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昨日は先日受けたCTの結果を聞きがてら、いつものゾラディックスの注射の日でした。実は3カ月前に撮ったCTで、鎖骨のリンパが一カ所腫れていて、もしかして転移かも知れないから『経過観察』と言われてた所があったので、そのフォローアップの意味もあった今回のCTでした。で、結果はと言うと、腫れていたリンパは大きくも小さくもなっていない、つまり不変との事でした。術側の鎖骨である事から炎症の可能性もあるし、大きさから言っても、すぐに問題にするような事態ではないそうです。ただ、再発リスクは決して低くないので油断せずにフォローして行きますと言われてしまいました。まあでも、とりあえず良かったです。気に病んでも仕方ないので、前向きに行こうと思います♪悩んで過ごしても笑って過ごしても、同じように時間は過ぎていくんだから、くよくよしてたらもったいないなって、最近思えるようになりました。(病気になる前はどうしても、そんな風に考えられなかった常に最悪の事を考える超マイナス思考の持ち主でした)だから、病気になってからの方が、ある意味では楽になった部分もあるんですよね~。開き直ったと言うか、楽観的になったと言うか。いちいち落ち込んでたらきりがないですよね。★で、病院の後に近くの百貨店で、個展を見て帰りました。今すごく好きな作家さん。ChieArtってご存知ですか?見ていると不思議な気持ちになる作品です。癒されると言うか、心がほわんとしてくるんです。病院やホスピスでも、chieArtを飾っている所が増えているそうです。ヒーリングアートと言われています。機会があったらchieさんの絵を観てみて下さい。一見の価値ありです!
2008.11.08
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涼しくなって湿度が下がってきたせいか、鼻炎がひどくなって困ってます。もともと鼻が悪く、慢性鼻炎の状態なのですが、最近は鼻水が咽に回ってきて非常に気持ちが悪いんです(T_T) 鼻うがいとか、のどぬ~るスプレーとかいろいろやってるのですが、いまいち効果がありません。これから季節的に、もっと乾燥する時期に突入すると思うと先が思いやられます。一応、耳鼻科にも通ってお薬もらっているのですが、慢性鼻炎はなかなか治りにくいみたいです。気長に治すしかないのかなぁ。鼻水が咽に流れて、痰がからんだみたいになるんですよね~。鼻づまりはあんまりないんだけど…。辛いわ~。抗生物質と痰を切りやすくする薬を飲んでます。いつまでも、薬と縁が切れないな(-.-;)焦らずじっくり治そう。
2008.10.30
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すっかり更新をサボっていたら、世間はもう秋になっていたんですね。最後の抗がん剤から、もうすぐ3ヶ月になります。すっかり薬が抜けたかと言えばそうでもなく、今だ爪の変色と変形(爪の真ん中辺りが波打ったように凹んでいる)があるし、舌の違和感も残っています。なかなかしぶといな(-.-;)でもまあ、確実に良くなっている事は確かなようです。その証拠に髪は元気に発毛中です。まだまだカツラを手放せるレベルには至りませんが、デビュー当時の森昌子くらいにはなりました(笑)毛が伸びるに伴って、ムダ毛も育っているようで、抗がん剤後、初のすね毛の処理をしました。お風呂場で、足に除毛フォームを塗ろうと思いふと見ると足のすね毛が何か変です。よ~く観察して見ると、すね毛がくりんくりんにカールしていました(゚o゚)毛の1本1本が渦を巻いたようになっています。いや、びっくりです。抗がん剤の後から生える毛は、くせ毛が多いと聞いていましたが、こんなところまでくりんくりんになるとは…。お風呂場でひとり笑ってしまいました。でもその割りに、髪の毛はそれほどカールしてないのが謎なんですが。皆さんのブログを拝見すると、くりんくりんになっている人が圧倒的に多いんですよね。私は今ところ、後頭部あたりが少しうねっているぐらいで、だいたい直毛です。これからうねり出すんでしょうか?今後の発毛に目が離せません。早く、通常のベリーショートくらいになって脱カツラしたいな~。
2008.10.28
