な生活をしいられていたので、ものがいらなくなっていた。なきゃないで生きられる。 スペインでは出来合いのお惣菜とかもほとんど売ってなかったので、自分で作るしかないし、外食も食べたいものがないので、毎日自炊していた。以前は日本で外食もしてたし、お惣菜も買ってたけど、今はあまり必要ない。 当然、自動販売機もなかったので、日本戻っても外でジュースを買おうという気もわかない(思いつかない)。節電という意味では本当は自販機もいらないと思うけれど、日本の文化だから、なくなるわけにはいかないでしょうね。 ただ、いつもあの便利な24時間コンビニのことだけは頭に思い描いていた。「ああ、コンビニに行きたい・・」 素敵なおにぎりも肉まんも1ユーロ(100円ー120円くらい)で買えるなんて、夢のようだ・・ 帰る前に日本通のフランス人と話した。「日本ってなにもかもが本当に便利で快適よね。どう?住みたいと思わない?」「・・それは認める。でも、あんなに便利な必要があるのかな?」 そうだよね。この不便な国のあとは、天国に思えるけれど、ここまで便利じゃなくていいかもね。 日本人の不断の努力がこの便利さを生んだのね・・勤勉・・ つづく
2011年12月07日
日本に戻った。 ひどく混乱した、なんとも言えない気持ちの一ヶ月だった・・。本当になんと書いていいかわからなかったので、書けなかった。 でも書かないとなにもかも忘れてしまうので、思いついたことだけ書いてみようと思う。 まず書かないと字が書けなくなる。しばらく日本語を書かなかっただけで、漢字が書けなくなったのには驚いた。今、なにかを早く書こうとすると、全部ひらがなになってしまう!! 以前、ロシアに60年住んでいる日本人が、日本語を忘れた、とロシア語で話しているのを観て、ウソ?!と思ったけれど、あれは本当だったと、今は思う。 30年、40年、外国に住んでいる日本人の方と話していると、途中から現地の言葉(英語とかスペイン語とか)でしゃべってくるのはなんでだろう?と思っていたけれど、あれは無理もないとわかった。わざとじゃなかった。 日本人の少ないところにいたので、日本語を話す時間が少なく、スペイン語か英語ばかり話していたので、最初日本に戻ったら、日本語で話すのがとても変な気持ちだった。なんか途中から英語とかフランス語とか、頭の中がごちゃまぜになった。 かと言って、日本語以外の言語が上達してないのは悲しいところだけど。日本語はむしろ後退してるし! もっと勉強しておけばよかった、と思うのは、いつの時代でも同じかな。これからがんばろう。 長くなるので、またつづく
2011年12月05日
今から約20年前の春にトルコに旅行したことがあるのですが、ありえなく空気が悪かったのです。でも今はとってもクリーン!なんでだろう?と思ってその当時、イスタンブールに住んでいた人に聞いてみたところ、「寒いとき、昔はガスや電気ストーブがなくて、石炭?(薪?)家で燃やしていた。」らしい。どうりで息苦しいほどもくもくだった!長年あれは車の排気ガスだと思っていた。20年前は日本人観光客に会った記憶がほとんどないけれど、今ならスペインよりたくさん日本人に出会えます。スルタンアフメット地区で、毎日、日本人か確認されると、ほんと疲れる・・そして、彼らはちゃんと日本人と中国人、韓国人を見分けている。ほとんどニイハオとは言われない!スペインと大違い(彼らは見分けがあまりつかない)!そして、商売熱心なのにも驚く。商品が今はないけど、30分待ってたら、取りに行ってくる、とかいうのは当たり前(このまま店で待ってろと言われた・・店番??)。日曜日も働いてたし、ほんとスペインから行ったら、ほんとに?!と思うことばかりだった(彼らは売れても売れなくてもどうでもいい)。あるお店のオーナーに会ったが、本当は日本語ペラペラなのに、一回目は英語で話してくれてた。二回目に行ったら、途中から日本語になったのでびっくり。「日本語を話すトルコ人のイメージが悪いので、最初から日本語話すと日本人が驚いて逃げちゃうんだ。」ということで、日本語が話せることを隠していた。いろんなお店を回ったけれど、物静かで物を売りつけようとしない、品のいいトルコ人の人もなかにはいる。トルコでもギリシャでも、売り手がスペイン語を話してくれることに動じないスペイン人って、毎回すごいと思う(イタリア人も同じ)。というか、日本人の私がいきなりスペイン語で話しかけても大丈夫な感じ、ほんとおおらかすぎる。そして、同じ店の商品の値段も、聞いた人によって違うのには驚いた。朝聞いたときより、夕方はいきなり安くなっている。というか、その人が私を見て、値段をつけているらしいことがわかってきた(相場をリサーチするのに、一週間費やしてしまった)。よくよく聞いてると、たまに、「あなたには○○トルコリラで。」と言ってたりする。値切るにも、その前にいろいろしゃべってからなので、結構時間がかかります。でも結局、高く買わされているんだろうなー。エジプトも、モロッコも、チュニジアも、トルコでも、まったく勝ててる気がしない。根っからの商人に勝とうなんて無理なのね。
2011年10月16日
結局のところ、イスタンブールでアパート借りる必要はありませんでした・・。なぜなら物価が安いから!物価の高い街ならいざ知らず、ここではあまり意味なかったです。私はイスタンブールでそばをすすっていたのですが、同じ頃にいたチェコ人は、チェコ風の食べ物を持参して、食べていました。お互いに、食べ物へのこだわりがすごかったですねー。20年間どんな味か気になっていたサバサンドも食べましたが、うまかったです(約200円ほど)。パンとサバって合う!ラマダンは、酒のないフェリアみたいで楽しかったです。スペインと違い、酒がないので、飲んだくれたり、暴れたりする人もないです。極めて健康的。スペイン人は顔はややアラブ風の人もいるのですが、内容的には、まったくアラブ人ではないことがわかりました。それにスペインで着ている服、露出が多すぎて、あまり着れませんでした(人が振り返る笑)。どこでも酒は買えるわけではないし、スペイン式に夕方になると、酒が飲みたくなってくるので、毎日スーパーに買いに行ってました。そして家で隠れて飲む(まるでアル中のようです。。。)。スペイン戻ったときは、酒も自由に飲めて、露出した服もOKで、自由気ままで本当に天国と思いました!!!断食する人はまちまちなのですが、若い子も結構やっていて、いまどきの子が、「普段は飲むけどラマダン中は酒を飲まないことにしている。」と言うのを聞いて、宗教ってすごい!と思いました。でも、誰も暴れない、誰も吐かないみんな正気という姿を見て、酒を禁止するのも意味があるかもしれん・・と思ってしまいました!!!で、レストランでごはんの合図が流れるまでおあずけ状態で待つのは、きつそうです。レストランでは、ラップして、スタンバイしてありましたが、食べていい時間まで、ただ食べ物を見ながらじーっと耐えてるのは、なんだかとっても生産性が上がらなさそうでした。16時間、水も飲んではいけないのなら、断食明け、ビールくれ!とは思わず、水をいただけるだけありがたいと思います。ただ健康上、水はちゃんと飲んだほうがよいと思ってます。それにラマダンでやせるかというと、なんとかえってて太っちゃうらしい(そりゃそうだ、日の出前に食べて、もう一度寝て、夜遅く食べるんだもんね)!!!イスタンブールは、少し気温が低いので、まだ耐えられるのですが、今住んでるところで水も飲んではいけなかったら、死にます。スペインがイスラム支配でなくてよかったー。そしてこの暑さなのに、本気で女性がスプリングコート着てスカーフしているのには驚きました!イスタンブールは、規律がそれほど厳しくないと思ってたのですが、意外にいましたね・・。私だったら、間違いなく、コートの下、水着とかになっちゃいますね(笑)とにかく体を覆い隠して、水も飲まないなんて、アンビリーバブルです。観光客で行く分には、ラマダンでもまったく問題ないし、むしろ楽しくお祭り気分で過ごせます。おすすめします。
2011年10月02日
私的にあまりにもウケる状況なので、久々に書いてみます。もうすぐスペインを離れるので、総仕上げに行きたいところを回っています。あまりにもうろうろするので、人にはその半分くらいのスケジュールを伝えているのですが(驚かれるので)、その結果、おとといまで、バスクでピンチョス食べてたと思ったら、今はイスタンブール。で、朝起きると、「ここはどこだっけか?スペインかな?フランス?イタリア??」となります。スペインとわかったら、「ここはスペイン、スペイン・・」と自分に言い聞かせる。すでにこの一ヶ月、イタリアに行ってスペインに戻り、行ったり来たりしたあと、イスタンブールに着きました。このあと、もう一回イタリアに行って、スペインに戻って、そのあとフランスに行きます。が、自分で立てた予定ながら、きついよーーわかってたけど・・みんなよく長旅できますね!私はもううろうろするのに疲れてきました。フィレンツェの宿でも、観光しないで、ごはん炊いて味噌汁飲んでました。あー幸せ。そう、そしてここイスタンブールでも、まずは白ごはんに味噌汁を食べる!トルコ料理はどうでもいい!!!人によって、旅のスタイルにこだわりがあると思うのですが、私はキッチン付の宿に泊まりたい!というのが、基本スタイル。そこで思う存分日本のごはん食べる!材料もすべて持ってきているので、荷物重いけどもういいのさ!とにかく食べ物重視(ということに他の人と話して気がつく)。日本のごはん食べながら、日本語のテレビ観る!新しくなにかを知ろうとか、誰かと知り合うより、日本の食べ物(注:かなりまずい状況ですね)!!!遠くでアザーン流れてて、「あれ?ここどこだっけか?」と思う・・ほんとに・・・こんなことなら、旅行しなくったって、スペインにいても一緒じゃん!と思う!でもって、出かける前がとても忙しかったので、調べるのは、その土地に着いてからなので、なにもかもが遅い!今、ピンチョスのおすすめ観た・・これ食べたかったなあ・・隣の人が食べていた。でも、ピンチョスは、凝ったものより、普通にエビ焼いたやつとかのほうが好みだった。イスタンブールはラマダン中なので、一応少し気を使って、外ではあまり食べたり飲んだりしないようにしている。でもスーパーで、ワインとビール買い込む日本人の女!完全にスペイン化している・・夜は飲まずにいられない。で、キッチンにこだわった結果、今4部屋もあるアパートに一人でいるんですね!本当に笑える!いきなりのイスタンブールでひとりぼっち。ブッキングをよく考えろ自分!と思いながら、一人でトルコワインを飲んでいる。明日は、新しいゲストが到着するので楽しみ(一応ルームシェアなのですが、まだ他の人が来ない)。ま、でも意外と一人でエンジョイしてます。
2011年08月11日
