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9/14、今日は妻の誕生日、戸籍上では9/15ですが、63歳になったと思います。一緒に歩んできてくれた妻に心から感謝しています。主の祝福が、この一年ますます豊かにありますように。
2024.09.14
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昼から西坂に、本当に良い天気でした。日差しがあり風がなくとても暖かかったです。こんな日に2月5日の殉教聖会の日がなりますように。そう心から願いました。西坂に行く前、ジョイフルに行きました。妻と食事している時は仲がいいのです。祈る時も奉仕の時もいつも仲良くできますように。
2024.01.04
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今日は1日中、家にいました。7時から家にいる家族四人で祈祷会、9時半からラインで大きなフフミリィー祈祷会、エルサレム夫妻も入ってきて祝福されました。
2024.01.03
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昼過ぎに彼杵に行きました。家族四人て浜勝で食事、久しぶりにキャベツ、ご飯をお代わりしました。そして豚カツを食べました。それから彼杵で祈りました。聖書が読めました。うれしかったですね。ヨハネの聖書を拾ってくださった方にお店の前で雑談、良い時が持てました。夜は谷中が空かず、何も食べずに寝ました。体重が減りました。ハレルヤ!
2024.01.02
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朝から特別礼拝、とても霊的に明るかった!午後から殉教の授業一コマ撮り、妻とインドのために1時間祈る、そして、インドチームに参加することに決定!最後の1人でした。ただただ神の憐れみと教会の恵みだと思う。感謝、感謝、感謝である。
2024.01.01
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娘婿の駿くんが帰った。車で空港まで送り、お土産を教会と婿殿に買って持たせた。娘は寂しくて涙ぐんでいる。
2023.11.18
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今日は前から約束していた、お寿司でお祝いをしました。四女が生ものは、出産前は我慢していたので、くら寿司で大きなセットとマグロのセットで娘夫妻と私たち夫婦と長女、そして三男も一緒にお祝いして食べれました。
2023.11.16
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今日は木村久美子姉妹の召天7周年記念礼拝が19:30からありました。JOY牧師が遅れたので、実際は19:45から始まりました。とてもよかったです。久美子さんの霊は、今も天で、生きている。天国は死も涙も悲しみも病もないところ、最高のところ、天国には十字架を信じたものしか入れない。イエス・キリストー十字架と復活を宣べ伝える。
2023.01.05
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娘の喜びがドイツに行くことが正式に決定した。息子のヨハネが、ギフツに入るかもしれない。いつくしみが大阪に戻る。イザヤは卒論取り組み中!!!夫婦と喜びといつくしみで、西坂と白浜海岸に車で行く。帰りにミスターマックスのマックで久しぶりに半パーガーとクリスプを食べる。なんとどちらも150円。50%の値上げ。その後いつくしみを長崎駅まで送り帰宅、夜は鍋だった。
2023.01.03
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月曜礼拝の後、神学校を収録したが途中から、自分が何を言っているのか、分からなくなった。後で聞くと祈りだし、また授業を始めたようだ。月曜日に神学校を取ると、テーいつもは二科目目からこんな風になることが多い。気をつけないと・・・。祈ります。礼拝中に榊牧師より電話、続いて留守電、賛美過ぎにショートメール。ドイツチームはあと1-2名とのこと、喜びに妻が連絡、そこから急展開ドイツ派遣に応募することに、明日正式決定する。行けますように。
2023.01.02
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新年度が始まった。早天は遅れてヨハネと6:15より始める。妻とは9時半から1時間十字架の前で祈る。午後から西坂に行く。帰りは歩く。今日からバイトを始めたエルサレムを迎えに行く。21時15分長崎空港着のANAでヨハネが帰省。お迎えに来るまで行く。
2022.11.01
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今日玉名に行って聖会をした。帰りに、少し早いけどとて言って、伊藤牧師がケーキを2コ買ってくれた。もちろんチョコである。21日で63になる。幾つになっても嬉しい。感謝である。帰りのフェリーと島鉄で食べました。
2022.07.13
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2021.08.31
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8月31日(火) バプテスマ、洗礼の祝福ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。 このようにして、すべての正しいことを実行するのは、 わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。 マタイの福音書3章15節イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダン川でバプテスマを授けていたヨハネのところに来られました。ヨハネは驚いたことでしょう。ヨハネは悔い改めのバプテスマを授けていたのです。罪と全く関係がなく、一度も罪を犯したことのないイエス・キリストがバプテスマを受ける必要などないのです。ですから、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言いました。