全781件 (781件中 1-50件目)
ほったらかしのBlogなんですが、毎日コンスタントに人々が訪れているようで驚きしまた。自分にとってはすっかり過去のものだと思ってたんだけどね。でも、そろそろ、「プロメテウスの花」実体験を書かなくてはと思っている。プロジェクトが進行しているので、ゆっくり、急いで。(笑)
2014年07月13日
コメント(1)
もはや、津波と原発こそが歴史の証人となっている。いつまで戦後戦中の投稿を掲載するのか。おそらくは彼らが批判している公務員よりも彼らは馬鹿だ。今、歴史は起こっている。そして数々のできごとがわきあがっている。新聞とは歴史の証人であるべきた。なんで、証人たちの声がなくて 「戦時中はこうでした」なんだ?問題は今なんだ。そして、今を報道しないでどうするんだ。今の声をひろいあげず、なんで第二次世界大戦の声なんだ。担当者、ぶんぐってやるから福島に来い!
2011年10月19日
コメント(0)
福島市に職場があり、かつてうつ病を経験した俺なのだが最近また、頭が重くなってきた。たしかに昼休みのあと、以前に経験した体調の不良があらわれる。そこで、自分の一日をふりかえってみた。テレビはほとんど見ない。新聞は有力紙と痴呆新聞には必ず目をとおしている。そして、昼には。朝日新聞を読んでいる。*問題はそこからはじまる。朝日新聞を読んだあとは必ずといっていいほど頭が重くなる。たしかに、広告に「うつ病を治すのは・・しかいない」なんて本が天声人語の下にある。もしかすると、うつ病を発信しているのは朝日新聞の記事で、それをネタに広告があつまっているのかもしれない。それほどまでに、朝日新聞の記事は絶望ばかりを語っている。不幸の告知で発行部数をのばしたいのだろうが、不幸ばかりがネタになり、読んだあとは、「ああ。明るい未来はないよな。」という気分になる。*だから、明日からは朝日新聞を読むのはやめることにした。ネットでも読まないように、gooははずそう。ただし、月曜日の短歌だけは詠むことにする。みんな、朝日ネクラ記事を読むのをやめよう。そうすればうつ病患者が減るし日本経済はよくなる。そいでかわりに何を読むって。やっぱ2chなんだよなっ。
2011年10月04日
コメント(0)
福島県伊達市の合併5周年記念式典に行ってきた。なぜなら、その実行委員なので。小学2年生の女の子が作文を読んだ。金婚式についておかあさんから教わった。わたしも金婚式を迎えたいです。子どもは3人ほしいです。*そのあと、「ふるさと」を会場一同で合唱した。「こころざしを はたして いつのひにか かえらん 」その次は知っているね。青き山、清き水からストロンチウムが検出された。本当はもっと前から周知の事実であったはずだ。今頃になってなぜストロンチウムが報道されるのだ。マスコミは政府がらみの企業から広告費っていうカネをもらっているんだろ。だからいまごろになるんだ。こころざしをはたして、かえるところにストロンチウムがあるとなぜもっと早くに開示しなかったのか。山は青きふるさと、水はきよきふるさとにストロンチウムが降っていると。なぜいまごろになって言うのか。実はこれってマスコミの存亡がかかっている問題だよ。伸介とヤクザ。マスコミと政府。あのなぁ。だめなもんは、だめなんだよ。マスコミに報道規制がかかっているのは当然知っている。でも、な。元素周期表が読めるならば「市」のように言うんだ。「どーってこたぁねぇ。。どーってこたぁ。」または、綾瀬みたいに言う。「切っちまうよ。見えないんだからさぁ。」おれは20110311のあと現場で走り回っていた。今頃になって涙が出てくる。幼少の伊達政宗が仁王を見てかくありたいと願ったように。観音像を見てかくありたい。現場とはそのようなものである。
2011年10月03日
コメント(0)
すなわち腐海とともに生きるってこと。勤務している学校の理事が飯舘村の村長なのです。NHKをはじめとするマスコミや国会議員たちとの対話を見ていると全く立派なものです。世界中で原爆や水爆実験をしている時代に私の世代は生まれ育ちました。なので、今、話題になっている放射線量なんておそらくはその時代から比べればかなり少ないと考えています。それと、今、福島は地下鉱山のカナリアになりました。すなわち、福島の原発がダメになったら、GEをはじめとするフランスのみならず原発でメシを食っている世界企業が総崩れになるということです。ですからアメリカの軍艦を使ってでも揺らぎつつも収束させなければならない。それが原発が通電したことを受けて彼らが出した結論でしょう。*神は乗り越えられない試練は与えない・・なんて嘘だった。津波のあとを見るとそう思うんだよ。。。ナウシカ。
2011年04月01日
コメント(0)
腐海、そして病とともに生きる。それがナウシカのメッセージだ。そして、ナウシカは破壊神としてシステムを破壊する道を選んだ。なぜなら、命とは闇にまたたく光であるからだ。*手元にガイガーカウンターと電磁波測定器がある。だから、ナウシカが破壊しようとしているそのところからもたらされるものについての不安はない。ナウシカ、破壊神よ。欺瞞と偽善と嘘のでつくりあげた、豚を飼育いている楼閣のすべてを破壊するがいい。絶対安全の責任を追及すべきだ。ところで、福島市の生協では大量の水のペットボトルがあるが購入する人はいない。笑えよ。そして、昨日は学校説明会で、被害における授業料免除制度の話をした。個別相談をしたのは、たった三十人だった。これ。都市の連中、ボランティアごっこの支援に来るな。なぜなら、それだけガソリンが少なくなるからだ。そして、宅配事業会社は、福島県は広いのだから、配達地域を郵便番号による仕分けをしなさい。特に、クロネコヤマト、福島県のゾーではなく郵便番号による区分を明確にしないと、楽天の売り上げはダウンしちゃうぞ!!それだけじゃない。クロネコがその程度のことに怯えていたら、この国は破滅する。立てよ。帯を締めよ。そして、被災者の前線へ向えよ!明日、また、クロネコに電話するからな。全部録音して公開するぞ。
2011年03月26日
コメント(1)
川俣町のレベルは、官僚に被害が届くレベルであると訂正しろ。放射能とは放射線を発する物質である。すなわち、岩盤を熱すれば放射線は高くなる。空から落ちてきた放射能物質のみが放射線の原因ではない。おれからパクている朝日新聞はここいらきちんと説明しなさい。つまり、地下で鉱物に振動や熱が加わったら、放射線物質、すなわち放射能は高まる。だから、地下の岩盤の組成によって検出が異なるのはあたりまえ。原発事故が原因とはいいきれない。地震と地殻変動によっても放射線は異なるはずた。NHKはサイエンスゼロをもちっと視聴しろよな。なんつったって、ヨメ候補一位のやすめぐみがいるんだから・・爆
2011年03月19日
コメント(0)
地方自治体は東京電力の歴代役員たちの個人財産の差し押さえをしなくちゃいけないね。いまさら、存じませんなんていえないだろ。協議していそげ。競売にすれば命が助かる。
2011年03月19日
コメント(0)
自治体有志の会の人たちがおらっちのBlogを通過しているから言うよ。まず、自治体は東京電力に損害賠償請求をしよう。鉄道会社もだよ。それだけじゃなくて農協も製造業もだ。すると・・どうなるか。結論は簡単だ。*弁護士の皆さん、福島県に集結しよう!
2011年03月19日
コメント(0)
こっち福島県で、妻の同僚があちらこちらを転々としているらしい。教師だから、児童たちといっしょにだよ。そして、原発の放射能から逃げるためとメールが来た。だから、妻にメールをさせた。「はじめ、政府で発表した放射線の数値に驚いたが、後で単位を間違えたことがわかり、温泉地程度の値なので安心している。昨日は浪江町から避難してきた人でこの町にアパートを借りた人とであったので、古いけれど住宅地図をあげた。あとはガソリンさえ来れば以前とまったく変わらない日常生活になるので安心して下さい。」部屋を片付けながら気づいたのでもうひとつ。「福島県内の生活情報はラジオ福島のツイッターが一番詳しいからフォローしてみて。それとラジオ福島はユーストリームでも聴くことができる。」嘘つきの東京電力と風評被害には困ったもんだよ。以前にいた会社のビルの隣が東芝の福島支社で、何かあるたびにえらそーな人たちがきてたっけ。丸投げのピンハネ体質だよ。たぶん現場にいたのはひ孫会社の子(やしゃご)会社ぐらいの人だろ。*ったく、松本防災相をどなりつけた福島県知事でなくとも怒鳴りつけたい。東京電力の社長、福島に来い!
2011年03月19日
コメント(0)
一年なくとも困らん。従事者はボランティアへ。
2011年03月18日
コメント(0)
NHKを筆頭になんでマスコミは不安ばかり放送するんだろうねぇ。こっちから放送してやるよ。「どーってことない!」原発地域から来た非難民を受け入れているところではこまめにツイッターで要望をアナウンスして要望に対して物資は集まっている。問題はガソリンと電気だけだ。まさか、野球とかパチンコとかゲーセンするんじゃないだろな・・。そんな電気があったら東北に回せ。政府は半年ぐらいパチンコと野球と大相撲とゲーセンの営業を中止する政令だしたっていい。国民はなんにも困らないし経営者のほとんどは半年ぐらい困らないだろ。従業員は東北にボランティアに来ればいい。特にNHK!!おめら、不安をあおる報道はするな。こっちは元気だ。それと、学校にあるガイガーカウンターで測定しても通常値と大してかわらない。マスコミ各社もそうだ。不安を売り物にするな。*うちの町内では、大手系スーパーがのきなみシャッターを閉める中、昔ながらの小売店は店をあけている。そんなもんだよ。そして、そのような小売店には近隣の農家から野菜が届けられる。だから、なにも、なにも、なぁんにも困っていない。困っているのはカネの亡者たけだ。でも安心していいよ。もうすぐ、カネが回る。震災バブルが始まるぞ。
2011年03月18日
コメント(0)
家族は全員無事確認。家の中はごちゃごちゃだが、建物に大きな損壊はなし。ただし、塀には大きな亀裂。ライフラインは水を除きだいじょうぶ。やかんに水は確保してある。
2011年03月12日
コメント(1)
通勤途上に岩盤浴を営業しているところがあって、金額が500円3時間になってから、ずっと気になっていたのですよ。そいで、先月のとある日曜日に意を決して行ってみた。お店の人がついているわけでもなく客もいない。当然お湯の風呂なんだろうなと思って、裸になって入ったら、なんぢゃこりゃっ!単に石があり、熱いだけ。それに薄暗いし、ミストのせいか肌がべとつくし、気分悪いなぁと思いつつ、でも500円払ったんだから、我が身体になにが起こるのか観察することにした。30分あたりから汗がだらだらと流れはじめ、45~60分もたつとタオルで岩盤とマイボディーを拭いても拭いても汗が出る。そのまま寝転がったり起きたりしてとうとう90分、ものすごい汗がどばーーーっと出たので、もう、ダメッ。オシマイヨ。その後、シャワー浴びながら「変なとこだなぁ。二度と来るか!」と思いつつ外に出たのでありました。*それから数日後、近所の温泉をネット地図で捜していてなにげに家から車で5分の場所にある温泉をクリックしたら、あれ。ここにも岩盤浴が・・。説明があるので読んでみたら、「岩の上にタオルを敷いてガウンを着て、まずおなかから暖めます」とあった。そうか、岩盤浴はハダカで入るものではないのか。どうりでべとべとして気分が悪かったわけだ・・と、先日のデキゴトに半分だけガッテンしたのです。そして、確かに岩盤浴にあたってからなぜか肩が軽くなったので、そこに電話してみた。「あのぅ~。ガンバンヨクってなんですか?」質問に対して電話の向こうから機関銃のようにダダダダーーと効果と入り方の説明があり、最後に「今、キャンペーン中で800円のところ500円にしていますとにかくきてみませんか。」とのこと。・・・ならば行ってみっか。そこは温泉施設と一緒のところで温泉2時間730円、その時間内に岩盤浴(+500円)を利用して下さいとのことであった。石が波動石とかラジウム石など数種類あり、とりあえずチベットの大理石を選んだ。まずは温泉に10分、サウナに5分入って十分に発汗態勢になったあと、「ガウンを着て(クスッ)」、岩盤浴のとこに行ったら、チベット産の大理石の上に「タオルが敷いてあった(クスクスッ)」。そして飲み水を渡されて、はじまりはじまりっ!前回とは全然違うぞ・・と思ったのは汗の質。前回は、なんかベトベトな汗がダラダラ出てくる感じだったのねっ。とこが今回は、はじめから水のような汗が体の芯からしゅわーーっと湧いてくる感じなのっ。私は内なるワタクシに語りかけるのでありました。「シンジ君、こ、これは・・これだったんだ、シンジ君。」時折、外に出て休み、また入って横になり、岩盤の上で「目を薄く閉じて輝く空気を静かに鼻から吸い、体のどろどろが足の裏から出て行くのをイメージして静かに口から息を吐く」呼吸法をしつついくつかヨガのポーズを決めるとあっと言う間の90分、長距離走を走ったような、なんだこの爽快感!結局120分をぎりぎりの115分まで使いきり、カイカンと共に外へ出た。もしかして。と思い、その後マッサージを受けて家に帰り、血圧を測定した。・・なぬっ。上が107で下が63?この2年ほど悩まされていた血圧はなんだったんだ。ふと気がつけば、最近気になりはじめた耳鳴りがぜんぜんしない。*中島美嘉がコンサート等の活動を休止するときの病状を読んだとき、「あ、これと同じだ」と思った。病名は耳管開放症。ある耳鼻科医自身も耳管開放症なのでその症状を携帯サイトに書いているけど、スポーツをして体が熱くなり筋肉がほごれると、自分の呼吸や話し声がボワンボワンと耳に響きだすのね。それゆえ、おもいっきりスポーツをして汗をかいて筋肉をほごすのが怖くて、体が悪循環の中にあったわけ。そして、その耳鼻科医自身、学生のときはラグビー部だったので、「前かがみになったり、しゃがむと楽になる」と書いている。重力と関係があるんだ。そんなおいらのような奴が横になって「有酸素運動ができる」それが岩盤浴だったんだよシンジ君。ネットを調べると「汗の専門医」という人が岩盤浴の本を出している。そのページには「匂わないサラサラ汗」とか「熱ショックによる免疫力アップ」など、某石鹸広告やトクホやキワモノサプリの新聞一面広告などが真っ青になる項目が並んでいるではありませんか。更に、老人介護施設に岩盤浴を設置するところが出てきているらしい。そうなんだよ。老人や障がい者の入浴はとても危険だし大変だ。岩盤浴エヴァンジェリスト「汗の専門医」が本を出した理由がわかる。そんなこんなで味をしめ、先週は土曜日と日曜日と続けて岩盤浴に行った。月曜日に屋外の階段を登った。長い長い階段を登ると、途中から酸素が全身にしゅわわっと巡りだし軽く汗が出るのを感じた。以前は肺が痛くなって息苦しくて何度も休みながら登った階段をだよ。体質が変わった。声も変わった。そして気分は大いに変わった。陰性であった全身細胞が補完された。人類補完計画とはこれだったのか。しゅわしゅわと蒸気があがるよ、エル・シャダイ!全身細胞は変わる、有酸素燃焼性の細胞と筋肉にだよ。シンジ君。もはや拒むのはやめたまえ。ベートーベンが歌にしたシラーの詩にあるように、「火を飲んだように」「全細胞は兄弟となり」、「神の閃光の中へ」 すなわち、恩寵に包まれるのだ。*そして、もし心の病があるのなら。。。ためしてみ!
