ユダヤ人として




融和、協調へのあこがれをもっていたことは想像に難くない。

フロイトはその可能性を科学という普遍性の高いものに
求めたのではないだろうか。

医者はすべからく科学者である。医師免許を取得した人物は、
開業に際して「内科」「小児科」「外科」「皮膚科」「精神科」
など何を看板に掲げても問題はない(少なくとも日本ではそう
だ)。

精神科医は、やはり臨床心理士やカウンセラーとは次元が
違う存在であり、決してクスリとお話のテクニックがあるだけ
の人間などではない。

フロイトにしても、精神分析という理論、思想と心理療法を
駆使したことで歴史に名をのこしているが、もともと物質的な
神経を取り扱う医師であった。

勿論、内科的、皮膚科的などの治療も行っている。

やや脱線したかもしれないが、フロイトは科学という真実の
世界に忠実であった。それは事実に対して誠実であったという
ことでもある。

フロイトは無意識の発見者として高名であるが、彼は、覚醒
した意識の側による無意識の支配を目指した。フロイトが
酒をたしなむことなくタバコ中毒であったのは、酩酊感でなく
覚醒感を好んだからだとも言われている。

精神分析は、治療者と患者の強度、極度的な信頼関係によって
成立する。それは、真実を率直に、やや語弊あることばを使えば
遠慮会釈なく、恥も外聞もなく自らの事情、心情、気持ちを
ことばにするということにつながる。

このことによって実現されるのは、抑圧によって日常生活、
社会生活の中では口に出すことをはばかられるような事象
を、その無意識による抑圧を超越して話にだすということだ。

患者も、治療者フロイトも、である。フロイトは例えば性的な
ことなどことばにしづらい事柄を、自分に性的欲望があり、
これまでそれを抑圧してきたという事実を理性的に認めること
ができるようになることで、心のキャパシティを広げ、知的
人間になり、抑圧を意識化してこれへの対応力をつけ、その
抑圧が引き起こす無意識からの病状、症状を解消するように
試みた。

事実、彼は徹頭徹尾この姿勢を貫き、患者の性的欲望を暴き、
ことばにさせることを促してきた。徹底的に。

社会的に不道徳であるとされていることを自分が心の中に
抱き、しかもそれを抑圧し忘却、看過することは精神、肉体
に病的症状をきたらす。その治療として、精神分析に臨む
者は誠実さと知性の上にたち、抑圧されたことがらを、そう
いった自分の一面もあるのだと認め、ことばにすることを
促される。

そしてこれは、単に治療というだけではなく、強い知的精神
を確立していく修行でもあるのだ。

フロイトの逸話の中に、評判の悪い話がある。ドラ(おそらく
仮名)という思春期の繊細な少女に対しても、上記の、この
露骨なまでの真実告白を要求し、結局フロイトもドラも傷を
残すことになったという話だ。しかし、若年者に対しても同じ
態度を貫いたフロイトが間違っていたとは思わない。

事実ドラはフロイトによって強い精神を身につけることが
できたと語っているのだ。


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