潤風満帆☆ごきげん号!!

潤風満帆☆ごきげん号!!

May 10, 2005
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 随分長い間日記の更新が出来ませんでした・・・・忙しいのなんのって・・・スケジュール的にも精神的にも落ち着かず、パソコンにもなかなか触れないこの2か月でした。

 子供たちの新しい生活もすっかり定着し、毎朝の楽しいお弁当づくり(と言っても冷凍おかずにもお世話になってます!)にもなれてきた私、先日40歳になりました。

 精神的にはいつまでも26歳くらいなんですが(笑)、それって、仕事を辞めちゃうと社会的年齢が伸びていっていないような気がしちゃうからなんでしょうか。見た目は昔の40歳より若いらしいけど、シワはないけどシミはあるし、うん、やっぱり40年生きてきた私です。

 しかし・・・40歳の誕生日ってちっとも嫌じゃなかった・・・・むしろ、去年以上に嬉しかったんです。特に何の祝宴もケーキのろうそく消しがなくても・・・。つい先日、尼崎であんな悲惨な大事故を知り、悲運にも特に若い人たちが犠牲になって亡くなっていって・・・・そんな直後だからか、こうして40回目の誕生日を無事に迎えられたことが、本当に有り難い事実だとかみしめてしまいました。

 同居中の母には、毎年恒例、出産の時にどう大変だったか、父親がいかに無関心で見舞いにもほとんど来ず、来ても手ぶらだったとか、父方の祖母にとって初めての女児の孫(既に男児ばかりの孫が10人近くいた)のにもかかわらず産院に見舞わず観劇観光に興じていたなど・・・・・そして、誕生日は産んでくれた母親に感謝する日だと・・・・いうことを言われました。

 産んでくれた親を感謝するのは言われなくてもしていることなのに、親の方から毎年言われると、黙って聞いてはいても「私は自分の娘に絶対こんなことは言うまい」と思っていたりします。

 産んでくれたおかげで生きていられるし、数えきれない人の助けやお世話になって今まで生きてこられたし、そしてこの私だってこうは見えても努力や忍耐もしてきて今まで生きてきたのです。自分のことは何も偉そうに言うことじゃないけど、でも確かにそれもなきゃあ生きてこられなかった。

 これからも余生を最後まで生きてゆきます。あと何日だか、何十年だかわからないけど。列車脱線事故の時に主人が冷静に「いつ何があるかわからないということだ・・・・」と言う言葉・・・私も深くうなづいていました。主人は職場で人の死に立ちあうことが少なくないし、普段からとても自然にそういうことを感じているようです。いつだったか「私が交通事故で即死したらどうする?」と主人に聞いたとき、主人は「仕方ないな」と言いました。「悲しむ」とか「嫌だ」とかそれ以前に「仕方ない」とは冷たいようですが、運命を受け入れるための正しい姿勢なのかもしれません。保証された寿命なんて絶対にありえないですもんね。

 脱線事故で女子大生の娘さんを亡くされたお父さんがおっしゃいました。「娘は


 毎日毎日ただ暮らしているようで、誰に自慢もできない日常だけど、これからも寿命のある限り生きていこうと思います。

 40歳当日に受け取ったプレゼントはただひとつ、中学高校時代の親友からスポーツシャツとバッグ!宝物です!というのも、彼女の40歳の誕生日もつい先日で、毎年プレゼントを贈っていたわけではないけど、40回目の節目と言うことで、私はジュエリーを贈りました。お互いに次は50回目の誕生日にプレゼントを交換しようと約束しました。彼女とはもう6年も会っていませんが。

 ってなわけで、久々日記はまたしても支離滅裂ですが、今後ともよろしく~。





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最終更新日  May 10, 2005 09:16:34 AM


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