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娘が学校を一週間欠席した。日曜日、マーヤと一緒にフリマに参加して、自分のいらなくなった鉛筆や筆箱や雑誌の付録を安い値段で売り、なかなか上手な値段交渉で、小さな商売人していたけれど、翌日熱を出して、倒れてしまった。。。あまりにも咳がひどいから、病院に連れて行ったら、「肺炎を起こしているから、今週いっぱいは学校を休みなさい」とお医者さんから言われた。おーまいがー!運動会の練習もあってるし、今、放送委員会でちょっとした学校のアナウンサーになっているから、学校に行けないことを大変くやしがっていた。娘の担任の先生が、これまたいい先生で、毎日「娘さんはどうですか?」と電話を下さった。ほんとうにありがたかった。休んでることを悔やみ、学校に行きたがる娘に、気をつかって毎日電話くれる先生、ほんとにほんとにありがたい。。。またありがたいことはそれだけではなかった。休んで5日目だった。クラスの皆が、休んだ娘のことを心配し、みんなでお手紙を書いてくれたのである。しかも、担任の先生は、それをわざわざマーヤん家まで、手持ちして持ってきてくれたのである。「はやく元気になってね」「コレは元気になるお守りです。(手作りのお守りつき)」「さいみんじゅつ。。。あなたは病気なおるなおるなおるなおる。。。」すべてを娘と読み終わったあと、マーヤの目には、滝のように涙があふれまくっていた。娘はそんな私を見て笑っていた。「ママ、鼻水出てるのもわかってる?」今、登校拒否や残酷ないじめ、クラス崩壊など、たくさんの問題が教育現場ではあふれている。世間のニュース見てたら、まるで悪魔が君臨しているように思えるときもある。心はカラカラの砂漠のようだ。しかし、マーヤは思った。愛と心のあたたかさあふれるクラスに悪魔は存在しない!と。今日はまたしみじみ、「ありがとう」をかみしめている。また「ありがとう」が言えるような状況に恵まれてることにも「ありがとう」と感謝している。だって「憎しみ」からは何も生まれないんだもん。。。「ビンボー」なことだけは変わらないんだけど、イロイロ人に言えない苦労あるんだけど、でもマーヤは自分は幸せな人間だと思っている。どうでもいいけど、わが娘よ、私のプリンを横取りする元気があるなら、早く学校行けーいい!!
2008年05月17日
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もう一度写真のアップに挑戦!今度こそうまくいきますように。。。しゃくなげの花です。んー、なんで写真が左に寄ってまうのかなあ。世の中うまくいかんばい(九州弁)
2008年05月07日
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この世に、私(あなた)にとって無駄な経験、無駄な出来事など、ひとつもない。悲しかったことも、嬉しかったことも、愛したことも、恨んだことも、喜んだことも、絶望したことも、裏切ったことも、裏切られたことも、すべてすべてすべて、、、無駄な出来事なない。体験を通して、何が一番大切なのかを、誰もがしっかり学ばさせてもらっているはずだ。そんな中で、何を一番大切にして生きようとしているか、どのように選択し、どのような生き方をしようとしているかは、聖なる視線が、天からしっかりと注がれている。何が起こっても、神仏にしっかりと心向けること、それさえ忘れなければ、慈愛に包まれて生きることができるということを、体験を通じて、よくわかるようになった。
2008年05月01日
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写真アップなんかやってみたんだけど、ちょいでかすぎ?どうやったら小さくなるの?教えて~(涙)
2008年04月24日
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叔母が亡くなった。享年76歳。去年亡くなった父の姉である。これで父の兄弟5人はすべて他界したことになる。幼少のころ、よくかわいがってもらってたから、とても寂しい気持ちでいっぱいになった。父がすい臓がんになる前から、叔母は肝臓がんになっていた。長患いで苦しみ、弟である父が唯一の話し相手だった。しかし、父の方が先に亡くなり、そのことで随分と落ち込んだ叔母の病気は、知らずうちに悪化したようだった。叔母はほんの数日前まで元気に話をしていた。そして去年などは、意識もうろうとする父のそばで、父の手をとりながらわんわん泣いていた。人の手をとることなく、息を引き取る瞬間だけ子供の手を握り、あっけなく他界してしまった。よく晴れた日の、午前中だった。通夜のとき、親戚はみなこう言っていた。「きっと、ひろっちゃん(父のこと)が連れていったんよ。もうこれ以上苦しむなって。ここにくれば苦しくないぞって」そして、生前叔母はこう言っていたという。「ほとんど兄弟があの世に行ってしまったから、もう自分も皆とところへ行きたいなあ」と。体から魂が離れて、叔母はやっと楽になれただろうか。叔母の息子は働き盛りの40代で、仕事の多忙に名を借りた言い訳で、時折叔母にご無沙汰をしてしまったことを、口にこそしないけれど、悔やみ、謝っていた。そして一人になって泣いていた。年代別人生前向きに生きる方法、40代その1に、「人の死に慣れろ」というのがある。「寂しくなるね」従兄弟に話しかけると彼はこう答えた。「あの世のほうがにぎやかになってるよ」父の兄弟姉妹は明るくて、よくしゃべって、よく食べて、よく飲み、よく歌う兄弟姉妹だった。そこが血筋、マーヤもよく似てる。なんだか騒がしい天国を想像すると、涙より笑顔が出てしまう。「おばちゃん、楽になれたね。もう苦しまなくていいね。いっぱい歌ってね。」と、明るく声をかけたくなるのであった。今なぜかマーヤの周囲で、焚いてもないのに、お香の香りがする。そして叔母の住んでいた、あの古い家屋の匂いがする。おばちゃんが安らかになって、楽になれることを心から願っている。
2008年04月23日
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計算高い人に本当の恋はできない。と、いろんな恋愛相談に乗っててそう思う。誰が見ても、絶対障害だらけ、それでも気持ちは絶対ホンキで安全パイのパートナー選びを払拭して、一生懸命に純に恋愛にがんばる女性たちが多くなった。もうバブルも崩壊して随分たつ。物質主義の価値観に、時代は限界と虚無感を覚え始めた。そして何よりも、女性は経済的に自立してきた。だから、お金と社会的立場で男性を選ぶ時代はもう古いのだ。女性も男性も、物質主義で生まれた価値観の限界を知り尽くし、もうすでに、精神的なものを大切にする世界を模索し始めているのだ。だから、相手にも、「愛」とか「絆」とか目に見えないものを求めるようになったのだ。自分以外の人を愛せる女性はすばらしいと思う。たとえそれがどんな結果に転がろうとも、そのときは必死に相手のためにがんばる。だから、マーヤは、ホンキの恋愛にがんばっている女性を応援したくなる。もしその恋愛が世間的にオススメすべきものでないならば、その結果をいい形に導いてくださいと、相談者のため神仏様に必死に祈るしかない。世の中には、通過しなければわからない人の心の痛みというのがあるもなのだ。しかし、それを何らかの形で乗り越えた女性の横顔には、大人の落ち着きと貫禄に満ちている。そして語る言葉も、深みを増している。
2008年04月13日
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桜が満開である。あちらでも、こちらでも。年々、桜の花は増えてきたような気がする。桜の木のケアの技術が進んだのかな?必死に、必死に咲いてる気がする。短いからこそ、その瞬間にすべての華やかさを、力いっぱい集中して出し切ってるみたいだ。だからこそ、美しいのかも。美しいと感じる人間の心は、「飽き」に一番弱いことを、桜の花はよく知っているのかもしれない。それでも必死に咲く花は、けなげだ。もし桜の木に心あるならば、満開の華やかさと裏腹に、もしかしたら切ない気持ちで立ってるのではないだろうか。ハラハラと花びらを散らしながら。。。
2008年04月07日
