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フレデリクスボー城 3 (ノルマン人とヴァイキング)
デンマーク王国(Kingdom of Denmark)
フレデリクスボー城(Frederiksborg Slot) Part 3ヴァイキング達の国
ヴァイキングと呼ばれたノルマン人
消えたノルマン人
フレデリクスボー城 謁見室
デンマーク王室の歴史でも・・と思ったらもっとさかのぼってしまった![]()
ヴァイキングと呼ばれたノルマン人
9世紀から300年近く、中世ヨーロッパに侵略してその歴史に大きな影響を残したヴァイキングは、もとはその時代にスカンディナヴィア半島やバルト海沿岸に原住していた人々を指す呼び名
のようです。
( 古ノルド語で「フィヨルド」とか「入江」を指す言葉。)
私たちのイメージの中では略奪する海賊的なイメージがあるヴァイキングは、もともとそれが生業ではなく、文化の進んだ国の農民であり漁民だった彼らが域外へと進出したのは、人口増加、あるいは食糧の生産低下か・・いずれにせよ自国では暮らせなくなってきたからと考えられています。
種族的にはインド・ヨーロッパ語族(ゲルマン語派)を祖先とするヨーロッパ中北部に広まり、そこを原郷としたゲルマン人
であったようです。
彼らは8世紀後半から9世紀にかけてヨーロッパ各地を侵略。 フランク人は彼らをノルマン人と呼びました。
消えたノルマン人
一時はパリまで進軍した一部はフランス北西部のノルマンディーにノルマンディー公国を建国。
グレートブリテン島、アイルランド島等のイングランドを侵略した一派は、デーン人、ノース人と、
ノルマン人はどんどん分離し、土地に同化して中世以
降ノルマン人と言う概念は消えてしまうようです。
そのデーン人を包括して統一国家としてデンマーク王国は建国されます 。(ノース人は主にノルウェー人です。)
因みにヨーロッパ中部に広く分布したのがインド・ヨーロッパ語族(ケントゥム語派)のケルト人達です。彼らはローマ人やゲルマン人に追われて、現在はアイルランド、イギリス、フランスの一部に定住して同化。
(ケルト人については6月に「古代ローマ水道 9 (イギリス バース編 2)」で紹介。)
リンク 古代ローマ水道 9 (イギリス バース編 2)
北欧の国家を建国したノルマン人たちはルーン文字を始め彼らの宗教を捨てキリスト教に改宗。13世紀頃には彼らの意識も薄れて欧州カトリックに同化していったようです。
フレデリクスボー城 謁見室
門入って左の西棟が礼拝堂で正面の北棟が王の棟、そして右の東棟が王女の棟です。
写真は城の北西の角、王の棟に繋がるのが写真に見える湖を渡る廊下でその先、謁見室に続きます。
写真左は馬上鑓試合の行われる場所。右にあるのが礼拝室のある西棟
渡り廊下内部
暖房もなくひんやり廊下です。博物館初期の大型絵画が飾られています。
謁見の間入り口の飾り
謁見室写真2枚です。天井は高く装飾が美しい。
謁見の間は火災の焼失から免れ、建設当初1682~1688年の時のままです。
フランス・バロック様式。
シャンデリアは鹿ですよ![]()

部屋には歴代王の大型肖像画が飾られています。
城は横に長く続いています。
片側に廊下のある部屋と部屋の内部にしか出入り口のない場合とあります。
いずれにせよ各隣の部屋と横に繋がっているのです。
扉はもともとなかったのか最初からないのか・・・。暖房効率は悪そうです。
歩いているとたまに暖かい部屋はありました。
装飾はいろいろ 女神の描かれた美しい天井飾り
北欧神話の女神フレイヤ(Freyja)? 太母また海の守護神
つづく
休んだので写真枠が今日は贅沢に使える![]()
リンク フレデリクスボー城 4 (クリスチャン4世と海軍)
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