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スクールカウンセラーの先生から、土日は美術館に行ったり、好きなところに連れて行ってあげて、ゆっくり過ごしてくださいと伝言され、前から娘が行きたがっていた「幽霊画妖怪画大全集」を観に行きました。円山応挙の幽霊画から始まり、昭和初期までの、それらにまつわる日本画が集った、それはそれは面白い日本画展でした。YKI48(YOKAI48名の)総選挙があったり、音声ガイドもお岩さんとお菊さんが案内して、、お岩さんが「うちのだんなは顔だけはいいんだけど、性格は超悪くって・・・」と毒づく、面白いガイドになっていました。娘も私も大興奮で、とっても楽しい時間を過ごしました。日曜も主人と3人で主人の実家や義父のお見舞いお買い物と学校の事を忘れて、楽しく過ごせているように見えました。二人で出かけていた時に娘がぽつぽつと話してきました。「自分なりに、どうして行けなくなったのか考えてた。友達は楽しいけどめんどうくさい。悪気はないんだろうけど、言葉にぐさっと傷ついたことがある。」「そっかそっか。人と接するのは楽しいけど、色々あるよね。ママも今は流せるけど、思春期は勝手に怒って無視したり、落ち込んだりしてたわ。ホルモンがな~増えてるんやな~ママは減ってきてしんどいんやけどなぁ」と話してました。友達数人からメールが何度も届いてたけど、なんて返していいかわからないから、放置していると。夜になって、「明日は行く。遅れてでもいい?みんなに返信しとく」と言って返信していました。月曜日は4時間目から行きました。「あれ?ママ一緒に行ってくれないの?てっきり行ってくれると思ってた」というので、付いていきました。中学の時も何度か付いていきましたが、「あ~ドキドキする。いやや。吐きそう」と言っていました。今回は「途中から行くのいややねん。」とは言うものの、全然ドキドキしないと言ってました。私は2時からスクールカウンセラーの先生と面談だったので、時間をつぶし、カウンセリングのあとも時間をつぶし、一緒に帰ってきました。「みんな一人一人○○ちゃ~ん!って言って抱きついてきた」「ノート夜中にコンビニに行ってコピーしてくれてた」とちゃんとホッチキスで冊子にして、「テストがんばろう!」ってかわいい絵を描いてくれているコピーの冊子を見せました。「ありがたいね」「なんで休んでたん?」とみんなに聞かれたらしく、中には「TDL行ってたん?30日間無料パス当たったんかと思ったわ」という子もいたそうで、その発想にびくりしたと言ってました。うれしかったけど、やっぱり疲れるのですね。「勉強全然わからんようになってた。もういや」「あ~好きな事だけしたい」それから、ずっとお休みしています。私の方は、まあなるようになるだろう。と思っています。とてもいい環境だから、その中で得ることは色々あるだろうな?という気持ちはありますが。娘には将来というものが、あまり浮かんでこないようです。それを口に出さないだけかもしれませんが、「ニートになりたい。結婚もムリ!」といいます。今、楽しみたい。今、したいことだけしたい。ようです。今は。それは、今そんな事を考える状態ではない精神的な不安定さからきているのか、同世代に比べて精神面が成熟していないのか?ちょっとそこが私が自分とは違うなぁと感じているところです。ただ、やはり、エネルギーがなくなっているようではなく、家でやりたい事は色々あるようで、楽しそうに過ごしていて、それは何よりだと思います。こんな状態でも、やはり我が家は笑が絶えないのが、まぁいいのかしらね~~と思ってます。
2013年05月16日
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高校に入って、勉強がイヤだけど、お友達も出来て、GWも遊びに行って、「みんな面白すぎる」「先生もみんなやさしい」と楽しそうにしていた娘ですが、一昨日から学校に行かなくなりました。休む前日は「夏休みにみんなで旅行に行こうっていってる」とか、楽しい話を聞かせてくれていたので、ちと驚きました。中間テストが近い事や、英語と古文がちんぷんかんぷんらしく、「勉強いや~!もう行きたくない~!!ぎゃ~~!!もういや!!」とヒステリックに叫んでいました。娘の学校は、ほとんどが推薦で大学に進学するらしく、先生も生徒ものんびりとしていて、勉強も前の学校に比べるとずいぶん楽なようですが、それでも、不登校だったお子さんが多く通う学校ではないので、一年全く勉強をしていなかった娘にとってはかなりしんどいのだと思います。多分、一日中座っているだけでもしんどいですよね。楽しいといっても、気もそうとう使うだろうしね。一年生は専門の時間が6時間だけれど、2年3年になると15、6時間が専門の時間になります。勉強がイヤだ、好きな事がやりたいといってた娘には、いいのかな?と思っていましたが、なかなか難しいようです。ちょうど息子も、高校入学後毎日通っていて、GWが明けて一日だけ行ってその後全く行かなくなりました。毎日「あ~面白くない。しょうもない。いやや。いやや。ほんまいや。」と暗い顔で帰ってきていた息子とは、娘の表情は全然違ったのですが・・・。口数もとても多くて、楽しい事だけじゃなく、いやな事も話すようになってたので、以前のようにためこまないかな?と感じてたんですが・・・。主人と私の中にはやはりGWはある種トラウマのようになっていて、想定内のことなんだけれど、「は~やっぱりGWかぁ」と思ってしまいました。学校の方は「不登校だったお子さんも自分の好きな事を表現する場が出来て、本校に入ってからは通えるようになった方もいますから。」と娘の受験の時も快く「是非受けてください」といってくれた学校なので、入学直後から担任の先生とスクールカウンセラーの先生と連絡を取り合って見守ってくださっていることがありがたいです。「休みたいときは休ませて、勉強なんかいいから、友達の顔見においでって言ってあげてください」と言ってもらい、私も気が楽になりました。どんと構えてないといけないとわかっていても、やはり、心の中は波風が立たないわけもなく・・・。わんこの散歩中、制服の学生さんをいっぱい見かけると「・・・なんでや!?・・・・なんでや?(なんでうちの子は行けないんだ?)」と自問自答してしまってたりして・・・。でも、しっかり踏ん張っていこうと思います。「なんでや?」は娘が一番思ってるんだもんね。今日は友達と舞台を観にいきます。「スウィニー・トッド」なんだけど・・・心は晴れるかしら?逆にど~んよりするかなぁ・・・まぁ気分転換してきます。(^^)
2013年05月10日
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なかなかパソコンの前に座る時間がなくて、近況の報告もできていませんでした。娘は無事に高校に入学し、毎日登校しています。私立の女子校に進みました。懐かしい制服を着ている姿がなんとも不思議です。中学から内部進学した人がクラスの4分の3近く居るので少し心配しましたが、「女子校おもしろいわ~」「担任の先生の事、ホモとかオネエとか言うねん」「お母さんの事オカンっていうねんで。びっくりした!」「なんて呼んだらいい?って聞いたら、「うちら名前で呼べへんわ」っていうねん。じゃあなんて呼び合うのって聞いたら、「お前とか自分とか」って言うねんで~面白すぎるやろ~」娘は少し気が楽になったようです。ずっと周囲に気を遣って周囲に合わせていたから、こんな自由な人々も居るんだって思ったのかな前の学校では「ねこかぶってた」らしい娘が少しずつ、自分らしさを出せて、楽になるといいなと思います。それでも、お弁当の時、娘は食べるのが遅いらしく、みんなが食べ終わったら、まだ残っていても、終わりにするようです。「だって、一人だけ食べてたらなんか悪いやん」って。お勉強の方も「英語何言ってるかわかれへん!吐きそうになる」と言ってます。テストや進級の事も、もう心配しているようで、「テストいや~留年したくない!」と今から色々考えて、ちょっとしんどくなる時もあるようです。でも、この学校に進んだのは、自分が一番やりたい芸術の分野を専門的に学ぶことが出来るので、その授業は至福の時間のようです。「楽しくてテンションおかしくなってしまうねん」と言います。そんな風に感じられる時間があるなんて、それは幸せな事だなと思いました。しんどくなる時もあると思いますが、ぼちぼち・・やっていけたらいいな。息子の方も少し変化がありました。いつも服は黒一色だったのが、最近「黒以外の服が欲しい」と言いました。友達と買い物に行ってみたけど、何を買っていいのかわからないと。家族で一緒に出かけたついでに服屋さんで、「この服どう?」と以前ならば絶対「イヤ!」というような服を見せると「いいよ~それで」「これは?」「いいよ~肯定します」それを見た主人も「うっそ~」って口パクで私に言いました。娘は「○ちゃんっぽくな~い!!」とスニーカーも3年振りに買いました。(やっと最近靴底が減ってきたと)コバルトブルーにへび柄調??というきれいな色を選びました。変わりたいとずっと思っていたのだと思いますが、なかなか実行には移せなかったようです。黒一色から脱した息子。小さな変化だけれど、息子にとっては勇気の要る事だろうなって思います。こちらの方もぼちぼち・・・。
2013年04月16日
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娘の卒業式が終わりました。娘は卒業式にも出たくしないし、次の日校長先生から個人的に卒業証書を渡してもらうのも嫌だというので、担任の先生が届けてくださいました。娘は恥ずかしそうに先生から、玄関先で証書をもらい、照れて笑ってました。ケロッとしている娘の横で、私ったら、なんだか涙が出てきました。先生も涙を拭いていました。何の涙なんだろう??卒業できてよかった?なんかちがうなぁ娘が不憫だなんて全然思っていないし、その学校にもなんの未練もないのです。しばらくしても涙が止まらないのですよね~~なんじゃこりゃ??考えてもよくわからない今思い返してもまた涙が出てくるんですよね。まぁ、ほっとしたのかな?ずっと気を張ってたのかな?自分。おお~そう書くとますます涙が出てきたからきっとそうなんでしょうね。そうかそうか、私そうだったんだ。娘は先生から届けられた卒業証書を見て、卒業アルバムをサラッと見て、卒業文集をぺらっとめくり、紅白饅頭を2個パクッと食べて、その上、先生に出すはずだったケーキを2個ペロリと食べていました。恐るべし昨日のケーキは写真撮るまもなく食べてしまったので、その前日卒業祝いに買った10センチのケーキ
2013年03月17日
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今年はお雛様、出しましたよ~~全メンバー総勢15名。玄関の靴箱の上に平面で。 狭っ!!ちょっと~あんた、私の隣ちゃいまんがな!おっちゃん、ちがう!!あんた、もっと下やん!前立ったら見えへんがな!なんていうお人形たちの文句も聞こえてきそうですが、かんにん、かんにん長らく、もう10年くらい段飾りは出していません。本当はこんな感じ。 なので、今年はひな壇ケーキにしてみました。 バタバタしてて、飾りを買えなかったので、いちご雛で。娘が菱餅を細工して三色だんごと梅の花の飾りを作ってくれました。で、夕飯の準備をしていると、空き缶で右手の指をグソッと深く切ってしまいました。私はよくやることなのですが、そんな時はエキバン!!これはすごい発明品ですよねでも、血がなかなか止まらなくて、予定していたお料理が出来ませんでした。 主人と娘ににぎるのを手伝ってもらって、手まり寿司とはまぐりのおつゆだけですが、無事お祝い出来ました。三つ葉が大好きな娘。「三つ葉ってなんでこんなに美味しいの?」ってしぶいなぁ~
2013年03月06日
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先週義父が病院の隣に併設する介護施設に移りました。元気とは言えませんが、入院した当初からしたら、介護施設に移ることが出来るなんて考えもしていなかったので、驚いています。食欲があって、私が持っていったチョコパンを美味しそうにほおばって、みかんゼリーを「これ美味しいね」と完食してくれるので、うれしいなぁと思います。昨日なんて自分で車椅子こいでたので、ビックリしました。もしかしたら・・・100歳までいくかもぉ~~~ところが、義母の方が体調を崩し、私もここしばらくバタバタと過ごしていました。40年お世話になっている近所の医院に義理立てしていた義母。先生は胃腸科が専門なのに、心臓や血圧の薬を大量に出されてことが気になっていました。しかも、もう先生も86歳ですから・・・。ネットで調べると循環器のクリニックが近所に見つかりました。義母も思い切って病院を変えるというので、そちらで詳しく調べてもらうと心臓弁膜症であることがわかりました。2箇所の弁の働きが、かなり悪くなっているようです。血液検査の結果、他にも気になる項目があったので順次調べていきましょうという事でした。とても時間を取って丁寧に、柔軟に対応してくださる先生で安心しました。耳の遠い義母(補聴器がどうも使いにくいらしい)が、聞こえにくいんです~と言うと、先生が、お腹のポケットから取り出したもの(ウソです)「もしもしふぉん~~!!」 先生のお口と義母の耳をつなぎます。これ、ものすごくよく聞こえるようです。義母はとっても喜んでいました。「お義母さん、あれ、カバンに入れときはったらいいんとちゃいます?聞こえへんかったら、すいませ~んっ、これでお願いしますって出しはったら」と、二人で大笑いしていました。お薬も、朝昼晩のそれぞれを一回分ずつ袋に入れてくださいました。高齢者に優しいわ~ってうれしくなりました。「私のほうが先に逝っちゃうわね」と笑う義母あかん!あかん!義母には、義父を見送ったあと、自分のためだけの楽しい時間を過ごして欲しいのですよね~私の、勝手なささやかな願いなのですが。
2013年03月06日
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友達のお父さんは、とっても優秀でいい子だったお兄さんが急にぐれた時、1週間で髪の毛が真っ白になったと言ってました。私の担当の美容師さんも、「ストレスが一番髪によくないんですよ。ストレスがあると白髪になりますよ」と言ってたのですが、実は私、白髪がほとんどなかったのです。3年前に息子が不登校になり、その後娘も不登校になって、主人と実家の母が手術して、私はここ数年色々といわゆるストレスを感じることも多かったと思うのです。ところが、白髪はたま~に1本みつけることがあるくらいでした。それ以外の老化はおぞましいほど、顕著に現れているというのに・・・・。ところが、数日前鏡をみると、4cmくらいの白髪がピン!となんと、同じくらいの長さの白髪を5本発見しました。「おおおお~きたか~~とうとう!!」しかし、この短い白髪たち・・・思い当たるのは、3ヶ月前の義父の入院。そんなにストレスだとは思わなかったけれど、子どもの不登校よりも、主人の病気よりも神経を使ったのかしら!?ストレスって自分で感じるより、体のほうが正直に感じているようですもんね。確かにね~この3ヶ月で体重も4キロ増えたんですよ(ノД`)・゜・。過食。「きゃ~白髪こんなにある~」と、つい言ってしまったら「ストレス!?ごめんね~」と息子「○○のせい?ごめんね~」と娘やっぱり、いらんことは言ってはいけませんね。子どもはやっぱり自分がストレスの元になっていないかって心配してるんですよね。(ごめんね)ストレスのせいばかりではなく、老化もしっかり進行しているんですよね。先週小学校1年からの友達とランチをした時「あんた、どうしたん?顔なんか浮いてるで。化粧が。なんかまだらで、しもやけみたいやで。もしかして太った?太ったからほっぺたの肉が上がってよけい目立つんちゃうか?」と言われました。さすがに、30年のお付き合いの彼女だから、言えるのでしょうね。こんな事、主人も子どもも言ってくれません。(こわくて)私も「あんた、なんかイボいっぱいできてるやん!なすびのヘタこすりつけとき!また、太ったやろ~もう食べな!」と言えるわけです。そういえば、最近、鏡をじっくり見ることもあまりしていませんでした。ちょっと老眼も入ってきてるし・・・。で、まじまじと自分の顔を見ると、いわゆる肝斑らしきものが両ほほにくっきりと。以前よりも濃くなってます。閉経すると薄くなるって聞いてたのに、ずっと濃くなってるし。そして、なんだかわからない地図状のシミが・・・。「ぎゃ~~!!」そこにお化粧を塗りたくってるわけだから、なんかけったいな状態になってるわけです。○○!言ってくれてありがとう!!の気持ちです。肝斑専門の皮膚科を見つけたので、行ってみようと思います。やっぱりね、忙しさを理由に自分ケア、ほったらかしはいかんです。体重の方も、ぼちぼち減らしていきたいなぁ~友達と食べたランチ、ここにおかゆとデザートが付きました。友達・・・おかゆじゃなくて汁そばにしたら、白ご飯もついてきた・・・そりゃ~食べすぎやって!
