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<天守台の巻> 2月初旬に病院で定期検査を受けた後、家まで走って帰りました。その途中にあるのが仙台城。通称は青葉城で、仙台で「仙台城」などと呼ぶ人はほとんどおりません。昨日は隅櫓、旧大手門、本丸の石垣まで紹介しましたが、今日はその続きで天守台を紹介します。昨日も書いたように仙台城は北と東を広瀬川が流れ、東と南に深い断崖があるため、天守閣は初めから造りませんでした。 仙台城の鳥瞰図です。向かって左手が本丸。右手が二の丸。その中間の下部に三の丸があります。旧二の丸の跡地は、現在東北大学の構内となっており、旧三の丸跡には仙台市博物館があり、伊達家関係の資料が常設展示されています。本丸跡の天守台には、藩祖伊達政宗の騎馬像、観光施設の本丸会館、護国神社などがあり、観光客のための駐車スペースが用意されています。 伊達政宗公の騎馬像です。彼は今でもここから仙台市内を見下ろしています。 政宗は伊達家第十六代輝宗と正室義姫(最上氏)の嫡男として、永禄10年(1567年)山形県の米沢城で生まれました。幼少時に疱瘡にり患し、片目を失ったことから「独眼竜」の異名があります。正室は愛姫(めごひめ)で、坂上田村麻呂の末裔である田村氏の出です。 勇猛果敢な政宗は、父輝宗の死後も近隣の戦国大名と戦い続けて領土を拡張します。 政宗の領土の変遷図です。一時は東北地方の南部の大半を奪いましたが、天下統一を果たした豊臣秀吉の戦後処理によって、現在の宮城県全体と岩手県の南半分が新たな領土となりました。後に一ノ関藩、水沢藩(共に現在の岩手県南部)を分藩します。このほか長男(庶子)の秀宗は伊予宇和島藩10万石の初代藩主となります。これも家康が政宗を重視した証でしょう。 政宗は居城を宮城県北部の岩出山(現大崎市)から現在の地に移します。それに先立ち、仙台の城下を整備し、上水道を造ります。これは「四谷用水」と呼ばれ、現在も工業用水などに使用されています。政宗に従って、お寺や商人、技術者たちも、米沢 → 岩出山 → 仙台と移動して来たのです。 仙台藩の石高は62万石でしたが、政宗は領内の湿地や沼地を干拓して水田に変え、実質は100万石に相当する石高があったそうです。合わせて北上川や阿武隈川の改修を進め、内陸部に水路を造って水運を改良し、余剰米を江戸に送って藩の財政を豊かにさせました。 伊達家の家紋の一つである「三つ引き紋」。仙台市の市章はこれをアレンジしています。 騎馬像の台座に刻まれたレリーフは、臣下である支倉常長をイスパニア(現在のスペイン)やローマに遣わした際のものと思われます。政宗は当時の大国であったイスパニアとの通商によって、密かに巨利と先進文化を得ようとしていたのでしょう。残念ながら諸事情により夢は実現出来ませんでしたが、当時の大名としては気宇壮大な構想を描ける英雄でした。 英雄政宗は寛永13年(1636年)に68歳で没します。死因はガン性腹膜炎と言われています。彼の遺骸は、生前に彼自身が選んだ丘の上に丁重に葬られ、その上に桃山様式の華やかな霊廟が建てられました。霊廟の瑞宝殿は国宝に指定されましたが、残念ながら戦災により焼失し、現在の物は復元されたものです。復元に先立って発掘調査が実施され、身長や死因なども特定出来たそうです。 騎馬像のすぐ横に、「東日本大震災」の慰霊碑があります。本来は明治時代に作られた記念碑で、後ろの高い台座にありました。戦時中も供出しないで済んだのは、皇室との関係からのようです。東日本大震災時に台座から落ちて損傷したのを補修し、現在では近くで見ることが可能になりました。 天守台の一角に唱歌「荒城の月」の作詞家である土井晩翠(明治4年~昭和27年;1871~1952年)の肖像があります。彼は旧制二高、帝国大学卒業の英文学者で、母校の第二高等学校教授を勤めました。文化勲章受章者であり、仙台市の名誉市民になっています。「春高楼の花の宴・・・」。私たちの世代の人間にとっては、とても懐かしい歌ですね。<続く>
