藤堂家紋
蔦紋は子孫繁栄の象徴として用いられます。
ですが藤堂家の最初の家紋は「丸に片喰かたばみ」
カタバミ
夜に葉が閉じて半分になったように見えることからとされます「傍食(かたばみ)」または「片喰(かたばみ)」と書きます。
「酢漿草(かたばみそう)」と書くこともあり」「ほおずき草」と表記されることもあり藤堂家の家紋は
「ほおずき草」だったと挙げられている説もありますが「ほおずき草」という家紋はありません。
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丸に片喰かたばみ 藤堂高虎最初の家紋
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豊臣秀吉の五七の桐紋
藤堂蔦紋 通常の蔦紋
藤堂蔦 高虎は豊臣秀吉から桐の紋を許されたが
「それでは恐れ多い」と上の花を取り「蔦紋」
として 用いるようになったそうで従って
普通の蔦紋より下に潰したような形になっている。
藤堂蔦といわれるます。
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白餅 高虎が旗指物に用いた
「三っ餅」。白餅は、「城持ち」にかけられているともいう。
流浪生活中には三河吉田宿 (
現・豊橋市 )
の吉田屋で三河餅を無銭飲食して捕まったとようで、
吉田屋の細君もたまたま近江の出であったとことから、主の吉田屋彦兵衛に故郷に帰って
親孝行するようにと路銀まで与えられたと言う。後日、大名にまで出世した藤堂高虎は、
参勤交代の折に立ち寄って餅代を支払った。
ゆえに藤堂高虎の旗指物は「三つ餅」なりました。
なお参勤交代の際の主人は三代目中西与右衛門というもので、彼の先祖は織田信長に
清州屋として仕え、本能寺の変の後吉田宿で酒問屋を始めたとされます。