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一日にすごくたくさんの文章を読む。
それは情報と文体と行間の3つがセットになっていて、
イメージとしては書く人の人格がにじみ出る文体が下敷きにあり、そこに情報が織り込まれている。情報はあくまであとだ。
行間は、難しいけど切り取り方によってできる空白で、そこが実は全体の印象を一番強く設定するんだと思う。
間抜けというのは、この間のないことで、よくない物として扱われた。
ここでいう間というのは2~3次元の「space」というよりも、4次元の隙間の事。
伝わらないかなー。
そんな事を思いながら文章を読んでいる。
それから、こっからは全然別の話ね。
昨日道を歩いているときにふと思った事で、
幸福というのはこういう秋晴れの肌寒い日の日なたみたいな物じゃないかと思った。
日なたは状態。いつどこにでもある。
日陰が無いと日なたは感じられない。
日なたはある程度法則を持って動く。
日なた。幸せの日なた。
幸せはなるものでなく、あることに気がつくものだという感覚がすごくあって、
日なたばかり歩こうとしてもうまく歩けないし、のぼったりおりたりもする。
日陰から日なたに出たときの心地よさったらなくて、いそいそとまた日陰に向かう。
もちろん日陰ばかりにいると体がこわばって、いずれ凍えて死んでしまう。
ようは、人格が破綻しない程度のバランスを保ちながら進む事なんだと思う。
いろいろ考えは広がるけど、そんな要素だけ置いて終わりにする。
今日も読んでくれてありがとうございました。