あまりにも忙しすぎて、もう続きが書けません。またそのうちに書くとして・・とりあえずしばらく更新をお休みします。学校が終わるのですが、なんと、タルヘタ(居住許可証)が来るのは、学校が終わってから!!!!!!マジですごいですよ、ビバ、スペイン!まあ、こんなことは他の方もだいたい同じ目にあっていると思うので、めずらしくもないでしょうけど・・。ここまでの道のり、尋常じゃなく長かった。8ヶ月もかかっちゃった。でも田舎に住んでる利点:ビザの審査が比較的厳しくない&人が優しい+ビザの有効期限を長くいただいたので、私はこの夏は本当にバカシオーネに出かけるのです!やっほ~い!!私は基本的に運がいいタイプなので、本当にありがたいことだと思います。そして、みんなの卒業後の動向について聞いてみました。私たちはアートスクールにいるのですが、5年ー7年も勉強しているのに、みんなとりあえずそれで食べていける人がいません!とってもうまいのに、仕事がないのです(今の段階という意味)。都会ならまだしも、田舎では難しいですね・・。「卒業したらどうするの?」という質問に、「とりあえず田舎に帰るよ。」「バルでカマレロ(ウエイター)でもするよ。」と答える人たち(なんで、カマレロ?)「インドでも行こうかな。」という返事に思わず、「なんでインド~~~?!」と叫んでしまいました!でも大半の返事がこんな感じです。「わからないわ。No tengo idea(アイディアがない)。」それも来年とか将来のことじゃない。この夏のこともNo tengo idea!今まで、食べられるかどうかもわからないことに時間を費やして、私はバカなんじゃないか?と思ったこともしばしばありました。でもですね、5年も7年も勉強して、すごくうまいのに、No tengo ideaってすごいよー!このあとなにするか、なんにも決まってない!マジすごい!!!日本人的に、なにかを勉強するということは、それを活かして、生計をたてることだと思ってました。でも、No tengo ideaでいいんだ、と思ったら、急に気が楽になりました(ただし、家族の助けがあったり、それで生活できる場合です!)。未来のことはNo tengo idea。来月のこともわからない。私のほうがよっぽど計画してるし、日本人に生まれて私は運がいい。もしかすると、彼らより私のほうがいろんなことができる可能性があるのではないか?とこの頃思い始めました。でも私はアイディアはいろいろあるのに、働いていいビザがないのです。彼らは働いてもいいのに、仕事がありません。皮肉なものです。というわけで、日本に帰るまで更新をしばらく休みますけど、また気が向いたら報告しますね。注(重要):これはアンダルシアの場合なので、都市部や北のほうではまったく違う返事(計画的)になるでしょう・・。
2011年06月22日
10周年パーティは夜10時からと書いてあったので、10時半に行ったら、ほとんど誰もいなかった。スペインにしちゃ早いと思ったよ。これはただのドアオープンの時間だったらしい。 しかも行ったら、普通にディスコ営業してた(貸切りじゃなかった)! 一応、カメラマンも待機してるけど、やっぱりすごいよ、スペインは!☆スペインでお約束:とりあえずまわり近所の人と仲良くなっておく作戦を繰り出す。カメラマンにも話しかけて、いろいろ情報を得る。が・・選手が来そうな気配がない。 結局2時間待って、数人の選手が来ただけで、あとは誰も来なかった。当たり前だ、これからトーナメント始まろうって夜中に、誰がのこのこ出かけてくるよ?!考えてみろ、自分! ここでスイス人と、日本人のテニスファンに出会えたのでよかったけれど、あとは結局パーティらしきものは、なにひとつなかった!普通にお客さんが入って踊ってたし、なんのアナウンスも係りもいない。これでお金取るってひどすぎるよ、スペイン。 でもさすが、あっぱれスペイン!とも思ったのだった・・。
2011年05月18日
震災のあと、旅行について考える元気もなかったのだけど、もうすぐスペインを離れるので、前々から決めていた、テニスの大会に行くことにした。ナダルがいるので、テニスのニュースが多いのと、1、とにかく生活が暇すぎる(そしてテニスを丸々、時差なしで観られる)2、スペイン語の放送があまりわからなかった(おもしろい番組が少ない)3、去年からTVがデジタルになったので、スポーツ(デポルテ)専門チャンネルが観られるようになったので、一気にテニスファンに転向。思えば、スペインに来て始めたことといえば、社交ダンスにベリーダンス、テニス観戦と、あんまりスペインに関係のないことばかり・・。フラメンコは速攻で挫折!! 去年、試合をTVで観たとき、前列にはキラ星のように俳優やサッカー選手が座っていて、テニスよりそちらの方がまぶしく、「これは行かねばならん!」とミーハーにも思ったのだった。去年は大好きなラウル(レアル)もいたけれど、今年はいない・・・残念。今考えたら、TV観てからでも観戦間に合ったんだった。電車で行けたのになあ。 テニスを観に行くと決めたものの、チケットの買い方もトーナメントのシステムもわからないので、くわしい方にいろいろ教えていただいた(本当にありがとうございます♪) 今まで知らなかったのだけど、トーナメントって、前日の夜にしか次の日の試合の予定が出ないのね!!! つまり、みんな誰が出るかわからないのに、勘でチケット買ってるらしい。サッカーなら、この日この時間に行けば、必ずレアルなりなんなりその試合が観られるようになっている。でもテニスはギャンブルなのね。 そしてチケットは昼と夜に分かれている。どっちを買ったらいいの~~?!正解:テニスファンは昼も夜も買う(驚)!!!いやーすごい世界だ、テニス。 とにかく早く会場に行きなさい、ということで、10周年パーティというものから参加した。でも、このパーティWEBにもくわしい内容は載ってないし、大会事務局に電話しても、よくわからない(選手も来るんじゃないか?という返事)。インフォメーションの人もわからない。 スペイン得意の、誰もなにも知らない(イエイ!)。なんだかわからないが、行ってみてから考える!ということで、とにかくパーティへ行くことに。つづく
2011年05月14日
スペインでも地震がありました。うちからそう遠くはないのですが、まったく揺れなかった・・。スペインで地震があったらこうなる、という予想どおりな崩れ方に、驚いてしまいました。耐震構造になっていないので、映像を観る限り、家がボロボロに崩れてた。自分のアパートでも、地震にあったら、どうなるかわからないと思います・・古いし・・。お風呂でこけただけで、タイルが大量にはがれおちたアパートです(怖)!地球は動いているのでしょうね。つながっているような気がします。さて、地震以来、落ち込んでいたのですが、やりたいことは全部やろうとマドリッドに出かけてきました。もうすぐスペインを去るので、準備しなくてはならず、いつ続きが書けるかわからないのですが、またあとで書きます!
2011年05月13日
18年ぶりにCopa de Rey優勝です!やっとタイトル獲れた!考えてみたら、スペインに来てから、初めてレアルがタイトル獲ったような・・(泣)。 バルサが強すぎるのです。他のタイトルは獲れるか微妙なところ。 ところで初めてスペインに来た時、国王が気さくに試合後インタビューに出てたりして驚いたのですが、今回は、カシージャスが優勝トロフィーを受け取るのに、国王と女王にキスしたあげく(注:いつものこと)、二人の目の前の仕切りに登り、至近距離で女王の目の前にお尻を向けた上、女王をどかせ(なんと)、国王に手を支えてもらって(正しくは手を握り合って)、立ち上がったのには、本当に驚きました!!!!! んにゃ~!スペイン人すごすぎる! スペイン優勝の時、プジョルが上半身裸で下はタオル巻いただけで、女王に会ってたのにも驚いたけど、とにかくスペイン人、王室との距離感近すぎ! 去年、皇太子ご夫妻も、シャキーラのライブに普通に来てて、しかもノリノリでした。シャキーラも「フェリペ、レティシア、ありがとう!」とか普通に言っていた。 このフレンドリーさ、日本にも取り入れたいところです。でも、エリザベス女王にキスしてお尻向けるイギリス人は想像できませんが(笑)。 ところで、今シャキーラはバルサのピケとおつきあいしてて、超ラブラブなので、この日試合を観に来ていましたが、なんと国王と同じ段の席にいました。さすが、世界のシャキーラ。「レイナ(女王)並みだね。」と友人と話しました。 よく考えたら彼女はコロンビア人なんだけど、この懐の深さがスペインだと思います。 選手は試合後、すぐさま飛行機で帰り、着いたらすぐに優勝パレードっていう体力がすごい(見に行く人もすごい)!ヨーロッパの他の国で試合があっても、終わってすぐ飛行機で帰って、明け方着くとかいうスケジュールはザラ。優勝したあとは、飛行機でも大盛り上りで、歌ったり踊ったりしてる!このありえない体力、スペイン料理からなのかな~~?延長120分を戦ったあと、あの元気って、よくわかりません。 地元では、セマナ・サンタの行列のセット脇で、地味~にレアルファンが集まっていました。寂しいなあああ!18年ぶりの優勝なのに・・。パレード行きたかった!
2011年04月22日
@スペインです。レアル×バルサ、なんとか引き分けました・・後半立ち上がりで一発レッドが出てしまい、レアルは10人で戦いましたが、バルサ相手によくふんばりました。 そして、セマナ・サンタ(イースター)が始まりました。ヨーロッパのGWというべきイースター、どこも混んでるので、どこにも行きません。 そして、私は教会と教会の間の聖母マリア通りに住んでいるので、セマナ・サンタ行列の間、寝れないのです・・最終行列が夜中2時で、家からも出られません。うかつに家を出ると、今度は家に戻れません。毎年予定表を手に入れるのは、行列を避けるためです。 各団体に音楽隊も付いているので(それももの悲しい音楽の)、本当になにもできないです。私は今年最後なので、開き直ってがんばろうとは思っているのですが、毎年この時期が憂鬱です。 ところで、地元の誰に聞いても、みんなセマナ・サンタ(の行列)が好きじゃないと言っています。じゃあ誰が好きなんだろう??たくさんの人が出てるので、誰かは好きなんだと思うのですが。それか基本的に暇なので、なんとなく見に出てるというのもあります。出かけるとなると友人、家族と一緒(ベビーカーも)なので、場所を取るし、超うるさい!! 行きつけカフェ1のラファとカルメンは、前日から戦々恐々で準備に余念がありません。早じまいして、シャッター閉めて襲撃に備えています!「まるでゲラ(戦争)のようだね」と笑いました・・。行きつけカフェにも夕方はしばらく行けません。 とりあえず、この一週間を乗り切らねば。「アニモ(がんばって)!」とお互い言いながら、ラファとカルメンと別れました。結論:嫌い、と言いながら、行列が来ると見てしまう人も含め、人出がすごいのだろうと思いました! P.Sそして気がつけば、震災後初めて、数時間ほど日本のことを考えませんでした(あまりにセマナ・サンタの行列がすごいため)。意外なセマナ・サンタ効果です。
2011年04月18日
@スペインです。 パンツ党でしたが、今年からスカートをはく回数を増やしました。普通の格好でも、スカートをはいただけでほめられます(笑)。 先日、サッカーを観に、久しぶりにバルへ行きました。そのあと出かける用事があったので、うすいピンクのワンピースにラインストーンのピアスをして、自分の作ったブローチをつけて、行きました。 そしたら、この3年間、一度も話しかけてこなかったスペイン人の男の子が話しかけてきました(爆)!ワンピース、恐るべし。そうです、今まで私はほとんど家着でここのバルに行ってたのです!! なんで家着で行ってたのか?というと、タバコのにおいが服につくので、すぐに洗える服しか着ていかなかったのです。煙で目が痛くて、ほとんど泣きながらTVを見ており、ハーフタイムは外で休憩していました。本気でゴーグルして行きたかったです。いつもサングラスをして観ていました。 ところが、今年からスペインは公共の場所が禁煙になったので、バルの空気が超すがすがしくなりました(外が煙くさいですが、それはまだ我慢するとして)! もう泣かなくてもいい! 今までチェーンで吸ってたおじさんたちも、途中で立ちたくないので、45分間おとなしくTVを観ています。退席するおじさんもいません。 な~んだやればできるんじゃん!という感じ。今までなんだったのでしょうか。これで、カフェでもライブでも、くさくなったり、服が燃えたりしなくて済みます(感動)!!! というわけで、私はワンピースを着て、バルに入ることができたのでした。 でも、私はレアルのラウルファンで、彼がレアルを去ってから、行く機会が減って残念ですが・・。 今日からバルサとの直接対決があります!vamos a ganer(勝つぞ)!