2017.02.20
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<鹿踊りの世界> こんな異様な装束(服装)をした人たちが舞台近くへと集まって来る。「岩手県花巻春日流鹿踊保存協議会」のメンバーたちだ。 頭やお面、太鼓などを合計した総重量は約15kg。これを身にまとって、彼らは鹿になり切る。 背中に背負っているのは2本の白い旗。無言の彼らの意思を伝えるのは踊りの動作と太鼓だ。 かつて東北の山野にはたくさんの動物が棲み、人々はそれを狩猟し食料としていた。 この鹿踊りは、東北の人々のために自らの身を捧げてくれた鹿に対する供養とも言われている。 そのほかには五穀豊穣と天下泰平、つまりここ東北の地が安かれと願って捧げる踊りでもある。 やがて鹿たちは輪になって踊る。鹿になり切って、まるで狂ったように。 見事ではないか。鹿はまるで神の化身のようだ。岩手県の無形民俗文化財指定の伝統芸能。 一列に並び、整然と踊る鹿たち。 お互いに角を突き合わせる仕草をする鹿たち。 今にも聞こえて来そうな鹿の息遣い。それほど激しい動きです。 介添え役の方が、鹿の足元に何かを置こうとしています。 用意されていたのは、どうやらこの菅笠(すげがさ)みたいですね。 きわめてシンプルな鹿踊りが続いたのは約10分間でした。今も岩手県南部と宮城県北部に残されている伝統芸能に、観客から大きな拍手が送られていました。<不定期に続く>
2019.06.09
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~ある馬鹿な男の話~ いやはや全く馬鹿だった自分。元々自分の世界に浸る傾向があったが、人付き合いが悪く、社会性に乏しく、ブログなど趣味の世界にどっぷりとつかり、それで自分では楽しく過ごしていたつもり。非常識な人間でもあった。そんな自分が色んな領域の人に、騙されていたことにようやく続いた。これはその実態だがつい最近認知症とパーキンソン病の症状が出始めた私が果たして最後まで書けるかどうかは疑問。そこまで追い込まれて初めて自分の馬鹿さ加減に気づいた。<第1部弁護士の世界> 弁護士の世界が実に汚いものであることは、家庭裁判所の調停委員をしている友人に聞いて知っていた。それがとんでもない裏社会であることに自分のケースで気づかされた。弁護士は法律の知識をフル活用して金儲けする世界。だが法に触れない「仕掛け」を十分に活用するのだ。 私は前妻と2度家庭裁判所で離婚関係の場を持った。初めは協議離婚の場。この時から弁護士を選任しておくと、その人が担当弁護士になる可能性が100%。彼らは長期計画を立てて、次の調停離婚の準備をしている。私は家計の全てを妻に任せていた。その暗証番号を馬鹿正直に前妻の誕生日にしていた。これが間違いの初め。これなら次第に認知症の症状を呈して来た前妻も忘れることはない。 妻の異常人格に気づいたのは結婚間もなくだが、何だか変だなあと思うだけ。ある時期私はある職場で創設事務の一端を担っていた。接待中心のポジションで、新構想大学の職場は毎日のように見学の希望が来る。となると、当然接待の場に私も参加する機会が増える。これが3人の子供を育てる妻の負担にならない訳がない。常識のある職場の同僚たちは、毎日せっせと働き、勤務が終われば家へ直帰。 ところがプレッシャーに弱く、そのストレスを発散するため好きな麻雀で息抜きをしていた自分。まさに「破滅型人間」の典型だった。妻はその時味わった苦労の恨みをいつか離婚して晴らそうと準備していたようだ。金はがっちりと自分が管理し、金銭感覚が鋭い彼女は節約に努めコツコツ貯金していたみたいだ。その時から自分名義の口座を持ち、「神武景気」に乗じて彼女だけの資産を蓄えていたようだ。 彼女は母親の忠告で、仙台の土地の名義を夫婦2人にするよう言われ、その方針を維持した。それは土地を買い増した際も同様。