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日本で3月14日といえばバレンタインのお返しをするホワイトデイが頭に浮かぶだろう。しかし、アメリカではホワイトデイは存在しない。そもそもアメリカでのバレンタインデイは男性が女性にバラを渡すのが一般的だ。日本のような「女性」が男性に「チョコ」を渡すという文化は西洋にはないらしい。3月14日の朝、SNSには友人がこのような投稿をしていた。“Happy Pi Day! A good day to remind yourself you can’t measure a circle’s circumference with its diameter, no matter how clever you are. It is, still, today, a stunning and marvelous and beautiful thing to learn.”なるほど、円周率3.14と日付の3.14が一致しているため3月14日はアメリカではPi Dayとされているらしい。大学のキャンパスではPiと同じ発音であるPieが無料で配られていた。友人の投稿がなければなぜ大学でPieが配布されているのか理解できていなかっただろう。Pi Dayに無料でPieを配るアメリカのユーモアが伺える。Leap Dayもそうだが、アメリカのこのようなクスッと笑えるユーモアが個人的に好きだ。こんなユーモアを日本に帰っても持ち続けたいと思う。写真:大学で配布されていたアップルパイそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.15
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まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の視聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。是非映画を観た後にお読みいただければと思う。写真:映画オッペンハイマーのポスター画像引用元:オッペンハイマー公式ウェブサイト前回は映画オッペンハイマーのあらすじについて触れた。(前回の記事はこちら)今回は映画のレビューを書きたいと思う。私はこの映画は原子爆弾開発者の懺悔だと思っている。大量殺戮兵器を開発したOppenheimerだからこそその恐ろしさを熟知していたのだろう。映画の後半に進むにつれてmoral(道理), qualm, scruple(どちらも良心の呵責という意味)という単語がよく登場することからもそのことが伺える。広島と長崎に原爆を投下後に行われた祝賀パーティでOppenheimerの本音が溢れるシーンがある。“I just wish we had it in time to use against the Germans!” (ドイツ人に対してそれ(原子爆弾を)使えたらよかったのに!)つまり、原爆はそもそもナチスドイツをターゲットに作られていたのだ。アウシュビッツで多くのユダヤ人を殺されたことに対する憎悪を垣間見ることができる。しかし、原爆が投下時点ではドイツはすでに全面降伏しており、ターゲットは自然と当時まだ降伏していなかった日本に変更されたのだ。この映画では足音の重低音がOppenheimerの心的ストレスを表している。英雄視されると同時に彼は自分の手で多くの命を奪ってしまったことに対する途轍もない罪悪感に苛まれていたのだ。それはTruman大統領に“I feel that I have some blood on my hands”(私の両手は血で染まっている気がする)と告げていることからも想像できる。Gran Torino(2008)の主人公であるWalt Kowalskiも終盤に全く同じセリフを言うのである。彼もまた、ベトナム戦争で多くの兵士を殺してきた過去を持つ。また、ヒーローと称賛されながらもアフガン戦争帰還後酷いPTSDに悩まされた兵士を描くAmerican Sniper(2014)にもOppenheimerと通ずるものがある。第二次世界大戦、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争とアメリカが「世界の警察」として支払った見えざる大きな代償があることをこれらの映画は我々に教えてくれる。前回の記事でも書いたが、もし広島と長崎の原爆投下シーンが削除されて原爆による被害が適切に表現されていないと批判する日本人がいたら、この映画のテーマに立ち返えると溜飲が降りるのではないか。これは戦争に関わった人物の一人称の視点で語られる「伝記」であり、戦争の被害を描いたドキュメンタリーではない。勿論、Oppenheimerは広島、長崎の原爆投下時にはアメリカにいるためその様子を肉眼で確認する術はない。軍から原爆投下後の広島、長崎の様子についてブリーフィングが行われる場面があるが、ここでもあえてその様子は映されない。Oppenheimerも深刻な表情をして俯いており、現実を直視できずにいるようにも思える。