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優しい人になりたいと思う。でも本当の優しさって何だろう。優しい人になりたくて、人に優しく接してきたつもり。でも、それってただ単に、いい人と思われたかっただけなのかも知れないと、最近よく思う。自分に自信がないから、せめて優しい人と思われたくて、無意識にそう振る舞っていたような気がする。じゃあ、本当の優しさって何だろう。本当の優しさは、強さなのではないかしら。いろいろな事を経験し、修羅場をたくさんくぐり抜けた上で身につく強さ。人を本当に思いやるには、その人の気持ちを、真に理解することが必要だと思う。その為には、さまざまな経験をすること。そしてそれを自分の中で受け入れる強さが必要なのではないか。人は自分が経験した事には、とても共感できる。自分が受けて嫌だと思った事は、他人にやってはならない事を知っている。だから、いろいろな人の気持ちを理解するには、たくさんの経験が必要と思う。でも辛い経験を受け入れるには、やっぱり強くないと潰されてしまうから、優しくなるには、強さを持たなければいけないんだなと、最近思っている。人生の時間には限りがある。長生きの人だって、百年もすればあの世に行く。だから、それまで精いっぱい、たくさんの経験をつみたいと思う。乳癌になった事も、人生の貴重な体験だったと、明るく振り返る日が来ればいいなと思っている★
2008.10.02
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抗がん剤をやっていた頃から胃腸の調子が悪くて、ずっと胃の痛みや胸やけがあったので、ドクターと相談して、一度胃カメラの検査もしてみましょうという事になっていたのですが、今日がその検査の日だったので、朝から病院に行ってきました。胃カメラは過去に2回やったことがあり、その時2回とも、思ったほど苦しくなかったので、今回も大丈夫だろうと気楽に構えていたのですが、いや~物凄く苦しかったです(>_<)あれって、やる人の技量によって、苦しさの度合いがまったく違うんですね~。名前を呼ばれて内視鏡室に入った途端、やけに若くて可愛い女性が白衣を着て立っていたので、まさかこの研修医バリバリの彼女が検査するのかなぁと、いや~な予感予感はすぐに的中し、にこやかに女医さんは名前を名乗られましたが、私の内心はドキドキです。(やけに若いけど、大丈夫か?)担当者が若いからといって不安に思う事は偏見かも知れませんが、やっぱり経験を積んだ、熟練の腕のある人にやって欲しいと思うのは人情というものでしょう。で、いざ胃カメラ挿入となる訳ですが、喉の一番苦しい所をなかなか越えられず、何度もえずきが込み上げる(>_<)苦しくて、鼻水や涙を流していると、いつの間にか傍に来ていた、中年の白衣の男性が、胃カメラを入れている女医さんに激しく指導している様子。『そこ、もっと右にひねって!』とか言いながら、女医さんの手を取り、後ろから二人羽織り状態ですどうせなら、この人に初めからやって欲しかった…(-_-;)そう思ってしまうのも、また人情ではないでしょうか。 長い時間をかけて、やっと検査が終わり、さて肝心の結果ですが、胃の出口あたりに軽いただれがあるだけで、あとは特に悪いところはないそうです。とりあえず良かった(^0^)朝ごはん無しだったので、非常に腹がへっていたのですが、喉に付いた麻酔が切れるまで飲食禁止との事だったので、近くの駅ビルでお買い物をし、麻酔が切れた頃、いつも行くパスタ屋さんで『きのこと大葉のバター醤油パスタ』を食べ、最後にボディショップで、マッサージオイルを買って帰りました。最近、リンパを取った左側の腕が痛いので、リンパ浮腫にならないように、オイルで入念にマッサージしようと思っています。どうせなら、いい香りも楽しもうと、アロマ入りのやつ(^O^)さっそく今日、使ってみます♪
2008.09.26
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乳癌が発覚した当初、1番気が重かったのは、母親にそれを告げなければならない事でした。私は母が大好きで、母を悲しませる事はなるべくしたくなかったし、母自身も苦労の多い人生で、最近やっと少し楽になってきたところであり、穏やかな生活を送り始めたところだったのに、まるで降って湧いたような娘の乳癌の話しを、私は何と言って切り出せばいいのだろうかと、とても憂鬱でした。いっそこのまま隠し通そうかと思いましたが、主人に反対され『そんな事をして、後で知らされたら、お母さん余計にショック受けるんじゃない?』と言われ、それもそうだなと思い、いざ告白という運びになったのですが、やっぱりなかなか切り出せず、電話だったんですけど、ずっと関係ない話をした後で、やっと実は病気になってと告げる事ができました。それでも、「癌」という言葉を口にするのは、とても勇気が要りました。