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友人がこう言った。「お金持ちの人はよく寄付や献金するでしょ?あれはね、汚く稼いだお金を、きれいに流す、一種のお金の浄化なのよ。」へー、へー、へー、と、まるでトレビアの泉のように、顔を長くしてうなずいてしまった。短期間で大きく入ったお金というものは不浄なものらしい。どこかで誰かを犠牲にしたり、傷つけたりしている。誰一人恨まれずに大きな利益を得ることなど、現実にはありえない。かと言って、汗水たらして、正直にまじめにコツコツ働けば、人に恨まれることはないだろうけど、大きなお金にはならない。その友人とお茶したあと、何気なく本屋によって、たまたま手にした本にこんなことが書いてあった。「もし、マイナスのカルマをつくってしまったら、それを上回るくらいのプラスのカルマを積みましょう。悔いても始まりません。」そっか、そういうことだったのか。今日もまたひとつ勉強させられた。ただし、最後にしめくくられた、「悔いても始まらないから。」という言葉がどこか重さを残す。つまりマイナスカルマを作った事に対して、「悔い」がなければ、それ以前の問題だ、ってことなのか。。。つまり、タバコをやめて健康になりたい、と思っても、やめようという気持ちや意志がなければ、それ以前の問題だ!ということと同じなのかもしれない。
2008年03月31日
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会ったことない人は知らずにすむけれど、マーヤはとっても太っている。。ううう。。。娘が主人に尋ねた。「ねえ、ママが卒業した学校の名前は何なの?」「養豚場!」ここで傷ついて落ち込まないといけないのに、なぜか家族と一緒に笑ってしまう自分がいる。また尋ねた。「ねえ、ママはどこで生まれたの?」「トントン星。豚豚って書くんよ」うわはははは!まったく傷ついてないわけではないんだが、、、ケラケラ笑う主人と娘を見るとなんだか安心してしまって、やっぱりついつい自分まで笑ってしまう。そして何よりも主人の発想力に感心してしまう。少しはその発想力をもっと違うところで生かせば、この人の人生も随分違っただろうになあ、と不必要な心配までしてしまう。祖父からよく「人に笑われるような人間になるな」と言われてきたが、今しっかり笑われている。しかも家族に。いやいや、ホントは笑い事ではない。健康に悪いのだ!!もう40代だし。マーヤは立ち上がった!昔英語の家庭教師をしてた娘さんが、とある病院の「肥満外来」を尋ねて、体重が一ヶ月で4キロ減ったのだという。早速、連絡をとり、調べたのである。そして、ようやくその病院を探し当て、思い切って訪ねたのだ。今では、通ってそろそろ一ヶ月になろうかとしている。そしてマーヤもなんと、体重を4キロ落とすことに成功したのだ!!いつのまにか、太りやすく痩せにくい体質へと変わっていったマーヤ。7年前ほど10キロのダイエットに成功したことがあるが、そりゃそりゃストイックなストレスのたまる厳しい厳しい修行であった。最近でも、たった1キロ減らすのに、かなりの運動と絶食に近いくらいの食べ方が必要とされた。しかし、ここの病院のやり方はストレスがたまらない。その方法は「低炭水化物ダイエット」といって、つまり炭水化物をことごとくとらないようにする方法であり、それ以外の食事はごく普通にとっていいのである。肉、魚、揚げ物、じゃんじゃんOK。この方法は、私のダイエットに対する価値観を大きく変えられ、驚きでいっぱいにさせられた。人間ものごとがうまくいかないときとか、悩んでるときなどは、まるで連鎖反応のようにすべてうまくいかない。。。しかし、こうもうまく痩せれるなんて。。。夢のようだ。。。。ちなみにマーヤはダイエットビジネスのまわし者でもなんでもない。甘いものと、ご飯と、麺類と、芋やかぼちゃ、いわゆる「炭水化物」を朝ごはん以外はとらないようにするだけである。そして病院の指示通りの薬を飲み、血液検査やCTなどを撮りながら、ちゃんと医学的な指示の元で進めるから、我流でするダイエットより安心である。努力すれば道は開けると言うけれど、努力だけでもこれまたうまくいかないもので、やはり、どんな情報が入ってくるかとか、誰と出会って、どんな導びきを与えてくれるか、とか、それが結果を大きく変えているのが現実だ。だから運とか縁とかは軽く考えてはいけない、と思うのだ。その点では、マーヤにもやっとひとつ運が開けたと言えるのではなかろうか。すっかりブカブカになったスカートをずり上げながら、今度もっと痩せたら、新しいスカートを買おうかなって、新しい楽しみを味わっているところである。そして、なんだか今までの人生が大きく変わるのではないかと、希望的観測が心を軽くしてしまうのであった。
2008年03月23日
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chamomile flowerさんが教えて下さった、「アサーション」という言葉を検索してみた。本の紹介がほとんどだったけれど、中には「アサーション」とはどんなものかを簡単に説明してくれて、わかりやすいサイトもあり、とても役に立った。占いのお客さんで、悩んでいることのほとんどが人間関係だ。その関係が、夫婦だったり、恋人だったり、職場の関係だったり、状況は多種多様だけど、共通な部分で言えば、ほとんどが人間関係だ。嫌われることを恐れて、言いたいことが言えないでいる人。争うぐらいならば、自分が我慢すればいいやと思っている人。家庭の中、職場の中、近所づきあい、などなどの中で。もし心当たりあれば、「アサーショントレーニング」がおすすめです。奉仕することや、意見せずに我慢することがどこか美化されやすいが、それだと自分を失ってしまうし、自分を失うと幸せも失ってしまうのだと、この「アサーショントレーニング」は教えてくれる。私たちの生活の中に取り巻いている人間関係のすべてが、よりよくスムーズに循環さえすれば、きっと不必要な憎しみも生まれないですむだろう。「アサーション」と、今夜も検索の旅に出ます^^
2008年03月18日
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年をとると、新しく友達をつくるのが苦手になってくる。というか、新しい人間関係に消極的になってしまう。どこか怖さもある。不安もある。妙に一線を引いてしまい、その線みたいなものを簡単に超えようとはしない自分がいたりする。若いころはもっと違った。簡単に人と仲良くなったり、同じ趣味や目的を持つ人間みつけては、すぐにツルんだりしてたものだ。そこには、ひとつも計算や打算はなく、疑うこともなく、上下なく、常に対等だった。しかし、大人になっていくとそこはかなり違ってくる。無邪気な若い頃とは違っている。人間関係もすべて打算や計算、そして損得勘定で選ばれたり選んだりすることが多くなる。それと知らずに、うかうかと信用して奉仕してしまうと、単なるお人よしとして利用されて、便利者と思われて、振り回されるだけ。マーヤは、どこか気軽にものを頼みやすいオーラが出てるのかもしれない。それも原因のひとつだろう。ニコニコ笑顔で知り合いがアプローチしてきたかと思いきや、結局商売のターゲットにすぎなかった、とか、、悩んでるときに心配してくれて優しい人だと思いきや、新興宗教の勧誘だったり、、最終的には、自分の売り上げやメリットのために利用しているだけ。だから断れば急に態度が冷たくなる。みんな自分がかわいいから。そんな人間関係に、いつの間にか、たまらない空しさを覚えていた。「あたしって、一体なんなんだ。。」という思いで。。。別にともだちや知り合いのためになることをしてあげることや奉仕してあげることが嫌いではない。しかし、、、気が付けば、、、自分で心をふさぎこんでしまって、あれ?わたし、ともだちと呼べるヤツがいない!!!という気持ちにさえなっていたのである。口の悪い悪友が言っていた。「おんなに友情なんてあるもんか!」「その年になってね、近づく人間はみんな商売か新興宗教の勧誘だけさ!」と。。。しかし、計算や打算ではなく、見返りも計算せず、ただ純粋に「この人が人間としてスキだから」という理由だけで、大切に尽くし合える友人関係があってもいいのではなかろうか。到って対等で平等で、それぞれの価値観や世界観、立場などを尊重しあえるような、そんなおんなともだちをつくってみてもいいのではないだろうか。マーヤは変わらなければならない。。。もういい加減に、人間不信を捨てて、不安感というトラウマのような殻を破って、心開いて、たくさん友達をつくり、そして誰からの強制もなく、自らの意思で友達を選べばいい。人間性のよくない人とはいい関係は築けない。いい関係を作りたければ、人間性のいい人を、自分から選べばいいのだから。。。今までのように選ばれるのではなく、これからは自らの意思で選べばいいのだから。。。