2011年02月11日
コメント(0)
今年もこの時期になりました。おかあさんたちは声に出して読んであげてください。そしてなぜこの世界はそうなのか教えてあげてください。わからないときは考えてください。検索しても答えは出ません。答えはあなたの中にあるからです。----------マッチ売りの少女The Little Match Girlハンス・クリスチャン・アンデルセン作結城浩訳ひどく寒い日でした。雪も降っており、すっかり暗くなり、もう夜 ―― 今年さいごの夜でした。この寒さと暗闇の中、一人のあわれな少女が道を歩いておりました。頭に何もかぶらず、足に何もはいていません。家を出るときには靴をはいていました。ええ、確かにはいていたんです。でも、靴は何の役にも立ちませんでした。それはとても大きな靴で、これまで少女のお母さんがはいていたものでした。たいそう大きい靴でした。かわいそうに、道を大急ぎで渡ったとき、少女はその靴をなくしてしまいました。二台の馬車が猛スピードで走ってきたからです。 片方の靴はどこにも見つかりませんでした。もう片方は浮浪児が見つけ、走ってそれを持っていってしまいました。その浮浪児は、いつか自分に子どもができたらゆりかごにできると思ったのです。それで少女は小さな裸の足で歩いていきました。両足は冷たさのためとても赤く、また青くなっておりました。少女は古いエプロンの中にたくさんのマッチを入れ、手に一たば持っていました。日がな一日、誰も少女から何も買いませんでした。わずか一円だって少女にあげる者はおりませんでした。 寒さと空腹で震えながら、少女は歩き回りました ―― まさに悲惨を絵に描いたようです。かわいそうな子! ひらひらと舞い降りる雪が少女の長くて金色の髪を覆いました。その髪は首のまわりに美しくカールして下がっています。でも、もちろん、少女はそんなことなんか考えていません。どの窓からも蝋燭の輝きが広がり、鵞鳥を焼いているおいしそうな香りがしました。ご存知のように、今日は大みそかです。そうです、少女はそのことを考えていたのです。 二つの家が街の一角をなしていました。そのうち片方が前にせり出しています。少女はそこに座って小さくなりました。引き寄せた少女の小さな足は体にぴったりくっつきましたが、少女はどんどん寒くなってきました。けれど、家に帰るなんて冒険はできません。マッチはまったく売れていないし、たったの一円も持って帰れないからです。このまま帰ったら、きっとお父さんにぶたれてしまいます。それに家だって寒いんです。大きなひび割れだけは、わらとぼろ切れでふさいでいますが、上にあるものは風が音をたてて吹き込む天井だけなのですから。 少女の小さな両手は冷たさのためにもうかじかんでおりました。ああ!たばの中からマッチを取り出して、壁にこすり付けて、指をあたためれば、それがたった一本のマッチでも、少女は ほっとできるでしょう。少女は一本取り出しました。 ≪シュッ!≫ 何という輝きでしょう。何とよく燃えることでしょう。温かく、輝く炎で、上に手をかざすとまるで蝋燭のようでした。すばらしい光です。小さな少女には、まるで大きな鉄のストーブの前に実際に座っているようでした。そのストーブにはぴかぴかした真鍮の足があり、てっぺんには真鍮の飾りがついていました。その炎は、まわりに祝福を与えるように燃えました。いっぱいの喜びで満たすように、炎はまわりをあたためます。少女は足ものばして、あたたまろうとします。しかし、―― 小さな炎は消え、ストーブも消えうせました。残ったのは、手の中の燃え尽きたマッチだけでした。 少女はもう一本壁にこすりました。マッチは明るく燃え、その明かりが壁にあたったところはヴェールのように透け、部屋の中が見えました。テーブルの上には雪のように白いテーブルクロスが広げられ、その上には豪華な磁器が揃えてあり、焼かれた鵞鳥はおいしそうな湯気を上げ、その中にはリンゴと乾しプラムが詰められていました。さらに驚いたことには、鵞鳥は皿の上からぴょんと飛び降りて、胸にナイフとフォークを刺したまま床の上をよろよろと歩いて、あわれな少女のところまでやってきたのです。ちょうどそのとき――マッチが消え、厚く、冷たく、じめじめした壁だけが残りました。少女はもう一本マッチをともしました。すると、少女は最高に大きなクリスマスツリーの下に座っていました。そのツリーは、金持ち商人の家のガラス戸を通して見たことのあるものよりもずっと大きく、もっとたくさん飾り付けがしてありました。 何千もの光が緑の枝の上で燃え、店のショーウインドウの中で見たことがあるような楽しい色合いの絵が少女を見おろしています。少女は両手をそちらへのばして――そのとき、マッチが消えました。クリスマスツリーの光は高く高く上っていき、もう天国の星々のように見えました。そのうちの一つが流れ落ち、長い炎の尾となりました。 「いま、誰かが亡くなったんだわ!」と少女は言いました。というのは、おばあさん――少女を愛したことのあるたった一人の人、いまはもう亡きおばあさん――がこんなことを言ったからです。星が一つ、流れ落ちるとき、魂が一つ、神さまのところへと引き上げられるのよ、と。 マッチをもう一本、壁でこすりました。すると再び明るくなり、その光輝の中におばあさんが立っていました。とても明るく光を放ち、とても柔和で、愛にあふれた表情をしていました。 「おばあちゃん!」と小さな子は大きな声をあげました。「お願い、わたしを連れてって!マッチが燃えつきたら、おばあちゃんも行ってしまう。あったかいストーブみたいに、おいしそうな鵞鳥みたいに、それから、あの大きなクリスマスツリーみたいに、おばあちゃんも消えてしまう!」少女は急いで、一たばのマッチをありったけ壁にこすりつけました。おばあさんに、しっかりそばにいてほしかったからです。マッチのたばはとてもまばゆい光を放ち、昼の光よりも明るいほどです。このときほどおばあさんが美しく、大きく見えたことはありません。おばあさんは、少女をその腕の中に抱きました。二人は、輝く光と喜びに包まれて、高く、とても高く飛び、やがて、もはや寒くもなく、空腹もなく、心配もないところへ――神さまのみもとにいたのです。 けれど、あの街角には、夜明けの冷え込むころ、かわいそうな少女が座っていました。薔薇のように頬を赤くし、口もとには微笑みを浮かべ、壁にもたれて――古い一年の最後の夜に凍え死んでいたのです。その子は売り物のマッチをたくさん持ち、体を硬直させてそこに座っておりました。マッチのうちの一たばは燃えつきていました。「あったかくしようと思ったんだなあ」と人々は言いました。少女がどんなに美しいものを見たのかを考える人は、誰一人いませんでした。少女が、新しい年の喜びに満ち、おばあさんといっしょにすばらしいところへ入っていったと想像する人は、誰一人いなかったのです。 --------------------------------------------------------------------------------<版権表示> Copyright (C) 1999 Hiroshi Yuki (結城 浩) 本翻訳は、この版権表示を残す限り、訳者および著者にたいして許可をとったり使用料を支払ったりすること一切なしに、商業利用を含むあらゆる形で自由に利用・複製が認められます。 プロジェクト杉田玄白正式参加作品。 <版権表示終り> ----------
2010年12月31日
コメント(0)
「協働のまちづくり」の委員になって三年目。オレだよ。その「協働のまちづくり」ってのは市長が言い出したらしい。そいで、その「協働」ってのを冠にしたあちこちに出かけてみたんだけど、いまいち、「ピン」とくるものがなかったわけね。そいでオレが勤務している学校にある日ホームページ作成の業者が来たの。それで、今までのホームページはあまりにもガチガチで更新もしにくいから、なんとかしたいなんて、ごちゃごちゃ話しをしているうちに、「きらりよしじま」のページを作ったんですぅ~。なんぢゃそれ。それは、井上ひさしが育った山形県のとある地方で、そこには少年刑務所もあるのでおおよその場所は知っていた。そいで、そこのホームページをつくりましたを見せてもらったら、いいんでないの。デザインがとてもいい。などと言ってページを開いたら「全世帯加入!?」そんな地域NPOってあるの?*「協働のまちづくり」のはじめの2年は「協働とはナニか」とか「指針づくり」で終わった。今度はいかに「具体化」するかだ。これが縦割りの升目行政だときわめて難しいとつくづく感じた。逆説的だけどだから「協働」なのだろう。そいで、召集されたメンバーは3つに分かれた。第一グループは宣伝 第二グループは地域 第三グループは問題発掘とプレゼン*会議が始まる前にオレは第二グループなんで参加者にお願いしたこと。それは、「もしドラ」を読んで参加してねってこと。そして「もしドラ」が「もしドラ地域」になったらどうなるかブレインストーミングした。いーやー意見がでるわでるわ。そいでは「きらりよしじま」を見に行こう。*きらりよしじまに行ったよ。そしてマインドマップで分析した。そうしたら、どうしてもわからないことが出てきた。・・誰かが***と言った。マインドマップ全体を見渡ししたら。できあがってるよ。きらりよしじまを超えた地域法人モデルが。*ネオ・エデンの人たちは皆わらっている。そして有縁社会で暮らしている。子どもたちの声がいつも聞こえる。更に資金も潤沢だ。・・その訳は??タックスヘイブンで航空機の売買契約と減価償却更に外国税控除をしたことがあるオレが言うんだ。モデルはもうすぐできあがる。次の会議では皆、次々と発言するだろう。オレの描いた曼荼羅の上で言葉は踊る。よし。よし。すべてよし。
2010年12月27日
コメント(1)
「あかつき」230億円って安いもんだよ。宇宙は「はやいものがち」だし、GPS衛星1個じゃダメでしょ。将来の国防を考えたらキラー衛星にやられても対抗できるように10個は必要だよね。で、10個だと2300億円て、諫早湾干拓事業と大して変わらないし、「おいしい水」とかいって無理やり市町村に水を売りつける「多目的ダム」と同じぐらい。つーか、一人一個衛星がもてるようにすればいいと思う。それが何になるかって?ケータイ一人一個持つって20年前に想像できたか?それが何になるのって、今のようになってるわけ。オバマも引いてるし中国はノウハウこれからだしロシアが先を越すか。チャンスは今しかないっ!世界中には資金がだぶつきはじめている。衛星で集金するんだ!ロケット技術の応用で衛星誘導ピンポイントミサイルが安くできる。戦闘機をむりやり買わされているけど「もーいらないよ」と言えるようになるよ。それは沖縄の問題も解決してしまう。雇用も町工場の活性化もぜーんぶできる。日本の町工場が海外に出ていくのは税金だけの問題ではない。「夢」とか「なないろの虹」が消えちまったんだよっ!たぶん、これをやれば日本再活性化の歴史的金字塔になる。だれがその提案をすすめるかって?今の民主にはそんな政治家いねーだろーな。もちろんアレだよ。税金をむさぼっているJAXAの解体と人材の分散が先だけどね。
2010年12月25日
コメント(1)
