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サテンの夜(邦題) ムーディ・ブルース Moody Blues - Nights in White Satin ムーディ・ブルースは1964年にデビューしたイギリスのプログレッシブ・ロック・バンド。世代的にはビートルズと同時代に活躍しました。ロック黎明期に誕生した古参バンドのひとつである。 1967年頃のメンバー交代からメロトロンやシンセサイザーなどの電子楽器を駆使した前衛的な音楽性に変わっていきます。 1967年に発売されたシングル「サテンの夜」は、発売当時は全英19位のヒットでしたが、1972年にラジオ局から人気に火がつき、全英9位・全米2位・カナダ1位の大ヒットを記録し、彼らの代表曲となりました。 かつてジミー・ペイジは「本当にプログレッシブなバンドは、ピンク・フロイドとムーディー・ブルースだけだ」と語っていた。(以上 ほぼ引用) ムーディ・ブルースの世界的にシングルヒットした代表曲が「サテンの夜」です。ジャンル的に競合したピンク・フロイドのほうが日本ではよく知られています。前衛的ですので高尚な曲も多く難解です。 日本ではシングル曲の「サテンの夜」とアルバム「童夢」以外はあまりポピュラーではありませんでした。 しかし、半世紀が経った今、シングル曲「サテンの夜」は不滅のロックスタンダード曲とも言えるでしょう。 欧米では美しいメロディラインが好評で歌曲としても他のアーチスト達に取り上げられて歌われています。
2017.07.19
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クスコはドイツ出身のマイケル・ホルムとクリスチャン・シュルツの2人を中心とするユニット。結成が1979年。2011年に活動終了?シンセサイザーを中心としたインストゥルメンタル曲を手がけています。80~90年代はテレビ番組の挿入曲でも頻繁に使われていたそうです。さて、今年の梅雨は未だ明けてはいませんが、関東には雨らしい雨は少なく、温暖化の影響で雨が降っても局所的に短期間の豪雨が特徴ですので水源地には降らず今後の水不足が心配されています。 今年の梅雨はいわゆる梅雨どきの鬱陶しさとジメジメした憂鬱で心が曇りがちのイメージを想像しますが従来の季節感とはかなり乖離したものとなっています。 天気予報では2017年の夏は全国的にも記録的な猛暑が心配されていますので、クスコを聴いて涼んでみてはいかがでしょうか?個人的な感想ですがどの曲も暑い夏の季節に適した曲想です。クスコはどの作品もシンセサイザーを駆使した笛系のノスタルジーのある曲調が多いです。 クスコ(演奏) 北海道(曲名) Music by CUSCO - Hokkaido 今年の北海道は暑そう?そんなことを言うと観光に影響が??営業妨害になりそうですが。そうはいっても、やはり北海道は一年中、日本観光の王様でしょう。動画は少しイメージが違うような気もしますがまずは音楽を楽しんでください。この曲はクスコの中で一番好きな曲です。Cusco - Alcatraz 1981年デザート・アイランド _ クスコ(演奏) Desert Island _CUSCO クスコの代表曲 クスコの名前を最初に有名にしました。Cusco - Galapagos クスコ(演奏) ガラパゴス(曲名)
2017.07.13
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Nana Mouskouri ナナ・ムスクーリ 世界的に有名なギリシャ人の歌手。政治家としても活動。1934年10月13日、クレタ島に生まれた。世界中で230以上のゴールドおよびプラチナディスクを記録している。世界で最も、レコードの売り上げが多い歌手の一人であり、その売り上げ枚数は、2億3000枚以上ともいわれる。【Plaisir d'amour(愛の歓び、1971年) Nana Mouskouri ナナ・ムスクーリ】原曲はシャンソン。18世紀フランス歌曲 「愛の喜び それは一瞬の輝き 愛の苦しみ それは一生の痛み」 愛を失った男の一生消えない心の傷を歌った18世紀のフランス歌曲「愛の喜び Plaisir d'amor」。 フランスの詩人ジャン・ピエール・クラリスJean-Pierre Claris de Florian(1755-1794)の詩に、作曲家ジャン・ポール・マルティーニが曲をつけた作品。エルヴィス・プレスリー1961年「好きにならずにいられない(Can't Help Falling in Love)」もその一つ。(ほぼ引用)一度聴けば必ず虜になる作品です。超おすすめ!
2017.07.05
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【Joan Baez The Green Green Grass Of Home ジョン・バエズ 思い出のグリーングラス(邦題)】 ジョン・バエズはフォークソングの女王と呼ばれ、世界的60年代フォークソングブームの代表的な歌手です。ニューヨーク州スタテン島出身メキシコ系アメリカ人。1941年生まれ。公民権運動と反戦活動へ影響を及ぼしました。 思い出のグリーングラスは日本ではトム・ジョーンズの世界的大ヒットで知られています。 遠いふるさとを思う望郷の心情を切々と歌っています。懐かしい故郷に帰ったら両親や恋人が昔と変わらずに迎えてくれた姿を描いていますが、しかしそれは夢の中、夢から覚めたら監獄の中に囚人となって自分がいたという詩です。 多くの男性にとって家庭はまさに鎖に繋がれて監獄に入れられているようなものでしょう。さぞかし辛い身の上。 そんな思いを時々感じる昨今のみなさまに、自らを慰める思いで鑑賞に浸りながら聴くと、より心に響くことでしょう。 奥様は厳しい看守さま。一切の反抗はできません。あなたはそれに耐える従順な囚人。 そんな感傷的なカントリーソングです。因みに大好きな曲のひとつです。
2017.07.04
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ビートルズ後のツアー公演ではジョージ・ハリソンはこの曲をビートルズ時代と比較してよりブルース感溢れる歌い方と演奏をしています。 ジョージ・ハリソンにとってはビートルズ解散後で一番お気に入りの曲だったように感じられます。 亡くなったジョージ・ハリソンの追悼公演ではエリック・クラプトンのギターと歌を中心にビートルズのポールやリンゴがワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスを最後の曲としてご子息と共に演奏されました。 間奏をブルースギター奏法で弾くクラプトンの圧巻の演奏がジョージハリソンを亡くした悲しみが波浪のように寄せてきます。 Eric Clapton - While my guitar gently weeps (Concert for George) エリック・クラプトンーワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(追悼ライブ) クラプトンとポール・マッカートニー、リンゴスターなど 追悼公演で親友のクラプトンのギターが咽び泣く。心の中で泣いている圧巻の演奏。注釈:ダニー・ハリソン(子息)以下引用> 2001年11月29日に癌にて父・ジョージが死去。父の死後、制作途中の最後のアルバム『ブレインウォッシュド』をプロデューサーであるジェフ・リンと協力して編集し直し完成させた。 一周忌にあたる2002年11月29日にジョージの追悼ライブイベント「コンサート・フォー・ジョージ」を開催し、元ビートルズのポール・マッカートニー、リンゴ・スター、ジョージの親友だったエリック・クラプトンなど多数が出演する。
2016.10.25
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サンタナ、まだまだ頑張っています。現在でも変わらず世界のトップランナーです。いや、ますます輝き続けているのです。 ロッド・スチュワート、クラプトンなど他のアーチストとも数多く共演して素晴らしいギターワークを聴かせています。 この曲は勿論、ビートルズの代表曲のひとつです。ジョージ・ハリソンの作品です。ビートルズ解散後にジョージ・ハリソンがエリック・クラプトンと組んでツアー公演をしている映像にはこの曲が数多く残されています。ふたりにとってもとても気に入った曲なのでしょう。実際にジョージ・ハリソンの追悼公演にはこの曲が演奏されました。とても圧巻でした。 ついにサンタナも数年前にワイル・マイ・ギター・ウィープスをCD化にしてリリース。 ビートルズの曲は死ぬほど聴きましたが、現在は自分でも驚いたことに、当時は大したファンではなかったジョージ・ハリソンの曲が中心です。 サンタナが女性ボーカリストと共演したこちらの曲。驚いたのはクラシック界で著名な中国人のチェリスト。ヨーヨーマも共演していたことに驚きました。 こちらの動画には鏡に一瞬映りましたが曲のイントロの部分を演奏しているヨー・ヨー・マが映っています。正直少し浮いているかんじがします… 女性ボーカリストはIndie.Arieです。 サンタナは数年前にMichelle Branchと共演た曲が世界的に大ヒットしたことに気を良くしたのでしょうかその後に女性ボーカルと組むのが多いように感じられました。 CD化はされているのかどうかは知りませんが昔の「ブラックマジックウーマン」などでも alicia keysという女性ボーカルリストと共演をした演奏はブルージーな雰囲気でカッコ良いです。 Santana - "While My Guitar Gently Weeps" サンタナ演奏のワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
2016.10.22
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あの80年代に大ヒットした猫集団『なめ猫』が、バンドを結成してリバイバル!? 懐かしく、そして可愛すぎなプロモーションビデオが公開されました。曲名は「ランニャー」…これはきっとあの曲のオマージュに違いない。 なめ猫ブームをプロジュースしたというか制作した方は今では大金持ちという身の上らしい? うらめしいというのか羨ましい限りです。 この「ランニャー」という曲は、ご存知かってサンプラザ中野がボーカルをとったロックグループ「爆風スランプ」が1988年リリースの大ヒット曲「ランナー」をイメージしている。 爆風スランプの「ランナー」懐かしい。アップテンポの元気になる曲です。ヒットは1989年?バブル最盛期の時代でしょうか? ランニャー(タイトル名) なめ猫バンド(歌ーアーチスト) Runner /爆風スランプ BAKUFU-SLUMP 80年代の音楽番組より
2016.10.21
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秋は別名「芸術の秋」とも言います。一部の人には「食欲の秋」何でも美味しく食べられます。 夏の暑さで深い睡眠ができなかったのでしょうか?最近の寒さが寝むるには心地よく、このままあの世に行ってしまうのではないかと思うほどやたら深く眠れます。(笑) 秋の夜長はクラシックムードで バイオリンがいいですね。 ディビッド・ギャレットの演奏が最高。トマゾ・アルビノニー作曲の「アダージョ」は5分程度、シューベルトの「セレナーデ」は1分40秒David Garrett -Tomaso Albinoni - Adagio - Berlin 08.06.2010 ディビッド・ギャレット(演奏) アダージョ(タイトル) Tomaso Albinoni(トマゾ・アルビノニー)イタリアのバロック時代の作曲家。 ロックのドアーズも過去に器楽演奏でリリース。洋楽では沢山の歌姫がこの曲を取り上げています。David Garrett Serenade Schubert ディビッド・ギャレット(演奏) シューベルトのセレナーデ
