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紹介状を持って大学病院に行った。大学病院というのは何故にこうも待ち時間が長いんだろう(--;)この日も受付してから名前を呼ばれるまでに3時間半、、、、やっと呼ばれて診察は2分。、、っていうかあれは診察というのか?!「では検査します。検査日は○○日です」と それだけ。検査日の予約を取っただけだった。しかも3週間も後。「難聴の疑いっていうのはあるのですか?」と私が聞くと「検査をしないとわからないですがどの子にだって疑いはあるでしょう」と 冷たい答え。そりゃ誰にだって疑いあるだろうけど心配で聞く母親に、、3時間半待ってそれだけかい!!!(怒)
2006.04.04
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ぷー太を迎えてから まず3ヶ月というのが大きな節目だった。というのも ぷー太を迎えにいったときある誓約書にサインをしていた。それは迎えてから3ヶ月の間は委託試験期間で もしこの間に私達が不適当と思われた場合と産みのお母さんが自分で育てますと言った場合はぷー太を返すというものだった。あのぷー太を迎えた施設ではじめて ぷー太に会ったときからぷー太はまちがいなく私達の息子で絶対手放すことなんてできなかった。だからこの3ヶ月が過ぎるのをひたすら待っていた。すごく長く感じていた。3ヶ月を少し過ぎ会から書類が送られてきた。それは「特別養子縁組」の申し立てをするものだった。普通養子縁組と違い 特別養子縁組は裁判所の審判が必要となる。期間も少し長くかかるが これが決まればぷー太はうちの「養子」ではなく「長男」になるのだ。さっそく書類を集めて提出。(この書類というのがすごく沢山で大変なのだ^^;)それからしばらくして(8月頃)会の顧問弁護士から家庭裁判所に申し立てを行ったと連絡があった。いよいよ裁判がはじまった。
2006.04.10
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ぷー太を連れて家に帰ってからは色々手続きの嵐だった(^^;)まずは 転入届。ぷー太と私達は里親里子といった関係ではないので養子縁組が成立するまでは世帯主いも(旦那)の同居といった続柄になる。次は保険。まだ いも(旦那)の扶養にはいれないのでぷー太一人を国民健康保険に加入させることになる。その保険料はもちろん私達が払う。保健加入が終わったら 次は乳児医療証の申請。ついでにダメもとで児童手当をもらえるか聞いてみる。児童手当については各市町村で考え方が違うせいもあってバラバラだけど幸い 私の市では ぷー太が入籍前にもかかわらず世帯が同じになってて実質養育されているということなら出しましょうということになった。ラッキーだった。ラッキーといえばいも(旦那)の会社はとても寛容で転入届けをして世帯が同じになった時点で扶養手当を出してくれた。とても嬉しかった。ぷー太を迎えたことをとても喜んでもらえた(^^=)そして児童福祉法第30条の同居児童の届けというのが必要になる。児童相談所から用紙を送ってもらい県知事に対して申請しなければならない。これを提出して 児童相談所の児童福祉士の方の定期的な訪問観察を受けることになる。(黙って家に連れてきて住むわけにはいかないのですね^^;)こいうった手続きは全て自分でやるのだがどうやるのか どういう書類が必要かは全て会が教えてくれる。困ったことがあればすぐにでも電話対応してくれるので安心なのだ。こうやって一通りの手続きが済みまずは3ヶ月、、試験養育期間が過ぎるのを待つことになった。
2006.03.28
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不妊で辛かった日々はまだこの間のことのような気もするし、遠い日のような気もする。結婚したらすぐ子供は出来ると思っていた。周りからの「子供は?」「いい話なった?」などの言葉も最初は「そのうちね~」とか「今がんばってるよ」とか軽く流せていたものが だんだん辛くなってくる。「環境変わったらできるよ」とか「諦めた頃にできたっていう話よく聞くよ」とか外野は適当なことを言ってくる。諦める気がないのに諦めたフリなんかできないじゃん。内心ムカムカ(--;)治療をはじめても タイミング 人工授精 体外受精とすすんでいっても一向に妊娠する気配はない。