とても長い、長い暑くて苦しい夏だった。そして、疲れた。老いると気力が失せるなんて、自分には関係ないと思っていた。しかるに、なんなのだ、この秋になってからの残暑、そしておぃらが書き込みをしようとすると現れる上海問屋とトーセラムの妨害は!なんていってもしょうがない。宿主は大声で「かえ~!」と叫ぶ。ここは楽天なのだから。*おぃらが棲息する近所には義経が最後の戦いをした「あつかし山」がある。ここはじつに不思議な山で、なんとアオスジアゲハが毎年夏になるとここで群れをつくる。おそらくはずーーっと昔から、アオスジアゲハの北限なのね。そればかりではなく、秋になると渡りをするタカが集まる。愛知県の半島の岬は鷹柱で有名だけれど、ここにも鷹柱はできる。鳥たちが親から子へ伝えられ守られてきた空の道。実は、「マタギ」たちは、その空の道をおいかけて、それと他にアオジシ(ニホンカモシカ)を秋田から秩父までおいかけて道をつくったんでわなかろうか。大仏を建立するために行脚する国分寺への道は表の道。表があれば裏がある。裏道はあったはずだ。獣による獣のための獣のための道。地に鼻をつけかぎとるがいい。そうして、義経は旅をして旅の末に戦うことになった。ここでだよ。なぜか田んぼ一枚が「あかまんま」だ。あかまんまって、タデのことだよ。そして、あかまんまとは、祝福のごはんだ。みるがいい。まんじゅしゃげは土手にそのまま増殖をつづけている。万が一の凶作のため。少女たちは、ままごとをはじめる。「あかまんま、めしあがれ」みずからにその日が来れば終わる、そのままごと。やがて戦火を超えた母親たちは絶望の物語をはじめる。この義経と「あつかし山」のことを含めて。しかし、最後に希望がある。「しずかごぜん」のものがたり。そして吾妻鏡。それは絶望の物語ではなかった。希望へと脱出するための血の海を泳ぐ物語だった。君よ、飛び込めよ!紅の原へ!
2010年10月11日
コメント(1)
今年はスズメバチが極めて多い。ということは、台風が来ないのだろうか・・?去年の閏月のジャイロがまだもどっていないのかもしれない。庭のニホンミツバチも勢いがいまいち・・そんな今朝、電話が来た。「丸太の中で飼育をしていたニホンミツバチを巣箱に移動させたいという依頼がきているがいかが・・」*大塚愛の「お味はいかが」的ではあるが、おいら的にはいくことにした。まずは庭を攪拌して朝寝。してたら、迎えが来たんだわ。もう7年前になるだろうか。庭にニホンミツバチが来ているのだがどうしたらよいかという話があって、箱に入れればどうにかなるということを言ってから。続々と彼の周辺(県庁の組合役員なので)でブームがおこり、飼育者が増えてはいるものの。箱はあけてみないとわからない。それがミツバチ。テキストでこれは表現できない。 この杉の木は何百歳だったのだろう。おいら的という的って日本語に直すと「の」だよ。おいらの感覚からすると数百歳だよ。「的」って使うなよ。「の」と言えばいいんだ。明治の時代には漢文が残っていたから「的」が「の」だったんだ。おいら的には数百歳。笑.左下に切れ込みがみえるでそ。それがミツバチの出入り口。どこで聞いて知ったのかわからないけど、これは相馬系。会津系とはちがうのね。ところで和歌山ってどっち系なのだろう? HTMLタグ そいで依頼者は大工さんなので、彼なりに研究をした結果、箱はできてるだわ。この箱に入れたいという。かなり研究はされているようなので安心と見た。運搬と解体なおかつ蜜しぼりその他がはじまった。 ううむ。運搬してくるとやっぱでかいです。キリスト・イエスは大工であったということは、彼は理系だったのね。これを読んでいるあなた。直径一メートル長さ10メートルの木を「人の手のみで」地面に垂直に立てる自信はあるかい?できなくても、方法を説明できるかい?就活の前にその程度のことは理解しておこうね。文系でも、「てこ」と「滑車」の基本の基本ぐらいは身につけておくべきだ。人の世界は脆弱なのだから。そして、就活とは媚びるチカラでも引きのチカラでもない。「生きる力」があるかどうかだ。生命を観察し、その手にとり学べよ。ディープな生命体にテキストは空しい。ミツバチは怪物だから。 中をあけたら、わぉぉ~ん。。ぶんぶん。意外におおきな群だったよ。はじめに、「スムシ」をみたときは、ちっとどうかとおもったけど、おそらくこのまま越冬したのだろう。 途中捕獲機能追加掃除機ですいこみをしながらみていたら・・をを、去年の蜜がのこっているではないですか。ふたがあるのがそう。この暑さでも腐敗、醗酵せずに熟している。このままピラミッドまでつれていけば千年もつだろうハチミツですよっ。高松塚古墳だってもちろんおっけい。暑さで蜜が流れ出さないようにふたをしてるんだね。 群をもとの巣に返すためにもっもと大切な作業がこれ。巣の根本には熟成した蜜があって、ぶらさがりの下には幼虫がいる。幼虫のフェロモンを移行させると蜂はすなおに箱に移動するのだわ。 量販店のにある衣装ケース、それにパワー三段切り替えの掃除機+タマネギの網でつくったミツバチキャッチャーはうまくうごいてくれましたっ。そして、最後に網ごと巣箱にいれてどすん。わおわおわお・・わお・と、巣箱に入ったら・・をを、おとなしくなった。 たぶん、だいじょうぶ。そんな念力をかけながら、幼虫を依頼主が作った箱にいれてったのだわ。 さてち、元の場所にもどしたら、違和感はあるものの朗らかに働き蜂は帰ってきた。そして、これが丸太だよ。ここにぎっしりといたってわけ。今日の作業はきわめて順調でした。ところで・・*ニホンミツバチがいるところは、パワースポットにちがいないと最近は思いはじめている。なぜなら、この近くにとてもとても古い神社があって、その根本に母群がいたんだ。そういえば・・最近思っている。不思議な木がある。その木には毎年ニホンミツバチが集まり、その場所は古墳の跡だったり。なによりも植物の勢い、そして人が地に「なつく」そんな所に「異」は集まる。そして、そこは祭りの場所なんだ・・
2010年07月04日
コメント(2)
坂本龍一が子どもたちに教えているよ。もっと早く気づくのだった。だって、スコラのシーズン1はバッハだったから。*平均律はバッハが完成したもの。そして、完成されつくされてはおらず、ゆらいでいるもの・・といったら、わかるかなぁ。平均律の目的とは何かといえば、様々な音を規定して閉じ込めて倍音を響かせるしくみ・・というのがおぃら説。アフリカの民族音楽を語るときに「クォータートーン」という言葉が使われる。それは半音を更に半音に分割した音のこと。しかし、それが「確かに」アフリカの音楽を語っているかといえばそうではない。「うねり」「うなり」それを理解するためにシンセの音にダイブしよう。*実はこのページのブックマークにはパッフェルベルの4曲のページへのリンクあってフリーにダウンロードできるんだよっ。この曲を打ち込んだ頃は、37歳ぐらいだったろうか。ぜんぶ手打ち・・すなわちマウスで音符を拾って楽譜を完成させるでそ。それを鳴らしてもおもしろくともなんともないのね。理由はコンピータミーゼックだから。なので、音の一つ一つのピッチを変えたり楽節ごとにテンポにゆらぎをもたせているのだわ。ピッチを変えると和音になったとき、音にうねりがうまれる。うなりのしかけは、とても小刻みなテンポの変化でうねりがちょうと「鳴る」ようにすること。たしかに、これはユーラシア語の歌なのだろう。音符を崩したときにわかった。楽譜にはないメロディーラインを和音の重奏から見つける。それをバッハの兄すなわちバッハの師のまた師であるパッフェルベルが音符には書かかなかった音をかさねてみたら!この曲は「キーボードミュージック」ではなかったことがあきらかになる。おそらくカラヤンは思っただろう。「どうすれば、もっと、より、セクシーにうねり、うなるのか・・」YMOはそれを探求して答えのひとつを出したのだわ。*おたまじゃくしは、そのうちの100分の一が蛙になれるという。雨ふる満月の夜、目の前の水田から蛙があふれている。大豆をまきちらしたかのように。おたまじゃくしの奇跡さらにその奇跡が庭をおおっている。ATGC(アデニン、グアニン、シトシン、チミン)の遺伝子配列はきわめて静的なもの。しかし、そこから発現する命とは。命とは「うねり」「うなり」ゆらぐものなんだろうね。
2010年06月27日
コメント(0)
払わなくてもよい税金を払っている。それがひとりふたりではなくて、たくさんいる。*私立高等学校で授業料軽減の加算手続きをしていると、この所得でこの扶養者なのになぜ税額が発生するのだ・・という家族がちらほらいる。要するに、確定申告や年末調整をするときに子どもたちを扶養にいれれば税額は発生しないはずなのにそれがなされていないために、地方税が課税となっている世帯が見えてきた。ひとつやふたつではなく、たくさん。*申告主義の限界だな・・と思うし、もしもそれにおぃらが気づいて指導をして申告のしなおしになったら税理士法違反となるだろう。だから、地方公共団体の現場で職権による確定申告があっても良いと思うんだ。理由は義務教育で税務を教えていないから。*低所得世帯に対してたぶん地方公共団体は指導をしないだろう。理由はあきらか。それをしろという法律もないし通達もないから。なので自治省、通達をだせばそれでよい。扶養すべきと思われる者がいる確定申告者が扶養申告がなされていなかったら指導するか本人の同意を得て職権で申告をしなおしすること。税務署の現場でもいいよ。義務教育で教えていないんだから国税の現場はわからないけど地方公共団体の現場はわかるんだから教えるべきなんだよね。職権であれば税理士法に違反しない。見ているとこれほどまでに税務について無知な国民なのだ、そうしたのは誰かと問いたくなるが。たぶん民主党もしないだろう。だってたぶん、税務って国会議員の彼らがわからないんだから。
2010年06月17日
コメント(0)
トモダチという言葉は21世紀的に大切だ。そしてトモダチが山形県で陶芸をしているところでニホンミツバチが毎年来るからどうよ・・というのででかけた。不忘窯というところ。*彼のところに毎年ニホンミツバチが来るというので秋に見に行った。もしかすると、とんでもない国内最優良品種かもしれない。働き蜂はまるまるとふとっているし、♂蜂も大きい。分蜂があり知らせがあり、友人は管理に行った。そしてその手伝いを願いたいというので日曜日に行って来た。*ミツバチはともかく、窯だよ。話をしながら多くは聞かないが窯をみればおおよその察しはつく。彼がおぃらに見合いの器をつくるだろうか。見合いだったら値段はいくらだ。そしての目的とは、花器か茶碗かそれとも臓器か。あるときおぃらは言うかもしれない。「明日から入院だ。たぶん生きては帰れない。スギナをいける花器を焼いてくれよ。」と。観光地にはものほしげな定年退職して自分の価値を押し付けたり人に媚たりするような陶器が増えた。いらねぇんだよ、そんなもん。おいらがほしいものは、・・彼のところに毎年来る、ふしぎに大きいニホンミツハチなんだよっ!*そいで、タイトルのサライとBE-PAL、すてている話をしたら、トモダチが欲しいんだって。それわ、いいわい。おぃらは彼のところにぜーんぶ預けて、時々眺めにいけばよいのだから。そうだ!家にあがりこめるトモダチの家をいっぱい増やすのだっ!
