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極光の~のご指摘の部分の詞は正しくはsearchです。はい。それでサーチライトと「光を探せ」と両方の意味に掛けてあります。ごく単純に打ち間違いです。申し訳ありません(汗)。訂正しておきました。
2022.02.03
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ブログ、ご無沙汰しています。桑名小弓作品の使用許可に関することはこちらに書き込んでいただけると幸いです。
2018.06.21
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とうとう慢性疼痛専門外来Sクリニックにたどり着いて一か月余り。A4紙に3,4枚にわたる問診票に震える手で書き込んだ後・・・・びっくりするほど身に覚えのあることばかりが質問事項に並んでいた。少なくとも「あなたの状態はよくわかりました」。そう言ってもらえて心からほっとした。それだけで治るわけではないけれど。尊敬する闘病ブログ「頸肩腕症候群との日々」の緑さんが、『おかしいと思ったら専門医にかかってください』と書いていらした理由がよく分かった。本当に世の中に知られていません、ケイケンワンの実態・・・。頸肩腕を専門にしている医師にしか把握されていない。薬剤師さんたちに説明しても、「それいったいどういう?」だから無理もない。このクリニックでは病名で言うなら「頸肩腕症候群」。出る症状は同じだから全身に出るなら「線維筋痛症」。そういう解釈でとらえているそうだ。ただわたしの場合、半身感覚障害という左半身にしびれや冷感、痛みがより強く出る・・・という症状も重なっているので、圧痛点チェックは今やっても正しい結果が出ないので無駄とのこと。左半身の痛みが強烈でこらえていると、左目からだけ涙がにじんだりする器用さです(爆)でも同じように疲労しきった状態でなんとか症状を説明して医者に「はあ・・・」と言われるのと「ああ(それね)!」と言われるのでは大違いなのでした。よろよろ。
2014.08.03
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わたしは犬キラン病である。それはどういうものかと言うと・・・。昔から、時間に遅れそうだったりして急いで歩いていると、散歩中の犬が突然大喜びで足に飛びついてきていた。飼い主が犬友達と話し込んでいたりする脇を通り抜けようとして、犬にもつれて危うく転びそうになってひやっとする。そして飼い主さんは決まって、こちらの足にからみつく犬に驚いた顔で言うのだ。「ごめんなさいね、いつもはこういうことする子じゃないんだけど」あんまり同じことがくり返し起きるので、飼い主さんのこの言葉につい「知ってます」そう答えて妙な顔をされたこともある。この現象を「犬キラン病」を呼ぶのはそれを傍から観察するのを楽しんでいる友人である。「だって見つけた瞬間犬の目がキランってなるから!」。だそうだ。それが柴犬やビーグルやシェルティといった中型犬まではまだ踏みとどまれるが、出くわした瞬間から目をキランと光らせてハイテンションで尻尾を振りはじめた相手が、世界トップクラスの大型犬、セントバーナードだった時には真剣に危険を感じて目を合わせないようにしてぐるっとよけた。あんな大物に跳びつかれたら・・・間違いなく転倒して下手すりゃ死ぬ。ちなみに同病の知り合いは恐怖の幼時体験からキッパリ犬嫌い。なのに飼い主をリードで引きずりながら寄ってくる犬に通勤の邪魔をされてむっとしている。わたしは特に犬好きでも嫌いでもないがどうもこの「犬キラン病」にはこちらの好き嫌いや気分は関係ないらしいのだ。ここまでくると変にもほどがあると思ったのはパートナーを連れた盲導犬である。人ごみの中、ゆっくり歩くわたしを追い越して行きながら、何度も何度もこちらを振り返るゴールデンレトリバー。(危ないから前を向いて歩こうよ!)はらはらして心の中で語り掛けたが、当然ながら通じなかった。同病の知り合いにも同じことが起きる。盲導犬が「挙動不審になる」そうな。「訓練を受けたプロなんだからちゃんと自分の仕事をしろ」。犬嫌いの彼は余計にムカッとしたらしい。最近、長く歩くのが困難になってからその威力が増した気がする。先日も公園を突っ切ろうとすると犬友達の奥様方が芝生の上で立ち話をしていた。芝生の中の細い通路の真ん中でその人たちの連れたパピヨンが「うぇるかむ☆」という態度で尻尾をぶんぶん振りながら待ち構えていた。残る小型犬が「なんだなんだなにがいるんだ?」とその後ろから走ってくる。「・・・・」首に震動が来て痛いわ、大腿部の裏がむくんで重くただでさえ歩きにくい日々。いくら小型犬でも今のわたしがからみつかれたら間違いなくすっころぶ。その前にうまくよける自信も全然ない。(ここが一番近道なのに・・・)あきらめて芝生の斜面にそろそろと踏み出し、通路をはずれて迂回した。それでも最近、出くわすのが小型犬ばかりなのがせめてもの救いだ(涙)
2014.04.25
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「作ってみたスープスパ、どう?」「おいしい。体があったまるわ」「やっぱり寒い日には汁物がいいよね。ということで、これで賞味期限半年前のパスタを使い切ったので、次からは賞味期限内のパスタです」「なんか食べ過ぎで胃が重いから胃薬飲んだけど、効かんかも」「そりゃまたどうして?」「期限切れやったから」「どれどれ・・・。なんや、たった三か月前やん!全然だいじょうぶ! そんくらいやったら効くわ」。「保存食の棚、探してたら期限切れの缶詰見つけたんやけど、これ熱通したら食べられるよね」「いつまでのやつ?」「2010年」「いや、それはよそうよ! 3年以上前はさすがにこわいよ!」「でも、大事に取っておいたのにもったいない・・・」「そこまでデンジャラスな賭けに出たいんだったら、せめて歩いて医者に行けるか、救急車がうちまでたどり着けるくらい雪が解けてからにせえへん?」「そんないやな賭け、しとうないからやめとくわ」。隣家からの電話。「もしもし、そっち何食べてるの?」「えーと・・・・・いろいろ」。買い出しに行けるまで雪が減ってとてもうれしいです。
2014.02.20
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いやあ14日の大雪、すごかった。8日がピークだと思ってたのにそれ以上の暴風雪になるとは。家が急な坂のてっぺんにあり、風をさえぎるものがないので、台風の時も怖いのですがこの近辺は非常に局地的に積雪が多くなっていまして・・・。14日の夜も玄関ドアの前に吹きだまった雪をかいておきたのですが、翌朝、積雪のせいでドアが開きませんでした。片手しか出せない状態で、まず少しづつ雪かきしつつドアの可動域を広げて行ったのですが。この手の作業って頸肩腕症にはこたえます。この数か月の急激な握力低下のせいで、スノースコップを持っていた手が後で震えるんですね。玄関のドアは開きましたが、一歩外はどこから家でどこが道路だかわからないくらいの雪に埋もれていました。なんだか唖然。ここは雪山? こっちは雪に素人なのに!前回と違って雪かきに人が出てきません。なんだかご近所は真っ白に静まり返っています。水を含んだ重い雪のせいで門扉が壊れたお宅もあったり。それでも進もうとする車は決まって我が家の前で雪にはまってタイヤを空回り。四駆でもダメでした。ここは本当に気象情報で関東平野部に区分していい場所なのか??家人とぶちぶち。そして急な寒さ、雪自体が痛みを倍増してくれまして。頼みの痛み止めさえ効きません。じーっと同じ姿勢でいる方がつらいのでみょーに家事に精を出したりしておりましたが。テレビの向こうで人間力の限界に挑戦しているソチオリンピックの選手のみなさんがつくづく偉大に見えました。
2014.02.19
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「恋人はヌイグルミ?」かつて、友人Jと一緒に買い物に出掛けた時、お互いの用事を済ませてさあこれからどうしようと話していると、ふとJが言った。「あ、そこのおもちゃ屋さん、寄って行ってもいい?」「うん。あんたにしては珍しいね」「あのね、紹介しようと思って・・・」 言いながら店内に入った彼女は何かを探して視線をキョロキョロさせた。その目がある棚の一番上に止まって輝いた。そこには特大のヌイグルミが飾られていた。それに向かって片手をさしのべ彼女は言った。「いま、コレと付き合ってるの!」 「・・・・」しばらく考え込んだ後、わたしは率直に尋ねた。「ヌイグルミと?」そこにあったのは、当時某CMで人気キャラクターになったカッパとタヌキの巨大なヌイグルミだった。「あのね、タヌキじゃなくてこっちのオーカッパー!の方」 「のヌイグルミと?」言葉を思いきり省略するくせのある彼女の言いたいことがよく分からない。「そうじゃなくて、コレにそっくりなの」もしかして! やっと言いたいことが分かった気がしたのだが、彼女の場合万が一ということがある。わたしは慎重に確かめた。「えーと、もしかして、人類?」 Jが爆笑し始めた。「じ、人類って訊く人、KA-NAさんくらいだよ。うーん、多分人類じゃないかな!」「多分って、まあ人類でも河童でもいいんだけど、要するにヌイグルミじゃなくて生き物なのね。あーよかった」「い、生き物って・・・っ」「だってあんたの場合、普通にうまが合ったからって河童の彼氏つくりそうなんだもん。それかこのキグルミを着て仕事している人かもしれないし。それでも話ができるなら別になんとかなるけど、もしヌイグルミだった場合、どう挨拶したらいいのか、紹介されてもわたしが困る」Jはおなかをおさえこんで笑いながらもなんとか保証してくれた。「だ、大丈夫、話はできると思う」「それを聞いてホッとしたよ。ヌイグルミ相手にもっともらしく一人で会話するのは、わたしにはちょっとキツイかなあと」「あ、あたしもそれはムリ~。ただね、どういう風に説明しようと思ってて、これならわかりやすいかなって思ったんだけど」「いや全然わかりにくいって!! 普通ヌイグルミ指差して、コレと付き合ってるって言われて人間のことだと誰も思わないから!」「だって、そっくりなんだよ?」「そうだね、最初に『このヌイグルミにそっくりな人なんだよ』って言ってくれたら、分かっただろうね」「はっ! それ、あたし言わなかった?」「確実に、言わなかったよ」「でもでもKAーNA、今度もし機会があったら見てみなよ。絶対カッパーだと思うから!」「J、それが自分の彼氏の紹介のしかたなのかい」「うん。一応、今回はちゃんと知っておいてもらおうと思って」「ちゃんとって、まずおもちゃ屋に入ることなの・・・?」後日、この二人と待ち合わせる機会があった。この近眼の目にもJより早くはっきりと彼氏の方の見分けがついてしまった。「確かにオーカッパー!」思わず叫んだ。中身はクールミントガムな彼自身はこのやり取りをごく冷静にJから聞いていて、まず自分の彼女(今は妻)が出合い頭に自分の顔を見て「そっくりー」と笑い出すような変な女なのだから、その友人も変なのは当たり前と論理的に納得してくれている。でも、友人の彼氏がヌイグルミじゃなくてよかった。あの時は本当にどうしようかと思った。 END
2014.02.05
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今日歯医者に行ったところ、いつも担当してくれる女医さんは体調不良でお休み。院長さんが応急処置をしてくれた。実はドキドキだったのである。前頸部、つまりのどの周辺の筋肉が引きつって痛むのが一番メインのわたしの症状なので、歯医者のあの椅子の傾きは、つい首に力が入ってしまってほとんど拷問になる。そこで治療開始前に説明しようとした。「実は頸肩腕症になっていまして・・・首が痛むんですが」すると院長先生が、「ああ、ぼくも頚腕症になったよ。あれって長くかかるんだよね」そう、頚腕症とも言う。「この仕事って右手だけに力が入るから。やっぱり職業病だねえ」「なるほど」歯科医の仕事も考えてみれば姿勢を固定して一部の筋肉を過剰に酷使する結果、主に上半身の筋肉や神経に異常が起こる、頸肩腕症になりやすいものだった。しかしそのおかげさまで説明の難しい病状のことを何も言わなくても理解してもらえて非常に助かった。(なんといってものどの周辺が鋭く痛むので酷いときには喋ることも辛いのだ)。「このくらいの角度なら痛くないかな」椅子の角度も調節していただき、「首にタオルを当ててみたらどうかな」「ラ、ラクです!」毎度説明に苦労するだけに、ものすごくほっとした。「トリガーポイント注射とかやった?」「い、いえまだ・・・」確かに、ものすごく詳しい質問までさらっと出てきたよ!そしてやっと頸肩腕症候群が治った人に出会えた。闘病記はいろいろを読んでいても、仕事ができるまでに治った人を知らないのだ。過去形で話している院長さんがとても神々しく見えた。感動!