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、 あなたが、私のところにおいでになるのですか。」ところが、イエスはこう答えられたのです。「今はそうさせてもらいたい。 このようにして、すべての正しいことを実行するのは、 わたしたちにふさわしいのです。」バプテスマを受けることを「すべての正しいこと」と言われました。神であられるのに人となられたイエスは、人としての全ての正しいことを行われました。バプテスマ、つまり洗礼も、その大切な正しいことの一つだったのです。本来、イエス・キリストはバプテスマ、洗礼を受ける必要はないはずです。しかし、人間になられたイエスは人としてキリストを信じ古い今までの罪人の自分に死んでキリストの花嫁として新しく復活の命の中をキリストともに生きる証となるバプテスマ、洗礼を受けられたのです。それは私たちの模範となり、私たちに歩むべき道を示すためでした。それで、ヨハネは承知しました。そしてイエス・キリストにバプテスマを授けました。あなたもイエス・キリストを信じてバプテスマを受けましょう。その時、愛と奇跡に満ちた新しい人生みが始まります。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.31
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2021.08.31
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2021.08.31
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2021.08.31
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8月30日(月) 処女降誕「見よ、処女がみごもっている。 そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) マタイの福音書1章23節イエス・キリストは聖霊によって処女であるマリヤに宿りました。これを処女降誕といいます。多くの人は、処女が妊娠することが信じられないといいます。確かに普通に考えるとありえないことです。でも、もしイエス・キリストがマリヤとヨセフの間にできた子どもなら、人間に過ぎません。人間には人間を救うことはできません。もちろん、一時的な助けや奇跡によって病気を直すことはできる人もいるでしょう。しかし、罪の身代わりになることは人間にはできないのです。イエス・キリストは神であられたのに人となり、人間となってくださったのです。霊である神が私たちと同じ肉体を持って処女マリヤに聖霊によって宿られたのです。イエス・キリストは全く罪とは関係のないお方でした。だからイエス・キリストには、私たちの罪の身代わりとなることができたのです。イエス・キリストを救い主と信じている私たちは処女降誕を信じます。処女にキリストを宿らせた神は、この地上のどのような問題も愛を持って解決し勝利してくださるのです。父なる神の愛は深く広く大きいのです。主イエスを信頼し、聖霊様により頼みましょう。必ず勝利と祝福に満ちた人生を与えてくださいます。イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。
2021.08.30
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8月29日(日) 主イエスの全き愛!愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。 ヨハネの手紙 第一4章18節聖書はいいます。「愛には恐れがありません。」それは、全き愛は恐れを締め出すからです。イエス・キリストが十字架で示された愛は全き愛、愛の極みでした。その愛で愛されていることを知った時、私たちは恐れから解放されます。でも私たちは恐れを持ちます。恐れには刑罰が伴っています。私たちが恐れる時、私たちの愛は、全きものとなっていないのです。イエス・キリストの愛を知り、その愛に触れられ、満たされる時、また父なる神の愛を知り、その愛に満たされる時、私たちは恐れから解放され喜びと平安に満たされて自由になります。主イエスの愛は、全き愛だからです。あなたはイエス・キリストに愛されています。
2021.08.29
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8月28日(土) 暗闇を照らす光暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。 マタイの福音書4章16節イエスは40日40夜の断食の後、悪魔の試みにあわれ、神のみ言葉によって悪魔を退けられました。それからヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれ、ナザレを去って、ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町であるカペナウムに来て住まわれました。これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためでした。すなわち「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、 死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」イエス・キリストは光でした。その光であるキリストが来られたのです。暗闇の中にすわっていた民も、死の地と死の陰にすわっていた人々にも光が上り与えられたのです。あなたが今、どんなに人生のどん底で暗闇にいたとしても、あなたの愛する人が死の苦しみの中をさまよっていても、イエス・キリストは、そこに来てくださり、あなたに光を与え照らしてくださるのです。イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。
2021.08.28
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2021.08.27