それで彼女の資産は安泰。その後の家計も妻に一任。鋭い経済観念で彼女はせっせと貯金に励み、後年放置していた仙台の所有地に家を建てる計画を実行に移す段階では、彼女の長年の節約でかなりの金額になり、工事費の大半を賄え残りの額は組合から500万円を有利な金利で借りた。無論管理職となった私の給与は急激に増したのだが。 問題はこれからだ。私が離婚訴訟に踏み切ったのは彼女の異常性格が顕著になってから。「私名義のものは私のもの」と主張し、年金の半分をもらえると誤解していた。それは違うよと言っても分からない。家庭裁判所の制度として先ずは協議離婚から始める。この時から妻が選任した弁護士が裁判担当するするよう裁判所に申告して手続き済み。これで協議成立に持って行く。 次の段階の調停離婚では、さらに弁護士をつけた方が有利。もちろん妻側は事情を知った弁護士が担当。もし私が弁護士を立てても、弁護士同士が裏取引して「絶対弁護士が合理的に儲ける」方向に持って行く。かくして私は妻に財産の大部分を持ち去られ、家だけが私の所有となった。だが家を売るためには家の転居先を決める必要があり。引っ越しと売却手続きを同時にするのは物理的に無理。それにもう金がないのだ。 <保険会社の策略> 老齢の独り者は絶好の餌食。いかにも有利な点を強調して新たな契約を結ばせる。契約は子会社の別組織を通してわざと時間を稼ぐ。これも法的な瑕疵がないように準備。営業担当は私の健康状態や性格を熟知して、残った金さえ奪おうと画策。受取人が手続きをしようとしても予め登録した電話番号の着信拒否をセットして、受け付けない。また無理な条件を合法的に受取人に要求。それで全部が会社の儲け。法的な瑕疵がないため、会社の不利になることはない。それは莫大な、ケースのデータや契約者の健康状態を熟知して必ず会社が儲けるように進め、時には「偽のお色気作戦」で幻惑。これで丸儲け。ケツの毛まで抜く算段だ。 医者と調剤薬局の謀略はもっと凄い。合法的に認知症になる薬を長期にわたって大量に処方して、患者を食い物にする。無論見た目の処方箋と実際のカルテは異なる。後で問題にならぬようコンピュータ管理のデータを管理している。それで患者が認知症の罠から抜け出せないように画策。出す薬の内容と量は医者しか決められず、薬剤師が飲み合わせの危険性をドクターに注意する「ルール」も医師の意思が優先。 かくして両者はお互いに利益を共用する仕組みが出来上がっている。薬の種類や処方期間はドクターだけの権利。私の場合は50日間分を処方され、体調を訴えて診療を受けてもさらに同じものを50日分処方。コンピュータ管理のデータは別物にすり替え。全ては闇に葬られ、患者はどうしても認知機能を失う方向に持って行く。そのカラクリに気づいたのはつい最近。「お薬手帳のデータに矛盾があることに気づいてが、彼らはそれをごまかす様に、手帳に張り付ける「紙」をいかようにも改ざん。こうなったら患者は蟻地獄に陥りパニックになって、ますます症状が悪化。こうして彼らの策略は一見合理的に見えるよう工作。 後は死を待つだけ。脳出血か、脳梗塞、それでなければ自殺するしかないが、証拠は一切残さない。初めから「カモ」にしようと狙っている。それでも受診すると「気休め」を言って平然とする医者。もうの逃れる術はない。見事な作戦と計略。一晩寝ないで原稿を書いていると、神経を使い果たして、さらに脳の緊張が高まり死へと一歩近づく。 結局は社交性に乏しく、思い込みが強い「破滅型人格」の私の不明が原因だ。最後に「気分が悪い」話でm(__)m。世の中には「合法的な罠」が至るところに転がっているが、世知に疎い短気な男は気づく暇もなく最後の時が容赦なく迫り来る。でもそんな経験も貴重。繰り返しになるが、で馬鹿は死ななきゃ治らないだ。ではね。皆さんお世話になりました。楽しくない話題でm(__)m。ではね。
2022.05.23
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