何故かと言えば、私の父親も癌で亡くなっており、それは私が8歳の時だったので、うちの母は38歳で、いわゆる未亡人になったのでした。それから女手ひとつで、私と姉と妹の三人を育て上げてくれ、娘をみんな嫁に出し、さあ、これから楽しい余生を送れるはずだったのに、娘が癌になってしまったなんて、母はどう思うだろう。しかも、自分の旦那の命を奪った癌という同じ病気だなんて。母にそれを告げるのは、残酷な気がして、本当に嫌でした。でも、思ったほどお母さんは弱くなかったみたいです。電話で乳癌になったと告げた時、初めは絶句していましたが、すぐに入院はいつだとか、手術の時はそっちに行くからとか、現実的な話をしだしたのでした。(母は隣の県に住んでいます)私は少しほっとしましたが、あれも今考えれば、母が気を使ってわざとショックを受けてないふりをしていたのかなぁと思っています。そんな、大好きなお母さんを悲しませない為にも、私がしっかり前向きに生きることが、大事なんだと自分に言い聞かせています。心がネガティブになりそうな時は、いつも、母をはじめとする、支えてくれる大事な人達を想います。癌という病気になってしまったけど、自分はひとりで生きてるんじゃない事を、思い起こさせてくれる機会をもらった事は、悪いことじゃなかったと今は思っています。病気はもちろん嫌な事だけど、そればかりを歎いていても何も始まらないんだと最近気づきました。まだまだ、日によっては、ひどく落ち込んだり、波があるけど、 だんだん心も元気になっていけたらいいなと思います。
2008.09.19
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今まで使っていたウィッグが、結構ボロくなってきたので、新しいのを買ってみました。医療用のかつらは高価で、とても手が出なかったので、前回も今回もネットの通販で、安いのを購入しました。2万円くらいの物ですが、着け心地も悪くないし、見た目にも自然な感じで、結構満足しているのですが、やっぱり耐久性はそれなりのようで、使用してから8カ月ですが、襟足の辺りが傷んで絡まり始めたので、もうひとつ新しいのを購入しようと思い至った訳です。髪もけっこう生えて来ているので、どうしようかなと思ったのですが、地毛デビューするのは、まだだいぶ早い気がするので、安いやつをもう1個と思い購入してみました。はじめに買ったのがストレートだったので、2個目は巻髪のロングにしてみました(^.^)乳癌になってからは、もう外見のことなんか、どうでもよくなってしまって、副作用でしんどいのに、お洒落なんかしてられるか、と思っていたのですが、その考えを最近改めまして、乳癌になってしまったけど、お洒落したり、生活を楽しんでもいいんだよなと思いまして、いろいろやってみる事にしました。気持ちが前向きになってきたのかな、と思います。もちろん、まだ治療中だし(ホルモン療法5年の予定)副作用もありますが、できる範囲でやれる事をやってみたいと思います。何と言うか、今までは抗がん剤で体がきついせいもあるのか、とにかく気力が湧かず、再発したらどうしようとか、そんな事ばかり考えがちで、後ろ向きだったなぁと、反省しまして、とりあえずネガティブな考えは横に置いといて、まずは毎日楽しく過ごす努力をしてみようと思っています。自分がその気になれば、楽しい事は日常に、案外たくさん転がっているもんだと、最近気がつきました。もっと早く気付けばよかった(^_^;)今は、仕事を見つけて働こうかと思案中です。病気になって初めて知った、働けることの喜びですね。(あと、医療費が嵩んで家計がシャレにならない状況になってきたのも理由ですが)少しずつ、もとに戻っていけたらなと思います。
2008.09.13
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タキソテール9回のうち、半分くらい行った頃でしょうか、だんだん手足の指がしびれ始め、爪が変色していきました。それに伴って、指先が痛くなりだし、最終的にはシャツのボタンも留められない状態に。あれは不便だったなぁ。指先というより、爪が痛い感じでした。今も手の爪は、変な色の部分がかなり残っています。その下から、正常な爪が生えてきて、きっちり二層に分かれています、今現在の私の爪。でも、指先の痛みもさることながら、私がタキソテールで1番辛かったのは何と言っても味覚障害でした(>_<)もう、食べ物の味がほとんど分からなかった口の中も、なんだかザラザラするし、舌先はしびれて感覚がなかったです。試しに醤油を舐めてみたのですが、何の味もしなかったです。