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8月27日(金) 世界の光あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。 マタイの福音書5章14節イエス・キリストは言われました。「あなたがたは、世界の光です。」私たちは世界の光なのです。それは、イエス・キリストを信じた私たち一人一人のうちに、主イエス・キリストが内住して、つまり住んでおられるからです。聖霊様も私たちの内におられ満たしてくださいます。「私は世界の光です」と言われたイエス・キリストが私たちのうちに住んでおられるので、私たちは世界の光となるのです。ですから、私たちの内におられる光であるイエス・キリストを人々の前で輝かせ、人々が私たちのキリストにある良い行ないを見て、天におられる私たちの父をあがめるようにしましょう。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.27
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2021.08.27
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8月26日(木) 試練とともにある脱出の道神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。 コリント人への手紙 第一10章13節私たちの人生には、試練は必ずやってきます。試練に会うと、私たちは自分だけが苦しんでいるように思ってしまいます。でも、そうではないのです。試練は誰もが通るのです。そしてイエス・キリストもその苦しみを通ってくださったのです。神は真実な方ですから、私たちが耐えることのできないような試練には決して会わせられるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださっています。私たちが試練のただ中で主に信頼して忍耐をもって、感謝し、祈る時、その脱出の道が開かれてくるのです。そして私たちは必ず試練に勝利し、神の栄光に預かります。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.26
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2021.08.25
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8月26日(木) 試練とともにある脱出の道神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。 コリント人への手紙 第一10章13節私たちの人生には、試練は必ずやってきます。試練に会うと、私たちは自分だけが苦しんでいるように思ってしまいます。でも、そうではないのです。試練は誰もが通るのです。そしてイエス・キリストもその苦しみを通ってくださったのです。神は真実な方ですから、私たちが耐えることのできないような試練には決して会わせられるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださっています。私たちが試練のただ中で、主に信頼して忍耐をもって、感謝し、祈る時、その脱出の道が開かれてくるのです。そして私たちは必ず試練に勝利し、神の栄光に預かります。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.25
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2021.08.24
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8月24日(火) 絶えず祈ることが出来る!!! 絶えず祈りなさい。テサロニケ人への手紙 第一5章17節聖書は命じます。「絶えず祈りなさい。」そんなことできるわけがありません。そう思いますね。でも、聖霊のバプテスマを受け、聖霊に満たされて異言を語ることができるようになると、運転していても、テレビやYouTubeで動画を見ていても、異言で祈ることはできるのです。寝ながら異言で祈っているという人の話を聞いたことがあります。もちろん、祈りの中心は理解できる言葉、つまり日本人の私なら日本語です。でも異言で祈ることによって霊は強まり、内なる人が強められます。そして、何かをしながらでも祈ることができるのです。私が言葉で、つまり日本語で祈るなら、何かをしていたら、とても危険です。例えば運転しながら日本語で祈っていたら、気持ちが集中しなくて、事故を起こしかねません。でも異言なら、運転に集中しながらでも祈れるのです。絶えず祈ることができるのです。神の言葉に従う時、必ず祝福を豊かに受けます。あなたも聖霊のバプテスマを受け、異言で祈り始めましょう。祈りの答え、主の恵みと祝福を豊かに受けることでしょう。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.24
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2021.08.24
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8月23日(月) 喜ぶ!!!いつも喜んでいなさい。テサロニケ人への手紙 第一5章16節「いつも喜んでいなさい。」聖書はそう私たちに命じています。でも、いつも喜んでいることなどできるわけがありません。そう思いませんか。では聖書はできないことを命じているのでしょうか。そうではないのです。喜ぶこと、これは感情の問題ではなく、喜ぶことを選ぶのです。悲しくても辛くても、神さまが私を愛しておられ最善しかなさらないことを信じて、どんなに辛く苦しい状況でも、なぜこんなことが許されているか理解できなくても、今のその状況を、主イエスにあって喜ぶのです。聖霊に助けてもらいましょう。その時、すべてを益にされる神が働かれるのです。そして本当に、その最悪から最善、最高へと導かれていくのです。喜びましょう。主イエスがともにいてくださるから、喜びましょう。あなたと私を命をかけて愛してくださっている神がおられるので、喜びましょう。聖霊さまは、あなたと私の内におられ、私たちを満たして祝福と喜びを豊かに注いでくださるのです。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.23
