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<このブログについて>2008年、僕は若者を農山村に派遣する、緑のふるさと協力隊という制度を利用して福井県池田町に1年間お世話になりました。ここはその池田町の方に向けて、今日自分が何をしてどんなことを感じたかを伝えるための場として作ったもので、さえない若者の青春な日記が過去には書き連ねてあります。そこから十数年経過して、僕は相変わらずさえないまま37歳になって、だんだん若者と呼ばれなくなってきました。ここも、年に1回書くか書かないかという場になってしまったのですが今回、ドングリFMというポッドキャストのアドイベントカレンダーというリレー形式でブログを書く企画に参加することになり、久々にこれを書いています。アドイベントカレンダーhttps://adventar.org/calendars/6684 さてさてー。実家に友達を呼んだような、すこしこそばゆい感じがしますな。まあ勢いオンリーの駄ブログなので肩の力を抜いて読んでいただけるとありがたいです。挨拶代わりにざっくり今していることを書くと、自分の会社で役所の下請けをしているのと、若い人や、これから何かをしたいという人向けに安いシェアハウスをしています。前にお世話になっている人から「松浦くんは、貧乏な若者を集めて一緒に貧乏しているんだね」と言われたのですが、ぐうの音も出ませんでした。まったくそれです。そんな感じで、つつましくも日々楽しく暮らしています。しっかし、寒くなってきましたねー。東京は一日雨だそうです。僕が住んでる廃工場をリノベしたシェアハウスには簡素なシャワー室しかないので、冬場シャワーを浴びるときには、まずシャワー室全体にお湯をザーッとかけてからシャワーを浴びるようにしています。シャワー室の中がすぐに暖かくなるし、先にシャワーを浴びて体を濡らしたあとにそれをすると、体がその間に冷えてしまうからです。これは下宿に住んでいた大学の同級生から教えてもらったのですが、その場で「あー、たしかに」と思ってからずーっとそいつに倣っていて、冬場になるとその同級生の顔を思い浮かべながら壁や床にお湯をかけています。日常において、そういう、なんとなく忘れられない言葉に出会うことがあります。深い感銘を受けたり、人生をドラマチックに変えるような大げさなものではなく、ふと思い出すささやかな言葉。それでも時々、手にとって眺めたくなる言葉。今回のこの記事を書くきっかけになったドングリFMは、そんな言葉に思いがけず出会えるポッドキャストでして。「さっさとはじめて、ずっとやる」のような、これから新しく何かをする友達みんなに伝えたくなるような言葉から、架空のアフリカのことわざのような、くだらねーって笑えるものなんかもあります。お話しているのは、ITや先端技術の会社で働く男性2名。日々のよしなしごとを楽しくわいやい話していて、その平熱の雑談が好きで何年も聞いています。いまは、そのドングリFMのファンコミュニティにも参加しています。コミュニティの他のメンツは、社会人や学生さん、農家さんや子育て中のお母さんなど本当に多様なのですが、初対面でも同窓会のようなほんわかした空気があります。コミュニティの人どうしでサークル的に集まって、オンラインで感想を言い合いながら一緒に映画を観たり、出会った素敵なものをオススメし合ったり、初めて取り組むようなチャレンジをシェアして応援し合ったりしているのですが、まーこれが楽しいんです。みんなで映画を観たときのスクショ。上映中に地震があってびびってます。少しでも興味を持った方は、よかったらまずは聞いてみてください。https://donguri.fm/ポッドキャスト以外でもいろんな媒体で聞くことができます。そんなところかなー。ここまで読んでくださってありがとうございました。なかなかリアルに会う機会は持てていないけど、落ち着いたところでまた飲み会とかやりたいですね。それまで皆さんお元気で!今日も楽しんでいきましょー♪
2021年12月08日
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なかなか寝付けず2時位に寝て6時に起きる。昨日の献血のあとの血止め絆創膏を剥がしたところがかゆい。ニュースや天気を見てうだうだしながら弁当を詰めて、シャワーを浴びて8時半に家を出る。雨が降るようだけど色々動かなきゃいけない日なのでバイクで役所に行った。9時に着いてそのまま役所詰め。スキを見て通帳記帳などをして光熱費の確認。10時から電話対応。このところはコロナ対策支援の問い合わせ窓口をしていて、平日は毎日10時から16時まで電話対応している。ケータイ電話で対応するのでどこでも出来るんだけど、今日は役所の人に頼まれて詰めているのだった。11時に早めに昼食を済ませる。お弁当と書いたが、実際には鶏肉と野菜入りのお粥のようなもので、米の代わりに押し麦を使ったものだ。これをこの2ヶ月位ずっと食べている。自粛で増えた体重が10キロ減った。その前は自己最大の体重で、ずっとわかっていたけどデブだった。アメリカのホットドック選手権に出る全米から集まった太った人をイメージして欲しい。彼らはポンド表示だったので最近気がついたが、全員僕より軽いのだった。病気になるのは嫌なので、献血に行くようになった。血を図ると様々な健康の指標が出るし血糖値などもわかる。とにかく、健康のことを考えるようになったのはいいことだ。13時頃、井上さんが僕にお弁当を2つ買ってきてくださった。焼肉弁当と彩りのいいやつ。いつもならすぐに食べてしまっていたけど、手を付けなかった。14時に友達で仕事仲間の石田さんから連絡があった。打ち合わせ終わりに僕のところに寄りたいとのこと。詰めているところで待ち合わせることにして、僕は役所の窓口に向かった。6月17日にネットで申請した個人番号カードだったが、この3ヶ月何も連絡がなかった。申請の不備があれば連絡があるだろうし、滞りないのならばおそすぎる。流石におかしいので窓口で確認しようと思ったのだった。番号札をとるとのこり30人と表示され、げんなりすると直ぐに電話が鳴った。運営しているシェアハウスの一つの町会長の奥さんからで、国勢調査の紙を取りに来て欲しいとのこと。その電話で、今年の分の町会費を払ってしまいたい旨も伝えて電話を切る。番号札のところの残り人数は32人。そのまま待っていると、石田さんから着いたからおにぎりを食べながら待っているとのこと。慌てておにぎりはあとにしてお弁当があるから食べないかと聞いたら、食べたいとのこと。少し待っていてもらって無事に自分の順番が来たら、何のことはないカードはもう発行されて窓口に届いていたとのことだった。手続きをして受け取り、詰め所に戻る。石田さんはお腹が減っているとのことだったので、頂いたお弁当を2つともあげた。意地汚く食い意地の張った僕は、こういう事をするのははじめてのことだった。そのまま、仕事をしながら電話対応をしているとすぐに16時。石田さんはひとしきりお話したあとにスッキリしたのか、お弁当を抱えてまたねと帰っていった。おそらくそれから10秒して、僕が片付けていると東条さんが詰め所に顔をのぞかせてきた。3年ぶりくらいで会ってお話する友達で、もともと僕のしていたシェアオフィスの入居者だった。子供の成長や仕事のことなど、そのまま話し込んで30分くらいたってしまった。あっと気がついて、役所を飛び出し、町会費の用事などを済ませ、向かったのは野いちご。17時に伺う予定だったのでちょうど時間ぴったりだった。飲み屋を仕切るおばちゃん姉妹と話しながら、コロナ対策支援の助成金の事務処理をしていく。領収書や購入物の確認をして、記録をしていった。1時間位かかったけどなんとかまとめてバイクで一度家に帰る。シェアハウスの住人と話しをしながら、夕食を食べて、準備をして錦糸町のオリナスへ。20時からの回で映画「TENET」を見た。クリストファー・ノーランの新作。時間軸を絡めたSFでストーリーは難解だけど、見ごたえがあってとても面白かった。映画館を出て雨に打たれながら帰ってきて、足を洗っていま布団に入ったところ。今日あったことを書いてい、0時48分。これから寝ます。お休みなさい。
2020年09月24日
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お疲れさまです。耳なし松浦です。年末ひいた風邪から、中耳炎になり、鼓膜が破けたのが2日の朝でした。その日の夜は耳が痛すぎて眠れず、咳や鼻をズビズビしながらトイレに起きたのでした。ふと気づくと階下に水の音。祖母はキッチンで料理をしようとし、プラスティックのボールをガスコンロにかけて危うく火事になったことがあり、急いで1階に降りると祖母がに漏らしたうんちを流しで洗っている音でした。祖母のおしりを拭いてやり、汚れた床を拭いていると、数日前からひいている風邪で祖父も認知症が進んでしまっている様子。怒鳴るように祖母を叱り、祖母も不明瞭な言葉で返す中でズグっと耳の奥が鳴り、鼓膜が破けたのでした。痛かったのですが、我慢しながら拭き終わり、祖母にパンツを履かせて祖父母を寝かしつけ、ズボンとパンツを洗いまた寝ました。もうこのあたりの記憶が曖昧ですがそんな新年でした。そのまま4日まで寝込み、5日だかに墨田の病院に行き、それからあっという間に今日です。体力がない状態で仕事をすること、お金を稼ぐことは本当にしんどいということが身にしみました。僕はいままで元気印で体力任せな仕事をしており、それはある意味楽なやり方でした。どこかをかばいながら、気にしながら仕事をするのは、逼迫した何かを思い続けるような、追い立てられる感覚で、どうにも大変でした。年末年始で僕はすっかり気を落としてしまいました。未婚で低所得な中年は、周囲にとって害悪になりかねません。僕はすっかり将来というものにそのような達観を抱いてしまっており、同時におそらくはもう少し真面目にやるべき立つ瀬に来ているのだと覚悟しました。ゆえに、新年からはもう少しお金のことを考えた生活設計を心に決めるのでした。以下、お正月からの、あったことをザクザク書きます。正月すぎ、ホームレスの若者2名から電話が同じ日にあり、それぞれ対処しました。一人はその日のうちに受け入れして、もうひとりは受け入れる体制を作っていたのですが連絡が途切れてしまいました。ぼくはできるだけできることをするだけなのですが、心が麻痺していくのは正しくないなと思っています。先週日曜日は町会の餅つきがあり、朝から昼すぎまでお酒を飲みながらお餅をついていました。その後は定食屋さんや飲み屋さんに連れて行かれ、夜まで飲ませていただきました。そこで今していることを話したら、地域の顔役から保護司になったほうがいいと進められたけど、これもう少し稼ぐようになって余裕が出てからじゃないと出来ないやつやんけ!もう少し生活に余裕が出てからやろう。昨日、週末に実家に帰ると家族にラインをしたら、母親から帰ってこなくていいと電話がありました。祖母を施設に入れる方向で動いていて、なんとかなるからそっちで仕事なさいと。週末サイモンと会う予定だったのはキャンセルして今日色々話しました。今日は朝からひがむこで三田さんと仕事の打ち合わせをして、家に昼を食べに戻り、その後区役所に寄って資料を受け取り区内のお店を回ってから、3時半から町会の方と打ち合わせをしました。その後、ハイチに寄って郵便物を取り、少し片付けをして、えんがわに帰り、仕事をしています。ハイチは少しさっぱりしてこれから破壊されることに気がついていないようでした。それでもごみの山が片付けられていくのは寂しげなもので、何枚か捨てるように写真を撮りました。そんなこんなでもうこんな時間です。しなくてはいけないことをまとめて一つづつ片付けていくのはなかなか楽しくもあります。ただ、自分のことに集中できる時間があるというのはおそらくとても恵まれていることで、何に対してかわからないけど感謝しなくてはいけないなと思うのでした。やらないことはまだたくさんあるし、耳はまだ聞こえないままです。大変なことは色々ありますが、みんなちょっとづつ行きましょう。
2020年01月16日