2011年04月16日
今週の驚き:夜9時、アパートの前で、20歳くらいの男の子が途方に暮れていました。洋服の袋を持って、人を探しているのです。「アルフォンソを知りませんか?」アルフォンソとか、アントニオとか、たくさんいます(笑)!さて誰だ、アルフォンソ? よく考えたら、テイラー(洋裁屋)のアルフォンソでした。私はまた玄関まで戻って家を教えてあげました。 あとで奥さんのラファに聞いたら(注:家まで来た)、彼は闘牛士で、明日着る衣装がどうも入んないんだかなんだかで、リフォームを頼みに来たらしい。なんで入らないの?牛にさされたの?それともただ単に太ったの(これが濃厚)?! というか、なんで前日の夜9時にそれを頼みに来る?(ただし、夜9時は、スペインでは晩ごはん前) そしてアルフォンソも部屋番号が変わってるのに、なぜ正しく書き直さないの??だから彼は困ってたのです。 という、とてもとてもアンダルシアなお話でした。これで人生なんとかなるところがすごい!すべてがこの調子! P.S.明日までに衣装を直すそうです・・。いやーびっくり。誰かの友達かと思って、よく見なかったわ。衣装を届けに来た子かと思ってた・・。衣装を着てないと、まったく普通のスペインの子ですねー。
2011年04月14日
@スペインです。というわけで、この一ヶ月なにもできませんで、ひたすらモノを作っていました。人生でこんな目に会った事がないので、なぜだかよくわかりませんが、作りまくっていました。 売れるものは売って、全額寄付にあてました。でもまだ作るのが止まらない。なんでだ?! 人はストレスがたまりすぎると、わけわからない行動に出るものだとわかりました・・ 私はストレス解消に野菜を切るのが好きなのですが、今回は買い物にも行けず、野菜がなくてなにを料理していいかもわからなくなり、野菜が切れませんでした。子供がいたら、もっと早く普通の生活になったと思うのですが、一人なので、なかなか元に戻りません。 なにかを考えるのも、計画するのも、旅行も考えることができず、なにも建設的なことが考えられず、今にいたっています。唯一、you tubeで日本のTV観るのが息抜きです。 ありがたいです、you tube! そのTVの中で、「なにかを作ったり表現することが、震災ストレスにもよい。」というようなことを言っていて、私の症状はこれだったか、と思います。なんとか、自分の中でバランスをとろうとしていたようです。 スペインの生活で学んだ、「倒れてもわらをつかむ」というか、なにか違う方向に成長しようとしてるのかもしれないと思いはじめました・・。ありえなく前向きで、ありえなく自己主張してて、ありえなくなんとかなると思っている。スペインで細胞が入れ替わっていて、日本でありえなく浮いたらどうしようか、とちょっと心配で笑えてきます・・。
2011年04月12日
@スペインです。 やっと少し落ち着いてきました・・ 今回の震災のあとわかったのは、私はスペイン語も英語もまったく正しく話せていないなあということ。ラファにチャリティのチラシを添削してもらったら、結局全書き換えになった(笑)!それで彼がパソコンで打ってきてくれたのでした。 もう少し、真面目に勉強しておけば・・と思うのですが、あとの祭り。 毎回同じ会話をするので、このスペイン語だけはよく話せるようになりました。「私は南の出身なので、家族も家も大丈夫です。友達も無事です。でも東京にたくさん友達がいるので、心配です。でも東京はそれほど混乱もなく、ちゃんと機能しています(東京がヤバいと思っている人が多いので)。」 これに、「今回のことは悲しいことであるけれど、私たちはまた立ち上がる」と付けていたのですが、いつ立ち上がれるのか・・わかりません。 これを3週間ほど、オウムのように繰り返していたら、本当に気持ちが疲れてしまって、スペイン語もなにも・・出てこなくなりました。誰ともこの話をスペイン語でしたくない。そうでなくても核とか地震とかの単語まじりのスペイン語・・疲れます。これにプラスして、東京の人口や、お金の金額など、質問によっては数字が必要になります(数字が苦手)。 スペイン語は、誰が主語なのかで動詞形が変わる上、女性名詞と男性名詞があって、冠詞もそれぞれ変わるので、統一して話すのが私には非常に難しい。会話ならまだしも、書いたら全然間違ってる!! 別に正しく話さなくても通じりゃいいじゃん、と思うかもですが、途中で相手がハテナ?の顔になるのも、なかなかつらい・・ こうなってくると、ただ普通に、何も考えず、しゃべれることがなんてありがたいことかと思います。日本語バンザイ!
2011年04月10日
@スペイン 行きつけカフェです。 すでに30度超えてます。暑い・・。 行きつけカフェ1のラファ(チャリティのチラシ作ってくれた人)と、「あっついねえー。夏はここにはいられないねー。」などと話していたら、彼は、「8月は店を一ヶ月閉めて、アルメリアのビーチに行くんだよ。」とうれしそうに言いました。そうです、ここら辺の人たちは、アルメリアのビーチに行くのです。間違っても、コスタ・デル・ソルなんか行かない(イギリス人がいっぱい!)!とはいえ、私は一番好きなのは、マルベージャなのですが・・。これみよがしにフェラーリとか止めてるのを見るのが好き(笑)!買わないけど、カルティエとかに入っていろいろ見せてもらうのが趣味! ラファには子供が二人いて、こちらの家族はいつも全員一緒に動くので、もちろんみんなで海へ行くのです。たぶん親とか友達と行くのかもしれない。 外国にも行かないし、お金もたいしてなさそうだけど(失礼!)、仕事はたいしてきつくもないし(コーヒー作ってるだけ)、客は少ないし、上司のストレスもないし(一人で働いてるから)、その上夏は一ヶ月休んでバカシオーネだなんて・・ぜ・い・た・く♪ こういう生活を幸せというのかもしれないと思いました。
2011年04月08日
震災のあと、自分に罪悪感があるとは思ってもみませんでした。安全な海外にいて、なんの被害にも合わず、食べ物もふんだんにある生活。そして日本の人たちとこの時を分かち合えない自分。本当にまさかです。このラテンな生活の中で、まだ罪悪を感じるなんて、やっぱり自分は日本人なのだと気がつきました。 半年ぶりに東京から友人が帰ってきて、ようやく日本語でいろいろ話すことができたのですが、東京の現実を聞かされるにつけ、やっぱり想像以上によくない状況だとわかりました。特に人の心が傷ついているとわかりました。でもそれもあくまで想像でしかありません。それがまた悲しくもあります。 赤十字にお金を送りました。今のところ、これしかできません。これしかできないということがまた私を悲しくさせ、異常な勢いでの募金やチャリティ活動になったのかもしれません。すっかり疲れて、寝込んでしまいました。 そんな中、土曜の朝10時、ベッドから出られずにいたら、ピンポ~ン、と玄関のチャイムが鳴りました。津波のことかな?と思ったら、下のおばちゃんが、「水がもれてるから、今すぐ家を見せて!」と言うのです!水がもれてると他のおばちゃんから聞いたのが1ヶ月前。いきなり来て、いきなり家に入れろ!と言うか!!! スペイン人は家だけはきれいなので、いつ人が来ても大丈夫なのです。でも私は日本人、頼むから前の日に言ってくれ~~~!!! でも震災のあと、私は募金やチャリティの準備や鶴を折ったり、モノを作ったりするのが忙しく、そうでなくてもなにも手につかず、家も片付けられず、なにもかもが出っぱなし(言い訳?!)。旅行のあと、スーツケースの中身もそのままで、はっきり言って、この家始まって以来の家の汚さなのに、そこに入ると言うか! ・・もうしかたない、入れました。私たちの気持ちなんかわからないだろうな、と思いつつ。津波の津の字も言ってくれなかったし、前々からとんちんかんなおばちゃんだと思ってたけど、これでもう本当に縁切ろうと思いました(笑)! そして「あの日本人の家、とっても散らかってるのよ。」とアパートで言われてるかと思うと、またベッドに戻って寝込んでしまったのでした・・(スペイン人はウワサ好きです)。 この日本人の心労が、誰にもわかってもらえないのが、また疲労の元なのです。
2011年04月07日
@スペインです。 先日、地元でのアートによるチャリティがあり、ひとまずこちらでの募金活動をいったん終わりました。 この3週間、個人的な募金活動のほかに、団体での募金活動に1回、チャリティに2回参加しました。 また、個人的に和布ブローチを作って販売しました。これが結構評判がよくて、思ったよりもみんな買ってくれたので、まとまったお金を送れます。 この3週間、できる限り、全力でがんばりました。なぜなら、・・こちらでの日本への関心は、そろそろ薄れてしまうだろうと思ったからです。あとは日本人でがんばるしかありません。 モノや食べ物を販売して、そのお金を寄付する方法はなかなかいいのではないかと思う反面、自分よりもお金を持たない人から、寄付を募るというのはどうかなと、思ったこともありました・・。ただ、一人一杯のコーヒー代で、日本がとても助かるということは確かです。日本だけの力(お金)では、どうにも足りません。 途中、自分がお金を送るだけのほうが、まだ早いのではないかと思ったこともありました。 少し時間がたって、ようやく少し冷静になり、自分は自分がお金を送るだけではなく、とにかくなにかをしたかった、と気がつきました。多くの海外在住の日本人が、「震災後、なにも手につかない。」と書いたり、言ったりしてるのを見たり聞いたりしました。私もです。自分はここでなにもできないのに、なにかをしなければ、とあせっていました! 本当になにもできなかったです。ごはんの味もしないし、なにか食べられればいいという感じで、料理も掃除もできませんでした・・。 いいこともありました。人の優しさが身にしみたり、あと、自分のことを考える暇がなかったため、自分について悩む時間がなくなりました!自分の悩みはちっぽけなことだ、と思いました。 今後も日本を支えるという意味で、支援をしていくと思います。復興は日本人にとって長い道のりですが、きっと大丈夫。 日本は私の家族。家族のために、また元気に働いて、お金を作って送ります!
2011年04月06日
@スペインです。 震災のあと、毎日いいことと悪いことが起こって、気持ちのアップダウンが激しいです。なにかをしようとすると、このようにストレスがかかるんだったなあ、と思い出しました。日本でのストレスとは違うストレスですけれど。 この震災を機会に、自分たちの活動や仕事をアピールしようとする人たちもいるように感じます。スペイン人と日本人の考え方や思いの違いに、悲しくなることもありました。しょせん人事よね、と思うことも多々ありました。 でも、寄付を募るために作ったブローチを買ってくれたスペイン人のおばさまが、「あなたの国のことはもちろん心配してるし、気にしてるわよ。だって私たちは同じ惑星に住んでるんだもの。違う惑星じゃないわよ。」 と言ってくれて、とてもうれしかった! 同じ惑星=ミスマ・プラネタ(スペイン語)。 私たちはミスマ・プラネタ!他の惑星のことじゃない! 共に助け合っていきましょう! 他の国の人が困っていたら、また助けましょう!