2008年03月14日
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まだお知り合いになって間もないある友達が、今頃きっとペットロスで悲しんでいるのではないかと、気になっている。大切がペットがなくなる前に、私が代理で「病気平癒」のお祈りをしてきた。そしていただいた御札を彼女に渡してすぐに、彼女のペットは息を引き取った。「ごめんなさい、御札間に合わなかったですね」と言うと、「いや、それでいいんですよ。楽になれるようにって、私祈ってたから、その通りに、すごく楽に息を引き取ったし、たくさんお話もできたし。ありがとう。。」と言ってくれた。ほんの数週間前のことである。ペットロスはとてもつらい状態だ。マーヤは父親ロス(?)は経験あるけれど、ペットロスは経験がない。しかし、大切な家族を失う悲しみにおいては、きっと同じではないかと思っている。「3月に入ったら、カラオケに行きましょうね!」と彼女からメールが届いた。そして3月に入って、かれこれ、もう6日だ。。。誘いたいんだけど、まだ涙乾かぬうちに、どのような誘い方をしたらいいのか、、言葉をアレコレ考えていたら、とうとう6日になってしまった。こういうときは、いっそのこと、ぱあーっと歌った方が気が晴れるだろうか、それとも、やはりそんな気分じゃないだろうか。。。んんんん。。。どないしょ。。。タロットカードに聞いてみるか。。。二者択一なんて展開法で。。。いや、待てよ。。自分に置き換えて考えてみよう。父親が亡くなってまだメソメソ泣いた、あの初七日あたりの自分。。。結構泣き疲れていて、100年分の涙流しきったような気がして、もしそのときに誰か親しい人から「ぱっとカラオケ行きましょうよ」と誘われたら、案外「そうしよっか」と気晴らしに歌ってしまうかもしれない。やっぱり誘ってみよう。明日かあさってにでも、彼女にメールしてみよう。。。
2008年03月06日
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私たちの時代に比べると、小学校の教育現場は大きく変わったと思う。というと、歳がばれてしまうが、やはり30年前と今とでは、世の中の風潮もずいぶんと違うだろう。マーヤには小学校四年になる娘がいる。先日授業参観に行って、とても感動した。授業の内容は、十歳の主張というテーマで、各自がみんなの前でスピーチをするのだ。それぞれの児童が自分の将来の夢や、自分の宝にしているものについてスピーチした。そしてあるスピーチを聞いて、マーヤは涙した。そのおおまかな内容は以下の通りだ。「僕の宝物は命です。 小さかったころ、体が弱くて、みんなが僕を助けてくれました。 神様がくれた大切な宝物です。 もし、みんなが大きくなってこの先つらいことがあっても、 僕の言葉を思い出してください。 そして命がとても大切であることを思い出してください」10歳の少年の主張である。まだ変声期前の、澄んだ少年の声が、まるで神様からのスピリチュアルメッセージのように聞こえた。胸の中に、清く浄化された水晶玉が打ち込まれたような衝撃さえ覚えた。10歳はもう十分大人なんだな。。と思った。我々大人は、生活費を得るために、厳しい社会の中で戦っている。格差もひろがり、ニュースも暗い。。「命」を大切にする心や、「思いやりの心」など、じっくり考える余裕があるのだろうか。。。澄んだ彼の言葉は、果てなく続く砂漠のなかで見つけた小さなオアシス。彼も大人になって、何かしらの苦労を背負っていくかもしれない。だからこそ、大人になっても覚えていてほしい。キミはとってもすばらしい言葉をしたんだよ、と。。キミが苦しいときに、思い出してほしい。。。中島みゆきの「誕生」という曲にこんな歌詞がある。「Remenber。生まれた時誰でも言われたはず。 耳をすまして思い出して。 最初に聞いたWelcome. Remenber。けれどもしも、思い出せないなら、 私いつでもあなたに言う。 生まれてくれて、Welcome」彼のこの澄んだ言葉が、いつまでも枯れずに芽生え続けていくことを、祈っている。。。
2008年02月27日
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最近マーヤは忙しかった。仕事で忙しいことはありがたいことであって、いいことなんだと思いながら、バタバタバタバタバタ、、、と行動していた。せっかく電話もらっても、ゆっくり聞いてあげられずいそいそと切ってしまったり、持ち前の性格がこれまたおっちょこちょいだから、ドジや物忘ればかり、、、。そしてある占い友達からこう言われた。「忙しいという漢字は、心を亡くすと書くから、ばたつくのもいいけれど、心亡くさないようにね」なるほど、、、、はっとして、、また反省するマーヤであったが、反省だけならば、サルでもできる。。。昔から頼まれるといやと言えない性格が悩みでもあった。もっと自分のペースを大事にしよう。。。
2008年02月21日
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愚痴はマイナスの言葉の羅列。場合によっては、聞く側が頭が重くなったり、体調に支障をきたしたりすることもある。にもかかわらず、マーヤの周囲には、マーヤの愚痴を優しく聞いてくれる友達がいる。とても感謝している。だからそういう人には、今度は自分が愚痴を思いっきり聞いてあげようと思っている。「言霊」のエネルギーは大きい。プラスにもマイナスにも、大きく相手に影響を与える。にもかかわらず、人の愚痴の聞ける人は、器の大きい人だと思う。前向きなアドバイスは、その器の大きさの上でないと、効果が出ない。自分を本当に受け入れられているのかどうかは、相談者は最後に敏感に悟るものだ。
2008年02月15日
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命日がやてきた。やはりこの時間に目が覚めてしまった。「あと数分で黙祷だな、、」なんて思っていた。。。空が少しずつ明るくなっている。去年の今頃の時間もこんな空だった。息を引き取ったばかりの父は、こんな明けの空の中、天へ上っていったのかな。そろそろ、街が目覚めだして、動きはじめた。いつもの朝だ。あちこちで、車のエンジンをかける音がする。私にとって、特別な夜明けでも、世間は、いつもと変わらない一日を迎えている。そして私も、いつもと変わらない一日を、いつものようにすごしながら、やるべきことをやりこなして、頑張るしか、他に道はない。もう父と私が住む所は、世界が違うのだから。決して同じ世界には存在しないのだから。会うこともないのだから。母も、兄も、孫たちも、みんなそれぞれの道を行かねば。。。それでもまだ、「ああ、この時間ぐらい、霊安室から自宅に無言の帰宅をしたんだったな」とふと考える一日になりそうだ。外では、空がかなり明るくなった。鳥が鳴いて飛びまわったりしている。さて、今日一日の、しなければならないこと、、がんばろう。まずは、父に手を合わし、神棚の水を変え、拍手打って、家事して、占いして、英語教室して、娘の世話して、夫の世話して、夫帰宅前には夕食作り上げて、風呂わかして、、、当たり前のことだけど、無事の当たり前がありがたいことだ。きっと父が天から見守ってくれてると思いながら、今日一日のスタートだ。
2008年02月09日
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「愛しているの反対言葉は何だと思う?」大学生の頃、キリスト教倫理の先生から、授業中に聞かれた。人生経験未熟者だった若かりしマーヤは、「そりゃあ、憎しみだろー」と思っていた。ノー。。。。正解は「無関心」だそうだ。そして、あれから数年、スピリチュアルカウンセラーの江原宏之さんが、まったく同じことをテレビでおっしゃってた。そして、ごく最近、黒髪神社の宮司さんが、これまた同じことを言われていた。憎しみがあるうちは、相手に関心がある証拠で、まだまだ愛情があるということだろう。だから、家族がどこで何をしているのかを気にすることは、いいことなのだ。夫婦間でも、お互いがどこで何をして、何を思っているのか、気にしなくなってしまったら、もう終わりなのかな?「自分たち、干渉しあわないから」と一見、お互いを信頼しきって、理解のある夫、あるいは妻のように見えるけれど、どこか、寒々としたものを感じる。。。。貴女のこと、キミのことを、いつも気にして見つめている存在があるんですよ、と、感じながら生きていくほうが、誰だってエネルギーもらえる。空気みたいになってしまうこと、それこそ「無関心」になってしまうこと、これが一番の愛の不毛なのかも。。。