(その時は、さすがにびっくりして、思わず笑ってしまいました)お味噌汁やラーメンの汁を飲んでみても、まるでお湯を飲んでるみたいでした。私はこの味覚障害が辛くて辛くて(^_^;)なにしろ食べる事が大好きで、美味しい物を食べてる時が1番幸せな人間だったもんですから…。嗅覚は普通だったので、美味しそうな匂いはぷんぷんしてるのです。美味しそうだな、いただきますって食べた瞬間、口の中に広がるべき味がまったく広がらない、あの虚しい感じと言ったら…(泣)私はこれが本当に辛かったので、何とかして、少しでも美味しく食べられる物はないかと、色々と行錯誤してみました。チェックリストを作り、その時食べた物を三段階に評価して書き込んで、食生活の参考にしていました。(ほとんどの物が最低ランクでしたが)いま考えるとどんだけ必死なんだよ?って感じで笑えますが、当時は真剣でした。分析してみると、全部まるっきり味を感じない訳ではなく、何となく分かる物もある。特に酸味はよく分かる事が判明し、しばらくはずっと酸っぱい物ばかり食べていました。(冷し中華とか酢豚とか、酸っぱくて、なおかつ味が濃い物の方が私にはよかったみたいです)飲み物も、色々試してみたのですが、何を飲んでも美味しくなく、唯一飲めたのが紅茶だったので、ずっと午後の紅茶のストレートを愛飲していました。味覚障害の事を医師にも相談してみましたが『おそらく劇的に改善される事はないと思いますが』という注釈付きで、プロマックという亜鉛を補給する薬を処方してくれました。本来は胃薬らしいのですが、味覚障害には亜鉛が有効な事があるので、この薬を処方しているそうです。効果のほどは、なんとも言えませんが、少なくとも私には良く効いたとは思えませんでした。味覚障害は、私にとっては辛い副作用でしたが、まあ、普通の人だったら、きっとここまで辛く感じないと思われます。あくまで、食い意地の張った私ならではかと思います。(^_^;)(こんな事で辛いとか言ってたら、頭頚部の放射線治療や何かで、味覚を完全に失ってしまった方に笑われますね)あと、目立った副作用は、私の場合、鼻血がよく出てました。鼻の中も乾燥した感じでした。ちょっと強めに鼻をかむとすぐに出血しました。ほぼ毎日、鼻血は出てましたね。上記が私の体験した症状ですが、副作用は強さも出かたも千差万別だなと思った事があって、患者会で知り合いになった方は、私と同じ薬をやっていましたが、味覚障害はまるでなく、ひたすら体の浮腫に悩まされていましたよ。私は浮腫は全然出なかったんですけどね。という訳で、一応ここまでが副作用の日記になります。また、何か思い出したら書きたいと思います。そして次回からは、リアルタイムの普通の日記を書こうと思います。
2008.09.04
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タキソールという薬は、アルコールに溶かしてあるそうです。だからなのか解りませんが、これを点滴するとめちゃくちゃ眠くなりました。しばらく点滴室のベッドから起き上がれない位でした。半分酔っ払ったような感じです。私はアルコールがまったく飲めないので、余計にそのような症状が出たのかも知れません。FECとは違い、この薬は吐き気がほとんどありませんでした。調べると、主な副作用は手足のしびれ、浮腫、関節痛や筋肉痛、それとやはり脱毛があるもよう。脱毛はFECで頭がツルツルになっていたので、もう関係ないと思いきや、そうでもなく、このタキサン系の薬のおかげで、半分くらいは残っていた眉毛とまつげが、きれいさっぱり抜け落ちてしまいました。とほほ…。まつげがないと、何となく締まらない顔になるので、外出する時は、一生懸命アイラインと眉毛を描いて出掛けていました。抗がん剤が終わってちょうど一ヶ月なんですが、最近やっと眉毛とまつげが生えてきました(^O^)まつげがないと、目の中に入るゴミのせいなのか、すぐ涙が出てしまい、なんだかずっと、涙ぐんでるみたいな感じでしたよ(^_^;)常にうるうるしてるみたいな。治療は比較的順調に進んでいた方だと思うのですが、タキソールをやり始めてすぐ、問題が起きました。血液検査の肝臓の数値が悪くなってしまったのでした。とりあえず一週間点滴を休んで様子を見ましょうという事になり、それで戻れば、やはりこれは薬の副作用による肝臓障害であり、抗がん剤ができるレベルまで回復しなければ、このタキソールは断念しなければならないそうです。一週間後の採血で、数値はやや戻っていたのですが、抗がん剤ができるレベルまでは回復しておらず、とりあえずもう一週間様子をみました。次の週は点滴できましたが、それによって、更に肝臓の数値が悪化してしまい、結局タキソールは合わないのでやめる事になりました。