2011年04月05日
先週、ある団体が日本人のために、灯篭流しをしてくれるというので、行きました。実は灯篭流しを見るのは初めてです。 でも行ってみたら、ずいぶんイメージが違ってました! まず、お菓子を入れるうす紙みたいなのに、オリーブオイルを入れ(さすがスペイン)、その中にパラフィン製?の小さなろうそくを入れてるのです。で、これはくにゃくにゃして手で持てないので、お掃除する柄?みたいなものに乗せて、川に流してました! そしてなにより驚いたのは、地元の川が激流で、すっごい勢いで流れていったこと!!!これはみんな想定外だったようで、「川の流れが速くて・・」と言ってました。土手でやってたので、ぼろぼろ崩れてきて、踏み外したら流されそうだったし!! まったくもって日本的な風情とか、悲しみとかそういう感じはなく、子供は大騒ぎだし、やっぱりスペインらしかったですが、とてもありがたく思いました。P.S. 行きつけカフェ1のラファはチャリティイベントのチラシを作ってくれて貼ってくれたし、他の行きつけのカフェ2と3にも張り紙をさせてもらっています。他のチラシはすぐにはがしてしまうのに、日本への寄付とチャリティイベントについては、ずっとはがさずにいてくれてる!しかも私は店の玄関の一番目立つところに貼りました(笑)!確かに許可は取ったけど、こんな場所に貼っていいとは言わなかったよね・・。だんだん厚かましくなります。 あとで聞いたら、「はがれるから、時々貼りなおしてるよ!」と言ってくれました。ありがとうルイス! よく考えたら、親切にしてくれてるのは、またみんな男性ですが・・(笑)
2011年04月02日
数ヶ月ぶりに映画館で映画を観ました。なにかこう、自分を甘やかしたかったのです。頭も体も疲れています。 最近、こちらではとても少ないスペイン語字幕バージョンしか観ません。なぜって・・スペイン語で吹き返られているのはまだいいとして、映画観てる間、スペイン人がしゃべってうるさくて映画に集中できないから!!!! 映画観ながらしゃべる?!田舎だからなのか?電話だって出ます(笑)! というわけで、映画に行くと余計疲れるので、スペインではまったく行ってませんでした。 スペイン語字幕映画はすいてます。今日もまた一人で映画を観ました。映画館に一人きり(他に客なし)で観るのが好き。誰にも気を使わず、家で観てるみたいに、ばりばりぼりぼり食べたり飲んだりしながら観ます!田舎ならではの醍醐味♪自分では試写室みたいと思ってるのですが。 久しぶりに映画に行って、やっぱりよかった。DVDもいいけれど、映画はその2時間、他のことを考えないで集中できます。やっぱりいい! 震災のあと、気持ちが沈んでいて、そのことを考えない時間はなかったけれど、この2時間だけ癒されました。 自粛や不謹慎という言葉も聞きますが、やっぱり消費できる人はしたほうがいい。 震災後、スペインでの消費活動は、生命維持のみに限られています。まったく消費する気がおきないし、暇もない。新しい服もなにもかもどうでもよくなっています。でも、今までさんざんスペイン経済に貢献してきました。だからこれくらい、いいでしょう。 でも日本にいるのだったら、今こそお金を使って、楽しんだほうがいい。なにもかも自粛なんてダメです!その右に習えが世の中をつまらなくします。復興も遅れます。 寄付を集めるのも大切だけれど、きちんと消費するのも同じくらい大切なことだとこの頃思います・・。 映画は、パーキンソン病の女性と恋した映画でした。 たまたま観た映画がこれだけど、おそらく、落ち着いたら、今、日本で日本以外で大変な人たちのことも考えなさいというメッセージかもしれないと思いました。 そして、健康であることに感謝し、心も体も健康に生きることを選択しようと思いました。
2011年03月31日
@スペインです。 私は、元々ものづくりが好きで、なにかを作っていると癒されるタイプです。アイディアを考えるのも好きですが、今回は募金をつのるために、いろんな工夫をしました。どうやったらお金になるかを考えました。 張り紙はもちろん、いろんなところに協力をお願いしました。でもこれだけではお金にはならないし・・寄付は集まらない。 大きな街でチャリティイベントがあると知り、ここで自分の作品を売ったらいいと考えました。ただ、知ったのが3日前くらいで、準備が間に合わない。自分の作品だけだと商品が足りないので、どうしたものか?と考えていたところ、次の朝、「そうだ、他の人たちに作品を寄付してもらったらいい!」と思いつき、他のアーティスト数人に作品を寄付してもらえないか、頼みました。・・本当に厚かましいです・・。今考えても、そうとう厚かましい!!! でも、現金での寄付が難しい以上、商品でいただくほうがまだよいと考えました。はっきり言って、彼らに日本に寄付する義理はなにもないのだけど(笑)。 みんな心よく寄付してくれました。私の勢いに押されたという説もあるのですが! でもこういうときに、本当はどういう人かわかります・・。 情けは人のためならず、ってことわざが頭をよぎるのですが、スペイン語で説明できないので省略。 いまだにスペイン語も怪しいけど、時々英語もまぜこぜで、すっごい会話ながら、なんとか言いたいことを通じさせてます。人間、やればなんとかなる! もう少し時間があったら、お菓子やTシャツなども作りたかったのですが、間に合わないので、アクセサリーだけに絞りました。それならこちらでの値段設定や、どういうものだったらスペイン人が買うのか、だいたいわかります。 結果的に、この大変むちゃぶりで思いつきなアイディアのおかげで、まとまったお金を寄付することができました。私の作品もだいぶ売れました♪うれしい! ひとつは、ヴェネチアングラスとスワロフスキーのピアスなのですが、これは元々ブレスレットだったものをばらして、そのガラスで作りました。実は材料費の15倍で売れました! 外国にいると、なんでもアイディアしだいなんだ、と気がつかされます。 今は折鶴作りをひと段落して、別バージョンの和布ブローチを作り始めました。鶴もいいけど、やっぱり、人が買ってくれそうなものを作ったほうがいい! 今は習字の練習もしています。日本人だから、漢字は書けますし、人間やればなんとかなる!! 自分のためにはここまでがんばれませんが、他人のためならやれるのです。 募金活動もチャリティも、人それぞれいろんな意見があると思いますが、私は他の日本人の方たちと協力して寄付を行ったことで、ようやく気持ちが上向きました。本当にありがたいと思っています。一人では孤独な活動でしたから・・。 作品を提供してくれた人たちには、お礼のお手紙に漢字で名前を書き、日本のせんべいと抹茶飴、バナナをあげました。どうもありがとう、Gracias!
2011年03月30日
@スペインです。 募金活動に否定的な方(日本人とスペイン人)もいましたが、結局のところ、☆どれだけ他人から否定されようとも、自分の信じたことをやるしかないことに気がつきました。人から意見されて、それで気持ちがぐらついてしまうようなら、人に操られていますし、やめたほうがいいのです。それでもやる!と思ったら、やればよいのです。まだまだ修行が足りません。 他人がそれは違うと言ってきても、自分が信念を持ってやりたいことはやったほうがいい。 かわいそうに、「芸がないから、募金活動くらいしかできない。」と思われた方もいました。でも、☆芸(才能)のない人なんか、絶対いないです!!!そりゃあ、お金になったり、目に見えたりするものにはならないかもしれない。特に、外国では、日本的な才能があったほうが、いろいろと便利です。私もなんで生け花とか書道とかもっとやっておかなかったのか!!!と思います。 でもいろいろと考えたら、なにかしら芸ってあるのです。なにもないとしても、お菓子作ったり、いざとなったら、日本人だから漢字も書けますしね!それすらダメって人は、他に才能があるのです。こころが優しいとか、なぜか人に好かれやすいとか、スピーチがうまいとか、友達が多いとか、犬と話せるとか(!)、なにか目に見えない能力です。 話しやすいとか、話を聞く能力がある、というのも才能です。こういう状況になると、ただたわいもない会話をするだけで癒されます。 だから、なにも才能がないなんて、どうか思わないでください。
2011年03月28日
@スペインです。 日本は金持ちなので、募金活動はどうなのか?と言う人がいます。お金や援助がいるのか?と。 スペイン人から言われたのは一回だけで、たぶん90%以上の人はそうは思ってないと思うのですが・・。 思いのほか、日本人の意見(それもネット上の)に傷つきます。 日本がこれまでどこの国にも一切援助しないできたのなら別ですが、今までもけっこうな金額を援助してきたことがわかります。援助してないのなら、こんな記事出ません。「モンゴル、全公務員に一日分の給料の募金を呼びかけ」とてもうれしかったです。 スペインの経済状態が悪いのは確かですが、だからと言って、スペイン人の経済状態が全員同じかというと違います。日本と同じように、貧乏な人もいれば、お金持ちもいます。 ただ思うのは、その意見を言う人の経済状態で人はモノを言うんだなあということ。 お金持ちの視点でみたら、また違うことを言うのではないかと思います。 お金がエネルギーの交換だとしたら、寄付もまたエネルギーの交換ではないでしょうか。 スペイン人が全員貧乏だと思ったら、それは見くびりすぎです。 貧乏な人からお金をもらうのではなく、人として、寄付したい人からだけいただく、それでいいんではないかなと思います。 それに本当に生活に困っていたら、洋服を買ったり、ビール飲んで、外でワイワイしてません。それに食べるものもないような、本物の貧困地区で募金活動などはやりません。 自分もそうですが、なぜ自分の服は買えても、寄付になると高いと思ってしまうのかがわかりません。コーヒー一杯のお金(1ユーロ~1,5ユーロ)のパワーはすごいです。一人が1ユーロでも、または10セントでも寄付してくれたら、大きな力になると思うのですが、こちらではそのような考え方は一般的ではないように感じます。少し落ち着いたら、他の国(ハイチとか)にも寄付を送ります。PS.アメリカのある州の方が、今月は日本への電話を無料にしている携帯会社がある、とか、スーパーで募金を呼びかけてくれている、と書かれていて、あまりの待遇の違いに、泣きたくなってきました・・
2011年03月27日
@スペインです。 街に募金のお願いの張り紙をしたので、今度は責任を持って貼った場所を見回りです。というのもたぶん、張り紙はしてはいけないのです。見つかりしだい、はがされます。 ですがこちらでは、張り紙は効果的な宣伝方法としては一般的です。 注目してもらうため、張り紙に折鶴と赤十字のマーク(折り紙)を貼ったと書きましたが、鶴の盗難が多発してしまい(!)、みんな鶴をちぎっていくので、張り紙がボロボロになり、逆効果とわかりました!大失敗。 一応、気を使って鶴だけ持っていこうとするのですが、まあ張り紙が破れてるよー! 鶴を貼るのはあきらめました。または鶴だけ別の場所に貼るか。なんでもなくなるけど、まさか鶴まで盗られるとは・・・。ps 写真を載せたいのですが、パソコンが不調のため載せられません。ごめんなさいね。
2011年03月25日
@スペインです。 すでにこちらでは数日前のリビア攻撃から、ニュースがそちらのほうへ移っています。原発について、なにか情報はない?とスペイン人に聞かれました。 昨日、中山美穂さんが歌っているyou tubeを観ました。 今、誰がなにをしても半分の人はありがとうと言い、半分の人は批判します。 今どんな活動であれ、なにかをした人はエライと思います。 鶴を折ることについてもこちらで話題になっているようですが、私は鶴かお金(物資)か?と言ったら、それはお金や物資を送るを送るほうだと重要だと思います。鶴は被災地に送るのではなく、募金のお礼としてあげています。こちらでは折鶴を見たこともない人もいるので、よいアテンションにはなります。 ですが、鶴を折るのは誰のためか?と考えたら、半分は自分のためでもあると気がつきました。今ここでなにもできない分、祈るとかでもなく、精神を落ち着かせるために作っています。 なんでもそうですが、お互いにその状況になってみないと、相手の気持ちはわかりません。ですので、日本にいる方に、海外でのんきに暮らして鶴なんか折っちゃって、と思われても仕方がないかもしれません。 ですが、日本人がほとんどいないところで、自分が完全にアウェイ状態で、誰とも気持ちを分かち合えないというのも、なかなかつらいものがあります。 別の人が書かれてましたが、被災してなくても、みんな心の傷はあると思います。 今いるところで、やれることをやるしかありません。 なんで海外でそんなに必死になるの?というと、親の病気を、なんとか助けたい子供の気持ちに似ていると思います。母体あっての今までの幸せだったと、しみじみ感じています・・・。