Nolan監督は原爆を作っておきながら実際に起きた現実を直視できない人間の矛盾やエゴを忠実に表現したのかもしれない。広島、長崎の投下シーンを入れる入れないという議論をするとパールハーバーを入れる入れないという議論が必ず付きまとう。勿論今回の映画ではPearl Harborという言葉は劇中に登場するが、パールハーバーの戦艦が壊滅的ダメージを受けているシーンは一切入っていない。過去の人類の過ちに対する責任の所在を問う映画ではなくこれからの人類の核兵器との付き合い方を問う映画だと思って見るときっと納得できるのではないだろうか。それがChristopher Nolan監督がこの映画に込めたメッセージのような気がする。EinsteinがOppenheimerに最後伝えた言葉が今も心に突き刺さっている。「十分な罰を受けてようやく自らが成し遂げた偉業と向き合うことができる。メダルは自分のためでなく周囲の人のためなのだと。」つまり偉大な功績は自己顕示のためであってはならないとEinsteinは主張しているのだ。自国最優先で考えることと軋轢と分断を生む現代社会に対する警鐘のようにも思えてしまった。今回のアカデミー賞授賞式でのアジア人に対する差別が話題になっているが、これも現代社会が抱える分断の象徴ではないだろうか。Einsteinはまたclearanceが通らなかったOppenheimerにこうアドバイスもする。「私は祖国を捨てた。これがアメリカがあなたの功績に対する仕打ちなのであれば背を向けるべきだ。」このセリフからもChristopher Nolan監督が原爆投下成功と第二次世界大戦勝利を巧みに利用してアメリカの愛国心を聴衆に植え付けようとしているわけではないことがお分かりだろう。また、Los Alamosの原爆完成祝賀パーティーでOppenheimerは原爆の影響で肌がただれ落ちる女性の幻想を見るのだが、この女性はNolan監督の実の娘なのだという。Nolan監督は国の枠組みを超えて人類が抱える喫緊の課題を提示しようとしたのではないだろうか。主演俳優賞を受賞したCillian Murphyはアイルランド人初のアカデミー受賞者だそうだ。彼は授賞スピーチで「我々はオッペンハイマーが作り出した(核の)世界に住んでいる。このメダルは世界中のPeace Makers(平和を構築しようと尽力する人々)に捧げたい」と言葉した。まさにEinsteinがOppenheimerに告げた“It (the medal) is not for you. It is for them.”に通ずるような気がしてならなかった。アメリカの視点から核兵器の誕生秘話を描いた“Oppenheimer”と日本の視点で核兵器の脅威を間接的に描いた“Godzilla Minus One”が同時に今年度のアカデミー賞を受賞したことが個人的には非常に嬉しい。山崎監督は「オッペンハイマー」に対するアンサーの映画を日本人として制作しなくてはならないと話されていたが、「ゴジラマイナスワン」のゴジラを通じてその問いの答えを提示しているようにも思えた。「オッペンハイマー」を視聴した後に「ゴジラマイナスワン」の焼け焦げて全てを失った日本がゴジラ(核兵器の象徴)襲来によってマイナスに突き落とされる様子を見たら見事に点が線で結ばれるのではないだろうか。戦後80年を迎えようとする中このような映画が出てきた意義は大きいと思う。1967年にOppenheimerはこの世を去っているが、彼は今世界で起こっている核競争の最初の預言者だったのかもしれない。もし今日Oppenheimerが生きていたらロシアとウクライナ間の戦争、パレスチナ・イスラエルの紛争をどう思うだろうか。核の脅威は間違いなく日に日に増している。3月29日にいよいよOppenheimerが日本に上陸する。アカデミー賞受賞者の壇上での炎上で意図せず話題性は十分だろう。アメリカの地からOppenheimerが賞賛されるのか、それともボロボロにこき下ろされるのか見届けたいと思う。 私の春休みもあっという間に終わろうとしている。またここからギアを上げて研究に励みたい。オッペンハイマーとレビューだけでなくゴジラマイナスワンのレビューも併せて参照していただきたい。(過去の記事はこちら)きたろう
2024.03.13
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まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の試聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。是非映画を観た後にお読みいただければと思う。写真:オッペンハイマーアカデミー賞受賞を祝うイラスト画像引用元:アカデミーX公式アカウント(@TheAcademy)より借用前回のみどころに続き、今回はオッペンハイマーのあらすじについて書きたい。(過去の記事はこちら)3時間にも及ぶ長編映画をうまく纏められる自信がない。細かい部分は省き大きな枠組だけ説明することとする。このOppenheimerという映画はJ. Robert Oppenheimerが米国の安全保障に関わる聞き取り調査されている中で知られざるマンハッタン計画の事実が明らかになっていくストーリーだ。