第百三段
【本文】
むかし、男ありけり。いとまめにじちようにて、あだなる心なかりけり。深草の帝になむ、仕うまつりける。心あやまりやしたりけむ、親王たちの使ひたまひける人をあひ言へりけり。さて、
寝ぬる夜の 夢をはかなみ まどろめば いやはかなにも なりまさるかな
となむ、よみてやりける。さる歌のきたなげさよ。
【注】
〇まめなり=まじめだ。勤勉だ。健康。
〇じちようなり=実直だ。律儀だ。
〇あだなり=『角川必携古語辞典』の〔ことばの窓〕「あだ」と「まめ」によれば、「あだ」は、花が実を結ばないことを原義とするともいわれ、内実がなく、空虚なことを示す。一方「まめ」は、実があること、誠実で実意のあることを示す。
〇深草の帝=仁明天皇。京都深草山に葬られたのでいう。
〇仕うまつる=お仕えする。「仕ふ」の謙譲語「つかへまつる」のウ音便。
〇心あやまり=心得ちがい。魔が差すこと。
〇親王=皇子。天皇の子・子孫。
〇使ふ=そばめとして使う。『伊勢物語』六十五段「むかし、おほやけおぼして使うたまふ女の」。
〇あひ言ふ=契ってねんごろに語らう。
〇さて=そうして。
〇寝ぬ=眠る。
〇はかなむ=頼りなく思う。
〇まどろむ=しばらくうとうとする。
〇いやはかな=いっそうむなしい状態。
〇なりまさる=ますます~になる。『竹取物語』「この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる」。
〇きたなげさ=見苦しさ。
【訳】
むかし、男がいた。とても勤勉で実直で、いい加減な気持ちがなかった。仁明天皇にお仕えしていた。魔が差したのだろうか、皇子たちが、そばに置いて用事を言いつけて使っていた女性と契ってねんごろに語らうようになった。そうして、女に送った歌。
あなたと共に眠った夜の、夢のような嬉しい記憶を頼りなく思って、もう一度鮮明に見ようとしばらくうとうとしたところ、ますますむなしい状態になることだなあ。