2014.01.31
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肩こりがひどいころには思っていた。「人類ってどうして二足歩行しようなんて思ったんだろう」そんなこと始めちゃうから肩がこる。四足動物は肩が凝ったりしないのだ。頸肩腕症の今日はどこがどういう風に痛むのか予測がつかない、ラインナップが豊かすぎる苦痛に悩まされて始めてからは「そもそも脊椎動物なのがいけない」そんなことをぶつぶつ言うようになった。「無脊椎動物になりたい。軟体動物ってラクそう。水中にいるのも良さそうだからわたしはタコかイカになりたい! 最後にタコ焼きになってもいいから明石の海のたこつぼに入って暮らしたい!!」そして身近な人に「なれるならタコがいい? イカがいい?」微笑みながら真剣に尋ねるので、どん退かれまくっている。「とりあえずダイオウイカは体が重そうだからやめておこうかな」日本海でダイオウイカが漁船の網にかかったニュースを見ても、まずそんなことを考えている自分がいて、うん、確かに不気味だ。
2014.01.29
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今年もあと少し。外で除夜の鐘の音が聞こえてきました。本年は体調を崩してしまい、半年くらい訳が分からずに首の痛みに苦しんでいました。年末、一応の診断が出まして「おそらく頸肩腕症候群、ただ線維筋痛症の可能性も考慮に入れてます」そういうことでした。でも恒例の年越しそば担当はやり遂げましたよ。ふっふっふ。右腕に注射針が刺さったまんま、みたいな痛みがありますが。がっつり作りました。こちらを訪ねてくださった皆様にとって来年が健やかなものでありますように。
2013.12.31
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「5年目のプロポーズ」 妹の長男、YOUが5歳の冬のある日突然言い出した。「YOUもね、パパとママみたいにけっこんするの」「ほほう、誰と? ねえ誰と?」 面白くなって質問したら、5歳の甥はなんだか呆れたような半眼でこっちを見てだるそうに言った。「ねねと」「わーい!」 この甥はわたしを「ねね」と呼ぶ。伯母に生まれてよかった、などと我ながら意味不明な喜び方をしたものの、そう言ってほしいんでしょと解釈した心優しいリップサービスだと思っていた。しばらくして、「ママ、YOUはねねといっしょにおそとにいってくるね」「いいかな、姉上?」 妹に訊かれて「うん、じゃあYOU、一緒に行こうか」 特になにも考えずに一緒に外に出た途端に、猛烈なプッシュが始まったのだった。「じゃあ、ねねはきょういっしょに、おうちにかえろうね」「え? こうやっていつでも会おうと思えば会えるでしょ?」 一瞬さきほどの話の続きだとは思い付かずきょとんとしてそう言うと、甥は大まじめにわたしを諭し始めたのだった。「あのね、ねねはひとりでいたらダメなんだよ。YOUがついていないといろいろダメな子なんだよ、わからないのかな?」「マジですか…」 この甥からそんな風に思われていたとは。「あのさ、わたしってそんなに情けない?」かがみこんで自分を指差しながら訊くと、「うん!」 5歳児からダメ出し。しかも全身全霊でダメ出し…。「やっとわかった? でもだいじょうぶだよ、YOUがめんどうみてあげるからね」「えーと、多分、そこまでダメダメではないと思いたい…んだけど、ダメかな」「ダメだよ」 おい、即答かい! 思わず話をそらした。「あ、あそこに梅の木が!」「しらないフリしてもばれちゃうよ」「どこで覚えてくるんだ、こういう言い回し…あ、でもつぼみがふくらんでいるからもうじき梅の花が咲くね。咲いたらいっしょにお花見しようね」「おはなは、はるにさくんだよ。いまははるじゃないから、ずっとさきだよ」「冬が終わると春だからそんなに先じゃないよ」「え、ホント?」「うん、冬が終わると春が来るのは今の所確かだよ」異常気象がこんなに続いては先のことはわからないが。「じゃあおべんとうもっていこう」「うん、そうしよう、そうしよう!」 よし話がそれた! そう思いつつしばらくぼーっと2人で梅の木を眺めていると、「それでね、ねね、YOUのいったこと、わかってるよね」「あ、あれ? 話がそれずに元にもどってるよ~。はい、YOUの言うことは分かりました」「でも、いうこときくきはないんだね」 なんだかものすごく追い詰められている気がする。「あのう…もう少し時間が経ってから…」「YOUがいってるのは、きょうのことだよ」「えーと、ごめんなさい、今日はムリ!」 なぜこんなに真剣に頭を下げる羽目に。 すると5歳児は妙に大人びた憂い顔でこちらを見上げて、溜め息をついた。「どうしてねねはそんなにごうじょうなの?」「……」 言葉に詰まった。コレにいったいどう返せばいいのだ!「他の人にも言われるから否定はしませんが…ってYOU、カンブリア大爆発みたいにいきなりボキャが増えてない?」 少なくとも1ヶ月前には絶対こんなじゃなかったよ!「うん? それはどういういみ?」「急にいろんな言葉をたくさん覚えて使えるようになったなってこと」「ふうん、そうだね」 かるーく返されただけだった。 やんちゃで陽気だが、同時に割りと繊細なところもあって幼稚園では保護者意識をくすぐられた女の子、男の子たちに構いまくられているというのに、いきなりのこの積極性と強気はなんなのだろう。進化が早過ぎてこっちが出遅れている。「そろそろかえるよ、ねね」 おいでと手を差し出された。「はーい…」 妙な敗北感に浸されたまま、ママさんこと妹のいるところまで連れて帰られた。ドアを開けようとするとこれまた「YOUがあけるから」 もうどうとでもしてくれ、である。あげくにドアに手を掛けながら振り向いて、きっちりを念を押された。「ねね、さっきYOUのいったことちゃんとかんがえておいてね」「ハイ、考えてオキマス」 何かが違う! わたしや妹はちびっ子たちに女性を敬える素敵な男性になって欲しいねと願いはしたが、これでは完全にわたしが目下扱いである。しかもこの世に生まれて5年目の男からのダメ出しって、わたしはいったいどれだけダメなのか…。「YOU、ねねにおさんぽ連れて行ってもらってよかったね」 妹の言葉に、正直にわたしが答えた。「それは逆。多分わたしの方がYOUに引率されていました…」 END
2013.12.30
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「いた宿の人」いた宿を往くも悲しき片道よひとりゆく小暗い道のその先に何があるとも誰知らで『待つとし聞かば帰り来む』とも誰言わで知る人はみな帰り来ず我ならばいかにせん「わたしはどうしたらいい?」もうじきに暗く寂しいだけのところへ行くのだろうかと寝台に横たわるまま声もなくもはや息のみでただただそれをたずねたいと昨日来たあの子にもう一度会いたいとあなたは幼い私を探して問うた家族の見守る病室であなたがひとりでいく先にあたしは行ったことがないそこにはくらくてさみしいばしょしかないの?「花の咲く明るい優しいところもあると聞くけどそこはずいぶん遠い気がするたどり着くには遠すぎてきっとわたしは暗く寂しいところまでしか行けないのずっとそこにいるのはきっとこわいこわいこわいこと」こんなにつらく生きたんだからこわいとこへなど行かなくていいお日さまのないとこで明るい道をさがすにはじっと目をこらすことほんのりと明るい方を見つけたら見うしなわずに歩くことあたしはいつもそうしてるつかれたら休んでいいよあかるいとこが見えるまで目をとじずにゆっくりと休みながら行けばいいそうしたらとおくでも そのうち明るくてやさしいばしょへたどりつけると思うから「疲れたら休んでいいのかしら」うん だれだってつらいことずっとはつづけられないよこんなにたくさんがんばったんだからこの先はもうゆっくりと休みながら行こうよそれが小さなわたしのせいいっぱいでも あなたは深く息を吐いて声のない声でつぶやいた「そう 疲れたら休んでもいいのね」と青黒い顔にほんのり微笑みをともして「だったらわたし行けるかもしれない」その夜半 あなたは目覚めない眠りについたと聞いた最後の最後にぽつんと「疲れたら休んでいいの」そう言って眠ったと何年ぶりかに微笑っていたとむつび合う誰があるとも立ち別れ連れもなく行かねばならぬ向こう岸何があるとも誰知らでいきの消えゆくその先にかえることなきその道を我ならばいかにせん我ならばいかにそのことをどうしてわたしに訊きたかったのかはあなただけが知っていることすまいせす松風 村雨いた宿の今は遠くへゆきひらのあなただけが知っていること*神戸市須磨区板宿。能の『松風』の題材になった在原行平(ありわらのゆきひら)と海女の松風、村雨姉妹との悲恋伝承の舞台。『たちわかれいなばの山のみねにおふる まつとしきかば今かへりこむ』在原行平
2013.12.25
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初対面の挨拶が一段落したころ、「ところで最寄駅はどこ?」そう訊ねてくる方は100%鉄道マニア、自称「鉄っちゃん」である。今までいろいろな年代の「鉄っちゃん」たちに質問され、正直に答えてきたが、わたしの最寄駅をご存知の方にお目にかかれたことがない。「SのI線はもちろん知ってるよ。確かF駅ってあった。R駅もあるよね」さすが鉄っちゃんだと感心して、「よくご存じですね。その二つの駅の間にあるんですよ」すると相手は真剣に首をかしげて言うのだった。「そんな駅・・・あったっけ?」人によっては駅名コンプリート魂に傷がつくらしく、手帳を破り取って「ここに駅名、書いておいて」そう大真面目に頼まれたりする。「えーと、これルビ振っておきましょうか?」「うん、そうして」困ったことに一見さんには読み方まで難しい幻の駅なのだった。そんなことが繰り返され、「そんな駅あったっけ?」言われるたびにわたしの返事も、「あるんですよ、実は」「あるんですよ、驚いたことに」「あるんです。本当にびっくりですね」そうエスカレートしていき。最新バージョンの返事はこんな風だった。「そんな駅あったっけ?」「今までお会いした鉄っちゃんがどなたもご存じないということは、最寄駅周辺はもしかしてバミューダトライアングル並みのミステリーゾーンになっているのかもしれません」「だとするとその駅で降りると方位磁石がぐるぐる回る?」「ええ、精密機械はだめになるので、腕時計なんて意味がないです」その『鉄っちゃん』さんが、あ、ひらめいた!という顔で「じゃあ、まず間違いなくケータイは圏外でしょう!」わたしも平静にうなずいた。「ええ、今のところ主流は糸電話です」「い、いとでんわ・・・子供のころ作った。な、なつかしいっ!」笑いに顔が震え始めた『鉄っちゃん』さんに向かって、なおも説明した。「こちらの駅では終電近くに帰ってきた大人たちが『マイ糸電話』をつかんで『遅くなった、今から帰る』と自宅へ向かって口々に叫んでいます」「ま、マイ、いとでんわ・・・っ。あなたさ、そんなミステリーゾーンに今日もどうやって帰るの?」「ズバリ、野生の勘です」『鉄っちゃん』さんはそのままテーブルに突っ伏してもう声も出ずに笑い転げている。その様子を架空のマイクをつかんでリポートしてみた。「ただいま『幻の駅』にて『鉄っちゃん』が一名笑い死にした模様です。これも一種の鉄道事故ではないでしょうか?」「・・・・っ、ぶはははは! うん死んでる!」そんな幻の駅の近くに今日も住んでいるわたしである。[完]