2016.10.14
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ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞! 今年もノーベル文学賞は村上さんではなかった。しかし、驚いたことに2016年のノーベル文学賞はあのボブ・ディラン(75)が受賞。ミネソタ大学を中退して1962年デビュー。アルバムの総売り上げは世界で1億枚。 日経新聞の記事を引用すれば、スウェーデン・アカデミーは13日、2016年のノーベル文学賞を米国のシンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏(75)に授与すると発表した。歌手の同賞受賞は初めて。スウェーデン・アカデミーは授賞理由を「偉大なアメリカの歌の伝統のなかで、新たな詩的表現を創造した」と説明した。音楽表現が文学賞の対象とされた点で画期的といえる。 「タイム・アウト・オブ・マインド」(97年)でグラミー賞最優秀アルバム賞、08年にピュリツァー賞の特別賞を受賞。12年にはオバマ米大統領から文民最高位の「大統領自由勲章」を授与された。>引用了 ボブ・ディランの受賞は言わば、60年代の世界的なフォークソングブームの結実と言えるでしょう。 Bob Dylan - Like a Rolling Stone ライク・ア・ローリングストーン ボブ・ディラン(歌) 音楽的には一番好きです。オルガンのアレンジが素晴らしく、この曲を録音する時に立ち会った、のちのブラッド・スェット&ティアーズの創始者になるアル・クーパーが飛び入りしてオルガンを即興的にひいて名演奏・名曲を作り上げた。ボブ・ディランの最高傑作。新しい「フォーク・ロック」の誕生となった。Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963) 風に吹かれて(邦題) ボブ・ディラン誰もが知っていたフォークソングの代名詞的な曲。Mr. Tambourine Man (Live at the Newport Folk Festival. 1964) ミスター・タンブリンマン ボブ・ディラン
2016.10.13
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秋にはシャンソンの名曲を聴こう!シャルル・アズナブールの「イザベル」 イザベルは1964年アズナブールの作詞作曲。日本で大ヒットしましたが本国のフランスではヒットしませんでした。アズナブールはエディト・ピアフに認められたことがきっかけとなり世に出ました。 日本のシャンソン人気は40年代~70年代前半が特に目立っていたと思われます。 現在はどちらかと言えば一時の爆発的な人気はなく一見マイナーに見えますが、いまだに衰えることなくアダルト中心に根強い人気があります。本場フランスとは異なる独自の発展を遂げているそうです。(日本はシャンソンまでガラパゴス) 国内の60年代は越路吹雪、岸洋子を始めとして日本人で有名なシャンソン歌手を沢山輩出できました。しかしながら、現在はなかなか代表的で著名なシャンソン歌手は出現していないように見えます。 Charles Aznavour chante Isabelle 1995 シャルル・アズナブール(歌) イザベル(タイトル) アズナブール70歳のときカーネギー・ホール Carnegie Hall (1995年)の収録。 Charles Aznavour, Daughter and Granddaughter singing "Hier Encore"シャルル・アズナブール、娘と孫娘(歌) 「帰り来ぬ青春(邦題)」 「帰り来ぬ青春」Yesterday i when was young (英語タイトル)はシャーリー・バッシーの歌で知られていますが、シャルル・アズナブールが作詞・作曲した曲です。Hier Encoreがフランス語のタイトル この動画は珍しく娘さんと孫娘と共に歌ったものです。とても良い出来なのでアップしました。アズナブールの声もとても素晴らしい出来です。高齢になってからの声の方が素晴らしい。 今年(2016年)6月に東京で来日公演を行った模様です。年齢は何と92歳。ホントかなぁ?
2016.10.10
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秋にはジャズを聴こう! モダンジャズの帝王・マイルス・ディビスの「枯葉」 アルバム『サムシン・エルス』より ジャズ史上最も名高いマイルスの「枯葉」。 とかく難しいことでも有名なマイルス・デイビスですが、 この枯葉はとても聴きやすくて誰でも好きになる名演奏です。原曲は誰もが知っている1940~1950代のシャンソンのスタンダードの名曲「枯葉」です。映画の挿入曲としてイブ・モンタンが歌い、女性シャンソン歌手ジュリエット・グレコによって世界的に広めた。 マイルス・ディビスは本名マイルス・デューイ・デイヴィス三世、アメリカ合衆国のジャズトランペット奏者。 この当時、シャンソン歌手のジュリエット・グレコと熱愛中だったそうです?やはりトランペットに身の入れ方が違います。愛は芸術のために必要なもの。不倫が芸術を作るとおっしゃった御仁もいらっしゃいますが勇気ある発言でした。(その後、あえ無くお詫びと訂正) 日本人よ目覚めよ!常識ある生き方では大した芸術などできないということを科学的に実証??? この曲は『サムシン・エルス』(Somethin' Else )の中の一曲、キャノンボール・アダレイが1958年に発表したアルバムした。アルバムの名義はアダレイだが、実質的にはトランペットのマイルスが主導した作品。ブルーノート・レーベルからリリース。 マイルス・デイビスの名演奏は他に「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」「マイルストーン」「死刑台のエレベーター」「ソーホワット」「マイファニー・バレンタイン」など Autumn Leaves - Miles Davis マイルス・ディビス「枯葉」
2016.10.09
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The Royal Teens の「Short Shorts」 ショート・ショーツ(タイトル曲) ザ・ロイヤル・ティーンズ(歌) この曲は、アメリカのロックバンド、ザ・ロイヤル・ティーンズ(The Royal Teens)のヒット曲『Short Shorts』(ショートショーツ)。なんと1958年に全米チャートで3位に入ったという有名な逸品です。 Short Shorts はデビューアルバムを制作している際のセッションで生まれた曲であり、セッション用として使用されましたが1958年にアメリカでシングルリリースしてヒットしました。 主に日本で知られたのはテレ朝の深夜番組「タモリ倶楽部」の番組タイトル曲として使われたことがきっかけです。オープニング・エンディング曲. The Royal Teens 「Short Shorts」 タモリが司会を務める深夜バラエティ番組「タモリ倶楽部」は、「笑っていいとも」と同様に 30年以上続く。日本を代表する一流テレビ局・テレビ朝日が制作するタモリの代表的な長寿番組であります。 セカンドタイトルには流浪の旅番組として銘打ったスタジオ外での収録が主です。 空耳アワーやタモリ電車クラブ、廃盤アワー 、東京トワイライトゾーンなどユニークな企画も次々と生まれ、深夜番組として名物的な番組となりました。 Teacher's Pet ~~~ Doris Day 邦題:先生のお気に入り(ドリス・ディ) 1958年リリース、世界的大ヒット。映画の挿入曲。ドリス・ディは当時最高の人気女優であり歌手としても世界的に知られていました。小生としては大好きな女優さんのひとりです。現在でもCMにたびたび登場するなど大ヒットした「ケセラセラ」でも知られています。 今思い起こすと当時の洋画にはコメディタッチの映画・ドラマが非常に多かった時代といった印象でした。4万年前から進化した現人類には、まだまだ夢があった時代ですね。個人的にはこの時代の映画が最高。 The Paris Sisters "Dream Lover" ドリーム・ラバー(パリス・シスターズ) 「ドリーム・ラバー」はボビー・ダーリンの代表曲として全米で大ヒットした曲です。 ほぼ同時代に競作・カバー?したのがパリス・シスターズ。この曲の競作は多い。日本では一般的に知られていませんが米国内ではオールディズの代表曲。 パリス・シスターズが歌ったこの曲はボビー・ダーリンのものとは趣向が異なるスローダウンされた大人のムードたっぷりの曲に仕上がっています。押す薦めです。 パリス・シスターズはラジオ深夜放送全盛の時代にモコ・オリーブ・ビバーが邦題:「忘れたいのに 」(I Love How You Love Me)を歌いスマッシュヒットさせました。そのオリジナル曲を歌ったグループです。
2016.10.08
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引用> アドロ(Adoro)は、メキシコのラテンの曲。アドロはメキシコのアルマンド・マンサネーロ(ArmandoManzanero)が作詞作曲した曲で、1967年発表。アルマンド・マンサネーロは、1935年生まれで、作曲家および歌手としても活躍して、「アドロ」の他、「ソモス・ノビオス」が有名である。原詩は、スペイン語である。メロディーについては認知度はかなり高いが、歌の存在や題名については知らない人もかなりいる。 日本では1971年に、毬まどか作詞で、アルゼンチン出身の歌手、グラシェラ・スサーナの歌で、日本で知れ渡る。1972年のフジテレビのドラマ「光る海」の主題曲として、使用される。>引用 了 今回、「アドロ」で紹介します動画は、 コロンビアの連続テレビ ドラマ「iマリアッチの娘」La Hija Del Mariach (2006-2008)の歌のいち場面です。ヒロインのロザリオRosarioが歌う「アドロ」Adoroです。 ヒロインのロザリオ グエレロRosario Guerreroを演じているのはコロンビア出身の女優・カロリナ・ラミレス・キンテロ(Carolina・Ramírez・quintero)です。 以前紹介しましたメキシコ出身で米国の国民的大歌手ビッキー・カーVikki Carrが歌うアドロも素晴らしいのですが、現在は彼女のアドロがネット上では一番人気かもしれません。 あちらではソープオペラと呼ばれテレビドラマの中で歌われた一曲です。ソープオペラとは、日本でいえば昼メロ(昼メロドラマ)、昼ドラをさします。因みに日本の男性が大好きな秘密の花園「ソープランド」ではありません。 米国で放送されたテレビの奥様向け昼メロドラマの提供会社に洗剤メーカーが多かったことから米国だけでなく中南米でも昼メロをソープオペラと呼ぶようになりました。(日本でいえば花王でしょうか?) 3、4年前から知っていたので歌手としての他の活躍を調べてみたのですが、スペイン語が分らずなかなか彼女の名前を発見できませんでした。やっと検索できたら残念ながら彼女はどうやら歌手ではないらしいのです。又、カロリナ・ラミレスと言う名前は中南米では多いようです? 女優兼ダンサーという経歴で、歌手としてはリストアップされていませんでした。そんなこともありアテレコと疑いましたが、他の動画でも歌っていましたのでそうでもなさそうです? 少し荒削りですがハスキーな味のある歌でとても気に入っています。歌手になるという選択肢はないようですね。 Amazonネットショップでこの曲を購入しようとしましたがドラマの中で歌われた他の曲はありましたが何故か彼女の歌うこの曲のCDやmp3はありませんでした。仕方がないので他の方法を使いオーディオで聴いています。 追記>公式的にはLa hija del mariachのi"Adoro"は同じコロンビア人の歌手であるAdriana Bottinaさんのクレジットがありました。そうなると映画の動画はアテレコということになります。実際、以前の動画(映画)は消去され現在はLa hija del mariachiのAdoroはAdriana Bottinaさんの動画で占められています。 La Hija Del Mariachi - Rosario Canta "Adoro"「マリアッチの娘」からヒロイン・ロザリオが歌う(カロリナ・ラミレス)- アドロ(タイトル ) 動画はYoutubeのロゴをクリックしてYoutubeからご覧下さい。 Adoro - Placido Domingo アドロ(タイトル) プラシード・ドミンゴ(歌) オペラ歌手の中で一番の好きな歌手はプラシード・ドミンゴです。声が日本人の耳にはよくあっていると思います。ポール・ポッツの声も日本人が好きな声ですね。 プラシド・ドミンゴが歌いあげるアドロは迫力があって絶品です。超オススメ。 アドロは日本ではフランク・プールセル楽団など演奏のイントゥルメンタル曲とグラシェラ・スサーナの歌で知られています。
2016.10.05
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I Will Always Love You" Linda Ronstadt オールウェイズ・ラブ・ユー リンダ・ロンシュタット(歌) オール・ウェイズ・ラブ・ユーのオリジナルはカントリーシンガーでシンガー・ソングライターのドリー・パートンDolly Partonです。1974年にドリー・パートンが作詞作曲してリリースしました。当時のカントリーチャートで全米1位です。 この曲が日本で知られたのはR&Bシンガーのホイットニー・ヒューストンWhitney Houstonが映画「ボディガード」の中で歌い世界的な大ヒット曲になりました。 因みにリンダもカントリーシンガー出身だったと思います。個人的にはホイットニーが歌ったものより昔からオリジナルのドリーの方が好きです。そしてリンダも素直な本当にいい味をだしていると思います。 作者のドリー・パートンは歌手だけでなく、ソングライターそして女優としても有名ですが事業家としても米国では有名です。元々は誰にでも愛されるキャラでしたが、今ではやり手の女性として米国内で広く知られています。 若い頃のドリー・パートンは童顔のセクシーで胸の大きいデカパイの少しお馬鹿キャラで知られていましたが、中身は全然違っていたようですね。 君子は爪を隠すでしょうか? 以前から、リンダとドリーはエミルー・ハリスを加えた三人組でザ・トリオ「the trio」という名前で1987年と1999年にアルバムを発売した女性カントリーシンガーの仲間たちです。 Linda Ronstadt "You're No Good" 悪いあなた(邦題) リンダ・ロンシュタット(歌) 1975年リリース。リンダが世に知られたのは得意なバラードよりはリズミカルな曲からだったと思いますが、オリジナルは60年代の女性歌手ディ・ディ・ワーウィックの曲。時を経てカバーをしたリンダの曲が大ヒットしました。リンダの特徴を生かしたアメリカ人好みの編曲です。ドライブ感のある乗りの良い出来になっています。短い曲ですが難しい曲をうまく歌っているのは流石です。 リンダ・ロンシュタットはバラード、R&B、ロック、カントリーなど何でも歌える歌手です。それが幸いして彼女の作品は圧倒的にカバー曲が多いです。ヒットした曲の大部分がカバーしたものです。これは他人の作品を見る目が大変に優れているのでしょう。 (余談ですがオールディズの時代には英国の歌手・ダスティスプリングフィールドも多くのヨーロッパの曲をカバーして、その作品が米国で再評価され世界的に大ヒットさせています) 昔から日本ではなかなかカバー曲を評価してもらえる環境ではありませんでした。それが近年カバー曲だけを扱ったアルバムが大変に増えました。これは良いことだと思います。 埋もれていた曲や新たな編曲と新たな歌手によって新しい命が吹き込めたら素晴らしいことだと思います。 個人的にはニューミュージックの時代・活躍されたシンガー・ソングライターの高木麻早や尾崎亜美などの作品が評価されてカバーされてもよいと思うんですが…どうでしょうか? 古いですか?(笑) 因みにオリジナルの女性歌手は一時代を築いたグラミー賞歌手のディウォンヌ・ワーイックDionne Warwickの妹でディ・ディ・ワーウィック Dee Dee Warwickです。つまり故ホイットニー・ヒューストンの従妹ということです。 ディ・ディ・ワーイックは当然と言えば当然でしょうが姉のディウォンヌに顔の特徴が似ている上に声もとてもよく似ています。 さらに展開しますと、ホイットニー・ヒューストンの御母さんは歌手のシーシー・ヒューストンCISSY HOUSTONです。つまりディ・ディの叔母です。そしてホイットニーの旦那がボビー・ブランウン。凄い相関図です。
2016.09.29
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お久しぶりです。 少し再開させていただきます。今回も数回程度の更新でまた長期休止といった状況になるかもしれませんが… 1年近く更新していませんでした。その期間、毎日平均してアクセス数が200程度ありました。想像以上に多い数です。1年の更新無しで、このアクセス数は本当なのか?未だに少々疑っています。 楽天ブログサイトをアクセス数増加のためにボットが人知れずに周回しているのでしょうか?そんな想像をしてしまいます。 しかし、最近はスマホでブログが見られるのでこのブログも見ていただける機会が増えたのかもしれません。ここは少しプラス思考に考えることにします。 好評でしたアメリカン・オールディズはやはり、このあと数回で恐らくネタ切れになるでしょう。 アメリカン・オールディズは150曲前後という予想以上の数の曲を紹介できました。アメリカで定義されるオールディズのルールは1950年代~1965年までです。当ブログで紹介できたのは圧倒的に1960年代前半が多かったと思います。また、プレスリーやビートルズなど超大物は除外というルールを決めて行いました。が、実際はかなりルーズな内容の選考でした。 さて、本日の「今日聴いた音楽」はリンダ・ロンシュタットです。 リンダ・ロンシュタットは、アメリカ合衆国アリゾナ州ツーソン出身の歌手、ミュージシャンです。活動期間は1967年~2011年。アメリカを代表する国民的歌手。リリースした曲の多くはオリジナルよりカバー曲の方が多かったと思います。Linda Ronstadt with Nelson Riddles band-Desperado リンダ・ロンシュタット(歌) ディスペラード(ならず者) ご存じ、イーグルスのバラードの名曲。イーグルスでは発売当時、シングルカットされませんでしたが、リンダやカーペンターズがカバーしてから注目されました。この「ディスペラード」の動画はネルソン・ライダースのストリングスが入ったものです。バラードなのでストリングスが入ったものは本当に心に染みます。しっとりと歌うリンダの姿に涙。現在はパーキンソン病を患ったことが原因で2011年に引退しているリンダ・ロンシュタット、その身体が心配です。まだまだ現役で歌って欲しかったと思っているファンは多かったことでしょう。 Linda Ronstadt - Long Long Time リンダ・ロンシュタット(歌) ロング・ロング・タイム 秋の夜長にこの曲を聴くとぐっと来ます。最近はステレオで毎日のように何度も聴いています。聴けば聴くほど味のある良い曲です。1970年リリースの古い曲ですが、この「ロング・ロング・タイム」を知ったのはつい最近です。 尤もリンダ・ロンシュタットの名前は昔から知ってはいてもあまり聴いたことはなかったのが正直なところです。知っていた曲はイッツ・ソー・イージー位ですかね。ですがYoutubeで探してみるととてもいい曲がたくさん。リンダのバラードがいい。Youtube万歳、感謝。
2016.09.23
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【Sukiyaki スキヤキ- 上を向いて歩こう (Kyū Sakamoto, 坂本 九)】 アメリカン・オールディズの中で唯一の日本人歌手が登場。以前、エミー・ジャクソンの「涙の太陽」を紹介しましたが全米・ビルボードなどにはノミネートされてはいない日本・国内向けのみの曲です。 米国名の「スキヤキ」は作詞が永六輔、作曲は中村八大[作詞作曲すべて日本人の手によって作られ日本人の歌手「坂本九」によって初めてアメリカで大ヒットさせた唯一の曲です。 戦後70年近く経ちますがそれ以来アメリカの音楽業界を席捲した日本人歌手による大ヒット曲は出ていません。1961年日本国内で発売。1963年アメリカでビルボード誌1位。年間通算10位の大偉業。 さらにアメリカではこの曲のカヴァ曲がそれぞれの時代に合ったアレンジを変えながらアメリカ人歌手によって歌われて何度もヒットさせています。その意味では「上を向いて歩こう」は国内よりも海外の方が評価が高いかもしれません。 【Debbie Reynolds - Tammy タミー デビー・レイノルズ(歌)】 1957年のユニバーサルのロマンチックコメディ映画「タミーとバチュラー」(Tammy and the Bachelor)の主題歌、劇中歌として作られ、アメリカでは映画以上の全米ヒット ...デビー・レイノルズ(Debbie Reynolds、[- rénəldz]、1932年4月1日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州エルパソ出身の女優、 ... その2年後、ジーン・ケリーのミュージカル『雨に唄えば』に抜擢され、一躍スターとなった。<以上引用【Paul Anka - You Are My Destiny (1963 Version) 君は我が運命(さだめ) ポール・アンカ】 1958年リリース。世界的なヒットに当時ポール・アンカ17歳。 1957年の16歳の時に『ダイアナ』の世界的な大ヒットで人気歌手の仲間入り。以後、約2ヶ月に1曲のペースでヒット曲を ... 58年の春に発表された作品がこの『君はわが運命(さだめ)』である。 2002年のドラマ「ゴールデンボウル」の主題歌に「君は我が運命」が起用されました。
2015.11.06
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【 Paul Anka - Put Your Head On My Shoulder (1963 Version) 肩にほほをうずめて ポール・アンカ】 1959年全米第2位カナダのシンガー、ポール・アンカのヒット曲です。日本では弘田三枝子さんもカバーしているなどとても有名な曲です。ポールアンカは当時の日本でも年齢差なく大スターとして知られています。今でいえば同じカナダ出身のジャスティン・ビーバー(Justin Drew Bieber)のような存在ですが、ビーバーは若い人だけにファンが多く限られています。しかしポール・アンカは遠い極東の日本国民にも遍く知られた憧れの世界的な大シンガーでした。【 Susan Maughan Make Him Mine スーザン・モーガン(モーン) メイク・ヒム・マイン】 1965年発表? 「ボビーに首ったけ」のカバーでヒットさせているスーザン・モーン、1962年にはオリジナルの「涙のハンカチーフ」をリリースしました。今回紹介の「メイク・ヒム・マイン」の詳細は少なく映画の中で歌われていたということが主でした。【 The Teddy Bears - To know him is to love him テディ・ベアーズ(歌) 会った途端に一目ぼれ(邦題)】 秀作の一曲です。お薦めですヨ。日本人には馴染みの薄いオールディズ曲です。 1958年リリース。名プロデュ-サーであるフィル・スペクターが高校時代の仲間と作ったテディ・ベアーズというコーラス・グループが初めて出したシングル盤のB面に入れたのがこの曲。
2015.11.02
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【The Beach Boys - Don't Worry Baby ザ・ビーチボーイズ(歌) ドント・ウォーリー・ベイビー】1964年に、シングル「アイ・ゲット・アラウンド(I Get Around)」のB面曲として発売。サーフィン・USAなどと共にドント・ウォーリー・ベイビーはビーチボーイズの代表曲。ビーチボーイズはご存じサーフィンミュージックの王様。誰もが認めるところのコーラスワークの素晴らしさが秀でています。この曲はザ・ロネッツのビーマイベイビーに触発されて作られたの話もある。【The Longest Day MARCH(1962) - Mitch Miller 史上最大の作戦マーチ(邦題) ミッチーミラー合唱団(歌) 】作詞作曲はオールディズの申し子とも言えるポールアンカです。今回は器楽演奏だけのバージョンではなくミッチーミラー合唱団のバージョンの方を取りあげました。引用(Wikipedia)>20世紀FOXの大プロデューサーダリル・F・ザナックが心血を注いで製作してアメリカからジョン・ウェインやヘンリー・フォンダらが参加した他、英仏独からも豪華キャストを迎え、製作費1,200万ドル(当時のレートで43億円)の巨費[1]を投じた。なお当時20世紀FOXは「クレオパトラ」の製作で財政上の問題を抱えて会社が倒産寸前までいったが、この映画の世界的な大ヒットで再建したと言われている[2]。戦争映画としては「史上最大の」映画である。連合国側だけでなくドイツ側の視点でも描いているドキュメンタリー風の映画で、臨場感に溢れている事で評価が高い。>了【Music】Maurice Jarre モーリス・ジャールPaul Anka ポール・アンカMitch Miller ミッチ・ミラー【director】Ken Annakin ケン・アナキンAndrew Marton アンドリュー・マルトンBernhard Wicki ベルンハルト・ヴィッキ【cast】John Wayne ジョン・ウェイン (Lt. Colonel Benjamin Vandervoort)Robert Mitchum ロバート・ミッチャム (Brig. General Normancota)Henry Fonda ヘンリー・フォンダ (Brig. General Theodore Roosevelt)Robert Ryan ロバート・ライアン (Brig. General James M. Gavin)Rod Steiger ロッド・スタイガー (Destroyer Commander)Robert Wagner ロバート・ワグナー (U. S. Ranger)【The Isley Brothers - Shout ザ・アイズレー・ブラザース(歌) シャウト】 ザ・アイズレー・ブラザースは「シャウト」や「ツイスト&シャウト」などをヒットさせた50年代~60年代のリズム&ブルースの代表ボーカルグループ。この「シャウト」はザ・アイズレー・ブラザースが1959年にヒットさせました。
2015.10.31
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【77 SUNSET STRIP: Opening Credits / Intro & Theme Song TV海外ドラマ・「サンセットセブンセブン」番組タイトル曲】 当時の日本人なら誰もが白黒テレビ受像機で必ず見た米国のあこがれの海外番組。番組の冒頭のタイトル映像は絶対に記憶に残っているはずですよ。 動画ではタイトル映像が数回繰り返えされますが、少しずつ変化している所に注目して下さい。後半の最後はタイトル曲のすべてが流されています。懐かしい当時の雰囲気に浸ってください。引用>ウィキペディア上では 1958年から1964年にかけてアメリカ・ABCにて放映されたテレビ映画。ワーナー・ブラザーズ・テレビジョン制作。当時ワーナー・ブラザーズはテレビ映画の私立探偵ものでこの「サンセット77」の他に「サーフサイド6」「ハワイアンアイ」「バーボンストリート」のシリーズを製作して私立探偵四部作とも呼ばれたが、もっとも長い人気だったのはこの作品である。【Tell Him - The Exciters テル・ヒム ザ・エキサイターズ】 初めて知った曲とグループですがこの曲は個人的にとても気に入っています。それもそのはず62年の全米4位の大ヒット曲。ボーカルがブレンダ・リードで女性3人に男性1人という珍しい構成。【The Chiffons He's So Fine ザ・シーフォンズ ヒーズ・ソー・ファイン「いかした彼(邦題)」】 日本ではあまり知られていませんが1963年に全米第1位になりました。ビートルズのジョージ・ハリソンがこの曲を盗用して「マイ・スイートロード」を書いた?と注目されたこともありました。比較してみても面白いでしょう。 しかし、日本ではザ・シーフォンズの曲はリタ・クーリッジのカバーでも知られキャロル・キング作曲の「ワン・ファイン・ディ」の方が多く聴かれていると思われます。 都会的なイメージの黒人4人組女性グループ。
2015.10.29
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最近特に気に入ったテレビCMがあります。「家庭教師トライ」の「Try IT」のテレビCM曲です。【トライCM ハイジ】 Try IT はじまる 「Shake It Off」原曲はこれです。テイラー・スゥイフトのシェイク・イット・オフを初めて聴いたのですがノリノリでご機嫌な曲です。【Taylor Swift - Shake It Off テイラー・スゥイフト 「シェイク・イット・オフ」(日本語字幕付) 気にしちゃいられない】
2015.08.26
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【Tears on my pillow little anthoney&the imperials? テイアーズ・オン・マイ・ピロー リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ(歌)】1958年。ドウ・ワップグループ。ファルセットが美しい歌唱力抜群のボーカルで18歳のリトルアンソニーが率いたジ・インペリアルズと歌い全米でヒットさせたドゥワップ・バラード曲。【恋の片道切符(邦題) ニールデダカ(歌) One Way Ticket(to the blues) Neil Sedaka】 1959年リリース。日本でのみ大ヒットした歌ですが、ニール・セダカが作った曲ではありません。ニール・セダカは父がトルコから母はポーランドからアメリカの共にユダヤ人移民らしい。「恋の片道切符」の作詞作曲はハンク・ハンターとジャック・ケラー(Hank Hunter, Jack Keller)で、この二人は数多くのポップスを手掛けたコンビ。 One Way Ticket、1960年、日本のみで大ヒット。当時、平尾昌晃もカヴァーしてヒット。もともとは「おお!キャロル」のカップリング用に録音された曲。日本ではニール・セダカ一番のセールス曲とも?【Tammy Wynette - Stand By Your Man !LIVE! スタンド・バイ・ユア・マン タミー・ウイネット(歌)】 1968年。オールディズの定義としましてはルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」同様、1950年~1965年の枠外ですが一応いれておきたいと思います。カントリーの名曲。 1968年に発表した彼女の代表曲「スタンド・バイ・ユア・マン」は、カントリーチャートでトップ、ビルボードのポップチャートで19位となりました。その後は、「カントリーミュージックのファーストレディ」と称されて、カントリー界のトップのひとりとして活躍しました。私生活では、5回の結婚(離婚2回、2人死別)しましたが、彼女の最期は、最後の夫に看取られました。そうした彼女の人生を反映してか、彼女の歌は、恋愛問題や離婚などに関する、女性の悩みと立場をテーマにしたものが多くあります。この「スタンド・バイ・ユア・マン」も、「辛いときもあるけども、あなたが誇れる彼の傍にいなさい」という、古典的な女性の立場を歌っていて、当時のウーマンリブ活動からは攻撃されました。ヒラリー・クリントンが男に従属する女として、(この歌を歌う)タミー・ウィネットを例えたことも有名ですが、多くのアメリカ人には支持されました。(以上引用) 従順で心優しい女性を誹謗中傷する現代の世相を憂れはざるをえません。教訓:「女性の皆さん。女性の敵は女性です、男性ではありません」。 自信を失いがちな現代の男性諸氏にジェームズ・ブラウンが歌った「マンズ・マンズワールド」を推奨します。男性がどれだけ現代社会に貢献したことを再認識したいものです? 今にも消えて無くなってしまいそうな男性優位社会?が今後一日でも長く続くことを祈らずにはいられません?(泪) 例えインターネット社会がこの世から消えても男性優位社会が消えることなく永遠に続くことを! 尤も個人的には男性優位社会の利得を得た経験がありませんのでどうでもよい話です。
2015.07.25
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【 Route 66 - George Maharis ルート66 ジョージ・マハレス(歌)】「 ルート66 」 はボビー・トゥループ ( Bobby Troup ) が1946年に作詞・作曲。オリジナルはナット・キング・コールがヒットさせたスタンダード・ジャズ。1960年アメリカCBSテレビで放映された [ ルート66 ] の主題歌として歌われました。タイトルとなっている 「 ルート66 」 とは、イリノイ州シカゴと、カリフォルニア州サンタモニカを結ぶ国道66号線のことです。【 DANNY JORDAN - JUST COULDN´T RESIST HER WITH HER POCKET TRANSISTOR ポケット・トランジスタ ダニー・ジョーダン(歌)】1960年、イギリスの曲。本国イギリスでは不発の歌ですが、日本では森山加代子のカバーで大ヒットしました。【 Pat Boone - Speedy Gonzales パット・ブーン(歌)スピーディ・ゴンザレス 】1962年リリース。パット・ブーンとしては最後のヒット曲。
2015.07.24
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【Peter, Paul, & Mary - Gone the Rainbow 虹に消えた恋(邦題) ピーターポール&マリー】 米国では1962年「天使のハンマー」のB面としてリリース。日本では1966年(昭和41年)に発売され、大ヒット。 オリジナルは17世紀のアイルランドで歌われていた反戦民謡 "Siúil A Rúin" (シューラーローン)(ゲール語/ケルト語)。 アメリカ独立戦争の時には「Buttermilk Hill」や「「Johnny Has Gone For A Soldier」というタイトルで歌われており、PP&Mが歌ったのはベトナム戦争の時代でした。(以上引用)【 Brian Hyland - Sealed with a Kiss ブライアン・ハイランド(歌) 涙のくちづけ(邦題)】 1962年に発売され全米3位 。オリジナルは「ビキニスタイルのお嬢さん」で知られているブライアン・ハイランドです。この曲は個人的にはミスター・ロンリー同様にレターメンのカバー曲で知りました。【 Susan Maughan - Bobby's Girl ボビーズ・ガール(ボビーに首ったけ(邦題))、スーザン・モーガン(歌)】スーザン・モーガンではなく、1962年発売。スーザン・モ-ンと読む。オリジナルのマーシー・ブレーンの「ボビーに首ったけ」をカバーし、イギリスで大ヒットさせた。元々米国のガール・シンガーMarcie Blane(マーシー・ブレイン)のヒット曲Bobby's Girl(ボビーに首っ丈)。Marcie Blane - Bobby's Girl マーシー・ブレーン(歌) ボビーズ・ガール
2015.07.04
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【Little Richard - Jenny, Jenny - リトル・リチャード(歌) ジェニ、ジェニー 】1957年発売。【LIVE YOUNG Troy Donahue 恋のパームスプリングス(邦題) - トロイ・ドナヒュー (歌) 】 1963年 映画「LIVE YOUNG」(邦題「恋のパームスプリングス」)を主演の「トロイ・ドナヒュー」が唄ってヒットした。1950年代後半から60年代前半まで青春映画スターとして活躍する。サンドラ・ディーと共演した『避暑地の出来事』や、コニー・スティーブンスと共演した『二十歳の火遊び』ではその魅力で一躍人気スターとして若者からの絶大な支持を得る。 テレビドラマでは『サーフサイド6』(1960 - 1962)のサンディ・ウィンフィールド役が最も有名。1963年に『恋愛専科(Rome Adventure)』で共演したスザンヌ・プレシェットと結婚するが、9ヶ月後に離婚。 洋画ファン以外の日本人にはTVドラマ「サーフサイド6」でよく知られている?【Jan and Dean - Little Old Lady from Pasadena パサディラのおばあちゃん(邦題)ジャン&ディーン 】 王者ビーチボーイズと並ぶサーフィン・ミュージックの雄Jan & Dean。 64年・全米3位(ビルボード誌)
2015.07.03
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)【SIMON & GARFUNKEL - Sound of silence サウンド・オブ・サイレンス サイモンとガーファンクル(歌)】 1965年リリース。誰も知らない人がいないほどの超有名曲。サイモン&ガーファンクルの最初のヒット曲。【Cliff Richard And The Shadows The Young Ones ヤング・ワン クリフ・リチャード&シャドゥーズ(歌)】1962年発売。英国人・クリフ・リチャードの世界的な大ヒット曲。【悲しきカンガルー/パット・ブーン 】1963年リリース。
2015.07.02
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【MR. BASS MAN ~ Johnny Cymbal ミスター・ベースマン ジョニー・シンバル 】 ジョニー・シンバルのオリジナル盤は当時日本人歌手達がカバーしたものよりテンポの速いとてもポップな感じの仕上がりです。 ジョニーは1962年に高校を卒業後、翌1963年「Mr. Bass Man(ミスター・ベース・マン)」でいきなり全米16位入りする 18歳のジョニー・シンバルのボーカルとベース・マンの絶妙な掛け合いが魅力。ベース・マンはドゥー・ワップ・グループのヴァレンタインズ(The Valentines)のベース・シンガー、ロニー・ブライト。【The Tymes "So Much In Love" なぎさの誓い(邦題) ザ・タイムズ(歌)】 1963年発売。名曲です。現在でも通用するとても素敵なコーラスナンバー。録音状態は悪いですがお勧めの曲です。 最近では邦題も「ソー・マッチ・イン・ラヴ」の表記が多い。ティモシー・B・シュミットやアート・ガーファンクル、オール・フォー・ワンがカバーし全米5位。日本では山下達郎らもカヴァーした。【LITTLE RICHARD ( Lucille ) リトル・リチャード(歌) ルシール】 1957年発売。奇人・変人であるが故に不当に評価が低くみられているがその功績は非常に大きい。同じピアニストのエルトン・ジョンも初期のステージの演奏スタイルなど強く影響されていると感じる。 (以下引用)「リトル・リチャード(本名リチャード・ウェイン・ペニマン)は、1932年12月5日にアメリカ南部ジョージア州のメイコンに生まれました。彼の祖父はセブンスデイ・アドヴェンチストと呼ばれるキリスト教宗派の牧師で、当然彼は幼い頃から厳格な教育の元で育てられました。ところが、そんな厳しいしつけのわりには、彼の父親はウイスキーの密造で逮捕されており、孫の彼自身もそんな家庭環境に反抗するかのような近所でも有名な悪ガキだったという。彼の心の中では、幼い頃から「聖と俗」の激しい葛藤が繰り返されていたに違いない。それだけではなく、彼にはさらに大きな秘密がありました。彼はゲイだったのです。<リトル・リチャードの偉大な足跡であるヒット曲>「のっぽのサリー Long Tall Sally」(1956年R&B2位、ポップ6位)「スリッピン・アンド・スライディン Slippin' & Slidin'」(1956年R&B2位、P33位)「リップ・イット・アップ Rip It Up」(1956年R&B1位、P17位)「ルシール Lucille」(1957年R&B1位、P21位)「センド・ミー・サム・ラヴィン Send Me Some Lovin'」(1957年R&B3位)「ジェニ・ジェニ Jenny ,Jenny」(1957年R&B2位、P10位)「キープ・ア・ノッキンKeep A Knockin'」(1957年R&B2位、P8位)「グッド・ゴリー・ミス・モリー Good Golly,Miss Molly」(1957年R&B4位、P10位)など
2015.06.20
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【Georgia on my Mind- Ray Charles わが心のジョージャー レイ・チャールズ】 我が心のジョージアは、ジャズのスタンダード・ナンバー。アメリカ合衆国の南部にあるジョージア州の州歌になっていることは有名。1930年にホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)作曲、ステュアート・ゴレル(Stuart Gorrell)作詞で発表される。ホーギー・カーマイケルの姉妹のジョージア・カーマイケルのために、歌詞が書かれ、「ジョージア」が州名か人名かあいまいだとされる。 余談ですが旧ソ連圏のグルジア国の英語名がジョージアでしたが、このほど正式名称をジョージア国としました。この動画での演奏の出来はとても良いように感じます。【Nancy Sinatra / Like I Do ナンシー・シナトラ(歌) レモンのキッス】 レモンのキッス」は、ナンシー・シナトラが1962年に発表した楽曲。作詞・作曲はディック・マニング (Dick Manning) 。 本国(アメリカ合衆国)では「逢ったとたんに一目ぼれ」(テディ・ベアーズのカバー。原題:To Know Him Is To Love Him)のB面曲として発売されたが、日本ではA面とB面が入れ替えられ、「レモンのキッス」をA面曲として1962年9月にシングル発売された。アメリカではヒットしなかったが、日本やイタリアではヒットした。 【The Singing Nun - Dominique (1963 )ドミニク スール・スーリール(歌)】1963年リリース。ラ・スール・スーリールはベルギー人の歌手。 美術学校に学び、美術教師として女子校の教壇に立つ。しかし1959年、ベルギーのドミニコ会フィシェルモン修道院に入ってシスター・リュック・ガブリエルを名乗る。 この修道院でギターを習い始め、作曲を始めたところ音楽の才能を認められ、他の尼僧たちに励まされて1963年にレコードを発表。このアルバムに収められた『ドミニク』が人気急上昇し、全米のヒットチャート・ビルボードではシングル(Hot 100)・アルバムの両チャートで1位を獲得した。 彼女は一夜にして国際的なスターとなり、スール・スーリール(シスター・スマイル)の芸名を名乗って、1964年には『エド・サリヴァン・ショー』に出演した。 『ドミニク』は日本ではペギー葉山やザ・ピーナッツ、東京放送児童合唱団によってカバーされました。(上記、引用)
2015.06.19
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【Bobby Vinton "Mr. Lonely" ボビー・ビントン(歌) ミスターロンリー 】 ボビー・ヴィントン(Bobby Vinton、1935年4月16日 - )は、ポーランド系アメリカ人の歌手。この曲は1964年にリリースされました。涙のくちづけ、ブルーベルベットなどのヒット曲をもつ。 日本では後にカバーしてヒットしたレターメンの方がオリジナル盤より有名かもしれません。また、深夜放送全盛の時代にミスターロンリーのインストゥルメント曲がFM東京のJAL(提供)深夜便「ジェット・ストリーム」のタイトル曲に取り上げられたことでよく知られるようになりました。 昔レターメンの楽曲の方を良く聴きました。【 Percy Sledge When a Man Loves a Woman 男が女を愛する時(邦題) パーシー・スレッジ(歌)】「男が女を愛する時」は、アメリカの歌手、パーシー・スレッジが1966年にデビュー・シングルとして発表しアメリカの総合チャートであるBillboard Hot 100と、『ビルボード』誌のR&Bシングル・チャートの両方で1位を獲得し、後に多くのアーティストによってカヴァーされた。1991年にはマイケル・ボルトンによるカヴァーもBillboard Hot 100で1位を獲得している。(以上、引用) R&Bだけでなくオールディーズを代表する曲。モノ録音やステレオ録音、ライブ録音などそれぞれのバージョンがあります。【The Browns Three Bells 谷間に三つの鐘が鳴る(邦題)ザ・ブラウンズ(歌) 】 邦題「谷間に三つの鐘が鳴る」多くのミュージシャンにカバーされたスリー・ベルズですが1959年にアメリカの男女3人のカントリー・グループ 、ブラウンズが発表したバージョンがランキングで全米1位となり世界的に最も良く知られるようになった。(以上引用) 古いですがとってもいい曲です。
2015.06.18
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【The Drifters - Stand By Me ザ・ドリフターズ(歌) スタンド・バイ・ミー】余りにも有名な曲。映画の主題歌にもなった。オリジナルはアメリカの黒人歌手、ベン E. キング/Ben E. King が1961年に発表、ビルボード4位まで上がったヒット曲。 ベン・E キングはアメリカのドゥー・ワップ・コーラス・グループ、ドリフターズ/the Drifters のリードボーカルでした。このスタンド・バイ・ミー/Stand By Meはドリフターズ/the Drifters のために用意されたのですが、ちょうどそのときベンがグループを脱退したため、彼のソロ・シングルとなった。(以上、引用)【Everly Brothers- "All I Have To Do Is Dream" 1960 エブリー・ブラザーズ(歌) 夢を見るだけ】1960年発売。エブリー・ブラザーズは他に「Bye Bye Love」がある。【Rosie & the Originals - Angel Baby ロージー&ザ・オリジナルズ(歌) エンジェル・ベイビー】 ロージーことロザリー・ハムリン(当時まだ15歳)が、1960年に友人のバンド“オリジナルズ”と組んだグループとして「エンジェル・ベイビー」をリリース。この曲の内容は当時彼女が想いを寄せていたボーイ・フレンドに書いた曲。 61年にビルボード・シングルチャートで最高5位となり、ジョン・レノン自身が“大好きな曲!”として後にアルバム「ロックンロール」でカバーしている。(以上、ほぼ引用?)
2015.06.17
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アメリカン・オールディーズ特集(Oldies Music)【Brian Hyland Baby Face ベビーフェイス ブライアン・ハイランド】1960年発売。驚いたことにカバー曲だそうです。日本だけでヒットし本国アメリカでは全くヒットしませんでした。不確かですが原曲は1920年代の楽曲の情報があります。日本では田代みどりのカバーで有名になりました。今のところ日本だけのヒットらしいのですがしかしお薦めの曲です。日本人の選曲のセンスは悪くないですよ。【 I'M GONNA KNOCK ON YOUR DOOR Eddie Hodges 恋の売り込み エディー・ホッジス】 1961年リリース。イントロはドアのノック音とベルの音。軽快なロックのノリで、当時のティーンエイジャーを取り込みました。1961年・全米12位のヒットとなりました。エディ・ホッジスこの時わずか14歳。この曲のオリジナルは、1959年アメリカのアイズレー・ブラザーズ。日本では伊東ゆかりのカバーでヒットしました。 (以上引用) お薦めの曲です。【Rosemary Clooney - Corazon de Melon (Speed Up Version) メロンの気持ち ローズマリー・クルーニー(歌)】 日本では「メロンの気持ち」は森山加代子と期間をおいてゴールディンハーフがカバーしてヒットさせました。
2015.06.10
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies Music)【 Pineapple Princess / Annette Funicello パイナップル・プリンセス アーネット・フニセロ(歌)】 1960年発売。ディズニーの秘蔵っ子としてミッキーマウス・クラブの草創期メンバーデビューし、多くのディズニー作品に出る一方で、アイドル歌手としても活躍していた。 日本では1961年に田代 みどりさんがカバーしました。映画「リロ・アンド・スティッチ」に採用。【 The Astronauts - Movin' ザ・アストロノーツ(歌) 太陽の彼方(邦題)】 1963年米国でリリース。所謂、昔エレキブームの魁で大ブームを起こした。1964年の夏に日本で大ヒット。サーフィンブームも起こした。エコーをきかした「ノッテケノッテケ」というフレーズで思い出す人は多いかもしれません。【 DORIS DAY - TEACHER'S PET ドリス・ディ(歌) 先生のお気に入り(邦題) 】 1958年発表。当時、人気女優のドリス・ディが歌ってヒットした楽曲。
2015.06.07
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)【Land Of 1000 Dances by Wilson Pickett ダンス天国(邦題)ウィルソン・ピケット(歌)】 1964年に移籍したアトランティック・レコードで発売し世界的な大ヒット曲となった。R&Bの代表曲でもあります。多くの歌手にカバーされた曲でもあります。ウォーカーブラザースなど【Linda Scott - I've Told Every Little Star 星に語れば(邦題) リンダ・スコット(歌)】 デビュー曲「I've Told Every Little Star(星に語れば)」が、61年5月にビルボード誌で3位にあがる大ヒットとなり、スターの仲間入りをしました。「Don't Bet Money Honey(かけごとはおよし)」が同年第9位、62年には「Count Every Star(星を数えて)」が41位、Congress レコードへ移籍後(コングレスは、リンダのために作った会社です。)も、同年「Yessiree(イエスサリー)」が60位、「Never In A Million Years(いついつまでも)」が56位とヒットを飛ばします。(以上引用) 日本語盤は希少価値が高いそうです。知る人は知る、知らない人は全く知らない歌手ですが、隠れた超人気曲であり歌手でしよう。 出だしのメロディーに、どこかで聴いたことがある曲と思った人も多いでしょう。 現在放送されているTBS系人気テレビ番組「マツコの知らない世界」ではタイトル曲として選曲されています。【I LOVE HOW YOU LOVE ME ~ The Paris Sisters (1961) 忘れたいのに(邦題)ザ・パリス・シスターズ(歌)】 深夜放送が華やかし頃、モコ、オリーブ&ビーバーという日本のグループがこの曲を日本語でカバーしたと記憶しています。
2015.06.06
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アメリカン・オールディーズ特集【Gene Vincent - Be-Bop-A-Lula ビー・バップ・ルーラ(題)ジーン・ビンセント(歌)】Be-Bop-A-Lula)は、ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスが1956年に発表した楽曲。母国アメリカでは『ビルボード』のポップ・シングル・チャートで7位、カントリー・シングル・チャートで5位、R&Bシングル・チャートで8位を記録した[2]。イギリスでは1956年7月13日付の全英シングルチャートに初登場し、7週チャート圏内に入って最高16位を記録した【Sam Cooke - Wonderful World (lyrics) サム・クック ワンダフル・ワールド】1960年発売、サム・クックのヒット曲「ワンダフル・ワールド」です。【Herman's Hermits - There's A Kind Of Hush -見つめあう恋(邦題) ハーマン・ハーミッツ(歌)】1967年リリース。サード・アルバム『ゼアズ・ア・カインド・オブ・ハッシュ』(1967年)の先行シングルとしてリリースされた。 60年代前半が定義のオールディーズとは異なりますが、曲想はオールディーズの雰囲気ムンムンです。後に70年代にカーペンターズによってカバーされて再ヒット。
2015.06.04
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アメリカン・オールディーズ特集(Oldies)【Gene Pitney - Louisiana Mama ルイジアナ・ママ ジーン・ピットニー】 1962年発売。アメリカではヒットしませんでしたが日本では飯田久彦のカバーで大ヒット。日本ではオールティーズを代表する曲。ジーン・ピットニーは歌手だけでなくリッキー・ネルソンへの 「 Hello Mary Lou ( ハロー・メリー・ルー ) 」 などソングライターとしても成功を収めています。【The Tokens - The Lion Sleeps Tonight ライオンは寝ている(邦題)ザ・トーケンズ(歌)】 オリジナルは「Mbube」(ズールー語でライオンの意味)、1939年にソロモン・リンダによって書かれ、彼のグループ Evening Birds によって演奏された。「Mbube」は南アフリカで1940年代に10万枚売れるヒットとなった。(引用) 有名なザ・トーケンズのカバーバージョンは1961年発売のもの。【Alma Cogan - The Train Of Love -アルマ・コーガン(歌) 恋の汽車ぽっぽ(邦題)】 1960発売。ポール・アンカが作詞・作曲を手掛けた曲。当初は当時恋人だったアネットに楽曲提供した歌でしたが、アルマ・コーガンで大ヒットしました。 アルマ・コーガンといえば何と言っても「ポケット・トランジスタ」ですが、何故だかユーチューブには存在しません。アメリカ国内ではほとんど無視された曲なのでしょうか?不思議です。「ポケットトランジスタ」は日本ではオールディズを代表する定番の曲なのですが、本国のアメリカの評価は違うらしいのでしょうか? その中で、アルマ・コーガンが歌ったもう一つの代表曲「恋の汽車ぽっぽ」を見つけました。日本でもカバーされてヒットした曲です。
2015.06.03
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)【Elvis Presley Heatrbreak Hotel Live (1956`) エリビス・プレスリー ハートブレイク・ホテル】1956年リリース。ロックンロールの王様プレスリー。説明無用です。【Fats Domino - Blueberry Hill ファッツ・ドミノ(歌) ブルーベリ・ヒル 】オリジナルは1940年Vincent Rose(ヴィンセント・ローズ)によって書かれた。1956年にファッツ・ドミノがカバーして歌ったことでビルボード2位を記録して大ヒットとなりました。現在はファッツ・ドミノの代名詞のような曲。【Crying In A Storm - EMY JACKSON (1965) 涙の太陽 エイミー・ジャクソン(歌)】 歌手のエイミージャクソンは父方の祖父がイギリス人のクォーター、当時横浜のアメリカンスクールに在学しながらラジオ関東の番組のアシスタント時に発掘されてデビュー。 洋楽の体をなしていますが、作詞・湯川れい子、作曲が中島安敏の日本製です。当然、アメリカのチャートには登場しないためにアメリカン・オールディズではありませんがリストアップしました。やはり夏のシーズンには最適の良い曲には変わりはありません。 のちに安西マリアさんなど多くの歌手にカヴァーされて日本国内でヒットしました。
2015.06.02
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アメリカン・オールディーズ特集(Oldies)【DIANE RENAY ~ "NAVY BLUE" 1963 ネイビーブルー 】 1963年リリース。お薦め。オールディズの中で大好きな曲のひとつ。【Jimmy Jones - Good Timin' グッド・タイミングまたはステキなタイミング(邦題) ジミー・ジョーンズ(歌)】米国では1960年発売全米3位、英国1位。日本ではダニー飯田とパラダイス・キング(ボーカル坂本九)のカバーで大ヒットしました。【Connie Francis - "Stupid Cupid" (1958) 間抜けなキューピット(邦題)コニーフランシス(歌)】1958年発売。※Connie Francis- Where The Boys Are (Live) オールディーズで多くのファンがいる日本人にはコニーフランシスの興味深い珍しいライブ映像です。白黒ですが米軍兵士の慰問時で歌っている様に見えます。コスチュームを含めて当時のビジュアルをよく表現していると思います。
2015.05.30
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)【Johnny Tillotson Poetry In Motion ポエトリー・イン・モーション ジョニー・ティロットソン(歌)】 1960年アメリカでリリースし全米2位の大ヒット。日本でヒットしたのは遅れること1964年でした。「涙くんさようなら」など多くの日本語カバー曲を歌った。【Jan & Dean - Surf City サーフシティ ジャンとディーン(歌) 】 1963年 ビーチ・ボーイズと共に、明るいカリフォルニアサウンドの代表的グループであるジャンとディーン。全米1位の代表曲。他に、「デッドマンズ・カーブ」「パサディナのおばあちゃん」等がある。【Wanda Jackson - Fujiyama Mama フジヤマ・ママ ワンダー・ジャクソン(歌)】 オリジナルは54年のアニスティーン・アレンによるもの。ワンダ・ジャクソンの曲はロカビリーにアレンジして1957年に発売。日本でもヒットし知られている。
2015.05.23
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)【What a wonderful world - LOUIS ARMSTRONG.ルイ・アームストロング(歌)この素晴らしき世界(邦題)】1968年にヒットした曲。思いのほか新しい年度のリリース。年代的には60年前後を基点とする日本人イメージのオールディズとは違いますが曲想はそのものです。引用> 作詞・作曲はG・ダグラス(音楽プロデューサーのボブ・シールのペンネーム)とジョージ・デヴィッド・ワイス。ボブはベトナム戦争を嘆き、平和な世界を夢見て、この曲を書いたという。アメリカ合衆国では中ヒット止まりだったが(ビルボード(Billboard)誌の年間トップ100に入れなかった)、全英チャートで1位となった。1968年には、同名のアルバムもリリースされた。 その後、1987年の映画『グッドモーニング, ベトナム』で、戦時中のベトナムの牧歌的田園風景を映す印象的なシークエンスにBGMとして起用され、全米32位というリバイバルヒットとなった。【LOUIS ARMSTRONG what wonderful world ルイ・アームストロング(歌)この素晴らしき世界(邦題)】アームストロングがベトナム戦争に米軍の慰問で歌った映像。引用>映画『グッドモーニング, ベトナム』(英語: Good Morning, Vietnam)は、1987年製作のアメリカ映画。一人のAFNDJが、兵士達を笑いとロックで癒し、ベトナム人と触れ、戦争の冷酷さに翻弄される5ヶ月を描いたベトナム戦争映画の中でも異色の作品。最近惜しまれて亡くなった俳優ロビン・ウイリアムズ主演。【 500 miles - Peter, Paul and Mary 500マイル ピーター、ポール&マリー 】 男性2人と女性1人のフォークグループ、略してPPMの歌。当時、フォークソングの一大ブームを起こした。原曲は古い民謡。PPMのアルバムに1962年に取り上げられた。他に「パフ」「悲しみのジェットプレイン」「朝の雨」「花はどこへいったの」「風に吹かれて」など 「悲しみのジェットプレイン」の作者は当時無名の『ロッキー・マウンテン・ハイ』や『カントリー・ロード』で有名なジョン・デンバー。【Rockin' Robin (Original) Bobby Day ロックン、ロビン ボビー・デイ(歌)】Bobby Day_Rockin Robin Sorry for countries who could not get to see this video. 1958年リリース。ボビー・ディ最大のヒット曲。 ほとんどの人はリトル・マイケルジャクソンの歌で知っているはずですが、実はこちらがオリジナル。
2015.04.24
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)【Walker Brothers - The sun ain't gonna shine anymore 1965 ウォーカー・ブラザース(歌) 太陽はもう輝かない(邦題)】 1966年リリースのカバー曲。ウォーカー・ブラザースは英国のグループ。未だにスコットウォーカーの声は忘れられないほど最高。プレスリーの声に似ている気もしなくもない。ヒット曲は、「イン・マイ・ルーム(孤独の太陽)」、「ダンス天国」など当時の日本の若い女性たちに大人気でした。オリジナルはフォシーズンズのフランキー・ヴァリの曲。1965年発表。【I CAN'T STOP LOVING YOU by Ray Charles 愛さずにはいられない(邦題)レイ・チャールズ(歌) 】 オリジナルはカントリーのドン・ギブソン。レイ・チャールズがカバー曲として1962年シングル盤でリリース。レイ・チャールズとバックコーラスとの掛け合いが素晴らしい。引用> 1957年にアメリカのカントリー・シンガーソングライターのドン・ギブソンによってリリースされ大ヒットしました。この曲をカバーをしたアーティストはロイ・オービソン、フランク・シナトラ、リッキィー・ネルソン、エルビス・プレスリーなど多数。 その中で1962年に米国のシングル・チャートで1位を記録したレイ・チャールズのカバーが日本でも世界的にも有名でしょう。 【Pat Boone - Love Letters in the Sand パット・ブーン(歌) 砂に消えたラブレター(邦題)】この曲は1957年リリース。1950年代後半から1960年代にかけて、アメリカのポピュラーソング界では、パット・ブーンとエルヴィス・プレスリーが双璧でした。旧世代の破壊者プレスリーに対抗する正統派実力派歌手パット・ブーンといった関係。
2015.04.22
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)【Bobby Darin- Dream Lover ボビー・ダーリン(歌) ドリーム・ラバー】動画の映像はサンドラ・ディ(女優)&ボビー・ダーリンです。サンドラ・ディは代表作、映画「Beyond the sea」「避暑地の出来事」「電話にご用心」で知られています。 日本ではあまり知られていないボビー・ダーリン。他の代表作「マックザナイフ」。 しかし、この「ドリーム・ラバー」はアメリカンオールディズを代表しオールディズの特徴のすべてが入っているように思える1曲です。ボビー・ダーリンのこの一曲を知らなければオールディズの通とは言えません?【Elvis Presley - Jailhouse Rock エリビス・プレスリー(歌) 監獄ロック(邦題)】1957年に発表したシングル。プレスリー主演映画『監獄ロック』の主題歌。 この時代にバスドラムやベースの重音を強調した出だしの演奏が余りにも革命的でイカシテいる。【サマーワイン/ナンシー・ソナトラ(歌) Summer Wine/Nancy Sinatra】引用まとめ> 大御所フランク・シナトラの娘でありながらなかなかヒットに恵まれない時にソングライターでプロデューサーのリー・ヘイゼルウッドと出会い1966年2月にシングル盤をリリース。「憎いあなた(These Boots Are Made For walking)」が全米1位に輝いた。 このサマー・ワインはリーとのデュエット曲として1967年にA面を「シュガータウンは恋の町(Sugar Town)」のB面としてリリース。A面は全米5位の大ヒット。しかしこの曲は全米では49位だった。 サマー・ワインは主として日本でヒットした曲。しかし今聴いてもやっぱりこの選曲は間違いないですヨ。
2015.04.21
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トライ・ア・リトル・テンダネス 名曲特集【Otis Redding Try A Little Tenderness オーティス・レディング(歌) トライ・ア・リトル・テンダネス】 代表的なソウル・シンガー(R&B)、オリジナルではないですが代表曲のひとつで名実ともにオーティスの代名詞のような曲。飛行機事故で絶頂期に亡くなった。日本ではドック・オブ・ザ・ベイのシングルヒット曲がある。【Try a Little Tenderness - Solomon Burke ソロモン・バーク(歌)】 当ブログお薦めの曲です。ソロモン・バークの歌が心に沁みます。彼もオーティス同様に今は存在していません。【The Voice UK 2013 | Jamie Bruce performs(歌) 'Try A Little Tenderness' - Blind Auditions 5 - BBC One】 【Try A Little Tenderness (1975) - Three Dog Night スリー・ドッグ・ナイト(歌・演奏)】 ロックグループのスリー・ドッグ・ナイトのヒットナンバー。
2015.04.19
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アメリカン・オーールディズ特集(Oldies)【 Ricky Nelson - Hello Mary-Lou リッキーネルソン(歌) ハロー・メリールー】 オリジナル曲はジーン・ピットニー。1961年トラベリン・マンのB面でリリース。リッキーネルソンはアメリカのミュージシャン、俳優です。スイング・ジャズの作曲家兼バンド・リーダーのオジー・ネルソンの次男として生まれる。 声からリッキーネルソンは中年の男性歌手とばかり思っていましたが動画で初めて若い歌手と知る。カントリーフォークロック?の魁だったのか評価は高い。後のクリーデンス・クリア・ウォーターリバイバル(CCR)がカバーしたことで知られています。【Mary Wells - My Guy マリー・ウェルス(歌) マイ・ガイ】 彼女の自作品で1964年リリース。モータウンサウンドの女王の名もある女性歌手マリー・ウェルスが歌う軽快で明るいアップテンポのR&Bナンバーです。 近年では映画「天使にラブソング」でウーピーゴールドバーグ(Whoopi Goldberg)が演じ率いたシスターのゴスペルグループがマイ・ガイを替え歌にして「マイ・ゴッド」として歌われた。 【 Neil Sedaka "Happy Birthday Sweet Sixteen" ニール・セダカ(歌) 素敵な16歳 】1961年リリース。ニール・セダカご存じの通り米国の有名シンガーソングライター。オールディズを代表するスターです。全米チャート第6位。日本でも大ヒット。カヴァー曲として日本では弘田三枝子さんが歌っていました。
2015.04.18
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)●【Julie London - Fly me to the moon ジュリー・ロンドン(歌)フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン】 妖艶なジュリー・ロンドンの歌だけでなく演奏とアレンジが秀逸でゴージャス。すべてがパーフェクト。●【 STEVE LAWRENCE- " FOOTSTEPS " スティブ・ローレンス(歌) 悲しき足音(邦題)】彼の妻がイーディー・ゴーメ。1960年に放った大ヒットが「悲しき足音(Footsteps)」●【 The Tennessee Waltz - singer Patti Page 1950 ザ・テネシー・ワルツ パティ・ペイジー(歌】) テネシー州の州歌になったそうです。後にジャズに編曲されています。他に映像の良い動画がありましたが歌を取りました。しっとりきます。
2015.04.17
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アメリカン・オールディーズ特集(Oldies)【 LuLu To Sir With Love ルル(歌) いつも心に太陽を(邦題)】 1967年リリース、シドニー・ポアチェ主演の映画「暴力教室」主題歌。のちにビージーズのメンバーと結婚し別れたアイドル歌手ルルが歌っています。ビージーズの双子のメンバーは二人とももう亡くなられているようです。邦題のタイトルには含蓄があります。【The Tremeloes - Silence is Golden ザ・トレメローズ(歌) サイレンス・イズ・ゴールデン 】 オリジナルはフォー・シーズンズが1964年にリリースしたヴァージョン。1967年リリース。コーラスグループのイメージでしたので演奏と歌を行うグループサウンズ風の音楽スタイルなのが意外でした。【Danny and The Juniors - At The Hop (1958) ダニー&ザ・ジュニアス アト・ザ・ホップ(踊りに行こう)】 タイトルは知らない人が多いでしょうが、一度は聴いたことがある曲だと思います。リリースは1957~1957年かも知れません。
2015.04.15
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アメリカン・オアールディズ特集(Oldies)【Dusty (True Stereo) I Only Want To Be With You (HD)ダスティ・スプリングフィルド(歌) 二人だけのデート(邦題)】1963年リリース。ダスティ・スプリングフィールドがグループを脱退後のソロとなって初めてヒットさせた曲。ダスティはオーソドックスなタイプですが多くのヒット曲との繋がりがあります。原曲がカンツォーネの「この胸のときめき」を発掘してヒットさせたり、また「二人だけのデート」のようにオリジナルのヒットも多くあります。「風のささやき」など。「二人だけのデート」は70年代にベイシティローラーズがカバーして再ヒット。【RHYTHM OF THE RAIN ザ・カスケーズ 悲しき雨音 (訳詩付き)】 1962年リリース。日本人が選ぶオールディズで一番好きな曲と記憶しています。雷雨の音を挿入したり昔の曲はとてもバラエティに富んでいて素晴らしいかったです。【RHYTHM OF THE RAIN THE CASCADES IN LIVE ザ・カスケーズ(歌) 悲しき雨音(邦題)】 この曲だけは動画を二本入れました。最近のライブ演奏?カスケーズもいまでは全員が立派な高齢者。しかしボーカルの美声をはじめ歌はまだまだ衰えてはいません。想像以上に上手いのには驚きます。ライブ演奏でありながら完成度がとても高かった。【The Poni - Tails - Born Too Late (1958) ポニーテールズ(歌) ボーン・トゥ・レイト】 初めて聴いた曲です。日本では誰も知られていないグループと曲のように感じられます。如何にもオールディズのイメージ通りだったので載せました。グループ名がポニーテールズということでさらに気に入りました。
2015.04.14
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アメリカン・オールディーズ特集(Oldies)【 The Supremes - Stop In The Name Of Love (Ready Steady Go - 1965) 】 日本でもシュプリームスの代表曲。個人的な印象ではシュプリームスのリードボーカル・ダイアナロスは現在でもライブはスタジオ録音時よりテンポは遅くして歌っているように感じられます。【THE FOUR TOPS - Reach Out, I'll Be There (1966) ザ・フォー・トップス(歌) 】 最近の日本の沖縄出身の有名ラップグループの歌に似たサビが使われているように感じました?フォートップスのこの曲を一部パックったのでしょうか?いや訂正します。参考にしたのでは? 出だしのストリングスは70年代のディスコサウンドを少し思わせるフレーズがもう演奏されています。【 Lesley Gore - You Don't Own Me(HD) レスリーゴア(歌) 】 素晴らしい曲です。日本では馴染みのない曲ですが…お薦めの曲。後にベットミドラーら3人グループでカバーしたものもリリースされています。 美女・レスリー・ゴアーのいつもやる気のない、ぶっ飛んだ印象が素敵です?
2015.04.13
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アメリカン・オールディーズ特集Oldies【 Stevie Wonder - A Place in the Sun (stereo) ステービー・ワンダー(歌)太陽のあたる場所】 1966年リリースのアルバム曲。生まれて直ぐに盲目となり11歳の時に自作曲によってモータウンレーベルと契約を交わして歌手へ。1963年に12歳でビルボードで1位。今回、紹介したメロディアスなこの曲は日本人がリトル・ステービーワンダーを知った最初の曲かもしれません。 しかし多くの日本の洋楽ファンの注目を集めたのは、何といっても1974年の第16回グラミー賞で、自身初の受賞を果たす(シングル「迷信」が最優秀男性R&Bボーカル賞と最優秀R&B楽曲賞、「サンシャイン」が最優秀男性ポップ・ボーカル賞、アルバム『インナーヴィジョンズ』が最優秀アルバム賞をそれぞれ受賞)。ここから第二幕のステービーの新しい快進撃が始まるのです。【The Animals - The House of the Rising Sun (Excellent video and audio quality)ジ・アニマルズ(英国)朝日の当たる家 】 アニマルズは初期のビートルズとほぼ同時代に活躍。リードボーカルがエリック・バートン。日本ではビートルズよりも先に紹介されたような気がします。この曲は1964年リリース、知らない人がいないほど日本では有名な曲。昔の方が洋楽はとても馴染み深かったように感じます。 原型は1930年台の初期のアメリカのトラディショナルなフォークソングで作者不明。1962年にボブ・ディランが取り上げ注目された。 この曲はアニマルズの特徴であるR&B調に仕上がっています。ニーナ・シモンのカバー曲でも有名。ハービーマン、ベンチャーズのカバー演奏曲など多数。フォークシンガーのジョン・バエズのカヴァー。1970年にブリジド・ピンクがハードロックにアレンジして再ヒットさせました。 【 The Shangri-Las - Shout シャングリ・ラス シャウト】 アメリカ国内では当時かなりの人気があったグループです。ヨーロッパでは知りませんが日本でヒットした曲は「リーダ・オブ・ザ・パック」だけの印象です。しかしこのガールズグループなかなかのものですヨ。
2015.04.12
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)【California Dreamin - Mamas & The Papas 夢のカリフォルニア ママス&パパス(歌)】フォークロックグループ。1965年リリースしたデビュー・シングル曲。全米第4位を獲得。オールディズでは絶対に記憶に残る曲です。のちにホセ・フェリシアーノがカバーしてヒットさせました。また、ジャズギターのウェス・モンゴメリーがイージーリスニングジャズとして演奏した曲としても知られています。【Hey Paula, performs by Paul & Paula, 1963 ヘイ・ポーラ ポールとポーラ(歌)】引用>1963年に全米No.1に輝いたPaul & Paulaが歌った曲です。「ポールとポーラ」のデュオは、PaulことRay Hildebrand(レイ・ヒルデブランド)とPaulaことJill Jackson(ジル・ジャクソン)の二人が掛け合うラブ・ソングです。作詞・作曲は当時学生だったRayです。このデュオはその後「けんかでデート」などの曲もヒットさせました。(了) 日本でも日本人歌手のデュオで(田辺靖雄と梓みちよ又は田辺靖男と九重佑三子のデュエット)カバーして大ヒット。日本では知らない人がいないほどお馴染みの一曲でした。【little darlin' - the original diamonds (1957) リトル・ダーリン ザ・オリジナル・ダイアモンズ(歌)】カナダの4人組のドゥワップ・グループ。聴いてみればどこかで聴いたことのある曲ですヨ。
2015.04.07
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アメリカン・オールディズ特集(Oldies)【Chuck Berry - Johnny B. Goode live チャック・ベリー(歌) ジョニー・ビー・グッド 】 チャック・ベリーはプレスリーとともにロックンロールの神様として知られています。released in 1958。 50年代の代表曲です。このライブ演奏は70年以降?のものでしょうか?初期の頃とは大分違うように感じられます。ギター演奏や間奏、パフォーマンスなどはかなり最近のもののように感じられロックンロールでありながらブリージな仕上がりにもなっています。このバージョンは個人的には大好きです。映像はカラーですが粗く古そうに見える割には演奏は完成されたものになっています。【Petula Clark goes Downtown - 1967 (1964年リリース)ペトラ・クラーク(歌) 恋のダウンタウン(邦題) 】 1940年代からイギリスの国民スター。出世作はこの曲、64年に世界的大ヒットへ。【The Crystals - Then He Kissed Me ザ・クリスタルズ(歌)キッスでダウン(邦題)】1964年リリース。ニューヨーク出身黒人ガールズ・グループ。
2015.03.31
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突然ですが、オールディズだけでは飽きるので80年代洋楽ロック&ポップスを投稿します。【 a-ha - Take On Me (Grammy Awards 1986) アハー(歌・演奏) テイク・オン・ミー(タイトル)】 1984年リリース、翌年の1985年にアレンジを変えて1985年再リリース。これが世界的な大ヒットとなった。 この演奏フレーズは日本の曲でも多用されていいましす。ワム等と共に80年代を代表した曲です。引用> ノルウェー出身の3人組バンド。1982年結成。「テイク・オン・ミー(Take On Me)」の世界的なヒットや『007 リビング・デイライツ』(The Living Daylights)の主題歌で知られる。 1994年リレハンメルパラリンピックのテーマ曲(Shapes That Go Together)、2009ベルリン世界陸上テーマ曲(Foot of the Mountain)を歌ったグループとして知られる。【 Tears For Fears - Shout(ティアーズ・フォー・フィアーズ(歌) シャウト(タイトル)】英国、1985年リリース。【Europe - The Final Countdown (Official Video) ヨーロッパ(歌・演奏) ザ・ファイナル・カウンド・ダウン(タイトル)】 1979年結成。スウェーデン出身のヘヴィメタルバンド。"The Final Countdown"(1986年)の大ヒットで知られる。
2015.03.30
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