不妊で知り合ったネット仲間とお互いの愚痴を話し合って慰めあったりしたけど一人また一人と妊娠して仲間が抜けていく。「おめでとう よかったね」この言葉は本当に本心だ。でもなにか寂しい置いていかれた感がしているのも本当。気がつくと治療最初に仲間になったメンバーは皆妊娠して私一人が残った。ああ 本当に子供できないんだなぁと思う。最後に妊娠した一人は 本当に最初から慰めあった友達で いわば戦友。今まではどんなに慰めあった仲間でも妊娠してしまうとだんだん音信不通になってくる。かかえてる悩みが 不妊から悪阻や育児に変わってくるしお互い気をつかってしまうから。だから 彼女も最初は私に気をつかって連絡どうしようか悩んでいたらしい。私は彼女を失いたくなかったので自分から連絡した。おかげで今も続いている。本当よかった。彼女とずっと友達でいたい。今私はぷー太と出会えてあの時想像もできなかったほど幸せな日々を過ごしている。線の出ない妊娠検査薬をいつまでも眺めていた日も今は切なくて懐かしい。トンネルの出方は皆とは違ったけど今は呼ぶと振り返る可愛い笑顔がそばにいる。えへへ。なんか今日はふらぁ~と そしてダラダラと書いてみました。(><=)とりとめのない文章だな、、
2006.04.08
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難聴検査の予約をとって3週間待つ。その間もぷー太の様子を観察するが聞こえてるように感じる。あいかわらず 呼んだりおもちゃを鳴らしたりしても振り向かないけど耳元で おもちゃをカシャカシャと鳴らすと眉間にシワがよる(-ー)聞こえてるよねえ?といも(旦那)とも話す。検査当日。昼前に病院へ。ABR検査というのは眠っている頭の脳波を調べるもので右左それぞれに音信号を与え検査する。ただ 赤ちゃんの場合寝てくださいといわれて寝てくれないので睡眠薬を飲ませる。1階や3階やあちこち予備検査でいったりきたりさせられた後ようやく睡眠薬を飲ませ30分くらい様子をみる。眠ったなぁ~ってなったところで検査がはじまる。頭にいっぱい線をつけられたぷー太が なんだかかわいそうだった。検査が終了し検査技師の人に「どうなんでしょうかね~」とさりげなく聞くがこうゆう病院のひとって融通が利かないのか結果はわかっていても決して口をわらないですね(^^;)「結果は医師しか話せないことになっていますので、、」はいはい わかりました(--;)またしばらく待たされて ようやく呼ばれる。「異常ありません」ぷー太の反応はまったく正常の範囲だったらしい。聞こえてる気がしてはいたがもしかしたら軽度の難聴なのかもと補聴器をどうしようかとまで考えていたので本当にこの結果は嬉しかった。よかった~~~!(><。)こうして ぷー太難聴か?騒ぎは終わった。病院をでるともう薄暗かった。
2006.04.05
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特別養子縁組がはじまったがずっと不安に思っていることがある。というのは ぷー太の産みのお母さんが万が一でも やっぱり自分で育てますと言い出したらどうしよう、、、ということだった。申し立ての申請用紙が会から来たとき会の方に 向こうのお母さんは了解済みなんですよね?私達でいいとおっしゃってくださったんですよね?と確認をした。会の方は「変な心配しなくていいのよ。ちゃんと決心されてあなたたちに託されたのだから」と仰ってくださった。しかし不安はぬぐいきれない(^^;)これは自分が心配性だからというのもある。会でそういうケースはほとんどないらしいのだが全くないわけでもないのだ。子供のいる友人に相談してみる。「もう手放してから半年以上だし、裁判もはじまってるのに今更返してって言わないよねえ?」そう私が聞くと友人は「ないと思うし願いたいけど、もしお母さんがどうしても育てたいってなったらいくら時間がたってても言うかもね」、、、、、( ̄□ ̄;)がーん聞くんじゃなかった。夜 いも(旦那)にその話をする。いも(旦那)は 「もしそんな話になったら二人で土下座しても ぷー太を育てさせてくださいってお願いしよう。何度でも何度でもお願いしよう。」と言った。私もそれしかないと思う。きっとこの不安は縁組確定まで続くんだろうな(^^;)裁判はこの後 私達の審問、産みのお母さんの審問、家庭訪問、審判という順に進んでいく。
2006.04.11