2010年06月15日
コメント(2)
「贅沢はステキだ」というブルータスがあった。そしてポパイ、オリーブも。いま、おぃらはサライとBE-PALの山を処分している。その理由とは「意味」にある。*とある書店が閉店するときに、サライを処分しようと思っていますといったら「捨てないでください」と言われた。それは図書のよどみのうたかたを見た人にすればかく望むこともわかる。債務整理の最中であるからなおさらだったのだろう。わが子の夏休みの自由研究で、砂鉄から鉄をつくつていたときのこと。実は蒲生氏と伊達氏が領地を奪い合ったのが自分の近くで、子どもの頃、山に行くと金銀を掘った穴の跡があり、それは戦後も掘られていたらしいとしった。それが証拠にこのザラ水晶。山塊が一体としてある。これがあるところには金があるという。それが「意味」だ。買おうと思ったら、とある医療法人が手早く買っていた。負けた・・爆贅沢の彼岸を思うと登山家の植村がでてくるのは、たぶん彼が自分の飢えをみたしてくれたからなのだろう。たしかに贅沢とはステキであり、あるのだがそこには彼岸がある。植村とケロシンストーブはその極地でもある。*そんなことに関係なく、巷には広告があふれる。その岸辺に良寛の般若心経の写しがあった。コピー代15万円。スキャナで読んだものではあるのだろうが、写しで値段がつけぱそれでよいのだ。その、良寛の心経を今、てもとにひろげているがいゃー美しい。もちろん、無料。広告のコピーだよ。(笑)世界にアンテナを広げて認知はしている。そのつもりにさせられている。ここでうまれた私はここで悩み、そして笑い、そして死ぬのだろう。思った通りではなく揺り動かされ、違う人生ではあるが、私はいきてある。そして小さな声で、毎日を「楽しい」と言えるようになった。*贅沢はステキではなかった。見栄をはることの苦痛でしかなかった。しったかぶりの果てに絶望があり、絶望が前提であっての「贅沢」だった。それとは、若い女性がなぜにこれほどまでに肌をいため髪をいためて有名モデルの真似をして「浪費」しているのかを知ったから。健康をビジネスとしていながらその反面、若いうちに不健康を仕込んでおく。広告代理店はそれくらいしかもうできないのだろう。そして一部の人たちは気づいている。若い人たちが「おまけ」やプレゼントを嫌がるのを知らないのだろうか。もらっても困るものは「捨てる」のだ。*見栄を捨てて、ひとびとにつかえることをよろこびとして生きよう。絶望再生産の仕組みに気づいてよかった。雑誌ほど愚かしいものはない。自分にとってその頂点はサライそしてBE-PAL。提供者を喰う仕組み、提供者から踊らされる仕組み。ジュリアナ東京ってあったよね。だから、今は、静かに踊ろう。静かに。
2010年06月12日
コメント(0)
成績優秀な女子高校生はおぃらの前で涙を流しながら言った。「学校に来るなんて・・イミ・・ナイシ・・・」それは、授業料未払いに関する規定で明日から学校に来れないと申し渡しをしたときのことだ。そのときにおぃらは言った。「未来に意味はない。現在にも無い。学校に来る意味とか将来にも意味は無い! 意味は過去が現在を定めるためにあるものだ。だから意味はみえなくて当然なんだ!」たぶん彼女なら理解するだろう。そう思って話をしたら、泣き顔がきょとんとした顔になり次には挑戦する顔に変化した。*高等学校の授業料無償化といいながら問題はとても大きい。中学校はゾーニングしてダンピングすればそれでおしまいかもしれないが、おぃらはある人に言われた。「出世するなよ」国の施策でソーシャルワーカーとかが学校にも整備されていればいいのだが。ある人が言ったのは、絶望の水際に首をつっこむなという警告だったのかもしれない。しかし、思うのだ。学校にはソーシャルワーカーが「校長」とは別の職務として必要だ。問題は重なっているのだから。所得があっても債務保証をしている家庭の子どもたちは悲惨だよ。いわばそれに対するゾーニングができてないってこと。低所得者だけが苦しいのではない。債務保証をしている生徒の保護者も含めて救済してはじめて目的は達成される。自民党と公明党は質問すべきだ。債務保証の履行を認知したもしくは親権ある生徒、学生がいる場合、債務更改を拒否してはならないという法律の制定ぐらいしてみろ。*それでもなお、いのちのみぎわに花は開く。クレソンだよ。花の下に黒い筋がみえるでそ。これがぜーんぶヒキガエルのおたまじゃくし!この池は夏にはひあがる。それまでにバクテリアを食ったプランクトンをたべ、鳥たちにつつかれ群はうねりうねりながらいのちをあらわす。そして幸運といういのちの定めすなわちごくわずかな数匹のみに肺が与えられる。今日は泣いた生徒の母親が勤務する職場に集金に行ったよ。時給で働かされること。それも長期にわたること。数年勤めてエキスパートでもなお臨時職員であること。餓鬼の人喰いだな・・申し渡しをする前日、おぃらの担任だった古刹の住職をたずねた。「軸がありしたよね。」それは地獄絵を旅の絵師が宿飯をもとめながら描いたものだったと言う。それが義経にしたがった佐藤兄弟の菩提寺にあった。その菩提寺の住職はおぃらが高校生のときの担任だったんだ。*地獄絵をはじめてみたのは古刹にクラス全員が宿泊したときのこと。おおらかな時代だった。体育科の教官室からはいつもマージャンの音が聞こえていたし。宿泊した翌朝、軸が干されいた。それはとてもとても見事なものだった。高校生のおぃらからしてみても。リーマンやソロモンブラザースに見せてやりたい。そして作ることなくキャッシュフローのみで儲けようとしている多くの国内企業にもだよ。「餓鬼」の姿をだ。*住職に言った。「明日、2名登校停止を申し渡すのです。」彼は話を聞いてくれた。あれこれはなしをしていたら彼は言った。「ミツバチが樫の木に毎年群をつくってるんだよなぁ」死を預る彼は喜寿になっていた。
2010年06月10日
コメント(0)
荘厳なるものの近くの生命は荘厳となり、やすらぎの近くの生命は安らぐ。庭とは写しで盆栽も写しだ。そして誰もが死にいたる病をかかえて生まれる。気づいたときに人は叫ぶ、命よ、わが命よ・・! と・・。そして「生まれなおす」道を探しはじめる。広告の嵐の中で、そんな方法など無いと知るまで。親父が死んだあと、盆栽の始末に困っているという人から五葉松5鉢をゆずりうけた。ながめながめ、ながめているうちに、どうしようもなく気になりはじめた。それはとは、前所有者の意図もしくは前々所有者の意図にこだわりがあったこと。そのこだわりって、日本料理にあって西洋料理にないものだよ。縄文土器にあって弥生土器にないもの。「正面」だ。盆栽には正面があって、そして無い。それがよい盆栽だ。鋏でちょっきんちょっきん、枝をきりはじめて極限まで切ったらできた。生死のはざまに浮遊する姿。このまま5年ぐらいすると生きるところは生きて、枯れるところは枯れるだろう。命は祈りの姿となる。それが盆栽だ。100均でみつけて組み合わせてみた。これも生死の姿。エアープランツだよ。左側後ろにあるのはたぶん、堆積岩のノジュールだ。数十万年前の生命のかけらが中にあるだろう。そして右にあるのは溶岩だ。ガイアの吐息がかたちになったもの。今日、あなたに言うよ。あなたは生まれてきてよかった。それは私がしあわせだから。私はしあわせでよかった。笑顔をあなたにあげられるから・・植物たちはいつもいつもたぶんいつも、その言葉しか知らない、その言葉を語っている
2010年06月07日
コメント(4)
前期PTA会長さんの県高等学校PTA連合会の発表は終わった。これで終わりだからなっ。ほんとにほんとーーに終わりだからなっ。しかし、県立高等学校の学校評議員の役目はあるものの、終わった。そして帰って行った。まずは、わが庭へ・・*床屋の同級生のカツノリ君は、「あれれ、本当だ、刺されたあとがある」そう言って、髪をすきはじめた。おぃらは「不思議なんだけど・・」といいながら、チキチョキというここちよい鋏の音を聞きながら、「あいつら、たぶん、動物のツボがみえていると思うんだ・・」などとまどろみの中、話をすると「本当だ・・ツボに刺さっている」とカツノリ君は言うのでありました。長い年月人の肌にさわってようやく理解するツボをミツバチは容易にというか命をかけて察知し、ちくんと刺す。*失敗をしたのは、移動した群を夜中に酒を飲んで酔っ払いながら見にいったこと。ナメてかかるとたちまちこれだ。頭4箇所、左手小指根本、右目コメカミ近く二箇所、足三里(爆)に一箇所、合計8箇所やられた。そして連中はたぶん、自分が刺した相手のフェロモンを知っている。少し近づいただけで大騒ぎの数日が過ぎた。*誰かが全ては時が解決すると言った。そうなのだろうか。そうかもしれない。ミチバチは花粉を運びはじめた。花粉は幼虫の餌だ。ということは、中で幼虫が育ち始まったことにほかならない。やったねっ。フロッピーディスク3mmとはがき一枚でつくった3.5mm作戦は成功した。*ところで問題のAY式巣箱なんだけどこんなかんじ。そいで、最大の問題である出入り口はこんなふうだよ。見事というか、きわめて精巧につくられている。動物の箱というとおおざっぱなイメージがあるかもしれない。しかし、ニホンミツバチの巣箱に限ってそれはあてはまらない。4mmを確保するために工芸の域に達している。しかし、残念ながら、4mmだと女王は逃亡をはかる。絶対に3.5~3.8mmなのがつらいところ。*巣もおちついてきたのでおもいきって4mmまで0.何ミリか広げることにした。そしてノギスで4mmを家の中のものを測定しまくったら・・(笑)あった!なにかわかるかぃ~っ。千年灸だよーー。それもレベルが高めのやつ。さっそくはめこんでみた。できたでわないですか。わかるでしょっ。門の間隔を決めているのはセブンイレブンの割り箸だよっ。間隔を広げたらあらら、♂蜂がまってましたーーというふうに外に出てきた。実は、働き蜂は全部♀、女王も♀、♂はそのときだけいるの。そして、出てきた♂は帰ろうとしたらふさがれて帰れない。それほどまでに厳密な4mmで、枝を刺しこんですこーーし開いてやるとすすっと中に入り込む。まだ、今年一年は4mmをつらぬいて、来年になって巣箱となじみ、安定したら広げてやろうと思うのでありました。 フロッピーディスクと千年灸、そこでおちついたモーツアルトの音楽のような安らぎあるニホンミツバチと共にあるのです。 そいで物欲マガジン、今となっては変な雑誌を愛読してたな・・と思いつつ「人間革命」の広告が必ずある、そして封印された性欲の塊のような、BE-PALのバックナンバーの山を紐で縛り、次回のゴミ収集日を待つおぃらなのでありました。キモはねっ。オレはこの雑誌の何にどのようにだまされていてしがみついているのか・・おぃらは、ミツバチに与えられ続けている。その与えられるものって何って言えば愛、そして死だよ。