そこにLewis Strauss(Oppenheimerの上司)という別の人物の上院での国会聴取の回顧も含まれるため常に時系列が乱れる。最後にOppenheimerとStraussの回顧が重なり一致した時に視聴者は衝撃の事実にたどり着く。最初はOppenheimerと量子物力学との出会いつについて描かれている。ドイツのゲッティンゲン大学で博士号を取得後、UCバークリーで研究室を持つとOppenheimerは共産主義の会合を開き始める。同僚に何度も会合の中止を促される場面があるがOppenheimerは全く気にする素振りを見せない。そこに米国の軍幹部であるGrovesがOppenheimerに近づきマンハッタン計画のディレクターの職を打診する。ナチスドイツによるユダヤ人弾圧が結果としてアメリカにいる物理学者を一致団結させることとなる。彼らは「ナチスドイツよりも早く大量破壊兵器を開発して戦争を終わらせる」という大義の元、New MexicoにあるLos Alamosという何もない荒野に研究施設と街丸ごとを作ってしまう。研究者とその家族をLos Alamosに閉じ込め(映画ではcompartmentalizationと呼んでいる)、極秘に兵器の開発に乗り出す。米国国民にも知らされず水面下で進められたマンハッタン計画の始まりである。ここで研究者たちは3年間、総額20億ドルという巨額の予算を投じて原子爆弾の開発に着手することになる。この映画では研究者のリクルートプロセスも緻密に描かれていて非常に面白いと感じた。ある研究者は「3百年にも及ぶ物理学の結集が大量破壊兵器になることを望まない」と吐露する。それに対してOppenheimerは「我々がやらなければナチスドイツに先を越されるだけだ」と言い放つ。このシーンはその数十年後に起こるロシアとの冷戦を予期しているようだ。広島と長崎に原爆が投下される前に米国で行われた原子爆弾の実験はTrinityと名付けられる。これは日本語では三位一体と訳されキリスト教の教義として知られている。父(Father)、息子(Son)、聖なる魂(Holy Spirit)のに支えられて神(God)が存在すると考えられている。実験を20マイル(約32キロ)離れたところから自らが作り出した兵器の閃光を見た瞬間にOppenheimerは言葉を失う。そして、目の前に広がる閃光と炎を目の当たりにしてインドの聖典に書かれた言葉が過ぎる。“And now I am become death. The destroyers of worlds.” (我は死なり、世界の破壊者なり)人類が自身の存在すら脅かす大量破壊兵器を生み出した瞬間である。原子爆弾の成功により、OppenheimerはLos Alamosの英雄となる。Oppenheimerが担がれた背後になびく星条旗は原爆実験成功を象徴するようなシーンである。しかしながら、原爆投下後のOppenheimerの表情は浮かない。広島に原爆が投下される8月5日(日本時間6日)、Oppenheimerは一人テーブルで考え事に耽っている。きっと自分が開発した兵器がもたらす結末(consequence)を知っている者のみが味わう罪悪感に駆られているのだろう。Truman大統領の原爆投下成功のラジオ放送でLos Alamosの住民は熱狂の渦になっているにも関わらず、Oppenheimerには笑顔が全くない。ホワイトハウスでTrumanに労いの言葉をかけられてもOppenheimerは表情ひとつ変えない。それどころか大統領に対してこのように言うのである。“I feel that I have blood on my hands.” (私の両手は血で染まっている気がする)この血はもちろん兵器で命を失った日本人の血である。大統領の決断を非難するような発言でTrumanは気分を害したようで、Oppenheimerが部屋を離れるされるに以下の捨て台詞を吐く。“Don’t let that crybaby back in here!”(あんな泣き虫を2度と招くな!)その後、水素爆弾の開発を推し進めようとするLewis Straussと何度もOppenheimerは衝突する羽目となる。OppenheimerはRoosevelt大統領が立ち上げた国際連合(The United Nations)による核縮小を支持していたが、彼の望みも虚しく1945年以降ロシアとの冷戦によって核は抑止するどころか拡大し続けた。欧州へのアイソトープの輸出をめぐりOppenheimerによって大勢の面前で恥をかいたStraussはOppenheimerが共産主義者と繋がりがある点に漬け込み、彼に関する機密書類をBordenに渡して起訴するように唆す。それによってOppenheimerは冒頭に出てきた安全保障に関する聴取に晒されるのだ。最後はOppenheimerとEinsteinがプリンストン大学で池の湖畔で談笑するシーンで映画が終わる。二人の会話の内容は是非映画かDVDでご確認いただきたい。次回はこの映画の評価について書く予定だ。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.12