2013.12.12
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うがったことを言いたいお年頃の中学生の甥がある時突然言い出した。「天空の城ラピュタってさー、設定ができすぎてるよね。主人公のシータとパズーがああいう性格だからさあ、冒険が始まるしかないじゃん」本人はなかなかうがったことを言っているつもり。そこでわたしは考えてみた。「もしも・・・パズーがスネ夫で、シータがジャイ子だったらどうなっただろうな」「・・・・」「空から飛行石で降ってきた少女・・・を絶対受け止めたりしないな、スネ夫なら」甥も考えた。「で、そのまま下まで落下してもジャイ子、ぜってえ死なねえし・・・」「無事で何よりだけど・・・確かにこの二人だと冒険は始まらない」「つーか、そこでもう終わりじゃないの? ドラえもんでも出てこないと」「やっぱりパズーとシータじゃないと話は始まらなかったってことだね」「・・・・なんかもうオレ、それでいいや」「だろうねえ」なんだか妙に物悲しい空気がそこにあった。利口な発言をかまそうとして、殺伐とした想像に疲れた甥だった。
2013.09.22
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昨日は台風一過の秋らしい気候もあってか、首の調子が良かったので、久々に電車で遠出した。ずっと気になっていた宮崎駿の「風立ちぬ」やっと観に行けた。穴場の映画館なので、結構歩く。しかも方向音痴なので道にも迷うありさま(笑)しかしその時は気にならなかった。こんなに歩いても、電車に乗っても首が吐きそうに苦しくにならない。それだけで、なんだかみょーに気が大きくなってしまった。「風立ちぬ」うん、良かったです。今までの作品と違うな。シーンをできる限りシンプルになるようにそぎ落とすやり方。心に余韻を残して、答えは出さずにあとは観客の気持ちに任せる。そういう作り方で、観終わったあとわたしもぼーっといろいろなことを考えながら、また歩いていた。電車の中から作品で見たのとそっくりな夕焼雲を眺めながら。で、気分が良くて歩きすぎたことに気付かなかったらしい・・・。自分じゃまだまだ行けるつもりでいた。しかし・・・。今朝、枕が合わないのにも気づかず熟睡して首が痛い、頑張って起きたのにまだ眠くてだるくてへろへろ。気づくとソファでまた眠り込んでしまい、はっと目を覚ましたら午前中が消えていた(泣)昨日は明らかにウォーキングハイ状態だったと知った。とほほほ こうなる前に気づこうよ、自分!
2013.09.19
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ただいまお世話になっているA医院のI医師は、柔和な顔と穏やかな物腰の人である。どういう理由でどんな薬を出すのか、効能の載っている本まで見せてくれながら説明してくれる。どんなに患者がいっぱいで忙しくても、「お待たせしましたね」患者をねぎらう心を忘れない人だ。と思っていたのだが。先日の診察の時。わたしの顔を見た途端、「そうだ!」先生はおっしゃった。「こないだの休みに、あなたのVDT症候群のね、対処法が載っている本をやっと見つけたよ」うわあ、この先生休日まで医学の本を探しているのか。すごいなあ。確かにこれまでもらった資料にはどういう状況でどんな症状が出るかは書いてあっても、じゃあどんな風に対処すればいいのかは載っていなかった。「そこのところサービスでコピーしてあげたから」「ありがとうございます!」感謝してコピーをいただいた。「ずっと探してたんだけどね、この本は本当にすごいよ」分厚い医学の本を目を輝かせて、宝物のように掲げてみせる先生である。「こういう本をあらゆる職場に一冊置いておけば、医者にかからないで治る人も増えるのにねえ」じーん。医者の鑑だ、この人。そして先生の熱い説明がなおも続いた。「この本にはね、『工場の粉じん被害』対処も載ってる」????「はあ、それは・・・すごいです」ってそんな患者さんまで診るのだろうか。「しかも『印刷所の粉じん被害』の対処法まで載ってる。ほら印刷に使われているインクに発癌物質が見つかって、それが仕事場の空中にまで漂ってるって問題になったでしょう」「は、はあ」えーと、それにも対処できるようになったほうがいいということだろうか?「そしてなんといってもすばらしいのは!」その分厚い医学書をもう熟読したらしく、目次も見ずに先生はその素晴らしい個所を見開きでわたしに見せてくださった。「ほら、ペストの対処法まで載っているんだよ!」 「・・・・・」すみません、先生、ペスト菌ともなると・・・もういろいろな意味でわたしが対処不可能です(泣)治療に燃える熱き心はこれからどこへ向かうのか。(もしかしてこの先生、穏やかーなまま実はすごくキャラが立ってる!)わたしはわたしで、新たな発見をした。
2013.09.12
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「思う」ふと思うわたしはちゃんと伝えることができましたか?いろいろな瞬間でたくさんの失敗をしてそれでも だからこそ一番大事なことだけは壊してしまわないように拾い上げることができましたか?一人で持っているだけでは失われるものがあって誰かに手渡すことでしか価値のないものがあって飾ってしまえば傷物になる輝くものがあっていつだってそれは見上げる塔の上ではなく小さな誰かの手のひらの中にあるそれをまた誰かの手のひらの中へ伝わっていくことでしか渡されていくことでしか生きない何かがあってそのためにわたしたちはみんなこどくにうまれつくひとりをいきていく
2013.09.09
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尾形敏幸オフィシャルサイトの音源資料のコーナーでただいま「赤い月のブルース」、タフで優しくJAZZYでキュートな美声のボーカリスト、秋葉悦子(Aki詩音)さんのソロボーカル版が聴けます。なお「季節の渡り」の歌詞をお探しの方、2010年3月3日分にUPしております。どうぞよろしく。
2013.08.27
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「印象」不安定な波の奥から聞こえてくる不安な熱望に照らされて今 目を覚ます初めて出会うはずなのに言葉なく呼び寄せてくるあなたは誰 わたしをどこへ連れて行く?眩しい夏の空の日々の旋律は朗々と壮麗に狂おしく世界を飛び 跳ねまわる初めて出会うはずなのに懐かしさに魅了するあなたは誰 わたしをどこへ運んで行く?夜を過ぎ 朝を越え真昼の彼方に傾く時間は夕暮れの あかねの雲の中を広がり 波打ち 震えて 揺らぎ鳴りつづけるその黄金律をもう一度あなたは揺らしその音に世界は揺れて響き満ち とどろき満ちる瞬間にもろともに砕け散り果てそして予感はすでに成就し思い出はいまだ生まれずしかし 静かで確かな始まりだけがそこに・・・
2013.08.27
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10日から11日は、一家大集合で甥や姪が泊りがけで来ていた。おりしもとんでもない猛暑で、外出するより家の中のほうがお気楽だったものの・・・。わたしは気づくとエアコンの効いた自分の部屋でだらだら汗をかいていた。なぜだ。昼頃までは外気が30度を超えていてもここに戻れば汗も引いていた。エアコンが壊れたわけではない。何が違うかといえば。甥のユキと姪のみいが到着した直後から、この部屋でくつろぎまくっているだけ。私の体調が本調子でないことは知っているので、騒いだり飛びついてきたりしない。それぞれゲームやらマンガ読みやら自分のやりたいことをやっているだけなのに。甥と姪、なぜ君たちがいるだけでエアコンの効き目が消えるのか!勝手に背もたれにされてみて分かったのは、この二人が小さな電気ストーブ並みに熱を発していることだった。いったいどれだけ代謝が高いのか。その二人が夜の睡眠時間以外、朝は六時からずっと狭い部屋に居候している二日間。暑さのあまりわたしが階下に逃げていた。でもここは誰の部屋だっけ(涙)二人がいるだけで夏バテた。
2013.08.13
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13日、クール・ヴェルデュールさんからパスポートを送っていただいたので、えっちらおっちら新宿文化センターまで行って参りました。一曲目は作詞作曲、尾形敏幸さんの「海辺のシャンソン」。軽妙な三拍子。一緒に踊りたくなる感じ。二曲目が作詞桑名小弓、作曲尾形敏幸さんの「Mystery of Mr.X」。こちらはJAZZ。男声用から女声用に大幅に変更したとのことでしたが、最初にピアノで聴いた味わいはしっかりとある上にジャズらしく自由奔放なアレンジが即興的に入ったかのような曲想になっていました。クール・ヴェルデュールさんの声はのびやかかつ弾力を感じるのですが、それが生きていました。聴いていて素直に楽しかったです。クール・ヴェルデュールのみなさん、指揮の清水昭先生、どうもありがとうございました。ちょっとよろよろ体調でご心配をおかけしましたが(笑)、行った甲斐がありました。