2013年02月27日
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今月の初めに娘の担任の先生がうちに来られて、卒業文集の原稿を渡されました「書いても書かなくてもいいから。もし書くなら書き方があるから言ってね。」ということでした。(なんで、今書き方言えないんだろう?)とちょっと不思議に思いました。それから、2週間位して、「卒業文集の原稿明日締め切りなんですが、どうされますか?もし書かれるん、だったら、締め切りもう少し待ってくださるんですが。入試も終わったから、書けるかな?と思って」とお電話がありました。(入試は2週間前に終わってますけど・・・ずっと放置してて、いきなり言われてもなぁ・・・・。と正直思いました。)娘に聞くと「書くことないし」という事だったので、「書くことないからと言ってます」と伝えると「そうしたら、文集に名前も載りませんが、大丈夫ですか?」とおっしゃるんで「全然大丈夫です」と答えました。そしたら、また今日「文集ですが、もう少し締め切りまってくださるんですが・・・」とお電話が。「あの、もういいって言ってますので」と私。「そうしたら、名前だけが、目次に載ることになるんですが」と先生。(え!?載れへんて言ったやん)「どうしましょう?どちらがいいですか?名前だけが載るのと、何にも載らないのと」と先生。(正直どっちでもええわい!?面倒くさいのう!)と思いながら「名前があって、文章がなかったら、落丁本とかって思われません?ですので、もう名前も載らなくていいですよ」と言いますと。「そうですね。ではそのような方向で・・・」と先生。(方向??なんかあいまいな・・・)なんか・・・こういうどうでもいい事ですが(あくまでも私にとっては)、先生にとってはこういう事務的なことがとっても大切なのだろうなぁとつくづくと感じました。前回の電話連絡しかりです。これから、まだ、色々控えているのですよね。卒業式・・・謝恩会っぽいものとかも。どよよ~ん。おおお~また今先生からお電話が・・・「目次ではなく、名前がずらっと載るのだけなので・・・ページがなくてもおかしくないというか・・・」ならば、「先生にお任せします」と伝えました。「そうですか!それならば、ぼくも、是非名前は載って欲しいと思ってましたので。はい!」というお返事でした。是非名前が載って欲しい??なんか違和感がありました。そう思ってくださるのはありがたいですし、先生も忙しいと思いますが、文集の書き方ってめっちゃ簡単な事だったのに、なんで伝えてこなかったんだろう?私毎日欠席連絡してるのに、文集については放置したままだったのにね。前の担任の先生も、2年の秋から不登校になり、進級に必要な出席日数が足らない娘に「あなたが、この学校で3年生になりたいって言えば、会議で私がその事を伝えることはできるけど、どうする?どっちでもいいねん。今そうするって言って、またやめたでもいいから、とりあえず決めて」と言われたことを思い出しました。なんか違うなぁって・・・。とりあえず決める・・・事務的な感じはやはりその先生からも感じました。学校自体が、事務的に物事を進めるということに重きを置いているのかもしれませんが・・・・。そういえば、3年後の自分へというカードも渡されました。3年後の自分にメッセージを書いて封をして担任に渡すようにと。附属校ですから、ほぼ全員が高校に上がり、高校3年になった時に学校からそのカードを渡されるようです。自宅に届くならわかるのですが、娘の3年後(っていうか4月から)この学校に居てないやん!!これを無神経と取るのはおかしいのかな?事務的に、みんなと同じように配布しないといけないのでしょうね幸いな事に娘も私も全く今の学校に未練はないのですが、それでもなんだかいい気分はしませんね。ちょっとわたし、どす黒ぶちめがねになってますね。イラッときたもので。すいません。お口直し さくら餅が大好きな娘。私はちょっとコツだけ言いましたら、コツコツ一人で作ってました。(あ、しゃれじゃないです(^^))
2013年02月26日
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娘が不登校になって、1年3ヶ月になります。で、学校にお電話して、「今日欠席します」という連絡を毎日しています。息子も同じ学校の高校だったのですが、一学期が終わった時点で「お電話しなくてもいいですか?」と言ったら、「用事があったらこちらからお電話しますのでいいですよ」と言ってもらいました。娘の方も、去年の担任の先生に言ったら「連絡は毎日入れていただかないと困ります」と言われて、まぁその先生はだいたい電話に出られたので、毎日別に話すこともないのだけれど、事務的なお電話をしていました。で、今の担任の先生にも聞いてみたら「一応お電話はしていただかないと・・・決まりなので」という事で、毎日お電話しています。が・・・その先生はだいたい「今席にいません」とか「まだ来てません」とか言われることがほとんどで、電話に出た先生に「今日 も 欠席しますのでお伝えください」と言います。でもね~学校への電話って、みなさん経験あると思うのですが、あまり楽しい事ではありません。「まだ来てません けど」とか「読書の時間でもう教室に行ってます けど」とか「今日は○○で休日です けど」とか「けど」つきで面倒くさそうに言われる事があると・・・・めっちゃ気分が落ち込んでしまいます。だって、私、電話したくてしてるんじゃないんだもん!!かけろって決まりだから、かけてもらわないと困るっていうからかけてるのに、「けど」って。「忙しいのに、そんなこともわからんと電話しきてるのんかい!」と言われているような気持ちになるのですよ。あと20日ほどで卒業です。やっと開放される・・・・。とちょっと愚痴ってしまいました。お口直しに・・・主人へのバレンタインチョコ またまたマトちゃん
2013年02月22日
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キルト風のスカートを作りました。巻き巻きのラップスカートです。 ベルトは市販品が見つからなかったので、皮を切って自分で作ってみました。 この部分ほぼ完成したスカートを床に広げてサイズを測りながら皮を切っていると・・・。ワンコがスカートの上にやってきました。ワンコは布が大好きで、よく上に乗ってきます。で、座ってるのかな?と思ったら「シャー」という音が・・・・。((((;゜Д゜))))))) ま・・・さ・・・か・・・・そう!!お察しのとおり、おしっこを大量にしているではありませんか!!びっくりしましたが、とりあえず、おしっこを拭き取って水で部分洗いしました。ウールなので、大丈夫かな?と思いましたが、少し撥水する生地だったので、よくみないとわからない程度のシミで済みました。 わからないでしょ?なんか~気持ちよくてついやっちゃったんでしょうね~~ワンコはしょうがないよな~って思うのですよね。あのときのキョトンとした顔を思い出すと笑っちゃうし。 なに?ぼくちん何か悪い事しましたっけ?でも、これが同じ3歳の子どもだったら、怒っただろうな~その頃のわたし。ママの大事なものの上におしっこなんて!!どうしてわからないの?なんて。そこで・・・・これが受容なのかしら?と思いました。どんな事態でも想定内。慌てず怒らず。肝っ玉。その様子を見ていた娘。ワンコに「だめでしょ。ママにあやまりなさい!!」としきりに言い聞かせてました。(笑)昨日のバレンタインのチョコ。今年は可愛らしさに惹かれて自分用に。缶狙いです。 マトちゃんです。
2013年02月15日
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久しぶりの日記です。日記を書く時間がなくて、遠のいているうちに、時間ができても、ちょっと敷居が高くなって書けずにいました。どこから書けばいいのかしらん?ってでも、気楽に書けばいいのですよね~~義父は、一時はとても心配な状態だったのですが、1月中旬に療養型の病院に転院してから、とても食欲が出てきました。といっても、体重は36キロしかないのですが・・・。親戚の方がお見舞いでくださった和○金の牛肉の志ぐれ煮が相当気に入ったようで、「牛肉はやっぱりうまいなぁ」「まぐろのにぎりが5貫食べたい」「甘納豆食べたい」「チョコパンとジャムパン持って来て」というふうに、食欲旺盛になりました。志ぐれ煮は、毎日食べるので、もう3度取り寄せました。大腸がんはあるものの、今特に治療することがないので、病院の隣に併設している介護施設の方が空き次第移る事になりました。本当に寿命とは、わからないものです。「ワシは長生きするよ」という義父に「私の方が先に逝っちゃうわよ」という義母。その義母の物忘れや不安感がとてもひどくなりました。元々ものすごく頭のいい人なので、余計に感じたのかもしれませんが。義母自身「私、頭がおかしくなっちゃったんじゃないかしら?」ということが頻繁になりました。ガスコンロをでお湯を沸かしているのを忘れて、換気扇のお掃除をして火がエプロンに燃え移ったと聞いたときは「お母さん~~!!いやだ~火だるまになっちゃいやですぅ~」と言いました。もしかして、認知症?という疑いが出てきました。早めに受診して、進行を遅らせる薬を飲むと効果があると聞いていたのですが、デリケートな事なので、どう進めたらいいのかな?と主人と色々話合いました。「今は認知症の進行を遅らせるいい薬があるみたいですね~」と、ちょうど新聞に載っていたので、義母にそれとなく伝えました。少し時間をかけて、何度かそういうやりとりをしました。主人が「気になるんだったら、自分のかかりつけの脳外科に一緒に行ってみないか?」と言うと、義母はすんなり「何でも早めにしないとね。いい薬があるみたいだしね」と言ったので一緒に行きました。CTや認知症の検査では顕著なものはみられなかったけれど、物忘れの度合いからすると、認知症の前段階かもしれないので、お薬を処方されました。「これで、認知症にはなりませんよ」と先生がおっしゃったので、義母は安心したようです。義母と色々話して感じましたが、義母は誰にも縛られない、自分のための人生を生きてきたことがないようです。義母はどう思っているかわかりませんが、一人になった時、義母らしい残りの人生を送れたらいいなぁと私は思います。年齢を重ねていくということは、本当に色々な事が起きてくるのだなぁと思いました。写真がないと寂しいので?最近八百屋さんで買った、珍しいお野菜黒あわび茸 海の幸マリネに。こりこりおいしかった~~本しめじ 見た目の可愛さに惹かれて買いました~これは薄くのばしたささみを巻いて焼きましたが、写真を忘れた~でも、旨みがあってすごく美味しかった~蕾菜 てんぷらに、八百屋さんが言ってたとおり、ブロッコリーと菜の花の中間って感じ。少し苦味があります。
2013年02月08日
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義父の容態も落ち着いていて、ずっと付き添っていなくてもいい状態になりました。毎日義母を迎えに行き、病院に行き、また、義母を家に送るという生活を続けていますが、義母が気を遣って、行きは自分で電車で行ってくれたりするので、私の負担はだいぶ軽くなりました。昨日は主人が仕事だったので、一昨日にクリスマスを祝う事にしました。せっかくなので、義母を招きましたケーキは生地から娘がほとんど作りました。お菓子作りがとっても上手な義母にアドバイスしてもらいながら、わいわい言いながら、飾り付けをしていました。「わ~クリーム分離したかも」という娘に「失敗しながら覚えていくからね。いいのよ」と義母。 娘の高校受験の説明会に行ったり、担任の先生が来られたりと、数日バタバタしていて、買い物も、義母が来る直前にしていたので、娘と主人が色々手伝ってくれました。 オードブルは主人がクラッカーに色々のせてくれました。今回も家族のリクエストなので、どうしても、いつものメニューなのですが、義母は、「うちではクリスマスなんて祝った事ないから、ほんとにうれしいわ。ありがとうね。」「うちは女の子がいないからね。こんなことしたことないわ。おいしかったわ。ありがとうね。」何度も何度もお礼を言ってくれて、次の日には子ども達に「クリスマス」と書かれたお小遣いをくれました。この一ヶ月、義母と過ごす時間が長くて、色々と昔話を聞かせてくれます。義母の中に溜まった数十年の思いを吐き出しているように感じました。義母は話が上手で、意識しているかはわからないのですが、「おち」があるので、苦労話も最後は一緒に大爆笑になります。本当に無垢な人だなぁって思います。「誰にも話したことがないのよ」という義母に「お義母さん、もうそれは、朝ドラヒロイン決定ですやん!」と私。ほんとうに、書き留めておこうかと思います。脚本家デビューか!? ぼくちんも3歳になりました。ふわふわカットにしたら、チャウチャウみたいになったよ~~(ノД`)・゜・。
2012年12月25日
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土曜日に、主人の兄夫婦が横浜から来て、主治医から詳しい説明を受けました。手術をするべきだと言っていたけれど、検査をすると、心臓が思った以上に弱っていて、手術にはとうてい耐え切れないという事。ガンが、思った以上に小さいから、腸を塞ぐまでにまだ時間がかかるという事。なので、腸閉塞が起きるより、老衰が先だろうという見解で、手術はしないことになりました。本人含め誰も望んでいない手術を回避できたと、喜んでばかりもいられないのです。今入っている病院は救急病院なので、これから先どうするかを考えなければいけなくなりました。1、老人介護施設に移る。2、自宅に帰り地域と連携して療養する。3、療養型病院に転院する。(ただし、3ヶ月)ほとんど食べない父は点滴が外せないので、1には行けません。2か3か・・・・母も高齢で、果たして自宅で看ることができるのか・・・。考えることがたくさんあります。楽しい事もしなくっちゃ、だめだめって言う事で、「息ぬき」に行ってきました。久しぶりに自分のためだけに使う時間。布屋さん主催のソーイングのレッスンです。以前も2回受けた、某先生のレッスンで、ぎりぎりまで参加は悩んでたのですが、主人が、「行き行き!頼むから行ってきて。お金出したるから」といってくれたので、参加することにしました。(でも、心苦しいのですよね)お昼ご飯を含んで約8時間。とってもお勉強になり、みんなで笑い、励ましあいながら、部活のような、充実した一日になりました。・・・が、さすがに疲れました。今回の課題はかなりハード。いつも元気な先生も「なんかへんな油が顔に浮いてきました・・・」「ぼく、明日から受注会があるんだけど、今日エネルギー使い果たしました・・」と、かなりのお疲れ。 布屋さんのスタッフKさんが作ってくれたキッシュプレート。いつもめっちゃくちゃおいしいです。 私がリクエストした、フリルブラウスが今回の課題。とってもお気に入りの一枚になりました。飛ばし過ぎないように、ぼちぼち息抜きを入れながら、やっていきたいと思います
2012年12月10日
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腸の内視鏡検査で、腫瘍が見つかった義父は、手術する事になりました。91歳の義父の手術を、誰も望んでいませんでした。義父自身も。けれど、治療のためでも、命を救うためでもなく「苦しみから救うため」に手術をするのだと説明を受けました。大腸がんは必ず腸閉塞を起こし、それはものすごく苦しいものだそうです。腫瘍からの出血は止まらず、腸が詰まって、お腹はふくれあがり、食べたものは下へ行かず口から出てきて、肺に入り肺炎を起こすそうです。手術による、起こるか起こらないかわからないリスクよりも、必ず起こるその苦しみを回避する事を勧められました。手術をしても、今よりもいい状態にならないのだと思います。寝たきりになるのかもしれません。命もどうなるか・・・。とてもつらい手術です。主人も義母も覚悟を決めているようです。義父の身体には胃潰瘍で胃を三分の二取った時の傷、心臓の大動脈瘤の手術をしたときの胸から背中にかけての大きな傷があります。やせて、しわだらけの身体に、また、傷が増えるのだな・・・・。「もう、たてよこ十文字よね」と義母がいいました。傷といえば、息子の足の手術の傷ですが、抜糸した時に傷口が引っ付いていなかったみたいで、ぱっくり開いて、ひと月経つのに未だに血が出ていて、毎週皮膚科に通っています。「開いちゃったのね」って、時にはかさぶたをはがされて、拷問のようです。そして、実家の母の先日のお腹の手術の傷・・・。「なんかふくらんできた」と病院に行ってCTを撮ったら、中のほうで出血しているとか・・・・。安静にしなさいって言われたそうで、だいじょうぶ??どうなってるの??病院!!て思いました。今日携帯を油の中につけてしまいました><どうなってるの??私も!!