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完全に風邪を引いた。 毎年のことなんだけどこの10年くらい年末年始、必ず風邪を引く。 いつものこと過ぎて変に思わなかったけどやっぱり変なことだ。 気が緩んでいるんだと思う。今日の夕方、マシュマロマンみたいに着込んで、バイクで実家に帰ってきた。7時には横になったけど仕事をしてしまったり細々したことをしてしまいこの時間まで眠れなかった。 さてー。このところ、シェアハウスについて考える事が多い。いま、僕は大小4軒のシェアハウスを運営している。20名くらい住んでいて、みんな楽しくやれていると思う。ただ、僕がしているのはシェアハウスの運営ではない。そもそもかなり安く家賃を設定してあり、運営と言えるほど儲かっていない。住んでいる人は1万円〜3万円程度で住んでいる。僕が目標にしているのは、若い人に可能性をもたらす環境を作ることだ。様々な状況にある若者がいるが、どん底のやつが生活を立て直したり、自分で仕事を興したい奴が様々な事を試す場になってほしいと思っている。 もちろん普通に仕事を頑張ったり勉強を頑張ってるやつもいる。実際、東京で暮らすには最低限な暮らしでも10万円は生活に掛けなくてはいけない。これでは、月に13日は8時間労働をしなくてはならない。週の半分をバイトに費やして、まず暮らしの基礎を作る。その上で、次に繋がる行動をする。これは、チャレンジしたい人にはあまりに環境圧が高すぎるように思う。地方から来た学生は、仕送りがないとまともに勉強が出来ないし、自分で食べていくやり方を身につけたい人は、それがまずお金になるアルバイトに繋がるかどうかを考えなくてはいけない。 これは、丁稚奉公や、下働きという形で今もあるけど、特に安定した変化の少ない時代であれば有効だ。ただ、今の変化の早い世の中には即していないように思う。 料理人や、ドライバーでさえ、自分たちが死ぬまで、食い切ることができるのかわからない。 書店がなくなる世界というのを、20年前は想像できなかったが、今はそうなりつつある。今あるものの一部が残るとしても、かなり変化した形で残る。これは仕方のない社会の変化だ。さて。そんな中で僕らは何に時間をかけるべきなのか。もちろんアルバイトではないはずだし、うわっついたあらゆるなにかでもない。 もっと地道に実践の中で社会を学び、先を掴むために必要な力を養うことだと思う。 その為には安心していられる環境と、自由な時間が必要になる。いろいろな試行錯誤をしている仲間が身近にいれば万々歳だ。 そのためにできるだけ安くそういう仲間がいる環境を作ろうと思い、作っている。僕にはなかったから、いろいろ苦労をしてしまったけど、それを次の人のために作ることはできると思ってつくった。うーむ、書いていてリズムが悪い文章になってしまった。すべて体調のせいというわけではないだろうけど、やはりダメだなー、読みにくくてすいません。引き続き、シェアハウスをもっと作って安くいろんな若者が活用できるようにしたい。そのためにも、もっとうまく仕組みを考えられないかと思っている。引き続きがんばります。さっきこれを見ながら考えていたことをまとめて終える。 Objective & Key Resultsを考えるとこうまとめることができる。目標:可能性をもたらす環境を提供する主要な成果:住んだ後に人生が好転した人を2020年までに100人にする。以上です。
2019年12月27日
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朝起きて家賃を払いに行き、そこで年末のあいさつ回り。事務仕事をいくつか終えてから、一度家に帰り、荷物をおいてから歩いて亀戸へ。ラーメンを食べてからまた歩いて帰って来る途中、小さな川の脇でベンチに座って水鳥を眺めていた。風が気持ちよくて、日がぽかぽかでのんびり。すると隣にじーさんが座ってきた。お話すると、野田からでてきた肉屋のじいさん一代記になっていき、色んな話が出来た。じーさんの家は馬喰をしており、日本の通りに挟まれた松林の中にある家。兄弟が何人もおり、その末っ子だった。勉強のできる兄と比べられるのが嫌で、やんちゃをしていた。そんな中、戦争で兄は海軍に行き、中国の方へ。幸か不幸かあまり戦争を体験せずにすんだと。終戦後帰ってきた兄の姿とそのバックの松林が目に焼き付いている。17で当てなく東京に出てきて、まずは深川の荷馬で働き、社長からあるときにこの商売は未来がないからやめたほうがいいと言われ、肉屋に転向。そのときに結婚し、娘も一人生まれた。肉屋は成功し、どんどんお店が増えていったとのこと。いまは伝書鳩を飼いながらのんびり暮らしていると。馬喰の密殺の話や、伝書鳩のレースの話、戦後すぐの物流や、戦前の暮らしの話が面白かった。基礎的な知識があるとそこから先が知れていい。会話がブーストされて、その先の話が聞けるのが何より楽しくて、そのために僕は本を読んだりするのだと思う。認知症がショックだと話していたじーさんだったけど、会話のブーストはかつての記憶の扉を開けていくのに有効で、若いのに知っているということが嬉しいのか詳しい話をいろいろ思い出してして話してくれた。帰ってきて家を掃除しているうちに寝てしまった。年末進行というのが正しいのか何なのか。明日は仕事しながら年明けの解体の準備をすすめる予定。それにしても世間のキラキラに背を向けた日記だな。
2019年12月25日
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朝起きて父が少し慌てた様子。昨日は3時位まで仕事の作業をしたりしていて、8時半くらいに目がさめた。一階に降りると祖母がうんちを台所でぶちまけてそのまま寝てしまったとのこと。掃除をした後だったけど台所の匂いはやはり残っていて、祖母の布団のところに行くと、祖母は泣きわめきながら抱きついてきた。よしよし、として寝かしつける。祖父はもう諦めたように机に向かって年賀状を書いていた。朝ごはんの後、家を出て小手指へ向かう。10時にサイモンとドトールに行き、最近のことや一緒にポッドキャストをどうやってやるかなどの話をした。やはり彼と会いながら話すのは楽しいが、これから先はなかなかしにくくなると伝えた。仕事のことや家の解体のことなどを話す。ポッドキャストに関しては、スカイプでつなぎながらそれぞれのパソコンにオーディオインターフェイスで音声を録音し、それを元に編集しようという話に。それと、なにより2人の楽しみのためにやろうということになった。すごく楽しみだ。彼にはポジティブな感情しか抱いたことがない。サイモンは僕が墨田にすみ始めたときに一番最初に一緒に住んだやつだ。フランスに関するイベントを、近くの飲食店でやっていたときにたまたまあって、その時は内向的で変な面白いやつだなというくらいしか印象がなかったけど、住居のことで困っているとのことで、僕の家に転がり込んできた。彼は生粋のオタクで、日本に憧れてお金をためて仕事をやめて日本語学校に行っていた。つたない英語と片言の日本語でなんとか会話しながら、僕もその時は仕事をし始めで、24時間一緒に居た。一時期はお互いにお金がなくて、1つの靴下を共有していて、どちらかが外に行くときには相手に自分の靴下を脱いで渡したりしていた。英語教室をしたいとのことで友達を紹介していたら、実家の書店でアルバイトしていた女性と結ばれて、いまは子供までいる。英語教師の仕事と、放送局での仕事を掛け持ちしながら暮らしている。話は戻って。サイモンと11時半に分かれて少し離れたところにある焼肉店へ。いったんお店に13時の予約をして、そこから1時間半歩く。もちろんダイエットのためだ。13時に高校のラグビー部の先輩と落ち合って昼飯を食べた。それはもう徹頭徹尾馬鹿話で楽しかった。15時に別れて、霧雨降る中、実家に歩いて帰る。昼前と、昼食後の歩行で12.5キロ歩いた。16時半に家についてからバタバタ用意をしたり甥っ子の相手をした。18時くらいに甥っ子のためのクリスマスパーティーを祖父母、両親、兄夫婦とやった。甥っ子は終始嬉しそうで、祖母の機嫌もとても良く、いい会になった。今日はそんな日でした。あなたの日はどんな感じでしたか?
2019年12月22日
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昨日のネガティブ日記から一変してしまうことが起こるね。それはとても面白い。今日は一日仕事をしながら祖父と一緒に過ごした。昼過ぎ、甥っ子と一緒に実家に遊びに来た兄に1月から実家にあまり帰れないかもしれないということを話した。兄はそうか、分かったといい、なにか心に決めているようだった。かみさんと話してみる、と。いざというときに頼りになる人だと言うことが嬉しかった。大学4年のとき、僕が農村に居て論文の調査でバタバタしているなかで、川を流れる二匹の子猫を拾ってしまった事がある。鳴き声が聞こえて、それが子猫で、気がついたら川に入って拾ってしまっていた。子猫を飼ってくれる人を探し回ったけど全然見つからなくて、子猫はどんどん弱っていって、そんな中で最後に話したら、いいから連れてこいと言ってくれたのが兄だった。いまもその兄弟猫は元気に兄の家に暮らしている。話は戻って、母が帰ってきてから僕は母に、兄に話したと伝えた。すると、そう、とそれだけ言って、もう伝わったようだった。家族のお互いに気にしあって生きている生物同士の、非言語コミュニケーション。それはわかるし、わかっているし、わかり合っていることもお互いに伝わる。そんな感じだった。1月からもっと真面目に取り組もう。くよくよ悩んでいる昨日までの自分が馬鹿らしくなった。3月下旬には実家の教科書販売に帰ってくることになると思うけど、それまで頑張ろう。少しづつでもこうやって日記をまた書こうと思う。自分の名前を見て検索して、読みに来てくれる人がいるのはありがたいことだ。こんな自分ですが引き続きよろしくおねがいします。
2019年12月21日
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久々に書こうと思って管理画面にログインしてみたら、誰が読むわけでもないと思いつつ、毎日結構多くの方が読みに来てくださっていて少し驚いた。何かあったのか。まあいいか。今日は一日仕事したりして夕方ごろ実家に帰り、母親とバトンタッチして祖父母に食事を食べさせ、寝かしつけるなどした。認知症の進んでいる祖父母の介護はなかなか大変で、祖母は下の事など所構わずという感じで気が抜けない。寝ている隣の部屋にいて、ゴソゴソと音がしたらベッドの周りでうんちなどをしていないか確認する必要がある。もう少し祖母の状況を書き留めておくと、ここがどこで右がどっちで、自分はだれで、なにがどうなのか。すべての感覚が理解できないという状況になっていることが多い。トイレに行きたいと立ち上がり、連れて行こうとすると途端にそれを忘れてしまう。まだ理解できる要望があればいいが、大体の言葉は形をなしておらず、様々な感情が伴う。拳を振り回して苛烈な言葉で罵倒してくるときなどもあり、心臓が締め付けられるような思いがする。それでも辛抱強くにこやかに話していると、どこかで安心したのか、眠ったり食事をしたり前向きな行動をすることもある。基本的にはそんなセオリーは通用しない。母は働きながら祖父母を一人で介護している。僕が帰ると肩をもんだり夜一緒に歩いたりしながら愚痴を聞くようにしている。ストレスで帯状発疹がでたり、胃が痛いままだったり、僕はもう完全にプロに預けないとケアできない段階だと思っているが、母は祖父がそう判断するまで頑張るとのこと。ただ、祖父はもう段階を追って考えをまとめることが随分前からできなくなってしまっている。(そう何度も伝えているが両親の考えは変わらない。なので僕はなかば諦めている。)祖父はリハビリ施設には通っているが、歩く時のふらつきもひどくなってきて、先週、家のなんでもないところで転んだりした。介護の難易度が上がってくるとともに、受けられる公的なサポートの量が増えていくため、デイケアなどに祖母を預けることでなんとか回っている。父もずっと休まなかった店を毎週日曜日は休みにすることにした。最初に介護が始まったときよりも状況は深まっているけどバランスは取れるようになってきたみたいだ。僕が毎週毎週片道2時間かけて実家に帰っているのも、そろそろ限界が来ていて、だましだまししていた仕事も真面目に次のことを考えなくてはいけない状況になっている。母はおそらく僕に頼ること自体の申し訳無さが勝ってきたのか、そんなに帰ってこなくていいという。ただ一方で、事前に実家に帰れないと伝えていた週に、母親が長文の実家の惨状についてのメールを送ってきた。僕はその場で週末の予定をすべてキャンセルして実家に帰った。兄は実家のすぐ近くに住んでいるが、僕のように祖父母の介護や家業を手伝うことがない。ただ、それはおそらく僕が頑張りすぎているからなのかもしれないと思うようになった。だから兄には僕の状況を伝えて、1月からは実家に帰るのを控えようと思っている。それでも兄が動かないのであれば、僕がなんとかするしかないが、僕は兄を信じたい。1月からは僕のシェアハウスで解体作業が始まることが、先週決まった。居住しているスペース以外の場所だけど、生活動線が分断されてしまうので、解体期間はそこにまともに住めなくなる。十数人の住人をその期間どうするのか、大家は保証をする気はないという。かなり前からその時のために諸々準備はしていたけど、なかなか大変なことだ。仕事上のことも来年以降の動きのために、いままでのような生活はもう出来ない事がわかっている。なんというかひどい言い方になってしまうかもしれないけど、僕の実家で起こっていることは、日本の国そのものが抱えている問題の縮図だと思う。僕は実家で祖父母の介護をするために、学生時代から取り組んできた事業を、人に引き継いだ。その後も週の2〜3日は介護をする日々。それ以外の日でなんとか食い扶持を稼いだ。若い人が死んでいく老人の世話に時間を割き、どんどん追い詰められていく。チャレンジをする時間も余裕もお金もなくなっていく。残るのは、仕事の経験や優れた能力のない疲弊した独身中年だ。僕はそうなりつつある。祖父母には申し訳ないが、僕は長生きしたいと思えなくなった。不健康に生きようとかそういうことではない。家族に囲まれ、ひ孫もたくさんいる祖父母の生活を見ていて、あまりにも、と感じたのが一つ。もう一つは僕の問題だ。論語の為政第二にこんな一節がある。孔子先生が弟子に孝行について尋ねられて答えた言葉だ。「このごろの孝は、(衣食などを整えて、親を)十分に養うことをさしている。(しかし、人間は)犬や馬でさえ(食物を与えたりして、これを)十分に養っている。(もし親を)敬う心が欠けていたら、(犬馬を養うのと)どうして区別できようか」僕は介護を通して祖父母に対して、敬う心が失われていってしまうことが何より辛かった。論語ゼミの後の飲み会で、この一節を教えてくれた先生にそう言って泣いてしまった。僕は兄弟で一人だけ、小学生になるまで祖父母に育てられた。厳しい祖父だったが、孫思いで様々なところに連れて行ってくれた。祖母は底抜けに優しかった。ふたりとも好きだし尊敬もしていたと思う。だから祖父母とのいい思い出はたくさんある。身勝手な言い分だとも思うが、変容していく祖父母を見ていて、記憶がどんどん黒く塗りつぶされていくような感覚になった。認知症だから仕方がない、と、どうしても流せない。顔も声も行動も祖父母そのものだから。年末、遠くにいる弟や妹が帰ってきて家族で長い時間を過ごすことで、おそらく今考えていることが流され、同じことが繰り返されてしまうかもしれないので、ひとまず書き留めておく。1月からは自分のことをもう少し優先する。これは何年後か、もし残っていれば両親を介護するときに楔のように思い出されることだと思う。そしてそのときにはもう少しうまくやれるようになっていたいとも思う。
