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40年以上経ったエアコンをだましだまし使っていましたが、さすがに室外機の騒音がひどすぎて買い替えを決断しました。ビルの二階の室外機の底を見てみると穴が開いてボロボロになっていました。これは騒音がするはずだと思いました。いつもの家電量販店に行ってチラシに載っていたエアコンを注文しました。故障が少ないと言われているダイキンのものにしました。 しかし屋外工事が必要となるために雨が降っていると業者が来てくれません。一度工事中止になってやっと先日工事に来てくれました。二人の青年が来てくれててきぱきと作業を進めていきます。お客様も来られていたのですが、治療スペースからは離れていたので何とか事なきを得ました。新しいエアコンは良いです。有り難いです。大きな騒音もなく安心して作動させれます。ほっとしました。ついでにエアコンの周りの整理整頓やら断捨離やらもできてすっきりしました。
2025年12月04日
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毎日Facebookの画面を閲覧しているのですが、時々高圧水流で洗浄しているおじさんの動画を見始めたら止まらなくなって、それから草ぼうぼうの家屋や庭や道路を奇麗にしていく動画にもはまり、延々と見ていたら何だか「刷り込み」が行われたようで日々の現実の世界でも自分の身の回りを整理整頓したり、除草したり、断捨離したりが日常化していっていることに段々気づきました。良い傾向なのだろうとは思いますが、これがYouTubeや何やらの動画にハマっている現代人の生態だとしたら、「刷り込み」がやばいことになっているような気がします。好きで延々と見続けるということが人の精神にどれだけ大きな影響を与えるものか・・・とても恐ろしい気がします。私の場合はその影響は良い方向に進みましたが、これが動画によっては人を恐ろしい方向に進めてしまうことにならないかと思います。 日々の習慣というのはある意味「麻薬」のような面があります。自分を常に客観視できる精神を持っていないといつの間にか変な心になっているかもしれませんね。
2025年12月02日
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こちらは東京・吉祥寺にスクールを構えておられた永井先生とのご縁です。永井先生の「動禅指圧」という著書と出会い、電話で連絡を取り高速バスでお伺いして2年間ほど毎月のように通って師事させていただきました。今の私の技法の基本はすべて永井先生から教わったものになります。永井先生は「沖ヨガ」という日本に最初にできたヨガの教室の治療担当をされていた方で、とても気楽で愛他精神の強い方で、スクールには常に障碍者の方が習いに来られていました。和気藹々と常に十人近くの方がスクールにはおられて、お互いに技法を教え合っていっしょに食事もして「私塾」のような雰囲気でした。先生から学んだ技法は私の基本になり、その上にタオ指圧の技法が重なってある程度の完成形を為したと言えると思います。永井先生はニ、三年前に亡くなられました。まだ70歳代だったと思います。 深い感謝とご冥福をお祈りします。
2025年11月30日
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市内の書店の専門書フロアで何か「氣」に関わる本を探していた時に出合ったのが遠藤先生の著書「タオ、気のからだを癒す」でした。本格的な経絡指圧の専門書でしたが、先生の書は読みやすいのが特徴でするすると内容が頭に染み込んできました。これだ、と思って早速ネット検索をして先生のワークショップが京都で開かれていると知りすぐ申し込んで受講しに行きました。幸いなことに先生に直接師事させていただけて外国人受講生が三分の一もおられる不思議なワークショップでしたが、タオ指圧の一端に触れさせていただきました。 それから三回ほど受講させていただき、私には無理という内容になってきたので途中で断念しました。合気道の技術がとても複雑に絡んできたのです。先生の「氣の経絡指圧」は合気道の技術がとても重要になってきます。武道は難しいです。 のちに私は氣を自分の中に取り込む技法を先生の技術から導入して私独自の技法としていきました。少しずつ経絡の姿が視えてきたのは20年近く経ってからです。道はとても遠いです。先生ありがとうございました。
2025年11月28日
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今年ももう後一か月余りになってしまいました。毎年言っているかもしれませんが、歳を取ると一年があっと言う間です。今年の記憶と言えば「暑すぎる夏」しか無いような・・・。いえいえ今年も施療過程の中で様々な発見があり、施療に応用するべき技術も見つかりました。施療に関しては日々新たということが実感させられます。どうもこの仕事は私の性分に合っているのだなと改めて思います。こんな事なら大学を出たらすぐに専門学校へ行って鍼灸の国家資格を取れば・・・などと思いますが、いろいろな就業経験も私の血肉になっているのだろうとも思います。何事も今の自分と周りの皆様に感謝して生きていくしかないようです。少しでもお客様に楽になっていただけたらと願って日々精進していこうと思います。もうすぐ令和7年が終わります。ありがとうございました。
2025年11月26日
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私は昭和32年生まれなので戦争の記憶は全くありません。ただ年寄りの昔話や祖母の家に行ったりすると軍服を着た遺影があったりするのがわずかな戦争の名残のように思えます。金沢は空襲に遭わなかったので街中には全く戦争のにおいは在りませんでした。 ただ卯辰山という金沢の町中から続いている丘陵というか低山というか、今は公園化していますが、そこに土崖に穴が掘って在って両親に聞くとこれは戦時中に掘られた防空壕だという事でした。それから五木寛之さんの小説に書かれている内灘砂丘という海岸沿いに行くと弾薬庫の跡がコンクリート製のものが何棟か残っていました。 そういう戦争の残骸と両親の生き方や暮らしぶりの中に物の無い時期の名残のようなものが感じられて「戦争」というものが人や町に残す残骸が何十年と残り続けていくことに何となく人の罪深さを感じて儚く思います。
2025年11月24日
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人から神氣というものが立ち昇っていることを視ることがあります。前世で神官をされていたり神社と関係があって神様ととても近い関係であった方などに時々視られる現象です。 神氣はうらぶれて人もあまり来ていないような神社やお社で視ることもあります。それと名所になっていない巨岩や巨木の近くでも視ることがあります。人の根本に近いものではありますが、人の俗気というものを嫌う傾向があるように思われます。人が欲にまみれると神氣からは遠ざかるという事でしょうか?