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2021.08.22
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8月22日(日) 創造する神のことば神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。 創世記1章3節聖書は「初めに、神が天と地を創造した。」から始まります。神がいるかいないかを論じてはいません。神が天と地、つまり全世界、全宇宙を創造したと宣言して始まるのです。神が「光よ。あれ。」と仰せられます。すると光ができるのです。神はことばによって、天地万物を創造されました。神のことばには無から有を生み出す力、創造の力があるのです。私たちは、この神のことばに触れ、神のことばを聞き、神のことばを語りましょう。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.22
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2021.08.21
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8月21日(土) 神の力にささえられる信仰そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。 コリント人への手紙 第一 2章4節パウロはコリントの教会に行った時、弱さを覚え、恐れおののいていました。パウロは、彼らの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心し、キリストを伝えたのです。パウロのことばと宣教は、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。パウロは聖霊に満たされ、聖霊の御力によって福音を宣べ伝えたのです。それは、コリントの人たちの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。私たちも、イエス、キリスト、すなわち十字架につけられた方を宣べ伝えましょう。説得力のある知恵のことばによってではなく、御霊と御力の現れによって語りましょう。その時、人間の知恵ではなく、神の力にささえられる生きた信仰を持つ人々が生み出されてくるのです。あなたはイエス・キリストに愛されています。
2021.08.21
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8月20日(金) キリストは神の力、神の知恵神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。 コリント人への手紙 第一1章25節聖書には、こう書かれています。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」神は、この世の知恵、つまり人間の知恵を愚かなものとされました。実際、この世は、つまり人間は自分の知恵によっては神を知ることが出来ないのです。それは神の知恵なのです。神は人間より遥かに高いお方だからです。それゆえ、神はみこころによって、人が神を知り体験できるように、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められました。当時、ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求していました。しかし、それでは神を知ることはできないのです。私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者、救われる者にとっては、キリストは神の力、神の知恵だからです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.20
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2021.08.20
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8月19日(木) 十字架のことばは救いの神の力十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 コリント人への手紙 第一1章18節キリストの使徒であるパウロは、学識も立場もある人でした。しかし彼は、キリスト・イエスを知ることの素晴らしさのゆえに、それらのものをちりあくたと思うと言いました。そして彼はイエス・キリストの福音、つまり十字架を宣べ伝えたのです。しかもキリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によらず語り伝えました。パウロは知恵を持って語ることは出来ました。しかし人間の知恵によってはあえて語らなかったのです。パウロは知っていたからです。 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力だということを。私たちもキリストの十字架を宣べ伝えていきましょう。このキリストの十字架によって救われ、神の子とされて、祝福を受け継ぐものとされたのですから。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.19
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2021.08.15
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8月15日(日) 主イエスを愛する「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」 ヨハネの福音書21章17節復活したイエス・キリストは、裏切った弟子たちのところに現れます。そして再びペテロを召命し弟子として遣わしていきます。その時、ペテロに聞かれたのは一つでした。「あなたは私を愛しますか」と三度聞かれたのです。主イエスを愛する、それが弟子として主についていくのに必要なただ一つのことでした。私たちは失敗してしまう者です。でも、その度に主イエスは私たちを赦し、そして問われます。「あなたは私を愛しますか」主イエスを愛する時、復活の主イエスの力と愛が私たちを包み、私たちは聖霊に満たされて弟子として主の足跡についていけるのです。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.15