2019年12月21日
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あまり人に読まれるものでもないのできちんと昨日今日のことを今の感情や視点から書いておきたいと思う。昨日は一日、祖父母の相手をしていてぐったりしてしまうくらい疲れた。祖母はコンディションと機嫌が悪いと徘徊してしまう事があり、目を離すと外に出て新潟に帰ろうと歩きだしてしまう。昨日の朝がそうで、外に出てぼうっとした表情で、歩きだしてしまっていた。コンディションと機嫌はちぐはぐに悪くなり、機嫌さえ良ければにこやかになり、朗らかに過ごせるが、コンディションがいいと認知症に対する申し訳無さで泣いている。コンディションが悪いと”汚いもの”と言う感覚がわからなくなってしまい、排泄したものを湿布に包んで持ってきてしまったり、”いま何をするのか”が分からなくなってしまい、下着だけになってベッドから外したシーツを体に巻きつけてテルマエ・ロマエのような感じになって寒さに震えていたり、目が話せない。なんとかおかしみをさがして笑い飛ばしてみようとするが、現実の事の重さにやはりボディーブローのようなパンチがある。祖父も認知症がだんだん進行しており、毎日している昼寝をしたあと必ず、初めて昼寝なんかしたと言う。それを伝えた後にショックを受けたようになるのも毎日一緒。話すのは自分の体調のことしかなく、祖母のことなどの現実から逃げるように家系図の作成をしている。思い出すように祖母の痴態を見ては、怒鳴りつける姿が自分と重なっているような気がしてギクリとして、たしなめる。それでも近くにいて、一緒に振り回されたりなんとかしようとしたりするのが孫の勤めというか、今まで世話になった者の正しいふるまいだという感覚と、両親に対する孝行が背中を押して、毎週自分が家に帰っている。そしてできるだけ母と話をし、祖父母のお世話をする。僕が実家にいると、母親はやっと人と話ができた、と言う。何ができるわけでもないし、週末くらいしか帰ることはできないけど、僕がいることで母は半日でも休むことができる。それが大事だと思う。ある時仕事の関係などで、2週間ほど帰ることができなかったことがあった。すると、母はストレスから帯状発疹が出てしまっていた。僕はその翌週から必ず帰るようにしている。今は兄一家が実家の近くに住んでいることもあり、少し落ち着いたけど、やはり心配で帰るようにしている。今日はその兄一家の兄と息子の誕生会をするとのことで、昨日から母は準備に大忙しだ。昨晩は遅くまでキッチンから料理をする音がしていた。なんてことない日常だけど、こういうことがハリになるんだと思う。兄は昨日見せてくれたスケジュール表が役者の仕事でびっちり埋まっていて、少し誇らしげだった。岬の兄妹の影響もあるのかなと聞くと、そうかもなーとのことだった。家族のことが少しでも良くなるのが一番嬉しい。その次がシェアハウスの住人や友達のことだけど、その喜びはなんにも言い表せないくらい幸せな気分になる。3月は実家の教科書販売などもあり忙しかったのであまり日記もかけなかったけど、またこうしてかきたいと思う。
2019年04月14日
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昨日は遅くまで話し合いがあり寝てしまい書けなかった。昨日はおじいちゃんおばあちゃんと一緒に過ごしながらサカナとヤクザを読み終えた。お昼におじいちゃんがお寿司が食べたいとのことと、おばあちゃんのコンディションが良かったので3人で回転寿司に行った。よちよち歩きなので普段の4倍時間がかかるけどそれも含めて考えながら動けるようになってきた。そのあと、ふたりともお腹いっぱいで移動で疲れたのか、眠ってしまったので、様子を見てから僕はバイクで青山に向かった。岡本太郎記念館で、シェアハウスの住人の弓指くんの展示があったんだ。弓指くんの展示自体はとっても良くって、いつも朝も晩も描いてる弓指くんの仕事を見ることができてよかった。帰りにココイチのあんかけスパの店で食事して、ハイチに戻る。夜の10時から話の伝わらなかった人に対してだけじゃなくて、シェアハウス全体の人に対してお話をした。議題は多岐にわたり結局2時間以上みっちりお話した。でもみんなで話せてよかった。
2019年02月25日
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責任と同等の権利が与えられるのが世の常だとして、それを理解できない人がいる。大体は自ら何かを犠牲にすることを拒み、大きすぎる権利を求め続ける。そういう人種に出会った場合、丁寧に接し続けて休日をそのやり取りで棒に振るのは馬鹿な人のすることで、僕は間違いなくその馬鹿だった。そんなこともありつつ、祖父の確定申告と、祖父母の床屋に連れて行くなどして日中は過ごした。夕方、確定申告後の納税にコンビニ支払いをしようということでバイクに乗り、口座記帳など細々したこともすませてこようと思ったのが不幸中の幸いというか、バイクがパンクした。不幸ではあるのだが後輪の摩耗によるパンクで、これがもし明日起こっていたら、目も当てられない状況だったと思う。なので今日でよかった。近くのバイク屋さんをスマホで検索し、そのまま電話してとほ10分のところにバイクを引きずっていき、なんとか直してもらえた。夕食を食べて、またクダンの人種とやり取りをし、あっという間に夜だ。サカナとヤクザを読んでいたいけど、今日はあまり読み進めなかった。なかなか面白いノンフィクション。漁業関係や市場関係者と暴力団との絡みの話で、出てくる悪人がそこはかとなく憎めないというか、どうしようもなさを抱えていて、それも面白い。今日はそんなところで。
2019年02月23日
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ぐぬぬぬ昨日も気がついたら寝ちまってた。。。ってなわけで、昨日の日記。昨日は日中錦糸町のマップ関連のことやって昼から三線のきみちゃんと新宿御苑で会った。御苑は一番大好きな都市公園で、毎シーズンごとに色んな花を確認しに行きたくらい好きなところ。きみちゃんは音楽で食っていくと決めた時に、どうやったらいいか一緒に考えたりした若者で、前は音楽好きな女の子だったのに比べて、今は本当にちゃんとしたミュージシャンになりつつある。話を聞くと順調に行っているようで、その中のいくつかの課題とかについて話し合った。その後、青年団の事務所に行き、来週のイベントのお話を打ち合わせした。事務局の方がとても思いのある方で、久々に今までの自分の話をした。夕方くらいに終わって、神宮のホープ軒に寄ってから実家に帰った。実家ではおばあちゃんの状態が安定していなかったけど、ひとまずお母さんを早めに休ませて、九時半くらいに帰ってきたお父さんといろいろお話しながら過ごした。十一時にお風呂に入って、横になってからの記憶がない。今日もよく寝た。
2019年02月23日
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わー、昨日日記書き忘れてたあ。眠いけど今日は書こう。昼くらいまで家で仕事をしてバタバタ準備をしてから、バイクで両国の松本さんの家に。朝市でお世話になっていたおばあさんで、包丁を研いでほしいとのこと。砥石を持って家を尋ねると、そのまままずはお食事に。近くのうどん屋で食事をした。それからおばあさんの家に帰って包丁を何本か研いで、それからコーヒーを飲みながらおしゃべりした。2,3のちから仕事もすませて、夕方前にお部屋を出て、区役所に行きチラシを両国のメリコチに。やっと小高さんとの約束が果たせた。そのまま、映画のチラシを持って錦糸町へ。オリナスと楽天地両方のTOHOシネマズにちらし置かせてもらえないかと店長さんにお話した。返事を待ってまた持っていくつもり。その後、両国亭でブラ坊さんという落語家の救済イベントに。何でも養ってもらっていた彼女さんに捨てられてしまうとのこと。いろんな演者さんが出たけど、みんなブラ坊さんが本当に好きなんだなーと感じる。みんな演目でうっすら(がっつり?)いじっていてとても楽しかった。そして最高に品がなかった。帰りにシマシマトムで食事して帰る。ここのラーメンはとても美味しい。家で住人と話し込んでいたら夜中。宇宙に2時間だけ旅行して寝る準備する前にこれ書いてる。体重も最近はかっていなかったけど、今日から測ろう。このところサボっちゃってたからなー。そんなところで!
2019年02月22日
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今日は朝祖父母をリハビリセンターに送り出してから、実家から墨田にバイク移動。昼ごはんを食べて、牛嶋さんと打ち合わせして、それから自分の仕事をしたりした。細々としたやることがあるけど、大きなまとまりの仕事が落ち着いてきた。翻訳の仕事で、最も価値のある文字の翻訳は何か考えている。いまは地図に掲載するデータとか少量の文字数できちんと昨日を発揮する情報として価値の高い文字を翻訳してもらい、サイモンに満足なお金が支払えているけど、また同じような仕事をしたい。地図は作るのに手間がかかりすぎるんだけど、同じようなスキームを他の街に売ることができないか考えていきたい。昨日の日記には書かなかったけど、昨日は昼に兄一家とお昼を食べたあと、夕方くらいに喫茶店で落ち合ってサイモンとポッドキャストみたいなことをできないかという話をしていた。その後、リンくんとも合流して、居酒屋でいろいろ話した。ベトナムに帰ろうとしていた矢先日本人の彼女ができてしまい踏ん切りがつかないようだった。何れにせよ楽しく暮らしていければいいと思う。そんな感じかな。これからサカナとヤクザを読む。兄が実家に頼んでいた本を、僕が読みたいから持ってきてしまったんだ。明日、納税とかいろいろしに行くから、その時に送ってしまおうと思う。途中まで読んだけど築地のくだりが、築地でバイトしてたときのことを思い出して、切り取り方が上手いなーと思った。とりあえず、そんな感じでー
2019年02月19日
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軽く短く伝えられないことなので、長く重く書く。おじいちゃんおばあちゃんと認知症のこと。日付+の日記という表記に埋もれさせつつ、いつか自分が母や父と向き合う時に読み返したいと思う。きょうの朝6時くらいに目が覚めると、階下でおばあちゃんがなにか言っていて、降りていくと足をどこかにぶつけたのか、足が痛い痛いといい、おじいちゃんが精一杯なんとかしようと指先に養生テープを貼っていた。おじいちゃんも精一杯だけどやはりもう89歳なのでどこか外れてきている。それからずっとおばあちゃんは、単語は日本語だけどつながりが意味不明の言葉をずーっと話していた。聞き流すのも違うと思い、一言一言落ち着いて聞いて、捉えて、ひとつひとつ理解しようとするんだけど、僕が言葉を繰り返して意味を尋ねると、キョトンとした目でこちらを見ながら3秒前に言ったことをすべて忘れている。どうやら僕をお医者さんか看護師さんと勘違いしているようで、孫というのも子というのも、概念そのものがそもそもわからなくなってしまっている。ひとしきり話すと今度はティッシュを1枚掴んでトイレに行こうとする、よく汚してしまうので、お手洗いの時にはトイレのペーパーがあるからそれを使うようにねと言うと、それがわからない。トイレの場所もわからないので連れて行くと、もういいという。今度は湿布を一枚掴んで玄関から出ていこうとする。お医者さんに行くとのこと。いまは日曜の早朝で、病院はやっていないよと言うと、得心がいかない様子でそれでも外に出ようとする。僕が玄関を出たところで「保険証なんかは持った?」と言い、無いと診察受けられないよと重ねると、そんなことはないと湿布をぐいっと前に出して見せてくる。これを見せれば大丈夫だと。僕が「ひとまずお金もないし診察券取りに戻ろう」と言うと、不承不承部屋に戻って今度は眠り込んでしまう。おばあちゃんの目がさめた瞬間に確定する性格は6種類くらいあってそれがくるくるランダムで出てくる。どんなに短い睡眠でもきちんと次の目は出てきて、それぞれ別人のおばあちゃんになる。悲しいときはもう生きているのもつらいというように泣いてしまうし、意味の不明瞭な言葉を言いながらケタケタ子供のように笑うこともある。かんしゃくを起こす時はびっくりするくらい全身で憎しみを込めて何かをしようとするし、機嫌がよくて元気いっぱいのときがあると思えば、今度は全く無気力で歩くのも立つのも座るのも寝るのも億劫というように目をつむってすべてを拒絶してしまうときもある。周りはそれに驚くのにも疲れ、仕方なく結果として振り回される。できるだけ朗らかに穏やかにという方向性と、目上の方に向き合う姿勢として真正面から相手にすることで、やっぱり振り回されて精神的に追い詰められていく。でも、それでもおばあちゃんだ。僕を小さいときからかわいがってくれた大好きなおばあちゃん。下の世話をしたりお風呂に入れるのは、実家にいる週末だけのことだしそこまで大変じゃない。慣れていくけど、ぎょっとするようなことが時々起こるのがつらい。面と向かって知らない人だと思われることにも慣れたし、敵意を剥き出しになにか大きな声を出されるのも慣れてきた。それでも、おばあちゃんには何もわからないまま料理をして僕を(孫を?)