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研修が終わってからは毎日ドキドキだった。今度は家庭訪問があるはすなんだけどいつ電話があるかわからないのでなかなか外出もできない。子供にめぐり会えるのは縁なので焦ってもしょうがないのだけどでもやっぱ気持ちは逸ってしまう(^^;)研修に参加して登録できたからといって全員が子供を迎えられるわけではない。事実会に登録しても迎えられなかった人もいるのだ。私達育ての親は子供を選ぶことはできないが産みの親は育て親を選ぶことができる。地域や年齢などの条件をつけてこういう方に託したいと言える。それは大切な命を託すのだから当然のこと。だから産みの親のだす条件によってなかなか縁がない場合もあるのだ。そんな中私たちは今回自分をいれ3組の夫婦が一緒に研修したのだがそのうちの一組 oさん夫婦に家庭訪問の連絡がきたとメールがきた。うちもそろそろそろか?とドキドキがさらにドキドキ。そうすると今度は更に数日後0さん夫婦が子供を迎えにいくという。おお!!!まじで?!いいなぁ~~~(><=)子供を迎える場合会に協力してくれる施設で3日間泊り込みで研修をうけることになる。そこで 子育ての基本をひととおり教えてもらうのだ。オムツ替えや沐浴など。oさん夫婦が迎えたのは8ヶ月の女の子だった。かわいい写真が送られてきた。
2006.03.14
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8
帰省、、それは小さい子のいる家ではかなりヘビィなイベント(--;)新幹線で約4時間、、、恐ろしい。去年11月頃ぷー太が来てから初めて広島へ帰省することになった。まだ私のほうの親戚にぷー太をお披露目していなかった。それにしても長時間の新幹線はとても怖い。ぷー太が騒いだらすぐにでもデッキに出れるよう車両の一番前の席をとる。帰省数日前かかりつけの小児科で帰省する話をし、「先生 こう、、一服もる薬はないですかねえ えへへ」と だめもとで聞いてみる。すると あまり使いたくはないが 騒いで怒られたら子供がかわいそうだからと 少し眠たくなる薬をくれた。やった!新幹線にのって少しの間は窓の景色にキョロキョロする ぷー太。お弁当も食べてご機嫌。さぁ 例のブツを使うか、、、、そう思って ぷー太を見ると(--)ZZZ zzz zzz寝てた、、、、、、(^^;)はやっ!ぷー太は薬いらずの子だった。帰りの新幹線でもこうだった。助かるぅ~~~。それにしても 子供が一人増えるだけで荷物は3倍(おもちゃ、着替え、離乳食、ミルク)。あううう荷物 ベビーカー ぷー太を抱えての移動はやはり過酷だ(--;)
2006.04.13
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9
研修最終日。3日間の研修は厳しいこともたくさんあった。いも(旦那)などは「何甘えて生きてきてるの?そんなのは今まではよかったかもしれないけどもし子供迎えてたら責任があるのよ。そんなままじゃだめでしょ」と何故にこうまでケチョンケチョンに言われなければならいのか?と悔しくなるようなこともあった。でも大人になった自分たちにこうまで言ってくれる人は今までいなかったと思う。最後に代表の方が「あなたたちが縁があって夫婦になったように子供の縁もあるのですから」という話をされた。そして「でもチャンスは一度だけですよ」という話もされた。会が子供を紹介できるチャンスは一回だけ。それを断るなら2度目はないのだ。厳しいようだけどでも 無条件で子供を受け入れることが会の方針で 私達もそれを納得したのだからその話はとても当たり前のことだった。研修が終わり同じ研修に参加した同期の夫婦達ともしかしたら私達の子供はもうどこかにいるのかもしれない。運命の子はきっといるんだね。といつか迎えることができるかもしれない子供の話で盛り上がった。胸がわくわくした。充実した研修だった。
2006.03.10