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アカデミー賞の候補に上がってからずっと映画Oppenheimerを観たいと思っていた。最近ようやくまとまった時間が確保できて映画を観ることができた。鬼才Christopher Nolan氏の最高傑作とも噂されるOppenheimerは期待を裏切らない作品に仕上がっていた。原爆被害の描写が現実と離れすぎているという批判がすでに出ているが、これは原爆の生みの親であるOppenheimerの半生に迫る作品である。マンハッタン計画(Manhattan Project)の舞台裏とその後の開発者たちを取り巻く人間模様が主に描かれているため、原爆被害に関する過度な演出をあえて避けたのではないかと思われる。私は地球上で唯一原爆の被害に遭っている「日本人」だからこそアメリカの視点でどのように原爆が作られて、どのような経緯で日本に投下されたのかその一端を知るべきだと思う。原爆被害を受けた日本の立場からすると勿論ショッキングなシーンも含まれているが、戦後80年が経ち戦争の記憶が薄れていく中でそこから目を背けてはいけないような気がする。Nolan監督が指揮を務めたInception(2010)、Instersteller(2014)といった作品は全てストーリープロットが複雑で非常に難解なイメージがある。今回も3時間近くの超大作ととなっていて正直1度見ただけでは何が起きているのか把握しきれなかった。日本公開が3月29日でまだ約三週間ほど時間がある。このブログでは「予習編」、「あらすじと個人的な評価」の2本だけでお届けしたい。ちなみに「あらすじと個人的な評価」はネタバレも含まれているため、是非映画を視聴するまではご覧いただかないようにしてほしい。オチを知ってしまうと当日の感動が半減してしまうからだ。まずこの映画はOppenheimerという物理化学者の伝記である。予めお伝えしておきたいのはこの映画は”Fission(分裂)”と”Fusion(融合)”という2部で構成されていることだ。Fissionではカラー映像で描かれ主人公Oppenheimerの一人称的な視点で描かれる。原爆開発後に浮上した共産主義思想に基づくスパイ疑惑に対する取り調べの様子が描かれる。それに対しFusionはLewis Strauss(原爆開発後のAtomic Energy Comissionの所長でOppenheimerをアドバイザーに任命する)の視点から上院での聴取の様子が描かれている。白黒映像とカラー映像で複雑に状況や時系列が変化するのでここについていかないと話についていけなくなってしまう。あと、もう一つ大前提として押さえておいてほしいのはこの主人公であるOppenheimerはユダヤ系アメリカ人であるということだ。そして第二次世界大戦中にユダヤ人を厳しく弾圧したナチス政権とその主導者であるヒトラーがアメリカの敵であったという構図である。Oppenheimerがハーバード大学、イギリスのケンブリッジ大学で学んだ後にドイツの大学で量子物理学を学んでいることもポイントだ。ドイツが最初から嫌いだったらわざわざ博士課程をドイツで取得しないだろう。第二次世界大戦とナチス政権による支配によってドイツや共産主義に対する考えが変化していったと思われる。第二次大戦時、日本は日独伊三国同盟を組んでいたため、Oppenheimerの視点からすれば日本もドイツ同様敵対国となる。常に居場所を追いやられ世界各地で弾圧され続けてきたユダヤ人の歴史を踏まえないとこの映画はいまいち理解できない。第二次世界大戦と資本主義と共産主義の対立構造、アインシュタインの相対性理論及び量子物理学がFusion(融合)した結果、宇宙を巻き込んだ壮大なスケールで描かれる究極の文理融合映画が誕生した。天才的科学者アルバートアインシュタインと映画中にも登場するサンスクリットで書かれたインドの聖典「バガバッド・ギーター」の一節も映画の鍵を握る。是非以下のリンクを一読の上で映画館に足を運んでほしい。映画に深みが出ることは間違いない。↓リンク↓American Center Japan: 核兵器のない世界ーはじめにこの映画は世界を滅ぼすほどの兵器を持った人類が核と今後どう向き合うべきか問い続けている。衝撃の話題作が3月29日以降日本でどう受け入れられるかが気になる。オッペンハイマーは第二次世界大戦をテーマにした映画部門、自伝映画部門で歴代最高興行収入を記録しているという。Christopher Nolan監督のファンであればきっと心に刺さるはずだ。大迫力のテクノミュージックと映像を劇場でご覧いただきたい。画像引用元:オッペンハイマーオフィシャルサイトそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.11