もてなそうという方向性だけが強固に維持されていて、とんでもない行動を取ることがある。誰も悪くないし、どこにも悪意はないけど、結果として火災が起こりかける。心臓に悪い日常だ。ギュッと締め付けられるようになる。これが始まったのは3年くらい前か、その頃は新潟で暮らす祖父母の家に、祖父母の息子である父と一緒によく通った。東京新潟を日帰りしたこともあったと思う。掃除ができなくなり、少しづつ生活環境が難儀になる中で、おばちゃん一家も精一杯サポートしながらおじいちゃんたちは暮らしていた。新潟についた日の夕方、おじいちゃんは最近お腹がよくくだる、歳のせいか、腹がゆるくなったと言っていた。「それは、便秘になっちゃうよりいいよ」と言いながら、食卓に並んだおかずを見た時に、その理由がわかった。おじいちゃんが糖尿病になっているためおばあちゃんは健康にいいおかずを多品目、食卓に並べるのが常だったんだけど、そのうち半分が腐ってしまっていた。いつ頃からこのトマトはあるのか尋ねると、よくわからないとのこと。悪意はないし思いやりしかない。でもその選択が食品の管理を大変にしていた。おばあちゃんと認知症とが細くてかすかな線として結びついたのがこの頃。帰りの車で、おじいちゃんおばあちゃんのこれからの話しを父とした。それから半年くらいで両親と祖父母の二世帯住宅が始まった。祖父の家の物置の骨董は、そのめぼしいものの多くをひどい古物業者が二束三文で引き取っていき、残ったのはたくさんの空き箱や包装の類や、がらくたと呼んで差し支えないような大量の物だった。最終的にゴミがトラック10台近く出たと思う。本当にたくさんのものを捨てた。祖父母の家自体は、ご近所の方の息子さん夫婦に買い手が見つかり、あっという間に片付いた。しばらくしてから、お兄ちゃん一家も実家の近くに引っ越してきた。そこからじわじわおばあちゃんの状況は進んでいった。ときどき変な感じになってしまうのが、週に1日になり、それが2日になり、僕も覚悟が決まっていった。おばあちゃんじゃなくなるというのが、普通になった。ときどき戻ってくる昔のおばあちゃんにはもう何ヶ月も会っていない気がする。おじいちゃんは天性の不器用さで荒々しくおばあちゃんを統制しようとしたり振り回されたり喧嘩したりしながら、いまはもっぱら家系図を作るのに躍起になっている。去年の11月から、あと少しで完成する、もう完成間近だ、といい続けており、終わる気配がしない。むしろ終わらせたくないのではないかと思う。僕はそんなことにばかり目を向けて、事故を起こしそうになってしまうおばあちゃんが可愛そうだと何度もいうが、おじいちゃんは頑として完成させようとしなかった。その背中からは、何か自分の最後の仕事をしているような、おばあちゃんのことから目をそらそうとしているような、物悲しい執念のようなものを感じる。そんな中で一番大変かつ日常的にそんなことに付き合い続けているのがお母さんだ。おじいちゃんの何度も繰り返し同じ話をしているのを聞きながら、おばあちゃんのお世話をしている。お母さんも中年から老年になりつつあり、きょう一緒に車に乗っていた時、赤信号を一つ見逃しかけた。僕なんかには抱えきれない大変さを抱えつつ、それを嘆くことも、他人に代償を突きつけることもなく淡々と暮らしている。僕には真似できない。おそらくすぐに途方に暮れてしまう。だから、恐れに近い尊敬を感じる。結果として、2〜3年前から毎週末は実家に帰ってきて、非力ながらできる限りのことをしている。両親のしていることに比べたら、本当に些細なことだ。ここまで書いて少し気が楽になってきた。一緒に笑い合ったり、ひ孫(僕にとっての甥や姪)を2人でかわいがったり、日向ぼっこしながら草むしりをしたり、一緒にテレビを見たり、朗らかで穏やかな時間もある。それらを拾い上げて、ひとつひとつ集めてみる。これは人の思い出し方として悪くないやり方だと思うと同時に、それだけに塗りつぶしてしまうことに罪悪感を薄っすらと感じる。こうやって週末が規則正しく僕の日常に楔のように打ち込まれていく。それがヤッチャバを引き継いでからの日々だ。僕もおじいちゃんと同じように、なにかに没頭することで家族から目を背けていたのかもしれない。そしてもう、家族のことから目をそらすのはやめた。はー、長く書いたな。さっき、夜中に嬉しそうにおじいちゃんが家系図が完成したと僕に言ってきた。おめでとう! お疲れ様でした! と言うと、聞こえていなかったのか、今日帰るのか? と聞かれた。僕は明日にするよ、と答えたのだけど、おじいちゃんは寒い中大変だろう気をつけてなという。こういうちぐはぐな感じに僕は少し笑ってしまうのだけど、おじいちゃんおばあちゃんとの日常はいろいろちぐはぐだ。それはおそらくおじいちゃんたちも小さい頃の僕に感じたことで、そんなに悪くないな、とも思う。わー、もう一時過ぎちゃったか。今日はそんな感じでー。
2019年02月17日
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今日は朝から部屋の片付けなんかして、昼くらいに両国で地元信金の主催する高校生大学生の町おこしプランコンテストを見に行った。途中で抜けて西麻布に行き、カイカイキキギャラリーの村上隆と生活工芸関係者のトークショーに行った。小道具坂田という、一見ガラクタに見えるものばかり集めた骨董店を軸に新しい民芸や生活工芸のあり方を探ろうというもの。柳宗悦やバーナード・リーチの民芸運動が、ごくごくありふれた市民の生活に息づいたものを美しと感じ、再評価すると同時に大金持ちの支援で盛り上がっていった民芸。それがだんだんと市民が購入するようになり、アマチュアを相手にする中で変容していったんじゃないかという話と、その中でどうやって次のステージに行くのかという話が面白かった。そのまま実家に帰り、祖父母と話していると母が書店を締めて帰ってきた。すぐに父も最寄り駅についたと連絡があり、車で迎えに行く。家に戻ってから母の肩や足をもんでやり、もう夜中だ。いまはEテレのマタギのドキュメントを見ながらこれを打ってる。良いところだから、今日はこのへんで。またあしたー!
2019年02月16日
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今日は部屋の中でこもりながら仕事をした。このところ外回りをしながら取り組んでいた仕事はどちらかというと取りまとめの段階に入っていて、寒い中外を歩き回らなくて済むので少し楽だった。年始に風邪を引いてからずっと、寒いところに出ると咳こんでしまう様になっていて、調べてみたら咳喘息という病気のようだった。咳くらいどうということはないんだけど、煩わしい。。ストレスもいけないみたいなので、無理しないことにする。兄から昼頃電話があり少し怒られてしまった。思いは伝わっていて、諌める感じだったのでそこまで強く言われたわけじゃないけど、兄に迷惑をかけたようで申し訳なかった。夕方くらいにウトウトしながら仕事して夜になってこれ書いてる。あっという間に1日が過ぎていく。
2019年02月15日
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精神停滞。2〜3の仕事をした以外は、ゆっくりしていた。映画や戦争や昭和の動画をぼうっと見ていた。大岡昇平のレイテ島戦記のNスペhttps://www.youtube.com/watch?v=WqRQbYf9rOA右も左も歴史を単純にある一定の立場から照らし出そうとしていて、おそらくそれでは見えないことが多すぎるように思う。感情や知識やそういったかっちりした何かに寄って考えることだけでなく、そこで感じること湧き上がるものをもう少しまっすぐ捉えるべきではないかと思う。
2019年02月14日
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今日は朝8時半から税理士の猪田くんと会社の納税のことなど話した。今年もなんとか納税しながら経営を回すことができた。とてもいいことだ。霧をつまむような感覚になってしまう経済の話を猪田くんはわかりやすく教えてくれる。それが面白くて、ついつい長話をしてしまった。するとケータイに電話があり、押上のガラス屋のおっちゃんからだった。シェアハウスの一つに網戸を付けることになっていたんだけど、その家の場所がわからないとのことだった。バイクで向かっておっちゃんと合流し、家につれていく。家には住人が待ってくれていて、引き継ぐ。その後すぐに区役所に行き、10時から商業系の打ち合わせ。打ち合わせの中でヤッチャバのみんながいろいろな主体と連携しながら頑張っていることがわかって嬉しかった。打ち合わせは年度末に向かって来年のことについても話し合う。来年はもう少し露出を増やすことになりそう。昼頃に終わって、錦糸町に行き、シルクロードカフェで昼ごはんを食べながら仕事をしたりウトウトしたりした。シルクロードの皆さんと、なんかピリッとすることがしたいですねという話なんかをした。15時に三田さんと企画したりしたお店のサロンという取り組みのために業平のカフェに。個店主が集まって次世代レジのことなどを情報共有しながら、低減税率のことやレジ導入についての話をした。終わって鍵屋に寄ってから、合鍵を10個くらい作ってから家に戻った。すると夜になってからシェアハウスの一つからトイレが流れないと連絡が。よっしゃ今行く、とのことでトイレのシュポシュポというかラバーカップをもってその家に向かい、なんとか解決して帰っていま。少しぼーっとしてたらもう夜遅い時間だ。今日は昼にウトウトしてしまったので早めに寝ようと思う。そんな日でした!
2019年02月13日
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昨日の夜少し夜更かししてしまい、朝仕事をしながら家事をして、別のシェアハウスの一つに電気工事があり、その立会いをしながら食事や仕事をしていた。昼頃に終わって用事を済ましてもう夕方。家に戻って作業をしながら夜早めに寝て、さっき起きてネットなんかしてからまた寝るところ。明日は朝早くからいろいろしなきゃいけないことがあるから早起きしなきゃだな〜玄米を炊ける炊飯器がほしいのと、シェアハウスの玄関の鍵をなんとかしたい。いろいろやらなきゃいけないことが溜まってきたな〜。こないだ2人で車に乗っていて、お兄ちゃんが「義を見てせざるは勇なきなり、だよな。」というのをポツリと言っていた。そういう言葉がいろいろ行動を僕の規定していく。それは心地良いことだ。明日も早いので寝ます。
2019年02月13日
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そろそろかくかー今日は昼ごろまで実家に居て母親といろいろ話したり庭に穴をほったりしながら過ごした。昼ごはんをすませてから、母に所沢の駅まで送ってもらい、墨田に帰る。墨田ではバイクを置かせてもらっていた先輩のところに寄ってバイクをとって帰る途中にサイモンから電話。運転中だったので帰ってからかけ直してそのまま錦糸町マップの打ち合わせ。打ち合わせ中にクリちゃんが来て、切り上げクリちゃんと話した。生活の立て直しがうまく言っていて、彼女との中もうまく言っているとのこと。僕は幻覚じゃないかと確認のためにケータイを見せてもらったけど、ちゃんと連絡を取り合っていたのでびっくりした。現実はいつも想像の範囲の斜め上を行く。本当に嬉しかった。そのまま部屋にこもっていろいろしてるうちにいまの時間。池田町の人や友達や色んな人が読んでしまう僕のなんでもない日常をさらけることで、なんか変化が起きるんだろうか。起こるとすればどんなことが起こるんだろうかとちょっとワクワクしてみてる。はっきり言って僕は文章も話も自分自身もはがゆい。ほんのり人に優しいけど、決定的に面白くない。おそらくそれはなにか変な繕いや衒いがあるせいで、だからもっとむき出しになったほうが良いと思ってる。何か少しは良いように変化してほしいという願いを込めて日記を書くことにしてる。そんなきっかけをくれたどんぐりFMというポッドキャストのナツメグさんの文章を、今日いくつか読んだので、以下にリンクを貼る。面白法人カヤックをやめたときのブログ。http://natsumeg.blog.jp/archives/36971943.htmlその後就職したリクルートをやめたときのブログhttp://natsumeg.blog.jp/archives/47066799.htmlそんでDMMに転職してアフリカに居ていまはドローンの会社をしているそうです。https://newspicks.com/news/1221758/body/うーむ面白い。サクッと読めるのでぜひ読んでみてね。では今日はそんなところで!
2019年02月11日
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実家に帰ってきている。午前中は甥っ子と兄嫁さんが来てくださって昼過ぎまで一緒に遊んだり買い物に行ったりした。午後は祖父の持っていたテープのデータ化。このテープというのが曽祖父の声のデータで、三条小学校の百周年記念の会で祝辞を読んだもの。1972年の収録で、僕はもちろん生まれておらず、曽祖父にはあったことがない。苛烈な性格の方であまり良くないお酒を飲む人だったとのことで、親戚から様々な話を聞かされていたため、やっと会えたという感慨がひとしおだった。テープをCDにするという作業だったのだけど結局難しくて、長岡の博物館にはデータを送ることにする。明日電話して博物館の人と相談する予定だ。夜はNスペの東京リボーンと、NHKBSの中国の改革開放路線と日本人のドキュメントを見ている。いまはその合間のニュースの時間。10分位でこれを書いてる。今日はそんな感じかな。手紙をなんつうか書かなきゃいけない。あ、後半が始まるのでこのあたりで!