2008年02月03日
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先日、一緒に黒髪神社にお参りしたNさんから電話があった。「お礼参りがしたいのですが、今度はいつ行かれますか?」とても嬉しくなった。彼女は、さまざまな家庭の問題を抱えていた。お参りのあと、どうなったのかな、、と、気になっていた。だからといって、こちからから電話をかけるのもでしゃばりだし、もしお仕事中だったら迷惑になるだろうし、、、と思っていたら、彼女のほうからかかってきた。「あれから主人は落ち着いてて、ここのところまじめに日々を過ごしてるんです」とのこと。そしてお子様の問題も、解決にむけての小さな動きがあったそうな。。。「おかげさまで、、」を連呼する彼女。「いや、それは貴女自身の努力もあったんですよ」とマーヤが言っても、「そんなことはありません。こんな偶然って、人の力では動かせるものではありませんから。やっぱり私は、これは神様が願いを聞いてくれて、動いてくれたと感じるんです」人によっては、まるで神様は願いを聞いてくれるのが当たり前とし、願いが叶わなかった神様を、こきおろす人もいる。そういった人はたとえご利益をいただいても、「お礼を伝えよう」と言う動きはひとつも見られない。それでも神様は上からちゃーんと見ている。。これからきっと彼女にできた新しい神様縁は、ずっといい形で彼女の人生を明るくしてくれるだろう。感謝、守られる、そして感謝、また守られる、またまた感謝といった、循環を繰り返して。「今度お礼参りのときに、詳しく話しますね」と言って、彼女は電話を切った。その瞬間、雲の合間から、明るい太陽の光が差してきて、マーヤがいる部屋を、一気に明るく暖かくしてくれた。朝から、すがすがしい気持ちになった。
2008年02月01日
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この時期がやってくると、必ず思い出す曲がある。「テネシーワルツ」昔は江利ちえみや、Patti Page、今では綾戸智恵がカバーリングしている。また父のことにつながる話だけど、ちょっとだけ、そのことについて、記しておきたい。父と話せなくなる数ヶ月前、歌うことがこの上なく好きだったマーヤは毎年参加しているカラオケ大会の出場をやめようとしていた。ところが父が「いいから、出なさい。ぜひ出なさい」とベッドの中から弱々しくそう言うのだ。仕方なく、気持ちも集中力もない状態でマーヤは、しぶしぶ参加した。すると。。。。。優勝してしまったのである。。。。。。早速、応援してくれた家族や友人にメールを送った。当時、父の病状は進んでいて、セカンドオピニオンを求めた別の大学病院からも、手術不可能を言われて、家族みんなしょげていたところに、明るい朗報となって、母にも兄にも伝わったのである。そして、家族みんなで、今度外出許可がおりたら、みんなでカラオケに行こうねと約束をした。そして、、、その約束の前日に、、、父は意識をなくしていった。母や兄と交代で、付ききりの看病が始まった。「痛い痛い」とうわごとのように苦しむ父を見て、いたたまれず、病院から黒髪神社に電話した。「どうか父を楽にしてあげてください」とと宮司さんに泣きすがった。宮司さんは「あの世の神様」へ祝詞を上げてくださった。ちょうど去年の今頃だったと思う。。交代のスキをタイミングよく見計らって、私は一人カラオケ屋さんに、カセットテープを持って行った。「お一人さまですか~?」「あ、はい、一人です。。。」「お時間は二時間ほどでいいですか~」「あ、いえ、一時間だけでいいんです。。。」ちょっと恥ずかしかった。。。テネシーワルツを歌って録音して、、、あ、まだ時間があるな、、よっしゃついでだ、、お金払ってるし、、、と思って、父が好きだった歌をもう6曲くらい歌ってしまった。中島みゆきの「時代」「ホームにて」美空ひばりの「悲しい酒」「みだれ髪」夏川りみの「童歌」など、、録音もしっかりした。録音したカセットテープとウォークマンを持って、父の病室に向かった。そして母と交代した。「カラオケボックス?何考えとんかね、あんたは!」「いや、あの、、、ちょっともくろみがあって、、、」「?????」しかし、父は黄疸で黄色い顔と黄色い目を半分開けた状態で、たくさんのチューブにつながれたまま、口をかぱーんと開けて、天井を見ていた。「やっぱ聞かせてもわからないだろうし、、、」そう諦めながら、そっと開いた口を閉じてあげた。私の「もくろみ」は失敗かな?と思っていた。。。そして翌朝を迎えた。早朝、父がゆっくりと目を開けたのを確認した。「わかる?」すると「わかるくさー」と方言丸出しで小さくささやいた。こりゃいけるぞ。。。「もくろみ」開始だ!そしてウォークマン取り出してテネシーワルツ、自分の歌声を耳元で聞かせた。すると、突然毛布の中から両手を出し、まるで指揮者のように、空中でリズムを取り出したのである!!!目は大きく開き、うっすら笑みさえ浮かべている!おお!やった!成功だ!!私は、左手にはウォークマン、右手に携帯を持ちながら、兄と母にメールをした。「お父さんがテネシーワルツ聞いて、リズムとりだした!」と。。曲は二曲目の、中島みゆきの時代になった。もう寝かせてる場合ではない、電動ベッドを起こし、リズムをさらにとりやすくしてあげた。そうしたら、今度はわずかながら歌いだした!「わわわ、、、今度は歌いだしたよ!」続けてまたメールをした。そして三曲目の「ホームにて」「はっしーりー、だっせーばー、まにーあうーだろおー」とはっきり歌詞を口にしたのである。「おはようございまーす。お熱計り、、、えええええ!!!!」病室に入ってきた看護婦さんが父を見てびっくりしていた。「ふるさとー、ゆーきの、乗車券、、」黄色いけれど、はっきりと開けられた目からは涙が流れていた。「こ、、今度は涙流しながら歌ってるよ!」とメールをした。昼から来るといってた母が、急いで駆けつけてきた。「お、お父さん!」母は泣きながら病室に入るとともに、父にあわせて、思わず歌いだした。私もあわせて歌った。みんな、泣きながら歌った。父の個室は歌であふれかえった。歌えば歌うほど、ますます父は元気になってゆく。個室でよかった。。。。それから一週間、父はまるで癌週末期とは思わせられないくらいの元気さで、明るく元気に、選挙の投票までしてきた。この奇跡的な回復は、担当のお医者さんもびっくりされていた。「数値的にみても、あんな状態でいられるなんて、絶対ありえない。長年医者をやってて、こんな経験初めてです。奇跡です」そしてそのお医者さんからこっそり聞かれた。「あの、、、何か、占い師か何かなさってんでしょ?お父様に何かされたんですか?すごいお力ですね」ややや、とんでもねーーーー。マーヤはただ祈って、歌っただけだし、、、父も「お前、27日、俺に何したんか?」と言っていた。また「俺は宗教の世界にひっぱられよるよ」とも言っていた。モルヒネの影響もあるのかもしれないけれど。。。一週間、生き返ったような父と、そして母と、時々仕事休んで交代してくれる兄と、、楽しい時間を過ごした。日ごろはばらばらに過ごしていた家族が久しぶりに楽しく交流できた。やがて、父の元気は、時期が来てしぼむ花のように、衰えていった。一日のほとんどが寝るようになって、そして、2月の9日、また曲を聴きながら、天に旅立っていった。病室で、家族と歌ってすごした、あの一週間。そして亡くなるまでの一週間。通夜、葬式と、すべてが何かに見守られたように、タイミングがよかった。。。これは、神様が下さった、奇跡だったとマーヤは思っている。
2008年01月27日