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A breaking news came in this morning from Japan, reporting that a legendary Manga creator Akira Toriyama passed away on March 1st at the age of 68. According to major news sources, he suffered from sudden cerebral blood clots. His major Manga works are Dragon Ball and Dr. Slump. Some legendary video games, "Chrono Trigger" and "Dragon Quest" series, are also known as his major works. Dragon Ball was translated into numerous languages and has become one of the most well recognized Japanese Manga titles around the globe. As one who grew up watching Dragon Ball on TV, I cannot thank Akira Toriyama for his tremendous contributions to the development of Japanese Manga industry. Akira is definitely a Manga pioneer who has increased the international recognition of the term “Manga” and influenced many of Japanese boys comic artists who became quite popular after Dragon Ball. Dragon Ball stays forever in my heart. R.I.P., Akira Toriyama. I recently used a term “the Hyperbolic Time Chamber (Seishin To Toki no Heya)” to describe the library on campus. To see the blog entry, please click on the link below.HEREBBC NEWS: Dragon Ball creator Akira Toriyama dies at aged 68HEREImage Cited from Dragon Ball Official Homepage:HERE
2024.03.10
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かなり遅れての投稿になってしまったが秋学期中に参加したコミュニティーサービスについて綴りたい。結論から申し上げると非常に有意義な経験で研究の傍らまた参加したいと思える活動であった。簡単に活動内容とそこから学んだことを備忘録として残しておきたい。コミュニティーサービスに参加するための手続きについては過去の記事を参照していただきたい。(過去の記事はこちら)10月の下旬から12月末まで週に2回、1回1時間大学の近くにある現地の小学校に行って学習支援をしてきた。Grade1〜Grade3までの生徒に対しone-on-oneで一人30分間算数や読み書きを教えるというものだ。私はGrade 3の男の子2人を担当することになった。ただ勉強を教えるだけではつまらない。学習支援をしながら日本の文化を伝えつつ、児童と一緒に楽しめるものはないだろうか。悩みに悩んだ挙句、折り紙を一緒に折ることにした。急遽日本にいる家族に連絡をとり100円ショップで売っている折り紙用紙を送ってもらった。(なかなか正方形の薄紙はアメリカでは売っていないことがこちらにきてから判明した。日本ではどこでも売っているようなものがアメリカでは売っていないのは盲点だった。)コーディネーターにもCan I do some Origami with my students for an icebreaker?と相談すると”that’s a great idea!”とすぐに許可をもらうことができた。A君は初日から懐いてくれてウォーミングアップ活動で行った折り紙も毎回興味を示してくれたのに対し、もう一人のB君なかなか口を開けてくれなかった。担任の先生からもらったコメントにも”Can shut down when frustrated”と書かれており、積極的に話しかけてきてくれる生徒ではないことはこちらも事前に把握していたのでそこまで驚くことはなかった。A君は明るくて”Can we do Origami again?”とこちらが提示する教材に興味津々だ。しかし、A君はたまにテンションが高くなりすぎて収拾がつかなくなることがあった。サイコロを投げるのがA君はどうしてもサイコロを上に投げてしまう。廊下にコロコロ転がるサイコロを眺めて喜んでいる。ある日サイコロを高く放り投げて、サイコロが廊下に当たった衝撃で真っ二つに割れてしまったのは今となってはA君との良い思い出だ。写真:A君が好きなレインボーフレンズのキャラクター、B君は白紙だった。