2025年11月22日
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施設に入居する母と電話で祖母の思い出を話していたら思い出したことがありました。母方の祖母はとても明るくほがらかな人で92歳まで生きていました。幼いころに祖母のいる母方の実家に兄弟で泊りがけでよく遊びに行ったものです。近くの神社に大きなお祭りがあって屋台が並ぶものですから、お小遣いを少しもらって行きました。 祖母が家の中で家事をしながらよく唄っていたのが「越中おわら節」です。「♪越中で立山ぁ加賀では白山♪駿河の富士山三国一だよ♪」というものです。祖母は働きづめの生涯でした。貧しい家に生まれ育った人でしたが、常に民謡を歌ってほがらかに生きた人でした。母も同じように働き詰めの人生でしたが、民謡を歌うことが唯一の趣味です。親子ですね。
2025年11月20日
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手や足がこわばって動かしにくくなるというお客様の主訴がありました。整形外科や脳神経のお医者様でもわからないとの事。いつものように一番こわばりのひどいという腕の部分に触って氣の流れを視てみました。右の肩甲骨の背骨よりのところに氣が繋がって視えました。タオ指圧の反射区で言うと「胆」の経絡の反射区になります。遠藤先生の著作の中に「胆実」の症状に「手足のこわばり」というものが書かれていました。そこで反射区を押圧してみると少し痛みがあるようです。それで身体の前面と背中の「胆」の反射区に磁気鍼を貼って様子を見ることにしました。これで停滞している胆の氣が流されていくと手足のこわばりも寛解するはずなのですが、良くなることを願っています。 ちなみに「胆」の経絡は神経痛のような症状を身体の関節を中心にして起こす傾向があり、現代の象徴的なトラブルメーカーですね。
2025年11月18日
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たぶん中国の古い怪異話に出てくる虎=寅のイメージが悪いものや強いものとして描かれているので私の中でそういうものとして固まってしまったてのかもしれません。タイガースファンの方たちには誠に申し訳なく思います。氣視の中で「虎」は災厄として出てきます。だからこれが出てきたときはためらいなく浄化を行います。そんなものに見舞われるのはだれも勘弁願いたいと思っておられるだろうと思います。 たぶん「鬼門」というものが方位学的には「丑寅」の方角になることも寅が悪いことの象徴とされることにつながっているのかもしれません。何しろ天狗や狐とは桁が違う災厄なのですぐに浄化してしまいます。私の浄化では大災厄が小災厄くらいにしか出来ませんが、それでも何とかやっております。
2025年11月16日
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ある光景を鮮明に覚えていることがあります。子供のころ家の近くの川べりに映画館が二つ並んで建っていました。北國シネラマと北國第一という名称だったと思います。そこから多くの観客が退出してきて若者を中心に何だか所々で変な格好をして「キェー」とか言いながら踊っています。どうもカンフーの真似をしているらしかったです。そう「燃えよ、ドラゴン」というカンフー映画を見てきた観客たちでした。後で私も見ましたが、衝撃的で格好良くてこれは流行るなと思いました。ブルース・リーはこの一作でスターになり、そして若くして亡くなってしまいました。 この映画館では未知との遭遇やらスターウォーズやらも見ました。映画館から外へ出ると浅野川の川べりで開放感のあるシチュエーションのこの映画館が好きでした。その頃は金沢市内に5、6館以上の映画館があったように記憶しています。
2025年11月14日
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時代小説はSF小説の次くらいに好きなジャンルで、数多くの書籍を読み学ばせていただくこともいっぱいありました。 池波正太郎さんの「剣客商売」なんかは大好きで単行本で全巻揃えています。池波さんから学んだのは「恩は着せるものでなくて着るもの」ということ。人への善意の行為もそれが恣意的なものになればなるほど価値はどんどん下がるのだろうと悟りました。我を捨ててこそ善行には多少の意味が出てくるのだと思いました。 またある作家の作品から「戦人」の仕様というものを知ったこともあります。何か事を為そうというときに戦人は二段構え、三段構えに策をめぐらすものということ。一段だけでことを為すのは負けにつながることが多いわけで、これがダメなら次はこれ、それもダメなら次はこれくらいを用意してことに臨まなければことを為すことは難しいということをこれで知りました。 書物から知識を得るのは楽しくもあり難しくもあるということですね。
2025年11月12日
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最近は自然現象が過激になってきていますが、そのせいなのかどうなのか神様が身近に近づいてくることが多くなってきています。先年は龍神系が地に潜り、今年は雷神が空を走り、それ以前には素戔嗚尊様が世界を走り回っておられました。地にも空にも乱を呼ぶのが神様の特徴でもあります。異常気象や戦乱が神様を呼び寄せているのか、神様が逆にそういう現象になってしまっているのか、人の身では分かりかねるところです。 しかし雷神は武御雷の大神でもあり、鹿島の神様でもあります。「鹿島立ち」という物事の始まりを神様が祝うという言葉があります。清々しく晴れ渡った青空に突然雷音が鳴り響く、心を新しくしてことに当たれというご神託が今、伝わってきているのかもしれません。二日ほどログインできませんでした。今日復旧。