アルコールが駄目なことが、今回の肝臓障害と関係あるのかと思い、医師に質問してみたのですが、おそらくそうではなく、なんらかのアレルギーが原因ではないかとの事でした。さて、次の治療をどうするかという話になるのですが、試しに同じタキサン系の薬でタキソテールをやってみることになりました。タキソールと構造が微妙に違うので、もしかすると大丈夫かもしれないとの事でした。これがバッチリ当たり、タキソテールでは肝臓の数値はまったく正常のままだったので、残り9回をタキソテールで行く事になりました。なので、ここからはタキソールではなく、タキソテールの副作用になります。FECほど顕著な副作用は、私は出ませんでしたが、地味ながら嫌な副作用は、やはりありましたので、それについてもまた書こうと思います。
2008.09.02
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FECも3回、4回と回を重ねるごとに、吐き気はだんだん強くなっていきました。特に点滴から三日間くらいは何度も嘔吐していました。匂いに凄く敏感で、ご飯の炊ける匂いや、冷蔵庫を開けた時の匂いが特にダメで、家族の人に冷蔵庫を開ける時は事前に言ってもらい、その都度、違う部屋に避難していました最後の方は点滴を受けに化学療法室に入っただけで、嘔吐感が込み上げてくる位になっていました。予期的嘔吐というらしく、精神的なものが原因らしいです(>_<)FECが終わった時はとてもホッとしました。点滴をしている右腕も、血管が黒く潰れて、腕を伸ばすと痛みが走ります。静脈炎と言うものらしく、抗がん剤が血管にダメージを与え、静脈が萎縮して硬くなった状態です。私は血管がわかりにくく、点滴を刺せる所があまりないので、一発で入る事の方が少なく、たいてい2回くらいは毎回刺されていましたよもう慣れたけど。でも、FECが終わったあとも、タキソールを週1回、合計12回もやる事になっていたので、副作用より、むしろ右腕の血管がそれまで刺す所が残っているかが心配でした。FECで4回刺しただけでこの有様なのに、あと12回もはたして出来るのかしら?と不安でした。この心配は現実のものとなり、12回のうち、最後の4回くらいは、どうやっても右腕から入らず(最高8ヶ所くらい刺されました(T_T))最終的にはリンパを取ってる左腕に刺しましたが、これは誰が悪い訳でもなく、強いて言えばそんな血管を持った自分のせいなので、どうしようもないですね~。リンパを取った方の腕でも、針を刺した周辺の感染に注意すれば問題ないらしいですよ。念の為、私は針を刺した跡に絆創膏はってましたけど。点滴室の看護師さんに聞いたのですが、血管を太くするには雑巾絞りをするのが良いらしいですよ。ギュっと絞るあの動作が血管を浮き上がりやすくするのでしょうか?そんなこんなで、次回はタキソールの副作用について書こうと思います。
2008.08.26
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初めての抗がん剤を打ったあと、ほぼ一週間くらいは吐き気が強くフラフラしていましたが、それを過ぎると少し楽になりました。でもやっぱり、少し動くとすぐ疲れてしまうのと、胸の辺りが苦しく、動悸がする感じは相変わらずでした。吐き気が落ち着いてきたのが救いでした。点滴から2週間目くらいが、1番白血球が下がる時なので、その時に採血して数値を確認したいそうで、その日に病院に行きました。白血球の数値は1400になっており、健康な人なら6000~7000位ないといけないそうで、結構下がっていてビックリしました。自覚症状ゼロですから(^_^;)そんなに抵抗力が落ちていたら、ちょっと風邪ひいただけでも、大変な事になるのでは?と思い、マスクを二重にして病院内を歩いてました。(いや、二重にしても息苦しいだけで、あんまり意味ない気もしますが、気持ちの問題で)インフルエンザとか流行ってる時期だったので、それが怖かったです。白血球は点滴の日には3500まで復活していたので、一週間でそんなに回復するのも驚きでした。あと、その頃になると毛が抜け始めました。髪をつかむとゴッソリ抜けます。普通にしていてもハラハラ抜けるし、寝てる時も抜けるので、朝起きると枕に大量の髪の毛が付着しています。いつもコロコロでとってました。あと、なるべく下に落とさないようにと、ニットの帽子をかぶって生活していました。髪が抜け始めると、頭皮が痛がゆいんですよね(ーー;)だいたい抜けちゃえば落ち着くんですが。私の場合、髪の量が多いのもあって、なかなか全部抜け切らなくて、いつまで抜け続けるんだこれは、と半ばうんざりする頃、やっと止まりました。