2010年06月06日
コメント(0)
今、話題の黒毛和牛って言えば大塚愛だ。そうそう、コイビトたちの定番カラオケ「大塚愛 - 黒毛和牛上塩タン焼680円」オヤジワイカガでないよ。お味はいかが?だから間違えないようにっ。(笑)命とは何だろうか。そのはじめに暗くその終わりに冥いもの。だから光としたとおもうのだ。イノシシだけではない。カモシカも牛の仲間だから全部殺せというのだろうか。しかし、カモシカは生きてきた。そして生きてある。全部殺せという者もいるだろうが、カモシカは全部殺せない。その中からウイルス耐性をもった者たちだけが生き残る。それが摂理だ。そしてニホンイノシシもまた今まで生きてきたように生きるだろう。次男が卒業し、そして四月になり、PTA総会があり、PTA会長の仕事は終わった。そして、疲れた。たぶん、人生のうち贅沢な空間を切り取ることができるのは、許された人のみに与えられたものなのかも知れない。そう思うようになったのは、高校生たちが親の「ありかた」によってあまりにも生徒たちの姿が違うからなんだ。長男も次男も工業高校でジュニアマイスターゴールドとってよかったと思う。人生の「お味」は5教科だけではないのだから。そして人生の目的は「花」でもない。「果実」なのだと思う。しかし、あまりにも「花」が強調されている。どこって、雑誌でもマスコミでもたぶん大騒ぎになっているiPadでもだよ。おぃらの感覚からすれば銀座で売り出されたあれは「買ってはいけない」ものだ。モバイルカンブリアの海すなわちHP200LXをずーーーっと使ってきたしNECのモバイルギアも使った。肝心なことがある。そこには「広告」がない。それがいかに安らぎの世界であることか。ソニーも参入とあった。au、朝日新聞・・・・広告爆笑してしまった。アバターを作るためのアイテムに315円払えと言うのか。そしてアバターをかざりたてたらいくらになると言うのか。グローバルな搾取構造にこれから参入しようと言うのか。コンテンツはたくさんの個人によって守られてきた。これだけは言っておこう。顧客を囲い込んで絞ると、やがて顧客は逃げる。ミツバチのように。価値あるものが簡単に、ダストボックスにポィされる時代がはじまった。雑誌構造が変化してよほどのコンテンツでなければ生き残れない。新聞も。革命はすでにはじまっていた。形になっただけのことだ。価値あるものとは何か。「愛」だよ。。スミレは小さく、そして宇宙を代弁している。花弁の静脈によって。その形によって。竹の炭焼きと聞くと、たぶんあいつのことだから失敗するかもしれないけど、それは気の毒だと、宮沢賢治の気分で行ったらやっぱり煙を読めていなかった。しかし、アドバイスをすると彼のコケンにかかわるのでそれとなく言った。炭焼きはよくできました。PTA会長から開放されるってこんなに気分がいいもんなんだ・・と思ったら・・電話が来た。。HELP 今度の県の高等学校PTA連合会で発表してくださいっ。ぁうっうっ。それは、ものすごーーく忙しいときのことだった。そぃで、あれこれまとめてあさって発表なんだけどね。いわゆる都市型PTAはいかに活動をすべきであるかということで、原稿を書いてパワーポイントつくってもらった。いわばPTAの生命力を断たないための仕組みづくりについて。一晩考えて3時間で仕上げて、今、あちこち手直しをしているところ。そんなときのことだよっ。休日出勤したら電話がかかってきた。「ハチの大群がとんでますよーなんとかしてください」いまどき、じじばばもみーんな携帯をもっているので、日常でない現象がおこると、すぐに「なんとかしろ」と電話をしてくるんだ。電話を聞いてにたっと笑った。やったねっ。分蜂だ。ニホンミツバチの群がいくつか職場付近にいるのはわかっていた。たぶんあいつらって、ツバメぐらいのスピードで飛ぶ。障害物をまたたくまに察知する。なのでしかけた。手前のタマネギの袋でつつんだのは、キンリョウヘンだよ。ニホンミツバチをよびよせる魔法の花。そいでまってたら、来たのねっ。-*ところがおうちに「黒毛和牛」みたいにお持ち帰りしようとしたら、いや、暴れるのなんの。しかたないので、エタノール100%で気絶させようとしたら・・女王が復活しない。あうぅ。 クイーンをなんどかつついたものの、復活の兆しなし。キリストは3日後によみがえったのだが・・クイーンが死んだ群は離散してしまった。(没)-*しかし、そんなことであきらめるおぃらでわないっ!筆ペンで絶望とかけ。それを「希望」と読むのだ。すりかえではない。生きるとは生き残るとは光ととものあること、すなわち「フォースとともにあらんことを!」という祈りに他ならないからだっ!理論に無理があるって? だから未完成の完成であるキリスト教はあるんでそっ(笑)群の状態からするとおそらく大きな母群がいるであろうと思ったのでしかけたら・・来た。今年の二群。前回はAY式巣箱にしたのね。なんでかっていうと、出入り口が小さくて4mmの切れ込みもあってそうすれば逃亡はしないだろうとおもったから。しかし、あまかった。4mmではわんわん騒ぐうちに出入り口を齧り、広げてクイーンが逃げてしまった。にげたならば捕まえよう。身の回りで3mmを探した。計るならノギスだよね。そいで身の回りにあるものを次々に計ってたらみつけた。フロッピーディスクが厚さ3mm!-*出入り口にフロッピーディスクと誰かの名刺厚さ0.5mmをはさんでガムテープでとめた。そして夜中に、箱を開いて手のひらで群をぐぐぐぐっと押し込んだ。ぱたん。わんわん。そして静かになった。毎日、看護科から調達した聴診器を巣箱にあてて聞いてみる。「お味はいかが?」そぃでおぃらの買った山はクワガタの山なんだがその話はまたいつか・・(笑)
2010年05月30日
コメント(0)
気分がすぐれないので、般若心経の音源をさがしてたのねっ。初音ミクはたぶんあるだろうなーと思ったらやっぱりいくつかあった。そしてチューブあさったら、めっけたのがこれ。爆笑したあと、皆さんに聞かせたくなってしまった。http://www.youtube.com/watch?v=gCF4Bg9R__o&feature=relatedでぁでぁ。
2010年05月21日
コメント(3)
イノシシを殺して消毒しないのはなぜだ?特にイノシシと人が接触しやすい里山はあぶない。豚インフルエンザ騒ぎから学んだではないか。浄土にするためにベルリンの壁、万里の長城を築くのだ。その壁に名前をつけよう。越えていく鳥を見上げながら。
2010年05月20日
コメント(0)
今年は雪が少ないってみぃんな言ってたけど、やっぱり来たね。「雪」そろそろ遺言を書こうかと思うこのごろ、「あの人」の最後の言葉を思い出した。おれの大好きなぢいさんの友人は蕎麦屋だった。一緒に山に登ったとき、地面を指差して言ったそうだ。吾●小富士の中腹。「オレが死んだら骨のかけらをここに埋めてくれ」と。万葉集にもあるが日本の山岳信仰では、死者の魂は山にとどまるという。それが後の世になり、浄土=山岳となったのだろう。*寺が定めた墓なんていらないし戒名もいらない。人々の記憶から自己が消えればそれは意味をなさないからだ。木地師の時代や渡世人が墓を持てないことを嘆く時代は終わった。墓が一族の足かせになるのなら、仏門はそれに何と答えるだろうか。そして痴呆公務員の第二の職場としての墓地なら、なおさらいらない。メモリアルは地に埋めようが水にながそうが風になろうが、どうでもよいではないか。雪が降ったから場所を確認に行った。雪が降る。降ると同時に凍る。西風が来る。雪は地面から舞い上がる。入り口には「立ち入り禁止」になっていたから、14歳のスターレットを停めてのぼりはじめた。みえてきたぞー。。オレの墓が・・登山用の下着は以前から持っていたが、雪の中を歩き回ると汗が出てくる。ヒートテックはなかなかいいんでないの。昨日買って二枚重ねして正解だった。さてと。蕎麦屋の彼がしたように息子たちに岩を指差そう。どれがよいだろうか。.やがて炎によってカルシウムとカーボンは気体と固体に分離され漂い、吸収されあるいは沈殿し、旅を続けるだろう。命から命へと。生命の不思議を思うとき、なぜか「必然」を思う。それは、息するゆえ、愛するゆえなのだろう。そして必然のみが生き残りをゆるされたのだろうと。絶望から希望へ。希望から歓喜へ。マーラーの千人、ベートーベンの9番を思う。交響曲は時代を予言している。さてと、これを墓石にしよう。たしか中学生の時に遠足でこの山に登った。そのとき、オレは雨の中を走り回っていた。鉄棒をしていたから体が軽かったんだろう。木の根につかまり苦もなく次の岩、次の岩にのぼり遠足の時間で全部の岩を雨の中、踏破した記憶がある。万葉人は死者は山の浄土にとどまるという信仰があった。その通りに、私は死んだ私に出会った。それは心の病との決別の時だった。*ヘンデルのメサイアには聖書の引用で「よきおとずれを告げる者よ高き山に登れ」とあるがこれは新約聖書がイザヤ書から引用したもの。言っておこう。よきおとずれを告げる者は死者の魂がやどる山より来ると。魂の行方を占う死後の名前や死後の呪縛を餌にするものたちから自律的に開放されてもいいんでなぃかぃって、思うんだが、どうよ。。笑.