2025年11月11日
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日経新聞の連載でチューリップの財津和夫さんが文章を書いておられて、それに触発されて自身の初めての洋楽を思い出しました。以前にも書いたことがあるかもしれませんが、亡くなった従姉のレコードで聴いたビートルズのデビュー曲でした。 何だか騒がしいけれど何だか心のどこかの急所に無理やり何か硬くて奇麗なガラス容器をねじ込まれたようなそんな感覚がありました。受け入れにくいけれどきっと受け入れたら素晴らしいものが心の中に生まれるかもしれないというような矛盾した感覚があったものです。その後はグレン・ミラーやら何やらいろんな洋楽に心をさらされていきましたが、今はエンヤのミュージックに行きついてそこに浸りきっています。日本の音楽には逆についていけなくなりました。私は勝手に音楽にはどうしても安らぎを求めてしまいます。これも年齢のせいだろうと思います。今の日本の音楽には一部を除いて安らぎがありません。残念です。
2025年11月06日
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最近お客様を浄化させていただくことが多くなりました。自然環境が厳しさを増していく中、不安定で不確かな人間社会の中であらぬ念を飛ばす方もおられれば、闇に近いポイントに知らないうちに近づきすぎる方もおられたりして、総じて暗いもやもやに取りつかれておられる方が多いのです。 音叉による浄化と癒し、切り火による新たなる浄化の方法がわかったのもこういう状況になるだろうとあちらの世界の方たちの導きがあったのだろうと思います。毎朝施療コーナー全体をお香で浄化しておかないとどんよりと穢れが溜まってしまうように思います。心はいつも清潔に誠実に保つように心がけて行こうと思っています。
2025年11月04日
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朝の散歩のときに近所の川べりを歩くことを止めています。川べりまで下りないで上の道路を歩いています。薄暗い時間だということもありますが、やはり熊が怖いです。他に歩いていられる方も熊鈴を付けて歩いておられます。私の住んでいるところは町の中心部ですが、最近は川を下って降りてくることも考えられるので安心はできません。金沢は街中まで自然が豊かなのが良いところなのですが、こういう場合は不安材料にしかなりませんね。 つい先日も近所のお寺さんの前で1メートルを超えるイタチが車に轢かれて亡くなっていました。近くの兼六園にも狸が出るとかでないとか・・・。自然が身近にあるのは良いことなんですがね。
2025年11月02日
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昔、東京の友人たちが金沢へ来たとき友人たちを案内して街を歩いていたら「中学生標準髪型」というポスターが貼ってあって、それを見た友人たちが大笑いしていて何だか恥ずかしかったことを思い出しました。東京では考えられないポスターの写真と状況だったのだろうと思います。でも彼らはオウム真理教の教祖が選挙に出た時も選挙で使っていた応援ソングがおかしくて笑ってしまうと喜んでいたのも見ているので、彼らの評価基準というのもいい加減だなと感じていました。 たくさんの人たちの中で、日本の中心と思われる場所で生活をしていると人としての常識というものがどこかしか崩れて行ってしまうのかもしれません。地方に住んで自然の身近で自然とともに生活することによって人は安定した精神というものを培っていけるのではないかとも思ってしまいます。東京が、大都会がダメで地方が良いという話ではありません。人が心の安定というものを守るにはどこにいても確固とした心の芯を持たないとだめだという事なのだろうと思います。
2025年10月31日
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熊の被害が全国で頻繁に起きています。熊は山の神様の眷属であり、神殺しの象徴ともされる日本最強の生き物です。異常気象の影響は奥深い山の中にも影響を与えているのだろうと思います。人間がもたらした「穢れ」がクマに宿りクマをおかしくさせて人里に導いているのかもしれません。これは自然界からのわかりやすい警告なのかもしれません。昔の日本人は熊に対して畏敬の念を持っていました。猪や猿以外にそういう対象はニホンオオカミしかいませんでした。ニホンオオカミが絶滅した今、熊が山の神域の象徴でもあります。神域が崩れ始めている・・・それを畏れ警戒し戒めとしなければならないはずなのに人はそういう事に全く気付かずに生活しているように思えてなりません。
2025年10月29日
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人と人、人と土地、人と仕事等々ご縁というのは目に見えないけれど様々な物事に繋がりを持たせてくれているように思います。知らないうちに自分とご縁のある神様のおられる神社の近くに住んでいたり、何だか気になる歴史上の人物群に知らないうちにご縁のある方と知り合いになっていたりなどと不思議なつながりが人の人生を彩っていくようになるようです。これらをコントロールされているのが神仏や守護霊と呼ばれる方たちなので、私達は知らないうちに「善き場」「善き時」というものを与えられて生かされているという事なのでしょう。独りで生きているつもりでなんていてもそれは単なる独りよがりに過ぎなくて、皆周りに生かされて生きているという事なのだと思います。本当にありがたいことです。常に目に見えない存在に感謝して、周りに在るモノにも感謝して生きていきたいものです。
2025年10月27日