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ぷー太が一歳になったばかりの頃少し気になることがあった。、、、というのは指差し、ものまねを全然やらないのだ。5ヶ月の頃も難聴か?と大学病院で検査までしたこともあったけどそれに続いて2度目の不安、、、。友人の子やちびっこ広場で会う同じ月歳くらいの子はバイバイやパチパチ 指をさして「あーあー」とか言っているのに ぷー太はそんな気配なし。絵本を見せようにも 2~3ページも見せたらふいっとどこかへ行ってしまう。心の中にもやもやとした不安。気になるのでネットの育児掲示板でも書きこみしてみる。「大丈夫ですよ」「うちもそうでした」という返事を期待してだった。なのに返事は「児童センターに相談されては」とか「医者に相談を」、、、、聞くんじゃなかった(><)風邪で病院にいったついでに先生に相談してみる。「指差しやモノマネをしないのが気になるんです」すると先生は「今の時点で全く何もしないというのは確かに少し遅めかもしれませんが今は様子を見るしかありません。1歳3ヶ月をまず目安にみてみましょう」と言われた。私が不安不安と言っているといも(旦那)が一体何が不安なのか?と言う。、、、よくわからないけどもし ぷー太に何かあるのだったら早く見つけて治療してあげたいし、ぷー太の将来が心配なんだと言った。これって母親なら皆がする心配ですよね?ぷー太に幸せになってほしい。だから不安。すると いも(旦那)は「俺は何も不安はない。もしも ぷー太に何かあってもなくても自分達がすることは その中で一番ぷー太が幸せになる道を見つけてあげることで何かあろうとなかろうと自分達の役目は何も変わらない。」と言った。、、、、はい おっしゃるとおりです(--=)わかってるよ でも心配になるんじゃん。こういう不安って育児していく上ではまた些細なことででてくるんだろうなぁと思う。結局 ぷー太はその後1歳1ヶ月くらいでまず タッチ!を覚え そして意味はわかってないけどバイバイをし、パチパチも覚え1歳3ヶ月くらいで遅めだけど指差しもはじめた。焦ってもしょうがないのに、、、ダメな母です(--;)
2006.04.16
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お久しぶりです(*^^*)ぷー太は今年大学生になります。年月が経つのは本当に早いですね。今年が良い一年になりますように。 まぐ♪・いも虫・ぷー太
2023.01.01
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ぷー太は表現の仕方が大げさ。特にショックを受けたとき。こりゃ おもちゃ売り場で転がって人間ぞうきんになる日も近いかな(--;)
2006.04.19
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前の日は興奮の一日だった。はじめてのミルク。げっぷもうまくさせらない(^^;)オムツを替えるのもはじめて。ぷー太はまだ首が微妙にすわっていなくて抱っこするのにも緊張する。突然泣き出すぷー太。オロオロする新米父と母。3時間おきにミルク。夜もぜんぜん寝られない。一日で二人の目の下にはクマができた(笑)昼間 ぷー太を職員の人に預かってもらって必要な物をベビー用品店に買いに行く。途中そば屋で昼食。二人でそばを食べてるとさっきまでのことが夢のような気がしてくる。昨日子供迎えたんだよねえ、、ウソみたいだねえ。いや 夢じゃない。急がなくちゃ!急いで店に向かう。店では 何を買っていいのか正直とまどった。こんな店にはいるのは初めてでテンパってしまう二人(^^;)とりあえず 哺乳瓶 洗剤 下着服を何枚かと ベビーカーを買う。色々選んでるうちにとても楽しくなってあっという間に時間が過ぎてしまう。早く帰らなくちゃ!!ぷー太が待ってる!!急いで施設に戻ると職員さんが ぷー太くん元気に遊んでましたよとぷー太を連れてきてくれる。「お待たせしました ぷー太」と 抱っこすると 満面の笑みのぷー太。あううううぅ かわいい♪(=>
2006.03.24
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最近のぷー太は おやつをあげるとキリがありません(^^;)そんな一コマです(笑)
2006.04.14
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あけましておめでとうございます。ぷー太は今年 20歳になります。本当に 年月が経つのは早いですね。私たちの中では いつまでも5歳くらいのままなんですが、、( ̄▽ ̄;)今年も よろしくお願いいたします。 まぐ♪・いも虫・ぷー太
2024.01.07
