** 長島便り **

2008/11/11
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ワタシが8つの時に93歳で他界した曾祖母を


年老いたひいちゃんしか知らないワタシには
にわかに信じがたいのですが

ひいちゃんはワタシの母がが幼少の頃の1950年代に
すでに「ホワイトソース」や「パンケーキ」なる物を
メリケン粉、バター、牛乳を使って料理していたような
ハイカラな人でした。

*ホワイトソース:今で言うクリームソースorベシャメルソースってやつですな。


元々料理の腕は玄人はだしだったひいちゃんは
クリスチャンだったのですが、
熊本に渡来してきた宣教師の奥さん達に
西洋のハイカラ料理を教わったそうです。


上京後のひいちゃんは、ワタシの祖父と千葉で暮らしており
寝たきりになった晩年、祖父が自宅で介護をしておりました。

柔らかく、のど越しの良い物しか食べられ無くなったひいちゃんに
祖父は、好物の「卵豆腐」を作ってやるのですが
何度も何度も失敗し、寝たきりとは言え頭のハッキリしている
ひいちゃんは「あはは、卵豆腐はもう良かよ、作らんで」
と笑って言ったそうです。


「ひいちゃんに、何んなら食わるかて尋んたら
オートミールて言わしたとばってん、 オートミールて何んね?」
訳)「ひいちゃんに、何だったら食べられそうか聞いたら
  オートミールって言ったんだけど、それって何だ?」
と訊ねたそうです。


見たことも聞いたことも無く、
商店街を端から端まで一軒一軒尋ねて回っても
オートミールを置いている店も無く、
ひいちゃんは唯一「食べられそう」と思ったオートミールを
食べる事無く、ある日、眠ったまま安らかに大往生したのでした。

ワタシは「卵豆腐」「オートミール」と聞くと
ひいちゃん、祖父、母、のこの話を思い出すのです。


さて、十数年前、留学生だったワタシは
貯まったマイレージで母をアメリカに招待しました。
大学内のカフェテリアで朝食を取った時
「コレたい、ひいちゃんの食べたかったもんは」と
メープルシロップをかけた、オートミールをよそってやりました。

母は「はぁ、これがオートミールね?でも、ごめん、食べられん。。。」

ひいちゃんを思い出し、胸が一杯なのかと思いきや、
オートミールの「暖かさ」と「ビジュアル」がダメだったそうで。。。

分かるよ、母。ワタシも全く同じ理由で食べきらんとよ(笑)。






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最終更新日  2008/11/12 05:32:04 AM


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