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ものを集めれば集めるほど、失うことに対する恐怖が芽生えます。集めたものが、本当に必要なのかどうかは関係ありません。「持っている自分」に執着し、「持っていない自分」になることを恐れてしまうのです。持っている限り、恐怖が終わることはありません。多くの時間を欲望でものを集めることに費やし、またそれを失うことを恐れているのです。 ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス」よりものがたくさんあることで安心したり、またたくさんあることが人よりも豊かであると勘違いしたり。私自身も昔はそうだったのです。「ない」という感覚が恐れ・不安・心配につながり、結局無駄なものをたくさん買ってしまうのです。今ならそれが無駄だと分かりますが、当時はそれが無駄だと分からなかったのです。「ある」と安心。「ある」と幸せだと思っていたのです。でも今は「あってもなくても」幸せになりました。本当の幸せはものがあるなしにかかわらず、幸せなのです。ヨグマタに出会い、学びを進めていくうちに、いつのまにかものが無くても幸せである自分に気づきました。すでに自分の内側に幸せの素となるものがいっぱい詰まっていたのです。また、ものに執着しなくなったため、自然とまわりが片付き、「シンプルライフ」になっています。形だけ断捨離してものを片付けても、時間がたてばきっと元のもくあみになっていたと思います。まずは心の浄化、執着を手放す修行が先ですね。
2017年10月22日
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宇宙にはある確かな法則が存在するのです。「与えたものと同じ質のものが返ってくる」という法則です。あなたが感謝を与えれば、感謝が返ってきます。あなたが愛を与えれば、愛が返ってきます。与え続けることで、コップの水は減るのではなく満たされ続けるのです。これは「カルマの法則」といって、宇宙(神)の普遍的な真理であり、ただ一つの例外もありません。逆にいえば、自ら与えなければ、何も得られないということです。 ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ大聖者の幸運を呼ぶ生き方」よりこの「カルマの法則」では物を人にあげても、それと同じ物は返ってきません。そして与えたものが純粋であればあるほど、そのお返しは何倍にもなって返ってきます。この場合、与えた人から返ってくるというよりは、宇宙(神)から返ってくるという感じでしょうか。2001年のマハ・クンムメラツアーのパレードの時、自分という感覚がなくなり、沿道の大勢の人たちからいただいた愛(バクティの愛)を受け取り、私はそれと同じ愛を返していました。そのうち自分という個がなくなり、全体(宇宙)と一体化して、ひとつの大きな愛に溶け込んでいるような感覚になりました。そこにいるすべての人の魂とともにいるような、不思議な感覚でした。この奇跡はヨグマタのサマディパワーによって、ものすごい浄化が引き起こされ、私の内側が愛で満たされていた時だったので、このような奇跡が起こったのだと思います。与える側が純粋であればあるほど、大きな恩恵をいただけると思います。宇宙普遍の真理「カルマの法則」のとても貴重な体験となりました。
2017年10月11日
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人と会ったとき、「この人から何をもらえるか」ではなく、「この人に何を与えられるか」を考えてみましょう。人間関係は持ちつ持たれつ、とよく言います。ただ「お互いさま」という言葉の中に、「私が助けたから、次はあなたが助けてね」「やってあげたんだから、感謝すべき」など、見返りを求める気持ちがあったとしたら、それは純粋な愛とはいえません。ほんとうの愛とは、受け取ることを意識しない愛です。ギブアンドテイクではなく、ただひたすら「ギブ」し続ける愛です。 ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ大聖者の幸運を呼ぶ生き方」より世の中のほとんどの人が、ギブアンドテイクを前提として何かをしてあげたり、物をあげたりしています。それが当たり前の社会になっています。よく「恩返しをする」といいます。優しさでしてあげたことに対して、その恩をその方に返すという行為は、一見とてもいいことのように思えます。しかし、その裏にギブアンドテイクの精神が見え隠れしていないでしょうか。純粋に愛から何も見返りを求めずにする行為は、なかなかできることではありません。実際、私も長い間ギブアンドテイクが当たり前と思って生きてきました。何かをしてもらったら、必ずお返しをしなければいけないという強迫観念にかられていました。だから、何かをしてもらったり、何かをプレゼントされたりするのが嫌だったのです。そのお返しについて、散々悩まなくてはならないからです。ヨグマタにお会いして、学びを進め、差し出す(与える)ことを少しずつ実践することによって、自分の偏った考え方、執着や欲が落ちて、自然と見返りを求めずにしてあげることができるようになってきました。また、何かをしてもらったり、プレゼントしてもらった時、素直に喜び、「ありがとう」と言うことができるようになりました。お返しをしなければという強迫観念もなくなりました。お返しはその方の幸せを祈ったりしています。またヨグマタのご本をお渡ししたりすることもあります。内側に愛があふれていれば、どんなに差し上げても減ることはありません。それどころか、逆にどんどんあふれてきます。ほんとうに不思議です。私たちはもっと自分の内側の神秘について、学びを深めたいですね。
2017年10月08日
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「足りない」と思えば、不幸になり、「これで十分」と感謝すれば、幸せがやってきます。人と比べて才能がない、学歴がない、お金がない、容姿に恵まれない・・・。そんなふうに、わざわざ「ない」ものばかり数え上げていませんか?幸福な生き方とは「ある」ものに満足して感謝する生き方です。 ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ大聖者の幸運を呼ぶ生き方」より昔の私は常にあれがない・これがない、人と比べて自分はあれもできない・これもできない、と自分に「ない」ものをいつも探して不平不満を言っていました。すでに「ある」ものには目もくれず、「ない」ものばかり探していました。「ない」ものを手に入れるためには、どうしたらいいかを常に考えていたのです。そんな私がすでに「ある」ものに目を向け、「ない」ものを探さなくなったのは、瞑想を始めて、内側を見つめ、すでに満ちていることを知ってからです。「ある」という感覚と「ない」という感覚はプラスとマイナス、表と裏であり、オセロゲームの駒のように黒をひっくり返せば白になります。このひっくり返す作業は、面白いことに一度ひっくり返すことに成功すると、次々とひっくり返すことができ、最終的にすべて白にしてしまうことができます。すべてはもう自分の中に「ある」と思えるようになったのです。これは物質的なものではなく、人と比べてでもなく、本質的なもののことです。現実的にお金が有り余るほどあるわけでもないし、人と比べたら物質的に「ない」ものもたくさんあります。しかし、内側が愛で満たされていれば、「ない」という感覚が無くなるのです。不思議ですね。あれだけ「ない、ない」と思っていたのに、「ない」という感覚自体がなくなってしまうのですから。こんなことが起きるなんて想像もしていませんでした。ヒマラヤ秘教の恩恵のすごさに感謝です。
2017年10月06日
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