2011年03月24日
昨日の続きです。ピソ(アパート)の人たちが寄付してくれるのが、なぜうれしかったかというと、同じアパートに住んでいるので、だいたいの生活状況がわかるからなのです(壁も薄いし!)。みんな決して裕福ではありません。隣のだんなさんは、ずっと家にいるようで、仕事がないのかもしれないし、上の大工さんも、冬は仕事が少ないので、ほとんど家にいました。だから余計にうれしかったのです。スペインの失業率は20%と言われていて、私のいる場所もそのくらいだと思います。だから多くは期待できないけれど、気持ちがうれしいです。女性からも少しずつですが、募金をいただいています。 今日は郵便局と銀行に行って、寄付の張り紙をお願いしましたが、やはり公共の場所はダメなところが多いです。だいたい、この寄付のご案内を外に貼っていいのかも謎ですが・・。 募金箱と共に動いているので(設置するとなくなるので)、気がついた人は寄付を入れてくれます。郵便局に張り紙をするのはダメでしたが、郵便局の女性が寄付してくれました。バス停に貼ってたら、バス待ちの女性が入れてくれましたし、タクシーのおじさんも入れてくれました。鶴をあげると、みんな机や車に貼ってくれます。 寄付金のお願いの紙をチェックしてくれている女性も見ました! 地元の郵便局の人たちは、スペイン赤十字に寄付してくれたそうです。ありがとうございます。 銀行は、在スペイン大使館が今回の寄付金の口座を開いたので、地元のその銀行にお願いに行ったのですが、大使館が口座を開いたことももちろん知りません。この銀行から振り込むと、手数料がゼロです。 在スペイン日本国大使館銀行名:サバデル・アトランティコ銀行口座名:EMBAJADA DEL JAPON口座番号:0081 0085 66 0002202029寄付は日本赤十字に送られます。
2011年03月23日
サッカー、バレンシアVSセビージャ戦で、バレンシアがカタカナで名前の入ったユニフォームを着て、試合してくれてました・・なんだかうれしかったです(マタ、とかブルーノ、とか書いてあって、私たちしか読めないと思いますが)。個人的には、ローズマリーを持ったヒターナさん(ロマの人)を黙らせたので、満足しています。いつもお金をくれといわれているので。それほどの震災です。ピソ(アパート)の人たちはしばらくなにも言ってきてくれませんでしたが、ついに昨日の夜、いつもよくしてくれてるおばちゃんが部屋をたずねてきました(初めてです)。下に寄付の張り紙を張ってもいいと言われたので、貼ってみたところ、上の大工夫婦のだんなさんが寄付してくれましたし、今日、隣の部屋の家族がわざわざ、「お金を送るからね。」と言いにきてくれました! 外にも寄付金を募る張り紙を作って貼っています。注意を引くように、鶴と赤十字のマークを折って、貼り付けました。この3年間、一切あいそのなかったスペイン人のおばちゃんが、初めて優しい目で見てくれて、お店に張り紙していいよ、と言ってくれました!いつも親切なビオの女性や郵便配達の人も協力して張り紙してくれています。いろんな人と話します。原発についての意見なども聞かされますが、こうなってみて、いろんな人の優しさ(冷たさも含め)、交流を感じています。日本人で、しばらく連絡を取っていなかった人たちとも、連絡をとるきっかけになりました。悪いことばかりじゃありません。
2011年03月22日
今日、寄付金の張り紙をしていたら、「いやあ大変だねえ、家族は大丈夫?」と声をかけてきたスペイン人のおばちゃんがいました。しばらく世間話をして、それなら募金してくれるのかと思ったら、隣のロト(宝くじ)だけ買って、私に入れるお金はないというのです!!!んもー、本当にここまで来ると、笑えてきました!!まあクジの売り上げは目の不自由な方に行くからいいのですが、こういう人には絶対お金は当たらないです。でもいいこともあって、パキスタン人に、「以前、日本がたくさん援助をしてくれたので、お金を送りたい。」と言われました(※本当に多額の援助をしていました)。 実は魚屋のおばちゃんと顔見知り以外、募金してくれたのは、全部男性です!男性のほうが同情的で、お財布を開きやすいのかと思ってましたが・・・どうも違うみたい。 いろいろ考えた末、出た結論は・・たぶんこれは私が女性だから! 男性は・・無意識に女性に反応していて、女性は男性に反応するのかもしれません。男女の住み分けがはっきりしているヨーロッパでは、特にこれは顕著だと感じます。 なんかおもしろいです。募金活動ひとつとっても、いろいろな発見があります。
2011年03月21日
日本にいて、おつらいみなさんすみません。スペインにいる私には、今はこのくらいしかできないのです。 募金箱を設置することも考えたのですが、実はスペインではそんなものを置いても、なくなる可能性が大!!!「あなたが募金箱と一緒に移動したほうがいい」と言われて、そうすることにしました。。 略奪がない、なくならない、並んで待つ、人を思いやれる・・日本人の美徳をしみじみありがたく思います。とにかく折鶴の入ったメッセージ付きのカゴと、募金箱(貯金箱)を持ち、外に出ました。「ほんとにやる気なの?」とまた声が、というか、もうここまで来ると、自分に自分で話しかけています(他に日本語で話す人がない)。そしていつも行くメルカド(マーケット)に行きました。でもこんな日に限って、なんでか知らないけど、いつもいるはずのクジ売りのおじさんも物乞いさんもいない!物乞いさんにはお金をあげようと思っていたのに、私にはお仲間もない!そばにいた犬をなでて、「私には無理だ。」とつぶやいて、募金活動をあきらめ、かごを持ったまま、魚屋に行きました。そしたら、そこのお店のおばちゃんが10セント入れてくれたのです!本当に感激しました!!!この人がいなかったら、あきらめていたと思います。 その後、少ない人数ですが、いろんな人がお金を入れてくれました。行きつけのカフェのルイスは、一番たくさん入れてくれました!いつも親切だけど、本当にいい人だった!こういう時に、本当にいい人が誰なのかがわかります。 厚かましくも、久しぶりに顔なじみの中国雑貨屋さんに行き、中国人からも寄付をいただきました。折鶴は中国の人も折れるそうで(というか、中国から来たのかも?!)、幸運を意味するそうです。それで、人によっては、「幸運」と漢字で書いて、渡すことにしました。「日本は金持ちなのに、お金が必要なのか?」とあるスペイン人に聞かれました。必要に決まってんじゃんよ! 寄付の金額よりも、問題提議をすることを中心に考えています。日本のことを考えてもらえれば、まずは十分です。 ここは元々があまり豊かな場所はないので、多くは期待できません。ただ、中国と日本がごっちゃになっている人、今回の件は完全に対岸の火事だと思っている人に、1、日本はまた再生する。2、日本のすべてが壊滅したわけではないし、東京は不便ながら、ちゃんと活動している。3、でも復活するには、あなた方や世界の援助が必要。4、これは対岸の火事ではなく(それもえらく遠い対岸)、私たちの問題は世界とつながっていて、日本だけではなく世界経済にも影響する。このようなメッセージを伝えるメッセンジャーのような役割を果たしたいと考えています。いいです、一人でもわかってもらえれば。今日のところはこんな感じです。
2011年03月20日
もう泣いて心配するのはやめました。これからは前向きに考えていきたいと思います。日本はこれからです!ひとまず友人のツテで、地元の新聞社に募金のお知らせを載せてもらえるかどうか聞いています。この際、なんでもするつもりです。マドリッドなどでは、街頭募金活動が始まっていますが、いろいろ考えた結果、私のいる場所からの交通費が100ユーロを超えてしまうので、その分を募金することにしました。 それから、可能な限り、ヨーロッパの友人知人に募金のお願いメールを出す予定です。なりふりかまいません。日本が復活するためなら、がんばります。 以前、セビージャのフェリアで、難病の子供のために写真とメッセージを持ってお父さんが寄付をつのっていたのですが、あのお父さんの気持ち、今よくわかります。もちろん、私は寄付しました。 でも、もっと大きな感じで、復興を助けられたらと思っています。 昨日の夜から、猛然と鶴を折り始めました。募金してくれた人に渡すためです。こんなに鶴を折ったのはいつぶりだろう・・? このところ、折り紙が気になってしょうがなかったのです。何回も店で手に取りました。でも買いませんでした。でもこのためだったのですよ。私の潜在意識が教えてくれてたというのに、「なんでもうすぐ日本に帰るのに、折り紙??」と思ってたのです。 でもスペインで鍛えた「なきゃないで生きていく、あるものでなんとかする」精神で、なんと折り紙の紙から手作りしています。日本の字が書いてあるほうが喜ぶのでは?と思い、日本の雑誌を探すのですが、家に1冊もなかった・・とほほ。 それでもなにか探して、ヴォーグのジュエリー特集の紙で折ったら、なかなかきれいな感じになりました。 一応、中華雑貨の店に行き、折り紙になりそうなものと、貯金箱を買いました。「あなた正気?」と私の中のもう一人の声が。鶴を折りながら、「あなた一人でやるつもり??」とまたまた声が。唯一の日本人の友達は日本に帰っており、私は一人なのです。日本人が大変少ないので、助け合うのは無理。そう、一人で募金活動するのです!正直アホか、と思いました。つづく
2011年03月19日
@スペインです。報道に温度差があると書いたのですが、日本の人は、日本の報道はなにか隠しているのではないかと思い、私たちはこちらの報道はあおりすぎだと思っています・・映像が過激すぎて、疲れています。最初のほうから原発の爆発シーンやら津波やらの映像で、今は亡くなった方の映像まで出てきています。自分の目を疑いました・・こちらではそういう映像を流すのです。ショックです。昨日までは、24HのTVで、小さくNHKの映像が他のニュースのときにも流れていました。日本にいないのに、毎日1回は泣いています。泣いてもしかたないのに・・すみません。このような状態だったので、私の異常な心配は、度を越してしまい、もしかしたら友人や知人には迷惑だったかもしれないと思い始めました・・とにかくみな落ち着いています、私よりも。友達がブログに書いていましたが、本当に無力を感じます。しかしながら今日、自動筆記をしていて、「自分を責めるのはやめなさい。あなたが助ける人はまだ他にいる。」というメッセージが出てきました。これが友人の言う「出番はこれから」ということだと思います。現場に助けにはいけないけれど、また別の形で誰かを助けることになるでしょう。その時まで、元気でいなくてはいけません。人にはそれぞれ、活躍の場があるのだと思います。特に、身寄りがなくてお一人の方、お会いしたことはまだないかもしれませんが、あなたは絶対に一人ではありません・・改めて日本地図をTVで見ると、ちっぽけな島国だと感じます。よくぞこんな国がここまでがんばってきたものだと思います。またの再生の日を願って、今日も一日を終わります。
2011年03月18日
昨日、テレビにオーランド・ブルームが出ていましたが、司会者もみんな日本のバッジをつけていてくれました。オーランドは、日本についてもコメントしてくれてました。結構おバカな番組なのですが(以前、ベジタリアンのエヴァ・メンデスに無理やり肉を調理させていた!)、オーランドは結構楽しんでいて、なかなかいい人だなあと思いました。海外と日本の報道には結構な温度差があり、もちろん東京の様子などわかりません。「東京は大丈夫です。」なんてのはニュースにはならないからです。よくわからないのでとても心配だったのですが、ようやく東京の友達などとも連絡が取れ、様子がわかってきて一安心です。なにせ、アメリカの放送では、原発の影響がアメリカやオーストラリアまで達する勢いで報道されていたので、東京はどうなってしまうのか、本当に心配でした。スペイン人も心配してくれています。が、ようやく今日、他の日本人に会ったのですが、知り合いからじゃんじゃん電話がかかってくるので気持ちが休まらず、すっかり疲れた様子でした。もちろん東京の家族も心配です。でもなにも言われないのも、それはそれで日本に興味がないのかと(あり得るので)悲しくなりますし、複雑な思いです。さすがのスペイン人も、日本と中国はなにが違うのか、わかってくれたことでしょう(と思いたいです)。 私はなにもしていない&なにもできないことで、すっかり疲れてしまいました。 日本のことを考えないようにしようと思っても、そうはできません。まるで石を飲んだような気持ちです・・。 日本にいないので、嫌というほど日々、自分が日本人だということを思い知らされています。ですが、今ほど日本人であることを感じたこともないし、日本のためになにかしたいと思ったことも過去にありません。たぶん、他の外国にお住まいの日本人も同じような思いだろうと思います。 このなにも手につかない感じは、まるで親が危篤の時のようです。 しかし、いったん落ち着かなくてはいけません。なにか他のことをして、気を紛らわせなければ、爆発してしまいそうです。 こんな時、日本語で話せる人がいたらなあと思います。まったく関係のない話が、気持ちを落ち着かせてくれるでしょう。 日本にお住まいの方、日本、東京はどんな様子なのか、どうぞ書いてください。私たちは本当のところがよくわかりません・・。こちらでも日本人による募金活動が始まっています。街頭募金活動もするそうです。私もこちらでなにかできることをやっていきたいと思っています。
2011年03月17日
しばらくオーストリアに行っていました。そして、この地震の報道をドイツで知りました。地震のあった日はノイシュバンシュタイン城にいたのです。多くの日本人を見かけたのですが、まだその時は、みんな気がついていなかったのだと思います。誰もそのことを話題にしていませんでしたから・・(時差が8時間あるので、早朝6時半ごろの出来事になる)のんきにミュンヘンに帰ってきて、この報道を見て驚きました。なにも言葉がありません。ただ、驚きと悲しみです。ドイツ語とCNN(英語)しかなかったのですが、英語のほうは、オバマ氏のコメントや現地にいる外国人のレポート、我々は救援をすぐ送るといった内容で、ドイツは最初の方から地震がなぜ発生したのか、原因と原発についての解説が多く、お国柄の違いを感じました。日本が壊滅したかのような映像しかなく、本当にショックでした。しかも仙台と福島のことしか報道されてなく、東京がどうなっているのかが、とても心配でした。今も限られたソースしかありませんが(しかもスペインの報道はいい加減なものも含まれているらしいので、見るのをやめました)、あえて、あまり不安になるのは控えています。なにもできない今、かえって情報がないほうがいいのかもしれません。ドイツやスペインで、日本人とわかると、いろんな国の人が声をかけてくれます。家族は大丈夫なのか?と心配してくれます。ありがたいことです。今はとにかく、それでも日本は自然と共に生きているし、また立ち上がるということしか伝えられません。マドリッドを歩いていたら、TVクルーにインタビューを求められました。本当は、まったく関係のない質問でしたが、日本人とわかると、日本の話になりました。オンエアでは使われていないと思うけど、日本はまた立ち上がると言いました。今までだって何回も復興してきたんですから。人の気持ちや意識が一番心配です。こちらの人たちに、日本はダメになったりなんかしないと伝えたいです。小さなことですけど、今はそれくらいしかできません。亡くなられた方のご冥福を祈り、被災された方たちが安心して暮らせるようになりますよう、そしてこの地震活動がおさまってくれることを祈ります。
2011年03月16日
せっかく来たので、キャンチャーノ・テルメに入りに行く。その名も「アクア・サンタ」聖なる水よ!一応、前日にマッサージを予約した。マッサージをすると、一日中いてもいいらしいけど、ただ入るだけなら3時間半で出なくてはいけないそうだ。そんなことどこかに書いてあったっけ? しかたなく、他にやることもないので、ここで半日を過ごした。カフェはないけれど、ハーブティーのセルフサービスがあるので、それを飲みつつ、リラックスチェアで本を読んでだらだらする。日本ならもっと畳の部屋とかあるよねー、ビールとか・・ああ。 予想通り、お湯はぬるいけれど、露天風呂(右側)は40度くらいあるようで、日本人にもOKな感じ。そしてなんとここのお風呂、内風呂と露天風呂の仕切り(お湯の中にある)が自動ドア(初めて見た)!壊れないんだろうか。 そしてファンゴ塗り放題というウワサは本当だった!地下のお部屋に暖められた3種類のアロマ入りファンゴがあって、各自これを自分に塗りたくって20分待つ。自分で自分に泥を塗るのは結構楽しい。 マッサージは期待してなかったので、まあこんな感じかな。おばちゃんにマッサージしてもらって、終わったら頬をつままれムニムニされた(注:子供だと思ってる)。 こんな小さい街なら、帰りにどこかで会ってしまいそう。 結論:イタリアに住んでるならともかく、日本から行く必要はないです。やはり日本の温泉は最高☆スペインだったら、バーニョ・アラベでもよかったかも・・。まだ写真が取り込めてないので、写真はまたあとで入れます♪
2011年02月27日
宿にはもう一人客がいた。そうこの宿にはイタリア人のおじさまと私だけ。おおお。こんな季節に一人で来る人はめずらしい。子供も奥さんもいないと宿の人に言ってるのを聞き、ますますよっぽど変な人か、別れちゃったかなにかだと思う。私も十分に怪しいアジア人だけど、人それぞれ、大人の事情があるわよね。 一日目、おじさまは一切私と話をしなかった(スペインではありえない)。でもレストランで黙ってたった二人でごはんを食べるのは気づまりなので、翌日は「英語を話しますか?」と聞いた。「イタリア語しか話せないんだよ、ごめんね。」とおじさま。なにか治療に来たらしいことはわかった(私のように湯につかるのが目的ではない)。そうだね、こんなところにいまどき来るのって、なにかの治療ね。 ここで宿の娘登場で、「この子は、エステに行くのよ。」と代わりに返事してくれる。「それにこの子はね、いろんなところに旅しているのよ、モロッコでしょ、チュニジアでしょ、オーストラリア・・それから・・・。」 この宿に秘密というものはない(笑)。彼女は私のパスポートのスタンプをチェックしていた。 一人で治療に来たおじさま、なにか堅い仕事だとは思ってた(堅さがにじみでてた)。そしたら彼は、「自分はポリスだよ。」と言ってきた!それもテーブルの下から警察バッジを見せてくれた。なんでみんなこっそり見せてくれるのかわからないが・・。 ポリシア!なるほど。警察官ならまあ安心ね。確信はないけど。 仕事はなにをしてるか聞かれた(職務尋問のようだ)。 そのあとも「このケーキ、200カロリーはあるな・・」とぶつぶつつぶやきながら食べていた。そんなイタリア人っている? おじさまは「コーヒーでもどう?」とまた魔法の言葉を繰り出したが、私はおなかいっぱいすぎて無理だった。それに彼はイタリア語しか話せないので、会話がほとんど成り立たない。その上、外国人に慣れてないので、簡単な単語で話すことができなかった(宿の人のイタ語はわかりやすかった)。 ひとつのホテルにたった二人の客・・ロマンス!と行きたいところだけど、現実はそうもいかない。禿げた警察官のおじさまと二人きり。絶対になにもない(笑)。彼がブラッドリー・クーパーみたいにハンサムだったら、イタ語だけでももう少し会話をがんばるんだけどな(残念)!と思いながら、ぶっ倒れるように夜10時には爆睡したのだった。ちゃんちゃん。
2011年02月22日
古びた街だけど、なんか高級風。 理由はあとでわかった。この街はどうやらフェデリコ・フェリーニの映画8と2分の1の舞台になってたようなのだ(知らないで来た私 笑)。そしてフェリーニがよく滞在していたらしい。この温泉地の昔の写真を見たけど、それは1928年のもので、どうやらここは昔からの老舗の温泉地のようだった・・。それならこの古さも納得できる。でもフェリーニっていつの人よ?!注:その映画は1963年公開でした。・・・ おどろきその4、キャンチャーノという街は他にもあった。古いいかにもなトスカーナな感じの街は少し離れたところにあり、今私がいるキャンチャーノ・テルメは風情もへったくれもない、ただのホテル街だった。 駅はキウージ・キャンチャーノ・テルメだし、誰がこんなにキャンチャーノがいっぱいと思うでしょうか?! 街には何も食べるものがなかったので(いまどき日本でもありえないという風なスパゲッティメニューを発見)、ホテルで食べるしかなくなった。 宿は家族経営なので、一生懸命、イタリア語と英語の単語集を見ながら、説明してくれた。スープかパスタか、肉か魚か、選べた。こうなってくると、どこに泊まるかがとても重要になってくる・・。 一日目はズッキーニのスープとお肉にした。2日目はラグーと白身魚ソテー。とりたてておいしくもなければ、まずくもない。せっかくトスカーナにいるのに、ワインはハウスワイン、こんな普通のパスタ食べてて(失礼!)、だんだん笑えてきた!私はこんなものを食べるためにイタリアまで来たのかしら。☆スペインで学んだこと:ありえないこととか、なんだかなーと思うことがあったら、ははっはー!と一回笑ってみることにしよう! しかも夜、こんなに食べたら、気持ちが悪くて昼は食べられない(ま、街には食べるものもないんだが)。 家族経営でお料理も出してくれる宿が理想だった。だからこれでいいんだけど、なんかイメージが違う・・。つづく
2011年02月17日
私の勘は正解で、返事をくれなかったホテルも、他のホテルも、今ひとつの場所にあったし、ホテルの人もいい人たちだった。やはり自分の勘で選んだほうがいいね。 驚きその1、なんといってもこの街、レストランというものがなかった!いや、一軒はあったけど、冬なんで開いてるかどうかは不明(すっごい坂道を登るため、断念)。基本的にホテルで食べるしかないようになっている。どうやらこの街の人は、ここでは外食しないらしい。それとも他の街へ行くのかしら。 驚きその2、カフェが少ない!いや、カフェは4軒あった。でも人が鈴なりになって飲んだり食べたりしていない。数組が寒々といるのみ。そしてお互いが全員顔見知りのようで、名前で呼び合う。 めったやたらと外でお茶や酒を飲む地域から来ると、これは本当に衝撃的だった!ここの人は、お茶はカフェで飲まないようだ(家飲み?)。 驚きその3、冬なんで、ほとんどの施設は閉まってた!閉まっているのは知っていたし、インフォメーションも読んでから来た。それなのに、「2ヶ所開いてるひとつのほうは治療施設なので、リラックスには向かない。」とインフォメーションオフィスで言われた(さすがイタリア)。なんでそれを先にに言わない?! あきらめきれないので一応そこまで見に行ったが、本当にさびれてた。建物がさびている。治療するしかなさそうだ。 かなりヤケになり、一軒のカフェに入る。この街ではみんなが私を見る。アジア人なんか歩いてないからだ。しかもこんな真冬に(笑)! 白い羊の群れに一匹まぎれた黄色い羊みたいな気がしてくる。でもしみじみ見るものの、誰も話しかけてはこない。 そしてよくよく見ると、お客さんの身なりはそこそこいい。毛皮を着ていたり、ヴィトンを持っていたりする。街にもなぜかMAX MARAやブルガリなどの高級宝飾店が多かった。なんでなんで? そして、小さなスーパーとか小売店が一切ない!水も買えないの(笑)どうしてくれんの?!宝石や服は食べられないし、なんだかうらめしく思えてきた。こんなに痛切にスーパーが恋しかったことはない(あとで1軒だけ小さな店を発見)。 古びた街だけど、なんか高級風。 つづく
2011年02月08日