2019年02月10日
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今日は早朝から雪を見てはなんだかんだと仕事をして、また外の様子を確認するという雪の日だった。福井に居たときの冬のことを思い出すので雪は好きだ。結局積もらなかったけど、良い雪だった。シェアハウスにこの数日で3人の新人がはいってきた。みんな若い子ではつらつとしていつつ、まだ芯がないためか不安げ。丁寧に付き合っていく中でなにか拾い物が一つでもあれば嬉しい。これで八広のシェアハウスの人数は15人。そこで今日は昼過ぎから近所のおばちゃんたちに声をかけて回った。イベントをしたりするせいか、不特定多数にも見えるくらい多くの若者が出入りしているせいか、近所の人たちから僕らは少し怖がられてしまっているようだった。そこで、できればそうならないように、こちらから関係を作りに行こうということになった。これは僕から言ったことではなくて、住人の当事者意識から出てきたことで、これは本当に素敵なこと。いまのメンツが同じ温度で進んでいくのであれば、明日僕が死んでもなんとかなると思う。夕方にHちゃんを囲う会。いろいろ内面に課題がありつつすごく元気に生きている子。その周りの大人たちも含めてみんなで飲み会をした。そのHちゃんは夜道が怖いとのことで、迎えに行き、途中コンビニでお酒を買いがてら、一緒に会場になる先輩の家に行き、お鍋をつつきつつみんなで飲み明かした。女4男2の穏やかな飲み会だった。僕は久しぶりのお酒で美味しく感じたけど、酔を感じるほどは飲まず。11時前に辞退して東向島駅から実家の方に向かった。1時位に最寄り駅について、小腹が減ってしまい、小腹と言うにはあまりにも多い夜食を食べた。実家に戻ると1時半ごろ。そこからオフロに入っていま。甘木唯子のツノと愛という本を読んだ。久野さんという凄まじい才能を持ちつつ柔らかい表現をする人で、最初は〜アニメーションで知ったんだけど、その人の漫画。本当に面白かった。余韻もとても心地良い。今日書いたのは、ポッドキャストのどんぐりFMで毎日発信することについてのお話を聞いたからだ。どうなるかわかんないけど、短くても書いていこう。いまはプログラミングの勉強したい。
2019年02月09日
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今日は早朝から雪を見てはなんだかんだと仕事をして、また外の様子を確認するという雪の日だった。福井に居たときの冬のことを思い出すので雪は好きだ。結局積もらなかったけど、良い雪だった。シェアハウスにこの数日で3人の新人がはいってきた。みんな若い子ではつらつとしていつつ、まだ芯がないためか不安げ。丁寧に付き合っていく中でなにか拾い物が一つでもあれば嬉しい。これで八広のシェアハウスの人数は15人。そこで今日は昼過ぎから近所のおばちゃんたちに声をかけて回った。イベントをしたりするせいか、不特定多数にも見えるくらい多くの若者が出入りしているせいか、近所の人たちから僕らは少し怖がられてしまっているようだった。そこで、できればそうならないように、こちらから関係を作りに行こうということになった。これは僕から言ったことではなくて、住人の当事者意識から出てきたことで、これは本当に素敵なこと。いまのメンツが同じ温度で進んでいくのであれば、明日僕が死んでもなんとかなると思う。夕方にHちゃんを囲う会。いろいろ内面に課題がありつつすごく元気に生きている子。その周りの大人たちも含めてみんなで飲み会をした。そのHちゃんは夜道が怖いとのことで、迎えに行き、途中コンビニでお酒を買いがてら、一緒に会場になる先輩の家に行き、お鍋をつつきつつみんなで飲み明かした。女4男2の穏やかな飲み会だった。僕は久しぶりのお酒で美味しく感じたけど、酔を感じるほどは飲まず。11時前に辞退して東向島駅から実家の方に向かった。1時位に最寄り駅について、小腹が減ってしまい、小腹と言うにはあまりにも多い夜食を食べた。実家に戻ると1時半ごろ。そこからオフロに入っていま。甘木唯子のツノと愛という本を読んだ。久野さんという凄まじい才能を持ちつつ柔らかい表現をする人で、最初は〜アニメーションで知ったんだけど、その人の漫画。本当に面白かった。余韻もとても心地良い。今日書いたのは、ポッドキャストのどんぐりFMで毎日発信することについてのお話を聞いたからだ。どうなるかわかんないけど、短くても書いていこう。いまはプログラミングの勉強したい。
2019年02月09日
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいします。今年は1月1日からカンボジアに来ています。 今は1月2日。これを書いているのはプノンペンの1泊500円の安宿で、これから兄のいるカンポットという南部の街に向かうバスを待っているところです。そこで兄のいる映画クルーの撮影している映画の現場を見せていただいたり、ゆっくりしようと思っています。 プノンペンには昨日の夕方に飛行機で着きました。空から見たカンボジアは広大な黄色い大地に集落がちょぼちょぼと道に沿って有り、その周りだけ木々が生えていて、後は空き地か田んぼでした。また露天掘りしてあるところが多く、それも印象的でした。宿についてからカンボジアに住む友達と落ち合ってご飯を食べ、カンボジアの色んな話を聞かせてもらいました。それから今朝は6時くらいから歩いてマーケットとか本屋さんとかいろんなものを見に行ったのだけど、食料品以外はほとんど中国を始めとする海外の製品になってしまって、グローバリズムと中国の政治的な影響をもろに受けている国でした。そういう意味で台湾と少し似ているかもしれません。お土産を買おうと思いどこへ行っても、この土地のものというのがありませんでした。ポルポトの事件の影響もあるのかもしれません。本屋さんは大げさでなく半分以上が児童書と呼ばれるものになっていて、大人の人が本を読む習慣があまりないのかもしれないなと感じました。 まだカンポットしか見ていませんが、ここはすごく格差が広がっていて、裏路地に入ると昔のままの生活があります。与党関係者は街区を丸ごと私邸にしてしまったり、それを軍隊が警護していたり、再開発をするときにもそこの住民を軍隊が追い出しているそうです。それらをなんとか変えようとしていた野党が躍進していたんだけど、議席がどんどん増え続けた2017年の選挙前に最高裁判所から党を解散させられてしまいました。与党にはかなり中国の政治的な影響が広がっており、建設中の建物はすべて中国の資本が入っているのか中国語の旗が掲げられていました。そんな事もあってか一般の人の中国に対する感情はあまり良くなく、市場で食べた麺料理屋さんのお兄さんは僕に「日本人か中国人か」を確認してから料理におまけを付けてくれました。宿のクメール人(カンボジア人)スタッフも、すぐ喧嘩をするのであまり中国の人をよく思っていない、というか怖がっている感じがしました。経済的に落ち込んだ黄昏の日本人に対するヨイショとしてそういうことを行っているのかもしれませんし、双方の文化が強弱を持って溶け合っていくというのはそういうことだとも思いますが、やはり市民にとっても中国の影響は強大なもののようです。多くの外国の人(僕もその一人)がこの格差を享受しながら使うお金で、なんとか小さな経済を回るので現状が維持されるという感じになっています。そういう大きな流れが見えたときに、僕はぼったくられることに腹が立たなくなってしまいました。そろそろバスの時間なのでここまでにします。カンポットからの帰りにまたプノンペンに来たら、今度はクメール・ルージュのことを博物館を回りながら考えたいと思います。なんかまじめくさったつまらない日記になってしまいましたが、とにかくカンボジアに来てみて食べて考えて、すごくいい経験になっています。それでは。
2019年01月02日
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年末は今作っているまちのマップの関係で、飲食店をめぐっていた。おそらく最終的には100軒弱になると思うんだけど、色んな人と出会えて、お話できて楽しかった反面、ああ、初対面の人にきちんと接するように頑張ろうと思える経験だった。お店に訪ねてくるお客さん以外の人なんて、営業だったり変な人だったり、とにかくお店の人は不信感を持って接するのが普通だ。それにあからさまに嫌悪感をぶつけてくる人もある程度の割合で居て、やさぐれるというか、時々傷つくなぁ、役場の人や営業の人は大変だなぁと実感する期間だった。なにより、これをきっかけに、お世話になったりいい人たちがやっているお店の売上が上がって、地域に少しでも具体的なプラスを作り出すことができれば、嬉しい。今は、友達のサイモンくんに翻訳をしてもらって、少しづつデータをデザイナーさんたちに上げて行く段階に差し掛かりつつあるんだけど、年明けもしばらくはこんな感じだと思う。さて。いまは実家に帰ってきて、妹の子ども達や、兄の子どもと一緒に遊んだりお世話したりしてる。おばあちゃんの認知症はまま進んでいて、もう正常の状態が殆どなくなってしまっている。じっくりじんわり進んでいくんだけど、比較的穏やかな人だったので攻撃的なこともあまりなく、家族も少し安心してる。ひ孫と一緒に遊ぶ時は本当に楽しそうで、かえって、立ったり座ったりすることでもともと悪くしているおばあちゃんの膝がこれ以上悪くならないか心配になる。子どもたちに関することは、いろいろ勉強になる。仕事や生活の優先順位をすべてぶっ壊して最優先になるのはやっぱりすごい。子供ができたって言うと大抵のことは、しょうがないってなるし、それはそれから何年か続く。当たり前すぎることだけど、親というのは本当に大変なんだなとしみじみ思うし、両親に改めて感謝してみたりする。うちは4人兄弟だったので、特に大変だったと思う。子供の頃の記憶で、両親はいつも怒っていて、僕らに当たるように叱りつけたりしていた。それがいつからか両親はすごく温和な人になってしまっていて、なんでなんだろうかと思っていたんだけど、おそらくそれは子育ての大変さが彼らを変えてしまっていたんだと思う。それに今回はじめて気がついた。子どもはすごく可愛くて愛らしくて、それで隠れているけど、理不尽でわがままで暴力的で、単純に残酷になることがある。僕らもそうだったんだと思う。今となっては両親のかたをもんでやるくらいしかできないかもしれないけど、ありがたいと思う。さて、家族が増えるのはすごく嬉しい。そしてそれ以上にたくさん学ぶことがある。僕も結婚できて子どもを授かることができたら、もう少し成長できるのかもしれない。可能性がどれくらいあるかはわからないけど、少し楽しみだ。
2018年12月30日
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一年位ぶりだね!いやー早かったこの一年!!ううむ、このところなかなか仕事もいい感じで楽しいところでした。前回の記事で書いていた大きなシェアハウスが百万円を超える全くの赤字で、いやーもーどーすっかな、やっぱ家賃1万は安すぎて全然だめだ!! と思って少ししょげていたのですが、こんなんじゃだめだね。もっとやらなきゃって思った。ここの日記は、僕の日記は過去の僕が今の僕に向けて突きつけられていて、だから凄くエネルギーを貰える。2010年の日記、ヤッチャバを始めた頃の日記を読んで、そんで今年の1月の日記とその前の日記を読んで、完全に元気が出た。やっぱさ。歯を食いしばって、どうしようもないままならないことを丸抱えしてさ、そんでもって前にグイグイと進む感じがないとだめだよな。もっと汗かこうって思ったよ。いや、仕事は仕事でやることなんとかやれていて、それで得たお金でなんとかマイナスになったり、病院入ったやつの入院費払ったり、もうどうしようもないことで新しく作らなくちゃいけなくなったシェアハウスのお金を払ったりしていたんだけど、お金がどうにもなくなって、不安で落ち込んでしまっていた。でもそんなんじゃだめだ。カネがないのはいつものこと。そんな少しだけ前のあたりまえの感覚を、すっかり忘れてちぢこまってしまっていた。だめだだめだ。最善を断じない、スカッとしない、ジトッとじっくりやり続けるのが僕の良さだった。それを忘れていた。いましているのはいい仕事だけど、来年はやめようか。それとも、もう一年だけやろうか、すごく迷っている。より過剰にやるために一度、見つめ直さないといけないと思う。今日、東洋哲学ゼミというこの1年間通い続けていた勉強会で論語を読んでいて、そこで理想についての話があった。孔子先生と、弟子の顔淵と子路のそれぞれの理想について。可愛くも少しできの悪い弟子の子路は理想を「私が馬車に乗り、軽い毛皮の着物が着れるような身分になりましたときに、友人とともにそれに乗り、それを着て、かりに友人がそれをいためましても、それをなんとも思わないようにありたいものだ。」といい、顔淵は「私は、自分の善事を誇ったり、骨折りを吹聴したりするような誘惑にうち克って、自分の為すべきことを、真心をこめてやれるようになりたいと、それをひたすら願っています。」といい、孔子先生は「私は老人たちが心を安らかにしたい、友とは信をもって交わりたい、年少者には親しまれたいと、ただそれだけを願っているのだ」という。僕は我が強いので、顔淵のようにありたいと思う。ひたすらまっすぐ、真心を込めてじっとし続けていきたい。ううむ、なにか言いたいかよくわかんなくなってきたな。やっぱ日記をもっと書いて、文章を書く訓練しなきゃだめだな。ひとまずそんな感じで!また書きます。
2018年12月19日
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あけましておめでとうございます。どれくらいの方が読んでくださっているかわからない中での自惚れかもしれませんが、自分の名前でブログを書くのはいろいろためらってしまうところもありますね。そんな風にためらってしまっているうちにもう33才になってしまいました。年末と正月を実家で家族と過ごしているうちに、どんどんゆるくなっていくことに焦りを感じる今日このごろです。僕は環境を揃える能力に長けている割にそこにあぐらをかこうとするということを、先ほどお風呂に入りながら自覚しました。そんなことをしているうちに、体脂肪率100%の愚痴だけを吐くうんこ製造機になってしまいます。このままではいけない。でもどうすればいいか。答えは簡単なこと、なんでもいいからどんどんやればいいんです。というわけで、1月からブログを書きながら、仕事以外の何かを進めていき、その進捗を報告するブログを書きます。一歩でも少しづつでも前に進んでいけるように頑張ります。同時に、書き方はおそらく少し曖昧なものになっていくのではないかと思います。インターネットの検索能力は恐ろしいもので、様々な受け止め方をされるであろう事を前向きに進めていく中で、実名であると言うことが大きな足かせになってしまうであろうからです。そのため、ひとまず検索に対する不可逆性のある情報のみをアップしながら進めていきたいと思います。まずはいま住んでいる廃工場を改造したシェアハウスに関すること。ここは、いくつかシェアハウスをする中でシンプルに誰でも受け入れるシェアハウスを作りたいと思って作りました。広さはトータルで2フロアで160畳ほどあり、個室が5つと大きな共有のスペースが3つあります。その中に1つある12畳ほどの空き部屋を面白く使いたいので色々考えているのですが、まだまだぴりっとしない。もっと面白い使い方が出来るのではないかと考えているんです。面白そうな使い方をしてみて、それをシェアする場としてこのブログを使いたいと思います。面白い事をし続けたい青臭い言い方になりますが、僕はそれが全てなのです。今年もよろしくお願いします。