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2021.08.14
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8月14日(土) 回復してくださる神彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。 イザヤ書42章3節神である主イエスは、私たちが傷んで弱り果てている時、私たちを捨てたり打ちたたいたりすることはありません。消えていくろうそくの灯火を消すようなことはなさいません。むしろ、その弱り果てている者を立たせ、くすぶっているろうそくを燃え上がらせてくださる方なのです。また葦、あるいは燈心というのは、聖書、律法である神のみ言葉を意味することがあります。つまり、聖書である律法がないがしろにされている時に、メシアであるイエスは、再び聖書の律法のみ言葉を燃やし奮い立たせてくださるという回復の預言なのです。イエス・キリストはあなたをが、今、どんなに弱くされていても、再び十字架の愛を持って回復させ、復活の力を持って立たせてくださいます。あなたはイエス・キリストに愛されています。
2021.08.14
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2021.08.13
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8月13日(金) 良いものでみたしてくださる神若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。 詩篇34編1節私たちは、どんなに努力しても頑張ってもうまくいかない時があります。乏しくなり飢えてしまうことがあります。しかし、私たちが主イエスを愛し、主イエスを心から求めていく時、主イエスは、私たちに良いもの、最善のものを備え与えてくださいます。主イエスを訪ね求める時、良いものにかけることは何一つとして決してないのです。この方、主イエス・キリストを愛し信じて、尋ね求めて行きましょう。主は支えてくださいます。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.13
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2021.08.12
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8月12日(木) 聖書聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 テモテへの手紙 第二3章16節聖書は神のことばです。つまり神の霊感によって書かれたのです。ですから教えと戒めと矯正と義の訓練とのためにとても有益なのです。聖書はイエス・キリストを信じた人の信仰を建てあげてくれます。そして私たちを、神の良い働きをするためにふさわしい人としてくれるのです。聖書を読み、聖書に触れ続け、聖書のみことばを学ぶ時、神の人は、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた人となるのです。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.12
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2021.08.11
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8月11日(水) キリストの言葉を聞くそのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。 ローマ人への手紙10章17節主イエス・キリストは、私たち一人一人を本当に深く愛してくださっています。そして私たち一人一人を豊かに豊かに祝福してくださる神なのです。ところが、その愛と祝福をしっかり受け取っている方がいる一方で十分にその愛と祝福を実感していない方もおられます。それはどうしてでしょうか。神の愛と祝福は、えこひいきなく一人一人に注がれています。しかしそれをを受けるには信仰が必要なのです。私たちは信仰を通して、その愛を深く実感し、豊かな祝福を具体的に体験するのです。そして、その信仰はキリストについてのみ言葉を聞くことから始まるのです。キリストについてのみことば、神のことばを聞くとき信仰が与えられ、神の愛を深く知り、主イエスの祝福を豊かに受けることができるのてす。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.11
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2021.08.10
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8月10日(火) 迫害の中でも救い出してくださる方確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。 テモテへの手紙 第二3章12節私たちがイエス・キリストを愛し、聖書のみ言葉に従って歩もうとすると、この世では、しばしば誤解されたり中傷されたり、迫害を受けます。確かにキリストに従う時、孤独の中を通されることがあります。場合によっては肉体的な苦痛も通らなければならないことが,これからの時代には再び許されてくることでしょう。黙示録の時代が近づいている今、迫害が避けられない時が来ているからです。しかし、主イエスは、そのような時もすべての悪から私たちを救い出し、守ってくださるのです。イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
2021.08.10
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2021.08.09
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全3070件 (3070件中 1-50件目)