** 長島便り **

2004/10/12
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また祖父の話です。しつこくてスミマセン。


2年前の10月16日、あの日は確か水曜日だったかなぁ。
小春日和の暖かい日でした。

その日、私は仕事を休みました。
「どうも今日辺り、祖父が死にそうなんです」
とボスに電話して。
今思えばこれは虫の知らせだったのかも。

祖父と最後に会話を交わしたのは、確か前の晩。

(で誤魔化していたのさ、ぢぃちゃんゴメンヨ!
 だってオロナミンCは高かもんねぇ)
をストローで口に入れてやって
「ぢぃちゃん、旨か?」と聞いたら
かすれた声で「んまい」と言ったのが最後だったかなぁ。

もう半分意識が無かったよね。
目も見えてなかったよね。
痰がからんで苦しそうだったのに
無理矢理 ご飯食べさせて悪かったねぇ。

祖父の介護は、入院していた都立病院の若い先生に
「ご家族やご本人のためにも施設に入れたほうが楽ですよ」と

入れたのですが、人形のように扱われる祖父を見ていられず
また一点を見つめるだけの他のお年寄り達や、
そこの施設の雰囲気に絶えられず、
「大変なのは覚悟の上です」
「たとえ命を短くしてしまっても後悔しません」

祖父を引き取ってしまったのでした。

在宅介護の準備とは、自宅の家具を移動して
介護用ベッドをレンタルしたり、
介護用トイレの購入、車椅子のレンタル、
お風呂場の手すりの取り付け等でした。
準備のために骨董品だった40年物のエレクトーンを処分。

しかし、施設にいた2週間で祖父はすっかり
祖父ではなくなってしまいました。
施設に入れた初日は、介護士さんの腕をわっしと掴み
抵抗していた祖父も、翌日母が見舞いに行くと
体と両手両足をベルトでベッドに固定され、
オムツをつけられていました。

驚いて「ぢぃちゃん、ごめんね。準備が出来たら
すぐに家に連れて帰るけんね」と言う母に、
祖父は 頭の上の窓の空をポカンと見つめたまま
「人生こんなもんたい」とかすれた声で言ったそうです。
あ~、本当にごめんよ~、ぢぃちゃん~!
ひどい仕打ちを許してね。。。

あの日、ぢぃちゃんは自分を捨てたんだよねぇ。
そうせんとやってられんだったんだよねぇ。
それから とたんに、母や私のことすらも
「あなた、どちらさん?」
と聞く様になってしまったのよねぇ。。。
本当にアッという間だったよね。

祖父を自宅に連れて帰ってきてから
確かに母は寝る間も無く大変だったけど、
目の届くところに祖父がいてくれる方が
私も母も安心だったし、嬉しかったなぁ。
あの時、祖父は「家に帰って来た」のが分かっていたのかな。。。

祖父を引き取ってから3週間が過ぎようとしていました。
母も私も「長期戦になるかもしれんね」と言っていました。
というのも、祖父は85歳でしたが、
その祖父の母は93歳まで生きており
20年前に息子である祖父自身が
1年半の在宅介護をして自宅で看取っていたからです。
私は、母の体がもつか心配でした。

その日は、朝から看護士さんが祖父の体を拭きに
来てくれました。若い女の看護士さんは
「○○(祖父の苗字)さ~ん、今日はポカポカ
暖かいですね~」と祖父に声をかけながら
仕事をしてくれました。

しかし祖父は無反応でした。
もうあの時、ぢぃちゃんは逝く途中だったんだよね。

彼女が帰った後、東京在住の祖父の甥っ子
(母の従兄弟)が、祖父の妻の兄の嫁である
おばあちゃんを引き連れて、お見舞いに来てくれました。

祖父の呼吸はもうとても浅くなっていました。
でも「滋養がつく」と言ってもらったお土産の蜂蜜を
私はまた無理矢理口に入れてやりました。
(あはは、ぢぃちゃん本当にゴメン!)

二人と入替わりに、熊本から、祖父の甥っ子
(母の従兄弟)が奥さんを連れてお見舞いに来て
くれました。

彼らとしばらく祖父の昔話をしていました。
私の祖父に育てられた伯父は、子供の頃
蚊帳の中で祖父にせがんで聞かせてもらったという
「宇宙船に乗って大気圏を脱出!月を一周りして
火星へ衝突しそうになって云々云々」という
祖父お得意のホラ話などを話してくれました。

母が「あ、息しとらんばい」と祖父に気付き、
私が近寄ると、祖父はまだかすかに息がありました。

心臓に耳を当てると、もうほとんど心音は聞こえず
脈も弱くて感じ取る事は出来ませんでした。

「ああ、ぢぃちゃん、今死んどっとだねぇ」
「お~い、ぢぃちゃん、聞こえるね~?」
と皆で声をかけました。
この時、祖父は俗に言う「脳死」状態だったのかなぁ。

母が祖父に「お父さん!」と声を掛けました。
母が祖父を「お父さん」と呼ぶのは
20数年ぶりくらいに聞きました。
母は続けて「頑張れ!!じゃかなった。。。
もう頑張らんで良かよ、早よ楽になりなっせ!」
と祖父の耳元に言いました。

私は最後の呼吸までしっかり聞いてやろうと
祖父の口元に耳を寄せました。
浅く浅く息を吸う度にアゴが動きました。
つけていた酸素マスクは外してやりました。

胸に耳を当ててももう心臓の音は弱くて聞こえず
血圧や血中酸素濃度は低すぎて測定出来ず、
午後1時ちょっと過ぎに完全に呼吸が止まりました。

母は「(既に他界している)お母さんと
お兄ちゃんに宜しくね~。アタシもその内
行くけんね~。」と言っていました。

私は祖父の頭をなでながら
「ぢぃちゃん、お疲れさん。また会おうね。」
と声に出さずに言い、母の腕をさすり
今度は母に「お疲れ」と声を出して言いました。

伯父は男泣きに泣き崩れていました。
母の従兄弟達は、皆、私の祖父に育てられたのです。
「自分のおやじやお袋が死んだ時は
泣かんだったけどねぇ」といいながら
チ~ンと鼻をかんでいました。


次回へ続きます。





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最終更新日  2004/10/14 12:36:12 PM


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