2018年01月02日
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昨日のというか、今朝の2時くらいに東北芸工大の男子と、彼が旅先で知り合った男子2名が泊まりに来た。彼らはクタクタだったみたいだけど、そのままお酒を3時間くらい飲んで、僕はその後2時間位でバイトやめる学校の残りを読んでから寝た。一晩明けて、不思議な抑揚と言うか、興奮が落ち着いたのであらためてバイトやめる学校を読む。やっぱり面白い。なんでこんな柔らかくて優しい言い回しで、核心を掴み取るような事が出来るんだろう。結局3回ほど読み通した中で、なんというか気づいたことと言うか、書いていないことで類することをここに書きたいと思う。はたらくということの語源は、”傍を楽”にするということらしい。福井県池田町にいるとき、農家さんからそれを聞いた。”傍”というのは、隣りにいる人のことだ。隣にいたい人のことだと言い換えることも出来るかもしれない。隣にいたい、好きだなーと思える人、面白いと思える人を楽にする。彼らのために時間を割いてみる。そういうことなのかもしれない。お金を稼ぐことを考えることも大事だと思うんだけど、その手前のこととして、こっちからアプローチするのも手なのかもしれない。僕は少なくとも、守るものもないし失うものもない。それで、宮沢賢治を尊敬していて、グスコーブドリの伝記が好きで、おそらくだからか、そうしてきた。色んな状況があって、いろんなことがあると思うけど、こっちの方法が合う人も居るかもしれないと思って書いた。・好きな他人のために自分の時間を使う感覚を持つこと働くことの最も原始的な部分は「好きな他人のために自分の時間を使うこと」だと思う。対価に何をもらうとか、いくらで何をするとか、そういう手前の部分。山下さんの本には相手の一人ひとりに対する愛情を感じた。出版後、読み終わった読者の感想をひとつひとつ丁寧に答えて、読者の人が少しづつ歩き出せるようにしてる。それは、自分の感想をツイッターでエゴサーチしてリツイートするあるある行為と真逆にあることだと思う。本の中に、妹一人のために雑誌一冊をつくってしまったお姉さんの話が出てくるけど、これは最も純粋な他人に対する愛の行為だ。働くって定義がおこがましく、語弊があるほど素敵な行為だ。そこまで行かなくても、人間はいろんな他人に対する行動をする。なんでそんなに面倒なことを他人のためにするのか→好きだから、気になるから。あらゆる自己満足の行為と、働くことの違いは、行為のベクトルが自分にあるか、(自分も含めた)相手にあるかだ。自分も含めた相手というのが大事で、好きでない人や気にならない人(純粋な他人)にはなかなか行動することが難しい。バイトやめる学校は働くことを書いているから当たり前かもしれないけど、バイトをやめたいという動機づけの基は、どうしても自己満足に近いエゴイスティックなものなので、読者の僕と、松浦伸也との間にはそこの部分の違いがあるような気がした。そう思って、整理したくて、これを書いた。僕は、タダ働きこそ最も純粋に楽しい。僕のシェアハウスは個室の値段が3万円〜で、共用の部屋は月に1万円で借りられる。だから、まったく儲からない。だけど、シェアハウスに若者が沢山住んでいるということは想像以上に面倒くさいことばかりで、本当に毎月家賃が払えるかハラハラするし、大変だったりする。こないだは日本語があまり出来ない、失業しちゃった住人と半日ハローワークなどを巡ったりした。引っ越しも実費で手伝う。もちろん僕の手間賃は無しで。お金的には全然労働に見合わないんだけど、住んでいるみんなが好きなので、僕は楽しい。虐待から逃げてきた人が住んだり、まともに働けなくなったりした人も住んだりしているけど、そういう男女ひとりひとりが、くっついたり、就職できたり、会社辞めたり、仕事始めたりしていく。一緒にごはんを食べたりお酒を呑んだりしながらそういう話を聞くと、そういう一人ひとりの人生に少しだけ関われているような背中を押せているような気がして、なんだかじんわり嬉しくて泣きそうになる。これがしたかったんだよなーって実感がある。僕は労働の8割はそういうことをしたいと思って、でも能力が2割の労働で人並みに稼げるほど無いので、だから、収入が月5万円で楽しく暮らせるようにした。そういう思いでいて、面白そうなことや好きな人の為のことは無料で働いてきたし、それが何より楽しかった。手伝われる人はいつも最初はポカーンとして、一瞬、僕が何か変な裏があるのではないかと勘ぐってきたりしたけど、最後はとても喜んでくださって、すごく仲良くなる。だから本当にそれが嬉しかった。錦糸町河内音頭もそう。もう何年も飲食ブースのひと会場の取り仕切りをすることになってる。僕が関わりだしたときは本当に手弁当で関わって、お金もなくて大変だった。役場との調整も面倒事もめちゃくちゃ大変だったけど、それでも、鷲巣さんや山田さんが喜んでくれるのがとても嬉しかった。それを僕は2年続けて、3年めからは少しだけ手間賃がいただけるようになった。そんな仕事は自然と発展していくこともある。僕の人脈がすごいという人がいるけど、そうじゃない気がする。それは単なる結果で、元の部分で間違ってる。僕は人脈をつくろうとしていないし、好きな人しか繋がりたくない。広い繋がりなんかどうでもいい。それより深いつながりが好きだし、大事だ。最も深いつながりは家族なので、親兄弟や祖父母を大事にしてる。大事にすることで、なんというかいつでもリセット出来る。頑張りすぎちゃった時に、自分の素直な部分に戻ってこれる。少しはなしは変わるようで変わらないんだけど、そこまで有名でない若手の芸人さんが様々な友達にお金を借りていくというバラエティー番組があった。彼は一般的な知名度以上に、大阪の地元の会社の社長や飲み屋のマスターなどに可愛がられており、紆余曲折ありながら、結局24時間で、400万円以上借りてしまう。それについての良し悪しはあるし、最近彼は飲酒運転で捕まってしまうのだけど、人間性はともかく、その結果はすごいと思う。なんというか、彼らは労働という形式にとらわれないことをして関係をつくってるんだと思う。沢山の時間を、お金を対価にもらうことなく他人に割いてる。人を笑わせる能力を存分に使って、お客さんでない相手を喜ばせてる。それが相手から信頼を得ていく。それが仕事にもつながっていくんだと思う。だから、まず好きな他人に、喜んで自分の時間を割いてしまうべきなのかもしれない。相手に喜んでもらって、自分も嬉しくてって経験をしてみる。それを仕事の合間や隙間で少しづつしてしまうのがいいような気がする。そのための第一歩として、時間を割きたい人を見つけるべきだ。家族でもいいし、友達でもいい。面白そうな人が何処かにいたら、まず会いに行って、それでその人が面白い、好きだと思ったら、彼らに時間を割いてみる。押し付けにならないようにだけ注意しながら、丁寧にざっくばらんに話してみる。何か大変そうだったらそれを手伝ってみて、相手と一緒に笑えることを探してみる。それが一番ちいさくて前向きな一歩になるかもしれない。恐れることはないよ、自分のことを心から好いてくれる人が、人は好きだから。おそらくだけど、気になった時点で、相手とはお互いにいい友達になれると思う。長くなったけど、これまでをバイトやめる学校の感想とします。気になることや、わからないことがあったらなんでも聞いてみてください。あなたの読んだ気持ちを聞かせてください。
2017年07月17日
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もう亡くなってしまったじいちゃんは所沢でうどん屋をしていた。和風の大きな建物の2階に住んでいて、そこには大きな書斎があって、晩年もそうだけど、いつも机に向かって大きな眼鏡をかけて本を読んでいた。じいちゃんは、もともと所沢の農協で勤めていて、三輪自動車で所沢から都心の市場まで農産物の輸送をしながら農家の為に何をすべきかをいつも考えていた。そんな中、地元の行政書士の人と一緒に、農協に不動産部門を立ち上げた。農地転用の際に何も知らない農家が業者に多額のお金をぼったくられていたのを見かねて、できるだけ安く手続きをしていったそうだ。結局この仕事は沢山の農家に喜んでもらったのだが、あまりにうまくいったので不正をしているのではないかと赤旗新聞から叩かれたそうだ。事実無根だけど、せっかくいい形になった事業に悪影響がないよう、じいちゃんは後進にすべてを引き継いできっぱり農協を辞めた。あくる日からじいちゃんはずっと居間で寝たっきりで、一切働く気がない。ばあちゃんは理由も言わず急に仕事を辞めてしまったじいちゃんに呆れると同時に、家の間口で小間物屋をはじめた。母親も言っていたけど、その頃はとても貧乏だったそうだ。そんな中、どうしてもじいちゃんに仕事を頼みたいと、農家や地元の人が尋ねてくるようになった。じいちゃんは、元手がないので地元の銀行に頼んで不動産業の開業資金を貸してもらうことにした。銀行の担当者はボロボロの家の小さな居間にドスンと座った大柄のじいちゃんを見て、貸すべきか躊躇したそうだが、実績があったのと、お客さんがたくさん付いていたのでお金を貸すことにした。それから、じいちゃんの不動産業は大成功し、一気に大金持ちになった。母親は車で学校まで送り迎えしてもらうようになったそうだ。そんなある日、じいちゃんは不動産屋を閉じた。翌日から、どこから見つけてきたのか、東大の警備員の仕事を始めだし、その後、大潟村に入植しようとしたり(ばあちゃんの反対で断念)、北海道で山林まで買って農業を始めようとしたり(大反対で断念)、そんな紆余曲折あって、急にうどん屋をはじめた。とても美味しくてボリュームが有り、僕はよく休みの日には手伝いがてら食べさせてもらっていた。うどん屋は「菊屋」という名前で今も東所沢にあっておじちゃんが引き継いでる。じいちゃんは僕に乱読するといい、と聞かせてくれた。若いうちは乱読していろんなものに触れるといい、と。僕はそうしてこうなって、じいちゃんに反対されたものの自分で会社をつくり仕事をつくる生活をしている。自分の苦労を踏ませたくなかったのかもしれないけど、僕は今の暮らしがとても楽しいし、満足してる。そんなじいちゃんに雰囲気がめちゃくちゃ似ていて、会うたんびに懐かしくてたまらなくなっていたのが山下さんだった。ゴワゴワした生地の暖かそうなすごしやすそうな自作の服を来ていて、大きな眼鏡で博識で頭が柔らかい。とにかくだれでもフラットに接して、いつもの風景からつぎつぎ面白いものを見つけている。大学生の頃から本当にずーっと影響を受けていて、当時素人の乱をしていた山下さんをみて、僕はこれを他のところでしなくちゃいけないと思った。それがヤッチャバで、シェアハウスで、今もしている色んな仕事なんだ。そんな山下さんが本を出した。いまはその本を半分まで読んだところだけど、なにか書きたくなって書き始めたのがこの文章だった。なんでじいちゃんのことを書き始めたのかはわからないけど、弟が一昨日じいちゃんの夢を見たと話してくれて、それで今日、その山下さんの本を読んで、だから書いているのかもしれない。とにかく、読みおわるまえに、そのまま本を掴んで何かをしたくなる本だ。こちらから買えるので、もしよければ読んでみてください。http://tochuyame.thebase.in/items/7140422若い人向けだけでなく、いろんな人がそれぞれに拾い物がある本だと思います。
2017年07月16日
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昨日はあさ2時間くらい寝てから神保町へ。神保町のバックパッカー向けの宿の1階にあるカフェで川本くんを待つ。作業してたら連絡あり、朝6時半の予定がバスが遅れているとのこと。待っていても仕方がないので、そのまま神保町のブックフェスタに行った。 その日は毎年恒例だけど父親の代わりに書店組合の関係で、返品できなくなった本やグッズなどを販売した。昼過ぎまでわーわー販売している最中に、最新のせどり師を見た。アイフォンから服の中を通したコードで手元につながるのは、大きめのボタンサイズのバーコードリーダー。それでもって、慣れた手つきでバーコードを素早く読み取る。アイフォンからはイヤホンで値段などを音声で再生させる。売価とネットでの価格とを比較して、いいものを効率よく購入していた。昼頃に終わってから、三幸園にて餃子定食。少し足りないので、そのまま天ぷらいもやへ。 いもやはお店の前に行列ができており、一度たじろいだけど、並んでみた。中学生くらいのとき、おそらく初めて一人で外食したのがここだったと思う。神保町に本をあさりに来たときには、必ずてんぷらいもやか、いもやの天丼を食べていた。いもやの店内の静かさは変わっておらず、ケータイ電話はもとより、一切の私語がなかった。揚げ物のぱちぱちと言う音と時折聞こえる注文の声の中で美味しい天ぷらを頂いた。 そろそろ帰ろうと歩いていると、後ろから肩を叩かれた。ふと振り返ると、緑化センターの金井さんで、これから同期の2人が講演をするので行こうという話に。5分ほどして会場につくと、誰も人が居ない。金井さんの勘違いで来週のイベントだった。そこで、そのまま彼女と喫茶店で話す。いまの状況の変化と、これからしたいことなどを話した。金井さんはいつも僕ら協力隊の隊員の話を嬉しそうに聞いてくださる。 子どもの話を聞く母親のように聞いてくださるお陰で、僕らは屈託なく子どものように話す。悩みも、不安も、上手く行かないことも、どんどん吐き出し、最後には前向きな感情だけが自分の中に残る。そんなふうに僕らを前に進ませてくださる方だ。珈琲をごちそうしていただき、レーズンサンドまで最後に買ってくださった。 雨がぱらつく中、事務所に戻って作業していると、早朝会う予定だった川本くんから連絡あり、9時から会うことに。 久々だなーと、ワイワイじゃれながら、一緒に連れ立って、曳舟駅前の猫六に行った。猫六のよしやさんの料理は本当に美味しい。お酒も美味しいけど、肉も魚も、最後に食べるカレーも、常に安定して美味い。 とっても丁寧な職人仕事を思う。閉店間際までいながら、川本くんの商売のアイディアを話した。面白いアイディアがいくつか出て、前向きに考えてくれそうだ。設問があって、解決法がいくつか浮かぶ。そのうち、特に面白そうなものを丁寧に説明しながら、言い訳を組み立てていく。突飛な思いつきの骨格が組み上がって、そこからの雑談の中で肉付けをしていく。その過程が本当に好きで、悩んでいる誰とでもこのような話になる。 もちろん、問題に関しては当人が一番悩んでいるし、真剣に考えている。その前提で、どうしたら肩の力を抜いて、常識を崩して再構築することができるのかを話す。何れにせよ、通底するのは面白いかどうか、だ。 面白いことは、正しいことよりも正しい。 法律の制限はもちろんあるけど、いったん全部外して考える。その上で、どう面白くできるか。面白さは万国共通で共感してもらえる。どんな人でもワクワクさせられる。だから強い。だから大事。つねに面白いかどうかを考え、その上で僕は社会にプラスになるものにしたいと思う。そうすると、ただただ奇をてらうものにならない。 そっちのほうが面白いことが継続してし続けられる。だから、面白いかどうか、ワクワクするかどうかを考える。 いま、川本くんが帰っていった。たくさんたくさんお話ができてよかった。