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ぷー太を迎えてすぐに会の先輩育て親の方から遊びのお誘いメールがきた。住んでる場所にもよるのだが私の住んでる場所では「遊び会」がありときどき皆で遊ぼうという集まりがあった。子供を迎えて右も左もわからない自分には先輩から色々お話を聞けるチャンスだし子供にとっては 同じ歳くらいの子と遊ぶいい機会なのだ。もちろんそのときはまだ ぷー太は4~5ヶ月だったので集まりにいっても何も遊べないのでしたが(^^:)近くに住んでいるお仲間先輩に挨拶もできると思って出かけた。交通公園に遊びにいったのだがとても楽しかった。会は基的に兄弟を勧めていることもあり二人目を迎えた家庭も沢山でぷー太と同じ歳の赤ちゃんも3~4人いて子育ての話や 迎えたときの話などにはながさいた。こうやって育ての親同士の交流やサポートがあり本当に あの会で迎えたことが良かったんだなぁと改めて感じた。ここでは ぷー太と同じ立場の子ばかり。決して特別じゃないと将来思ってくれるかもしれない。
2006.04.07
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ぷー太を迎えて1月した頃4ヶ月検診になった。この頃少し気になっていることがあった。、、というのは検診の項目の中の[見えない方向からの音や呼びかけに振り向きますか?]というのがあるのだがぷー太はそばでガラガラなどを鳴らしても「ぷー太~」と呼んでも音のするほうをみなかった。ただ単に興味がないのかぁと考えたりまだ早いのかなぁ?と思ったりでも、、項目にあるし、、と不安になったりの毎日が続いた。検診当日 検診票に音のなるほうを向きませんと一行つけたしして臨んだ。体重身長とも順調にのびていて私が書いたその一行のことはまぁ大丈夫じゃないですかねとなんか軽く流されたようだった。大丈夫です!とはっきり言われたわけではなく結局すっきりしないまま検診が終わりその後も少し様子をみていましたがどうしても気になったので近くの小児科に相談した。先生は「この時期だと興味がなくて振り向かない子もいるし もしかしたら難聴という場合もあるので6ヶ月くらいまで待っても振り向かないようだったら難聴検査を薦めます」と言われた。難聴!?ギクリとなった。それまでの不安というのは ただ漠然と項目にひっかかることが気になってただけだったのだが難聴、、、考えてもみなかった。でも ぷー太はドアをバタンと閉めるような大きな音にはビクッとなってる気がする。違うんじゃ、、、余計に心配になった私は今度は近所の耳鼻科に連れていった。そして小児科で言われたことを話すと難聴検査は早ければ早いほどいいから紹介状を書くのですぐ大学病院に行けと言われた。
2006.04.04
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合格通知をもらってから1ヶ月くらいして育て親研修の参加の案内がきた。会に登録するためにはこの研修に参加することが必須なのです。内容は子供を迎えるにあたっての心構えの確立や養子というものに対する間違ったイメージの払拭。養子縁組手続きの法律的な話などだった。研修初日。会の代表の方のこの民間団体を立ち上げるにいたった話があった。「私の人生を子供たちのために、、」というお話は胸を打たれた。やっぱりこうやって団体を立ち上げるまでの方はすごい信念と熱意があるのだと思った。この会では「養子」という言葉は使わない。あくまで「子」それだけ。「別に養ってあげてる子供じゃないでしょ」と言われ なるほどと頷く。そして 実母とか本当の親とか養親という言葉も使わない。実のお母さんは「産みの親」私達は「育ての親」「実の親っていうなら 産んだ親もそうかもしれないけど育てている貴方達だって実の親じゃない。子供にとってはどちらも本当の親なのよ」この言葉には涙が出そうになった。「本当の親」、、そっか私達も本当の親になれるんだね。こうして研修は始まった。
2006.03.08
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面接が終わって気持ちは沈んだままだった。その日の夜二人は話あった。たぶん面接は不合格。その場合どうするか。また日を改めて面接を希望するか、、それとも一度は断ってしまったが頭を下げて児童相談所に登録をお願いするか。一度断っておきながら民間が落ちましたのでお願いしますというのはあまりに勝手。バツも悪い。かといって民間のほうも何が悪いのか正直よくわからない。だからまた受けてもダメなんじゃ?という気持ちになる。でも とにかく2週間待ってみようということになった。翌日速達郵便が届く。中には会の育ての親登録申し込み用紙!!!!ほっぺをつねった。涙が溢れて二人で抱き合った。合格!?合格だったんだ!!ええ~~?なんで?なんで?でも嬉しくてたまらない。今思うと 私は不妊治療中一度も妊娠の陽性反応を見たことがなかったのだがもし陽性がでたら こういう嬉しさなのかもと思った。子供を持てる微かな希望が見えたのだから。