2013.07.15
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ただいま東京都合唱祭の開催中ですが明日13日、女声合唱団クール・ヴェルデュールさん演奏の「Mystery of Mr.X」。作詞担当しております。どういう曲になっているのか楽しみです。
2013.07.12
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「冬物語」 霜の骨氷の心臓雪のからだみぞれの血潮凍りつく白い沈黙しじま時のよどむ色のない冬の黄昏の中で「夢を見る」ことを夢見てひとりをさまよういつかそれでも声のない慟哭がこだまする視線が出口を求めて飛ぶ天は見えず 地上は遠くすべてを閉ざす吹雪だけが世界を満たしたまま太陽はなく星も月の光もなく昼もなく夜もないはざまの永遠の冬を生きるいつかそれでももはや温みを持たないこの胸に響いてくる声がある落ちてくる涙の温みがあるその君を同じ冬の世界から春の戸口まで連れて行くそれが霜の骨氷の心臓雪のからだみぞれの血潮のままでかなえたい願いになった凍土の下に埋もれた思いは開くことのない宝箱それでも呼び続ける君を春にまで連れ出せたならそこに何かが満ちるだろう霜の骨氷の心臓雪のからだみぞれの血潮がそのために溶け 砕け散ってもーーー真冬の夜の夢
2013.07.02
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「花埋うずみ」舞う花散る花散る花びら夕暮れの一本の桜の樹の下で降りしきり降り積もることばきもち光る時のかけらのように花が 散るその彼方に透ける面影まだ行かないで花吹雪の向こうに消えてしまわないで声もなく舞う花散る花散る花びら手のひらで追うつかめない抱きとめたのは風だけためらいに降りしきり降り積もることばきもち一本の桜の下でひとり花びらに埋うずもれてもう何も見えなくなる風に降る 花がいつかこの胸に痛みでさえ覆い尽くしてしまうのなら舞う花散る花散る花びら見つめるまま ささやくどうかここに来てただそばにいてすべての花びらが散り終わるまでこの同じ一本の桜の樹の下で
2013.06.20
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「いきをする」いきているから いきをするいきているから いきづまるいきているから おおわらわいきているから おおわらいいきているから はらがへるいきているから はらもたついきているから ためいきをついたりもする なんどでもいきているから たいへんでいきているから たいくつでいきているから あしたまでいきてみようか ともおもういきているから いとしくていきているから いとをかしいきているから さいごにはしんだりもする いちどだけ
2013.06.13
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友人J子と電話で話していた時のこと。かつてコリがひどすぎて吐いていた時期にカンフルのようなつぼ押しマッサージをしてもらっていた話になって、「Jちゃん、あの時わたしが『ぎゃあ痛い!』って言っても『だろうね』で終わってたよね」「ああでもしないとKA-NAの凝りと痛みがどうにもならないからねえ。あれは愛だね。熱いなあ、あたし♪」は? 今、突然、ものすごく淡々と何を言いました?「あ、あれは『熱い愛』なんですか」「だってあんな疲れることわざわざやってあげたんだよ。愛しかないでしょう」女性の指は細いのでキレイにツボに入るとものすごい激痛が来ていたのだが。だからカンフルと呼んでいたのだが。多分シニアの方にアレをやったらうっかり死ねそうな・・・。しかしあの時はそれで何とかしのいだのは事実なのだから、友人の主張をどうにも否定できないわたしだった。だがどう考えても、普段から表情筋をロクに使わないこの友人と「熱い」という単語が結びつかない。「それは・・・でも『熱い』というのはちょっと、どうかな。アイスピッケルでぐっさりやるような、『クールな愛』だったような・・・」「そうかな、クールかな」「だって「大丈夫、まだ足はバタついてない」って、冷静に判断しちゃう愛だよ?」やられている方は身の凍る思いをし、「つかぬことを伺いますが、アナタ、鬼と呼ばれたことは?」などと口走ってなおさら墓穴を掘っていた。「おークールだ! でも愛!」「はい、ありがとうございます」それからン十年分の記憶を必死に手繰りながら考えてみた。「あのね、あんたに熱い愛は無理だと思う。どれだけ熱くなっても、多分上限で39度くらい」「ああ、それは二時間くらいゆっくり浸かるのにちょうどいい!」「そう、お風呂の温度が限界でしょう。熱い愛はあきらめようよ。ほっこりぽかぽかな愛がせいぜいだって」この人から、こんなに冷静かつ抑揚のない口調で愛を語られる日が来るとは思わなかった。ちょっと久しぶりに怖かった。END
2013.05.12
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「ルオーのキリスト」何も語らない大きな眼の哀しみは神でない人の彼のもの時の初めからあるかのように虚ろなその愛かなしみは人でない神の彼の顔声なき叫びのような粗いその黒筆はルオーだけの知る彼の悲しみ神であろうと人であろうと彼の魂の瞬間は彼ひとりのものこの世界を彼は凝じっと視みているすべてに断ち切られようともつながろうとも誰もが誰もをおのれの瞳からしか見られないようにわたしだけの知る彼を見つめる顕わには語れないほど愛いとしいのだと見返して彼が微笑う その奥でルオーも微笑う********************宮城県美術館へのジョルジュ・ルオー「ミセレーレ」寄贈者佐藤吉重さんに捧ぐ
2013.05.01
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「春の午後」雨の注ぐあたたかな春の午後に萌え出でる草がつぶやく古い呪文花開き薫る歌声空の眠るうららかな春の午後に吹き抜けた風がささやく天の秘密大地が呼ぶ時の名前誰が空の色を変えるの誰が海を連れてきたの誰が季節を巡らせるの誰が地球を回しているのその手のひらの上でこの世界の宿りにようこそとくりかえしあなたを招く声なき誰かの声その手のひらの上で
2013.04.01
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「あの時のきみに」ここにいられるのが当たり前だなんて小さな子供の頃から思ったことはないんだよだから今 目の前にいるきみがかけがえなくて大事なんだよここに一緒にいられる自分が切なくて でも大事なんだよ何がいつここから失われても不思議なことじゃないんだよ誰がいつどこかへ消えてしまっても別におかしくはないんだよだからきみの笑い顔や涙と一緒に語った言葉もみんなみんな きらきら光るたからもの長い時と空間がきみとぼくの間を流れやがては遠く離れて行ったとしてもきみがいつ消えるか知れない身でもぼくだって明日は分からないだから今日 きみの笑っている顔に笑い返せることが奇跡のようなたからものそう思っていることがきみに伝わっているといい心の奥でそう祈ってきみと同じ現在にいたんだよ一生懸命なのに無邪気だったねふざけながら はしゃぎながらいつだってとても真剣だったみんなきらきら光ってそのまぶしさが目にしみるから僕の目に時々涙がにじんだ一緒に笑いながら笑い涙にしてぬぐったらみんなからおふざけが過ぎると言われたよ自分の逃げや偽りがきみは嫌いだったね未来を信じられないのなら病室の白い天井など見てないで現在のここに一緒にいてきみのしたいことやるべきだと思えることをしたらいいぼくはなぐさめを言ったのじゃないいつだって本当は誰だってそのための刹那の上にいるのだからみんなみんな きらきら光る長い時と空間がきみとぼくの間を流れやがては遠く離れて行ってもきらきら光るあの時のきみにどうか伝わっていて欲しいどんな時間がぼくを乗せて流れてもこの思いは今も変わらないぼくの祈りも変わらないでいるのだと
2011.11.14
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「小さな花」わたしが死んだその跡に名もない小さな花が咲く涙を落としたその海に波 打ち寄せる歌が咲く夢がただようその空にはばたく鳥が渡ってゆくわたしの血からは赤い花わたしの夢から青い花そしてわたしの骨からは小さな白い花が咲きどことも知れぬその場所でくすくす風に笑うだろういついつまでも いつまでも風に笑っているだろう
2011.11.14
