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★あれから1年以上が過ぎ、思い返すと・・(夕方に公園で足長の不思議な家族写真が・・・)久しぶりのブログ更新となります。息子も前回のブログでは10歳になりと書いていますがそこからすでに1年以上がたち、今は11歳中学受験を目指す最終学年(6年生)にこの春なります。 大きな変化はまずは塾を変えたこと。以前の塾は進学実績はとてもいいのですが、とにかく家庭学習が基本。そして宿題量も半端じゃない!うちの子は最初こそ頑張っていたものの、そのうちだんだん家でやらなくなり、そのことについて家庭でもめる毎日。週末になると遊びにいきたいがために午前中になんとか終わらせようとするのですが、結局ダラダラ取り組むために終わらず。そしてこちらもそのダラダラした態度に嫌気をさしグチグチと文句となる毎日。 4年生から入ったのですが(それまでは通信教育をしていました)それは辛い辛い1年間でした。塾をやめるやめないでもめにもめて親も子もほとほと疲れ果てました。課題をこなしもしないのに、それでも塾はやめたくないの一点張りで、友達も一緒に通っている子が数人いるためにやめたくもなかったのでしょう。それで、どうしたもんだかと思ってる矢先、もしかしたら塾を変えてみたらどうだろう?という気持ちがふつふつとわき、私があれこれ探している矢先とんでもない出来事が・・・ 5年の春にパパの単身赴任が決まったのです。(まさに前回のブログを書いた後ぐらいに我が家におそった特大ハプニングでした)パパがもともと家族の中に占める割合が少ないというか、影の薄いパパなら私もそんな動揺もしないでしょうが、パパ主導できたような中学受験。 それに今はまさに転塾しようかどうかと心が揺れまくっているところに、パパがいなくなる。もうダブルパーンチ!という感じでそのことをパパから聞いた時は目の前真っ白になりました。 それでも、塾を変えるという話は続行し、新たなところでのチャレンジをさせました。パパと別れるのは本当に辛く別れるといっても、移動距離はさほど離れたものではなかったのですが(新幹線で5~6時間ぐらい)それでも慣れるまでは涙涙の生活でした。 月に一度は戻ってきてくれるし、毎日昼休みには電話をくれて毎日の子供の様子なども伝えていて一人で子育てしているという負担は全く感じはしなかったのですが。。。 でも、今思えば、この父が不在という状況がかえって子供の心を強くしたのかもしれません。意外や意外と5年にもなると昔ビービー泣いていたあの泣き虫君時代とは違って、私の家事を手伝おうとしてくれたり、何より私がパパが帰るときにおいおい泣いていると「ママ!大丈夫だよ。また来月帰ってくる!」と励ましてくれました。どっちが親なんだか・・・って感じで本当に助けられました。 ただ、やっぱりパパがいないとなると何かって時にすごく不安な時がありました。今となれば過ぎたことですが、夜になってここが痛いと胸をしきりに撫でるときには何かの病気では?と思って一人ネット検索しているとだんだん怖くなってきて一人で抱えきれない不安を持ったり。(もちろんパパにも逐一話をしているのですが)これも大学病院までいって調べてもらうという大がかりなことがあったけれど異常なしで終わりました。 また、鎌倉での出来事。子供と二人で出かけるのも久しぶりやねと言いながら・・ふとしたことで言い合いになり、またいつものようにふっと姿を消してしまったのです。あのごった返す観光地で子供を見失った時の不安といったら!携帯はお互いもっているのですが、こちらから電話をかけても通じなくて~ お寺の管理人の方に訴えると、着ていた服や特徴を聞かれ、そんなことになっている自分の状況が未だ信じられず。もう足がガクガク。誰かに誘拐でもされたら!!もうパニックです。 結局これも子供はひたすら帰る道を一人で歩いていってたようで出会えた時には胸をなでおろしました。これもパパがそばにいたらこれほどまでにパニックにはならなかったもと思います。まさに寿命が何年か縮んだ事件でした。 パパと子供は一緒に住んでいた時はそりがあわないというか、顔をあわせばケンカのようになっていたのに、こうやって離れて暮らすといい感じになって、それはかえってよかったのかなと思ったこともあります。この頃はゲーム機のDSも結局ルールを守れず禁止となっていたので、将棋にはまりパパとネットで将棋対決をしていました。 それで思い出しましたが、スカイプのおかげで毎日顔を見て話すことも出来たことも離れている悲しさを感じない秘訣でした。 悲しいこともあれば嬉しいこともあります。この単身赴任生活いつまで続くか当初はわからなかったのですが、なんとなんと半年で解消されました。まさにおたけびをあげるほどの嬉しさでした。もちろん子供も。 ということで、やっと家族3人が同じ屋根の下で暮らすようになったのは去年の10月から。離れてみて初めてお互いの存在の有り難さを再確認できた貴重な経験でした。子育てしているうちはできれば二人で協力してやりたいものです。そうはいっても出来ない家族、または死別したり、色々な事情で一緒にいれないなど色々な家族がいるのだと思います。そういうことがわかって、今家族にできること。それは子供が中学受験に向けて頑張ろうとしている今ただただ応援するしかないということ。 長くなりました。また気ままに更新したいと思います。