(いくら引っ張っても抜けなくなった)頭は見事なまだらハゲでしたが(^_^;)落ち武者みたいで不気味だったので、ハサミで短くカットして、剃刀で全部剃っちゃいました。完璧なスキンヘッドです。瀬戸内寂聴みたいでした(゚o゚)脱毛は精神的にはへこみますが、肉体的にはどうと言う事もないので、まあ一時的なものと割り切って、前向きに考えられるのですが、実際に体にくる副作用は、不愉快な症状がつきまとうので、そう簡単にはゆきません。抗がん剤をやっている間ずっと、消化器系が不調で、胃の痛み、便秘と下痢の繰り返しで、ずっと整腸剤のお世話になっていました。あとこれは消化器ではないですが、なぜか強烈な痔になってしまいました!トイレのたびに大量出血です(>_<)変な話、便秘の時は便が硬くて痛いし、下痢の時はしみるように痛いので、どっちにしろ、とにかく痛いのです!思わず診察の時に担当医に相談したら、その場で診てくれて(若い先生だったので、ちと気まずかったけど)出血の跡はあるけど、痔そのものはそんなにたいした事ないらしく、そのあと山ほどボラギノールを出されて終わりでした。副作用だから仕方ないって事でしょうか。それにしても、こんな粘膜までやられるとは、抗がん剤恐るべしですね!副作用の日々はまだ続きます。(^_^)
2008.08.22
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FEC一回目を受けた後、家に帰っても特に、体調の変化はありませんでした。点滴したらすぐに、気分が悪くなるのかとビクビクしていたのですが、そうでもなかったので、ホッとしたと言うか、拍子抜けしたと言うか。思っていた程、大変じゃないのかもと、安心しかけていたのですが、夕飯を食べてお風呂に入り、寝ようかなと思った頃、あれ?なんか気持ち悪い?と思い始め、その後どんどん気分が悪くなり、嘔吐するほどではないのですが、常に胸がムカムカする感じで、ずっと気分が悪い状態でした。病院で処方された吐き気止め(ゾフランという、水なしで飲める薬)を服用してみたのですが、劇的に改善されることもなく、気分は悪いまま、なんとか眠りについた感じでした。翌日も、気分の悪さは変わらずでしたが、吐いたり、起き上がれないほどの重症でもなかったので、まあ、まだ軽い方なのかなと思っていました。ただ、倦怠感というか、ちょっと動き回っただけで、心臓がばくばくする感じで、疲れやすく、やっぱり体はすごくダメージを受けてるんだなと思いました。特に動悸はひどくて、胸が苦しい感じが強かった。あと、最初の頃に出た副作用としては、歯の不快感がありました。歯の治療は、抗がん剤の前に済ませておいて下さいと化学療法の本にも書いてあるのですが、歯の痛みと副作用というのが、あまりピンとこなかった為か、それほど重く受けとめず、治療しなければならない虫歯があったのですが、そのままにして抗がん剤に突入してしまいましたそしたら、普段は痛くないはずの、その歯が急に痛みだしたのですよ!でも、抗がん剤をやっている間は、歯の治療はできないそうで(白血球が下がるので、感染の危険や血が止まりにくい等の症状がある為)歯は痛いけど、治療はできない状態で、自分の詰めの甘さを呪いました。でも、ありがたい事に、この歯痛は2、3日で治まってくれ事なきを得たのですが。歯だけではなく、口の中が全体的に変で、粘膜がやられているのか、口の内全部がざらざらする感じでした。歯ぐきからも頻繁に出血していました。普通の歯ブラシだと、すぐに血が出るので、毛の細い、一番柔らかい歯ブラシで、そっと磨いていました。この後も、小さな副作用はたくさん出てくるので、次回またその事を書こうと思います。
2008.08.21
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私が初めに受けた抗がん剤は、FECという3種類の薬を混ぜたやり方で、術後化学療法の第1選択としたら、割とスタンダードなもののようです。3週間おきに1回点滴で1クール、それを4クールやる予定なので、FECだけで2ヶ月以上かかる計算で、体調不良などで点滴が延期になれば更に延びる。そして、その後にも違う種類の抗がん剤が待っているだなんて、かなりウンザリでした。でも、やらない訳にはいかないし、やれる事は全部やるべきだとも思うので、とにかく副作用の事を、本やネットで懸命に調べました。まず、脱毛は避けられないらしい事、吐き気や怠さがある事、白血球が下がって抵抗力が落ちるなどが書かれてあり、抗がん剤について、何も知識を持ち合わせていなかった私は、同病者のブログを読む事は、とても役に立ったし、ひとりじゃないと思えたし、予備知識を持つ事で、治療に対する不安をだいぶ少なくして抗がん剤に臨めたと思うのです。