2010年02月07日
コメント(1)
一時、1500円した株価が今は300円を切っている。一度株を所有したことがあるからわかる。あらゆる方向で高い技術がありしかもよい製品を作っている。しかし、株価は低迷している。もちろん、ここをおさえれば、「この木何の木」が「これはオレの木」になる。そして、果実も枝もすべてハゲタカのものになる。*実は、日立の役員たちと接触したことがある。そして日立市の地元では日立の社員たちの評判がよくないという話も聞いた。どちらもリアルに見た聞いたことだからその通りだと思う。日立は病人だ。*オレがまだ若い頃といっても30代で、オレが歩けばバブルの連中が歩く時代のことだった。とある、会社が倒産した。そしてその会社の娘は水商売を始めた。直前までは社長のお嬢様でアメリカ留学をしていたその最中のことだった。もちろん、簡単に水商売がはじめられるわけではない。まずはお姉さまにつき、つきしたがって顧客を得て、お店まるごと譲っていただくときには、口外できないような通過儀礼もしなくてはならない。彼女とオレは同年代だったから、歌って騒げる店を上司に求められたときは必ずそこにつれていった。あるとき、厨房に入ったら、「ゴメン・ミナイデ」と言われた。そこは一人きりの戦場だった。年末にはいつも一升瓶を一本もらった。オレが店に入って「カッコー」というといつも客がたくさん来たかららしい。*家庭の事情で水商売をせざるをえなかった彼女は書道を学びはじめた。おそらく返済が順調にまわりはじめたからなのだろう。そんなある日、きになる木の人たちが店に来た。店に入るなり、軍歌をうたいはじめた。その軍歌は延々と続いた。更におそらくは原子力発電関係なのだろう。ぢぢいが、ママとダンスをしようといいだした。オレと同世代の彼女は仕事ゆえに軍歌でダンスをはじめた。そしたら、うしろから彼女をサンドウィッチに別のジジイがスケベニからだをなでながらダンスを継続した。終わった後、彼女はお絞りで顔をぬぐったあと、従業員にびしっと放った。*日立は地元で評判がよくないらしい。エライ人たちがいるからなのだろう。これは、とある地方公務員に聞いたこと。そして、日立の「エライ」人たちは女性を遊びのツールと考えていること。この木は何の木なのか、きになりはじめたのはその頃からだった。そして、この木はたぶん、国際企業団の餌食になるだろう。理由は、技術はあっても人を人とも思わない。殿様たちはキャッシュのコストとしてとしか人を見ていないからだ。*それ以外にも理由はあるだろう。もちろん、酒を飲んで豪遊ごっこをしたとき、その相手をする人がどれほどの屈辱感を感じるかわからないのだろう、役員たちは。日立が中国企業に買収されたら・・されるよたぶん・・笑。次は東芝だと思うよ。
2010年01月06日
コメント(4)
地球のあちこちで氷がとけはじめているらしい。チベットの山岳地帯もそうだし、南極も北極もだそうだ。原因は化石燃料にあるといわれているし、CO2にあるとも言われている。しかし、「変だ」と思う。理由は、生命体である地球は「バランスよく」できているから。二酸化炭素が増えたなら、増えた分は少なくなる。。理由は植物プランクトンが増殖するから。それでもなお原因は二酸化炭素にあるというのなら、全世界で取り組むべきことがある。それは、「戦争を無くする」こと。アメリカは「三方よし」を一部の人だけ良しにして、兵士を傷つけ、国を傷つけ、相手国をも傷つけつづけている。隣の北朝鮮の軍事製品が中継地のタイで発見されたらしいが、今回のウイルス騒動でもわかるように、自国民だけに耐性がある病原を世界にばらまいたら、どういうことになるか。毎年私たちは、春、秋、鳥の渡りの季節にはウイルスたちの洗礼を受けつづけたではないか。友よ。火山から煙が出ていても、雪は溶けない。雪が来る。自分や自分たちによって都合のよい組織ばかりを考えて行動したものは、必ず滅び、滅びてきた。凍傷になれば鼻も指も失う、雪深いこの山を越えて隣県まで熊を狩りに行った江戸時代のわが友を思う。ニンゲンは一人では生きられない。二人だとつらい。三人だと暖かくなるよと。そして鳥を見上げて空気が読めれば、決して超えられない道ではないと。秋田県のマタギたちの墓は埼玉県にもあるという。私たちはなぜ、かくも脆弱になりなってしまったのか。昨日は、ゾーニングとダンピングの病の話をしたよね。それは教育ばかりでなく、ありとあらゆるところで虚無を生み出している。もうひとつ病がある。それはキャッシュという病だ。更にもうひとつ。その話はいつかまた、書くことにするよ。
2009年12月16日
コメント(0)
松下幸之助と竹中平蔵をならべてみる。理由は、PTA会長をしていると原稿とか卒業式や入学式の挨拶を考えなくちゃいけないわけね。ある日のこと、とある学校で松下幸之助の「青春」という額を見た。*実は松下幸之助という人は小学校4年で中退している。そればかりではない。父親が事業に失敗し倒産を幼い頃に経験している。更に体が弱いためいわゆる「勤め人」として仕事を全うできないだろうと思っていた。だが、彼の会社は世界企業になった。理由は簡単だ。仕事と仕える業。すなわち自分につながる人々にいかにすれば笑顔を維持継続できるか。そのために徹底的に人の話を聞き、日々新しき事柄にとりくんだのだろうと思う。雪がくる。それはすなわち絶望が来ることにほかならない。もとは砂漠の民であり恒温低湿度が快適であった人類に何がおこったのか。そしてその生物が冬に向かい、冬を管理するとは何であったのか。種としての存在意義からとりくまなければならないだろう。それこそが「対策」だ。おれは、地球温暖化ビジネスには嘘があり、そのために中国奥地の人たちは犠牲になっていると思っている。希望の押し売りは絶望の押し売りでもあるのだよ。中国政府。多様性を19世紀的なゾーニングとダンピングにおくことなく、未来を構築してほしい。そうすれば、沖縄米軍基地なんていらないのだ。みんな思っている。アメリカの戦争ビジネスのために沖縄があるってことなんだと。
2009年12月15日
コメント(1)
もう刃物はいいよな・・と思っていたが、次男にツールナイフなどなどを奪われその補填にと思って、久々に東京に出たついでに、アメ横に行ったのだ。結果、上野のアメ横の誘惑に屈してしまった。ガーバーのブラックナイトのナイフは持っている。それとライヨールも2本。理由は、おいしい食事をするためには良いナイフが必要だから。レストランにおいてあるものをナイフとは言わない。あれはノコギリだ。ぅぅむ、この貝の輝き。。「ツールナイフだけを買う」筈だった。目的を前に、その美しさに釘付けになってしまった。これが誘惑のはじまり。結果的にかってしまったのがこれ。ブレードがステンレスで磨きをかけてあるものもあったが、手に触れた感覚が重要。このナイフは手に吸い付いてきた。。ううっ。蛭のやうなナイフである。トンカツでもそうなのだが、切り口が虹色に光っているほどの切れ味がある包丁でないと、本当においしいトンカツも刺身も味わえない。回転寿司でも切り口が虹色に光っているマグロとそうでないマグロは味が違う。秋葉原事件のあと、刃物の肩身が狭い。しかし、もっと危険なものはいくらでもある。飛行機に、箸は持ち込み可能だろうか?百均のぐるぐる回す鉛筆削りで削れば凶器になるだろ。鼻に突っ込んで、足で蹴ればどうなるか・・セブンイレブンの竹の割り箸と鉛筆削りは機内持ち込み禁止でしょう。おれの感覚だとあの竹箸は非常に危険である。でも、インフルエンザ対策で世界に恥をさらしたように、銃刀法は未来でも恥をさらしつづけ、更に文化をも失わせるだろう。もうひとつ言っておく。ボールペンほど危険なものはない。結論から言おう。ヌーディストエアラインこそ安全で平和なのだと。事件、事故がおこるたびに利権が生まれ、生まれ続ける。*それはさておき、たぶん、いまどきのナイフで一番使いやすいのがスパイダルコだ。 このブレードの背をよくみてごらん。ちょうど親指があたる箇所に力を入れやすいギザギザがある。実は次男が10歳の誕生日に買ってやったのと同じモデル。軽くて扱いやすい、優等生的なナイフだ。そして色は山の中で落としたときでもすぐわかる色を選んだ。間違っても迷彩色は選ぶべきでないよ。ナイフといっしょに与えたのが鉈(なた)。都市ではかんがえられないだろうが、生きる原点はそれらにある。鉈があれば鉈の背を石でたたけば丸太も割れる。もちろん、丸太の割れる目を読めればの話ではあるが。*更に優等生なナイフというと、フィレナイフがある。開口健と一緒に旅行をした料理人だった人が、「これはいい」と言ったのがフィレナイフ。そして、いまだに、20年以上過ぎた今でも、スエーデンのEKAは愛用している。ちびっと横目でいいかもしれないと思っているのはオピネルのフィレナイフ。もちろんライヨールはブレードと握りのバランスがとてもいい。そしてオピネルには多少は乱暴にあつかってもま、いいいかという気軽さがある。男子たる少年には成人の証としてナイフを与えるという、かのフランスの地で日本の銃刀法の話をしたらどのような回答がくるか・・笑ってしまう。大地に立って生きることを放棄するのかと。次男の修学旅行に貸したら帰ってこないのがこれ。ミニチャンプだよ。なので買った。誘惑への道の目的はこれだった。ライトつきモデルとボールペンモデルがあったけどボールペンモデルにした。理由はもう、書いたよね。旅行では絶対不可欠。もちろんちょっとした出張でも絶対不可欠。楽天トラベルでホテルを予約して様々な地へ旅をするだろうけれど、「どうにかなるさ」という旅ではなおさら生きる基本はしっかりと持ち歩かねばなるまい。これがあれば、パソコンを分解して組み立てができるし。他にナイフの刃が禁じられているなら同様にパソコンの分解と組み立てができるのは、レーザーマンのこれ。。笑.これは、ナイフの刃がないモデル。そう、書いてあるでそ。表面の仕上げがなめらかで手になじむ。それとこれなら秋葉原で持ってて職務質問されても、も問題ないっしょ。銃刀法の法規をよみかえすがそのたびに「料理をしたことがない、絶体絶命を経験したことがない人がつくった法律」ということを強く感じる。漢方薬には若い鹿の角もあるし馬の角もある。みたことあるでしょっ。思い出してごらん、あったでしょ。馬の角。そして、わかったでしょ。みたこともないものを査定して予算をつけて切られて・・そんなことをくりかえす「馬鹿」という動物が確かにいるってことが。
2009年11月26日
コメント(0)
山の上からさまざまな「ことがら」がおりてきて、やがて風がひとつ吹けば葉は地に落ちてとけてゆく。人生は四季にたとえられる。ならば人生の冬とは何なのだろう。デジカメのCCDの具合がおかしい。「寿命」なのだろうか。さて、人生には「壊れた」があるのだろうか。そして病が治るとは直ると癒えるとどうちがうのか。病とは新たなる誕生なのであろう。日々新しき我らなのだから。風がひと吹いた。落ち葉が重なる風景は、「死のみぎわ」の風景だとは思わない。これもまた姿だ。そして冷凍保存する方法もあるだろう。*ところが冬になると元気になる連中がいる。「コケ」だ。それまで日差しにさえぎられていた彼らはいきいきと、その姿を開き、変容をはじめる。なぜなのだろう。命はちいさければちいさいほど、その姿は精緻になり幾何学的になっていく。ほかに変えようがない姿が現れる。これは石の上のコケだよ。そしてタイルの目地にはギンゴケ。さてと、クマムシを捜そうか。微細な生物たちによる冬の謳歌を聴くために。
2009年11月21日
コメント(0)
以前に男女の衣々(きぬぎぬ)のことを書いたことがあったよね。いまだに次男の高等学校は詰襟だ。きぬぎぬでセーラー服をきたら、うう。えぐいっ。笑.万葉から古今の時代、契りをかわしたふたりは、翌朝、互いの衣を交換して「あたしたち、できちゃいましたぁ~」と、人々に宣言するのが「衣々」。更にきぬぎぬをすると互いの思いが相手の心の芯に入るという信仰もあったらしい。とてもシンプルでピュアな披露宴て感じがする。それらの歌をあつめたのが古今集の「きぬぎぬ」という分野だ。さすがに古今集には名歌がある。「あふくまにきりたちわたりあけぬともきみをばやらじまてばすべなし」 阿武隈川って千曲川、球磨川とも通じる「くま」のある川だ。おそらく「くま」って三日月湖ではないだろうか。もしくは、目の「くま」のように、うねうねとうねる川のことを「くま川」とよんだのかもしれない。更に疑問なのは、「阿武」という言葉。もしかするとアイヌ語なのではないかと思っている。場所はちょうど坂の上の田村麻呂が活躍した場所に近い。*(意)あぶくま川に霧がたちこめるように、私たちの周囲をおおいつくして、いつ明らかになるかわからない(私たちの関係だし、将来はどうなるかもしれない、そのなかにいる)私たちだけれども、(今、)あなたを行かせたくない。ただ待つだけ。そのすべをも知らない私なのです。 阿武隈に霧たちわたり明けぬとも君をば遣らじ待てばすべ無し高野切れをもういちど目でなぞりくれ竹筆ペンでするるっと、なぞってみる。さあ、テキストを脳の中で熟成させよう。りんごの実のように。そして思うのだ。おそらくは、18歳になるかならぬか、そのくらいの年齢で絶対的に恋して愛して、互いに離れなれない霧の朝、衣を交換して、手をつないで先の見えない未来へとあるきはじめた二人のことを。阿武隈川で霧がたちこめる場所は限られている。それは、本流と支流の合流地域だ。そんなことまでこの歌は視野に入れているのかもしれない。 旅立つ二人の影に合掌。そして、情熱の時を過ぎた今でも思うのだ。先が見えなくても、今まで何度も思い切って、思い切り続けた人生ではなかったではないかと。