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「南極観測船『宗谷』」ドラマ南極大陸を見ていて、しみじみと思い出すのだが、わたしたちきょうだいはこの「宗谷」に、実は乗ったことがある。『宗谷』の引退時のサヨナラ航海で、日本各地の港を巡ったのだが、ニュースで神戸港に来航していることを知ったのは、最終日だった。子供は中を見学できると知って、大慌てで家族総出で家を飛び出し、電車を乗り継ぎ、はるばると三ノ宮駅の大通りを海に向かって南に走りぬけたが・・・わたしたちが「宗谷」の停泊している桟橋にたどり着いた時には、最後の見学グループが船を下りるところだった。「ああ、せっかく見に来てくれたのに残念だけど・・・」案内役の船員のお兄さんがわたしたち三きょうだいに気の毒そうに言いかけた時、「まだ、時間まであと30秒あります。わたしが案内しましょう」船内から腕時計を見ながらそう言って前に出てきた人がいた。「船長?!」クルーの驚いた呼び声に、幼かったわたしも、その人が誰なのかが分かって驚いたのだった。どうやら次の港へ向けて出航の準備が始まっているらしく、若いそのクルーに、「あとはわたしが案内しますから、君は仕事に戻ってください」そう言うと船長は、御自らにこやかに白い手袋でわたしたちを手招いて、「宗谷」船内を案内してくれた。南極大陸まで観測隊を運んで行き来していたその船は、ちょっとずんぐりとして意外なほど小さかった。船内通路など、大人の男の人がすれ違うのも難しいような狭さだった。こんな小さな船が・・・と思うとなおさらすごい物に乗っている気がした。船長は甲板を一回り案内してくれ、最後に前甲板から舳先を見せてくれた。この前方の部分が氷を砕いて道を作って前に進めるのだと、教えてくれた。小さなこの3人のこどもたちを先に立たせ、自分は後ろから肩を支えるようにして「宗谷」の先頭に船長は立っていた。その時、船長が語った言葉を今も覚えている。「この船はね、長い間、本当に良くがんばってくれたんだ。だから、君たちも『宗谷』のことをずっと覚えていてあげてね」船長である自分のことなど何も語らなかった。だからこそ彼は本当にこの『宗谷』という船がだいすきなのだということが、子供心にも伝わった。だから、その言葉を聞いていた当時の小さな子供のわたしは、今になっても『宗谷』とか『南極』という単語を聞くと、気になるし、ドラマ「南極大陸」で再現された「宗谷」を見たりすると、「うわー、よくそっくりに作ったなー。そうそうイルカっぽいあの形!」なんとなく親しみを感じてしまうのだ。本当に船乗りらしい言葉だった。 END
2011.10.30
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「デラックスな彼女?」兄が仕事でとある社ビルのエレベーターに乗ったところ、他に乗る人はいないよな、と確認のため外を見ると、「乗ります!」そういって早足でエレベーターを目指して来るワンピースの人がいた。(あ、まずった)兄がそう思ってももう遅い。その人は同じエレベーターに乗り込んできた。縦にも横にも大きな重量感あふれるその人が乗った時、兄は「重量オーバーのブザーが鳴るかと思った」そうだ。しかし、幸か不幸かそこのエレベーターの造りはしっかりしたものらしく、ブザーは鳴らないまま、ドアは閉まり、兄はエレベーターの一番奥の壁に張り付くような格好になった。それ以上の余りスペースが存在しないのである。さ、さすが、マツコ・デラックス!!なんだか酸素まで薄くなった気がして兄は気づくと懸命に深呼吸を繰り返していたらしい。この狭すぎる空間から早く降りたいと、今は何階まで上がっているのかドア右側のボタン表示を確かめようとしたが、(見、見えない!!)マツコさんの横幅が兄の視界を阻んだ。もし、兄の用事のある階がマツコさんのより下にあるなら、つまりマツコさんより先に下りるのなら、この目の前の壁をどう乗り越えればいいのか。兄は内心途方にくれた。(そうだ!)エレベーターの昇降口の上にも今何階にいるのかは表示されているはずじゃないか!そう思い立った兄が今度は上を見上げたが、(見、見えん!)縦にもデラックスサイズなマツコさんのお蔭で、失礼のないようそっとつま先だって見上げても、どうしても今自分が何階を通過中なのか、日本男性の平均身長そのままの兄には見えなかったそうである。「まあ、マツコ・デラックスの方が先に下りたから助かったけど・・・」どうやら彼女?の背後で相当焦っていたらしい兄は最後にぼそりといった。「あの身長でハイヒールまで履かんてもええやないか・・・」まさに脱出口を探して上から下まで視線をさまよわせたらしい。なんだか妙な敗北感に珍しく打ちひしがれている兄に、妹のわたしは容赦なく突っ込んだ。「しゃあないやないの。仕事モードのマツコ・デラックスには『ハイヒール』は不可欠だから、ハイヒールなしは無理!」きっぱり。子供時代から独身の頃まで、自分の遊びに妹たちを巻き込んでも、妹たちがどれだけそれに不満を述べても、「しゃあないやあないか。不可抗力や♪」などとああ言えばこう言う男。悪いとちっとも思っていない顔でしらっと言ってきた兄が、辛口トークもなく何も喋っていない時のマツコ・デラックスに、その存在だけで完敗したと思えば、(ふははは、ざまあみろ!)とまあ、妹としては内心、笑いが止まらないのである。ありがとう、デラックスなマツコ・デラックス! END
2011.10.02
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「難しすぎるお仕事」以前、お世話になっていたNさんに久しぶりに電話をしたら驚かれた。「どうして僕が数ヶ月ぶりに退院したことを知っているの?」「えっ、入院してたんですか?」こっちも驚いた。「うん、お腹が痛いとは感じてたんだけど、どうしてもはずせない〆切があってねえ。それが終わるまでは病院どころじゃないと思ってたら、意識不明で倒れちゃって、そのまま救急車で運ばれて緊急手術になった。腹膜炎まで併発してたそうだから大変でさ。気がついたら病院のベッドの上にいたの。何日も意識が戻らなくて奥さんや医者に聞いたところによると何度か危篤状態にもなったらしくてね。『今あなたが生きているのは単に運が良かっただけです』って医者に言われてねえ」「うわあ、それは大変なことになってたんですね」「手術後も器具をつけられて身動きはできないし、苦しいしホントに生死の境をさまよったらしいのに、僕は納得がいかないよ」「まあ、運が強くて生還できて何よりじゃないですか」「そういうことじゃないよ!」死地を脱したばかりの受話器の向こうのNさんは実に気力あふれる声で「せっかく生死の境をさまよったんだよ?きれいなお花畑が見えたとか・・・せめて幽体離脱して病室の自分を上から眺めていたとか、そういう『臨死体験』したっていいはずじゃない。なのにただ意識が消えていただけでなーんの体験もしてないの!」とても真剣に不満を訴えるのだ。「それで僕、考えたんだよ。そういう体験をするには何かコツみたいなものがあるんじゃない?」「あの、コツの問題ではないと・・・」しかし相手の話をまともに聴かないのがNさんだった。「それでね僕、Kさんってそういうコツを体得してる人だと思うんだ。きっと幽体離脱くらいできるよ!」「・・・あのう、なぜそう思うんでしょう?」「ズバリ僕の勘! 僕の勘は当たるよー!」嘘だ。この人のズバリとかなんとなくのついた勘が当たったのをわたしは見たことがない。ズバリ言って、はずれたことをスッパリ忘れる場面には何度も遭遇しているが。「だからさ、もしKさんが死にかけたら、ぜひ僕を呼んで欲しいんだ。それで、うまく幽体離脱できたら教えてよ」「って、危篤状態でどうやって教えるんです・・・」相手のハイテンションわくわく状態にかなり脱力しながら問うと「そんなの簡単だよ。ほら、室内で誰も何もしてないのにありえない物音がするって現象があるじゃない」「それはもしかして『ラップ音』のことでしょうか?」「あ、それそれ。ソレやってくれたら僕にも幽体離脱してるって分かるでしょう?」「ええと、それ幽体離脱じゃなくポルターガイストの時に起きるって言われているヤツです」「そんな細かいことはどうでもいいから! 僕にもちゃんとわかるようにソレやってよ」なんだかここにラップ音を気軽にソレやってって言う人がいるよ~。「幽体離脱した上にラップ音現象を起こせなんて・・・難度の高いオカルト曲芸をわたしに期待されても困るんですが」「もちろん、君だけじゃなく見込みがありそうな人にはみんな声をかけてあるよ。でもなんとなく君が一番やれそうだからさ。それでうまく幽体離脱できたらあとでそのコツを僕に教えて欲しいんだ。あ、もちろんコレは僕個人の仕事の依頼だから、僕のポケットマネーで報酬は出すよ。それに生還したらすごい体験本書けるでしょ。『あなたもできる幽体離脱』どう? きっと売れるよー。いいことばっかりじゃない」そんな臨死体験本を出した日にはただのイカレ物書きじゃねえか。同じことを提案された他の人たちもさぞ困ったことだろう。「あのう、条件を満たすにはまず、わたしが危篤にならないといけないわけですよね。それから意識を回復しないといけないと。でもそこまで行くとかなりの確率でそのまま死ぬと思うんですけど。現にNさんも『運が良かっただけ』と医者に言われたわけでしょう?」「大丈夫。もしそうなっても、報酬は香典にしてちゃんとKさんにあげるから!」「・・・・・」大丈夫ってソレの何が? どこが?この人、決してオカルトマニアではない。その手の人たちの秘密めかした妖しく怪しい雰囲気もない。むしろそういう人たちの「自分たちだけは知っている」という特権ムードに気づかずにうっかり粉々に踏み潰して通り過ぎそうな性格である。なのになぜか、そういう超常現象やらアンビリバボーな不思議体験が自分に起きないのは、運命の不公平な仕打ちであると思っている。のはうすうす察していたが、さすがにこの人が自分の生命の危機の時さえその好奇心を追求するとは思わなかった。自分の危篤状態にまで期待するのだから、そりゃ他人にだって期待するだろう。しかし、何が悲しくてわたしがそんな仕事を依頼されなきゃいかんのだ。「きっと君ならできるよ!」この激励と信頼の言葉がここまで寒々しく感じたことはない。脱力感から回復するためにわたしは大きく深呼吸をした。それから心を込めてきっぱりとその激励に応じた。「申し訳ありませんが『幽体離脱』や『ポルターガイスト』の才能にはまったく自信がありませんので、その仕事はお断りします」「なんでみんな即答で断るのかなあ???」そう不思議そうにぼやく、この人の存在自体がかなり超常現象だと思う。END
2011.05.28
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つい先日、母となんとなくテレビで「トイレの神様」の歌を聴いていて、ふと考えた。「なあ、わたしが母からトイレ掃除の仕方習ったんは、幼稚園に行くか行かないかの頃やったけど、べっぴんさんになれるとは言われんかったねえ」母「あらわたしは子供の頃そう言われたわ。そうゆうといたらちゃんとお手伝いするやろう、ゆうことでしょ?」「で、神様は?」「は?」「この歌に出てくる美人の女神様って、聞いたことある?」「ぜんぜん、単に人目につかないようなところもまめに掃除する子はべっぴんになるってだけ」。神話マニア気味のわたしにも、美女でトイレの神様・・・というと中国の紫姑神くらいしか思い当たらない。その信仰が関西地方に渡ってきていたのかがとても気になるが、とにかく!「あの頃からトイレ掃除し始めてやで? 今になっても全然べっぴんになっとらんということはうちのトイレには神様はおらんかったのか(涙)!!」そんなことを思いながら、ついうっかり前から気になっていた妹の家の換気扇カバーを訪問ついでに徹底的に洗っているわたしだった。