2012年11月29日
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昨日、昼頃義父のところに行き、義母を家に送り届けて、耳鼻科に寄って、家に帰ったのが6時ごろ。わんこがいつものように、クルクルまわりながらしっぽをふりふり「ママ!!ママ!!寂しかったよ~だっこだっこだっこ~~」(と私には聞こえる)と出迎えてくれてました。家に入ると、なんと、ワンコが吐いたであろうブツが、色々な場所に5,6箇所ありました。「ひえぇぇぇ~!○○ちゃん!!ちーちゃんが吐いてるよ!!」と娘に言うと、ずっとウォークマンをして絵を描いていたものだから、全然知らなかったと。慌てて二人でワンコを病院に連れて行きました。・・・というのも、その前日、主人と娘にお昼ご飯にピザを作ったのですが、 これは一昨日のものではないのですが、いつも作るのはこの2種類で、たまねぎ、ピーマンウィンナーのピザと、焼きそばとお餅をのせた大阪風ピザ。これが、8分の1ずつ残っていたようなのですが、義父のところに行くのに、私が準備でばたばたしていて、テーブルの上のピザを引き忘れていてのです。いつもはワンコの事、気をつけているのに、みんながばたばたしていて、気づかなかったんですよね。夕方家に帰ると、赤頭巾ちゃんのおばあちゃんをのみこんだオオカミのようなお腹をしたワンコ。テーブルの下にはピザをこすり付けたような跡が・・・。でもピザはなし。ワンコに玉ねぎは絶対だめって聞いていたので、どうしよう!と思ったのですが、日曜だし、どうぶつ病院もお休みだし、様子を見ていました。吐き気もなく元気な様子。食事は抜きにしました。次の朝も元気に散歩も行き、吐き気も無かったので、大丈夫だと思い、義父の方に行ったのですが・・・・。獣医さんいわく、すぐ吐くのはいいけれど、吐くまでに時間がかかってるから、たまねぎが赤血球を壊しにかかって貧血を起こすと。香辛料もたくさん入っているから臓器にも影響が出るかもと。食べてすぐ吐かしたら問題ないので、そんな時は日曜でもすぐにつれてきてくださいといわれました。血液検査の結果を待っている間、本当に泣きそうになってしまいました。もっと気をつけてあげればよかったって。食べてしまってても、いつもだったらすぐに救急でも連れて行ったのに、人間が勝手にばたばたしているだけで、何にもわからないでいるワンコに一番しわ寄せが行ってしまったなあと申し訳なく思いました。血液検査の結果、幸いにも炎症反応もなく、腸意外、どの臓器の値も正常範囲で、腸炎を起こしているだけだったので、注射をしてもらい、お薬を貰って帰ってきました。とにかく、たくさん食べて、お腹の中のたまねぎや香辛料を早く外に出す事のようです。とても食欲があるので、薬も喜んで食べてくれるので助かります。いとおしい、いとおしいワンコ。 以前娘が、イライラしてワンコに当たった時、息子が「おまえ、ちーちゃんが死んだ時の事考えてみろよ。そしたら、一日でも長生きさせてあげようって思うやろ。ワシはいつもそう思って接してるねん。できるだけストレスをかけんようにしようって。人でもストレスで死ぬねんで」と。その時は「この子ってそんな悲しい事考えて接してるんだ」って思ったのですが、昨日はホントにそう思いました。一日でも長生きさせてあげたい。昨日の事絶対忘れないように。
2012年11月27日
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日曜日に実家の母の入院に付き添い月曜日に手術に付き添い火曜日に義父が救急車で運ばれて輸血に付き添い水曜日は義母の送り迎えと義父の輸血に付き添い木曜日は息子の病院と義父の病院と義母の送り迎え金曜日は母の退院に付き添い土曜日は義父の検査で多分付き添い~友達よこれがわたしの一週間の仕事です~チュラチュラチュラチュラチュラチュララ~~という事で、自分でも笑えてくるほど人気者な一週間でした。昨日までは、PCを開く余裕がなくて、やっとひさしぶりに今日開くことが出来ました。母の手術は前から決まっていて、大腿ヘルニアなので、そんなにたいへんな手術ではなかったかのですが、三連休のお友達との旅行もキャンセルさせてもらって、母のために空けていた一週間でしたが、思わぬ義父の入院で、てんやわんやの一週間でした。義父はとんでもない貧血で(ヘモグロビンが5)原因はわからないけれど、とりあえず輸血を400ccづつ二日間しました。意識はあるのですが、朦朧としていて、状況がわからなくなるようで、点滴が外れないように、包帯を巻いて、上にマジックテープとかた結びで巻きつけた布を外して点滴を抜き取って、(うえ~ん血まみれだ~)心電図を剥ぎ取ってしまうので、とにかく輸血の間は目が離せず、初日は深夜まで義母と付きっ切りでした。耳がかなり遠くなっている義母は、パニック状態だったと思うのですが、記憶の方もあいまいで、大きな声でゆっくりと丁寧に何度も説明しないとなかなかわからなくなっていました。(本来はとっても頭のいい人で、難しい薬の名前もよく知っているし、病気の知識も豊富で、論理的にきちんと色々な事を説明してくれる人だったです。)私は何度も身内の入院を経験していますが、本人が頼りなくても、主に介護している人がしっかりしているか、私が主で看護する場合も病人自身がしっかりしているかで、今回のように病人も介護している人もちょっと頼りないという状態は初めてで、どちらも心配で、緊張が続きました。輸血すると黄土色だった義父の顔色がぱぁっとピンク色に変わっていって、3日目には、点滴も自分で抜くことはなくなりました。便が真っ黒だったので、おそらく胃か腸で出血が起こっていると思われます。明日まず胃カメラをして、原因を調べるようです。病院にかけつけた時のこと。義母は「もう家にはかえれないわよね。91まで生きたんだもの。好きな事ばっかりやってきて、あの人の人生に悔いはないはずよ」と言いました。家で倒れこんだ時にもうだめだと思ったそうです。(多分そんな事はないと思いますが)義母は本当に義父の事が大好きなのを私は知っているから、自分がショックを受けないために言い聞かせているのだなって思いました。「お父さんが死んだら、もう私の役目は終わりよ。どうなってもいいの。看護のために生きてきたようなもんだもの(父は16回の入院)」という母に「お義母さんの人生はこれからですよ。一花も二花も咲かせてくださいよ!」と言いました。母は「ふふふ もういいわ」と笑いました。義父に愛情を注ぎ続けて59年の義母です。
2012年11月23日
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最近、娘はココアがお気に入りで、「毎朝作ってね」と言います。 パッケージが気にいって買ったココアですが、思ったより美味しいようです。優しい甘みがついています。 娘はココアが好きだったのですが、中学に入って電車通学をするようになってすぐ、電車の中で戻してしまいました。ココアを。(ノД`)・゜・。自転車で急いで駅までこいで行き、満員電車の中で今まで嗅いだことのない強烈な匂いをかいでしまい、気持ち悪くなって吐いたそうです。タバコと加齢臭のまざった、いわゆるおっちゃん臭です。知らない人がティッシュをくださって、制服は学校で借りたようです。それがトラウマとなった娘は「もう絶対ココアは飲めへん」と言っていましたから、ほんと久しぶりです。そういえば息子も、中学校に入って電車通学をするようになって、何度か電車でもどしました。バナナジュースを。(ノД`)・゜・。娘と同じ理由なのですが、息子は周囲に迷惑になると思い、二度目は通学かばんの中にもどしました。着ていたベストを中につっこんで、匂いがわからないように工夫して、一日過ごして帰ってきました。今考えたら、昔から息子はそんな子だったんだな~。一日すごした、バナナジュースバッグ、ご想像くださいエエェェェェ(/×\)ェェエエエエ~ン二人とも緊張を抱えて通学してたんだろうな・・・よくやってたな。何故かココアを見て、そんな事までさかのぼって思い出してしまいました。すいません、きちゃないネタで。先日のパン屋さんのが美味しかったので、まねっこして、栗の渋皮煮で、チョコ栗マフィンを作りました。ココアをたっぷり入れて。 冷めてもチョコがとろりとして、たっぷりのカフェオレと相性が良かったです。。
2012年11月17日
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美味しいものにつき物は、美味しい飲み物ですね。めずらしく、日記をもう一丁。私は、長い間コーヒーが飲めませんでした。においも嫌いで、頭が痛くなる感じがしました。紅茶は大好きで、主に濃い目の紅茶にミルクをたっぷりというのが好きでした。ところが10年位前に何がきっかけは覚えていないのですがカフェオレが飲めるようになりました。多分、コーヒーの酸味が苦手だったんだと思います。カフェオレのコーヒーは酸味がなく苦味とコクが強いので、大好きになってしまいました。今でも酸味の強いタイプは苦手です。甘いお菓子とカフェオレの組み合わせは、ほっとできるひと時です。 りんごのケーキを焼きました。カプチーノと。 素敵な方に紹介していただいたお気に入りのマグカップで。三角フラスコ型のコーヒーメーカーがとってもお気に入りで使っていたのですが、破壊力抜群の私は、あえなく割ってしまいました。今は、一つ穴のサーバーでドリップしています。私がデイリーに使うのは、割れにくいプラスティックかも。(それでも前のは欠けさせてしまったのは何故!?) 沸きたてのお湯を一度ホーローのポットに移して、少し温度を落とし、細い注ぎ口からゆっくりとお湯を注ぐと、えぐみのない、まろやかなコーヒーになるように思います。紅茶はガラスの紅茶サーバーやティーポットを使っていましたが、私は先ほども書きましたが、「デストロイヤーめがね」とうリングネームが付きそうなほど、食器や台所用品をよく割ります。ガラスのサーバーも何個か割りましたし、ティーポットは蓋だけ割ったり。それでみつけたのが、南部鉄器のティーポット。これなら割れないだろう!!(レオレオさんがおっしゃるように、足の上に落としたら・・・割れないけど。私が割れる!これは骨折ですなぁ!気をつけないと) 栗の渋皮煮、やっと作りました。あっさりとした甘さでミルクティーと合います。内側が鉄だと紅茶には向かないようで、これは海外向けに作られたもので、内側がホーローになっていて、冷めにくく、フランスの紅茶専門店にはかならず南部鉄器があるそうです。(と、説明に書いてありました)甘いものといただくお茶の時間は、幸せなほっとしたひとときです。
2012年11月15日
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この一年は早かったのかしら?あっという間だったような、でも思い返すと色々な事がありましたね。私は同じ日に足を捻挫して、完治には3ヶ月くらいかかりましたが、ギプスをはめたまま、何度学校に行ったかしら(私よくやってたな。すごく階段の多い学校なんです)お正月明けには主人のガンが見つかって、春には母の動脈瘤が見つかって、相次いで手術して、病院に通って、主人の父も調子が悪くなったりして、バタバタバタバタ暮らしてるけど、なんだかんだ言いながらみんな元気にしています。来週母がまた小さな手術を控えていますが・・・。今年もあと一月半。やっぱり早いですね。一年前にブログと出会えて、同じ経験を持つ方々と知り合えたのも、とってもとっても大きかったです。 今は、息子のほくろの除去手術の傷口がうまくひっついてなくて、何度かで皮膚科に連れて行ってます。(ちょっとかわいそう)二人で車に乗り、色々話するようになりました。、考え方も、私より大人かも・・・と感じる時もあります。頼もしくなったなって、成長を感じます。(バカ親で~す へへ)それと、人と接することへの嫌悪がずいぶんなくなったな、と感じます。 娘はとにかく口数が多くなりました。ゲームの内容を色々と教えてくれたり、それによって自分はどう思ったか、自分の気持ちを伝えてくるようになりました。日常の中でも自分の気持ちを言葉で表すようになりました。「~してほしい」「~だと申し訳ない」「~されるとうれしい」「~してくれるとありがたい」「嬉しいと思った」「こんなん好き!」「これは嫌やわ」「なぐったろうかと思った」「わかるわかるその気持ち~」「プレッシャーやん」以前はあまり出なかった言葉を、思いつくまま出せるようになりました。前は相手にどう思われるかが気になって、その言葉を全部飲み込んでいたのかもしれません。「○○ちゃんは思ってても言わない子だよ」と言ってたのが、「○○ずっとしゃべってるやろ~うざいやろ~なんか口が勝手にしゃべんねん」と言う様になりました。家の中で、どんな自分でも安心して出せるようになればいいな、と思います。高校は行きたいところはあるようですが、それに向かって勉強しようというところまでは行きません。まぁなるようになるでしょう。私は一年前より自然に笑えてるかな?ふと考え事をしていると「お母ちゃん 怒ってる?」ってよく息子に言われてたのが、なくなりました。今でも、考える事はいろいろあるけど、とりあえず、美味しいもの食べて、笑ってようっと。美味しいものはわたしの原動力だ!! 最近食べた美味しいもの 隠れ家のパン屋さんの天然酵母パン。 (古い雑居ビルの5Fで、3度目にやっと見つかりました) チーズパン、カレーパン、栗チョコマフィン きれいなまんまる。口の中で溶ける、きな粉のホロホロクッキー 大好きなケーキやさんのケーキ。たまりません。 フランボワーズのムース、チョコムースとクレームブリュレ、りんごのシブースト 先日食べたランチ。これはおいしかったです~~ 笑いがとまりません~~
2012年11月15日