2006.03.02
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oさん夫婦に家庭訪問があってすぐもう一組の夫婦 Yさん夫婦にも家庭訪問の連絡がきた。うわ~~いいなぁ。うちもすぐかなぁ?とめいっぱい期待する。そうするうちYさん夫婦も子供を迎えることになった。5ヶ月の女の子。とても可愛い写真がメールされてくる。しかし うちにはまだ家庭訪問の連絡はない、、、、毎日毎日 電話の前に座り込んで電話を待つ。、、、、かかってこない(;;)全員が全員子供を迎えられるわけじゃない。そのことが頭をよぎる。うちはダメなのか?なんで?研修のことを思いだす。なにか研修でダメだと思われるようなことしたかな?いも(旦那)が無口なタイプで他のご夫婦の旦那さんのようにぱきぱきとは喋られなかった。それがマイナスだった?うちら夫婦は未熟だと思われた?悪いことばかり頭をかすめる。いも(旦那)とも毎晩討論になる。「うちらダメなんじゃん?」「なにが悪かったよ。」「あんたが喋らんからでしょ。」「終わったこと言ってもしょうがない。」同じ話を何度もする。でも やっぱ電話はかかってこない。Oさん夫婦が子供を迎えてから一月半以上たってもうちには家庭訪問の連絡はなかった、、。
2006.03.14
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ぷー太を迎えて半月くらいした頃いも(旦那)の両親がやってきた。二人は初めて見る初孫の顔に終始顔がほころびっぱなし。迎える前にあんなに心配していたこともぷー太の顔をみると全て吹っ飛んでしまったのかもしれない。ぷー太の笑顔は皆にも笑顔をくれる。公園で全く知らない人にまで「うちの初孫なんです~」とぷー太を見せびらかす母(笑)その翌日いも(旦那)の祖父母、、ぷー太にとってはひいおじいちゃん おばあちゃんになる人に会いにいこうということになった。ここで問題がひとつ。ぷー太のことを何て話そうか。80歳を超えた老人に真実を話してショックを与えるより普通に生まれましたって言ったほうがいいのでは?と考えたりいや、、それだと何故子供が3ヶ月になるまで報告しなかったのかという問題もおきるし、万が一バレたらそのほうが問題が大きくならないか?、、と散々両親とも話し合い結局正直に話すことになった。
2006.03.30
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祖父母に会いにいった。真実を話すと決めていたが内心はドキドキだった。私はあちらのおじいさん おばあさんに会うのは結婚式以来だが特におじいさんは 少し頑固な方と聞いていて まともに話したことはなかった。お久しぶりですと私達に両親 それと母の妹、、叔母夫婦も一緒に祖父母の家を訪ねた。祖母はぷー太を見るなりあらあらあらあら~と嬉しいそうな顔になった。そして「今何ヶ月なの?どうして生まれたときすぐに連絡してくれないの?、、いえ もっと前妊娠したときに教えてくれないの?」と聞かれた。ここが話すときだと思い両親が事情を説明してくれた。いも(旦那)も一緒に話してくれた。祖父母の反応は?!ドキドキすると意外にも祖父は「そんなことは関係ない。子供に罪はない」と ぷー太を抱き上げてくれた。私はすごく感激したのと同時に前日 ぷー太のことを誤魔化そうかと考えた自分を恥ずかしく思った。こんなに自然に受け止めてくれた周りに感謝した。その夜は近所の店で宴会になった。両親も叔母たちも ぷー太を知らない客に自慢しまくりの迷惑(--=)今 祖父の家にはぷー太の写真が飾ってあると両親から伝え聞いた。
2006.03.30
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ぷー太を迎えて2ヶ月した頃今度は私の親がやってきた。母はともかく父は子供を迎えることにあまり賛成ではなかったので少し心配だった。当日 いも(旦那)は仕事だったので私とぷー太で両親を新幹線の改札口で待った。ぷー太は5ヶ月と半だった。ベビーカーのハンドルを持ってドキドキしながら待つ。両親の乗った新幹線が着き二人が改札に現れた。私を見つけると嬉しそうに手を振った。ぷー太を見るともっと嬉しそうな顔になって「この子?かわいい子じゃない」とすぐに抱っこ。その後ランドマークタワーに行ったり中華街に行ったりしたが両親はずっと ぷー太を取り合うようにして写真を撮りまくっている(笑)、、、心配して損した(笑)