2016年10月30日
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日付が変わってしまったけど、昨日今日と友達と温泉巡りをしていた。裏では新しく進めていた6軒目のシェアハウスが大家さん側の都合で借りられなくなりそうになったり、面倒なことがぐわんぐあんと山積していて、落ち込んじゃうし、もうだめだー!!ってな時に、SNSでペーパードライバーの友人が2人で長距離運転することを怖がっていた。それじゃー僕が運転しますよってなことで、1泊2日の温泉巡り。他愛もないことを話しながらぼんやりぼんやり温泉に使ったりクルマで移動したり。移動した先でまた温泉に使って、その土地の美味しいものを食べたりした。 空白は意識しないと作れないし、そんな空白で物事は進んでいく。頭の中が空っぽになって、そのなかでドロドロとしたものが沈んで、感情の表面がサラサラしていった。もちろんいろんなことに意識を巡らせることはあるんだけど、一つ一つがふわふわしてて引っ張られない。 「風呂浸かりながらいろんなことに思いを巡らせて、運転しながら景色見て頭が動いてて、それがすごく心地良かった。果報は寝て待てって言うけど、このところ頭を悩ませていたことが、しれっと進んだ。自分がどんどん落ち込んで閉じていく感覚があったけど、2日間ですごく変化した。」https://twitter.com/greengerenrenge/status/792007107230912512 下田の昭吉の湯に一泊、修善寺行って弘法さんの足湯入って湯河原へ。伊豆屋旅館に声かけても無音、諦めて少し上のままねの湯へ。って、ここがめちゃくちゃ熱いのなんのって貯め風呂だけど、たし湯が80℃。ぐうぐう言いながら浸かって、小田原の東北部の中華食って帰った。2日めのランチの時に、ミュートにしていたケータイをみたら着信が9件。一つはクダンの大家さんからだった。折り返すと大家さんが出かけてたり、電話しようとすると圏外だったりで夕方くらいに電話すると、最近とらわれていた問題が解決したとのこと。 あっけないくらいに次に進むことになった。 実はこのところ、落ち込むことが続いていて、ぜんぶの負のベクトルが自分に向かってしまっていた。いつも考えるのは、「自分のせいではないことを自分のせいだと考えるのはとってもおこがましいことだ。」ということ。でもぼくはそうだった。 遠くで言われて耳に届いたひどいこと。責任もなく道理も通らない身勝手な押し付け。自分ではどうにもならないよしなしごと。こんなことに囚われないように気をつけないといけない。活性が下がって、ゆっくりゆっくり死んでいく。それは嫌だ。嫌だというか、ダメだ。 やってしまへやってしまへ 酒を呑みたいために尤らしい波瀾を起すやつも じぶんだけで面白いことをしつくして 人生が砂っ原だなんていふにせ教師も いつでもきょろきょろひとと自分とくらべるやつらも そいつらみんなをびしゃびしゃに叩きつけて その中から卑怯な鬼どもを追ひ払へ それらをみんな魚や豚につかせてしまへ はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる 紺いろした山地の稜をも砕け 銀河をつかって発電所もつくれ 宮沢賢治「サキノハカといふ黒い花といっしょに」より抜粋 果報は寝て待てじゃないけど、どんなに思い悩んでいたって、自分以外の問題は1ミリも解決しないし、どんなに深く深く悩んでも、自分の中の問題も解決しやしない。問題に直面すればするほど、いったん肩の力を抜いてのんびりしたり、空白をつくるために日常から距離を取って移動してみたり、そんな風に問題から距離をおいてみるのも大事なんだろう。 僕を凹ませようとする中距離にある物事が、もっと(遠く/近く)の(多くの/ささやかな)人の幸せを阻害するのはもったいない。だからもっともっと精進します。 引きこもりそうだった自分を叱咤するために久々に日記を書いた。沢山の気づきのある昨日今日を忘れたくない。だから、これからまた少しづつ書こうと思います。また、読んでくださるとうれしいです。3時間後、夜行バスで京都のカバン職人の男子が会いに来てくれる。学生時代に一緒に汗を流したやつ。紆余曲折あって今の仕事をしている。ヤツとどっかでモーニングでも食べながら話して、そのまま8時半からは書店組合の関係で神保町古本祭りに父親の代わりに参加する。 今日の疲れと、明日のワクワクの間。こうやって夜中にブログを書くのもひさびさだ。 こうして綴る文章が好きな人が楽しみにしてくれるような、そんな静かなブログになっていったら嬉しいな。 そろそろ少し寝なきゃ。おやすみなさい〜
2016年10月29日
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僕はぬるい地獄を作っているのではないかとぞっとする時がある。安く住める東京の家。あまり働かなくても住める家。実家のようなぬるさと、居心地の良さ。相反するところに、昭和的な、浪花節的な、ガツガツ感があり、僕はこれを希求してる。張りつめた緩さというか、どこかに通底する焦りが必要なのではないかと信じている。 一方に、弱い若者を片端から集め、ぬるい地獄を発明しようとする自分がおり、同時に他方では自由に生きる者は「3年後の自分が代替可能なのではないか」という不安を抱くべきだというオラオラな自分が居る。自分を含んだ大局観の無い現代の若者が、ガツガツと進んでいくのに必要なのは、そのようなじんわりと張りつめる感覚なんじゃないかという思いがぬぐい去れない。以下詩みたいな戯れ言。風邪ひいてうだうだしているとき、眠りの合間の断片的な記憶の中で、浅間山荘までの活発な左翼運動とその理想、若さ故の瞬間的な解放区をもよしとする花火のような美しさ儚さを総花的に眺め、それに対応する三島由紀夫の抱えた永遠の寂寞と遠大な虚無を感じた。日本人の精神の中空構造の底には何があるのか。そんな所まで、見えやしないけど見ようとすべきじゃないか。もっと手前の浅瀬でちゃぷちゃぷ何をしても、いずれ迫る死の前にはなにもないにひとしい。連綿と続く生の連鎖の中にこそその一つの解(意味)がある事は分かった。有り体に言えば女だ、女との関係だ、その結果だ。その上で、1つの人間としての生について、死について、いま死ぬ事と、老いてから死ぬ事の明確な違いがなければ、個別の生に何の意味があるのか。僕にはそれがわからない。生きる事が希望に満ちていると言う事を自分に理解させるには、耳をふさいて、目をとじて、口を明けて天を仰ぎ、気まぐれな雨を待つほか無いのか。この大きな空のした、 同じく明けてまっている同胞のすすり泣きが聞こえる。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜詩的表現に依って(酔って)何かをかえる事はできない。 そして何より、何かの仕組みで他者を変えようとする取り組みは間違っている。自発をひたす何かで少しづつ変わっていくきっかけを作ろう。
2015年02月19日
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昨日雨の中バイクでまわったのが良く無かったのか、風邪がぶり返した。一日寝てすごす。22時くらいに細田くんの電話で起きて、23時からヤッチャバミーティング。今終わってこれからチラシを作る。作ってから寝る予定。人に風邪を移さないように振る舞わなくては。
2015年02月18日
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風邪を引いて昨日は一日寝込んでいた。寝込むたびになんと言うか更新されていく気がするのは節々が痛くなるのが成長痛に似ているからかな。。懐かしい感じ。早朝家を出るときに向かいのおばちゃんが仕事に行くところだった。5時くらい。いま事務所でもろもろ済ませている。父の書店からソトコトが10冊届く。領収書に小さな心遣いがあり、ありがたくなる。小さな優しさ、気づかないかもしれない細かいところでさりげなく気を効かせてる仕事ってすごい。今日から通常運転始めます。寝すぎて少し腰が痛い。
2015年02月17日
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どうでもいい事を書く。iPhoneのカバーについて。 ハードカバーを利用する人や、カバーをしない人は美意識が高い人が多い。 自分の外見の表出として携帯を持っている人が多い。 だから、覆わないで飾る。 デザイン性の高いiPhoneであれば、カバー無しは飾らない飾りだ。 また、iPhoneがする行為は独立した個が行うと考え、頓着しない。 割れると一瞬落ち込むが、割れる可能性については割れるまで考えない。 そのまま使い続ける。 ソフトカバーで覆う人は内面の表出としてiPhoneを持つ。 だから破損する可能性を考え、怖くなり、覆う。 やわらかい自身の延長と考え、音や振動に敏感になり、あまり音を出させないようにする。 指紋防止シートを貼り、他人に触らせないし、小さな傷に頓着する。 少しでも割れたらすぐに修理する。 最近そんな事に気がついた。
2015年01月23日
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昨日は大人な飲み会として、東華園さんでお食事会だった。一日何も食べないで、いきなりガガッとたべたので、久々にお腹いっぱいになった。そしたら翌朝トイレに何度も行った後で、4キロくらい太ってた。。。 ぎゃーす!おシゴト中なので短めに。 これから打ち合わせしたら、夜はあかりや存続会議というモノモノしい雰囲気の会議。これは毎年行われていて、僕らの部室でおなじみ、シェアハウスあかりやの存続を当事者を集めてどうするか考える会議。住人よりも関係者が白熱したりするんだけど、このためにベトナムからわざわざ帰ってきたやつもいるし、みんなこの場所が好きなんだと思う。 ぼくのシェアハウスの若い衆もお風呂をここで借りているため、 けっこう真面目にこの会議に望む。どうなるかなー!楽しみだ
2015年01月14日
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動き続けるしかない。 淀めば、とどまれば、腐る。 流れの中にあってはじめて価値のあるもの。 人もお金も水も、そう。 流れが常態なんだ。 それを意識するだけで大分ラクになると思う。自分を矮小にするすべてを捨てて次へいけ。
2014年12月22日
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僕は人に誤解をさせてしまうらしいので、どうすれば良いのか考えこんじまったけど、さっき15分くらい眠ったら全部忘れた。あはは とにかく、 依存や崇拝に基づく誤解はさせないように気をつけて、 誤解があれば、説くように努力しよう。 体と一緒で、醜美の幅がデカすぎるんだと。 でも、僕だけでなく、人はみな無意味な俗物思念の集合なんだと思う。 その思念の移ろいのどぐらまぐらに、テラテラと光るタールのきらめきに、 一瞬何かを見て、何かを感じ取って、誤読してしまう。 それは良いんだけど、その瞬間に期待はしちゃいけないんだ。 思念は聖も俗もあわさったものだし、刻一刻変化しちゃうから。 焼け跡闇市派という言葉がある。闇市派。 そうしたら、僕らは焼け前、朝市派か。 そういう歴史の連続性、各地点での対称性は、現代の変化の加速を乗り越えられるのか。 それとも、非対称制を持った全く新しい世界が見えていくのか。 いずれにせよ、状況はいかにもな足音を立てず、颯爽と軽快な足音を立てて近づく。 国益優先が、経済回復が、 富国強兵や殖産興業に聞こえるのは大げさだろうか。 コンサバもリベラルも、次の時代には遅いように思う。 もっと先の何かを夢見て進むこれから日本橋でお話をししてくる。がんばって話そうって思わず、肩の力を抜いてはなそう。次の時代ってなんなんだろうってことを
2014年12月18日
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インプットとアウトプットとスループット 明確な意思を持ったインプットがあったとして、そうではない無意識に状況や情報、その背景にあるコンテクストを読み込むこと、これを”スループット”と把握してみる。そうするといくつかのことが理解できる。森山大道の写真を眺めながら、時代を羽織るというか、まとうことができることは、社会にメインストリームを作る大きな1つの要素になるのではないかと感じる。多くの場合は、それは天才によって無意識的に行われており、かえりみられることは少ない。(僕は残念ながら、引きこもっていた時期に天才ではないと悟ってしまっている)天才はスループットを常にできていて、それを表現に昇華できる。例外無くそうだと思う ただ、常人にできることができない。このスループットの方向性を恣意的に操作することができないか。そのためには、無意識の欲求のもう一段下に潜り込む必要がある。人間に可能なのか。宗教的な極限への到達でなく、もっと科学的な真理へ積み重ねで、何かが見えるのではないかと思う。脳の働きとか、自己言及的な科学の結晶が、あるとき自我の解明方法を編み出して、無意識への操作方法を編み出して、次を提示していく。体内の無意識下の運動を続ける臓腑が、精神の影響を受けるように、脳みそもその精神の影響を受ける。社会全体が脳によって作られ、社会全体が脳に影響をしていることを考えると、そこが見えることで社会の方向性がもう1つ進化するように思う。 頭の速度にムラがある。同時進行でいくつもすごい速度で進むときと、動きが感じられないくらい遅々として進まないとき。進むのは顔が火照って、指先がさめている時か。思想や、アートや、宗教、社会全体の在り様と人という大きな方向のこと。そんなことを考えるときに、頭の回転が始まる。情のこと、金勘定、そういったことを考えるときの僕はアホだ。はっきり言ってぎりぎり及第点の能力しか無い。記憶力に至っては障碍レベルだと思う。だから、仕組み化していく。だから、いろんな人と一緒にやる。どちらも最大限できていくようになったら良いよね。
2014年12月17日
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目指すのはどこなのかとか正しい方向とか、進むべき道とか、そういう今の瞬間の速度を減じる問いかけは無意味なんだと思う。パフォーマンスを高め続けるためにはどうすればいいかに集中して事に当たるしかないんだ。僕らには。そうやって、毎瞬毎瞬おとづれる新しい世界に応対するしかない。自分という速度を持った曲線を時おり因数分解して、接線を出して、傾向を見る。そんなのは刹那にやる事で、わかる事で、立ち止まって考える事じゃない。それよりも大事なのは、次、その次と、移ろう思考の端々に顕れる風を、掴んでしばっておさまえていく。本や音楽に表現し直して体験して、違いを感じながら思考を再現して、書き起こして自分の中に再構築して、つなぎ止めていく。その積み重ねの結果、自在で自由なその次が、今に顕れる。眠い頭でそんな事を考えたので、つなぎ止めておく。