今週の大喜び:家から5分のところに、いいカフェを発見した!WIFIがあって、コンセントもあって(これ重要)、電波状況もよく、静かできれい、あとコーヒーがうまい(スペインにはめずらしくカプチーノ風のコーヒー)、そして店のおじさんが超親切(最重要)!!! ああ、なんでこの店にもっと早く入らなかったんだろう? 禁煙になったし、本当に居心地がいい。毎日入り浸りたい。 というわけで、写真をUPしよう(と思ったら、容量が足りず取り込めなかった・・またあとで。) 冬になったので、どうしても温泉に入りたくなった。イタリア人のクラスメイトがすすめてくれたサトゥル二アは、どう考えても外のようだ!または一泊200ユーロくらいするような素敵なホテルしかない(しかも彼はこれをすすめたわけではないと思う)。でも寝るだけでそんなに払いたくはないし、そこでカップルにまみれたくもないので、他の温泉に行くことにした。☆ヨーロッパの温泉は、カップルがいちゃつく場所です! いろいろ調べたところ、キャンチャーノ・テルメというのが、ローマから電車でも行けそうだし、近くてよさそう。ということで、ネットでホテル探しする。 が・・この時期(1月)、休んでいるホテルも多いのね!!!予想以上に難航した。そして一軒のホテルにメールしたものの返事がなかったので(イタリアではよくある)、グーグルマップからホテルを探しだして、無謀にもイタ語で電話をかけた。ホテルの人もいい感じだったので、ここに決める(少ない単語で会話を成立させた)。 最近は、グーグルからホテルに飛んでいる。なんて便利な世の中でしょうか。 ローマからの電車は、いつものように意味もなく遅れるし止まる。この日も50分動かなかった(でも途中で15分巻いた、そこがすごい)。スペインの電車は意外とこういうことは少ない。帰りもテルミニ駅は、ほとんどの電車が止まっていて、大混雑していた。イタリアで電車に乗るのはストレスだ(恐)。 キウージ・キャンチャーノ駅に着いた時、乗り継ぎのバスはとっくに行ってしまっていた。イタリア語で非常に複雑な時間割を書いてあり、外国人にはわからない。とにかく1時間後にしかバスはないというので、そのまま、ぼーっとしていた。 スペインに住んですばらしい点は、意味もなく「いい天気だなあー」とか、「雲だなー」などと思いながら、一時間くらい平気で過ごせるようになることだ。そしてたいていのことに耐性が着く。なんてことない。 私は日本人だけど、中身はスペインに感化されているので、バス停で待っていたイタリア人に話しかけたら、あからさまに嫌な顔をされた。このあとも他の人に道を聞いたり、いろいろあったのだけど、ほとんど誰もニコニコなんかしてくれなかったし、親切に連れていってくれたりなんてなかった。不親切でもないけど、親切でもない。人との距離がある。 いやー、トスカーナの人、もっと陽気かと思ってたよ~~!!! ま、気温3度じゃご陽気になれないかもだけどさ! 私はスペインの中でも特にご陽気な場所から来ているので(はっきり言って、なんでここから寒い地域に行くのか、自分でもよくわからない)、結構身にこたえた。スペインだったら、そこまで案内してくれたり、わからなかったら、他の人に聞いてまで教えてくれる。時々ウソも教えてくれるけれど、もっとニコニコしている。 まさか、外国人の私に「自分でバスの人に聞けば?」的な扱いをされるとは思ってなかった・・。 ま、気をとりなおし、街まで行く。今や私はどんなことでも対応可能!キャンチャーノ・テルメの中心には20分で着いた。なんか嫌な予感はしてたけど、 とーーーってもさびれてる!!!いや、夏はもっと盛り上がってるのか?! 日本人があまり行かない場所なので、ネットで見たときもあまり情報がなくて、今回は完全に行き当たりばったりだった。まさかこんなに人がいなくて、閑散として、さびれた温泉街みたいだなんて。シエナみたいに素敵な古い街でもなんでもない(一応ここはシエナエリア)。悪いけど昭和を感じる。 私ともう一組の女性カップルは、途方にくれた。なんでこんなところに来ちゃったんだかな。 気を取り直し、ホテルまで歩く。
2011年02月07日
一月一ヶ月の間に、スペインをベースに、フランスとイタリアに行ってしまったので、私の怪しいスペイン語は、その上に変なフラ語とイタ語が加算された・・。合間に英語も話していたので、なおさら変てこになった! 家を貸してくれている大家さんが、「スペイン語、下手になったね!せっかくこの頃いい調子だったのに・・」と言った。そのとおり、フランスじゃ一回もスペイン語のことなんか考えなかったし、イタリアではスペイン語をイタリア語単語に置き換えた。そしてこのめちゃくちゃ具合は、今もまだなおらない。 エリザベス・ギルバートは、「イタリア語が美しい言葉」だと思っているようだけど、私には、どうしてもかわいらしくしか聴こえなかった。ピッコリーノとか、バンビーノとか、ナポレターナとか、ピウとか絶対にかわいいでしょ。 私にとって美しい言語はフランス語。イタリア語はスペイン語と似てるけど、やっぱり会話にならない。テレビを観ててもよくわからない。 そうだ、あいかわらずイタリアのテレビでは、番組の途中で意味もなく、美女軍団(時々美男も)が出てきて踊ってくれるので楽しかった。スペインのTVにこれはない。自分たちが美しい国民だってわかってるのね。でもローマにブラッドリー・クーパーのようなハンサムは一人もいなかった。きれいなイタリア人はどこへ?気のせい?あれはミラノだったっけ? イタリア人を見慣れてしまったのだろうか。エリザベス・ギルバートの言うところのハンサムなイタリア人は、ほとんど見かけなかった。残念。 2003年のできごとを書いたこの本に出てくる場所は、ことごとく変わっていた。なにげにローマも結構変わってるのね。 バルベリー二広場にあるというネットカフェもなかったし(小さいのはあった)、アウグスティヌス廟は閉まっていた。ティベリーナ島はちゃんとあった、これを島と呼べるならば(日本なら中州だ)。食べてないけど、ちょっと高いけど、よさそうな感じのレストランが島にあった。 島の近くでポリシアに道を聞いたら、イタリア語で「明日お茶でもどう?」と言われた。なにを言ったかわかって、イタ語で返事もできて、とてもうれしかった。でもどうやって、これ以上、イタ語しか話せない人とお茶飲むんだろうね(笑)? どうも毎回、行くたびに一回は警察官に声をかけられている(私だけではないと思う)。警察官って暇なんだなと思う・・。前に日本の交番で焼肉屋の場所を聞いたとき、イタリア人に、「日本の警察ってヒマだね。」と言われたのだけど、絶対にヒマさ加減ではイタリアのほうが勝っていると思う! そしてスペインもイタリアもコネ社会のため、日本より警官の権力が絶対にある(そしてなかなかいい仕事の部類に入っている)。どこの街でも、警察官ととりあえず知り合いになっておくに越したことはない・・。 でも時々うっかりすると、パーティなどであとから警察官だとわかるときがある。これは結構微ビビる。だからうかつに人に変なことは言えないのよ!
2011年02月02日
それでも今回は、ローマでいいカフェを2軒見つけた。一軒は、トラステヴェレにある、穴ぐらのようなカフェ。とっても落ち着くし、お店の人も親切。チョコラテリアでもあるので、寒い日には暖まる(16種類もあった)。どれだけいても嫌がられない。観光地なのに、いい感じ。 2軒目は、トレビの泉とスペイン広場の途中にあるカフェ。隣が白いレストラン。ここは東京にありそうな、モダンな白いカフェ(モダンなものに飢えているのかもしれない 笑)。店員もいい感じで愛想がいいし、なにより落ち着く。 なんでこんなに落ち着く落ち着くと書きまくっているかというと、スペインにこういった落ち着くカフェはないのだ!いや、探せばあるかもしれないけれど、静かに本を読んだり、リラックスできる場所はない。少なくとも、私の街にはない。たいてい、でかい音楽がかかっているか、がちゃがちゃしているか、スペイン人がでかい声で話している(そのすべてでもある)。まったく落ち着かないので、普段は耳栓をしてカフェにいるか、まったく行かないのだ。 いつもの行きつけのカフェは、ついに私を覚えてくれて、自動的にカフェコンレチェを出してくれるようになったが、そこに行くのは、ただWIFIがあるからにすぎない。コーヒーを味わったり、ぼんやりしたりはできない。 マドリッドでも、落ち着くといえば、ホテルのカフェとか、それくらいかな・・どこかあるかな? なので、ただゆっくりして本が読める空間がローマの真ん中にあるなんて、びっくりした。ローマに住んでたら通いたいな・・。コーヒーもスペイン並みに安かったし(1-2ユーロ)。 世界のいろんな人たちを観察して、親切な人とそうでもない人との違いを発見した。☆たとえ不親切な人に出会ったとしても、その人が単に今幸せではないのであって、私のせいではない。親切で幸せそうな人は、今人生が幸せなのだ。 どんなに不親切で感じの悪い人に出会っても、この人は今、人生がうまくいっていないんだな、と思うことにした。妻が出て行きそう(または出ていった)のかもしれないし、誰か病気なのかもしれない。 元気で感じのよい店員や人に出会ったらそれだけで幸せ。でも感じが悪くて嫌な人に出会ったとしても、それは私のせいじゃない。さっと離れるだけだ。 親切で幸せな人は、私に一日中幸せをくれる。こんな風に誰かを幸せにできたらと思う。 !!!そして、今もすっごい大音量のカフェバーで、スペイン人にまみれてる!
2011年02月02日
ローマから戻りました。エリザベス・ギルバートの本を読んで、行ってみたけれど・・やっぱりローマはローマ!がちゃがちゃして、混沌としていた。なんで彼女がこの街でリラックスできたのかわからないけど、離婚したあとに生きる力を感じるには、このくらい、猥雑なほうがいいのかもしれない。確かに生きる力はあふれてると思う。でも普通の人間には、疲れる。 何回もローマに行っているのに、一度もおいしいレストランに当たったことがなかった。でもどうしても、おいしいものが食べたい! 今、ガイドブックや本がないので、インターネットでしか情報が読めない。その中で、「ローマにはおいしいレストランは少ない。」と書いてあって、ちょっと安心した。私だけ、こんな、日本でも食べたことないようなまずいパスタとかを食べていたかな?と思ったから。 で、今回は失敗のないようにと、ネットで見たおすすめのレストランに行ってみたら、店の半分が日本人だった(笑)!確かにおいしかったけど(フンギはかけらみたいだったけど)、これはあまりいいことじゃないよね・・。☆人がすすめてくれる店より、自分の勘でレストランを探そう。 自分の勘を大事にしよう。 お店の雰囲気で、はやってそうとか、店員が感じよさそうとか、それを基準にしたほうが絶対にいい。 今回は、アウグスティヌス廟(これもエリザベス・ギルバートの本に出てくる、今は閉鎖中)の近くのレストランに入ったが、今までのローマで一番マシなレストランだった!いやもしかしたら、ローマのレストランは少しずつ、マシになりつつあるのかも。 でも、ただのテーブルウォーターに2ユーロ(くらい)チャージしてたのには驚いた!2ユーロ取るならちゃんとした水を出せ! コペルト(席料)がだんだんなくなってる代わりに、パンと水で、座っただけで5ユーロも取られるの、絶対に納得いかない・・(毎回)。 そこへいくと、スペインはいいな!コペルトもないし、タパスもあるし、レストランに行かなくてもちょこちょこ食べられる。 あとはやってる店もダメ。客が来るとわかってるから、サービスが雑。 今回、本当に驚いたんだけど、ローマの人ってあいさつしないのねー!ボンジョルノといっても、平気で知らん顔してる。時には見つめあって黙ってる。確かにこれだけ観光客が(冬でも)押し寄せてくるなら、いちいちあいさつなんかしてられないでしょうよ。でもさ、あいさつは基本でしょうよ(と日本人が怒る)! スペインで、あいさつを省略されたことはない。そしてイタリア人って、それほどご陽気でもない(冬だから?)。これはまたあとで書くとして。 私は思い知った。観光客が一回でおいしいものに当たろうとか、無理なんだってこと。 今、私は観光地に住んでいるけれど、観光客は常に地図を持って迷ってる。そして地元の人が行くレストランまではたどり着けない。もうそれはしかたない。あとはがんばって地元の人に聞くか、現地に友達がいるかしないと無理! 今回も、自分が作るよりまずいポモドーロとか、ありえないオムレツとか、いろいろ食べた。 でも不思議と初めてのローマで、すっごいまずいパスタを食べた記憶は鮮明で、いい思い出なのだ。今となっては、まずい食べ物しか思い出せないの(笑)。
2011年01月31日
秋に「食べて祈って恋をして」の映画をパリで観た。あまり悪くは言いたくないけれど、すっごーく期待してたせいもあって、映画が食べて、祈って、恋をしただけだったのには本当に驚いた!それも前もってハビエル・バルデムと恋に落ちると、さんざん事前に告知されている。バルデムが出た頃には、「やっと出たか、バルデム・・」って感じだった。 全世界で読まれている本がこんなにおもしろくないはずない。 本はおもしろかった(アマゾンの評価にあるように、ちょい中だるみするし、やや共感できない部分もある。あと比喩が長すぎる)。この映画に限っては、本を読んでから観たほうが正解。なんでこういう旅になったのか、本を読めばよーくわかる。 ただ、35歳のブロンドの長身美人が「トウがたってる」と自分で思ってるなら、残りの人たちはこのあとの人生、どうやって生きていったらいいのかなと思ったけれど。 最初のほうでローマ大絶賛のため、だんだんローマに行きたくなってきた。ローマでなくても、イタリアに行きたい。今までスペインと似てるからあまり癒されないと思っていたけれど、読んでいると絶対違う(当たり前)気がしてきた。 彼女のイタリア語への愛を読んでいると、私がスペイン語を選択したのは間違いだったんじゃ?と思えてくる。最初にものすごく悩んだのだ、イタリア語にするかスペイン語にするか。 でも結局、一ヵ国でしか通じない言語(日本語もそうだけど)よりも、マーケットの大きいスペイン語を選んだのだった。「なんだかわからないし、なんのためかわからないけど話したい。」理由はそれでいいらしい。日本語を勉強してる外国人も同じことを言う。きっと前世この人たちは日本人だっただろうし、本の著者は前にイタリア人だったんだろう。私も前世ローマ兵だったと思っているし。 ローマがこんなに素敵な街とは思わなかったけれど、この人の文章力もあって、急激にパスタが食べたくなってきた。隣の国にいるのに、なんで行ってはいけない理由がある? というわけで、もう何回も行ってるけど、またローマに行くことにした。なんでかはわからない。「さしせまった必要はないけれど、なんだかそうしたいような気がする。」これが立派な動機だと著者は言うし、私もそう思う。人生は、それでいいのかもしれない。 2006年頃に書いた紙が出てきた。「お金が続く限り、年に一回はイタリアにショッピングに行きたい。」と書いてあった、ははは・・・。 ただ行くのもなんなんで、ソルドに行こう。まだ間に合うかわからないけど。 寒いので観光もしたくなく、テルメに行きたいと思ったら、温泉のオンシーズンは春から秋なんだって! 寒い冬にローマに行って、オフシーズンの温泉に行くことになってしまった。 全部、エリザベス・ギルバートのせいなのだ。罪な本。