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一昨日の事、夜の8時ごろ、その日のお昼頃、薬局で買ったトリートメントや洗剤がないことに気づきました。薬局の隣のスーパーで、そのあと買い物して、カートの荷物をかけるところにひっかけたまでは覚えているのですが・・・もしかしたら、カートに忘れてきたのかも?とスーパーに電話したら、「あります」との事。(よかった~~)しかし・・・やっちまったなぁ~ こないだはカートにバッグをかけたまま家に帰ってしまったし(その時もありました)明日忘れずに、取りにいかなくっちゃと思っていました。 が、昨日その事を思い出したのが、夕方の4時ごろ。朝から車で、そのスーパーの横を2回通ってましたのに。(泣)「ママ大丈夫?」と娘に心配がられて、そのスーパーに忘れ物を取りに行きました。そこで、近所の仲良しの友達に会いました。友達は9月に家で床をピカピカに磨いてて、その床で転んで足の指を2本骨折してギプスをはめていました。で、先日ランチの約束をしていたので、迎えに行ったら、足のギプスは取れていたのですが、腕に三角巾が・・・。(あれ?腕やったっけ?と一瞬)足が良くなったので、家の片づけをしていたら、バランスボールにつまづいて、横転。今度は手首を骨折したということでした。(涙)「歩かないと、体なまるし、買い物に来てん」と右手は三角巾に吊られ、左手にはスーパーの袋を持っていました。痛々しい彼女の姿に、「気ぃつけや。」と言葉をかけて、忘れ物を受け取っての帰り道。自転車の私は坂道の所で、上がり切れずに、自転車を降りようとして転倒。一年前の悪夢が(一年前自転車で転倒して左足じん帯損傷でギプスになりました)蘇りましたが、なんとか擦り傷だけですみました。気ぃつけんのはおまえやろ!っと自分に突っ込みを入れながら、周囲に誰も居なかった事に安堵し、家にたどり着き、「もう!ママ大丈夫?」と本気で心配してくれてそうな、ナイチンゲール娘に消毒してもらっていると、メールが。中学からの友達で、つい先日会った友達から「自転車で転倒して、左ひじ骨折しました」と。自転車で段差を上ろうとして滑って転倒したそうです。もう、私も、私の周辺も、頭の方も身体の方もかなり弱っているようです。(頭は私だけか(^^))ほんと、気をつけなくっちゃ。 先日八百屋さんで買ったキウィ。りんご並みの大きさでびっくり!さぬきゴールドという名前でした。
2012年11月07日
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娘とお買い物に行きました。服などはあまり欲しがらない娘ですが、いつも買うお店をちょこっとのぞいてみたら「あ・・・かわいい」と娘。ボタンがネコの形をしたモコモコのショートコート。(めっちゃかわいいやん!)娘が小さな頃から、私は娘に似合うかしら?娘が喜ぶかしら?と色々なものを買って来ては娘に与えました。私が選ぶのが楽しくて、娘の喜ぶ顔が見たくて、娘の選ぶ楽しみを奪ってきました。その結果、娘は物に執着がなく、選ぶ事が面倒くさそうに「ママ決めて」ということが多くなりました。自分の選択に自信がないということもあったのかもしれません。最近の娘は「これが好き」という事がはっきりとしてきたように思います。 迷いがあまりなく、「私はこれが好き」と言えるようになってきたと感じます。 ねこちゃんのコートをお買い上げして、さあ帰ろうと歩いていると、催し物で「青森ひば」のまな板が売られていました。ちょうどまな板を買い替えたいと思っていたので、ちらりと見ると、一度使ってみたいな~と思っていた、丸いまな板が売られていました。一目ぼれ~~ 青森から売りにこられていたおじさんが「多分ね今日最後のお客さんだからね、まな板を立てる台もつけてあげるよ」とおまけしてくれました。ラッキーです(^^)このまな板、めちゃくちゃ使いやすいです。持ちやすいし、洗いやすいし、奥行きがあるから、材料が落ちないし。おじさんが「丸いの使ったら角いの使えないよ」とおっしゃったのがわかります。お気に入りが仲間入りして、うっきっきです。
2012年11月06日
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私が小さな頃、デパートに行くと帰りに母が「めがねちゃん、ポテト買うて帰ろか」と言って、いつも中華ポテトを買っていました。冷めてもカリッとした香ばしい中華ポテト。母の大好物です。今はおしゃれなデザートが色々あるけれど、昭和の時代の中華のフルコースのデザートと言えば中華ポテトだったと思います。美味しそうな鳴門金時を買ったので、久しぶりに食べたくなって、ネットで検索して、作ってみました。 一見大学芋に見えますが、決定的に違うのが、カリカリ感。これは、恐ろしい事に、砂糖と油を同量混ぜて火にかけて飴を作ります。私はカロリーが恐ろしすぎて、香りのない太白ごま油で作りました。(砂糖と油は混ざらないので、最後は油だけ残るんですが)*本当の中華ポテトは皮を全部むいて、ゴマなんかもかけません。 出来立てを娘と食べたのですが、まず熱過ぎる!!やけど注意!そして、引っ張ったときにびよんとのびる飴が口に刺さる!口内けが注意!息子は冷めたものを食べたのですが、カリカリなんだけど、飴が堅すぎて歯が欠ける!と言っていました。歯の損傷注意!非常に危険な食べ物ですが、外はカリッカリして、中はほっこりして、ものすご~く美味しかったです。今回初めて知ったのですが、これは、関西の中華料理店で広まった食べ物だそうです。もしかして、関東の方は知らないのかしら?娘「ママ、また作ってね!」とかわいく言っていました。今日はハロウィンですね。 中華ポテト好きの母が作ったタペストリー
2012年10月31日
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昨日は息子の足の指にある、へんな形の大きなほくろの除去手術でした。手術を終えた息子の第一声。「麻酔な、足の指の間から長い針さされて、それが足の裏まで貫通してん。それを3本打たれた。」「そんな長い針!?20センチくらい?見たん?」「いや見てないけど」 「大丈夫だと思うけど気持ち悪いから取っときましょうね。」と皮膚がんの権威らしいおばあちゃん先生に言われたのが2ヶ月前。「足の先だから麻酔がすごく痛いですよ」と担当の若い女の先生に言われて息子はずっと「すごく痛い」という言葉におびえて暮らしていました。「どんだけいたいんやろう・・・ネットで調べたら、かなり痛いらしいで」から、日にちが近づくにつれ、「あ~いやや~足きられるぅ~~死ぬ~~痛い~~」「逃避する。ワシ逃避する」前日は「麻酔でショック死するわ。アナフィラキシーショックや!あ~死ぬぅ」と。朝方まで眠れなかったようです。もしかしたら、どたキャンもありうるかも?と思っていましたが、さすが18歳? 「いやや~~」と言いながらも、ちゃんと起きて行きました。「あ~車混んでてこの辺ぐるぐる回って着けへんかったらいいのに・・・」「あの先生なんでわざわざ痛いっていうんやろう。ドSやんな」といいながら。で、およそ1時間弱の手術。アナフィラキシーショックもおきることなく、無事に終わりました。 ・・・が、そんなに長い麻酔の針!?担当の看護師さんに「息子が20センチくらいの針刺されたっていうんですけど・・・」と言うと、「あ~そうそう、そうなんですよね~」と。(ええ~~ほんまやったんや。おっそろし~~)と思ったら。「そう感じるみたいですよものすごく痛いんです、手足の先と顔は。本当は普通の注射針なんですけどね。ぼく、がんばったね」とニコニコ答えられました。「学校では背高いほうでしょ?」と聞かれ(学校行ってないからしらんけど・・・)「いやそんなことないです」と息子。「ふふふ楽しみですね~~男の子。うちにも同じ高3の娘が居るんですけどね男の子のほうが良かったわ。ふふふ」と息子をニコニコ顔でを眺めてくださいました。私もなんと言っていいかわからず、「ふふふふふ」とお返ししました。何も知らない人が見たら、とても元気に学校に行っている、将来が楽しみな普通の高校生に見えたのでしょうね。学校に行ってないけど、楽しみにはしていますけどね。 昨日は「やりたいことは色々あるけど」と言っていました。「やりたいことがわからない」ってずっと言っていた息子だから、そんな気持ちになったのは、「素敵なことやね~」と答えました。昨日は病院でも車の中でも色々な話をしてくれました。なんかずいぶん大人になったなぁと感じました。 ちょっと不思議な雲。
2012年10月29日
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先日TVで、D島ロールの工場見学をやっていたのを見て、あのくるんとひとまきのロールケーキが作りたくなりました。ロールケーキは何度も作りましたが、渦巻きではなくひと巻きのは潰れてしまって、うまく丸くならなかったのですが、TVでパティシエがロールケーキを作っている姿を見るとなんとなく出来そうな気がしてきました。何度も頭の中でイメージトレーニングしてました。へへ生クリームに入れる砂糖の分量を間違えて、めっちゃ甘いクリームになり、またもや、生クリームを買いに走りましたが・・・。(泣)ほんとに無駄な動きが多いなぁ。 クリームはかために泡立て、中心あたりを山のように積んで巻きました。無事に完成(^^) ひと巻きロールです。
2012年10月28日
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今日は息子の誕生日。(もちろんまだ眠ってますが)一昨日お誕生会をしました。お誕生会のお料理は栄養のバランスを無視して、みんなのリクエストだけを作ります。 ヘビーでしょケーキは、ここ数年、息子の好きなモンブランです。毎年市販のマロンペーストで作るのですが、今年は和栗で作ることにしました。栗ををゆでて、牛乳と砂糖で煮て、フードプロセッサーで粉砕して、生クリームと混ぜました。で、いざ搾り出し袋に入れて絞りましょう!と思ったら、モンブラン用の金口がない!探して探して探しまくったけれどなくて・・・・(もしかしたら・・・生ごみに混ざって捨ててしまったのかしら?私ならありうる。でも、前に使ったん・・・クリスマスやん!!)買いに走りました(泣) NEW金口さんハアハア言いながらいざ!絞り出すと、おおお~いい感じで出るではないですか・・・ととところが・・・・「雑い」私は裏ごしなんて面倒くさい事してないから、穴が詰まり始め・・・8個ある穴のうち機能している穴が一個くらいになり・・・・なんか脳みそみたいなにょろにょろになってしまいました。まぁいっか!脳みその・・・いや和栗のモンブランで~すほんとにね。まったく何につけても詰めが甘いのですよ。・・・反省。でも、和栗は「口に入れたときの香りが全然違う」と息子が言いました。よかったよかった。息子は「お母ちゃん、ワシ18になったらタバコくわえながら車運転できるんやな」と。「ほんまやな」(あら、ワイルドやん)「ま、どっちもせぇへんけどな」(せーへんのんかぃ!)18歳なんですよね~なんか大人な響き!息子が産まれた時、伯母に「男の子は3歳までに一生分の親孝行をするのよ。親はねその後は何があっても我慢するしかないのよ」と言われた事がありました。「おかあちゃんありがとう」「おいしかったよ。」こんな言葉言ってくれるなんてね~~通りすがりに肩モミモミしてくれるしね~壁に穴あけてた頃には想像もできなかったよ。(そうさせてたのは私なんだけど)生きててくれてるだけで、十分親孝行継続中です。こちらこそありがとう。今日でこの日記も一年になります。日記を始めた頃は息子が動き出す事ばかりを願っていたように思います。私は黙れるようになったのに、周囲もみんな理解してくれているのに、どうして息子は動き出さないんだろう・・・。そんな事ばかり思っていました。一年が過ぎて、一見息子の状態は変わっていないかもしれないけれど、エネルギーが溜まってきている事は、なんとなく感じられます。だからといって、私がなんとかできるものではなく、息子が自分のタイミングで動き出すのだろうなと思います。時間はまだかかるかもしれないけれど、それは息子の問題なのだと思えるようになりました。それもこれも、同じような経験をされた方々との交流のお陰だと思っています。本当にありがたいです。更新も「雑い」私ですが、これからもよろしくおねがいします。
2012年10月23日
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今日はお天気も良くないし、夕日は出ないだろうと思ってたのですが、なんだか心引かれる光が・・・・。夕飯の手を止めて、ずっと空を見ていました。すると、思いがけず、神々しい夕日が現れました。空から羽の生えた男前の天使様が降りてきそうです。沈んだ・・・?と見せかけてまた復活!沈んでも、空は赤々としていました。風が吹いていたので、雲の流れが速くて、色々な表情を見ることができました。しずんで、あたりが真っ暗になったら、また雨が降り出しましたが、明日は晴れそうですね。
2012年10月18日
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少し前に、家の中に私の趣味のスペースを作りました。今までは作業するのに、ダイニングテーブルにミシン(6キロから11キロ)を出したり、しまったりたまに作業が中途半端なときは出したまま「ごめんよ~狭くて」と子ども達に謝って、狭い空間で食事をすることもありました。で、狭い家の中で私のスペースはないかしら??を探していたら、ワンコのゲージが、もう必要ないのではないかしら?と気づきました。寝るときしか入らないし、別にいらんよね?とちょっとワンコに確認してみたり・・・・。「うん、お母ちゃんええで」と言ってくれたような気もしたので、そのスペースにちょうどいい(お値段もお手ごろで)手作りのデスクとイスを、ヤ○オクで発見したので、購入し、セットしました。趣味を通り越して道楽の域の私の相棒たち。横にアイロン台を置いて、作業は快調。もう笑いが止まりません。あ~趣味に没頭できるのは幸せです。名古屋では何人かの方が、スターに恋をされてたり、もう人生そのものだとおっしゃっていて、そういうのはとても素敵なことだな~と思いました。子供が不登校になって、私は好きな事があって本当に救われました。私は布フェチなので、とても辛いなぁと思うと布屋さんに行きます。子どもの事を忘れて、大好きな布を眺めているだけで幸せな気分に浸れ、こんなものを作りたい、あんなものがいいかしらと妄想を膨らませると、わくわくしました。そして、ミシンに向かい、作業を進めて、思い通りのものが仕上がっていくと、なんともいえない達成感を味わえました。寝る前にそっと引き出しを開け、ほとんどコレクション化しているまだ形になっていない数え切れない布を見て、また幸せに浸るのです(もう変態の域?)好きな事やその度合いは人それぞれだと思います。美味しいものを食べたり、好きな本を読んだり、何かを集めたり・・ひとそれぞれささやかな楽しみはあるのではないかと思います。そんな好きな事をする時は、決して罪悪感を持たないで、うんと楽しんで欲しいなと思います。お母さんが楽しい時間を持つと、家の中にも楽しい空気が流れるように思います。さて、家をなくしたワンコですが・・・・ゲージの中にトイレを置いていたのですが、ヤツは、トイレをトイレと認識していたのではなく、ゲージに入ってすぐの所におしっこをしていいと覚えていたようで・・・ゲージがなくなった今、トイレにはしないで、娘の部屋の前、息子の部屋の前、洗面所とあちらこちらでおしっこをするようになりました。(ノД`)・゜・。その場所にトイレを置いておいても、それを避けてやっています。ぼくちゃんのことですか?ぷり!・・・まぁええか。