きっとskaryはscaryのスペル間違いと思われる。B君は基本的に無口で口を開こうとしてくれない。”How are you?”とか”How’s your weekend?”と話しかけてみても”good”とか”nothing”とか反応は非常に薄い。A君と比べて目が合う回数も極端に少なくなかなか接点を探すのに苦労した。どんなに研究機関で理論を学んでも理論通りには絶対行かない。頭でっかちになってはいけないことをB君は私に教えてくれた気がする。B君はホワイトボードに延々と円を描くのが好きで、30分のうち5分〜7分ほど息抜きの時間を作ると集中が続くことがわかった。写真:B君の描いた円二人の共通点はまだまだ読み書きの基礎がまだ備わっていないことだ。私の勝手な先入観で「ネイティブ」は幼い頃から文字と音声を一致させられることができると思い込んでいた。実際に読み書きを教えてみると、ノンネイティブの私でも読み書きに関しては教えられることが沢山あることに気づいた。知らぬうちに日本で「ネイティブ信仰」に陥ってしまっていたのかもしれない。ノンネイティブで所謂「純ジャパ」(個人的には差別的にも聞こえてあまり私はこの用語は好きではない)の私が「ネイティブ」に英語を教えている光景は日本で育った人からしたら非常に新鮮で映っただろう。写真:最終日に渡した鶴の折紙我々が抱く「ネイティブ=英語のプロ、純ジャパ=海外経験がなく日本で育った(英語が苦手な)日本人」は一体何なのだろうか。ノンネイティブの私が現地の小学生に英語を教えているとアメリカ人のコーディネーターの方は毎回”Thank you so much for your great work”と褒めてくれる。ネイティブ、ノンネイティブなんて括りは実は最初から存在しないのではないだろうか。どこからがネイティブでどこからが非ネイティブが定義できる人は実は非常に少ない。アメリカに長年住んできる方ならお分かりだろうが、漢字が覚えられない日本人がいるように数学や読み書きが弱いアメリカ人も沢山いる。ネイティブというアンブレラタームで全てを括ってしまうのはリスクを有していることをお伝えしたい。コミュニティーサービスは非常に有益な時間であった。折角わざわざ日本からアメリカに来ているのだから研究だけでなくアメリカの実社会との繋がりを忘れずにいたい。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.09
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大学院ではディスカッションボードといってオンライン上の掲示板に書き込めるスペースが存在する。各々500語程度の短いレポートを書き込んでそこにクラスメイトが後からコメントを残してくれる。アメリカの大学院では授業以外でも学びが広がるようにデザインされているような気がする。他人の英文も可視化されて大変勉強になるし、気になる点や疑問点があればコメントを書いて相手に質問することすらできる。クラスメイトの英文を読んでいて気になる表現があった。“The lessons are divided into bite-sized modules.“私が気になったのは文中にあるbite-sizedという表現だ。直訳すると「一口サイズに切り分けられた」という意味だが、どうやらもっと深い意味が隠れていそうだ。家に戻ってジーニアス英和辞典第6版を開いてみると「《略式》(小さく[短く]て)理解しやすい、扱いやすい」という意味があった。食べやすくて手頃な感覚を想像すればこの意味への転用も理解できる。どうやら理解のしやすさと消化の良さは相性が良いようだ。消化しやすいというdigestibleという単語にはbite-sized同様「要約しやすい、理解しやすい」という意味が含まれている。日本語でも「消化不良」というと理解しきれなかったことを指す場合がある。英語にもこれに似た表現が存在する。例えば、“There’s a lot to digest!”と言えば、内容が多すぎて消化するのが大変(理解しにくい)という意味になる。上記からお分かりの通り、言語は非常に柔軟性に富んでおりダイナミックだ。単語帳で英語をマスターしようとしてもなかなか思うようにはいかない。言語は常に進化をし続けているからだ。本日の写真:週末のコーヒーこの記事が皆さんにとってdigestibleであったなら嬉しい。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.08