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65歳以上の方にはコロナとインフルエンザの接種券が配布されるようです。そのためにたぶんコロナとインフルの予防接種を同時に行う人がほとんどだと思います。私の昨日同時接種してきました。そうしたら腕が痛い、体がだるい、鼻水が時々出るという症状に陥りました。今度からこういう接種は休日の前にするべきだと悟りました。今日を何とか乗り切るぞーーと決意を固めている私でした。反省。だるいので今日はここまでです。
2025年10月25日
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私もその中の一員です。それが一番良いと思っています。名を広めることをせず少しでも世の中のお役に立てる立場にいられるならそれが良いと思います。ブログを書き続けているのは書くことが好きだからです。啓蒙の志がほんの少しはありますが、名を売ることは決してせずに地に伏して生きて行こうと思っています。どうもあちらの方たちも私にはそういうお役目を与えてくださっているようなので静かに黙々と施療を続けて行こうと思います。 講習やセミナーというものが得手ではないということもわかっています。私には教導の力が無いようなのです。人としての誇りは在りますが、我こそは・・・というのは苦手です。継続して自身を奮い立たせていることが出来ないようです。一般人は一般人として普通に生きていくのが最善なのだと思っております。介護に携わる方たち、医療現場の影に頑張っておられる方たち、清掃業を地道に続けておられる方たち、インフラ整備に誇りをもって携わっている方たち、それらの名も無き人たちを尊敬します。
2025年10月23日
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土日にかけて静岡県伊豆に旅行に行ってきました。娘のリクエストで熱川バナナワニ園に行きたいとのことで7時間近くかかりましたが、ドライブしてきました。 新東名高速道路は三車線で制限速度が120キロという初めての体験です。何だか車の速度というのはある程度で慣れてしまうものですね。新しい高速なので路面が奇麗で高速で走っていても振動は少なめでした。 それにしても伊豆半島は全体が観光地化されていて何だか人の生命力にあふれた土地でした。その割に高速道があまり整備されていなくて一般道を延々走り続けないと目的地にたどり着けない感じがあります。そして温暖な気候なのでしょう。北陸とは全く違った植生が見られました。その最たるものが熱川バナナワニ園の周辺かもしれません。 巨大なワニたちには「原初の恐怖」というものを感じました。近寄れば喰われるという恐怖。小さな哺乳動物として生きていた原初の記憶が「近寄るな」と警告するのが感じられました。恐竜全盛時代の記憶でもあるのかもしれません。珍しい体験でした。
2025年10月20日
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欲望というのは中々捨てがたいもので食欲やら性欲やら睡眠欲やら出世欲やらまとわりつかれていつも大変になりますね。 私の指圧の先生は無茶なことをおっしゃっていて「治したいという欲も捨てなさい。」と。それは無理というものです。先生。けれど無心で施療しているときほど氣がよく視えて施療自体もうまく行くことが多くてこれは本当にそうなんだなと悟りつつ日々「無茶ですよ、先生」と言いつつ送っております。 人が欲から解放されれば仙人のように気楽に生きて行けるのかと言えばそんなことは無いのは皆さんよくご存じだと思います。生きる欲が無くなってしまえば人は衰退していって死んでしまいます。そこの塩梅をどうするのか?永遠の謎ですね。まぁ自己コントロールが完璧にできれば問題ないのでしょうが、そんなことが出来れば超人になってしまいます。 普通人は欲望というものを何とか抑えつつ生きる欲だけは優先して周りに迷惑を掛けずに生きていければよいのだろうと思っています。
2025年10月18日
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子供のころ小学校では毎月か何か月かに一度、体重と身長を測るイベントがありましたね。何だか自分が少し偉くなっていくような感覚がありましたが、あれは単なる子供の思い込みのようなものですね。自分の身長が人よりも高いのは自覚していましたが、身長が低い同級生たちが抱えている劣等感に気づいたのは随分大人になってからでした。自分が恵まれているのはしっかりと客観的に自分が見られるようにならないとわからないものなのですね。「人との差」というのは人の根源的な在り方につながっていきます。人と自分にどれだけの、どういう内容の差があるのか、それをしっかりと自覚して、その上で自分と他者との「イノチとしての繋がり」をわからないと人としての成長はできないように思います。それが大人になるという事なのだろうと勝手に思っています。 子供のころの体重測定はその「人との差」をしっかりと認識できる最初の機会だったのかもしれません。
2025年10月16日
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少し前にテレビで99歳のおばあちゃんが富士登山をする番組を見ました。40歩登るごとに一休み、各山小屋に全て宿泊して一週間かけて登頂・・・気の遠くなるような地道な登山風景でした。それでも毎年登られているのだからすごいと思います。それより何よりその登山に付き添っている70歳代の息子さんがすごいと思いました。言ってみれば母親の趣味に付き合ってゆっくりゆっくり登山に付き合われているわけです。大変なご苦労だなと共感いたしました。 全国で100歳以上のお年寄りが9.9万人になったというニュースをどこかで見ました。超高齢化社会の到来です。先日家内が娘が高齢者になるころには介護職は全員外国人の方になっているかもしれないね、なんて言っていましたが本当にそうなるような予感がします。人が長生きするのは素晴らしいことなのですが、姥捨て山なんていうものが出来ないことを願うばかりです。