2009年11月10日
コメント(1)
昨日はアウトドアガスストーブを紹介したけれどこんどはやさしいアルコールバーナーだよ。これを見て、おっ、「トランギア」と言ったらあなたは偉い。実は、アルコールバーナーというアウトドア用のストーブ部門があって、そのトップクラスなのがこのトランギア。基本はアルコールランプなのだが、綿芯がない。しかし、火力は強い。いろいろな会社が風防をつくっているが、テントの中なら吹雪でも使える。なおかつ、音が静かだ。ガソリンストーブやカセットコンロストーブだとそうはいかない。昨日紹介したイワタニは完璧ではあるが自然とは一体化しない。残念ながら。しかし、このアルコールストーブは自然と一体化できる。耳をオオカミのように立てて炎をみつめ、物語ができる。軽くて小さい。なおかつ、燃料アルコールは高山までも持っていける。その仲間で手のひらに乗るストーブがこれ。火力が弱いがそれがまた長所にもなる。土瓶での薬草の煮だしだよ。あなたが魔女志望ならばチタニウムのこのストーブを持つだけで、魔女になれる。炎の前で自らの物語を語るのではなく聞くために。青い炎のまえで、あなたは、千と一夜の物語をたくさん聞くだろう。百均にいくと、こんなものがころがっている。香水の詰め替え用ポンプだ。これで浣腸してはいけない。ストーブに燃料アルコールを注ぐときに絶対必要なもの。縄文のときから「火が通る」という言葉はあったはずだ。オール電化にしたとき、少年少女たちは炎を見ない生活に入る。すなわちそれは、災害に直面したときになすすべがなくなるということだ。庭に石をつみあげ、かまどをつくろうかと思っている。ピザ釜、そして、は釜(はがまって、わかるかい)のための釜を載せるために。さすが国産、エバニューでもつくっていた。これから寒くなる。しかし、紹介したどれもが、遭難したときに命綱となるものばかりだよ。飛行機には持ち込めない。でも、これがあれば3日はしのげる。炎を扱う。それは「私は生きる」という宣言でもある。また、刃物にしてもそうだ。これはまた改めて紹介しよう。最後にひとつ。雪山で遭難したら、生木の針葉樹を集めて火をたき、たき続けること。枯れ木には火がつかないんだ。
2009年11月09日
コメント(0)
仲間たちから天変地異に備えてますかというメールが来た。たぶん、なんとかなる。理由は水と食料を備蓄しているから。3日ぐらいならなんとかなる。ただし、いざその場で活用できるか・・それは、伊達政宗の戦場にもっていかねばなるまい。なので戦場に持っていってみた。 見ただけで、「アレだ!」とわかったらあなたはすごい。イワタニのバーナーだ。ところがボンベはイワタニでなくても使える。イワタニは「イワタニ以外はつかわないでね」と表示している。しかし、イワタニはだいたい市場価格が3本で600円。同じ規格のボンベは3本で278円。なおかつ、この設計が優れていることは炎とボンベの間に空間があること。爆発を避けている。だからほかの規格でも安心して使える。◆ただし、イワタニ以外のボンベの使用を推奨するものではありません。◆◆事故が発生した場合は自己責任で解決してください◆ ケトルから湯気が出る。このケトルはアルミだがチタニウムのケトルもある。湯の出口のデザインが流体工学にマッチしてない。優秀な品物ではあるが改善の余地が大きい。どのように改善するか。板金だよ。笑. 山のなかでゆっくりと時間をすごした。今回はガスストーブだが、後日、もっと楽しいアルコールのファイヤーワークを紹介しよう。ただし、アウトドアを少人数で楽しむ者に、このイワタニのバーナーを超えるものは無い。もし、キミがライダーなら絶対におすすめする。旅をする者には、自己を焼き尽くす炎がときには必要なのだから。その燃焼のためにはこのボンベが日本国内のコンビニやDIYショップでボンベでいつでも調達できることが前提となる。先日、各地のコンビニやDIYをみたら、あるんだな。どこにでも。しかし、そうでない場合もある。行くところは薬局だ。薬局に何があるか・・・・次回をみてね。
2009年11月08日
コメント(1)
「バカの壁」の養老氏が今日のNHKラジオ番組で語っていた。うつ病の人が増えているというが畑に立つ人には、その病気の人はいないと。実は、そればかりではないのだが、逆にそうでもない。オレが回復に向かう途上には、「太陽の光を浴びる」という行為があったから。それは、病気の自分自身にとって、回復への兆しをみつけたことでもあったし、これからの自分のために、とてもとても大切なことだった。もうひとつ、興味深く思ったこと。それは、ニンゲンは共生している。共生とは相手のことを考えようとすること。人だけが行う共生の象徴的な行為、すなわち物々交換。それとは価値をつけて天秤にかけるすなわち、「=」を持つ存在であるということ。それが貨幣経済の発生となり、価値の「概念」を生み出したと。実は∞を読み解こうとするときにどうしても必要なのが「=」なんだ。これは、近いうちにまとめてみようと思う。1÷∞=0 ではない。ただし限りなく0に近い。また、∞÷∞=1 もしくは ∞ と思っていた。しかし、そうではない。注意してみてごらん。「=」によって定義づけられたそのとき∞はその本質を失うから。なぜなら、そこに存在いている 「 = 」 という 人という生物の根幹にかかわる記号に問題があるのだから。 ここはとあるスーパーマーケットの隣にあった柿の木だ。実がとても大きい。桃栗三年柿八年というのはその通り。その根にとてつもない光をためこまないと、黄金の果実にはならない。そして、柿すなわちパーシモンの木はチェンソーできってみればわかる。とてもとても硬い。なので囲炉裏をかこむ最高の材木が柿の木だった。そんなことを知るのも75歳以上の人たちもしくは職人だろう。 キカラスウリをみつけた。カラスウリとかスズメウリとかはあるけど、なぜかここいらにあるのはキカラスウリ。これだけの実があるということは、たぶん立派な根があるのだろう。その根を養っているのは住宅街のど真ん中にあるこんなところ。 庭といっていいのか。それとも畑なのか、いや、人生のすべてなのだろう。だから、大東建託がこようと絶対にガーデンのままにしておくのだ。なぜなら、これこそが、生きてきたすべて、これから生きていくすべてなのだから。畑を手入れすれば畑は裏切らない。お金はどこかわからぬ場所で生まれやがて無へと帰っていく。しかし、このあたりには種を蒔くこともなく収穫できる野草や山菜はいくらでもある。スーパーマーケットの隣にあるこのガーデンのあるじは知っている。∞の人生において「=」とは足し算しか成立しえないこと。すなわちこの地につくすこと。そうすれば答えは∞だから、そこから必要なものを拾えばいい。更にスーパーの前にいて毒を食わずに生きる方法。それは買わないことなのだ・・と。
2009年11月07日
コメント(3)
JALの関連会社が入っていた。それと地方バス会社の関連会社も、日債銀の関連会社も同じビルの同じ階だった。そこは霞ヶ関の三井不動産のあのビルだ。JALの元役員すべての学歴をたしかめようよ。そうすればどの大学がダメなのかがわかる。オレの記憶の中には金忘。。もしくはカネボウという女性を食い物にした会社と重なる。この国を豊かにしかつて幸福をもたらした、技術者と技能者とを見下げるその学閥とは・・更に税金を食い物にして生み出すことがないその学閥とは・・自らの会社もしくは公共団体を維持したければその学閥の友達関係の採用は見送るべきだ。友達関係の維持ではなく、無から有を生む力こそ経営の根幹なのだから。前原を見ていて思うのは労組友達がきたなと。たぶん、失敗する。*ところでA型インフルエンザの増殖はとまらない。息子のクラスにも来たようだ。ところが・・・クラスのまんなかに発症者が出た。しかし、そのとなりにいる連中は工業高校の部活動でめいっぱい体を鍛えている。なのだろうから、感染しても発症しない。そればかりでなく、たぶん抗体もできているのだろう。ところが、体育系部活動(吹奏楽部と合唱部は体育系だ)でない生徒がまっさきに発症した。いえることは、インフルエンザウイルスはだれにでも感染はする。しかし、発症するか否かは、感染者の抗体力によると。ならば、体内にはいっても対抗できるからだをつくればいいこと。そのためには、まずは食事からかえること。中心にあるのはスターアニス(八角)。タミフルの原料だよ。一時高騰したがなぜか中外製薬の株価があがったので合成できたからおっけい。乾燥マイタケ。マイタケのでかい株がにぎりこぶしぐらいまでちいさくなった。それに昆布、青のり、にぼし。これに、乾燥シイタケにいまどきのサンショウ、昆布に青唐辛子味噌をくっつけて乾燥させてだよ。タイガーTIGERクロスカッターミルでがーーーーっ。と攪拌。粉末は、味噌にねりこんで、中華の香りする味噌汁おっけい。できあがりっ。さてと、もやしと豆腐を炒めよう。そこにこの粉末をぱらぱらと・・・爆笑
2009年10月29日
コメント(0)
蜂の巣は正六角形だ。そして花は遺伝子にしたがって幾何学的に開く。単子葉植物を除いて。双子葉植物は基本的に茎に葉をつけるヘリコイド構造も花のつけかたも幾何学的で、分布の方法もフラクタルの波に乗っている。更に自己の子孫へのあきらかな意思がある。花を見ると結果は乱雑だが設計は精密だと理解する。そのように理解してしまう自らから不思議だ。これを撮影しているデジカメはCanon のIXYで唯一単レンズのモデル。ズームだと絞り羽根とかレンズの設計にどうしても無理が出る。なので単焦点レンズのカメラは無理なく解像力を生かすことができる。それは画素数争いとはまったく別の結果となって現れる。屋外の階段のあいだに銀河が現れる。これは、ソニーの古いデジカメ。ただし、レンズはツァイスT*。レンズの背後のボケをみると、相当な技術が投入されたと思われる。以前にもツァイスのコンパクトカメラは持っていたが、それとはまったく別格。とゆーことで、最近のデジカメのマクロはレンズではなく画像処理で無理をしているのと、絞り羽根をなまけているのでダメ出しします。やっぱ、絞り開放マニュアルで味が出るレンズでないと。・・コンパクトデジカメであってもだよっ!ところが、最近、ソニーの調子が悪い。DSC F-88 間違いなく名機だよ。そろそろ、ネットで中古をあさっておくか。。
2009年10月27日
コメント(0)
おれは、中学生の頃、夜に眠れなくなるとよく散歩した。その場所とは近くにある一級河川まで。ときには紫色の朝方まで歩きつづけたこともある。警察に職務質問されたこともあったっけ。何かの気配が頭上を通り過ぎていった。その正体がわかったのはほんの数年前のこと。もともと、その河川流域には「里村」とでもいったらあてはまるかもしれない。河川が氾濫する限界付近にケヤキが列をなして植林されていた。ケヤキは根が深いし、材質が硬いから容易には折れない。なので等間隔に植えるとその間に土嚢を積むことができる。そんなふうに水害対策をしていたんだ。近くには縄文から弥生にいたるまでの遺跡がある。長い年月が過ぎてそのケヤキもその用がすんだころ、伐採されて株が残りそこに、うろができた。それは、それはとてもよい巣箱になった。こいつらが緊張しているときは、体をすすっとすぼめて枝の一部のようなふるまいをする。ところがこんなふうに、リラックスして冠羽を風にまかせるのはめったにないこと。そして、家のすぐ近所に彼らは住んでいた。その場所がいつのまにか現代風に家が立替られたとき、里森は伐採され彼らはふっつりと姿を見せなくなった。・・・ところが。山の中にある集落はなくならないように、水辺の集落もなくならない。なぜなら、そこは生きやすいからだ。軒下を見ると、うなぎのうけがあり、投網が干してあるようなところ、なおかつ腐った古木があれば、必ずこいつら、トラフズクは山からおりてきて、水辺で養われる。おれたち、野鳥仲間は「とらちゃん」とその名を呼ぶ。とらちゃんが、秋深くなり、山からおりてくるとき、見るのはたぶんこんな風景。おれの中学生のときの担任の先生は、以前はこの山のふもとにある中学校に赴任していたと言った。そのとき修学旅行のときに必ず聞かれたことがあるという。「どちらの宗教団体ですか?」と。その名は{霊山中学校}という。霊の山だって、笑うでそ。ところが笑えないことに、動植物の限界がここにある。いうなれば、陸の下北半島と北海道までの距離のようなものだ。ここで撮影している場所まではアオスジアゲハが飛んできたりユズがなんとか実ったりする。ところがここから北に、かんきつ類は実らない。それだけでなく、地衣類でヨコワサルオガセという種類があるが、他の地域は木にひっついているがここでは岩石にしがみついている。更に、北方系の植物と南方系の植物そして昆虫もすべてここにあつまっている。うつ病がひどくて、会社をやめようと思って冬をすごして晴れた春の日、おれはこの山に登った。下痢がひどかったから容易ではなかったが、なんとか数十年を経た松の根にしがみつき、しがみつきながら岩を登り、岩の頂上に立ったとき、「オレは生きられる」と自分に宣言した。それがいやしのはじまり。確かに、確かに、「霊の山」だった。だから、おれは墓はいらない。そう家族にも宣言する。この山の巌こそ、おれの墓石なのだから。