2012年10月17日
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最近の娘は暴言鼻歌を歌う事もなく、にこにこ楽しそうに過ごしています。アメーバーのライフのハロウィンのお家がGETできなかったと昨晩はちょっと不機嫌でしたが、以前よりは落ち着いています。カードゲームのネットゲームが楽しいらしく、その中でもやはり交流があるようで、「すごい優しい人がいて、交換してくれた。いいのかな~悪いわ~ぐひひ(喜)」「自分から交換しませんか?って言ったのに、やっぱりやめたいねん。でも、どうしたらいい??ママ、なんて言ったらいい?だって、自分から言ったのに、申し訳ないやん。」喜びと葛藤があるようです。「リアルの世界でもいろんな経験しなさいよ」「現実の世界とこの世界をごっちゃにしたらいけないよ」とか言ってくださる方もいるようです。「おばちゃん」とか「同じ年の子供がいる男性」だと名乗る方だそうです。それを素直に「わたしもそうやな~って思ってン」と私に伝えてきます。学校のお友達とは夏休みが明けてからは交流がなくなった娘ですが、人とのつながりは求めているのです。ハロウィンが好きな娘が食べたい!と言ったケーキ容器は洗って何か挿しておきましょう。坊ちゃんかぼちゃがあったので、ハロウィンぽくまるごとグラタンにしてみました。中はホワイトソースの代わりに、山芋をすって、白みそと合わせて和風グラタンです。焼くと坊ちゃんかぼちゃの甘みがぐっと凝縮されて美味しかったです。
2012年10月16日
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昨日は子宮がん検診に行きました。昨年受けた時、検査結果を紛失されたので、(再発行してくれましたが)ちょっとびっくりしたので、今年は、いつも乳がん検診を受けている外科の先生の娘さんがやっているというクリニックに行きました。外科の先生は五木寛之みたいなとてもダンディな方で、とても親切。娘さんも私と同年代?で、とても綺麗で優しい先生でした。お目めがキラキラしているので、見つめられるとドキドキしてしまいました。ホルモンがとっても減ってきていて、去年は閉経の数字だと言われたのですが、生理は不規則に細々と続いています。更年期の症状もホットフラッシュやあちらこちらの痛みや疲労感があるので、3年前から、漢方のクリニックでせんじ薬を処方してもらって飲んでいます。尿とホルモン値と子宮頸がん、体がん、の検査をしました。閉経すると骨密度が減ると聞くので、今回は3年ぶりに骨密度の検査もしてもらいました。明らかに減っていたら、ホルモン補充も考えたほうがいいと言われました。それはいやだなぁ~~骨密度は何度か測ったことがあるのですが、ただ機械に足やひじを入れるだけだったと思うのですが、今回は足を機械に置くと、看護師さんがひたすら私の足に向かって、アルコールを噴射しつづけるのです。「え??」「こうしないと測れないんですよ。ぷしゅぷしゅ」足はびっちゃびちゃ。なんか気持ち悪いよ~。でも機械からは「アルコールが少なくて計測できません」と出て、「え~どんだけ!?」と言ってしまいました。「そうなんですよ。びちゃびちゃにしないと測れなくて。ぷしゅぷしゅ」と噴射されつづけ、やっと計測完了。結果はスティフネス値というのが97 同年比117%でした。「骨は20代なので、骨のためのホルモン治療は考えなくていいですよ」と言われました。減るどころか、3年前より増えとるがな・・・3年前より増えたものは・・・・体重だ!!てことは、骨のためには、ダイエットはしない方がよさそうです。(←ものすごく勝手な論理)八百屋さんで秋の味覚を買いました。なんか静物画のようですが、シャインマスカットは皮ごと食べられて、とても甘く、このりんごは「秋映え」という名前でなんかちょっと毒りんごっぽい深い色ですが、爽やかなお味です。チョコレートやさんでは感謝セールをしていたので主人の誕生日プレゼントと称してたくさん買いました。骨のため。骨のため。
2012年10月12日
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私が名古屋の互助会に出かけて一日留守をしている間、娘はニコニコして過ごしていたようです。ネットゲームをしたり、主人とスーパーにお買い物に行ったり。「ごきげんやったで」とのこと。一昨日も主人の病院に付き添って朝から夕方まで出かけていました。帰るなり「ママ!!バカ!!バーカーバーカー!」「ママ嫌い、大嫌い!!」鼻歌攻撃が始まりました。しかし、今回はかなり強烈で、激しい勢いで歌い続けます。「ママバカ?」と聞いてみると「知らんし、勝手に口が言うねん。バーカ!」「ご飯できたよ」と言うと。「いらんし、お腹いっぱい!バーカ!うんち!!」とソファーにもたれてテーブルに足を上げて悪態をつきます。みんなが食事を始めると「バーカうんち!おしっこ!おならぷー!!ママ嫌い!!」を繰り返し、しばらくすると「だっこ!だっこせーや!!」と両手を差し出します。はい。よしよし。だっこすると、するりと抜けて、私の席を横取りして食べ始めます。息子が切なそうな顔で娘を見て「暴虐の限りを尽くしてるなぁ」と。「ぼうぎゃく??なにそれ」と私。「暴れて虐げる・・・すさまじい」なるほど・・・。その後、娘に「よしよし」としていた息子は「わ~こいつ触ってきた!きもいんじゃ~~このクズが~!!」と押され、ハグハグとしようとしたら、拒否され、おおかみこどもの喧嘩のように、取っ組み合いになっていました。壁にお尻をぶつけた娘は「うわ!こいつのせいでお尻三つに割れたし!死ね!!」と息子の頭を殴っていました。息子は笑っていました。コワいおっちゃんの悪霊でも取り憑いたのか!?二日間私が家に居なかったからかな?うんちは好きって意味だって前にいってたもんな。バカはだっこかな?「好き好き」「だっこだっこ」なのかな?昨日ははずっと一緒に居ました。朝起きたときからご機嫌で、ゲームを楽しそうにしながら、「ルルルルンルンルンルン♪」本当の鼻歌を歌っていました。吉本新喜劇なら一斉にコケる所です。悪態をついても、暴言を吐いても、なんだかかわいいんですよね。
2012年10月10日
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一昨日は名古屋の互助会にお邪魔して、素敵な方々とお会いしてきました。個々の問題を本当に真剣に一緒に考えてくださる先輩方は心強く、みなさんの様々な経験の生の声は、私の心にしっかりと響きました。来られていたみなさんのお顔はしっかり思い出すことが出来ます。今、名簿を見ながら思い出してました。そこは割りと自信があるのです。えっへん。ほんの一言しかお話できなかった方もいらっしゃるけど、今回は全員の方と言葉を交わした・・・と思っています・・・はず・・・ほんまか!?皆様本当にありがとうございました。そして、名古屋のご飯は美味しかった!!お昼のお弁当も本当に一つ一つが美味しくて、感動してしまいましたが、名古屋駅でレオレオさんと一緒に食べた、きしめんもめちゃくちゃ美味しかったのですよ!梅の入った冷やしきしめんだったんですが、さっぱりして、つるつると入ってきて、あ~~幸せまた名古屋行きたいです。最後の最後にてんやわんやの珍道中(レオレオさんの日記参照)でしたが、また、ご縁が広がった事に感謝しています。お世話をしてくださった皆様、本当にありがとうございました。
2012年10月10日
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先週から私の実家に一人でお泊りしている息子。一年に2回くらいは、おばあちゃんの所には、一人で泊まりに行きます。私って実は薄情なんじゃないか?と思うのがこの時です。全然気にならなくて。何かあれば母から電話があるだろうし、まぁ元気にしていれば、何を食べて何をしていても、いいもんね。娘の方は、旅行以来、少しイライラが落ち着いたようです。以前は、何かイライラした気持ちを私にぶつけていました。「ママのバーカ!!バーカ!!うんち!!」「やんのか?こりゃ~~」「もう!!イライラするぅ!!きぃぃぃ!」内容は3歳児くらいですが、憎たらしそうに悪態をつくのです。(でもかわいいもんですが)最近は、悪態をつく感じではなく、「ママのバカ!ママのウンチ!!おしっこ!おならぷ~~!!」・・・というのはだいたい同じだだけど、「怒った?」「怒った?」「怒れや~!」「うんちは好きっていう意味ね。めんどくさいやろ~~めんどくさいと思ったやろ~」「うざい?今うざって思った?」「思えや~!」「ママきらい~!!」「ママのおならはくさいぞ~ぷ~!!」「今このくそガキ思たやろ~」どうも鼻歌を歌うごとく、口から自然に言葉が出てくるそうです。「わたしずっとしゃべってる」うん、確かに・・・。一種の吐き出しなんでしょうか?かまってちゃんの甘えたちゃんなのでしょうか?ためしに主人に言ってみました。「パパのバーカバーカうんち!!」すると、なんだかちょっとすっきりしたような・・・。もやもやっとした気持ちの解消になるなのかしら?でも、やはり気持ちの中にはもやもやしたものはあるようで「ここから(ビルの12階)落ちたら死ぬかな?なんか興味ある」「なんか疲れた。全てに疲れた。」「ママのお腹に戻りたい」「消えたい」「お家がいい。ずっとお家にいたい」という言葉もたまに口にします。昼夜逆転もなく、息子の様に気持ちが落ち込んでエネルギーがなくなっているように見えない娘ですし、今まで自分の気持ちをあまり言わなかったからわかりにくかったのですが、不安な気持ちはずっと続いているようです。小さい頃は全然甘えてこなかった娘。可愛くて可愛くて、「どうしてそんなに可愛いの?かわいくて気が狂いそう(←アホ)大好き」とそれこそ鼻歌のように毎日私は娘に言ってました。(もちろん息子にも言ってましたが)でも、息子を怒ってばっかりの私は、怖い、とても信用できない、甘えられない親だったのかな?今は一日中ネットゲームを楽しそうにしている娘。苦しそうにゲームをしていた息子とはまた違う。ほんとに、不登校はそれぞれ違うのですね。
2012年10月04日
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昨日は幼稚園に入る前のお子さんを持っているママ達が孤立しないように、地域が交流の場を月に一度提供している、子育て支援のボランティアに行きました。昨日は運動会。小学校の体育館を借りて行いました。私はこのボランティアを始めて6年目になります。毎月赤ちゃんや小さいお子ちゃん、そして可愛いママたちを見るのが楽しみです。小さいお子ちゃんを見ていると自然に頬が緩み、きしょく悪いくらい笑顔になります。子どもたちが、順調だと自分で思っていたの頃は、息子の小さい頃のように活発に動き回っているお子さんに目がいきました。あ~息子もああだったなぁ。バケツの水でも浴びたように汗をいっぱいかいて、動き回っていたなぁ・・お母さんも活発なのはうれしいけど、周りのお子さんに当たったりしないかひやひやしているだろうな・・・。なんて。娘の小さい頃のように平和に誰とでも平気で遊んでいる女の子にも目がいきました。お母さん楽だよね~男の子と違って手が出ないしね・・・なんて。でも、子ども達が不登校になってからは、泣いてばかりのお子さんに目がいくようになりました。昨日、ママとおばあちゃんに連れられて来ていた1歳くらいの男の子は、来た瞬間から「ワーワー」泣いて、ママから離れようとしませんでした。跳び箱やマットや平均台を組み合わせて子ども達が楽しめるサーキットを作りました。時間内に何度でも楽しめるサーキット。その子のママとおばあちゃんは必死で男の子をなだめて、みんなと同じようにサーキットを順番に回ろうとしています。けれど男の子は「ギャーギャー」泣き叫んでやろうとしません。おばあちゃんは泣き叫ぶ男の子を抱いて、他のお子さんと同じように、順番に一通りこなし、私が持っている、ポンポンで作ったゴールをくぐっていかれました。激しく泣き叫ぶ男の子を見て、なんだか涙がこみ上げてきました。(弱いぞ涙腺)こんなに小さい頃から、みんなと同じじゃないとだめなんだな~。90組くらいの親子がいましたが、みんなママ達はゴールをくぐらせようと必死になられていました。(というか、ゴールをくぐった写真を撮ろうと)平気でポンポンをくぐっていく子。ポンポンを怖がる子。何度も何度もくぐる子。ポンポンをまたごうとする子。ポンポンの前で動かなくなる子。ポンポンを避けて、迂回する子。色々なお子さんがいました。その一人ひとりの個性がとてもが可愛くて、色々あっていいんだなぁって思いました。私もきっとゴールをくぐらせようと必死になっているママだったんだなぁって思いました。泣いていた男の子はママに抱かれ指を吸いながら、安心した表情になっていました。小さなお子さんをたくさん見た日は心がきれいになった気がします。美味しそうな栗が売っていたので、ひろさんの日記でとってもおいしそうだったので、栗ご飯を作りました。栗が甘くてほくほくでとっても美味しかったけど、塩加減・・・ちょい薄かったです。はやり、いい塩梅は難しいです。
2012年10月02日