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こんな言葉をいただいた。「占いは、ウラアイ=ウラは裏の意で、目に見えない神の世界。 アイは合うで、その神の世界と合わせようとする意。。。 からきてるとの説があります。 占いで糧を得る以上、慎重に謙虚に神とともにある心構えでしないと 人のためになりません。 人のためにならなければ、世のためにもなりません。 どうか、自分の心性を護り、磨いて、 益々発展されますように、祈念いたします」このような言葉をいただける縁はとても貴重だ。神様は時として厳しい言葉をかけられるけれど、それは、きっと、この地球に住む人間みんなが愛あふれて、幸せになってほしいという願いがあるから。。だからマーヤは占いで儲からなくてもいい。というか、儲かる儲からないなんて二の次になってしまう。。。お金が必要ならば、どこかで働けばいいし。。。堅実に節約生活すればいい。。。相談者が癒されて帰ってくれさえすれば、そして少しでも神様の力借りて、相談者が本当の幸せ掴んでくれたら、それでいい。。。お金より、周囲に愛情あふれる笑顔につつまれていれば、それが一番の幸せだ。。。もし、自分が不幸や不運を背負ったら、同じ思いをする人がひとりでもこの世から減ってくれれば、それでいい。。。。。男も女も、、老いも若きも、、夫婦も親子も家族みんなも、愛あふれて相手に優しくなって、会社も仕事組織も、果ては地球上すべての、すべての国籍と民族も、武器を持とうとする馬鹿げた行為も消去して、水晶玉清めるみたいに、地球もまるごと清められて、ちょっと、、規模が大きすぎたかな?、、でも、、そんな日が、、いつか来てほしいと、マーヤは願っている。そうするためには、この力少なき占い師はどうあるべきかな?といつも考えさせられる。。。。。
2008年01月22日
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とある占いイベントに出てみないかと声掛けられた。「ありがとうございっす」と、それだけでも感謝した。人とのご縁に感謝感激した。そしてそのイベントで出会った意外な人から言われた。「ブログいつも読んでますよ」おおおおおおおお!「読ませてもらってますよ」とそう何度も言ってくれた。「いつもコメントをどう書こうかと迷って書けずにいてごめんなさい」そなそなそな、、、。謝らないでよお、、、。目が潤みそうになって、見上げたら、若い彼女のきれいな目がマーヤより先に潤んでいた。読んでくれただけで、マーヤはめちゃ嬉しいんだ。。。売れっ子占い師でもない。。。。有名占い師でもない。。。。もちろんブログの女王とかでもない。。。アクセス数も少ないほうかも。。。でも「読んでますよ」と言ってくれる。その一言がどれだけ嬉しいか、、、。私の文章は壁に向かって話すような独り言ではない。だれかがどこかで、話を聞いてくれている。よく考えれば、彼女だけではなく、このブログ全国の人が見てくれている。。だから、、あたしはひとりじゃない。。嬉しいよ。。。。読んでくれて。。。
2008年01月20日
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父の親友のU先生が亡くなられた。肝臓癌、四年越しの長患いだった。進行の早いすい臓がんの父に比べれば、またその苦しみは格別なものがあったようだ。その知らせは、父との共通の友人、T先生が知らせて下さった。T先生は、父が亡くなった後、時折U先生の病院にお見舞いに行ってたようだった。緩和治療をあれだけ拒み続け、自宅で息を引き取ることを切望していたU先生だったが、本当にその日が近づいてくると、理想よりも現実的に考えるようになったのか、最後は緩和病棟への入院を決意したようだった。ともあれ、その知らせは私たちには大変悲しいものがあった。父が癌を宣告されたときは、U先生はすでに肝臓癌に侵されていた。にもかかわらず、父の病院へお参りに行くときは、いつも声を掛けてくれて、自分の車で、母を父の病院へと運んでくれたりしていた。彼の家庭事情はよいとは言えず、破綻した夫婦関係に、絆の薄い親子関係を背負っていた。原因はどちらが作ったのか、など、詳しいことはよく知らない。U先生は葬式もなく通夜の知らせもなかった。ごく少数の身内のみで密葬をしているのだろうと、予測された。亡くなるときも、一人孤独だったようだ。亡くなった時間や日にちさえもあいまいだった。生前、父にこう話していた。「俺は家庭から何一つ褒められたことがない、寂しい男だ」すると父は、U先生を勇気づけようと、一晩中、酒を酌み交わしながら、彼のよいところをひたすら褒め続けてあげたという、、、、。U先生は父のことが大好きだったようだ。父が亡くなったとき、知らせを聞いたU先生はかなり肩を落とされていた。「この世の望みが消えた。世界から太陽が消えた」と表現されていた。それからU先生の病状は急激に悪化した。T先生は言っていた。「生前U先生はおっしゃってましたよ。自分の葬式はあげないでくれ、あれは生きてる人間の都合でできたものだから、死は無だから、と」彼は、神仏の世界や精神世界など、目に見えないものは頑固として信じないところがあり、ましてや死後の世界なんて、絶対信じていなかっただろう。今魂はどんな状態でさまよっていることか。そして、彼は死を意識して初めて、自分のルーツを探りたくなったらしい。いつもT先生にお願いして、自分の先祖が仕事をしていたところに行ってもらって、見てもらったりしながら、ベッドの中で寝ながら自分史をつづっていたらしい。しかし、その書物さえも私たちの手に入るかどうかはわからない。危篤に入ったときに、たまたまお見舞いに来たT先生に対して、U先生のご家族の対応は冷たく、仕方なくT先生は顔も見ないまま、病院を後にしたという。。。病院関係者も「今日亡くなったのではないでしょうか」とはっきりしない言い方だったらしい。手を合わせたくても、どこに向けて合わせればいいのか、私たちはわからない状態だった。父が亡くなったときは、一番にたくさんのお花をお見舞いに贈ってくれたのは、U先生だった。お線香だけでもあげさせてもらいたいのに。。。とりあえず、U先生の住んでいた家へ母と一緒に行ってみた。しかし家には誰も寄り付いていないようで、まっくらで、庭も草が生え放題。そして、いつも母を病院へ送ってくれてた、彼の車だけが、無造作に雑草の敷地内に斜めに停められていた。「もうこんな状態でこれ以上生きていたって仕方ないじゃないですか」彼はよくそう言っていた。四年以上の癌の苦しみと、家族愛のない孤独は、気の強い彼をそこまで言わせた。もしかして、U先生は、父が引っぱっていったのかもしれない。はよこい。。ここは楽になれるぞ、と。。今頃天国では、二人が仲良く酒を酌み交わしているのかな?生き方は死に方。U先生がもっと家族を大切にしていれば、こんな最後にはならなかったのかもしれない。
2008年01月18日
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今年初めての黒髪神社参拝をさせて頂いた。不思議なことに、いつも黒髪神社に参拝するころになると、その前後はけたたましく忙しくなる。これも「仕事が充実しますように」と祈っているせいだから?次々と舞い込む鑑定依頼。英語教室を入会希望する電話や問い合わせがじゃんじゃんかかってきたりなど、、、。しかも、参拝前日は、翌日が早いから早く寝ようとすぐに床につくのだが、、。いつも、眠れない。コーフンしてんの?まるで濃いコーヒーを100杯飲んだみたいに、目をつむってもつむっても、10分後には、パチクリ・・・・。どーしたものか・・・・。参拝はお客様であるNさんと一緒に行った。Nさんは、マーヤがマダムロゼを退職した後も、私を訪ねて鑑定を依頼してくださったお客様だった。「どうしても祈願したいことがある」鑑定中に彼女はそう何度も言っていた。それでマーヤは一緒に黒髪神社参拝することをすすめた。そして「今週の日曜日に行きましょう」と約束をしていた。ところが急に彼女の休みが日曜日にとれなくなり、木曜日に休みが変更になってしまったのである。日曜日がだめならば、この木曜日に行かないと、その次の日曜日からは、マーヤは立て続けに予定が入っており、下手すると、二月まで参拝できなくなるかもしれない。しかし、その連絡が来たときはすでに火曜日の夜遅くなっており、急にお祓いをお願いしても、宮司さんの予定があいているかどうか不安だった。ところが翌日すぐに黒髪神社に電話してみると、たまたまその日は宮司さんの予定が空いており、その前後は予定が入っていたのだという、、。なんだか、このお参りはとても緊急性を帯びているような気がしてならなかった。「とにかく早くいらっしゃい」と、、、。「たまたま宮司さんはこの日が空いたぞ。日曜日まで待たずに早めに来なさい」と、声なき声で、呼ばれているような、そんな気がした。