2011.03.10
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「チョコと山女」先日、バレンタインのチョコレートを買いに久々に百貨店へ出かけた。わたしにとってバレンタインとは、普段は食べないようなおいしいチョコを食べてもいい日。という風に勝手に定義されている。この日の近辺に出会う人は、強引にわたしからチョコが渡されることもある。なんてったってチョコレートの名店が一堂に会するイベントがあちこちで目白押しになるのだから、行かなきゃもったいないというものだ。事前にそれなりに情報を調べて、目星をつけてから毎年百貨店に赴くのだが、今年はデメルがわたしの気を引いた。乳児を抱えて、買いにいけない妹の贈りたい分も今年は請け負っている。買ったあとで、妹も今年贈るのはデメルがいいと考えていたのを知ってお互い大笑い。妙なところでシンクロする姉妹なのである。しかし、そこで予定のものを買い込んだ後、チョコレートの名店ばかりが集まっている会場をしばらく見物がてらうろついていて、(おお、これは!)と思う品を見つけた。カカオ豆をそれぞれの産地別にカレ(板状)にしたというリッチでシンプルなもの。という説明を若い店員さんがしてくれる。カカオ含有率が高いほど好き。生チョコよりも60%、いやできれば70%以上カカオ、というのが望ましいわたしにはとても魅力的に映った。「うーん、なかなか質がよさそうですねえ」そのカレのセットを覗き込むわたしに、小柄で可愛い若い女性店員さんが嬉しそうにうなずいた。「そうなんですう。実はわたし、『夏山』に登る時には必ずこのセット持って行くんですよー!!」一瞬、頭が止まった。「そ、それは・・・元気になれますね・・・」ちょっと声が引きつったわたしに「はい、そうなんですぅ!」溌剌元気な声が答えてくれた。今、この人、『夏山』って言わなかったか? これが「前に夏休みに山に登ったときに・・・」ならば聞き流したのだが、『夏山』という単語が出るということは、この都会っ子に見える小柄な女の子の頭には当然対義語『冬山』があるわけだ。ちょっとメイド風の可愛い店の制服が似合う小柄で小顔で実にキュートなアイドル顔のこの女の子が、品物を包装してくれている間も、わたしの頭はぐらぐらしていた。間違いなく山男ならぬ山女だ、この人!しかも『冬山』をなめて安易に挑まないだけの、つまり槍ヶ岳クラスの経験をつんでいると見た。高校の頃、なぜか仲の良い友人たちがお互いには深い親交がないのになぜかみんな山岳部に入っていたお蔭で、個人のロッカーのない学校でわたしは山岳部女子の部室を間借りして荷物を置いているいわば山岳部の居候であった。妹は中高一貫校で6年間、ハイキング部という名前とは程遠い、登山靴常備の部活動をやっていた。しかし友人たちといい、妹といい、見た目は文化部がふさわしいような雰囲気をたたえた女子ばかりであった。どうして山男はなんとなく分かるのに、山女というのは見た目を裏切るような人たちばかりなのか!「お買い上げ、ありがとうございましたー!」アイドル顔の店員さんの声を背中に聞きながら、なぜか(してやられた・・・)という気分にどっぷりひたった、バレンタインの買い出しであった。END
2011.02.13
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「夏の思い出」高校のある夏休み、中学のころの美術部顧問の誘いで友人たちと一緒に尾瀬に行った。なぜか生え抜きの美術部員は一人もいない。元水泳部やら元卓球部といった美術部掛け持ちメンバー。しかもとてもきついコースだった。初心者ならばまず鳩待峠から入るべきところを、バスを降り林を抜けたらまずえんえんと岩登り、という恐るべきルート。自分の趣味が登山だからといって山登り初心者の子供を引率して、元顧問もよくもあんなルートを選んだものだ。緑濃い木立ちを抜けるとそこは岩場の間の急勾配の上り道だった。いくら高原であろうと初夏である。そこをいきなり、段差の大きな岩をよじ登るようにして上がっていく。最初は雑談を交わしていたわたしたちは、流れる汗とともにだんだん無口になっていった。いったいこの登りはいつまで続くのか。同じ道を下って来る、青春は山登りで過ごした世代のご婦人方が「こんにちは」「あ、こんにちは」。山行きの人間同士ならではの挨拶を交わした後、「普通の山道まであと少しよ。がんばって!」。その言葉を聞いたわたしたち同じ年の4人組は息を切らしつつも希望に目だけを輝かせた。・・・それから小一時間の後、たどり着いたのは山道ではなく、岩場を流れる川べりだった。「どこが山道まであと少しなわけ?」「単に元気づけてあげようと思っただけじゃないの?」酸欠と強い日差しによる頭痛に悩まされ、首にかけていたタオルをせめて冷たい川の水に浸しては、首に当てて冷やすわたしたち4人の見交わす顔には思いっきり猜疑心が浮かんでいた。飲める湧き水をそこで飲める限り飲み、カラになった水筒に補充する。久々の山登りの喜びにひとりでひたりきっている教師は、すでにわたしたちとは異次元にいるようなものである。道々行き会う人々と交わす「こんにちは」の挨拶も「…にちはー」から、やがて息も絶え絶えの「…っちはー」「…っわぁ…」となっていく。確か名目は尾瀬のハイキングだったような気がするが、コレは絶対にハイキングなどという陽気な響きのものではない。やっと山道にたどり着いた時には、立っているのも難しい有様であった。まず尾瀬を歩き始めてからはじめて見かけたベンチにみんなで座り込んだ。「歩くのはこれからだぞ」ウキウキの教師の言葉に、全員が顔を背けたまま深いため息をついた。「この道をずっと行くと、あの有名な尾瀬沼が見られるんだ!」その喜びに満ちた言葉にメンバーが返したのは「はぁ」とか「へえ…」「ほおぉ」という半分息が漏れただけの声だった。「こんなところで参ってちゃダメだろう。直線距離で行くとここから先のほうが、ここまでの道のりよりも長いんだからな」「……」4人全員が言葉もなくがっくりとうなだれる脇を「こんにちはーっ!」登山用のでかいリュックを背負ったまま朗々たるバリトンで挨拶し、スキップのような足取りで進んでいく、黒く山焼けした肌の中年男性に覚えがあるような気がした。そのあとから奥様と思しき女性が(はしゃいちゃってすみません)という苦笑いでこちらに一礼し、小走りにあとを追いかけていく。どうみても同じルートを登ってきたはずなのに、あっという間に視界から消えてしまった男性の元気っぷりは正気の沙汰ではない、と心ひそかに呆れたながらも頭はまともに動いておらず、その男性が有名な時代劇レギュラーの俳優だったことにわたしがやっと気づいたのは、下界に戻ってからである。それから。わたしたちは登山初心者らしく重い足取りで、息をぜいぜいといわせながら長い長いデコボコだらけの山道をひたすら歩き続けた。水を補給できる湧き水も見当たらず、各人の水筒もカラになって久しく、言葉を交わす余裕なんて誰にもない。ここから今日中に引き返すのはもはや不可能だ。となれば脱水症状で遭難したくないならば、この道を進むよりほかはない。そして、早朝に家を出て、進み始めた岩山から山道を経て、木道に入り、とうとう尾瀬沼までたどり着いたころには、空は薄くかげり、たそがれはじめていた。運良くその年は季候に恵まれ、六月中旬が盛りのはずなのに、七月の終わりの尾瀬沼には白い水芭蕉の花が満開であった。「みずばしょうだね」「うん、みずばしょう」「花がキレイだね」「うんうん、キレイ…」残る3人がうつろな目つきで尾瀬沼を眺めながら、幽霊のように抑揚のない、せりふの棒読み口調で語り合っている。その時分には、全員もう空腹も感じないほどにのどが渇いていて、半死半生の状態であったというのに、3人はそれに続いて尾瀬の情景を詞にした、中田喜直氏作曲の有名な歌を唄い始めた。特に水芭蕉の花が美しく咲いている様子のくだりをひたすらリフレインするのを聞いていると、なんだかゾンビが読経でも始めたかのような気がする斉唱であった。その間、わたしが何をしていたかといえば、湿地に敷かれた木道にひざを突き、できるだけ身を乗り出して尾瀬沼の水を覗き込んでいた。「ねえ、この水、飲めないかなぁ?」「うるせえ、黙れ!」即座に友人Hの声が降ってきた。元体操部員でもあるHは慎重の半分以上が脚というモデルのような体型、かつ黙っていれば文句なく女優にもなれそうな美少女。たいていの場合、人当たりも大変良い。しかし、当時から現在に至るまで時と場合と相手によっては実にすっきり辛口な女であった。「人がせっかくのどがカラカラの現実を忘れるために、必死にリリカルな世界に逃避してるってのに、そういう身もふたもないこと言って邪魔するんじゃねえ!」「…すみませんです」普段の女の子らしい言葉遣いはどこへやら。完全に凶悪バージョンに切り替わっている。しかも自分が何ゆえにゾンビ読経の歌を唄っているのか、しっかり自覚した上でやっているのが実にこの人らしいところだ。残る2人は半分朦朧として仲裁の言葉も浮かばないらしく、わたしとHのやり取りをオロオロと見ているばかり。「だいたい、こんな藻がいっぱいの水が飲めるわきゃないことぐらい、見たらわかるだろーが! そんな分かりきったことをいちいち訊くなってんだ」「飲めたらいいなという願望でつい」正直に答えるわたしに、Hは最上級に冷ややかで獰猛な視線をじっと向けることで「うるせえ、もう黙ってろ!」の言葉を省エネした。そして肩で息をしながら吐き捨てた。「ちっ、この極限状態に無駄なエネルギーを使わせやがって。さ、みんな、唄いながらがんばって行こ!」この極限状態でわざわざお歌を唄うのも、残り少ないエネルギーの無駄では? とわたしは思ったが、殺気立ちながらリリシズムにひたっている相手には言わぬが花である。下手をすれば尾瀬沼に蹴り落とされかねない。