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最近の息子は、3ヶ月くらい続いた昼夜逆転の逆転から、また逆転して(ややこしい)ここ数ヶ月はやはり昼夜逆転の生活を送っています。何時に寝てるのかはわかりませんが、昼過ぎまで寝ています。以前だったら戻ってしまった事をダメと、「あ~あ~あかんなぁワシ。なんでやろう」と後悔を口にしていましたが(なんとなく私に対してのアピールのように感じましたが)、今回は何もいいません。夕食以外は、ほとんど自分の部屋に居ます。以前は毎日訴えていた身体の不調(頭痛い、腰痛い、首痛い、ワシ糖尿かも、心不全かななど)はほとんど無く、ネットで得たオモシロ情報も以前ほど私に話さなくなりました。私からも最低限の事しか話さないので、以前ほど会話はありません。かといって、辛そうな様子も無く・・・でも覇気も無く・・・でも、機嫌が悪いわけでもなく・・・ひたすらゲームをしています。毎日していた散歩もいつのまにかしなくなったけれど、筋トレは少ししているみたいで、「胸の筋肉はすぐにつくわ」と胸を触らせてくれます。妹にちょっかいをかけては「きもい~~触ってくる!!こいつセクハラ~死ね~消えろ~」と罵声を浴びせられて「ひどいわ~死ねやって」と笑っています。で、しばらくすると仲良くゲームの話をしていたり。実家の母に「ワシは色々考えてるねん。でも、あの子(娘)勉強嫌いやから、心配やわ」と話していたそうです。・・・お兄ちゃんは妹が心配なものなんですね。自分の事だけでも精一杯なのにね~私は妹だからわからないけど・・・。娘と私が旅行中、主人と二人の時に、主人が「免許(自動車)とかとれへんの?」と聞いたら「事故る」と。「教習所で事故る気がする」と言っていたそうです。今息子と同じ年の超ネガティブ発言で人気のモデルの男の子がよくテレビに出てるけど、今はネガティブが面白いとか、自然体だと認めてもらえる時代なのかな?とても生きにくい時代だけれど、そいう意味では生きやすいのかな?と思ったり。息子の気持ちはわからないけれど、最近の息子の様子を見ていると、私の目が以前ほど気にならなくなったのかな?私自身、息子の生活がほとんど気にならなくなったからかな?息子が立ち止まってもうすぐ3年になります。3年が長いのか短いのかわかりませんが、最初の頃、年数にこだわる私に主人が「期限は決めれるものではないよ。ずっと続く事も覚悟しとかなあかんで」と言った事がいつも頭にあります。まだまだ先は長いな~と、思います。子どもたちの事で心がザワザワすることは、きっとずっと、続くんだろうな・・・。以前よりはずっと小さくなったとは思うけれど、無くなる事はないんだろうな。これがゴールっていうのがないから、動かなくても動き出しても、先は長いから、息子の自立の邪魔にだけはならないように、一歩下がって伴走していけたらな・・・と思います。
2012年09月18日
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このところ色々な用事でバタバタすごしていまして、今日は久しぶりの何にもない日です。先週主人の父(91歳)がめまいと嘔吐で血圧が180まで上昇したと義母から電話があり、かけつけました。母がパニック状態で、どうしていいかわからないようでした。かかりつけのお医者様(86歳)に往診してもらい、「メニエールかもしれないけれど、心臓の方も心配なので一度大学病院に行って検査してもらってください」と言われました。あと、今後の事も。長く寝たきりになったときに入院させてくれる病院などについても考えて置くように言われました。「もう40年のお付き合いですから、私に出来る限りの事はさせていただきます」と言っていただき、でも、先生も、ご自分の病院の上がり口でしりもちを付いて、コロリンってひっくり返ってしまわれて、びっくりした私が抱き起こしました。診る方も診られる方も随分とお年を取られたという事ですね。大学病院に連れて行くのに、主人の実家は25段の石段があり、父がそれを上り下り出来るかがとても不安でした。下手したら、義母と義父と私が共々石段から落ちて、魂が入れ替わったらややこしいがな・・・。とか。ところが、当日義父は手すりを持って、杖をつきながら、スイスイと一人で降りていきました。びっくり!検査の結果、心配していた心不全もなく、特に入院の必要もないということで、帰ってきました。上りの石段も難なくクリア。大学病院では長らく待ったり、検査に遠い所まで歩いたりで、そうとう疲れるのではないかと、それも心配していましたが、特ににしんどそうな様子はありませんでした。私のほうがいらん神経使って疲れきってしまいました。父が検査している間、義母は昔話から今に至るまでの父の愚痴を色々と話していました。父は母よりも9歳年上なのですが、とても綺麗な顔立ちで、おしゃれで、実年齢よりはかなり若く見えました。義母は自分の事にはお金をかけないで、とてもつつましく地味な人です。「ご主人は年下ですか?」と言われた事があるそうです。(超失礼!)私はいつも「鳥の夫婦みたい」って思っていました。雄の鳥の方が華やかでしょ。母は「○○ちゃん(兄の娘)と○○ちゃん(うちの娘)には結婚するなら顔で選んじゃダメよって言おうと思うのよ。○○(私の主人)くらいがちょうどいいのよ!」と言っていました。ちょうどいいって・・・イケメンでもブサイクでもないということかしら?お義母さんにそっくりなんだけどな・・・。自分たちでできることは自分たちでって思ってくれていた両親なのですが、そろそろ二人だけの生活も限界が来るのではないかと思います。公的な力もかりつつ、考えていかないといけないなぁと思っています。今年は本当に病院に付き添う事が多い年です。病気ネタがおおいな~~以前撮った家からの夕日?ちょっと神々しくて好きな一枚です
2012年09月12日
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久しぶりにお出かけしました。・・・と言っても、病院です。足のお兄さん指の側面に7ミリくらいの形の悪いほくろがあって、数年前に皮膚科で見てもらい、問題ないと思うけど、時々大きさを計りましょうと言われていました。2度くらいは行ったのですが、不登校になってからは放置していました。足に水泡が出来たので(これは水虫かとびびりましたが、汗?らしいです)皮膚科に行ったついでに診てもらったら、「大きさは変わらないけど一度大きな病院を紹介するのでみてもらって」と紹介状を貰ってきたのです。で、紹介状の担当医を検索すると、皮膚がんの権威らしく・・・・いやんこわい。先の不安は先取りしないぞ~で、昨日行った結果は・・・「良性の物だと思うけど、取っておいたほうが、今後安心でしょう」・・・という事で10月の末に手術することになりました。「学校は大丈夫?」と先生や看護師さんに何度か聞かれて・・・。(へへへ大丈夫でっす)そりゃ聞くよね。高三の年齢だもんね。でも、今どこにも所属してない状態は好都合です。1時間くらいの手術だけど、末端なので麻酔が痛いとか・・・。「痛み止めの麻酔が痛いってどういうことやねん」と息子はつっこんでました。久しぶりに一緒に電車に乗りました。帰りの電車で息子が「これで通ってた事あるんやな」と言いました。「そっか~通学この電車やったね」「うん。それもやけど、塾も」「あっそうか~中3の時か~そっかそっか」あれから3年か~。あの頃の私は、スパルタの進学校を辞めさせ、公立に転校させた息子が、転校してよかったと思える道に進めるようにするために、必死だった様に思います。あくまでも私の問題として、私の価値観で計っていました。だから、よりよい塾にと、塾も2度変わりました。私が最善だと思った三度目の塾に、夏休み毎日通っていた息子は、秋には塾に全く行く事が出来なくなりました。その後学校も、五月雨へと・・・。いい高校に行かせたいとか、いい大学に行かせたいとか、そんな事より、息子が息子らしく楽しく過ごせる学校に進んでくれたらいいと、心底思いながら、片方では息子の能力を最大限に引き出してやりたい、もっともっと勉強すればいいのに。という気持ちもありました。息子のために、息子のために・・・息子の気持ちなど全く考えないで、自分が思う価値観を押し付けていました。息子の気持ちに寄り添うとは程遠い所に居ました。その頃の私は息子に不満ばかりでした。「言う事聞かない!反抗期!勉強しない!」毎日イライラして、口を開けば怒鳴りあい。今思いかえせば、息子は私の期待に応えよう!ほめてもらおうと必死だったのだと思います。それに気づかなかったのです・・・。ずいぶん無理をさせたと思います。私は、今の息子に不満は何もありません。今の息子は、一緒に居ても、とても気持ちが落ち着く存在です。なんだかマイナスイオンが出ているような・・・・鏡なのですよね~ほんとに。取り留めのない会話の最後に、「また、何かパパとママにできることがあったら、言ってね」とだけ言いました。息子は渋い顔でおどけてみせました。母から聞きましたが、息子が母のところに1週間行ってた時、ちょっと喧嘩をしたそうです。母が何か買ってあげるというと、ゲームがいいと言った息子に「あんたやりたいことがあるって言うけど、また新しいゲーム買って、ゲームばっかりしてたらそっちがおろそかになるんちゃう?」と言ったそうです。すると息子が「おばあちゃんは前のお母ちゃんと一緒や。わしの事信用してない!」とぷんぷん怒ったそうです。今は信用してる事伝わってるのかな?フルーツ全般イガイガして食べられない息子に幸水のコンポートを作りました。これならば平気。不思議ですね~
2012年08月31日
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昨日主人の母がうちの近くの病院に来るというので、旅行のお土産を渡すのに会いました。娘と選んだおじいさんとおばあさんの、ペアのおきあがりこぼしとお菓子です。カフェでコーヒーゼリーフラペチーノを飲みながら義母が「こんなの初めて食べたわ」と笑い、最近の義父の様子を話してくれました。あんなにおしゃれだった義父が全く身の回りの事に関心がなくなったこと。調子が悪いと早め早めにお医者さんに行っていたのに、今はどこにもかからず、薬も全く飲んでいない事。気がつけば寝ている事。「どうしちゃったのかしらね?私も困っちゃうわ。お医者さんくらいしか家あけられないし・・・」92歳の義父はとても元気だったのですが、今年になったくらいから、ちょっと元気がなくなってきたように思います。(普通の92歳はそんなものかと思うんですが)夕方義母からお土産のお礼の電話がありました。「お菓子もおいしかったわ。でもね、おきあがりこぼし・・・おばあさんは起き上がるんだけど、おじいさんが寝たきりなのよ!はっはっは!わらっちゃう~!いくら起こしても起きないのよ~二人で大笑いしたのよ~傑作ぅ!」と大爆笑してるんですけど・・・あかんやん!!たしか・・・「寝たきりにならない長寿おきあがりこぼし」かなんか書いてあったと思うんです。あかんやん!!ぜったい!!ペアでパッケージに入ってたので試す事もなく買ったんですが・・・あとでお店に電話しようと思います。笑ってくれたけど・・・冷静になったら気ぃ悪いですよね~
2012年08月22日
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境港から松江に帰り、その晩は駅の近くのビジネスホテルに泊まりました。レディースフロアだったので、エレベーター前には女子が喜びそうなガイドブックが沢山置いてあり、参考になりました。夕日の時間に宍道湖の遊覧船に乗りました。船のデッキに座り、「今日は綺麗な夕日がみえるかしら?」と期待していたのですが・・・・デッキは船の後ろ側で夕日とは逆。全く見えませんでした・・あほ雲が多くて、あっという間に沈んでしまいました。でも、途中の島に鳥さんたちの楽園がとても気持ちのいい一時間でした。晩御飯は、ガイドブックに載っていた郷土料理のお店に。予約の時、カウンターか個室かと聞かれ、「カウンターには色々な食材が並んでて面白いですよ」と言われたので、カウンターにしました。お店はとてもわかりにくい場所で、スナックとか飲み屋さんとかが沢山ある場所で、大丈夫??と躊躇しましたが、お店自体はとても感じのいいお店でした。娘「わ~~スナックって初めて見た!!ほんもの!!へ~」と意外なところで喜んでました。お店のカウンターには、お一人様の女性と、二人連れの女性が座っていました。「ここのお料理は何でも美味しいですよ!!これも、これもお勧めですよ!私たち初めて松江に来たけど、ほんとにいいところですね。」と二人連れの方が気さくに話してこられました。お二人は、私よりは10歳以上は上かな?埼玉から来られてて、次の日、隣の安来市で行われる、どじょうすくいの安来節の大会を見にこられたとか。「私、2級で、彼女1級なんですよ。もう習い始めて4年なの。師範を取るのは安来まで来ないといけないし、年に一回しか試験がないから、なかなか通らないの。」とのこと。私、カルチャースクールに安来節があることも、階級があることも初めて知りました。そのあと、「手品しま~す!」って手品見せてくださったり、ボランティアで演劇をされてるようで、こすぷれした写メを見せてくださいました。娘はニコニコ笑っていました。お料理はどれも美味しくて、娘は「幸せ~~ママこの海老美味しすぎ~しじみ汁しじみ大きい!!口の中でずっところがしてたい」と言いました。 隠岐島の生岩がき、海鮮サラダ、宍道湖のモロゲエビの塩焼き、いちじくのてんぷらお店の方や、お二人連れにお礼とお別れを告げ、お店を出ると娘が「ママ、めちゃおもしろかったな~カウンターにしてよかったやん!お店の人もめちゃいい人やったし、安来節の人おもしろかったな~」と言いました。あ~娘、ああいうの嫌じゃないんだ、楽しめる子なんだって、ちょっと新たな発見でした。次の日は松江城の周りのお堀を遊覧する船に乗りました。これも一時間かけてゆっくりとお堀を周ります。 あおさぎ、低い橋の下をくぐるときは屋根が下がってきました。松江城そのあと、娘が行きたがってた城山稲荷神社へ。こちらは小泉八雲が足しげく通った神社で、当時は二千体もの狐の像があったそうです。今でも、大小さまざまな狐さんの像が数え切れないくらい並んでいます。それを見た娘は「テンションあがるぅ~!かわいい!!こっちはかっこいい!!ママ全部写真とって!待ち受けにするから」「へ~い」私は「狐さん、ちょっと写真撮らせてくださいね」とお願いしながら写しました。八雲が一番お気に入りの狐さんほんとに、娘は異形なるものが好みなのだな~人によっては不気味に思う神社で(他に誰もいないし)「あ~来てよかったわ。かっこいいし!」とご満悦なのですものね。その後、私が行きたかった雑貨屋さんへ。築100年の古民家を改造したすてきなお店でした最終日には「妖怪これ買うて~むすめ」に化けた娘に負けては居られず?私は一目ぼれしたステンドグラスの小さな鏡を買いました。松江の作家さんのもので、両端のガラスは古いものを使っているそうです。ノスタルジックです。充実した3日間を終え、帰路に着くと、空港には主人と息子が迎えに来てくれていました。二人の3日間は・・・?二人で「ダークナイト」を観にいったり、メガネを作りに行ったり、外食が嫌いな息子が3日とも外食に行ったらしく「あの子気つかってくれてたんかな?」と主人は言っていました。さっそくお土産の松江の銘菓をいただきました。可愛らしいお菓子。求肥の間に餡が入っています。黄色がゆずで紫がゴマ味若草という松江を代表するお菓子。中は求肥です。下の漆塗りのお盆は松江の雑貨屋さんで購入しました。この旅行で、娘、自分の気持ちを言葉にするのが苦手なのかな?と思っていたのですが、言葉に出す事によって否定されたり、恥をかいたりすることが怖いんだっていうことがわかったように思います。「妖怪これ買うて~むすめ」万歳!!なのかな?ながらくお付き合いありがとうございました。