道中、車の中で話した。「人間の力ではどうにも変えられない問題ってありますよね。どんなに努力しても変えられない問題が。でも子供のことなど考えたら離婚するわけいかないし、本当にわらをもすがる思いで、神様にすがるんですよ。奇跡を願ってね。。。ダメかもしれないけど」と・・・・。Nさんは、ご主人の問題とお子様の問題で悩んでおられた。占いのときは、ご自身の仕事のことばかり尋ねておられたのに、彼女の本当の大きな問題は家庭の問題だった。悩みを大きく占めるものは、ご主人のギャンブル依存だった。深くて、暗く、つらい悩みは、50歳を超える彼女の心と体にはかなりきついものがあった。それでも生活のためと、仕事を二つ掛け持ち、あくせくと働く日々が続いているのだ祝詞があがっているときだった。マーヤは脳ミソがかるーくなったみたいに、上にふわあっと持ち上げられるような、気持ちのいい感覚におそわれていった。そして前へ前へと、神殿の方へと、引っ張られる感じがした。そのときだった。祝詞の内容に、「人の力のみで解決できるものにあらずして、、、」という言葉が耳に入った。まさに来る途中車の中で彼女がそう話したばかりの内容だった。お参りが終わって、いつものごとく、宮司さんとお話をする時間がやってきた。テーマはやはり夫婦問題のことだった。そしてマーヤはこのブログの中にも書いた事のある内容(タイトル:男と女の間には)について話した。「この世は半分男で半分女で、その半分同士が本当に仲良く理解しあえる日が来るかどうか、、うんぬんかんぬん、、男と女の間には川があって、、うんぬんかんぬん、、」そして「瀬戸内寂聴さんが、基本的には男性が妊娠しない限り男女が本当に理解しあえる日は来ない、と言ってて、、」と話すと宮司さんがそれをさえぎった。「理解できなくても、理解しようという姿勢が大事ですよ」と。。。「完成できなくてもいい。理解しきれなくてもいい。何事にも、未完成の美というものがあって、完成したものにはホコリをかぶっていくだけだが、未完成はいつまでも、完成させようさせようと、人の手が加わる。だからいつまでも美しい」なるほど。。。そして宮司さんは付け加えられた。「相手ばかり悪いところを責めてばかりじゃいけない。自分にも悪いところがないかと反省をしなければ」しかし、そのときのNさんに笑顔はなかった。実際に配偶者からそこまで破綻原因をつくられちゃ、そんな風に考える余裕はなくなるだろう。神様の前で、三人は静かに座り、語り合い、その間の空間を、理想と現実が交互に交差しながら、時は流れていった。やっぱり人間やっていくのはむずかしい。でもどうしても、わたしたち、幸せになりたいし、、、。帰宅して夜も10時過ぎたころだろうか。「夜分すみません・・・」とNさんから電話があった。「今日は本当にありがとうございました」と、ただそれを言うために。一緒に帰ったはずのNさんは、そのまま帰宅せずに外で時間をつぶしていたようだった。そこには、交流のない寂しい夫婦生活が垣間見られる。ものすごい孤独感だろう。マーヤはただひたすら祈ることしかできない。神様が、彼女にも光を当ててやって下さることを。。。ほんのわずかのおこぼれの光でもいいから、どうか、少しでも彼女が救われ、笑顔が浮かべられるようになりますように。。。
2008年01月11日
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去年の夏、すい臓がん末期であることを宣告され、五年生存率が2パーセントにすぎないとわかったときは、家族そろって目の前が真っ暗になった気分だった。そして戦いは始まった。日々心労でやせ細る母。そんな母を連れて病院へ通う毎日。私自身も何とか父を救えないものかと、毎晩狂ったように、ネットで検索しまくった。当時のパソコンのお気に入りには、すい臓がん、がん、がん、がん、、、。にもかかわらず、父は常に明るかった。悲しむ家族をいつも励まし、前向きだった。体調が悪くなる母が、同じ病院で入院するように勧められたときは、「おいでよ。見舞いに行っちゃるけん」と、母に言っていた。本人が一番体ぼろぼろなのに、いつも周囲を悲しませまいと振舞ってたのだろうか。しかし、癌の進行は容赦なかった。すい臓がんは癌の中でも格別進行が早い。去年の12月、とある占い師から、父と話せるのは旧暦の一月までだろうと、言われた。その予言がぴたりと当たり、父は1月の21日に意識混濁に陥った。混濁した意識の中で、急速に進むすい臓の痛みに追いつくようにと、モルヒネの量が増えていった。そして父は話さなくなった。母が連日の看病に疲れ果てていたので、たまたま私が代わって病院に泊り込んだ日の早朝に、父は息を引き取った。黄疸で黄色い顔をして、黄色い目を半分開けながら、ごつごつに痩せた手で、私の手を握りながら、父は静かに心臓の動きを止めて、最期の息を引き取った。母も兄も急いでかけつけたが、間に合わなかった。しかし、家族がそろったとき、父の手はまだ暖かかった。睡眠不足でクマだらけの私の目から、涙がとめどなくあふれていった。こんなに本人もみんなもがんばったのに、、救えなかった、、、。悔しかった。癌に負けたくなかった。癌が憎くてたまらなかった。苦しかっただろう。痛かっただろう。つらかっただろう。壮絶な戦いと断末魔の苦しみの末、やっとモルヒネの力を借りて、楽になっていった父。こうして戦いは幕を閉じた。間もなく父の一周忌がやってくる。亡くなる瞬間、心臓が止まる瞬間、あの痩せた手の感触と、黄色い顔と黄色い目は、一生私の記憶から消えないだろう。。。
2008年01月06日
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マーヤが昔護摩焚きに通っていたお坊さんが言っていた。この世に、霊感のない人というのは誰もいないという。それは蓋付きの箱のようなもので、人によって、蓋を開けるちょうつがいのようなものがゆるいかかたいかの違いだ、と言っていた。しかし現実は、どうもこの霊感あるないは、生まれたときからの宿命のようにして決められているようである。霊感のある人は幼少のころからその兆候はあらわれている。そしてよくオカルト色の強い宗教などの出会いによって、たまに、「霊感を身に着けました」と言う人もいたが、たいがいが、下等霊っぽいものの憑依現象だったりする。成長過程において、突然霊感が身に付くことはありえない。しかも、そういった霊感が身に付くやいなや、私生活やものの考え方が、常識的にはずれてきたりする。非常に危険だ。何も霊感にそんなにこだわる必要はないのではなかろうか、とマーヤは思う。霊感を否定しているわけではない。人間には、必要なときに必要な分だけ与えられるのが、自然な霊感だと思っている。能ある鷹は爪隠すと言うよう、すぐれた霊能力者や、正しい神様がついている人には、やたらと霊能力をひけらかさない。「当てる」というだけの神通力にとらわれていない。むしろ、自分を「霊感などない、普通に生きてる人間だ」と思っている人こそ、正しいヒーラーが意外に多い。そういったヒーラーこそ、自覚のな無意識のうちに、とんでもなく大きな力で、人に幸せを与えたりする。そんな能力を内に秘めていたりする。。。。
2007年12月29日
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霊感や霊力がないフツーの私たちにでも、簡単に発揮できる霊力がある。それが「言霊」だ。言葉には強いエネルギーが潜んでいる。「好き」「愛してる」「嬉しい」「ありがとう」などにはプラスエネルギーが、「嫌いだ」「死ね」「うざい」「むかつく」などにはマイナスエネルギーが、潜んでいる。実際、植物を育てるときに、常にプラス言葉をかけて育てると、何も言葉をかけずに育てた植物より、よく育つという。植物でもそうなのだから、耳や心を持つ人間にはもっと大きく影響を与える。ましてや、言葉にあふれる社会や家庭や友達関係ならば、もっともっと影響を与える。今年もあとわずか。私たちはどれだけプラス言葉を使えただろうか。そしてどれだけマイナス言葉を使ってしまっただろうか。ちょっとした言葉ひとつで取り巻く周囲は、それは大きく変わるだろう。しかし、もし、プラス言葉を使う余裕が生まれないほど、自分の心がすさんでいたならば、どこかで自分に与えられたプラス言葉を思い出せばいい。長く一生過ごしていれば誰しも一度はかけられた経験があるだろう。それでも「ない」と言うならば、それは「思い出せない」だけなのだ。
2007年12月29日