水芭蕉と一緒に沼に生えるのは遠慮したいわたしは、しゃくなげ色のたそがれのなか、尾瀬の夏をたたえる歌を唄いながらヨロヨロと木道を歩む読経ゾンビご一行様の最後尾をとぼとぼと歩いていった。ときおり、すれ違う人たちが挨拶をしようとして一瞬、一行の読経のアヤシさに身を引く。「あちゃー」小さく漏らしたわたしの呟きを聞きつけたHが振り返って語りかけてきた。「ねえK、今あたしらは、もちろんあんたも含めてみんなまともな状態じゃない、だよね」「…う、うん、そうだね」「まともじゃない人間にまともな振る舞いを期待するとしたら、それは相手の方が間違ってる、そうじゃない?」穏やかに噛んで含めるような声である。「おお、それは確かにそのとおりだ!」ものすごく怖い論法に、うっかり心からうなずいてしまったわたしも確かに、相当まともではなかった。「納得した? だったらいちいち気にするなよ、めんどくせえヤツ。『旅の恥はかき捨て』って言うだろ。あ、…にちわー」それだけ言い切って、向こうから来た人に顔色も変えずに挨拶しながら、Hはまた堂々と名歌斉唱のリリカルな世界に戻っていった。そして日暮れ近くにたどり着いた山小屋で心ゆくまで水を飲みまくった宿泊の夜。狭いスペースの隣で熟睡していたHに相撲の突っ張りのごとくどつかれまくってろくに眠れなかったのは……わたしひとりだった。反対側に眠っていた友人Rはまったく被害を受けずにすがすがしく熟睡したらしい。翌朝、当人に聞くと昨夜は邪魔な岩をどけようと必死に押している夢を見たそうだ。「それって夢判断で行けば、わたしはあんたの人生の障害物ってことですか…?」睡眠不足に悲しい気分で言ってみると、「ああ、うん、なるほど。そうかもねえ」感慨深い声でそう返された。「でも、あんたはともかくあたしはよーく眠って元気回復したから、もしあんたが障害物でも見捨てないでいてあげるわよ。なんて優しいのかしら、あたしってば。おほほほほ」朗らかにわたしの肩をバンバンとたたくHであった。「できれば山にいる間はそういう友情より、じゅうぶんな水分とまともな睡眠が欲しいんだけど」というわたしの希望はキレイに無視された。そのような体験のお蔭で、今もなおあの尾瀬の有名な歌を聞くと、沼の水だって飲みたいほどのどが乾いていた自分と、Hの獰猛かつ問答無用のリリシズムを思い出して身もふたもない気分になれる。END
2010.12.04
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「ピンチピッチャーは嫌なヤツ?」マレーシア、KL日本人学校では体育の時間、ソフトボールとサッカーばかりやっていた。担当する教師の手が足りないこともあって、たいてい仕切るのはクラスの球技に詳しいスポーツ軍師の男子たちである。ソフトボールの場合、普段は好んでレフトかライトを守備したがる(だって楽だから(笑))わたしは、実は女子ながら自分のいるチームが窮地に陥ると軍師たちに指名される常連ピッチャーでもあった。男子たちは自分だけの魔球の開発に余念がないあまり、とんでもない暴投乱投を続けることがしばしばあった。そのあげく、もう満塁、じきに押し出しフォアボールなどという危ない事態になったとき、「ピッチャー交代! リリーフK!」となる。指示は「後がない。確実に3アウト取れ」。塁を守らされている女子からは「怖いから早く終わらせてKちゃん」。向こうのチームのバッターがちょうど転校してきたばかりの男子だったとき。ノーアウト満塁のピンチに登場してマウンドに立ったわたしに当然警戒の目を向けた。「ワンストライーク!」「・・・今の・・・フォークボールだよな。あいつ日本で草野球かなにかやってたの?」目をむいた転校生に、向こうの軍師たちが叫ぶ。「騙されるな! あいつは野球に関しては完全な素人だ!」「でも、フォーク、投げてきたぞ?」「でも、あいつは俺たちが教えるまでルールも知らなかったんだよ、本当だ、信じろ!」「はーい、自分が投げているのがフォークってのも知らなかった素人でーす!」ピッチャーマウンドからも朗らかにミットを振りつつわたしが付け加える。今のはたまたまらしいと安心して、バットを大きく振り構えたところで、軍師がまた、「素人だからって騙されるな! あいつの投球でホームランは狙えないんだ!」「そう、あいつはな、教わったこともないくせにフォークを投げやがって、ついでに球がスピードあるくせに斜めに回転しやがるから、まともにバットに当てても絶対狙った方向に飛ばねえでファウルになるの!」転校生が同じチームの軍師たちに尋ねた。「ってことはここでもし送りバント狙っても?」彼らはいっせいにうなずいた。「そう。狙った方向に転がらねえ。よくてファウル、下手すりゃ取られてアウト」「とにかく! 高く上げようと思うな。よく球を見て前へ転がせ!」実地で身をもって研究し尽くした軍師たちの口々の意見に混乱するバッターの転校生。(へえええ、わたしの投げる球ってそうだったんだ、知らなかった。男子ってすごい)。無自覚に感心しているピッチャーのわたし。「ストライクゾーンには必ず入れてくるからな。当てていかないとまずいんだ」「ほんと、敵にまわるとたちの悪いピッチャーなんだよ、あいつは」「・・・つまり、あのKって、嫌なヤツなの?」このあたりでいい加減わたしがムッとする。「こら、自分たちがいくら野球に詳しいからって、誤解されるようなこと言うなよ!」言ってから、バッターの手元近く、ゾーン内角ぎりぎり低めに投げる。バッター振る。当然空振り。この混乱に乗じない手はない。次は警戒の逆フェイントでど真ん中だな。「スリーストライク、バッターアウト!」この調子で背後は満塁のまま、3人を続けて三振にし、走者が塁から動く余地なしの3アウトをとった後、攻守交替の途中で転校生がすれ違いざまにぼそりといった。「やっぱり、お前って嫌なヤツじゃないか」「いや、それはだから誤解だってば・・・多分」。END
2010.11.23
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「玉響(たまゆら)」咲く花のゆめか うつつか経ふる無常の岸辺にてたまさかの たまゆらの ひとしきり死を前にした無の静穏に生死のあわいに この身を取り巻く魂たまのかがよいを 君は眺むる深い眠りの夢の底から浮かぶほのしろい陽炎のかがよう揺らぎ雲母のかけらの輝きに似て熱のない ほむらのただよう岸辺微笑は金色の微風に似てうっすらと風景を満たしすべてを含んで映す玉なれば 真の珠まことのたまといざ 君とものがたりせむ ひと夜いま 君のものがたりをせむたまさかの たまゆらの ひと世ゆえあゆむ みぎわ砂時計の いくとせ 浜は無窮の水をいざない招き艶めく真白 真珠のほむら黄昏を映し 風の色を映し夜の底 奈落を映し虹色に千変万化しながら変わらず 景色に添うたまさかの たまゆらの 我がめぐり死すべきさだめは踏み込む 虚無のとばりかはたまた夢から 覚めるのみか愛かなしい金色の微笑を誘うこの世の悲しみの喜びのくさぐさのたまさかの たまゆらの ひとめぐりこの魂たまのほむらを金粉をかすかに散らす真珠の輝きの翼と呼んだ 君この魂たまの陽炎のほむらを静穏のほほえみで目を細め 眺め居た君が魂たま すでにこの岸辺になく君はもはや はるかに船を出し ゆくへも知らずたまさかの たまゆらの ひとしずくいざ 君とものがたりせむ ひと夜のちのいま 君のものがたりをせむたまさかの たまゆらの ひと世ゆえ風に吹かれて 消えてゆくかも岸辺の球たまの地上に生じた 魂たまのひびきたまさかに たまゆらの ひとのゆめいつかくだけて 塵となるやも夢は岸辺の硅砂のひとつぶたまさかに たまゆらの ひとよゆめ
2010.11.01
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「不知火の歌」行方も知らなかった過去と未来の間隙に立つこの声のあふれる先の理由さえわからなかった大気に満ちる見えない粒子をうたうという喜びの名前などどうでもよかった我を忘れた刹那の永久とわのうたうおのれのそのただひとつのたとえばそれと同じように山並みの稜線を誰が決めたのだろう?空を生きていた小鳥の墓はどこにある?海はどうして波を作るのに飽きず物心ついたころから今もなお子供部屋で 流れる街で君はなぜ積み木遊びに夢中なのか?君も知らない 右手のするわたしも知らない 左手のわけわたしもまたわたしの望みの本当の姿を知らない不可思議なときの交差点ですれちがう者たちの相身互いに出会う理由 別れる理由何が行きかうのかわたしは知らないたまさかに生まれ出る愛のわけさえそうしてやはり何ひとつ知りえぬおのれの無知に身を重ね満ち足りて ただ問い続けるそれが 歌ただの 歌
2010.10.19
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「嵐の微笑」もっともっと凍るように冷たくダイヤモンドダストの突き刺すような風が吹くといい脳髄を貫くように容赦ない冷気で風が吹くといいもっともっと目の覚めるような見開くまつげの先さえ凍るような風があるといい闇の奥にある虚無をひとつの美しい絵画としてただ見つめる一刻を絶対零度の風は吹くといいそこにさかしげな甘さも生ぬるい許し合いも何も必要でない美しい理想にさえ唾を吐くただのむき出しの愛があるだけだそれだから風は吹くといい身を切り裂くような冷気の嵐の中でなら初めてやわらかく目を細めるだろうゆっくりと息を吐いていとしさに微笑するだろう
2010.10.14
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「黄金のルール」心に耳を澄ますとどのように戸惑おうと最後のところで決して迷わないわたしがいてそこにどのような理解にも愛にも曲がらない黄金のルールがありそれはどれほどに疑っても変わらないものなのだったそれを取り巻くわたしがどのように色彩を変えてもその支柱の本質は変わらないものであり変えられないものであったのでどのような悲しみにも歓喜にもついに染まり切らなかったただその黄金律のみ不変のわたしは陽炎のようなもの変幻自在の虹の色彩と表情と年齢の生き物来た場所と行方を疑わぬまま吹く風のようなもの
2010.10.10
