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阪神電鉄が甲子園球場の大幅な改装を行なう予定についてその内容が発表された。広いので有名なファウルゾーンがスカイマーク・スタジアムなどで御馴染みのフィールドシートを現在の内野席の前に張り出して新設するので、その結果ファウルゾーンが狭くなってファウルフライでアウトになる事が減りそうである。それから内野スタンドを覆っている銀傘を大きい物に付け替えて、内野スタンド全体(アルプス席を除く)を覆うと共に視界を遮って邪魔になっている支柱を後方に移動させて、更に座席の前後の間隔を広げるなどで内野席での観戦が快適になる様に改良されるそうである。この他にも銀傘の下にゴンゴラ型のスイート席の新設やトイレ・飲食店・などの改良などもあって、老朽化して来た甲子園球場が設備は元より試合の内容も3~4年後には大きく変わりそうである。「あの甲子園も遂に大掛かりな改良に踏み切ったんやな、確かに座席の間隔は狭いから窮屈やし支柱が邪魔になって観難いからな。ファウルゾーンが狭なったらキャッチャーとか内野手が遠いベンチ迄フライを追いかけるいうのも見る事無いんやなぁ。」
2005年11月07日
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往路は山登りの5区で1年生柏原の脅威の逆転劇で往路優勝となった東洋大が時差スタートの復路のトップで福永が出走して、22秒後に加藤(早稲田)が続いてスタートしたが往路では各校のタイムが接近していて23チームの参加ながらもタイム差が空いて繰り上げスタートとなるのは青山学院と城西大の2校のみという成績で、トップの東洋大と言えども他校が追い付いて逆転される可能性も無いとは言えない状況で復路を走る展開であった。6区では福永と加藤の1位争いは抜きつ抜かれつのデッドヒートの展開となり途中で加藤は腹痛を起こしたがそれでも耐えながら1位で小田原中継所に入って襷を7区の八木に渡した。差を付けられながらも飛坂(東洋)は前を行く八木を追っていた後方では大坪(青山学院)がトップの八木から15分以上遅れて二宮を通過となっていたので平塚中継所で無事に襷が繋がるのか心配な雰囲気になっていた。次第に八木を追い上げる飛坂の視界に前を行く八木の姿が見えて両者の距離が縮まって行くが、僅か12秒早く八木は平塚中継所で襷を8区の中島に託すと東洋の飛坂も千葉に繋いで早稲田の中島を追って行く。その後方では3位を走っていた中央学院を抜いて日体大が逆転して僅か1秒差の3位で襷を繋いで中央学院も続くと5位で山梨学院が襷を繋いだがかつての覇者駒大はこの時点でまさかの14位であった。千葉は脇腹を押さえながらも前を行く中島に追い付いて暫く併走状態でお互いに譲らない走りで1位を争う後では9位の日大以下の各校がシードを懸けて僅か8秒差で競っていた。互いに様子見のトップ争いが長らく続いたが遊行寺の坂を過ぎると千葉が仕掛けて苦痛の表情の中島を引き離しに掛かった。段々と両者の差が開いて千葉がトップで戸塚中継所で2年生の大津に襷を繋ぐと45秒差で2位の中島は4年生の朝日に襷を渡した。その後には3位で日体大が入ると4位には43年振りのシード入りを目指す明治が来て中央学院に続いて大東文化の順で戸塚での襷リレーが行われた。そして8位の中央から帝京と10位の日大という3校が接近した状態で襷を繋いだ後を11位の国士舘がシードを狙って追って行く展開であった。一旦は差が開いていた東洋と早稲田の先頭争いは早稲田の追い上げで距離が縮まっていた後方では、城西の石田が体調に異変が生じて無念のリタイアとなって今大会では初めて襷が途絶えてしまった。権太坂辺りでは中盤の各校が10位以内を巡っている中で山梨学院が帝京を抜いて10位に上がっていた。差が縮まりつつあったトップ争いは再び東洋が早稲田を引き離しに掛かって横浜駅付近では大津と朝日の距離が離れていた。鶴見中継所で東洋が初のトップでの襷リレーで10区の高見に託すと早稲田は三戸へ繋いで最後の10区での逆転に懸けた。9区で途中棄権の城西以外の全22チームが繰り上げスタート無しで戸塚中継所での襷リレーを終えて最終区間の10区に命運を賭ける事となった。先頭争いの東洋VS早稲田は高見に三戸が迫る展開となって徐々に距離を詰めて残り2kmを前にして更に早稲田が差を詰めて来た。しかし最後迄先頭を走り切った高見の力走で遂に東洋大学が往路・復路共に制しての総合優勝を勝ち取った。最後の最後迄争った早稲田が2位で入り後方では10位以内のシード権を懸けていた東京農大が学連選抜に抜かれてしまい、学連選抜は9位に順を上げてゴールしたが抜かれた東京農大は失速して12位に後退して国士館も11位でシード入りならずに終った。「復路は最後の最後迄東洋VS早稲田の一騎打ちになってどっちが勝っても不思議じゃない展開やったな。途中でリタイアの城西は気の毒やったけど他の22チームで繰り上げスタートが無かったのは良かったし10位以内のシード権争いも熾烈やったけどやっぱり東洋の躍進に尽きるなぁ。」
2009年01月03日
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