2011年01月18日
今週の驚き:銀行カードが、デビットでは使えるのに、銀行のキャッシュディスペンサーに入らなくなった。なんで???「飛行機乗りました?」「乗ったけど。」「X線でダメになった可能性があります。新しいのにしますか?」「でももうダメになったのこれで3回目よ!」「(履歴をチェックして)いえ、2回目です。」そこ、訂正せんでもいい! この銀行は2行目で、トータル3回もカードがダメになったのだ。 こんな弱々カードに年15ユーロも払わなくてはいけないのだ。どこの国にこんなに磁気がダメになるカードがあるよ?? やっとの思いでカードを使っていたところだったので、もうあきらめた。窓口でお金をおろすことにする。なんのためのカード・・。 最近、スペイン国鉄(renfe)で、外国発行のカードが使えないので(注:使えるものもあるが、私のは2枚ともダメになった)、どうしてもこのカードを維持したいのだ。 ローコストエアラインでは、クレジット清算するときに、デビットだとクレジット手数料の約半分になる。 今回、それでこのカードをふたつのエアラインで試してみたが、まったく決済できなくて、結局いつもの日本のカードで買った。本当に使えないカード。 結局、この銀行カードで使えたのは、renfeとvodafoneだけ!!あとお店でのデビット!頭が痛い・・。PS.スペイン人に言わせると、私のエネルギーが悪いせいなんだそうだ!!!40年ものの古ーいアパートの水がもれ、一日中音がして、洗濯機が脱水せず、留守にすると茶色の水が出てくる(絶対水道管が錆びている)のも、全部私のマラ・エネルヒア!!!そんなんで片づけないでもらいたい・・・
2011年01月16日
ついにチーズを没収された。今までオルリー空港では一度も取られたことはなかったし、私はオルリーでX線の係員に確認までした。「チーズは手荷物でも大丈夫?」「もちろんです。」今までチーズが問題になったことはなかったように思う。が、CDGでついに係りが私のチーズを発見、これは処分です、と没収。「オルリーではいいと言っていたのだけど」「フランスでは、チーズは機内には持ち込めません。」・・だよね。ヨーロッパがOKで日本がダメってことはないよね。なんてバカな私。「じゃあ、このチーズ、食べていい?」「食べるなら、もう一度外に出てください。」・・・うしろには長蛇の列。さよなら、私のチーズ。「じゃあこれ、あなたにあげる・・」と言った、マダム・カンタンのチーズは、わずか1時間のバスの間に溶けていた。 それを見て私はわかった。フランスのチーズが、なんでほとんどスペインで売られていないかということを。 私はやわらかいチーズ、特にヤギチーズファンなのだが、これは移送に大変手間がかかるみたい。パッケージに温度。どうりで、大手メーカーの箱入りチーズくらいしかないわけだ。 やわらかチーズは、現地で味わって胃に入れてくるしかないねー。 大晦日の日、フロマージュリーの人がわざわざ、「没収されるかもしれないから、スーツケースに入れてくださいね。」とアドバイスしてくれたのに・・ヨーロッパは大丈夫だなんて、なんで思ってたんだろうか。なんで係員を信じてたんだろ、私? でも一番高いエポワスだけは、スーツケースに入れていたので、難をまぬがれた。 スペインに住んでいいことは、なんでもあきらめがつく、ということだ。そして前向きになる。「これで次からはチーズは没収されない(なぜならスーツケースに入れるから!)。」「安いチーズでよかったわ!」などなど。 帰りに、スペインの靴屋で靴を買った。見慣れないブランドの靴だった。「これ、スペインブランド?」「そうよ、スペインのECCOみたいなブランドよ!」と自信満々の店員。そう、といいながら、スペインブランドにしてはちと高い(ちと残念)だと思いながら、帰ってよくよく見たら、ドイツ製だった・・箱にバリバリドイツ語が書いてあった!!!ドイツ製なら・・・うれしいし、この値段も納得。 しっかしどの人もこの人も、自信満々にウソを言うのはなんでなのか??? スペインもフランスも、一人だけでなく、最低3人には聞け、という自分の教訓を、あらためて思い出したのだった。
2011年01月15日
あと服装ですが、これもいろんな人のWEBを参考にしました。でも決定的な決め手は見つかりませんでした。私の結論:ダウンはあまりはやっていないので、着ていかないほうがいいと思います。しかも店に入ったら、暑い!カイロ貼ってたら、汗だく! もったいないので、貼るホッカイロがなかなか使えないですが、このままだと、ここぞという時は来ないかもしれない・・。 スペイン人も薄着ですが、パリの人も薄着でした。0度近いのに、ジャケットだけとか、薄いコートとかありえない。こちらの人の体感温度は、私たちと5度は開きがあると思います。 私もコートをなににするか最後まで悩み、結局、5つ星でお茶をしたかったので、普通のコートにしたのですが、これは正解でした(なんとホテルでコートをお預かりされた)。ただ行く時からおしゃれしすぎて(荷物になるので、全部着ていった)、安ホテルで浮いていたのには自分で笑ってしまったのですが。ホテルでマーケティングマネージャーに間違われた!ははは! 最近、思うところあって、服をきれいな格好に変えました。空港のX線で、帽子からコート、ストール、ブーツ、すべて取らなくてはいけなかった時、一人で抱えきれず(当たり前)、係員が運ぶのを手伝ってくれました。今までたくさん飛行機に乗ったけれど、お抱えのように運んでくれた人はいなかった! やっぱり、女性は身なりだなあと思いました・・ 田舎生活にしても、すっぴん、家着みたいな格好ではいかん! 山とか行くのでなければ、あまりカジュアルな格好ではないほうがよいと思います。パリに住んでいる地元の人は、人にもよりますが、やっぱり街のファッションです。ああ、またも写真がない・・そして美人は歩くのが早い!というのが私の世界の美人観察の結果です。
2011年01月14日
みんなが素敵!と言っていたパリのクリスマスマルシェ&クリスマスイルミネーション。やっぱりヨーロッパから行ったら、だいぶ感じが違いました・・。 まずマルシェ。響きはかわいいけど、これはスペインのメルカディージョのこと。同じものなのに、メルカディージョというと、妙に土着で、安っぽく聞こえるのはなんでだ 笑。 マルシェというかわいらしい丸い響きにかわいらしい家型のテナント、その中で売られている安っぽい(でもスペイン値段の倍はする)商品を見て、本当にがっかりしました。どこへ行っても、食べ物も商品も同じ・・こんなことなら、スペインで買い物するよ。 そう、最近ようやくスペインショッピングに目覚めたのです。いいものは少ないけれど、うまく買い物すれば安くていいものが買える、まるで宝探し。 最近はパリに行く前に、スペインで買い物してから行きます。食べ物以外パリであまり買いたいものがないです。 そしてイルミネーション。もっと素敵と思ったのですが・・まあこんなものかな。 行くにあたっては、いろんな人のブログやインフォを参考にしました。ほとんどみんな素敵だと言っていて、ただ一人だけがっかりした、と書いている人がいました。 スペインもイルミネーションはがんばっているので(私の家の前の道にもある)、だいたい同じでした。デパートもキレイだけど、スペインもエル・コルテ・イングレスなどががんばっているし・・スペインも負けてないよ! と気がつけば、スペイン人みたいなことばかり思っていたのでした!いやー自分にウケた!!☆写真を載せたらいいといつも思うのですが、いかんせん電波が悪くて、これを載せるのが精一杯です。すみません・・
2011年01月13日
2011年元旦。観光地以外ほとんどのところが閉まる・・と言われていたパリの街は、なにげに普通にやっていた。 まず、ホテルから出たすぐのところで青空マルシェをいつものように、普通に開催しているのには驚いた(それほど観光地ではない場所)!パン屋もやってたし、その隣りのカフェも開いてる。今日元旦だよね・・。ミニマーケットも開いてる。私はなんのために昨日買いこんだんだろう。 スペインの田舎だったら、間違いなくどこもやってないと思う。元旦はひたすら家にこもっているしかない。フランス人がこんなに働くと思わなかった!!!フランス人じゃないかもしれないけど。メゾンカイザーもやってた。ラデュレもやってた(ただし、長蛇の列)。「元旦開いてるの?」とあちこちで聞いていたら(張り紙とかがあまりないので)、「やってます、年中無休ですマダム。」としまいには面倒くさがられた。でも、確認しないことには、年中無休なんて信じられないの、スペインのあとじゃあ。フランスすごすぎ・・。それとも私が田舎者??もちろん、中華レストランは開いてるし、なんとオペラのエースマートも元旦営業。その向かいの来々軒も元旦営業!日本人もエラい。というわけで、パリでは絶対に元旦でも食いっぱぐれはないってことはわかった!
2011年01月11日
年末は、セーヌ河のバトー(船)で年越しパーティでした!というと聞こえはいいのですが、単なる酔っ払って踊り狂いまくるだけ・・。スペイン人に比べたら、フランス人は声も小さいし、おとなしく見えました。でもどこも踊って踊って飲みまくるだけよねーー。しかも一人で乗りこんだ(笑)。超無謀だけど、とにかく踊りまくりました。帰り、メトロは止まっていた。止まっていたのではなく、動いていなかった。「新年のメトロは全部動いてますよね?」と駅職員2人に確認したのに、やっぱり動いてないよ・・。だから嫌なんだって、この国。そんなこともあろうかと、地図を持ってきていた。最悪は歩いて帰る覚悟だった(逆に言うと、歩ける場所だったから船のパーティに行った)。でも本当に歩いて帰るハメになるとは・・。 そんなに危ないエリアではなかったけれど、女性一人で夜中の3時に歩くのは、それほど楽しくはない。でもしかたないのだ。タクシーは当然、すべて満車!!!つくづく、一人で出歩くのは大変な国だと思わされる。だからみんな、あんなに恋人やパートナー探しに真剣なのね。 30分歩いて帰った。途中でフランス人が「ボン・ナネー マダム!」と言ってくれた。タクシーがつかまらないので、フランス人は、夜中ベリブ(自転車)を乗り回していた。でもこれ、借りるのに、私のフランス語能力では、まだ難しい(どこに返したらいいかわからないと、えらいことになるし!)。 こんな2011の新年でした。
2011年01月10日
今頃ですが、あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。クリスマスの驚き:ベジタリアンのお宅でディナーをごちそうになった。まさか、完璧にべジメニューとは思わなかったが(せめて野菜のテリーヌとか、そういうものが出てくると思っていた→ゼラチンも動物由来なので、ダメなのだそうだ!おお)、メインが焼き野菜。・・・。ダシさえダメっていうのがつらかった。前菜の野菜を食べ、メインの焼き野菜を食べた。パンをいっぱい食べたので、おなかはいっぱいになったが・・。翌日からラパン(ウサギ)の赤ワインとプルーン煮込みや、鳥の焼いたの、酢豚などを食べまくったのは言うまでもない。普段あまり肉は食べないし、限りなくベジタリアンに近いと思ってたけど、やっぱり完全なベジタリアンは無理!自分で魚釣って食べろとか、自分で狩りをして動物をさばけ、と言われたら、迷わずベジタリアンになる。でも今はもっと柔軟に生きていたい。ベジタリアンは正しいと思う。でも、絶対にこうでなきゃ、とは思いたくないのだ。
2011年01月08日
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