2009年10月23日
コメント(0)
今のこの国では希望と絶望にかかわりなく、不況ではあるが屋根はある。なんとかなる貧困。違うのは絶望的な貧困。以前に話したことがあったよね。タンポポの種には国境がないって。そしてもうひとつ。おいしいしあわせには国境がないんだ。ゴーヤの苗がわが家に来た日のことは覚えていない。いつのまにか、ともだちのともだちのともだちを通して家にいる。*問題なのは、なぜゴーヤが東北の我が家まで旅したということ。目黒に寄生虫博物館がある。ひじょーにおもしろいのは、寄生虫の「中間宿主」という存在なんだよ。それが存在して、その形態にあわせた中間の生命形態があるということは、食物連鎖の全体を寄生生物は俯瞰していることにほかならない。第三者の目だよ。モーツァルトを聴いているときに思う。バッハがそれまで多様だった平均律を完成させた直後にモーツァルトは登場して音楽を昇華した。青いバラが生まれた。しかし、それを超えるほどにゴーヤの君は美しい。なぜなら、一種の人類の欲望のために生まれたのではなく、たくさんの生命体の希望のあげくに生まれた君なのだから。
2009年10月22日
コメント(0)
まっさきに案内したい場所があった。その場所とは水があふれるところ。龍索堂さんが東北を訪ねてきてくれたときのことだ。時間切れタイムアウトで入り口までしか案内できなかったが、実はこんなところをみせてあげたかった。中学校を卒業したら誰でも知っているその合金の名前は「ハンダ」。錫と鉛の合金で低温で融解する。その名の由来がこの山。半田山(はんだやま)と地元の人たちは呼んでいる。望遠鏡でみると山の頂の右側は牧草地になっている。管理事務所も見える。そして、この山に登ってみおろすと不思議な場所が見える。ハートの形をした半田沼というところからすこしずれたところで石を砕いている工場がある。もしや、凝灰岩か?とも思う。なぜなら、その石はあはは、でむふふな粘土がとれるから。そぃで今、おぃらがとりくんでいる、ナニを透明にする効果が絶大らしい。考えてみてみ。保湿効果と泥だよ。さらにハチミツつき。おっといけねっ。そのうえ○○式マッサージがコラボしたら、おほほでわないですか。実はこの山、過去に何度も崖が崩落している。理由は前カンブリアよりも古い石灰岩層だから。ただし、堆積岩の石灰と先カンブリアの海がもとになった石灰岩とは別物らしい。更にこの山、昔、幕府直轄の天領で、銀山だった。ということは海底火山だったってことだろう。ならば、おそらくこの周辺には、むふっ。レアメタルがぎっしりあると。ほーら、だんだん山師になってきたぞっ。笑山師はどのように山をみわけたかって、これをみればわかるでそ。実は同じ山でも、あっちに出ている水は苦い。でも、ここの水は甘い。理由は、ここの水の周辺には貝や珊瑚を含んだ堆積岩がたくさんあるから。同じ山のあっちの水は苦い。前カンブリアカルシウムとマグネシウムたっぷりだし、おそらくは海底噴出火山から地球内部からもたらされた金や銀やレアメタルがたくさん含まれているから。実際、江戸時代と明治の技術でしか開発されておらず、現代の金属バクテリアによる精製技術が開発できたらそれは、もう。もぅ~というアカベコ伝説になっちまうんだ。更にうまい水には宿るんだな。神様が。おぃら、里山を見るときには必ず聞いたことがある。「水神様(龍)はいるかい?」ってね。そうすると、そのあたりに住む人たちは「水自慢」をはじめる。あとはあじわってみる。すっぱい水ならあたり。その地下浅いところに温泉がある証拠。遠ければ小さな山。近づくと大きな山なんだ。そして、場所によって水の味がちがう。Ego sitienti dabo de fonte aqua vivae gratis聖書の黙示録21章6節後半、ラテン語だ。(人権なき自然は)水の恩恵はかぎりなく・・その先は翻訳する言葉を持たない。更にギリシャ語になるとεγω τω διψωντι δωσω εκ τηs πηγηs του υδατοs τηs ζωη δωρεανラテン語が gratis とひとことでかたずけているところをギリシャ語では(あまり響きがよくない表現だけど)丁寧に説明しようとしているところがわかる。ならべてみて Ego=εγω で読みは「エゴ」だよ黙示録に記載されている、あたいなく水がわきいづる、宝石にかこまれたようなその地は私たちの目の前にある。それが日本の現在の里山だ。それが崩壊しようとしている。ラテン語の gratis という言葉をよくながめてかみしめようよ。そこにはいつも、無尽蔵な可能性があるのだから。以上、山師初等講座、おわりっ!さてち。次回は阿武隈山地にいこうか・・笑.
2009年10月21日
コメント(1)
生まれてはじめて人を殴ったのは、祭りの最終日の夜のこと。オレは、従兄弟の頬にゲンコツした。原因は彼にあるのではなく、自分の家族にある。家族にある者よ。覚悟しておくがいい。おれは、自己中心な下品さを叩き潰す。そう心に決めて数年がたった。もうすぐだ。その日にとる行動を何度もシュミレーションしている。一時間で終わるその作業。今日の朝日新聞に大江健三郎は、二ノ宮尊徳の視点、そしてネイチャーは権利の基盤ではあるが権利を持たないと書いていた。ところで、大江氏は自然を読めるのだろうか。彼の子供は知的障害者だ。そして、あるときに彼は書いた。鳥の鳴き声のレコードを聞かせたこと。そのレコードには鳥の声とともに鳥の名前がかたられていたこと。ある日、少年は鳥の声を聞き、レコードの声で「クイナです」と言った。その瞬間こそ、絶望を語る小説家から希望を提案する文書を書く人となったときであろうと思っている。*センブリの花のねもとには蝉のぬけがらがあり、イネ科の植物が横切っている。絵にじゃまだから取ろうと思ったがそのまま撮影した。苦いのはもうわかっている。しかし、花は語りかける。「たべてごらん、たべてごらん」と。花を見たとき、人にはどのような波動が生まれるのだろうか。そしてまた、その波動を花はうけとめているのだろうか。おぃらがセンブリの花を撮影したことは、波動の渦に隔離されたことにほかならないのだが。笑.*生まれてはじめて人を殴ったこと。そして平和を守るための戦争という逆説を思うこと。開放されれば容易な人生も、我にしがみつく苦難な人生もある。悩まぬ薬はのんではいけない。悩む薬を苦さをかみしめて飲むべきだ。それが生きるということなのだから。
2009年10月20日
コメント(1)
台風の目がキターッ!!太平洋側の浜と日本海沿岸の被害は土建業者を喜ばせ、損保業者を悩ませるだろう。テレビをみていたら、渦の中心ではなく、台風の中心が上空を通りつつあることがわかった。そいで、空を眺めていたら。。こんなふうにやってきたのねっ。ところが、日本海沿岸、太平洋沿岸はすごい被害なんだけど・・目の通り道はとてもおだやかで静かで、なーんも関係ないのだわ。とくにここいらは、奥羽山脈がスポンジのように水を吸収してくれるので。ダムなんかいらない。杉の森もいらない。落葉広葉樹の森があれば水害は無い。あるとすればダムよりはるかに安い遊水池をつくり、毎年野焼きをすればいい。利権もないから税金の無駄もない。今回の台風の教訓はそんなところだろう。水害の規模と体積がわかれば計算できるだろう。1000年に1回の水害が来ても対策可能な遊水地をだよ。更にそこは生物多様性の現場でもあるし草本と野鳥の子宮にもなりうるだろう。私はこれしかわかりませんし、説明も出来ませんという公務員は背中に「ばーか」と紙をはりつけてあるくべきだろう。幼保分裂の統合は官の利権のためにあるのではなく現場の問題解決のために存在しているのだから。できないのであればできるための工夫をしなくてはならない。だって、問題はそれをかかえる家庭にあるのだから。なんだって? 東大でたのに上場企業より給料が安いって?ならば、ハローワークに行けばいい。そうでなければ、愚痴をこぼしながら、ゾーニングとダンピングをくりかえしていなさい。やがては、それさえもできなくなるから。*さて、そんなことをいってるうちに来たぞ来たぞ、スペクタクルが。穏やかだ。不気味すぎるほどに穏やかだ。被害状況は目をむくほどなのに、この下には何もない。太陽が出ている。セルリアンブルーの空の向こうにウルトラマリンの天空が見える。明日はミツバチたちの様子を眺めてから出勤しよう。満月が欠け始める今朝方、出産の話を聞いた。二人そのうちの一人は満潮の時刻。もうひとりは干潮の時刻。台風と満潮と干潮の時刻の出産。これを考えても結論はいまのところ結論は出ない。記憶にとどめておく。その赤子が青年になって活躍する日を毎年おぼえながら。
2009年10月08日
コメント(2)
「写真をとりなさいっ。テーマは月、今日の月っ。EV設定を吟味せよっ!」次男はニコンの一眼デジカメを持っている。それとローライフレックスの二眼1952年製のやつも。はじめは、まったくぅ~と思っていたが、今はオレが持っていたレンズを受け継ぐことができるまでになったと、逆に幸福感を覚える。子供によって親にされたって、こうゆうことなのだろう。*雲のひだがきれいだ。高校生にしてはなかなかいいんでないかぃ。次は、バードウォッチング用の望遠鏡を連結させた。まあ、レンズはEDだけど、バードウォッチング用の望遠鏡とアダプターなしで、よくぞここまで撮影できましたっ。EV値をどのように決めるかが決め手だねっ。*そしたら、木星も撮影しました。おお、ガリレオ衛星が愛人の順番の通りにうつってますねっ。大変よくできました。おぃらが高校生の頃には思いもよらぬこと。現像という作業があったから。そうだよなっ。21世紀なんだよなと、つくづく思うのでありましたっ。そして、明後日、学校に来るかこれないか、授業料を払えない生徒を想うのでしたっ。
2009年10月03日
コメント(0)
悩みはゆれる。こんなふうに。絶望から祝福へ、祝福か歓喜へと。なんつーと、ベートヴェンの交響曲を思い出すかもしれない。もろびとは兄弟となり、羽がそれを包む。それは交響曲の9番。悩むのは生きている証拠だ。問題は悩みをいかに生み出し続けるか。その解決方法をいかに提供しつづけるか。なんだ。*そんなテーマを持つと、実はオレ、キャノンのウイルス対策ソフトeastを疑っている。理由はそれでしか解決できないウイルスが蔓延していること。こら、オメたちがウイルスつくってるんだべ。そーでない証拠をみせろ。なぜそんなことをゆーかって?訴訟がないし、作者追求もされてない。グローバルIPをおっかければできるはずなのに。オメたち、できレースしてるなっ。笑.そーでないというなら証拠をみろ。こら、キャノンのeast。パソコンを使うひとたちの業務妨害するなよなっ。*それわさておき、とても美しい土地を見つけたのだけど、やはり若者がいなくなり、限界集落になりつつある。そいでおれは、もとは桑畑、今は放棄地。その土地からどんどん稼げるモデル事業を思いついた。秘密だよっ。話をしたら、くらいついてきた。たぶん全国的に展開できるだろう。ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」では「虚無」が世界を支配していく。変えるためには、「新しい名前」が必要だ。新しい名前・・それとは・・・・・・・新しい名前なんだよっ!
2009年10月02日
コメント(0)
スズメバチに襲われているニホンミツバチの巣の上においてみた。ネズミトリほぃほぃは、ほぃほぃとスズメバチをあつめる。襲いにきたスズメバチを防御しようとしたニホンミツバチ、それにカマドウマさらにザトウムシまで・・ぺたっ。ぺたぺたぺたっ!*そこにザトウムシがやってきた。昆虫とは何か?あたま、むね、はら と わかれていること。クモあたま、そしてはら にわかれるダニ類は あたまとはらが一体。とゆーことでザトウムシはダニ類なんだねっ。そいで、森の掃除屋さんといわれているが・・現場をみたのははじめてだった。蛾の死体をくわえてあるいていたら・・・ぺたっ。なるほど、こーなっているのか。しかし、乾燥した森でどのようにして昆虫の死体をみつけるのか・・謎。ああ謎はふかまりゆく秋。10月3日は晴れるだろうか。中秋の名月よ。
2009年10月02日
コメント(1)
語源は万葉集にも見つからない。誰が芽を目とよび、太陽を食らう葉を歯とし、口を朽ちとしたのだろうか。そして更に慣れが熟れだ。おそらくは大和言葉とのすりあわせがあったろうと思う。たとえばこんなふうにこどもたちは、すぐにわかる。わかること自体が不思議なんだけど、死後の49日をこのようにあらわしてしまう。芽と目によって枯葉の死に生命が与えられ旅は始まる。復活の日まで。自家製ミードは醗酵を続けている。スターラに攪拌されながら。そこに声がした。カモミールがいいと。*かつて野鳥の観察の最適な方法は野鳥の視線を感じること・・と言った。んぢゃ、漫画の菌類の視線を感じてみようか。また、これをつくった魂のように目を芽に葉を歯にして・・
2009年10月01日
コメント(0)
全781件 (781件中 1-50件目)