医師に聞く事を躊躇するような小さな体の不調も、闘病者のナマの声を読む事で、『こんな事も副作用なんだ、こんな事もあるんだ』と納得したり。だから、この日記も、そんな風に少しでも役に立ってくれたらいいなと思っています。(僭越ながら)なんだか前置きが、長くなってしまいましたが、以下から副作用体験を綴ります。抗がん剤は、外来の点滴で受けられました。化学療法室という、抗がん剤治療を受ける人専門の部屋があり、ベッドとリクライニングチェアーが20台弱、並んでいます。ひとつひとつにテレビがついており、部屋には静かなクラシック音楽が流れており、まるでどこかサロンのよう。陰欝な雰囲気はみじんもありません。真ん中あたりのベッドに横になり、点滴が出来てくるのをぼけっとしながら待っていました。ベッドごとにカーテンで仕切られているので、他にどんな患者さんがいるのか見えませんでしたが、声の雰囲気から、割りと若い女性もいる感じでした。同じ病気かなと思い、知り合いになりたいな、と思いましたが、いきなり声をかけるのも失礼かなと思い、結局何も言えないまま、第1回目の点滴が始まりました。まずは吐き気を押さえる薬を投与され、生食液と共に2時間かけて、順番に抗がん剤が投与されていくそうです。特に気分が悪くなる事もなく、点滴は順調に進みましたが、途中から『赤い薬』が入りはじめた途端、なにやら腕がピリピリし始め、明らかに血管が痛くなってきました。もしや、薬が漏れたのでは?と思い、看護師さんを呼んで『腕が痛いんですが』と言うと、針が刺さっている所を丹念に確認してくれ、漏れてないと思うけど、この薬(赤いやつ)には血管収縮性があるので、痛くなったり、しみたりする人がいるとのことでした。私は人より血管が細いらしく、しかもあまり刺す所もないみたいで、この薬のせいで、数少ない血管がどんどんダメージを受けるんじゃないかと、少し憂鬱になった瞬間でした。抗がん剤の副作用(2)へ続きます(^_^;)
2008.08.16
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手術をした日の夜は、回復室というナースステーションの横の部屋に泊まりましたが、翌朝にはすぐ、一般病棟に戻りました。(しかも普通に歩いて移った)でも、腕には点滴が刺さっており、(抗生剤?)、術側の脇の下からは排液用のドレーンがぶら下がっている状態でした。このドレーンパックに排液(血の混じったリンパ液等)が溜まらなくなれば、管を抜いて退院できるとの事でした。創の痛みは、それほど感じませんでしたが、脇の下がひきつれたような不快感と、時々、電気が走るような感覚があって、なんとも嫌な感じ。しかも、傷の近くの脇の下を触っても、何も感触がありません(触られている感じがしない)手術によって、どうしても神経を切ってしまうので、この症状は数カ月単位でないと治らないと医師から言われましたが、半年以上経った今も、脇の下の感覚は鈍いままです。(もしかしたら、完全に戻る事はないのかも知れません(>_<))キズの痛みは思ったほどないが、左腕は全く上がりません。リハビリは手術の翌日からすぐ始まりました。リハビリ室のベッドに仰向けで寝て、腕を上げたり、水平に開いたりの繰り返し。地味だけど、これを怠ると、術側の腕が上がらなくなると本で読んだので、一生懸命とり組みました。入院5日目に排液バックが外され、6日目に退院となりましたが、左腕は胸の高さくらいまでしか上がらず、しばらくリハビリに通うはめになりました。病理検査が出たのは、術後3週間くらいしてからでした。ガンの大きさは、8×5センチ。(ただし、浸潤していたのは0.8×1.5センチくらい)乳管の中に、広範囲に広がっていたらしい。リンパ節はレベル2まで取ったが、結局転移していたのは、センチネルの1コだけだった。リンパ管(+)血管(-)核異形度 3ホルモンはエストロゲン(-) プロゲステロン(+)HER2は0ホルモン感受性が低いのと、リンパ節転移陽性、年齢が若い事を考えて、術後補助療法は抗がん剤と決定。FECを4サイクル、タキサン系をウイクリーで12回やる事になりました。次回は、その抗がん剤の副作用について書きたいと思います。
2008.08.15