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今年の二月に父が69歳でこの世を去った。それから立て続けに、近所の年配の男性が次々と亡くなり、母は自分の悲しみも落ち着かないうちに、次々と通夜葬式と駆けつけた。高齢者社会だし、実家はもう古い住宅地だし。結婚とか出産とかおめでたいことより、お悔やみごとのほうがめっきり多くなってきた。20年前はたくさんの子供がいて、公園も子供たちや若い夫婦でにぎわっていたところだ。多数あった結婚式場も、今ではほとんどが葬式場と代わってしまっている。高齢者だけではない。昨年は私の同級生が胃がんで亡くなった。ちなみにマーヤは40歳である。父の葬儀に来てくれた友人が言ってた。「人生前向きに生きる方法、年代別編という本があってね、40代の中に、人の死に慣れろというのがあったんだよ」と。人生半ば過ぎると、慣れないといけないのが、「人の死」なんだそうだ。。。
2007年12月23日
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世の中の半分が男で残り半分は女である。この半分同士の両性が、本当に仲良く理解しあえる日は来るのであろうか?マーヤはたくさんの恋愛の相談うけてきた。たくさんの夫婦問題の相談もうけてきた。たくさんの不倫浮気問題の相談もうけてきた。それだけ、たくさん、地球上のオトコとオンナはもめている。傷つけあい、苦しんでいる。そして占いながら思った。この世の半分を占めてる男と、この世の半分を占めてる女が、本当に仲良くすることができれば、この世から戦争すら消えるぐらい、地球ごと浄化されて、ユートピアが得られるだろう、と。瀬戸内寂聴さんという、有名な小説家がエッセイで言っていた。「男性が妊娠しない限り、基本的に男女平等なんてありえない」と。本当、そうかもしれない。男と女の間には、深くて暗くて幅広い川が流れている。対岸に住む異性はまったく異物の存在。だから、あの向こう岸に住んでるあの人は元気かな?と一歩引いて観察する程度でちょうどいい。下手に対岸の異性を得るため川を渡ろうとするから、ゴボゴボゴボ、、、と溺れてしまうのだ。
2007年12月19日
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大切な人を亡くしたとき、残される者にとって、亡くなるそのときの悲しみよりも、亡くなった後にやって来る悲しみの方が、ずっとつらく、乗り越えるのが厳しい。ドリカムの吉田美和さんも今必死にその悲しみと戦ってることだろう。マーヤの父は今年の2月9日に亡くなり、もう間もなく一年が過ぎようとしている。このごろになって、ようやく、父がこの世にはいないのだということを受け入れられるようになった。母もずいぶん落ち着いてきたようだ。いつも父に相談してたようなことでも、自分で考えて、自分で解決方法を探さなければということにも心細さはなくなってきた。エリッククラプトンの「ティアーズインヘブン」という曲がある。あの切ないギターメロディがなんとも言えず大好きだ。日本語訳付きで、その一部を紹介したい。Would you know my name, if I saw you in heaven.もし天国で君と逢えるならば、僕の名前を覚えてくれてるかい。Would it be the same, if I saw you in heaven.もし天でめぐり合えるならば、二人の関係は変わっていないかい。I must be strong, and carry on.僕はしっかりしなければ、未来を歩いていかなければ。`Cause I know don't belong, here in heaven.僕は天国にいることのできない人間だって、わかっているから。Would you hold my hand, if I saw you in heaven.もし天国で逢えるならば、僕の手を握ってくれたかい。Would you help me stand, if I saw you in heaven.もし天国で逢えるならば、立ち直るのに手を貸してくれるかい。Beyond the door, there's peace I'm sure.そのドアの向こうにやすらぎがあると僕は信じている。And I know there'll be no more, tears in heaven.そして、これ以上天国で泣かなくていいのだと、僕は悟るんだ。エリッククラプトンは、まだ幼かった自分の息子を家庭内事故で亡くしている。この曲は、亡くなってしばらくたってからの彼の心境を表した歌だ。彼のように、子供に先立たれる逆縁の辛さに比べれば、マーヤの親との別れはごく当たり前にあることで、比べ物にはならないかもしれない。昔と今とでは、この同じ曲が、違う曲のように感じる。この歌詞の、自分の受け方がとても違うのだ。どこか他人事だったのが、とても身近なことに感じられ、涙なしでは聞けない曲となってしまったのだ。
2007年12月18日
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みんな幸せになる権利を持っている。だから私たちは幸せにならなければならない。そして周囲を幸せにしなければならない。幸せでないと感じる人は、幸せを見つけなければならない。そして感じなければならない。一番不幸なのは、幸せなをつかんでいない人ではなく、幸せを感じられない人ではなかろうか。不平等で理不尽な世の中であっても、目に見えないスピリチュアルな世界では、究極にフェアで正しくて、心から優しい世界があるのだとマーヤは一生懸命に上を仰ぎながら、信じ込んでいる。だって、その証拠を、この仕事通じて、何度も痛感させられたから、、、。マーヤも早くしあわせ見つけないと、、そしてしあわせ感じないと、、日々前向きな努力と前向きな忍耐あるのみ、、、。
2007年12月10日
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「神様は超えられないハードルを与えない」マダムロゼ先生が隣でお客様に相伝えた。マーヤは一身上の都合で12月いっぱいで、お店のマダムロゼを退職する。占いをやめるのではなく、他に仕事を探さなければならない状態になったからだ。「名残惜しいですね」と、お店の下のもんじゃやきの専務がつぶやいた。「思い通りにいかんもんです。人生、、、」とマーヤはため息まじりにつぶやいた。それならば、今目の前にあるこのハードルを、いつになったら超えられるのだろうか。いつまで翻弄されるのだろうか。どこくらい涙を流せば、報われるのだろうか。超えられそうにないハードルを目の前にして、またもや遠くに感じそうな神様の存在に意識を集中して、必死に手を合わせるのみだ。だって、実際にご利益うけて救われた人々をたくさん目にしてきたから。。。
2007年12月07日
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先日、黒髪神社にお参りした。お隣の佐賀県まで、お客様の車で三人そろって、天候にも恵まれ、黒髪山の景色もとてもきれいだった。そして嬉しいことがひとつあった。一緒にお参りしたお客様の中で、恋愛成就を祈る女性がいた。しかしここのところ相手の男性から連絡がないと、落ち込みぎみだった。しかもJRの中で、英語のテキストと電子辞書を落としてしまい、さらに気分落ち込みぎみだった。ところが、祝詞があがってる最中に、携帯のマナーモードのバイブ状態で「ブーブー」という音が彼女のバッグの中からするのである。「人が真剣に祈ってるときに邪魔するのは誰よ!」と彼女は思ったらしい。そしてお参りが終わって宮司さんのお話があった。「神様のご利益の現象は時空を超えてやってきます。例えば、先日は赤ちゃんの熱が三日間下がらないと心配してお参りに来られたお母様がおられましたが、お参りが終わって、そこの階段を下りるときにちょうど病院から電話があって、熱が下がりましたと連絡を受けたことがあるんですよ」と。そして私たちもちょうど階段を下って帰ろうとしていたときである。「ったく、さっきのは誰よ!」と携帯を開いてみると、なんと、彼女の意中の彼からメールが来てたのである!「わーおー!」彼女がその場で天突き破る勢いで喜んだのは言うまでもない。喜びはそれだけではなかった。彼女は帰宅後、忘れ物センターと連絡がとれ、落としたテキスト一式は、どこか遠い駅で、親切な誰かが届けてくれたというのである。