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「雲の海」ああ 雲が物言わずに山頂をおおい渦を巻く切れ切れに散じてなお流れてゆく黙もだしつつ歩むわたしを取り巻くものが雲なのか 霧なのか 靄なのか風に移ろって変幻する姿を名づけて分けるヒトの営為は実はかわいらしい子供の遊びであろう世界は微苦笑しながら黙ってそれにつきあってくれているヒバリの声が高原を下っていく姿はなくともその実在を疑わない山腹を縫う車道を行き来するテントウ虫のような群れを枯れかけた古木が眺めているなにゆえと問うこともしないものたちの沈黙を想いなきゆえとかしましいヒトは取り違えるお前もまたこの景色の住人なのだという当たり前すぎる許しだとは思いもよらず真に美しい存在は時に恐ろしいとにもかかわらず抱かれてあることの不思議さを恋歌に歌うためにこそにぎやかな子供たちは遊ぶのになんだか生真面目に過ぎて子供ゆえの真剣さで額にしわ寄せ名前をつけて自ら全部を仕事に任じてしまった風が大海を揺らしつづけ今また雲を呼ぶように捕まえることなどできはしないが風は平等にヒトにも触れてゆくもちろんお前を忘れてなどいないと滅びるときもお前を忘れて逝きはしないと目を上げると新緑の光沢が幾重にも起伏する震撼とするほどの遠望にうっすらとして充満する雲の海にすべてがひたされているそのなかでわたしもまた冷えた大気に水を嗅いでいる故郷から追放された者はいないめぐる季節の環わの境くにの厳しく美しく恐ろしく広い愛の内から取り残された生命はないーーー響いていくヒバリに応えて口笛を吹く
2010.09.19
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「ひとすぢの光」ほとんどすべてが闇なのだった色のない夜は闇と呼ぶにふさわしかったクオークを超える タキオンを超えるさらなる極微ごくみのなかにも闇はたちこめた太陽を抱きしめて光を照らしめるものそれが闇だった長い夜は永い時の果て光を生じ 身のうちを彩りその瞬く間にも広がってゆくその暗闇の中心で輝きを放射するものそれを星といったか生命といったか…闇はいざない呼ぶ 彼方を示すその行方に向かった光の名前はもう知る必要はなかった羊水に包まれていたはるかな記憶と同じい懐かしさを込めて空を見上げるヒトの瞳は優しい闇の中ではまたただひとすぢの光なのだった
2010.09.09
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今月は誕生日。ただし当日はお盆に向けた準備で忙しく「誕生日ってなに? それ食べられるモノ?」という感覚で過ぎてしまったが、一家大集合のお盆には、姪っ子から、自分の宝物からいいものばかり詰め込んだのでは?と心配になるようなキラキラグッズてんこもりをプレゼントしてもらい感激。(ただし、後で我に返ったら後悔しそうなので、姪の手作りアクセ以外は兄にこっそり返還しておいた)妹には豪華なフルーツタルトのバースデーケーキを手作りしてもらった。そして、小学五年生になった甥のユキはいかにもいたずらっぽい顔つきで訊く。「お姉ちゃんは今度の誕生日でいくつになったの?」何やらからかってやろうとたくらんでいるのが丸わかり。ふふふ、その手には乗ってやるものか。さあて、今年はどんなしらじらしい嘘をつこうか、にやにやしながら思案していると、義姉がすかさず「お姉ちゃんははたちよ」「はたちって?」「二十歳のこと」「うっそだあ~!」抗議の声を上げる甥に、わたしも澄ました顔で「成人式にも行ったわよー」(今年じゃないけどな)。「今度誕生日が来たから二十一歳なの」義姉も澄ました顔で続ける。「そう! わたしは今二十一歳になったばっかりだよー。わかったユキ?」「うそだ、うそ! ぜったいありえねえ!」「え、どうして?」にこやかにわたしが言う。「ばばちゃん、あれ嘘だよね!」「ほほほほほ」ユキにとっての祖母、わが母も朗らかに笑うばかりである。彼の母、叔母、祖母・・・全員が白々しくも和やかに穏やかに笑い続けるばかり。この女性陣の鉄壁のディフェンスに生意気盛りの小学生ごときがかなうわけもないのだ。ちなみに去年の誕生日のわたしの年齢は「十五歳!」。これには甥だけでなく姪もさすがに「嘘だ!」と声をそろえたものの、「ふふふふ、でも十五歳」。そう笑い通した。彼が「お姉ちゃん」の本当の年齢を知る資格を得るのは女性に年齢を尋ねるのは男としてNGであるそれを知る年頃になってからであろう。それを知ったらもはや尋ねることはできないわけだが。ということでわたしの甥っ子がわたしの年齢を知るときは永遠に来ないであろう。さて、来年は何歳になってみようか、などと考えているこんな叔母を持つわが甥に・・・・合掌。END
2010.08.23
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「バベルの末裔」わたしはどこへ行くんでしょうかねどうもフック船長のような橋げたから幾度も幾度も自由落下フリーフォールしています踏みしめる下も 見上げる上もなく天地も東西南北も神も悪魔も本当はありゃしないという宇宙を浮遊しています何度も来たがここがスタート地点には違いないらしい目を回さないよう何も見ず何も聞かないこと何もないという永遠の混沌にまたようやっとのバランスをしたら無限の選択の瞬間がまたひとつ現れるつまりどんなふうに何を見るのか何を聞くのか 何を嗅ぐのかわたしを含む世界の創造をまた始めるのか甲斐もない日干しレンガの摩天楼地下水のせせらぐ音にこそ溶ける風景は閉じるまぶたのうちに開くまぶたの外にまったく同時に立ち現れるバベルの民の数だけ違う言語があるように生まれる世界に同じものはなくくり返される景色ははなから共有財産ではありえない穏やかならぬこの自由から秩序ありふれた世界の外から常にすべてが始まる一番最初にあるのは無ばかり区別なき混沌ばかりわたしがわたしに世界を与えるときわたしの外にも世界が創られる懲りることなきバベルの末裔としてひとつひとつの飽くなき天地創造がある見たことのない風景がある
2010.08.06
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「スワルン・キラン~黄金の光~」行くがいい 彼方へ行くがいい 空を安らいのときには木の陰に臥して悲しみの日々も愛の記憶もめぐる明星があなたを守護まもる大地に満つ金色きんの甘露つゆ天から降る青の吐息いき行くがいい 今日を行くがいい 地平へ望んではやまない帰り着く岸辺過ぎ去りし日々の夢のかけらをめぐる明星があなたを守護まもる大地に満つ金色きんの甘露つゆ天から降る青の吐息いき駆けてゆけ 大地を翔けてゆけ 空をいつしかあなたは星と 輝く
2010.07.19
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「カタナ」いつでもいつでもいまでも迷うよ お前この一撃はお前を殺してしまうのだろうかとねお前からお前を切り離そうとして頚動脈でも切ってしまうかとねでも いつだって外科手術のときには考えあぐねても仕方ないカタナを振りかぶったときにはもう迷わずに何も考えずに切らなきゃいけない甘さと許しと好意と哀れみと苛立ちすべてのバランスのことなど考えてはおれないその瞬間にだけは情状酌量の余地がない声が聞こえても聞こえないよ目が恐れていても見ていないさ五感を眠らせそうでない感覚に任せてしまうのさカタナを手にするときにはその仕事を終えるまでたとえ途方にくれていても迷わないそうでなくてはいけない残酷な瞳だけ静かに光らせ語りかける言葉はもう捨てるいつもいつだって それでもさ情のコレクターになったって仕様がないそんな瞬間 言葉なぞに意味があるものか鉛色の閃光だけ
2010.07.10
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「日々の祭りの果て」何かが終わってゆく 音がするんだ呻くようにとどろくようにきしんで崩れてゆく 音がするんだ朽ち果てていく 手のひら骨の隙間を吹き抜ける風なぜなのだと叫ぶ声さえ失う後にはただ 水平線に途方にくれる視線があるだけ古来 疑うことによってすべての形は揺らぐあまりにも漠然とした空あまりにも漠然とある雲茫漠たる距離星明りに霧散する天空自失する地上の永久運動何かを忘れてゆく 匂いがあるんだ去り行く者の残り香のようにはかなく虚しく白いばかりの空間が そこにあるんだ思い出せない体温目まぐるしく狂おしい景色たたずみ もの思うことさえ失う後にはただ 地平線にさまよわせる視線があるだけなぜ 疑うほどにもこの宇宙に意味を探すのだろう小さくて頑固な価値がなければその不可知をも愛せるだろうに動機なき探求街明かりに消失する郷愁我に返ることなき日々の祭りわたしはわたしの名前の喪失を忘れられない
2010.07.09
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「魂の檻」いつもひそかに願っていたのはただひとり立つことそれから手をつなぐことアメーバの連帯感は欲しくない誰もが住む魂の檻をその隙間から伸ばす腕 呼ぶ声を憐れさも惨めさもなくいつも好きだった孤独のその先にしか情はないつなげていける想いはない傷つけて恥じない誇りはないだからもう何も捨てない空の青さも地の果てもさまよう心も皮肉も無邪気もこんなにたくさん愛してきたすべて抱いて行こう
2010.07.06
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「ダッシュ」はじまりのピストルを待ち祈りを込めてこぶしを握れまぶたを閉じて大空を見ろおのれの鼓動に耳を貸せ緑の吐息の深いところ胸のそこから息を汲みだし叫べ 冷めやらぬ想いに笑え この一刻をいとしむために瞳の追う行方より速く駆けたいと望む脚をくり返し前に差し出し 解き放てアホウドリが不器用に地を駆けてなにものよりも優美で壮大な飛翔を得るようにくり返し 愚かしく 滑稽にそれでいい いまはただ 走れ!
2010.06.28
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