2012年08月20日
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二日目は境港に行きました。娘が大好きな妖怪の町。この「縁結びパーフェクトチケット」お勧めです。3000円で、空港バスも一畑電車も、境港への直行バスも、松江の周遊バスも乗り放題。多分、倍以上は得をしたと思います。ふふ境港は鳥取県になりますが、松江からバスで50分で着きます。電車だと2時間近くかかるようです。境港に着くなり、沢山の妖怪のブロンズ像がお迎えしてくれて、娘「テンションあがるわ~!!」トイレの表示と街頭「ぬらりひょん!」「豆腐小僧!」「すねこすり!」「べとべとさん!!」まるで、有名人に会った時の心境に似ているのかもしれません。妖怪ロードに立つ妖怪たちを一つ一つ丁寧に見てまわりました。豆腐小僧、ぬりかべ、ねずみおとこ、サラリーマン、べとべとさん、こなきじじい娘は鬼太郎のファンではないのですが、好きな漫画に色々な妖怪がでてくるらしく、とっても詳しいのにびっくりしました。そして、ロードの両脇にはおみやげ物やさんがびっしり!二人で「きゃーきゃー」言いながら見て周りました。中でも娘が「すごい!」と歓喜の声をあげたのが「海洋堂の妖怪根付」のガチャガチャ。何の妖怪があるのかもわからないけど、とにかく一度やってみると「猫また」の血の色のようなフィギアが。「わ~猫また!!大好き!めちゃついてるやん!うれしい!」それから、そのガチャを見つける度にやりました。豆腐小僧、ぬらりひょん、二口女、河童、カマイタチなどなど「ママ、やっていいかな?あ~やりたい!!」「うん、ここにしかないかもしれないもんね」「え~あかんやん、やりすぎやん!でもやりたい!!」と娘はガチャを回しつづけました。「部屋片付けよう!、それでこれ飾るねん。えへへ」大満足の娘でした。もちろん水木しげる記念館も行きました。いい言葉ですね。妖怪パンを買いましたねずみ男に比べて・・・鬼太郎のクオリティが低い・・・・(爆)でも、意外に美味しかったのです。松江編につづく
2012年08月19日
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出雲行きの飛行機は、35人乗りくらい?3席12列くらいしかない飛行機でびっくり!多分、今まで乗った飛行機の中では一番小さいかも!?出雲空港では島根のゆるきゃらしまねっこが出迎えてくれました。愛らしいです。島根で出会った色々なしまねっこ。一日目は出雲大社にお参りしました。映画の舞台にもなった一畑電車ここにも吉田くんとしまねっこが。なんと、出雲大社の本殿は改修工事で中で・・・仮殿の方に神様はお引越しされてたようです。「縁結びって言っても、恋愛だけじゃないみたいよ」と言うと。「うん。いいお友達ができますようにってお願いする」と娘。静かに手を合わせていました。出雲大社のお参りは、二拝、四拍手、一拝と独特でした。ちょうど「神話博しまね」が開催されていたので、すぐ近くの会場に。野外ステージでは伝統芸能が披露され、色々な食べ物と、島根のおみやげ物が売られていました。特設会場では、浅野温子さんが語り部の「やまたのおろち」の映像を観ました。CG使いまくりの迫力のある映像を見て娘は「おろち、かっこいい!!古事記ってすごい興味あるねんけど」というので、博物館のなかの神話ライブラリーへ。いろいろな古事記に関する書物が並んでいました。そこで見つけた「レッツ!!古事記」という漫画絵も文章も面白くて、娘はげらげら笑って、「これ欲しい!!」と言って手帳にメモってました。他にも数冊気になった本をメモして、「古事記って面白すぎ!来てよかったわ~」と大喜びでした。古事記ってちゃんと読んだ事ないんですけど、イザナミの目とか鼻とか嘔吐物とか尿とか糞とかから、赤ちゃん神様が生まれたりするんですね。びっくりしました。お昼は博物館の中のカフェで博物館のキャラクター雲太君カプチーノと、勾玉クッキー近の天然石のお店で、きれいなブレスレットを見つけて、なかなか「買って欲しい」とは言えず、「欲しいけど、悪いし・・・高いし・・・」ともじもじしていた娘。←←←これが・・・最終日には「これ買って!!これ欲しいよ!!買って~~!」と言う様になりました。・・・恐るべしうれしそうにブレスレットを手首に巻いて又一畑電車に乗り、旅館に向かいました。娘は、こんなにのんびりと走る電車に乗るのが初めてで、「びっくりした。でもいいわ~」と言っていました。旅館は松江の小泉八雲ゆかりの宿。創業100年を超えるふる~いお宿です。なんか出そう!!う~ん確かに小綺麗ではあるけれど、そうとう古そうだわ。外には柳の木が揺れていて、風情がありますなぁ。部屋から見える景色 橋と宍道湖色とりどりの中から好きな浴衣が選べて娘は「なんかいいなぁ!女二人旅!」とちょっと興奮。元々魚介類と和食が好きな娘にとっては旅館のお料理は「あ~美味しい!(しみじみ)」幸せそうな娘の笑顔を見て、私もうれしい気持ちになりました。まだ、つづきますよ
2012年08月17日
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・・・に行ってきました。二泊三日、娘の憧れの地、島根の旅です。最初は家族でワンコも連れて、車で行く予定で予約していましたが、息子が「ワシ、行きたくない」と言いました。お~初めてです。毎年、今年が最後?今年が最後?もうついてこないだろう・・・と思いながら家族旅行に行ってましたが、「行きたくない」という意思表示は初めて。息子にとって「NO]は勇気がいる事だと思います。それを聞いた娘は「ふつうやで~。遅いくらいやん。普通行けへんって」娘の口から「一般論」が出たのも珍しい事です。てなわけで、主人も病み上がりなので、男二人と一匹を置いて、娘と二人で出かけることにしました。知らないうちに、出雲縁結び空港などという、かわいいネーミングの空港が出来ていたのですね。マイレージもたまっている事だし、電車だったら4時間くらいかかるところが、飛行機でたった50分。山陰がとても近く感じました。私は島根は3度目かな?22年振りです。当時、縁遠かった私は、縁遠い友達と3人で、出雲大社にお参りに行きました。ご祈祷をしてもらって程なく3人ともいいご縁にめぐり合って、バタバタと結婚し、今も幸せに暮らしています。さすが、縁結びの神様、大国主命(今回初めて知ったのですが、大国主命、本妻の他に、わかっているだけでも3人の奥さんが居て、恋多き神様だったんです。まぁ)その時松江に泊まりましたが、小泉八雲ゆかりの地で、明るさと怪しさが入り混じった風情のある城下町で、とても気に入ったのを覚えています。娘が行きたいポイントは3箇所。それで日程と泊まる場所を決めました。そもそも娘が島根に惹かれた理由・・・・「秘密結社鷹の爪団」という、映画の前にマナーを教えてくれるアニメご存知かな?これに出てくる「吉田くん」というキャラが好きで、その子の出身地が島根という設定になっているのです。娘らしい、コアな趣味です。「なんか行ってみたい」ということでした。島根では「吉田くん」がスーパー大使をしているので、グッズも沢山ありました。娘は、旅行で色々新しい発見や経験をしたようです。 つづく
2012年08月17日
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今日から主人は仕事復帰。ひと月休むなんて、入社して初めてだから、どんな感じなんでしょうね。「ワシおらんでも、大丈夫みたい」と言ってましたが・・・。まだ紙オムツは手放せない状態なので、オムツ袋を縫ってあげましたが、2時間ごとにトイレでパットを交換しないといけないのは、女の人の生理のような感じかな?改善されるまで不便だと思うけど、仕方ないですね・・・。昨日は単身赴任先まで送っていき、私は電車で帰ってきました。今日から、私も久しぶりに、元の生活に戻りました。色々とやらないといけないことがあるのですが、後回しにしていたので、ぼちぼち片付けていこうと思います。娘は、MRIの検査も血液検査も異常がありませんでした。ものすごく「ほっ」とした娘を見て「心配してた?」と聞くと「けっこう」と・・・。そうなんだ・・・、何も気にしてないように見えたけれど、すごく気にしてたんだと初めてわかりました。そして、先日学校に行った時の部活で一人で休憩してる時に「泣いてんで」と。「だって、体力落ちてて、くやしかってんもん」「みんなは走ってたから気づいてないけど」そうか・・・くやしかったんだな・・・。娘はあまり見せないけれど、色々な思いがあるんだな・・。明日、娘のお誕生日なので、土曜日にお誕生会をしました。娘のリクエストはからあげとグラタンと海老マヨ。お~高カロリー!ケーキはマンゴーがいいというので、マンゴームースのケーキを作ってみました。これは、口当たりが良くて、食後すぐなのに、18センチを4人でペロリと食べてしまいました。ムースがちょっとやわらかすぎて、下に敷いたオレオの砕いたものとぐちゃぐちゃになって、最後綺麗に取れなかった大皿を見て息子が「なめたい・・・」と言いました。「なめたいよな・・・」と主人。どんな甘いもん親子やねん。息子にシリコンのへらを渡すと、丁寧にすくい取ってきれいに食べました。そこまでしてくれると、作った甲斐があるというものです。ふふ娘も無邪気にうれしそうな15歳の誕生会でした。
2012年07月23日
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娘は先日以来、視覚の異常も頭痛も起きていません。念のため、父を手術してくださった脳外科の先生の所に行き、CT,首のレントゲン、心電図、血液検査をしました。特に異常はなく、「十中八九片頭痛でしょう。でも、めまいの出方が気になるのでMRIも撮りましょう」ということで、来週MRIの予約もしました。娘は5月初めの修学旅行以降学校には行っていません。ところが、一昨日は学校に行くといって、前の日から準備をしていました。髪も切りたい!と前日美容室にも行きました。娘は運動部と文化部を二つ兼部していたのですが、文化部のほうが9月の文化祭で出し物があって、その相談でどうしてもいかないといけないとか・・・。そのうえ、運動部の方も行きたいから・・・とTシャツに短パンも用意していました。私は修学旅行の写真が張り出されているのと聞いていたので、それが見たくて朝一緒に行きました。「あ~吐きそう」道中そういいながら、短縮授業の2時間目から授業に出ました。修学旅行の写真には、お友達と楽しそうにVサインやローラのOK!ポーズをしている娘の姿が何枚かありました。去年の旅行で娘に意地悪をした子が沢山写っていました。「なんぼほど写っとんねん!」と独り言をいいながら、この子は娘が学校に行けなくなったきっかけになった事も知らないんだな・・・って思いました。(「あんた、学校来えへんかったんウチのせいちゃうやんな」とわざわざ言いに来たそうですが)今となっては、不登校のきっかけに過ぎないのですが、担任の先生は「その子はすごく自分勝手で教師のいうことも聞かない子。でも、娘さん本人の口から聞いていないので、その子には何も言いません」とおっしゃいました。学年主任は「きっかけはその旅行かもしれないけど・・・失礼ですけどお兄さんどうされてます?あ~家にいらっしゃる。お母さんの居ない時にお兄さんと何かあったんじゃないですか?お兄さんの事が関係してるんじゃないですか」とおっしゃいました。そう言われた事をぽわ~んと思い出して、今更、腹立ててもしょうがないんですが、久々にハンスウしてしまいました、私。ふん(`A´) !!娘は夕方帰ってきて、運動部方も行ったから、つかれた~といいました。「一年が私に全然挨拶せぇへんから○○ちゃんが腹立つわ~って言ってた。私はしんどかったからあんまり思えへんかったけど、だんだん腹立ってきた~(いやいやそりゃ一年はあんたの事知らんやろう~)体力落ちてたからショックやわ~」と言っていました。顧問の先生が変わってて、ゆる~かった運動部がかなり厳しくなってるようです。娘は厳しいほうがいいと言ってたのですが、この暑い中、半年以上ぶりにするクラブはそりゃ~しんどいでしょう。わりとご機嫌で色々話していたのですが、寝る前になると急にぐずりだしました。「ママのうんち!ばか!!」最近よく私に当たるようになりました。何かにイライラしているようです。でも、語彙が少ないので、可愛くて、ぜんぜん腹も立ちません。「もう!いや!」ふと見ると泣いていました。お疲れだったんでしょう。以前できた事が出来なくなってたり、自分の存在が認められなかったり、(普通に学校に行ってたら・・・私だって)って娘が思ったかどうかはわかりませんが、学校に行った事で心はみだれたのかな。よしよし頭をなでました。昨日も何かあるたびに私に酔っ払いのおっさんのようにからんできた娘。「ママ好き、ママ嫌い」「ママばか!うんち!」何かある度にきぃぃ~となります。息子がその様子を見て困っていました。息子はいつも私に気を遣います。(そんなに気遣わなくてって思うけど、それが息子なのですよね)「おまえ~おかしいぞ」とちょっかい?をかけると「あ~(兄)に指なめられた~指切り落として~包丁で切り落として~~」「もう全部なくなりたい。生きたくない」「いやだ。全部いや」娘はここ最近たまにそういうことを言います。けれど、その後買い物に出た私に「カルピスの原液とすいかバーとカルピスソーダ買って来て!」と言い、それを買って帰ったら「ママ大好き」と言ってご機嫌になっていましたが・・・。自分の中学生の頃を思い出しても心の中は複雑でした。学校は楽しい事もあったけどいやな事もたくさんあったし、不安もいっぱいあった。娘の中に色々な葛藤があるのでしょうね。外に出ると腕を絡めたり抱きついてきたりする娘。家の中では「ばか~きらい~うんち~」と連呼する娘。ツンデレか!?今日はお友達とカラオケに出かけました。楽しい時間を過ごしてくるかな?
