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ジャマイカの風土

ジャマイカは6760平方キロメートルの大きさの島で、カリブ諸島の中では3番目に大きく、周辺の英語圏の島の中では最も大きな島である。島には最高峰が標高2260メートルのブルーマウンテンをはじめとする山脈が連なり、有名なコーヒー栽培が行われている。この島ははじめ、"木と水の大地"を意味する"Xaymaca"("ザイマカ"と発音する)と名付けられた。わたしたちは何よりも、限りなく白い砂浜、透き通るようなカリブ海、たくさんの滝や川、エキゾチックな熱帯植物や花々、200種類以上もの鳥類、種類の豊富な美味しい果物、平均摂氏27℃の穏やかな熱帯性気候、世界で最も多くの無機物を含む温泉、そして親しみやすい国民に恵まれている。


ジャマイカの歴史

ジャマイカの先住民であった穏和なアワラク・インディオは、1494年にジャマイカに来航したクリストファー・コロンブスを迎え入れたが、スペイン人の虐待と疫病により全滅した。スペイン人たちは、彼らの絶滅によってスペイン、ヨーロッパ、北/南米などの国々に、当時供給していた産物を作るプランテーションでの労働力を失い、その結果、黒人の奴隷をアフリカから連れてくる必要性に迫られた。一方、スペイン人たちの富に目を付けたイギリスの海賊たちはそれらを乗っ取り、ポートロイヤルという街を築き上げ、金をはじめとする彼らの略奪品の本拠地とした。ポートロイヤルは、一時は世界で最も裕福で邪悪な街として知られていたが、1692年の大地震によって2000人以上が死亡し、街の3分の2が海にのみこまれ、全滅した。現在、西半球で唯一のこの"没滅の街"を観光地にしようと、海底博物館を建設する計画が進められている。やがて海賊たちはこの街を去ったが、よりまともなプランテーションの所有者たちが英国王の富を築き上げるために訪れ、砂糖、バナナ、ココアやその他の栽培に精を出した。その後、何年もの間、奴隷売買は続いたが、何回にもわたる奴隷たちの反乱の結果、ジャマイカはアメリカより30年も早い1834年に奴隷制度が廃止された。ジャマイカは300年以上も英国の支配下にあったが、1962年に、晴れて独立国となったのである。





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