2025年10月14日
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死期が近いお身内がおられる方を氣視させていただいていたらそのお身内の先に亡くなられたご主人の御霊がそばに来られていました。これが「お迎え」というものなのかなと思っていたらその御霊が「これは見守りです。」と伝えてこられた。お迎えというのは亡くなられた直後に来られる方たちを言うようで、こういう時期に来られる方たちは安楽な死を迎えられるように心や現世に平安な波動を送られるために来られるので「御見守り」と言われるそうです。人の魂に対してあちらの世界はとても細やかで優しい気遣いをされるのだなぁと思いました。この死期の近い方もきっと現世で周りの方たちにとても愛された方なのだろうなぁと思いました。本当は生きている間もずっと見守ってくださる魂はどんな人にも常に就いておられるんですけれどね。
2025年10月12日
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とても畏れ多いことに夢の中とはいえ「高御座」の造営をしていたということがありました。夢の中なので何の脈絡もなく何しろその畏れ敬うべき玉座を四苦八苦して建設していました。天皇陛下のご即位に際して詔を賜る場所?もしくは天皇としての笏を承る場所?なのだろうと思います。現在は京都御所の紫宸殿に安置されているはず。 私の産土の神様は応神天皇様なので何某かのご縁はあるのでしょうが、不思議な夢を見るものです。
2025年10月10日
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ようやく涼しくなりつつあります。暑い暑い夏が終わりました。いつも脳が沸騰しそうになりつつエアコンを効かせた室内にこもって黙々と仕事をさせていただいていました。暑さが苦手な人間にとって日本の亜熱帯化は歓迎すべからざる事態です。秋と春が段々短くなっていって今に日本から四季というものが無くなってしまうのかもしれません。恐ろしいことです。日本はお陰様で先進国で科学技術もインフラも進んでいますから何とか生きていけますが、そうでない国々は大変なことになっていくのではないかと危惧されます。 自然の風はエアコンの涼しさとは比べられない心地よさを与えてくれます。雨にしても最近の暴力的な雨はもう勘弁してほしいと思います。100年に一度、なんていう比喩が今では現実に起きつつあります。人の対応が追いつきません。何かを根本から変えて行かないと人の営みは崩れていくのだろうと思われます。
2025年10月08日
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ごめんなさい、また名盤CDを紹介させてください。「ヨーヨー・マ プレイズ・モリコーネ」です。チェリストのヨーヨー・マ氏が映画音楽で有名なエンリオ・モリコーネ氏の楽曲をフルオーケストラで演奏したものです。元々ヨーヨー・マ氏のチェロの音色は大好きだったのですが、彼の表現力はずば抜けているので、映画音楽と絡めば最高だろうなぁと思っていました。それが抒情豊かなモリコーネ氏と絡めばもう最強ですね。 最初から最後まで素晴らしい音楽に酔いしれて追われる名盤です。何十回聴いたかしれません。特に「海の上のピアニスト」の一曲は感涙ものです。
2025年10月06日
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昔々新しい神様と古くからそこに住まわれていた神様との交代劇がありました。新しい神様の代表は天照大神様で古くからの神様は大国主命様かなと思います。古くから住まわれていた神様は名を失い形を失い人々の記憶から消え去りつつあるという形になりました。 ところがどっこい古い神様たちは土地の深いところに根付き生き延びていました。古代神とでも呼びましょうか、彼ら彼女らは無形にはなりましたが人の心の奥底に潜んで生き延びています。 確か神話の中にコノハナサクヤ姫とイワナガ姫という二柱の女神さまを娶りなさいと言われたのに醜いイワナガ姫を拒否したことで人が永遠の命を手に入れそこなったというものがあったのですが、どうも私はそれが新しい神様を受け入れて古い神様を放逐した前述の神話と相似しているのではないかと思い至りました。イワナガ姫という方は醜いとされていますが、土着の神様をそう称したのではないかとふと思いました。見目麗しきコノハナサクヤ姫に目を奪われて心映え正しきイワナガ姫を見逃す・・・そういう愚を犯したくはないものです。
2025年10月04日
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何だか日本のエンタメ業界は特に音楽関係で数多くの音楽グループが乱立して、高齢者は全く個人の区別がつかなくなっています。しかも皆さんとても複雑な振り付けのダンスをされるから、何だかダンスの苦手な私などはこれは別次元だなと思ってしまいます。K-POPを筆頭に歌って踊るグループが乱立し装いもメイクアップも奇麗で奇抜なものになっていって美しくてかっこ良いのはわかるのですが、個人の区別が全くできません。昭和歌謡の時代には個人の個性を際立たせることが大命題だったように思います。それがいつの間にか団体で魅せる傾向が強くなり、個性は小さな単位になっていったように思います。もちろん個人で確立されている人たちもまだ大勢おられます。それらの歌も何だか最近は心に残る一曲というのは無くなりつつあるように感じます。