「神様のおかげです!マーヤ先生、宮司さんにお伝えしといてください!」彼女の願いが届いたことについて考えてみた。まず、恋愛成就について。彼女はそれまでにさまざまな悲恋も体験してきてが、いつも相手の男性を大切に思い、愛情をかけ、相手がお金をどれだけ持ってるかとか、打算なく常に純愛でがんばってきた。私が見る限り、彼女は努力家なのである。そしてやっと誠意あるすばらしい男性にめぐり合えた。今度こそはうまくいくといいなと、凡人の私ですら思うのだから、神様だったらきっともっと応援してくれるに違いない。そして英語のテキストのこと。道中彼女はこう言った。「もう電子辞書とかテキストとか、高かったけどもういいんですよ。また買えばいいし。でもね、私が半年間がんばってまとめて書いたものだけは返してほしいのよね。お金で買えないから、、、。お金あげるから返してほしいって気分なのよね」と。これまた彼女の持ち前の努力精神がとてもあらわれている。きっと神様はそんな彼女のいいところを見たのだろう。宮司さんにこのことを伝えた。すると宮司さんはこう答えられた。「まさに、至誠天に通ず、ですね。すなおに真心こめておいのりするのが一番でしょう」と。どんなに願っても、叶えられないことがよくある。それはきっと叶えなれない理由が必ずあるからである。それに気づこうとする姿勢も必要であり、勉強なのである。「この神社ご利益ない!」とはき捨てる前に考えないといけないことがあるのではないだろうか。それをせずに、叶えられないのを神社やお寺のせいにするのは「勉強」をサボっていることになるのである。。。
2007年12月05日
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よくご利益があると噂されてる神社やお寺などで、「宝くじあたりますように」と祈る人がいる。運をかつごうと、いつの何時ごろにどの方角の店でくじを買おうとか、、財布を黄色にしたり、靴の中に何かいいものを入れて買いに出かけたり、あれこれと懸命な努力をされてる人もよくいる。気持ちはよーーーーーくわかる!!マーヤだって、決してお金持ちではない。どちらかと言えば、ビンボーな方だ。あー、楽して儲かって、もう毎日の生活のやりくりに追われる日々とはサヨナラしたい、、家計簿や銀行の通帳眺めながら何度そう思ったことか、、。しかーし、、、しかしである。。もし、私が神様だったら、、毎日まじめに懸命に働き、「これからもがんばるから、お金に困らないように守ってください」と祈る人と、一発儲けみたいなことに運をあげようと血まなこになって「宝くじあたれええ」としこたま祈る人と、どっちを助けたいと思うかなあ、、、。「神様をこき使うようなことをしてはなりません」マーヤがよくお参りさせてもらってる、黒髪神社の宮司さんのお言葉です。本当の金運というものは、欲深い人間には決して降りてはこない、尊い宝物のようなものではないだろうか。ギラギラした金色ではなく、謙虚に美しい金色のイメージがする。よく宝くじで大もうけした人がその後の人生転落してしまった話はよくある話だ。それは、金運を含めて、人間の本当の幸せとは何かを体験で持って知らせた現象ではなかろうか。
2007年11月28日
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マーヤは今年の2月9日、実の父を亡くしました。すい臓がん、享年69歳。亡くなるまでの半年、狂ったように治療法をネット検索したり、毎日病院に通っては「絶対治るからね」と本人に信じ込ませて、もう末期なのにもかかわらず、奇跡を願って、すべての念を集め、意識を集中して、神様に必死に祈りました。しかし病魔の勢いは強く、そんな努力も空しく、とうとう父は69歳の誕生日を迎えてまもなく、天に旅たってしまいました。マーヤの人生の中で、一番悲しい出来事でした。「この世から自分の味方が消えてしまった」と思い、大きな、大きな、喪失感でした。その悲しみもまだ消えぬうちに、春が来て、夏が来て、秋が来て、ブログを開設して、明日は亡き父の誕生日です。去年、69歳を家族で祝いながら、「来年もこうして祝おうね」と固く約束したものでした。叶えられない約束と知りながら、、、。今、喪中はがきを書きながら、去年の今ごろはこんな感じだったなあ、など思い出している今日この頃です。もし、よかったら、このブログを開設する前はマダムロゼというお店のホームページの中に日記を書いていました。「マルマーヤの水晶日記」です。その日記の去年の内容に、父との闘病記録があります。読んでもらえたらうれしいです。「マルマーヤの水晶日記」で検索ください。
2007年11月25日
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マーヤは占いが好きです。中学生のころから趣味でタロット占いしてて、悩める同級生の恋占いをよくしてあげたものでした。あくまでも趣味、、と思っていたら、、いつの間にか、大人になってこれが仕事となってしまいました。自分の悩みがあるときも、もちろん自分で占いをします。しかし、その悩みがあまりにも深くて、しんどいときは、自分で占うことできません。たとえカードが出てもその解釈はもう主観だらけ、、。そのときに初めて、占いに頼るお客さんの気持ちが、いたーい程わかったりするものなんです。世の中に「相談」はたくさんの種類があり、また「誰に相談するか」「どんな相談内容か」によってその中身は大きく変わります。例えば、夫婦問題ひとつにしても、それを「心理カウンセラー」に相談するか「占い」に相談するか「祈祷師」に相談するか、、。マーヤの知り合いに心理カウセラーをしている人がいて、彼が言ってました。「解決策は本当は本人が無意識の範囲の中で悟っている。我々はそれに気づかせ、背中を押してあげるだけ」と、、、。だから彼のところに相談来られるお客さんは、どちらかというと、現実的だし、悩みは深くても、解決したいと前向きだったり、そしてオカルトチックではない。同じ悩みでも、占い師や祈祷師にばかり頼る人は、どこか自分の「運」のようなものに対して悲観的だったり、自分の問題の解決の根本的なものは、霊感の世界の中にこそある、と感じてる人が多い。しかし、マーヤも占い師。霊感や霊障、因縁など、本当にそれが原因となるケースがあるということは、ちゃんと認めている。しかし、それが問題の原因のすべてとしてしまうことは、非常に危険だし、前向きに努力することからの逃避にもなり得る。生き方をきちんと正すだけで、問題はずいぶん解決に向かうのではなかろうか。とか、なんとか、言いながら、、、。きちんと生き方を正すなんて、、それが完璧にできれば、人間苦しまない。それを煩悩がじゃまするから、できないんであって、、、。だから、やはり、占いやスピリチュアルな世界などに、頼ってしまうのかなあ。救い、求めて、、、。
2007年11月19日
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ブログ立ち上げたちょっと前くらいだった。プライベートで悲しいこと失望するようなことがずっと続いた。誰を信じていいのかわからなくなるくらい、、、。ある友人が言っていた。「くそまじめに生きてどうすんのよ。お人よしもいい加減しないと、自分を痛めて自分が損するだけでしょ!みんな自分のことしか考えていなんだから」とこの世ってそれだけ弱肉強食で、自分を守る打算と計算だけが働き、自分を守るために持っている刃を振り回さなければいけない。仕事、お金、財産、親戚、夫婦、不倫、、、。生きていくため、、、こんな世界観を神様が喜ぶわけない。どうしてこんな世界に生きて戦わなければならないのか、喜ばれない世界の中で、家賃払って生きていくために、、。私の周囲にとりまくこんな世界を、、神様が喜ぶわけない、、、。
2007年11月16日
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皆様、お初でございます。パソコンは超初心者のマルマーヤがブログなるものに初チャレンジしております。なんか、わっけわかりまへん。言葉がよくわかりまへん。今「本文」というところで打ってますが、この先どうしたらええんじゃ?みたいな感じでやってます。がんばりますので、皆さん読んでくださいませ。よろしくしくですです。
2007年11月14日
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