2014年11月24日
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物件探しは楽しいなーヤッチャバで2日間日記を書けませんでした。昨日は寒かったけど、週末はいつも楽しい。 さて。どんどん人が墨田に引っ越して来るので物件を探して紹介している。不動産屋さんと密に連絡を取りながら、そういう事で汗をかく。 僕はやりたい事がない、というか、あるけどそれは、引きこもって本を読む事という救いの無い事だから、だからそれではダメだと思う。 本を読むのが好き。女の子と過ごすのが好き。そういう物を一旦わきに置いておいて、 みんなのやりたい事を手伝う。その人が笑顔になる瞬間を想像すると、わくわくしてくる。そのときは多分、僕も笑顔だ。 相手が泣いているとおろおろしてしまう。笑わせたい。僕といるときだけでも少し楽になってもらって、笑っててほしい。 そう思う。だから売れない芸人を目指す。おかしみが漂う、優しい存在。 そのためにがんばる今日も。 あなたの今日はどんな今日ですか? https://www.youtube.com/watch?v=tp2OlcaVz3Y
2014年11月10日
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周辺に若い人が多い為、働く事について考える事が多い。20代の前半は守られてきた存在から、守るがわに行かなきゃいけない瀬戸際で、みんなそれぞれに悩んだりあがいたりあきらめたりしている。ごくごくシンプルに物事を考える癖がついている。中学の時に読んだ村上龍の小説の中で「欲しい物がわからない人間に欲しい物が得られる訳がない」という文章があり、それに強く感化されたからだ。複雑に考えると脳がじっとり疲れて、ごちゃごちゃしたままにしてしまう。僕はシンプルに考えて欲しい物を得たいし、大して重要でない物を得るために使う時間は自分の人生には要らない。欲しい物はなんなのか。強く欲するその根源にはどんなことがあるのか。幸せとか、ゆるやかで暖かい物でなく、もっと冷たく強いもの。それについて考えると、得る手段としての働くということに行き着く。一般的な働くという事を、欲望の側面からシンプルに言うと、この3つのサイクルだと思う。(1)仕事を得る、(2)お金をつくる、(3)それで楽しい事をする。僕は(3)の楽しい事に、お金がかからない場合が多い。大学生のときには2ヶ月バイトして3ヶ月働かないという生活をしていた。ぼんやり本を読んでいれば幸せだし、いまは屋根のあるところに寝られていて、おいしいものが身の回りにある。(というか、おなかが減っていれば何でもおいしい)(1)、(2)のことにウエイトが重くなりすぎて、(3)も重くなっていくと、人生が重くもたついて、少しの波でも大変にさわがしい事になっていく。 考えるのがおっくうになり、どんどんそっちの世界に引き込まれていってしまう。 いい仕事をする、例えば腕のある職人さんは、仕事が楽しくてしょうがないという。自分の中での完成度の高まりと、技術の高まりとの競い合いでどんどんクオリティが上がっていく。それが楽しくて、成果物の価格に関しては、次の成果を作れるまでにかかる最低限のお金しか取らない人も多い。あまりにたくさんのお金を得てしまう事で、生活が変わって技術が鈍ったり、仕事が雑になってしまうことを畏れるからだ。もちろん蓄えがある事に越した事は無いかもしれないけど、いい仕事をしている人はそれだけで十分みんなに助けてもらえると思う。 その様はたいへん美しいし、いいものだと思う。働くという事の3つの要素がみんな一緒になってる。そんな仕事を僕もしたいと思う。
2014年11月07日
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おはよう!昨日は3時くらいまでゆうくんとお話しした。これからの仕事の事を、じっくり話した。11月17日に株式会社を作る。それはいろんな事業をするのに面倒な事が多くなってきたからなんだけど、どうなるかなーとわくわくしてる。 会社では大学の先輩から引き継ぐ農産物流の事業と、 シェアハウスのことや、シェアオフィスのこと、それから、農産物の加工を出来ないかと考えている。それを一緒にゆうくんがやってくれるという話をしてくれた。どうなるかわからないのに一緒に神輿を担いでくれるって。ゆうくんは能力も人脈もあるのに、覚悟だけが少しだけ足りていなくてもったいなかったやつ。昨日の夜中の話で少しづつ前に出て行こうとしている事がわかった。僕は自分で立てるように突き放す事と、それでも背中をおす事でしか応援できない。よくない先生だと思う。それでも、出来るだけたくさん打席に立てるように舞台を用意してあげたいと思う。僕はやりたい事はあまり無いから苦労してるんだけど、大好きな若い奴らのためになら、何でも出来る。そうやって一つ一つ皮を向いていくように、成長していくしかないんだと思う。
2014年11月06日
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僕は対話によって何かを構築していきたいと思う。 時間を塗りつぶすように過ごす対話もあるけど、出来れば何か作りたい。 どんなくだらない物でもいいから。 そんななか、ときどき「ああ、あなたはすごいですね、でも僕はどうせこうですから」と線引きをされる事がある。 そうやって彼我の違いを出すのでなく、何か動き出そうかなあと思いたくなるような、 あ、外の世界にもおもしろい事があるかもとか、寒いけどドアをあけてみようかなとか。 対話でそんな風に思ってもらえたら嬉しいと思う。 毎回、自分との対話によってどうなるのかわからないけど、 話す事で少し楽になったり、少し前に外に出ようと思ったり、 そんなふうに一歩進めるような対話がしたい。 そう思う。
2014年11月05日
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世の中には面白い事はちらほらしてる。満ちてる訳でも、まったくない訳でもない。ちらほら。そんくらいの頻度で、ある。んで、面白い物を見つけるにはどうやら見つけ方のコツが必要なんだ。コツの習得にはやはり修練が必要で、これにはちょっと時間がかかる。多くの面白い事を見つける人はその修練を生まれながらにしてしまっている。容姿や性にまつわるコンプレックスや、これまでの過程で起こった何らかのトラウマ、内から沸き起こる切実ななにかがもたらす突然変異のなかで、人はこの世界のおもしろがり方を習得するんじゃないか、と思う。で。多くの、あまりそんな事が無くて、すくすく屈託なく育ってしまった人は「なんじゃこりゃー!」ってまずびっくりする。それから、「なんでこんな面白い事をこいつは見つけたの??」って、考える。その人の話をきいたり、表現から感じたりする事で、それの片鱗を体験する事は出来るけど、 結局それは何倍にも薄まってしまった物で、亜流で、まがい物で。いってしまえば、ただの消費にしかならない。なぜなら、そのオモシロは既に発見されてしまったから。発見の本質はそうぞうだ。創造で、想像だ。起点の先に、ある。消費の本質には空虚しかない。起点の消失。だからいくらやってもむなしいんだ。その空虚にも侘び寂びがあると信じたのがデカダンスだけど、それには文化的な素養が必要で、そんなもの現代人にはもともと備わってない。彼らはいろんな事を考えたり、死に触れたり、すげー昔の漢詩とか、闇とか、外国とか、異界に通ずる分けわかんない物をみて、想像力を養った。でも今はそんなわかんないもんって、そんなにない。あらかた、常識に照らされて、切りそろえられしまった。だから、世界はつまらなくなった。でも、絶望してはいけないよ。現代の文化的な素養は、おもしろがる事で獲得していく事が出来る。普段みている道をもう一度見てみる。子供は、死んでいくじいちゃんの目で、子供が生まれたかーちゃんの目で。大人は、世界を知ったこどもの目で、土から出たての虫の目で。想像して、見る。見直す。何これ? え? これって、面白くないか??から、ぐぐって調べてみる、(ときには我慢して考えてみる)本で掘り下げてみる、(知る事でもっと先まで考える)学んで、発見して、新たなもっと奥底にある謎に進む。これの繰り返しをするべきだと思う。そうすると、切りそろえられた世界の枝葉がのびていく。照らされた世界におおきな木陰が出来てくる。照らされていたはずの世界に闇が出来たり、陰影がはっきりしてより光をいとおしく感じたりする。これをすると、他人の発見から、全く新しい物を再発見することもできる。これって、その人はこうやっておもしろがってるけど、こっちから見たら、ここもっと面白くないか?? あ、そうか、こういう意味も含まれてる。なるほど、もっと面白くなった!!あえて言うけど、誤訳でもいい、勘違いでもいい。そこから何かまったく新しい光を見つける事が出来たのであれば、それは素敵な事だ。再発見は新たな構築へ向かう。その伽藍が大きくなっていったとき、中心に納められたはじめのキラキラ、つまりはご本尊は、ガラス瓶の破片でも、銀紙の切れっ端でもいいんだ。大事なのはそれに触れた瞬間の感情なんだ。胸の高まりなんだ。世界中に何億人もの信者を持つ宗教の多くが、そうやって始まったんじゃないかって想像する。世界の見方の新しい方法を、みんなに広めた。みんなで広め合った。そのとき、その初期のみんなは「これ面白くない?! ちょーヤバくないっ?!」 って、そんな感覚に近かったんじゃないかと思う。そうじゃないと広まらないもの。修悦字体やゼロ円ハウスや、贈与経済やオネアミスの翼や青空文庫の編纂者、カイカイキキも、ストリートの思想も田中角栄も中本哲史も僕に、わくわくドキドキして眠れない夜をプレゼントしてくれた。願わくば、あなたのこれからに、そういったキラキラした眠れない夜が幾晩もありますように。キラキラのある人はぜひ教えてください。僕もあなたのキラキラを誤訳したいです。
2014年11月04日
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ヤッチャバ終わってかえってきたところ。いやー、今日は疲れた。終わって、シェアハウスの一つ、えんがわにかえってきて、 ヤッチャバの農家さんのおいしい野菜を食べて、一息ついたところ。しかし、おいしいなー。昨日食べたカブも、本当においしかった。1時間だけのんびりとしたら、いろいろ頭に蓄えて、歩く。歩きながらそしゃくする。いつもどこかで、戦争や、悲惨な事や、イヤになっちゃう現実がおこる。それが起こらないようにするためにどうすればいいか。加害や、悲惨への道へ通じるものから、どうやったら距離を置く事が出来るか。世界全体が、楽しくて、優しくて、暖かい方向へ行くようにするためにはどうすればいいのか。僕はそれを考えるために出来るだけ多くの時間を使いたいと思う。もっとみんなで笑い合える状況。もっとみんなでいろんな事を話して、わくわくしあって、それぞれがそれぞれに生きていける世界。 出来るはずなんだ。
2014年11月02日
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一日にすごくたくさんの文章を読む。 それは情報と文体と行間の3つがセットになっていて、 イメージとしては書く人の人格がにじみ出る文体が下敷きにあり、そこに情報が織り込まれている。情報はあくまであとだ。行間は、難しいけど切り取り方によってできる空白で、そこが実は全体の印象を一番強く設定するんだと思う。 間抜けというのは、この間のないことで、よくない物として扱われた。ここでいう間というのは2~3次元の「space」というよりも、4次元の隙間の事。 伝わらないかなー。 そんな事を思いながら文章を読んでいる。 それから、こっからは全然別の話ね。昨日道を歩いているときにふと思った事で、幸福というのはこういう秋晴れの肌寒い日の日なたみたいな物じゃないかと思った。 日なたは状態。いつどこにでもある。日陰が無いと日なたは感じられない。 日なたはある程度法則を持って動く。 日なた。幸せの日なた。 幸せはなるものでなく、あることに気がつくものだという感覚がすごくあって、日なたばかり歩こうとしてもうまく歩けないし、のぼったりおりたりもする。日陰から日なたに出たときの心地よさったらなくて、いそいそとまた日陰に向かう。もちろん日陰ばかりにいると体がこわばって、いずれ凍えて死んでしまう。 ようは、人格が破綻しない程度のバランスを保ちながら進む事なんだと思う。 いろいろ考えは広がるけど、そんな要素だけ置いて終わりにする。 今日も読んでくれてありがとうございました。
2014年10月31日
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おはようございますー。来年の8月10日、誕生日の前日までに理想体重になるように設定し直した。現在136.0kg 目標は80kgだ。あと56kgやせる必要がある。10kg減くらいなら短距離走の気持ちで行けるけど、56kgとなると長距離走というより、ウオーキングのような感じで続けなくちゃ行けない。途中で息切れして続かなくなるもの。毎日の記録をつける事からやっている。今の段階で12kg痩せた。忘れなければ日記の冒頭に今の体重を書こうかな。それならもうほんの少しがんばるかもしれない。今日も一日、やっていきましょー
2014年10月29日
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久々にevernoteを開いたら、二年前、震災のすぐ後のノートなどが見つかった。その頃はブログにも残っているけど、原発事故でやろうとしていた事業がおじゃんになってしまって、未来も見えなくて、これからどうして行こうかということを考え続けていた時期だった。震災後のしばらくは、一日が一瞬で過ぎてしまうように感じ、同時に長くて。そう感じるのは、慌ただしかったことと、脳のどこかが麻痺してしまってやり過ごそうとしている反面、感情や思考は進んで内的な時間が濃密だったんだと思う。そんなぐねぐねの果てにひねり出したのが、このノートだった。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「いきる目的」人心の救済。環境の改善。未来の共有。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 切実すぎるきらいはあるけど、これは今も変わっていない。排他性に走ることなくぱらいそをつくり、永続できる未来をみんなでつくっていく。政治も思想も宗教もできなかったことを、どんな方法で取り組んでいくか。僕は中2病ならぬ小4病かも知れないけど、ずっと考え続けている。
2014年10月23日
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