2025年10月02日
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知る人ぞ知るジャズ・ピアノの名手です。もうこの人抜きでジャズ・ピアノは語れないくらいの方です。彼の作品の中で私が最も好きなものが「Waltz for Debby」というものです。ライブ盤ですが、聴けば心に沁みてきます。ビル・エヴァンス・トリオという形で演奏されていますが、彼の楽曲はジャズというジャンルを超えて人の心に哀愁と喜びとちょっぴりの皮肉を感じさせてくれます。このメロディのように人生を生きられたらきっともっと魂は自由になるんだろうなぁと思ってしまいます。心が疲れた時にこの盤を聴くと本当に癒されます。プロのミュージシャンが憧れる名盤ですね。 ちなみに今日は私の弟さんの誕生日。彼がいることで私の心は半分が満たされるような存在です。ありがたいことです。おめでとう。ご家族共々健康で幸せに暮らしていってほしいものです。
2025年09月30日
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子供のころのこういう記憶をインナーチャイルドとか言うらしいですが、年齢を重ねてくるとこういう記憶が蘇りやすくなるようです。 もう一つの幸せな記憶は「図書館」に関するもの。本が好きで好きで小学校の図書室の本はほとんどを読み尽くす勢いだったことを覚えています。図書館は静かであまり人もいなくて自分の興味を掻き立てるものが山ほどあって、本当に幸せな空間でした。 公立の図書館はほとんど行きまくったのですが、家から離れるとなかなか借りてくるというわけにもいかずそこへ行ったときは滞在時間を延ばして本を読みまくったものです。父が社会教育センターというところに勤務していた時にはその近くの公立図書館に入り浸ったものです。そこで読んだ「魚・貝のふしぎ」という漫画になった知識本は夢中になりました。その半分ボロボロになったような本を食い入るように読んだ記憶、その時の図書館内のほんわかとした雰囲気をよく覚えています。たくさんの本から漂ってくる独独のにおいに包まれて私の子供時代の一瞬は過ぎ去っていったようです。
2025年09月28日
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子供のころの幸せな記憶と言えば、一番に思い出すのが卯辰山に在った金沢ヘルスセンターで遊んだ記憶です。何しろ子供が喜ぶものが全てありました。動物園、水族館、遊園地、巨大風呂、映画館、売店、演芸場、ゲームコーナー、食堂等々子供にとってはパラダイスでした。弟と二人で一日中遊びまくっていたものです。お風呂も映画館も複数あったので、いろんなお風呂に入ってみたり、映画館へ行けば怪獣映画から怪奇映画まで様々な映画をやっていました。動物園も水族館も見放題です。親たちは演芸場の大ホールで持ってきたお弁当なんかを食べていました。子供が興味を持つものが数多くあったので一日遊んでも飽きませんでした。今はこういう施設が無くなったように思います。今の時代が幸せな時代では無いかというとそういうことは無いのですが、あの高度経済成長の時代には何だか心をギュッと幸せにする空間がそこかしこに在ったような気がします。
2025年09月26日
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朝、川べりを散歩していると古い空き家があって道路に面した二階の前面が障子がはまっている窓になっているのですが、その障子が全て破れて穴あき状態になっていました。 「あぁ目目連(もくもくれん)みたいだなぁ」と思いました。目目連というのは障子のすべての桟に目が現れる妖怪です。昔の人は人が住まなくなったか、怠け者の人の家かの破れ放題な障子を見て妖怪の存在を感じ取ったのかもしれません。 そういう事で言うなら「あかなめ」もきちんと手入れされていない風呂場の水垢のこびりついた様子を見て、そこにやはり妖怪の存在を昔の人は見たのかもしれません。 人の心の中から生まれたのかもしれない妖怪は万物全てに宿っていると思われる物魂のようなものを変化させて生まれてきたのかもしれません。自然霊ももちろん含まれているでしょうが、現代ならSNSの中に宿るデジタル妖怪も視えるかもしれませんね。
2025年09月24日
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日経の記事に触発されて若いころの記憶が蘇りました。大学の剣道部の合宿で丹沢の山奥の旅館のようなところに宿泊したときのこと。肝試しのようなことをしようと夜中に外へ出て山道に入ったところでライトを持っていた友人がライトを消した瞬間に真っ暗になりました。鼻をつままれてもわからないような真っ暗闇で、目を開いているのか閉じているのかさえ分からないような闇でした。これは身動き取れないなぁと思いました。目が闇に慣れれば何か見えてくるかと思いましたが、全くそんなことは無くていつまでも真っ暗闇の中で暗黒の中に焦りが募りました。人というのはいかに資格に頼って生きているのかということがわかり、全盲の方の感覚というのがわかりました。人はもしかしたらこの全闇というようなものを体験しておいた方が良いのかもしれません。感覚の一つが完全に遮断されるという得難い体験をさせてもらったことでした。
2025年09月22日