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春学期の中間地点に差し掛かり授業の内容も段々と専門性が高くなり、課題の質と量も増してきている気がする。起床→授業→アパートで夕食→再度大学に戻って勉強→アパートに戻って就寝というサイクルを繰り返している。夜9時過ぎに学部棟の個室で勉強していると友人が声をかけてくれた。彼は質的研究のインタビュー課題に追われているらしく遅くまでキャンパスに残っているのだという。お互い受講している授業や課題について10分くらい話した後にふと友人がこう言った。“It’s a part of the process.”つまり、これは人生の試練であり今後の人生を歩む上で突破しなければならない壁なのだと。直訳すると「手続きの一部」なのだが、文脈の使われ方によっては上記のような捉え方が可能だ。楽な人生なんてない。それは渡米する前からも分かりきっていたことだ。それでもそれを覚悟の上でこちらに挑戦しにきたのだから最後までとことんやり抜く覚悟だ。“I totally agree. This is a part of the process and I know that there is a wall for a reason.”私もRandy Pausch(2008)のLast Lectureの言葉を引用しつつ上記のように友人に伝えた。きっと一つ一つの試練には意味があるのだと。まるで自分にも言い聞かせるように。辛い時こそ地中深くに根を張っている最中だと受験期に家族から昔言われたことがある。地中に根を深く張れば嵐が到来してもそう簡単には倒れなくなるのだという。今はそのプロセスの真っ只中だ。着実に、一歩ずつそのプロセスの歩むだけだ。写真:バルチモアの教会それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.07
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スーパーボールが行われる日の朝にTrader Joe’s(通称トレジョー)に買い出しに行くと恐ろしいほどレジが混んでいた。みんな夜のパーティに備えて買い出しをしているのだろう。駐車場は車で溢れかえり、場外まで車の列ができている。レジも大変混雑していて店内を一周してしまうのではないかと思うほどの列ができていた。「今晩はスーパーボールがあって大盛況ですね。」と店員さんに話しかけると、“Yeah, there will another bomb in the afternoon.”と笑いながら返してくれた。そして、そのまま次のように彼は言い放った。“Last year was mayhem.”“I can imagine that.”と笑いながら会話を楽しみにつつその場を後にしたが、このmayhemの使われ方が面白かったのでこちらのブログでも紹介したい。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「(通例暴力行為または衝撃的な出来事による)大混乱、パニック(chaos)」と定義されている。まさにスーパーボールという全米が注目する一大イベントによるスーパーの混雑はmayhemがぴったりかもしれない。まさに言い得て妙なり。「午後に『爆弾』が投下されるだろう」という表現もユーモアに溢れていて非常に面白い。英検1級の実際の試験にもmayhemは登場していたような気がする。頻度は決して高くないが、日常生活にもこのように登場するし知っていて損はないような気がする。それでは皆さん今日も良い1日を。写真:北米限定のスタバ商品。きたろう
2024.03.06
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Morite2(もりてつ)氏(@morite2toeic)が掲載した難関大学の入試問題に挑んでみた。Xからお写真を拝借してこちらにも自分の作文をまとめて残しておきたいと思う。赤本を長年眺めていないため詳細はわからないが、このような英作文には模範解答がないため赤本にも模範解答は掲載されないのではないだろうか。受験生の参考になれば幸いだ。(採点基準が公表されていないので知りようがないが、私と同じように書いても満点になることはないだろう。その点ご注意いただきたい。)早稲田大学法学部(2024)の問題の一部※Morite2氏(@morite2toeic)の2024年2月17日の投稿より借用試訳:In this mural art, a janitor is wiping out some graffiti on a wall with a hydro-jet cleaner. It seems, however, that the mural art has some hidden implications with a closer look. The graffiti he is trying to erase show an ecological relationship that humans used to have. The man is simply doing his duty to keep his town clean, but it could be said that he is a main culprit that is wiping out the ecological diversity and is trying to exert the human dominance on the earth.