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1975年12月20日発売の7枚目のシングル。
松尾 「初めてオフコースを聴いたのが、東芝のスタジオで、そのときぼくらのバンドもレコーディングだったんだ。デモテープをとり終わったら、武藤さんがトラックダウンしていたんだ。そのとき、「眠れぬ夜」をかけた。
すごく、かっこヨカッタンダ・・。」
大間 「うん、うん」
松尾 「オレ、初めて聴いたオフコースはそういうものか、とおもったんだ、そのときヤスさんが入ってきた、すごく 優しそうな顔をして・・。」
大間 「 そうそう、それで松尾とぼくが厚生年金ホールに聴きにいった、
ハーモニーが凄くきれいで感激した。もうひとつ感激したのは、周りが全部女の子だらけだったんだ」
小田 「おまえら、眠れぬ夜は、当初はああいう曲でなかったんだ、テンポもゆっくりと。」
鈴木 「 そうそう、もっと、透明な雰囲気。」
小田 「 自分では割と気に入っていたのだが武藤さんが、
もっと早くして8ビートでのろのりにしよう!って言い出したんだ。
オレはぜんぜん納得しなくて、でも回りは いい、いいばかりで
どんどん自分から離れていったんだ。できあがったら、チューリップみたいな音楽で
これは、いいのか、と思ったんだ・・。」
清水 「 ぼくもそう感じた、でもなんとなく光が見えたような気がして、オフコースも変わっ たなあ、と感じたよ」
オフコースの7枚目のシングルはデビューから6年たち、なかなか大きなヒットが得られなかった、しかし、アルバムの評価やリサイタルの評判はよく、コアなファンは確実に増えつづけていた。
武藤 「 ぼくはリズム感を凄く出したかったんだ、そして楽しい雰囲気にしたくて、なんでもかんでも真剣ていうのはリラックスできないから、音楽はもっとたのしむべきで、そういうのをオフコースにもだしてみたかったんだ。」
小田 「 女の子が多い話にもどるけど、やっぱ、男の子はきずらいというものかな・・。」
ぼくも当時、実にコンサートの入り口には緊張したもの、じろじろ見られる感じがして男であるオフコースファンは少なかったのを思い出す。
松尾 「 いや、結構ファン男の人いますよ、」
小田 「 オフコースのそういう音楽のテーマからかそれて男うけするのをつくると、説教じみたり、じじくさくなるから・・・」
鈴木 「 ぼくは目指す詩は、もっと実生活よりすこし上にいったところをみてしまう。」
小田 「 上???」
鈴木 「 上という表現がでなくて、実生活から濾過したものをみてしまう。」
武藤 「 オフコースというバンドを組んでいると、永遠にそういうテーマがあるということはいいことだと思う。ただ、その間にも男くさいとか、人間くささとか、もっと表現を広げて男のファンも増えるのではないか、ライブにも気安い感じになるほど男のファンも増えるとおもうんだけど・・。」
小田 「 男くさくてそれでもやさしさみたいなものがあればいいんだな・・。」
鈴木 「それと曲調も、リズムが激しいのは男が聞くとか
オレは最初に作った歌はまったく何も考えず、何にも気にしないでいた」
小田 「ぼくもぜんぜん考えずつくった、あのころは楽でよかったよな・・」
この会話は「秋ゆく町で3」のライブのなかで登場したテープ、それをおこして「はじめのいっぽ」という本に書かれている。
オフコースの歌作りがすこしずつかわりつつあるという前兆の会話であるとおもう。
このあとからヤスはロック調の曲をアルバムに必ず収めるようにした、彼のファンは確実の増加となり、いまだに彼のライブはほとんど男性である現象がいきている、ギターテクニックがすばらしのももちろんのこと、彼の生きたかも共感するのだとおもう。
オフコースがこの「眠れぬ夜」でヒットをだし、西条秀樹がカバーすることにより知名度は上がっていった。しかし、オフコースのファンはいい顔をしなかった、
それはオフコースのファンがアイドルとは違うという自負が強かったのであろう。
会話の中である、『上」「濾過性」のヤスの発言であるが小田さんでさえその意思を理解するのは難しかった。ヤスの音楽と小田さんの音楽の相違はどの時点でもあり、それは人間として当然のことで、バンドとしてその合わさる力がオフコースというひとつのバンドの音になるのだ、
売れる売れない、受ける受けない、そういうのをまったく意識せず、自分たちの好きな音楽を当初つくっていたのが後々の継続した活動につながる、
というものは、ガロのような一発大きなイメージをつけられて、しかもオリジナルでなく、自分のしたいものイメージと世間のイメージとの相違に悩むことはなかった。
しかし、タモリなどの批判がこのあとおきてくるのだが、「女々しい」といわれることはぼくら男のファンにとっては複雑に思うことであった。それ以降、オフコースファンという公言を避けて、隠れオフコースファンになったことも実に自分のなかで負けたようなものでくやしいかった、
でも、湘南の暴走族の車で大音響の「時に愛は」が流れてきたうわさを聞き、とてもうれしかったのを思い出す。
オフコース 眠れぬ夜
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