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最近この方が存在感を増しておられます。どうもご縁が深くなったようで呼んでいただいているような気もします。春日大社には何度かお邪魔させていただいているのですが、関東の方の鹿島神宮へはまだ行けておりません。何しろ遠いですから、自分一人で行くにしても泊りがけじゃないと危ないような気もします。 先日も朝の散歩のときに西の海上に何回も落雷が起きているのを見ました。とても綺麗でした。最近の研究では落雷によって大気中だったか、大地の土壌中だったかの化学成分が変化して農作物に良い影響が出るということがわかったということをどこかで目にしました。 「稲光」が稲を育てるのは事実だったようです。昔の人は自然の摂理というものを原始感覚というようなもので理解していたのかもしれません。 先日はNHkの時代劇ドラマ「塚原卜伝」を見ました。鹿島詣でが猛烈にしたくなりました。
2025年09月20日
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という名前の歌がありました。確か山本コータローさんが作って歌われていた曲だと思います。古い古い昭和の曲です。でもとても好きでよく歌っていました。高校時代に友人四人と行った自転車旅行も能登半島の岬をめぐるような旅だったように記憶しています。 ♪岬めぐりのバスは走るーー♪なんていう歌詞だったような気がします。いつかまたカラオケにでも行ったら唄ってみたいと思います。歌というのは人の記憶を本当に鮮やかに蘇らせる力を持っていますね。昔の善き思い出ばかりが蘇って来ます。今流行っている楽曲は私達老人には流れるように過ぎ去っていく歌詞の密度が高すぎてなかなかついていけません。ゆったりと歌詞とメロディーが流れる昭和の曲がちょうど良いです。
2025年09月18日
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色々な柵に絡まれてストレスが溜まると思い出して心をすっきりさせる山の思い出があります。白山山系の登山道の一つに釈迦岳ルートというのがあって、そこを単独で登っていた時のことです。ちょっと登山道を逸れて森林の中に踏み込んだ時に小さな湿地帯のような場所があってそこにあった栃の巨木の根元から水が湧きだすかのように流れていました。 鬱蒼とした森林帯の中で少しだけ日が差してその木の根元から流れてくる水がとても清らかで豊かな滋味を感じられるような感じがして何分間かぼーっとその光景を見ていました。 山から帰って何年かしてその光景を思い出すと山からの慈愛を感じるような気がしてストレス解消の思い出になりました。山の中に一人でいると自分の心の中の様々なものが湧きだして外界からの音や風や光となって現実界の私を襲います。それもまた不気味楽しい経験と言えますね。
2025年09月16日
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仲代達也さん主演のNHK時代劇で、ずっと昔に放映していたものです。原作は藤沢周平さんで私はこのシリーズが大好きでした。どうしてももう一度見たくなって贅沢にもアマゾンで購入してまとめてゆっくりと観てしまいました。 仲代さんが人間らしい三ツ矢清左衛門を演じておられてわきを固める俳優陣も素晴らしい人たちばかりでこの頃のNHKは贅沢だなぁと思いました。 殿様の御側ご用人を引退して隠居した主人公が感じる空虚感やらそれでも前向きに人生を楽しもうとする姿が人の喜怒哀楽を痛切に描いて物語は進んでいきます。人は役目が終わったと思ってもまだまだその先も人生はあるわけでそこでまた何を自分に課すのかでその人の人生は大いに価値を持って輝きだすのだと作品は語っていくわけです。 「日残りて 昏るるに 未だ遠し」作品の冒頭に繰り返される言葉です。
2025年09月14日
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優しい雨何ていうものが無くなりつつあります。雨が降れば線状降水帯になり、50ミリから100ミリ以上の降水量になり、道路は冠水し床下浸水が発生し土砂崩れがあちこちで起こります。自然が人に罰を与えているような感じさえします。金沢は今のところまだひどい水害は起きておりませんが、そんな幸運いつまでも続きません。きっと必ずこちらも被害に遭うことがあるはずです。間違いありません。私の住んでいるところもハザードマップで調べると3メートルまでの洪水可能性がある地域です。ある程度の備えを考えておかないといけないと考えております。皆様もまたご考慮ください。
2025年09月12日
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働くという言葉を「はた」(周囲のすべてのもの・人)を「らく」(楽にする)と読み解くことがあります。まさに働くということは何処かで誰かのためになっているという真理があって人は行動しているわけで、「他人様のお役に立つ」ということで言えば子供でも親の役に立っていると言えるわけで、子供を育てることで親は様々な勉強をして苦労をして一人前の人間になっていくという面は多々あるわけで、そういうことを諸々考えてみると役に立っていない人なんて一人もいないわけで、何らかの関わりを持って人が生きている限り誰かのお世話になり、誰かのお世話をして生活をしているのが人なのだろうと思うわけです。 きっとそういうお役目が終われば人はきちんと人生から退場するのだろうと思っているので、そうなるまでは一生懸命働くしかないのだろうと思っています。
2025年09月10日
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最近急に蝉が盛大に鳴き始めました。暑かったので羽化するのを控えていたのでしょうか?夏の終わりに盛大に鳴き始めるのはやはりちょっと異常気象と関連を感じます。そして秋の虫たちも大いに鳴き始めました。夜から早朝まで庭のあちこちでこれもまた盛大に鳴き合っています。耳から感じる季節の風情というものが段々ずれて行っているのを思います。 自然の流れというものが人の営みが遠因でこれからもずれていき、それもまた自然の流れという風になっていくのでしょうか?日本が亜熱帯化していくのは何とも辛いし寂しいし不都合なものではあります。それでもことを新しくして物事に当たれと卜伝ならおっしゃるのでしょうね。