京都大学(2024)の問題の一部※Morite2氏(@morite2toeic)の2024年2月28日の投稿より借用試訳:Every once a while, you realized how ignorant you once were. These moments provide you with opportunities to reflect on your intellectual path that you went through. Paradoxically accepting your ignorance can teach you that you have become wiser than what you were yesterday. Much remains unknown in this world. Acknowledging this simple fact is a starting point of learning, and there would be no endpoint in this process.慶應義塾大学理工学部(2024)の問題の一部※Morite2氏(@morite2toeic)の2024年2月12日の投稿より借用試訳:Some are incessantly gravitated towards their home town, and others feel that they can no longer return home for some reason.コメント:万有引力のように引き戻される感じはgravitateがしっくり気がします。戻ることができないはno longerで哀愁を漂わせてみました。美しい文章を英訳するのは難しいですね。最近の入試問題は難化していると痛感した。文法の問題が消えて今後はこのような自由英作文の比率が大きくなっていくのだろうか。文法書を丸暗記しているだけでは太刀打ちできない日がやってくるような気がしている。それでは良い一日をきたろう
2024.03.03
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閏年は4年に1度だけやってきて、その年だけ1年間の日数が366日となる。4年に一度だけ追加される日が2月29日だ。CASIOのHPによると「閏年は、グレゴリオ暦(西暦)において、以下の条件を満たす年」を指すらしい。1. 西暦年号が4で割り切れる。2. ただし、西暦年号が100で割り切れる年は、通常は平年で過ごす。3. しかし、西暦年号が400で割り切れる年は、閏年となる。 詳しくはCASIOのHPを参照していただきたい。↓リンク↓こちら英語では閏年のことを”leap day”と呼ぶ。こちらでは年ではなく2月29日という日に注目されるのが興味深い。Happy Leap Dayと書かれたポスターにはなぜかカエルのイラストがある。不思議に思い、近くにいた見知らぬ人になぜカエルが描かれているのか聞いてみると”Oh, it’s probably because of the word ‘leap’. I know it’s silly.”と答えてくれた。”I see. The frog is a symbol associated with February 29. Thank you.”と知らない人に感謝の念を伝えてその場を離れた。 日本に住んでいると閏年とカエルはどうやっても結びつかないが、英語圏では閏年にはカエルが付き物らしい。閏年一つをとっても文化の違いが垣間見れて非常に面白い。Groundhog Dayにしてもそうだが、現地で暮らしてみないと気づかない文化的背景知識は沢山ある。現地の人々にとっては当たり前すぎて気にもならないことなのだろうが、私のような日本で暮らし育ってきた人間にとってはこのような経験一つ一つが新鮮に思える。(Groundhog Dayの記事はこちら) 大学院生専用のスタディスペースにはこのような展示まで発見してしまった。どうやら折り紙はOrigamiとして市民権を獲得しているようだ。抹茶もmatchaとして通じるし、日本の文化資本は充実していることをアメリカにいて痛感している。実はleapには「飛躍」という意味もあって願いことをLeap Dayに書くというイベント?まで開催されていた。4年に1度だけやってくる日本でいう七夕の短冊のような感覚だろうか。”Take a leap on Leap Day”というダジャレがアメリカっぽくて好きだ。日本に戻ってもクスッと笑えるユーモアを大切にしていきたい。きっと日本だったら「閏年にカエルが登場するのはなんでですか」と知らない人に質問することなんて到底できないだろう。しかし、こちらの人々は嫌な顔を一つもせずに質問に答えてくれる。私も日本で海外の人から日本のことについて質問を受けたら嫌な顔をせずに堂々と答えられるようになりたい。今の日本人に必要なことは英語運用能力ではなく、英語の使用に対する「心構え」のような気がしている。無意識の内に「英検⚪︎級以上じゃないと話しちゃいけない、TOEIC⚪︎⚪︎点以下は恥ずかしい」という固定観念を抱いていないだろうか。変な偏見に囚われずにもっと言語は身近な存在であればいいのにと思う。今日も良い1日を。きたろう
2024.03.01
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