2006.03.31
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子育て研修最終日。午前中で終える。今日このままぷー太は わが家へ帰るのだ。これから3ヶ月 会の試験期間になる。3ヶ月一緒に暮らして大丈夫となると本格的に委託 特別養子縁組の申請となるのだ。ただ、、もしそれまでの間に産みのお母さんが やっぱり育てますということになれば返さなければならない(><)そういう念書にもサインをした。(したくはなかったけど サインしなければ 子供は渡してもらえない)3日過ごして この時点ですでに絶対手放せない!!って気持ちになっている。いや、、3日過ごしてじゃなくきっとあの出会ったときから絶対返せないのだ。昼前に施設の方に挨拶をして帰途につく。外は雨。買ったばかりのベビーカーにぷー太を大事に大事に乗せ、寒くないように服を着せてベビーカー用のカッパをかける。慣れない手つきでベビーカーを押しながら電車を乗り継ぐ。自分がベビーカーを押す日が来ようとは、、、。周りの視線や何もかもがくすぐったく感じられた。家につくと中にはいらず そのまま近所のショッピングセンターのベビー用品売り場へ直行。大買い物(^^;)布団 オムツ ミルク おしりふき ゴミ箱服 下着 とにかくすごい。店の人も何事か?というようにあっけにとられている(^^;)たぶん普通は妊娠中に少しずつそろえるのでここまでまとめ買いはしないんだろうな。タクシーのトランクからはみ出しそうなくらい買いまくった(笑)そしてやっと家。「ただいま!今日からここが ぷー太の家ですよ」3人で一緒に家に入る。これから本当に3人家族の生活がはじまるのだ。お父さんと お母さんと ぷー太♪
2006.03.26
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ぷー太 中学校卒業しましたー!!来賓、在校生なしの希望縮小でしたが、式をやっていただけた事に感謝です。15年 あっという間ですね。昨日は 15年前ぷー太を迎えに行った日でした。4月からは高校生です(≧▽≦)
2020.03.27
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ずーっと連絡がないままの日が続きこのごろの私はかなり焦ってました。一日中 鳴らない電話の前で電話が鳴るのを待ち続けいも(旦那)が帰ってくると今日も何もなかったと愚痴ぐち、、(><)たまに同期の奥さんと電話。「今子供がいないだけだよ。大丈夫。絶対子供は来るって」などと 励ましてもらう。不妊治療をしている頃先に妊娠していった仲間が私を励まそうと思って「私も妊娠できたんだから 大丈夫絶対 まぐだって妊娠できるよ!」と言ってくれたことが何度もあった。だけど 全く治療の結果の出ない毎日を送っている自分にはそれを素直に受け止めることはできず「なんで絶対っていえるの?医者でもないくせに!自分が妊娠できたから言えるんでしょ人事だと思って!神様じゃないんだから絶対なんてわからないじゃん」って思ってました(--;)もはや 絶対~できる って言葉は勝者だからこそ言える言葉で自分にとっては聞きたくない言葉ランクNo.1でした。そのときと同じように同期の奥さんに「絶対子供はくる」と言われるとやっぱりそれは自分達はすでに子供を迎えているから言える台詞で今だ家庭訪問さえ連絡のない自分達には 何の慰めにもならない。今思うとこんなこと考えいるから尚 子供がこなかったんじゃ?と思う(^^;)でも 不妊とか経験した人にはわかってもらえると思うけど自分でも自分が嫌になるくらいかなり追い詰められているのだ。そして連絡のないまま会のシンポジウムがありそれに参加することにした。
2006.03.17
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ぷー太 高校卒業しました!なんか本当にあっという間ですね。4月からは大学生今は暇な時間を使って自動車学校行ってますwww仮免がそろそろかなwww頑張れーw
2023.03.10
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