2025年09月08日
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母の背骨の手術はうまく終わりました。下半身のマヒも今のところは出ておらず、今は歩行機を使ってですが、歩くリハビリをしております。ただお医者さんからは認知症も進んでいるので次に転んだら間違いなく下半身まひになるので覚悟しておいた方が良いと言われました。入居している施設のほうではこういう母のようなケースも何件もあるようで、慣れた感じで受け入れ態勢を取ってくれました。ありがたいことです。母は強運の持ち主なのですが、これからどこまでその運に救われて生きて行けるのか・・・最後まで幸せに生きてほしいと願っています。
2025年09月06日
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塚原卜伝のDVDを見ました。NHKで連続ドラマとして放映していたものです。鹿島神宮の神様の本質をよく表しているなぁと感心したもので、記憶に強く残っていました。 近くの香取神宮の神様が私の守護神なのですが、鹿島神宮の神様ももちろんとても近しい神様です。ただ土地が石川県からはとても遠いのでまだ一度もお伺いしていません。まだ来なくてよいと言われている気がします。こういう神様とのご縁というのは不思議なもので呼ばれない場合はどうやっても行けないものです。いつか心の底から行きたいと願う日が来るはずだと信じて生きて行こうと思っています。 堺雅人さん主演でしたが、本当に良い作品でした。「何事にも心を新しくして当たれ」そういうご神託が与えられ、そこから新当流となったわけです。
2025年09月04日
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雉鳩の鳴き声は独特です。一定のリズムを持っていて物悲しい音色で気怠さが漂います。子供のころは何の鳴き声なのかわからず不気味でした。少し大人になって鳩の鳴き声だとはわかりましたが、長いこと土鳩の鳴き声だと思っていました。しかし土鳩はあのようなリズムを持った鳴き声ではないことがわかり、近年やっと雉鳩の鳴き声だと判明しました。 キジバトは気が強く夫婦になると一生同じ夫婦でいて、他の鳩とは決して群れない鳥です。そしてあの物悲しい鳴き声で時々自己主張しています。そして聞いている私の心を気怠さへと誘ってきます。
2025年09月02日
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ご先祖様や亡くなられた方たちの魂は常にこちらを見守ってくださっていることは間違いないです。だからと言ってこちらに対して干渉する力もアドバイスすることもありません。私のように氣で繋がっていると少しだけイメージを送ってくださったり、一言を伝えてくださったりは在りますが、こちらとは別次元なので無干渉ではあります。 でも見守りの力というのは「縁」というものにだけは少しだけ影響を与えられるようで人と人、人ともの、人と土地といった縁には少しだけ力を加えられることがあるようです。目に見えない世界というのは不思議なつながり方をしているようですね。
2025年08月31日
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生まれてきたからには、生かされていると感じる限り、他人様のお役に少しでもなっていると感じる限り頑張って生きて行こうと思います。そうじゃないと地球の上の一枠が゜もったいないですものね。なるべく慎ましく他人様の迷惑にならないように真っ当な道をゆっくりと歩んでいきたいと思います。
2025年08月29日
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何だか今の新しい型のコロナはのどの痛みから症状が始まるらしいですね。私は風邪をひくときに喉から悪くなるタイプなので戦々恐々としています。 いつもの足の甲にあるのどに効く特効ツボはコロナの時にも効くのかなと思っています。同じツボに何回もお灸をするのはお灸の定番なのですが、それが今回のコロナでも効くのかどうか少し興味がありますが、自分の身体では試したくないというのが本音です。 お灸と言えばこの間NHKのファミリーヒストリーという番組で立川しらく師匠の回を放映していましたが、師匠のおじいさんがあの深谷伊三郎氏だと初めて知りました。深谷氏はお灸に携わっているものなら知らない人はいない有名な方です。お灸にはずっと助けられてきました。これからもお世話になると思います。ありがたいことです。
2025年08月27日
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こういう字だったか定かではないのですが、戦国時代の戦では印字打ちという投石による攻撃方法がありました。そのあたりに落ちている石を兵士が投げるわけで当たれば痛いしケガもします。当たり所が悪ければ死ぬことだってあるかもしれません。弓矢や鉄砲は費用対効果がそれほど良くありません。つまり使うにはお金がかかるわけです。石を投げるのはタダです。しかもそれを行う兵士はほとんどが徴兵されたお百姓さんです。弓矢や鉄砲なんかの技術なんかありません。そこで石投げとなったわけです。 現代でもプロ野球のピッチャーはものすごい速い球を投げます。当時も印字打ちの名人何かがいたかもしれません。何しろ戦争はごめんですけれどね。
2025年08月25日
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