はっぱの広場

はっぱの広場

PR

×

プロフィール

ヒロ・マイヨール

ヒロ・マイヨール

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2014年12月01日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
月が変わってちょっと落ち着きましたので


先月24日、くしくも私たち夫婦の12回目の結婚記念日に、2月から入院していた祖母が亡くなりました。29日で93歳になるところでした。

これまで大きな病気やケガもほとんどなく、今回も微熱が続くというのでとりあえず入院したのですが、1ヶ月後の3月くらいから拒食症が始まって以後全く食事が出来ず、栄養と水分は点滴で。春以降は会話すら出来なくなって植物状態に。以降はいつも眠っているような日々が7ヶ月も続きまして。先月24日も本当に眠るように亡くなったみたいです。


そもそもばあちゃんは実家の母親の母親です。
福島の田舎から東京に出てきて、そこでじいちゃんと知り合って結婚。その後、太平洋戦争が始まって、じいちゃんは兵役に招集されて満州国へ出兵、腕を爆発の破片が貫通する大ケガをして帰国、ばあちゃんも東京大空襲を防空壕に避難して命からがら生き延びて終戦を迎えたそうです。

戦後に三姉妹を産んでその中の長女がうちの母親です。三鷹から足立区へと美容室を経営していたばあちゃんに大きくなった三姉妹が加わって4人でお店をやっていた頃が一番大繁盛していたそうで、そんな最中に母親が親父と知り合って結婚、その後すぐに産まれたのが私です。

両親は共働きで当時毎日忙しかったので、私が物心つく前からじいちゃんとばあちゃんはいっしょに私、弟、妹の幼い3人兄弟の、食事の世話から遊び相手、薪で炊く木のお風呂にいっしょに入ったりと、身の回りの世話を一通りやってくれてましたね、まさに育ての親で、どんな時でも味方になってくれる、そんなもんで兄弟3人とも完全にじいちゃん&ばあちゃんっ子でしたね(((^_^;)

私が小学2年生の時に足立区から今の実家のある越谷へ引っ越しして、ばあちゃんはお店は第一線からこの時あたりに退いて、着付けの手伝いくらいな感じでしたね。私が31歳で結婚して家を出るまでいっしょに生活してましたが、本当にいつもニコニコして明るいばあちゃんでしたね。



ただ、大人になってからばあちゃんが口にした言葉で今でも胸に突き刺さってる言葉がありまして。

「本当に幸せな世界でいいね!
私も幸せな時代に産まれたかったよ!」

戦争を生き抜いた人だからこそ重みのある言葉で、私はその時、返す言葉が見つかりませんでした。だからこそ、この平和な世の中を私達世代は守っていかないと、ですね。

5年前にじいちゃんが亡くなった時、じいちゃん92歳。今回のばあちゃんも92歳と本当に仲のいい二人!天国で戦争時代に楽しめなかった時間を取り戻して二人で幸せに幸せに。

なんだかうまくまとまりませんが。
ばあちゃん、本当に本当にありがとう!
そしてサヨウナラ。


追伸
それにしても亡くなった人やペットが忘れられないように記念日や誕生日に合わせて亡くなる、うちの家族は全て重なりまして。

11/9

嫁さんのお母さまの命日

11/14
私の誕生日→
愛猫ナサの命日

11/24

祖母の命日

こんなに重なることってある?





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年12月02日 00時56分58秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: