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気がついたら31日。パパの仕事はきのうで仕事納めをしてきて今日から1/4まで休みだ。なんだか、涙ばかりでてきて、急に肩こりがして、過呼吸もでてきてずっと布団に横になっていた。電話の音がこわくて留守電にして枕元にポカリスェトをおいて水分だけはとっていた。今朝、お風呂にはいってやっと、きちんとメイクした。子供は、叱らない、悪いところがあってもそのなかから良いところをさがしてほめて育てましょうというのがこのごろのやり方だけどやはり、悪いことをしたときは親がその場で、きちんとしからなければいけないのだ。28日の夜できるだけ、子供の目線に掘り下げてナナが、薬を飲まなかったせいでお医者さん、パパ、学校の先生たくさんの大人にめいわくをかけたこと、人にいわれるまえに、自分から進んで物事をすることでみんなと助け合っていくことができるんだということを言葉で、説明した。いつもつけっぱなしにしているナナの部屋のストーブも朝おきても消さない、電気アンカも回収した。私は。それから、しばらく寝込んでいた。ナナに、ママが寝込んでいる間ごはん食べていたの?ときいたらインスタントラーメンなど食べていたらしい。ナナから手紙をもらったママありがとうとかいてあった。叱ってくれてありがとう。勉強も宿題の算数のプリント全部おわりました。漢字検定の過去問題集も第3回ぶんまでやりました。漢字の書き取りも1/9までかきました。これからはじしゅてきに自分でする人間になるようこころがけていきます。とかいてあった。普通のモードにもどった。みなさんよいお年を
December 31, 2005
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これは、、?メイアクト(抗生物質)5個ナナがとびひになったときに小児科の先生から処方されて、給食のあとに必ず飲むようにと毎日、筆箱にセロテープで貼って渡していた薬だ。冬休みで学校から持ち帰ったはさみやのりと一緒に5日ぶん、お道具箱にはいっていただから、悪化したんだ、、、。あんなに「必ずのんで」って言ったのに。そもそも、今日、ナナがスイミングで平泳ぎのテストに合格した時にコーチからいただいたバッチをなくしたというので、探していたら偶然みつけた。もう、とびひは治ってしまったことだから怒ったってしかたないけどなんであきれているかというと私はパニック障害でここ2年くらいからやっと回復してきたばかりの状態。レジの待ち時間や、まして総合病院の待合室は、苦手で発作がおきてしまう。それを、、、無理してがんばってつれていったのに不審者がでるからって学校まで雪の中送っていったのに。やってられない。わたしが父親にされたことそっくりそのままナナにやりかえしてしまいたくなることがある。そうしてやりたい自分がいる。それがこわい。子供に期待するのは良くないことだとおもう。でも親が声をかけないと、子供は自分からなにもやろうとしない。ナナはブラスバンドの曲も母が教えないとできないし、知らん振りしていれば学校の宿題なんて、しないで学校にいっている。そういうふうに育ててしまったわたしが、悪かったのか。今日はナナとは口をきくことができないと思う。
December 28, 2005
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母親の誕生日だった。クリスマスイブに生まれただけあってすばらしい人わたしは、自分の母が自慢です。参観日にきてくれると「りかのおかあさん、きれい」と友達によくいわれた。スポーツウーマンでもあり東京オリンピックの時代に国体選手だったメダルをみせてもらった。素材選びと、だしから自家製なのでお料理がとってもおいしい。どうして母が父みたいな人と結婚したのかいまだに疑問だ。午前中家族3人で実家にいき母に、プレゼントとお花をとどけたそれと、年末のごあいさつにちょっとしたものと娘の通信表をみせてきた。「ナナ、こんなに成績よくって、将来なにになりたいか決めるのがたいへんでしょ?」母はとてもごきげんだった。子供のころノストダラムスの大予言「1999年に地球は滅びる」と信じていたのでそのころは自分は30歳ちょっとの人生で終わりなんだそのころに結婚できていればいいな、子供はいるのかな?その先のことは考えていなかったでも現在がある。主人がいて子供がいる。高価なプレゼントはないけど、みんなクリスマスだからうれしそう。しあわせだなとおもう。21歳のとき、3年つきあったカレに別な彼女ができて、私の前から、去ってしまった。いつもそばにいて、毎日会って並んで歩いて笑っていた人が急にいなくなった。電話をしても、冷たくなったなんで? こんなのうそだ。「孤独な毎日がいやだ、死にたい」半年は毎日ないた。月日が解決してくれた昔のことはどうでもいいか。 メリークリスマス!!
December 24, 2005
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本日2作目。美容院でカラーとカットをしてきました。カットはここ3~4年くらいずーっと、店長におねがいしています。店長は、こんなかんじにしたいっていうイメージを聞いてくれるのが上手で私の好みとか、髪のクセをわかってくれているからカレにしかカットしてもらったヘアスタイルはいつも満足なんです。店長も忙しいのでカラーとストパのときは他の方にしていただくんですけどね。対面でカラーしていた女性が、ロングヘアでOLさんみたいな雰囲気のひとでカンロクあり。スナックのママかしら?29歳くらいかな、、?マスカラすごっ。アイラインも黒でびしっ。眉、うわ、かきかた、うまいわ~。あの眉うまい。角度はどのくらだろと、ちらり、ちらりみてしまいました。美容院ってケープかけているから服装がわからないじゃないですかシャンプーするからって、その人が「はい」ってケープとられたら 女子高の制服きているんですよ、ミニスカで。えーーーー!! 高校生だったの、おとなっぽいー。冬休みになるからカラーにきたんだね。絶句でした。
December 22, 2005
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2学期も今日でおわり。やったー。送り迎えから開放だ、、、、!学習発表会で学校行事がほぼおちついてあとは勉強だけですね~と担任の先生と話していた矢先にたびかさなる不審者のせいで、毎日登下校の送り迎えをすることになってしまった。宮城交通が赤字路線廃止といっているのでそのへんを、スクールバスにしてくれると保護者は超たすかる。きのうはナナがスイミングだったのでそっちも送り迎え。平泳ぎキックをやっていました。す~いすいと、ビート版もって25M、結構進むようになったんじゃないかなナナ、がんばれー。足のひきつけをもっと早くして水をけったあと伸びたら、足の裏をかえすともっと進むんだぞ!ん~~足腰も強くなってきた。ファイト「ママごめん、いつも送り迎えさせて」毎晩娘が、あやまってくれる涙しているときも ?「いいんだよー。母は、ナナが一生懸命がんばっている姿をみてると、疲れがぜんぶふっとぶんだよ」
December 22, 2005
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カゼをひいたのかな、頭が痛い、、ズキズキちょっと休めばいつも治るんだけど鎮痛剤をのんだ。きのう氷点下の中、スイミングにいったせいかな?そえとも今日、クリスマスの準備に買い物にでかけたせいかな?すっごく混んでいました。パパと、自分と娘のクリスマスプレゼントを買った。レジはプレゼントの梱包まち。このご時世なので予算は一人千円ってとこ。あとはケーキ注文するだけ。子供のころ、親に「クリスマス会と誕生日会家でもやろうよ」と提案したことがあった 「うちはキリスト教じゃないから、そんなのはやらない」とあっさりいわれた。父のいないところで、母親にもういちど、頼んだら「りかが結婚して自分の家庭をもったらそういうふうにすればいいじゃない。」なんとなく覚えている。冬物セールも時期がはやくなりましたね。来年になってからかな?と思っていたけどもう、30~50OFFになっていた。母親がきのう10万円おいていった。きれいな袋につつんであった。なんの意味があるのか。なんとなく想像できるけどよくわからないといえばわからないしとても申し訳なくて、使えない。使うつもりもない。いまのご時世大金だとおもう。さっき横になっているあいだまた、子供のころのことを思い出した弟と喧嘩してさんざん、やっつけられた。もう体力じゃ勝てなくなった頃だった。くやしくて、茶の間で2時間くらい泣いた。泣けば、親が助けてくれるかも、なぐさめてくれるかもと思っていたけど、仕事が忙しくて両親はくることはなかった。それが、悔してもっと泣いた。子供のころから、弟は病気だったのかなと気がついた。
December 20, 2005
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PM7:30に愛犬のししが吠えました。パパの早い帰宅はうれしい。明日の朝は、ダンボールや新聞のゴミの日だったのでゴミ捨て場まで全部運んでもらったし夕方の食器も洗ってもらえた。。助かる。今日は総合病院にいってきた。相変わらず、病人の佃煮状態!娘のとびひは、完治しました。スイミングもOKをいただきました。最近の医学はかさぶたをつぶして、かさぶたの中の菌を殺してしまうという治療をするらしい、、子供のころかさぶたはつぶしちゃいけないといわれて育ってきたものだが。医学もだいぶ進歩しているんですね。蜂の巣みたいに顔中あったかさぶたがきれいになくなりました。「写真とっておけばよかった。 うそだよ 」愛犬のししも3回嘔吐をしていたのでこっちも動物病院か、、、と思ったけどゴミ箱をあさって、娘が食べのこして捨てたお菓子をたべたたみたいだった。元気に吠えまくっている。やっぱりうちは一人っ子でいいなと思った。ふたりいたら大変だろうな。こういうとき、父の言葉を思い出す。「秀樹の病気のことで精一杯で、りかのことまで手が回らない」子供にランクつけないでよ。いいんだ、親の老後の世話なんて絶対してやんないんだ。秀樹にやらせる。どんなことになっても。秀樹は、だんだん人間らしさがなくなってきていると思う。人に対する思いやりの気持ちとか、向上心がない。あんまり先が長くないような気がする。
December 13, 2005
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日曜日にみつけたとびひが、目にいったみたいです。目が痛い、朝眠かったから、かいちゃった。ママごめん。がーーん。赤くなってるし総合病院なら、皮膚科と、眼科もあるので明日、登校する前につれていくしかない。待ち時間何時間だろ?何時間病院の中にいるんだろうかと思うと、いまから気がめいってしまう。ヨードチンキみたいな薬と抗生物質のほかに乾燥剤もつかったほうがいいらしい。ここまでくると、小児科ではだめなんだ。母はこのごろお疲れモードである。とびひの顔を洗ってに薬を塗るのと、学校の送り迎えで疲れている。広島小学生殺害事件から、ナーバスになっているのはうちだけではないと思う。よそのご父兄も、子供たちを車で迎えにきている。それなのに学校側は?なにやってんの?事件前と事件後では、下校時の対応は何もかわっていない。防犯の人も誰も通学路にいない。確かに、先生方の人数が足りないということはよくわかっている。集団下校するために生徒をまとめることもしていなく、子供たちは、ばらばらに下校してるし父兄に対して学校からも市からもプリントの1枚の配布もないし声がけもされていない。防犯ベルを配るわけでもない。「誰かひとり犠牲者がでないと、学校も動かないんじゃない?」友達ママが言った。義務教育で学校に登校しているわけなんだから家庭側でだけではなく学校側からもヘルプはしてほしいしと思う。今朝、怖い夢をみた。実家の前にカキ氷やをだして、アルバイトをしている夢だった。時給が安いと言ったら。「そんな文句は初売りで実績をあげてから言え!」といきなり父親のこわい顔が現れて、だんだん弟の顔になった。あたしは「それはもう、あたしのしごとじゃない」と叫んだ汗いっぱい、かいて目が覚めた。怖かった。
December 8, 2005
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うちは、スーパーが遠い。車がないといけないのだ。だから、買い物するときは必ず、メモ紙に買ってくるものをきちんと書いて行く。調味料はなくなってきたら気がついた人が、台所のホワイトボードに書いておくことにしている。うちの近くにコンビにもどきの、小さいおみせがあるがそこは、定価なので超物価がたかいのだ。店頭にはAM7:30~PM9:00まで営業と書いてあるけど、朝8時前にお店があいていたためしはないし、夜も7時ころには閉めている。そこのおばちゃんは、お店にはいっても自分から「いらっしゃいませ」と言ってくれることは、まずない。しかたがないからこっちから「こんにちは」とあいさつするとやっと、「いらっしゃい」と言ってくれる。お金を払ったあとも。「どうもありがとうございました」なんていわない。ムシだ。娘が20円のガムを買った。おばちゃんに「21円です。」といわれた1円足りなかった娘はこまってしまった。おばちゃんは言った。 「じゃあ、つけておくから」 1円だってまけてくれない。低学年の小学生が「トイレかしてくださいーーーー」とかけこんでいくのをみたことがある。おばちゃんはおこっていた「あんたたち、これからはちゃんと学校でしてきなさいよ」アイス1個かっただけでは、袋にいれてくれない。だまってみていると「袋にいれますか?」と聞いてやっといれる。むむ。おばちゃんは、いつもお店の前にある自動販売機をがちゃがちゃと開けてそこから小銭をだしている。お金を数えるのが好きだ。わたしは1日に1本バナナをたべる。バナナがきれていたので買いにいった。くさりかけたバナナしかなく、値札は¥280だった。こんなとき、ご主人だと「あーくさっているから、100円でいいですよ」といってくれるのだが、、、おばちゃんがいるとしっかり。¥280とられる。クリスマスケーキは毎年、そこのお店から注文している。シャンパン1本サービスでついてくるんだけど去年のクリスマスのときはおばちゃんがいたのでシャンパンはもらえなかったくーーーーー。もらえなかった。とくやしがっていたら10分後にそこのご主人が「すみません、シャンパンわすれました」と自宅に届けてくれた。絶対これからは、あそこの店から注文しないと固く誓った。この間は、空きビール瓶をかえしたのに、、ビン代をくれなかった。そんなとき「ビン代ください」と言えないわたしもわるいかもしれない。はっきりいって、どがつくケチだと。おもう。きのうは、時間がなかったのでスーパーにいけなかった。仕方ないから、そこのお店でブルドックソースとか、豆腐を定価で買った。全部で980円くらいだった。きのうはご主人がおみせにいて1000円分かうと1枚もらえる福引券をくれた。おばちゃんだったら、999円でもくれないのに。
December 7, 2005
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12月4日訃報がとどいた。くるみちゃんが亡くなった。2~3日前にここから3キロ先の家で火災があり37歳の女性が亡くなったということは耳にはいっていた。その火災がくるみちゃんとリンクした。くるみちゃんは、小学生~中学生のころ私の実家の近所にすんでいた。はじめてくるみちゃんに会ったのは小学校3年生のときだ。長い髪をみつあみにして、色白で、スタイルがよかった。なんて、活発でかわいい女の子なんだろう。それが第一印象だった。くるみちゃんは、一緒にあそうぼうと声をかけるといつも、私につきあってくれた。くるみちゃんの家にはピアノがあり、くるみちゃんになにかひいて?とたのむと「アラベスク」という曲をよくひいてくれた。とても上手だった。5~6年生のときは地区のソフトボールチームに一緒にはいっていた。私たちのチームは優勝候補で他のチームと練習試合をしても負けることはほとんどなかった。期待通り小学校区の大会で3位になり。銅メダルをもらった。市の大会にも出場チームにに選ばれ。市の大会ではなんと、優勝して、地方新聞の1面を飾った。祝賀会では監督さんが、優勝カップにビールをいれて、うれしそうにいっきに飲んでいた。くるみちゃんの守備は2塁ベールだった。2塁をアウトにすると、くるみちゃんからボールが1塁を守っていたわたしにすぐ飛んできた。アウト!ダブルプレイ、チェンジ。痛快だった。くるみちゃんは音楽が好きだった。中学に入学したら偶然、同じ吹奏楽部に入部した。くるみちゃんはフルートがとても上手だったし、いつもまじめに練習をしていた。くるみちゃんは鼻炎だったので部活が終わると耳鼻科に行っていた、いつもまにかわたしも待合室でくるみちゃんをまっていた。なんとなく、中学のころのくるみちゃんはおとなしくなった気がしていた通学の時も、無口だった。どちらかというと、自分から話をするというよりも友達の話をきいて、うつむきかげんで、にこにこしているほうだった。中学を卒業してからは進路が別で、友達もかわり、あまり話すことはなかった。----------くるみちゃんのお通夜には行かないつもりだった。でも、くるみちゃんのいろんな思い出がそうは、させてくれなかった。くるみちゃんはやさしいから、自転車をいつもかしてくれた。くるみちゃんは、学校に行くとき、家のまえでいつも私をまっていてくれた。そうだ、くるみちゃんの誕生日も12月だった。くるみちゃんの家は全焼したらしく、葬儀会館でお通夜、お葬式がおこなわれた。夕方5時すぎに車を運転して、くるみちゃんのお通夜に向かった。きちんと、くるみちゃんにお別れをしないといつまでももやもやした気持ちがおさまらなかった。長いバイパスをすぎ、交差点を右に曲がったそこからは、街頭もない暗く、対向車もすれちがうのがやっとの道だった。まわりは田んぼで、車が落ちそうになり、だんだん、自分がどこにいるかわからなくなった。どこまで走っても暗くて長い道で、怖くなった。くるみちゃん、暗くて、遠いよくるみちゃんはこの道の先にいるの?くるみちゃん。行き止まりになってしまった。ぽつんと民家があったので、葬儀会館までの道をきいてようやくたどりついた。 くるみちゃんの写真は成人式の写真だった。くるみちゃんのおかあさんがいた。おかあさんは、気丈にふるまっていた。くるみちゃんのお母さんには私もずい分お世話になっていたものだ。「ごめんなさいね、こんなことになっちゃって写真も全部燃えちゃったって、この写真だけが残ったの」くるみちゃんの話をおかあさんからきいた。亡くなる1週間前に、ソフトボールをしていた仲間に会いたい、と話していたそうだ。不思議と急に、ご両親に甘えるようになったみたいだ。くるみちゃんは、2年くらいまえ、私の実家にも会いにきてくれていたそうだ。一時期、調子が悪かったんだけど、ここ最近だいぶ、病状もあんていしていると、お医者さまからもおなしされていたらしい。12月には、くるみちゃんの誕生日のこと、クリスマスのこと、中島みゆきのコンサートに行くこと。おかあさんといっぱい計画をしていた矢先だったらしい。火災の日くるみちゃんは一人で部屋にいたんだけど、様子がおかしいなとご両親が気がつき、部屋にいったときは、助けることもなにもできない状態だった、とくるみちゃんのお母さんが話してくれた。くるみちゃんの大切なフルートも燃えてなくなっちゃったって。くるみちゃん、ごめんねくるみちゃんから、私に会いにきてくれていたなんてよほど、のことがあったんだね。あのとき折り返し電話して、くるみちゃんの辛かったこと、聞いてあげてれば、もっと違う方向にいったのかもしれなかったね。いまごろ会いにきて、あたし冷たすぎるね。くるみちゃんのうわさは、ちょっと耳にしていた。でもくるみちゃんは、しっかりしているから大丈夫。そう思っていた。 くるみちゃん、親不孝だよ!こんなことあんまりだよ。くるみちゃんのおかあさんの前で、こらえても、こらえても涙がとまらなくでてきた。泣いちゃ、いけないくるみちゃんのおかあさんのほうが、どんなに辛いかって。でも、くるみちゃんくるみちゃんのそういうところもふくめて、くるみちゃんなんだし。嫌いにならないから。いままでどおりだから。安らかに。 思い出ありがとう。 くるみちゃんへ。
December 6, 2005
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きのうから朝夜は氷点下の冷え込みになったので灯油代節約のため娘も、わたしたちの部屋で一緒に寝ることになった。パパは夜おそくまで茶の間でビールを飲んで、ギターをひいたりテレビをみているので私と、娘はふたりで寝室でさきに寝てる。男の人は一人になる時間がほしいらしい。布団にはいると、すぐに眠りそうなんだけど娘がにこにこして話しかけてくる。「あのね、ヒトミちゃんなんだけどね」ヒトミちゃんは幼稚園いらいのなかよしさんで運動会でもリレーの選手だし、校内水泳大会でもビート版25M競争でスイミングに通っている子供たちをおいこして1位になるスポーツ ウーマンだ。算数なんかはきらいらしい。「ALTの時間にね、ゴー トゥ ザ ベット って習ったのねヒトミちゃんったら、なんのこと?なんのこと?ってうるさいから”ゴツイ べっと”って覚えておくとわかりやすいよ。っていっておいたの。そんで、ロバート先生がヒトミちゃんの列、発音してくださいっていったらほんとに、”ごついベット”っていっちゃったんだ 」まじまじと顔をみたら赤や黄色のぷつぷつが鼻の下と3箇所くらいあった。 とびひっぽいなー。痛いし、かゆい!?プールでうつった可能性もあるな。明日は、皮膚科につれていこうか。
December 4, 2005
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栃木でも小学1年生の殺害事件がありました。腹立たしいです。力のない、小さい女の子を狙うのは最低だと思います。今朝は土曜なので小学4年生の娘部活が9時からあり、午後も1時から習い事があったのでいつもはしないのですけど、気になって送り迎えをしました。送迎疲れ、、もう眠いです。きのうは娘のスイミングでした。スクールまで歩いて15分なので行きは一人で通い、帰りだけ迎えにいっていましたがきのうは車で往復つきまといました。よその父兄もやはりきちんと子供についていました。このへんは、祖父母と同居している世帯がほとんどなのでおじいちゃんたちのお迎えがおおいです母親がきている家庭のほうが少ないくらいでした。スイミングスクールの出口にアイスクリームと、ポっキーの自動販売機があります。高いのでわたしは1度も買ってあげたことはありません。「家に帰って、すぐ、焼肉やいてあげるから」というと、 ごはんもおかわりして三膳はいくので、おやつは絶対たべさせません~鬼?わたしにはおじいちゃんがいなかったのでわからないけどおじいちゃんたちって孫に「買ってー」といわれると自販機で買ってあげるんですね。うれしそうな顔で。しかも、ひとりじゃなくて、3人も兄弟がいて全員にかってあげていたうっ。やさしいんだ。おじいちゃんっておじいちゃんの孫をみつめる目ってきれいだと思う。そういえばきのうの夜、娘がみけんにしわをよせていっていた。「スイミングでね、レッスンがおわってさシャワー浴びるでしょ、そのときね、、、。5年生とか6年生の胸って大きくなっているんだよ。びっくりした。ママくらいあるんだよ。」?????ん?あたしの胸って、小学校5,6年生れべる?だということ?ぶーーっ。。「ひどいよーー」といったら「ちがくて、ちがくてママみたいにおおきってこと」・・・・・・・そういえばこの子はアタシ以外の大人の女性の裸をみたことが、なかったかも。このところパパのボーナスもいいときの半分に下がって温泉にも連れて行っていないしなぁ母のバストレベルがどれくらいなのか、気がつく日が申し訳ない娘の体型は母親にから遺伝するらしいし。ふぅ。かわいそうに。そういえば、今日初雪がふった。おそくなったなぁ 暖冬になってきたんだ。
December 3, 2005
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昨日、容疑者がつかまりました。おなじ小学生をもつ母親として、被害者のお母さんのことが気の毒でなりません。きっと私と年齢もかわらない方だと思います。テレビに被害者の幼稚園の卒業式の映像が写りました。育ちのよい、ご両親が大切にそだててこられたんだなというのが感じとれる、子供さんでした。3歳から英語と、ピアノを習っていてご両親も将来をとても楽しみにしていらっしゃったと思います。犯人は、宮崎容疑者タイプの人だろうと予想していました。けど、100パーセントはずれ30歳のペルー人で妻子もペルーにいるとのこと。ペルーとブラジルは日本が開拓した国と勉強した記憶があります。記憶まちがっていたらごめんなさい。日本人と、ペルー人の間には友好関係があると思っていたのに。残念な気持ちでした。これから、犯人にたいして、警察の追及がはじまりますが容疑者は片言でしか日本語を話すことができないとききました。ことばの通じないペルー人が犯人だったなんでどこに気持ちをぶつけたらよいのでしょうね。犯人がわかって、さらにつらい気持ちです。このあたりも港がちかいので、船がはいると。外国人がよく、集団であるいています娘は、一人で下校途中で声をかけられたこともあるそうです。「Hello」と声をかけられて、挨拶をかわしたそうです。英語は小学生の授業の中にとりいれられています。覚えたての、子供は、英語がつかえてうれしい様子でした。こんな事件があると、そんなことも言っていられなくなります。コミュニケーションをとるのも警戒してしまいますね。たったひとりの心ない人のせいで。子供にも「自分の身は自分で守る」ということをおしえていかなくてはならないです。心よりご冥福をお祈りいたします。
December 1, 2005
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