2012年07月16日
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昨日主人が無事に退院しました。主治医の先生の説明では、病理検査の結果、癌が前立腺の中にとどまってて、リンパ節への転移も見られなかったとの事です。主人は薄くスライスされた自分の前立腺の写真をみて「焼き豚みたいやな」と言ってました。初期なので9割の方が手術で完治されますという説明でした。これからは3ヶ月に一回は検査に行く事になります。「一番いい結果でした」と言っていただき、ほっとしています。術後のトイレが大変だと聞いていたので、個室にしたのですが、エアコンはよく効き、TVは見放題、PCも持ち込んでネットはし放題、景色も抜群で、しかも看護師さんはかわいくて親切な方が多くて、かなり快適な空間でした。病院内にはコンビニと○○コーヒーが入っていて、ちょっと元気になってからは、コンビニをうろうろ、よくお茶もしていました。でも、家に帰ってきた主人は子どもたちに迎えられて、愛犬にペロペロされて、「暑くてムシムシしても、やっぱりお家がいい。」と言っていました。しばらくは頻尿と尿漏れが大変で、紙おむつと尿漏れパットのお世話になるのですが(すごい種類があるのにびっくり)、お見舞いに来られた会社の人にも「おむつ姿みせたった」と笑ってたので、焦らず、日にち薬で良くなってくれればと思います。主人は来週いっぱいまで休みをとっています。・・・というわけで、しばらく我が家は、日曜でもないのに、家族全員が家にいます。(笑)
2012年07月12日
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昨日昼頃、そろそろ主人の病院に行こうと準備をしていたら娘が「なんか目おかしい」「見えるけどなんていうのかな?おかしいねん」「なんていったらいいのかな?左目だけ波打って見えるねん」息子が「ワシもそんなことある。ゴミちゃうか?洗ってみたら?」と言うので一度コンタクトを外してアイボンで目を洗ってコンタクトを入れてみても変わらないらしくそのうち「頭が痛い」といいだしました。気持ちも悪いと。唇の色が白くなっていました。午後から病院に行こうと言っても「病院きらい~いや~」そのうち元気がなくなり、ゴロゴロし始めました。鎮痛剤を飲ませて少し休ませました。先週に一度私がいないときに起きて、ぐるんぐるんとめまいがして吐き気がした事があったそうです。その時は起立性障害?と思ったのですが、一度だけだったので様子を見ていました。波打って見えるって、眼科?脳外科?どっちだろ?一時間ほどして起こしたら、頭痛はだいぶましになっていたので、眼科へ連れて行きました。眼圧、視野、眼底の写真など色々な検査をして、先生は「お兄ちゃんみたいな片頭痛みたいなのかな?と思います。血圧低いから起立性のものもあるし、目に関しては問題ないから、一度耳鼻科で三半規管見てもらって、気になるなら脳外科で、もやもや病の検査してもらって。」と言われました。片頭痛は市販の鎮痛剤は効かないはずだから、だいぶ楽になるならば片頭痛ではないのかな?でも、いまだかつて経験したことがない痛みだったそうです。もやもや病って徳永英明のなったあれですよね~今日は耳鼻科に、また時間を見つけて脳外科にも行こうかなと思います。、
2012年07月04日
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3日前に、主人の手術が無事に終わりました。心配性の私が、こんなに落ち着いていられたのは子どもたちの不登校のおかげだとつくづく思いました。実家の母は「あんたが一人で手術を待たないといけないと思うとかわいそうで・・・。私がいってあげられたっらいいのに・・・」といえいえ。来んといて~~!私一人の方が気楽でいいから!!自分の体心配して~~!と言いました。そういえば、実家の方は誰かの手術だというと、親戚中が集まってました。そんな風習が確かにありました。主人の母は「明日手術ね。私頭が重くて首が凝るのよ。あなたのお母さんのお話聞いて、脳が心配だからその日MRIの予約入れたわ。今私が倒れたらどうしようもないものね。あなた大変だけど頑張ってね」とぶらぼー!お義母さま!!そうです。そのとおりです。主人の母は91才のお父さんのお世話で大変なのです。義母が実は心配性なのを、私は知っています。けれど、いつもきちんと自分の役割をわかってくれているのが助かります。そして子どもたち。「明日ママは、7時前に家を出ないと間に合わないから、一緒に行くなら頑張って起きて。無理なら自力で夕方の面会の時間までに病院に来てね」とだけ伝えました。「起こして」と言われていたので一度だけ起こしたら、息子は瞬間的に起き、娘も間に合うように起きました。あとで息子が「もし手術で何かあった時に後悔するから(手術前に)行った」と言いました。主人はまさか子どもたちが早起きしてくるとは思わなかったみたいで、やっぱりうれしそうでした。看護師さんに子供たちは「おいくつですか?」と聞かれ、ふつうは学年で答えるのだろうな、でも高校行ってないし、「17と14です」と答えました。「中学と高校ですね。じゃぁ学校は休んだんですか?心配ですもんね」と言われいつも休んでますからとも言えず(言われた方が困るし)、「はい。パパが大好きなので」と答えました。手術時間は5、6時間でしたが、見送ってから面会まで8時間ほど待ちました。術後取り出した主人の体の一部を見せてもらいました。通常クルミぐらいの大きさだそうですが、肥大もあったので、にぎりこぶしくらいありました。「こいつか!!悪いのは!!」とその臓器をにらみつけてやりました。ICUに面会に行くと、思ったよりも元気そうでした。(母は脳だったのでもっと苦しそうでした)子供たちはなんともいえない顔で沢山の管につながれた主人を見ていました。次の日は熱が出たのでかなりしんどそうでしたが、昨日は「プリンがたべたい」と言い、口に入れて「しあわせ~」と言っていました。食事もほとんど食べて、少し歩いていました。主人は腹腔鏡手術なので傷が小さいせいか傷の痛みはあまりないようです。あとは回復を待つのみで、ありがたく思っています。「もう手術いや~」と言っていたので(そりゃいややわな)、単身赴任の食生活も見直していかなくては~と思いました。
2012年06月30日
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ここふた月ほど、息子の昼夜逆転は戻っています。何度も戻そうと思う事があって、思えば思うほど、どんどんずれていって「お母ちゃん、わしどっちにずらしたらいいかわかれへん。」と180度私たちの生活とずれてしまった時は、晩の8時ごろ起きて、朝の10時ごろに寝ていました。食欲もないし、私が作ったものを食べる事もほとんどなくて、家庭内一人暮らしのように、冷凍食品やパスタをゆでたり、おうどんをゆでたりして食べていました。野菜は野菜ジュースで補っていました。家に居るようになって、かれこれ2年が過ぎますが、その間、何度か昼夜逆転が戻った事がありましたが、一週間も続きませんでした。私は、昼夜逆転も本人がその気になれば戻すんだろうと思っていたので、それ自体は気にしてないかったのですが、食欲が格段に落ちる事が心配ではありました。それと、こんな不規則な生活を送っているのだから、病気になってもおかしくないと本人が思うみたいで、「頭いたい。」「目の奥痛い」「腰痛い。」「首痛い。」「足痛い。」「心臓おかしい。」「ワシ病気かな?」「糖尿ちがう?」「動けへんから血栓飛んで死ぬかも」日々体の不調を訴えてきました。目はどろ~んと濁ってて、覇気がありませんでした。それが2ケ月前頃、180度ずれ込んでいたのをさらにそれをずらして、ずらして、朝4時ごろ起きるようになり、5時6時と少しずつずらして、いきました。「お母ちゃん、やっぱりスカイプやめたら寝れるわ」「あれ、一緒にやってる人ら、誰も寝るからやめようって言わへんねん。みんな気遣う人ばっかりで、言い出されへんから、結局5時6時までやってしまうねん。」「もうあんまり面白くないねん。だからやめた。」息子はネットのシューティングゲームを仲良くなった知らない人たちと、戦隊を組んで楽しんでいたのですが、その手のゲームは全部売りに行きました。「お母ちゃん、今はワシ、動物育てて、ほのぼのしてるねん」と牧場物語?とかを買って来て、モンスターを育ててるようです。今はまた少し寝る時間は遅くなってるようですが、昼までには起きて一緒にお昼ごはんを食べるようになりました。「きょうご飯何?」食欲が出てきた息子にそう聞かれるのはやはりうれしいものです。そして、平日の昼間に外に出ることはほとんど無かったのですが、学校がある時間帯でも堂々と電気屋さんに出かけるようになりました。いくつかの電気屋さんをはしごして、ウインドーショッピングするようです。少し日焼けしました。最初は長く日光を浴びてないので、やけどみたいになりましたけど・・・。夜には毎日30分くらい散歩にでかけるようになりました。少しずつ体をならして、最後は少し走るようで、汗をかいて帰ってきます。息子は慎重です。自分の足元をカチカチに固めているようです。「色々考えてるねん。」具体的には話しませんが、自分の中で何か決めているのかもしれません。息子のペースはそうとうゆっくりなのだということも分かりました。またそのうち昼夜逆転に戻るかもしれない・・・戻らないかもしれない・・・まぁ色々あるだろう・・・「こうなったんだから、次はこうなるかも!」なんて、自分の都合よく期待しなくなった自分に驚いています。松江の「鯛めし」をまねっこして作ってみました。魚があまり好きではない息子が「おいしい」と言って食べました。鰹で濃い目のだしをとって、それをかけて食べるお茶漬けみたいな感じです。娘は「秘密結社鷹の爪」の島根の吉田君というキャラが大好きなので、「島根に行きたい!」と言っています。本場鯛めしを食べに久々に島根にも行きたいなぁ~
2012年06月20日
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実家の母と娘と三人で「ホタルノヒカリ」を観にいきました。仕事はバリバリとこなすけれど、家ではジャージにちょんまげでゴロゴロ過ごすだめだめOLの仕事と恋のお話です。TVで「2」をやっていたときに、私と娘ははまってしまって「1」もレンタルで借りて観ました。娘は干物女が自分とかぶるらしく、将来は仕事はバリバリとはできないから「干物女」ではなく「干物」になると宣言しています。で、「2」が放映されれた時に母が「あんた、ホタルのなんやらって観てる?」「うん、観てるよ」「あれ、おもしろいわ~~あの子(綾瀬はるか)きょとんとして、かわいらしいし、ぶちょーぶちょーってはははは」「観てんの?」「うん。あれ観てたらなんかもうたのし~くなるねん」で、「1」も「2」も貸してあげたら、「もうずっと観てたいわ~~おもしろいわ~~ええわ~~ぶちょーぶちょーってかわいいわ~」とものすごく気に入ったようでした。で、退院してまだ2週間ですが、映画を見に行ことになりました。私は、2時間スペシャルで十分といえば十分な感じでしたが、母は「おもしろかったわ~~ほんまええ映画やったわ~~」と大喜びでした。上映中も声を出して笑ってました。それを指摘すると娘に「ママもやん!」と言われました。へへ父が亡くなって3年が過ぎ、母の知られざる顔を知る機会が増えました。とにかく「お父さんお父さん」と父を第一に立てていたので、実家ではいつも父が観たい洋画のDVDが流れていました。連続ドラマを母が観ていたことなんて記憶にありません。父が野球が嫌いなので、実家では野球を観る事はありませんでした。ところが母は実は大の野球好きだったらしく、今はシーズン中はずっと野球を観て阪神を応援してるとか。「お父さん野球嫌いやから50年近く我慢しててん。」と。あと「私好きやねん。あの踊る子~ら、えぐ・・えぐざいる?」「EXILE?]「そうそう!あの歌うとてる子。かわいらしいわ~。好っきゃわ~」「アツシちゃうよな。タカヒロ?」「そうそう。男前やろ。それで、あの社長かリーダーかの人。年いってるのに踊りものすごい上手いねん。観てたら気持ちいいねん。」で、毎週「EXILE魂」を観ているそうです。ぶちょーの藤木直人もお気に入りらしく、「おしゃれカンケイ」も毎週観ているそうです。母はメンクイだったんだ!!初めて知る事実です。父は岡八郎にそっくりだったのにぃ~「女やもめに花が咲く 」とは、よくいったものです。あれだけ「お父さん、お父さん」と、依存しているのではないかと思うほど仲が良かったのですが、女の人は強いなぁと思いました。やっぱり自分の楽しみを見つけて、自分でなんでもやろうという気持ちは大切なのでしょうね。田辺聖子さんの「姥ざかり」を思い出しました。一目ぼれして買ったアジサイです。これは五月はピンク⇒夏にグリーン⇒秋に赤に色が変化するそうです。女の人のようですね~~
2012年06月19日
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娘は新しい学年になってから、何回か登校し、修学旅行はどうしても行きたかったらしく、3泊4日、とても楽しかったと帰ってきました。それからひと月経ちますが、登校はしていません。高校は積極的に行きたいとはいいませんが、『銀の匙』という農業高校の漫画を読んだり、TVで農業高校に行くというのを観て、「面白そう!畜産がいい」「美術系と悩んでる」と口にしたりします。今は頭の中は「フトアゴヒゲトカゲ」とうトカゲの事でいっぱいなのだといいます。 ネットで飼い方やえさのやり方などを調べて、お食事の動画を見ては、将来絶対に飼と言います。将来は、犬はシベリアンハスキー猫はロシアンブルーか黒猫を飼って、鳥とトカゲを飼うのが夢だそうです。そのために自立しないといけないと言っています。ふふふ昨日は、そのトカゲを見にホームセンターに行きました。少し脱皮したトカゲちゃんを見て娘は「かわいいわ~」と言います。表情を見ていると、私もちょっとかわいいなと思えてきました。問題はえさやりだと言います。小さいうちは、生きたコオロギの後ろ足をちぎってあげないといけないそうです。(逃げるから)それがちょっと可愛そうだと。大きくなると野菜が主食で、コオロギはおやつ程度だそうです。娘は小さい頃から生き物が大好きで、何でも「飼いたい」といいました。めだか、金魚、カブトムシ、クワガタ、スズムシ、アゲハの幼虫、やもり、学校で捕まえたカマキリ、カナブン、コオロギ、などなど。11歳の誕生日はミドリガメを欲しがりました。「エリザベス」と名づけられたカメは今も娘の部屋で元気にしています。お味噌汁に買ってきた「あさり」まで飼いたかったようですが、これは却下しました。食べ物の種を見ると蒔きたいといいました。アボカド、マンゴー、スイカ、何でも芽は出るものです。オレンジは今でも元気です。カボチャは大きな花を咲かせました。メロンはまた先日蒔いていました。実は主人も私は虫は苦手だったんですが、私とは違う娘が面白くて仕方ありませんでした。トカゲのあとは仔犬と仔猫を見て、「いやされるなぁ~」と二人でうっとりとして、たい焼きを食べて帰ってきました。夜は、二人で犬の散歩に行っています。娘はウオークマンをいつも耳に入れているので、会話はほとんどありません。昨日は何聞いてるの?と聞くとイヤホンの方耳をかしてくれました。「これ、○○(兄)に入れてもらった。これ聞いたら悲しくなるねん」それは以前も書いた事がある、息子の好きなバンドの曲でした。「どこが?」と聞くと「さび・・」新しい朝がくれば 僕は変われるかな新品の現実に出会うために 起きている新しい窓開けたら 僕は変われるかな蒼い街をながめて そっと深呼吸「な、なんか悲しくない?」娘もまた、息子同様「変わりたい」と思っているのかな?娘は毎日楽しそうに見えるけど、今の生活に満足しているわけではないのですよね。クールな顔で過ごしているけれど、学校に行けなくなってから爪を噛むようになった、娘の気持ちを思うとキュンとなりました。今週は娘に頼まれたものを縫いました。 シャーリングブラウス ギンガムチェックのスカート 撮ろうとしたら、お邪魔がカメラ目線で・・・ お絵かき道具入れ
2012年06月15日
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昨日母が無事退院しました。何事も無く元気に退院できた事、ありがたく思います。朝からみんなで迎えに行きました。「先生が美容にも気を配りました。ってほら、傷口も見えへんようにしてくれはってん。いくらおばあちゃんでも、気になるもんなぁ。うれしいわ」と20センチ以上ある、なまなましい傷口を主人と子どもたちに見せていました。「あ~膝の裏がしゃわしゃわする~~」と男二人は震えていました。娘はそれを見て笑っていました。家に帰ると寝る事もなく、「りんご酢できてるからもって帰りや~」とビンに移してくれました。庭に出て娘にいくつかお花の株を分けてやっていました。息子は「おばあちゃんの回復すさまじいなぁ!」と驚いています。母は両膝の人工関節の手術を16年前にし、その入れ替えの手術を10年前にしています。2回目は3ヶ月の入院で、かなり大掛かりな手術でした。リハビリも大変でした。「ほら、膝がまっすぐで、しゃーしゃーあるけるねん。うれしいわ」膝は90度しか曲がらないから生活に不便はあるのですが、文句は聞いた事がありません。脳の手術前は「私前世でなんか悪い事したんやろか?足に頭に切り刻まれて・・・」とちょっとブルーになっていましたが、手術が終わったら、次の日から「しんどいけど、歩かないと!」とトイレも一人で行っていました。「ほんとに、私守られてるわ~ありがたいわ」と何度も言っていました。自分でできることは、できるだけ自分でやろうという気持ち。物事を前向きにとらえるという面は見習いたいと思いました。でも、昔おばあちゃんにいじめられて嫌だった話・・・未だに昨日の事のように話すんですけどね・・・。これは前向きにはとらえられないみたいです。人間は複雑です。私も毎日病院に行っていたので、主人の入院までちょっと休憩。久しぶりにソーイングでもしたいなぁと思っています。
2012年06月04日
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