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乳ガン確定後、ベッドが空き次第入院という事になりました。CTの所見では、おそらくリンパ節などへの転移はないだろうとの事でしたが、MRIを見ると乳房全体にガンが広がっている可能性があり、どこまで浸潤しているか分からないが、全摘は免れないとの事でした。選択の余地はなかったので、いっそサバサバした気持ちでした。思ったほど全摘に対するショックがなかったのは、自分でも不思議だなと思います。(おっぱいが片方なくなっても、私は私なのだから、と自分に言い聞かせていた部分もあったかと思いますが)いよいよ手術の前日に、医師から説明がありました。『リンパの転移は、CTを見た限りないと思いますが、センチネルリンパ節を行います』とのこと。乳ガンが1番はじめに転移すると思われる脇の下のリンパ節を、手術中に調べ、そこに転移がなければリンパの郭清はしない。転移があれば、郭清術にきり替えるという術式だそうです。私はそれを聞いて、急に不安になってしまいました。もし、転移があったらリンパ節も取るんだ。『転移』という事をリアルに意識した1番はじめの瞬間であったと思います。その後、手術は順調に進みました。ありがたい事に、他県からわざわざ、姉と妹も駆けつけてくれました。麻酔から醒めた時、まず主人の顔が近くにあり、ほっとしたと同時に、思わずたずねていました。『リンパも切った?』脇の下への転移が、とても気になっていたのです。主人は努めて表情を変えずに『うん』とうなずきました。そうか、転移してたんだ。麻酔でぼーっとする頭で、その事だけは理解していました。(転移してないと思っていたのに、どうして!?と思いながら、また眠りに落ちたのを憶えています)そしてその後、乳ガンの本当の戦いは、手術の後にやってくるのだという事を、私はまだ知らなかった。そのスタートラインに、その時立っていたのだと思います。回想はまだ続き、次回は術後のリハビリと、今後の治療方針などについて書きたいと思います。
2008.08.12
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前回の続きとして、発病当初を回想してみます総合病院で受けた細胞診の結果を聞くため、私は1週間後また病院に行った。一人では心細いだろうと、主人の母(姑さん)が付いてきてくれた。この義母は、私にはもったいない位、よく出来た人でいつも良くしてくれる。待合室に義母を残して、診察室には一人で入った。若いドクターは、ちょっと気の毒そうな顔で『細胞診の結果はクラス4でした』と言った。クラス4と言えば、ほぼ悪性という事だ。頭が真っ白になった。これって夢なんじゃないのと思っていた。マンモの画像も見せてくれ、左の乳房全体に砂を撒いたような石灰化の跡が広がっており、素人目に見ても明らかに異常とわかる映像だった。その後、ガンを確定させるため、細胞診の時より太い針で組織をとって調べるらしい。麻酔をしたから痛みはあまり感じなかったが、胸のシコリがあまりに硬く、針がなかなか入らなかった医者も、針が折れそうと呟いていた。(恐ろしいからそんな事言わないでくれ)悪戦苦闘で組織を取りおえたドクターは『この硬さは悪性で間違いないと思います』と言った。組織診断の結果を待たずして、私はダメを押されたのでした。本当にがっかりしました。次回は各種検査の結果と、その後すぐ行った手術の事などを書こうと思います。
2008.08.11
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今日からこのブログを始めました。(^0^)/ちょっとドキドキしながら書き始めたいと思います。2007年11月、左胸に違和感を感じた私は(具体的に言うと、乳頭から極微量の出血があったのです)まさか、乳癌じゃないよな~と半分おそれながら、でも心のどこかで、自分がガンなんてなる訳ないと楽観的に思いつつ、地元の総合病院に行ったのです。名前が呼ばれ、触診を始めたドクターは意外なことを言いました。『しこりが有りますね』それを聞いて私はビックリしました。胸から出血した時点で、もしかして乳癌かもと思い、左の胸を丹念に触ってみたのです。テレビで見た自己検診の通り、仰向けになって、腕を上げ、丁寧に丁寧にやってみたのに、ついにシコリらしきものは触れなかった。だから病院に来た時点では、自覚症状は乳頭からの微量の出血、それだけだったからです。それが急転直下、シコリがあるらしいと!慌てる私を尻目に、ドクターは淡々と、エコーとマンモと細胞診をこなし、検査結果が出るのは1週間後だと告げた。展開の早さに付いて行けなかった私は、ただ茫然と立ち尽くしてるばかりでした。長くなっちゃったので、続きはまた次回に書きますね(^_^)
2008.08.10
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