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2005年01月20日
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 今朝の日経新聞を見て思った。武田薬品工業は米も売っているんだって。
 新聞のタイトルはこうだった。

 「米の販売4000人体制に」

 中味の記事を読んでみると、米ではなくアメリカの事で、子会社の人員を5割増やすという事だった。

 アメリカなら(米)ではなく何故(米国)と書かないのだろう。

 調べてみると、今朝の日経だけで、タイトルにアメリカが出て来るのが5箇所。
 全部(米)になっている。

 その他 (米産牛肉)のように 他の言葉とくっついた物も4箇所あった。
 これだって(米国産牛肉)と何故書けないのだろうか。



 見出しというのは、忙しくて新聞を全部読めない人でも、それを読んだだけで、大体の中味が分るように書かれている。

 大会社の社長などで、社からの迎えの車の中で、新聞 数紙の見出しに目を通し、関心のある記事だけを読むという人も少なくない。

 私もテレビの報道デスクの頃は、ニュースのタイトル作りに苦労した。テレビの場合は、新聞の見出しよりも 画面の制約があり もっと短くしなければならない。

 なるべく短くしようとするデスクの気持ちが分らないでもないが、たった1字の漢字を入れるだけで、誤解を招かず、正確に伝わるなら、(米国)でいいではないか。

 現に、同じ朝刊で調べてみたら、中国という言葉が出て来る見出しが9っあった。

 これは(中)ではなく、全部(中国)である。

 何故 米国が(米)で、中国は(中)じゃないのだろうか。

 因みに 台湾ではアメリカは(美国)と表記されている。


 きょう 映画を観て驚いた事があった。

 きょうの映画は  「誰よりも君を愛す」(60)

 御存知 マヒナスターズと松尾和子で大ヒットした歌謡曲をタイトルにした B級映画。


 彼女は知らなかったが、彼は出張の機内で彼女を何度か見かけて ひそかに想いを寄せていた。

 テレビ出演を機会に 二人は交際を深め、結婚を約束するまでになっていたが、彼女に横恋慕した 番組のスポンサーの不良息子(川崎敬三)が薬を入れた飲み物を彼女に飲まし、犯してしまう。
 それを知って 傷心のディレクターに追い討ちをかけるように、北海道への転勤命令。
 これも みな 不良息子の差し金だった。

 スチュワーデスを辞め、男に復讐を誓った彼女だったが、ディレクターの上司に励まされ、彼のいる北海道へ旅立つのだった。



 その名は、城みさをと飯田久彦。

 二人とも 先日 日記に書いた井上ひろしのバンドのメンバーで、私とはよく飲み歩いた仲間だ。

 城みさをは小柄だが、パンチの効いたロック歌手で、音楽喫茶では、当時 歌手として活躍していた尾藤イサオと人気を二分していた。

 映画の出演者タイトルでは、飯田久彦が(スリービート)、城みさをが(スリーガイズ)と 聞き慣れないトリオのメンバーになっていたが、恐らくこの映画の為 臨時に編成されたものだろう。

 それにしては 期待した歌もなく、台詞も殆どないエキストラ的存在で、不良息子がたむろする 溜まり場の一員。
 城は 一応ギターを持っているものの、タイトルを見なかったら 恐らく彼らだとは気が付かなかっただろう。

 スリーガイズには 城のほかに内田裕也の名前もあったが、どこに出ているのか 結局 見当たらなかった。

 それでも 一緒に飲み歩いていた頃の城みさをの姿がチラッとでも見られたのは嬉しかった。

 井上ひろしとは 彼が亡くなるまで長い付き合いがあったが、城みさをは 突然 ボクサーになると言って芸能界から引退し、それ以来消息が分らない。

 そういえば あの頃はボクシングは 芸能界と同じ若者の憧れの世界だったのか、雪村いづみの弟も歌手を辞め、ボクサーになっている。

 その後 二人が名を成したとは聞いていないので、ボクシング界は芸能界以上に厳しい世界だったのだろう。

 城みさをが その後どうなったかが気になって、インターネットで検索してみた。

 彼の名は見当たらず、同姓同名の女性がひとりいた。

 1913年生まれというから 今年92歳の彼女は(さをり織り)という手織物の創始者で、業界では有名な方らしい。

 一方 飯田久彦は、60~61年に小倉のキャバレーで初めて歌った。
 井上ひろしのバンドのバンドボーイだったが、楽屋で、(お前 ひろしの前座で歌ってみるか)とバンドマスターに言われ、人前で初めて歌った。私も楽屋にいたから、印象深く覚えている。

 翌日 小倉にあったライブの音楽喫茶に ひろしと3人で行った。
 現関口宏夫人の西田佐知子が出演していたが、ファンに見付かってサインをした井上から、(お前もしろよ)と紙を渡されて 照れながらしたサインが、恐らく歌手としての初サインだろう。

 その後61年に(悲しき街角)で レコードデビューしたが、この映画は60年制作だから、彼がまだ歌手になる前のもので、どういう経緯で 彼がこの映画に出たのか興味がある。

 64年に(ルイジアナママ)が大ヒットし、スター街道を驀進、チャコの愛称で女性ファンに親しまれたが、ポップスから歌謡曲への転進を余儀なくされ、いつの間にか表舞台から姿を消した。

 しかし彼は裏方として しっかりと仕事をこなし、今や押しも押されもせぬ歌謡界の大物、テイチクレコードの社長におさまっている。

 井上ひろし、城みさをと 姿を消した今、彼とゆっくり昔話などしたいが、大会社の社長さんとなると、恐れ多くて近づき難いね。





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最終更新日  2005年01月23日 02時51分31秒
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