March 21, 2014
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★10才を超えて今新たな子育てステージ 久しぶりのブログ更新となります。前回のブログが去年の9月だったから間もなく半年がたちます。この間に、光太も10才になり学校でも二分の一成人式を迎えてこの春からは小学5年生。いやぁ~この半年間色々とありました。最近よく言われたり、本にも書かれたりすることですが、「子供が10才になるまでに・・」というタイトル。それを過ぎてしまったのです。もう手遅れ?という焦りも感じますが、要は子供は10才になると大脳も完成されてきて今までは親の言うとおりにしてきたことも自分なりに判断して違うと思ったことは反抗してくるということ。 なので、素直に言うがままの時にしっかりこういうことはやっておきなさいよというあれこれが本には書かれているわけです。 でも、待ってよと言いたいのは、うちは10才になるまでに、もう既に自分というものをしっかり持っていて(それが正しいか正しくないかは別として)すごく自己主張のはっきりした子であったので、既にこのブログでも何度も悩んできたように相当の反抗期というものを体験してきました。 産まれてこの方、子育てはずっと光太との戦い?の日々であったように思います。 どうすればいいのか?自分の育て方が悪いのかなどと、友達に相談したり、たくさんの本やネットの情報をを読んでその都度夫婦でも考えあっててきましたが、これといった理由がわからずただ日々が過ぎていきました。 それが、家庭でも色々なもめごとがあり、それは塾に関することや、3DDSゲームについてのことやとあれこれ頭抱える悩ましい問題が勃発するにつけて、その都度今までのような光太への接し方だと家庭がめちゃめちゃになっていくのを感じておりそれが大きな悩みであったのです。 私は、子育てばかりで悩んでいると行き詰まってしまうと思い、別の逃げ場(ベーグル作りやクッキー作り)に自分の癒しの場を見つけてはせっせと専念することで日中は忘れることが出来ました。でも、やはりいくらそこに逃げていたとしてもそれは現実逃避。どうにかして解決していかねばならないことはいつも山積みだったのです。 それが、先日光太が家庭で起こした事件で、もうダメだと思い立ち、ある方(仮に子育てのプロと言わせていただきましょう)ご相談しました。そのある方との出会いで、こんがらがっていた糸が少しずつほどけてくるように、やっと先に光が見えつつある現在です。まだ抽象的な言い方しか出来ませんが、今までのように、親対子供ではなくて、もう少し(まだ子供なんだけど)自分の子としてだけでなくて、いずれは社会に出て活躍するであろう別の人格として認めてやりながら接していくべき時がきたのだと痛感しています。 今までの接し方と同じようだと、間違いなくさらなる反発にあい、間違いなく光太は家を出ていってしまうことでしょう。もっと家庭が居心地良く、安らげる場であることを私達夫婦も改めて見直すべき時がきたのです。
February 25, 2013
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★頭ではわかっていても・・・ 久しぶりのブログ更新となります。塾に入ってからというもの、親子共々生活が一変した。夏休みは15日間も夏期講習があり、途中お休みがあったものの、毎日出る課題の積み残しを消化しているうちにあっという間に終わりました。この夏休みは、今まで過ごした中で一番しんどかった!! 夏休み明けに行われたテストで、クラス分けも決まり、夏休み前の実力テストでドドーンと落ちたクラスからはあがることが出来夏休みの頑張りが反映された感じ。 ただ、学校が始まってからは毎日遊び遊びで、夏休みには遊べなかった反動のように遊びまくり。塾も始まっているのに相も変わらず遊びたい遊びたいで、あっという間に姿を消してどこへやら・・・ こういう姿を見ていると、中学受験なんてしなくて普通に遊んでいたらダメだったのかなんて今さらながら思うけど、光太曰く、塾はやめたくないのだとか。 やめたくないのなら、しっかり頑張ってくれたらいいのだけれど、きっと塾の中では頑張っているのだろうけど、家庭学習の時間はなかなかもてないのが現状。 家でもガミガミ言われると、頭ではやらないととわかっているとは思うのだけれど、友達と約束して遊びにいったら打った鉄砲戻って来ずで、真っ暗になるまで帰ってこない。 こういう状態できっと4年も5年も終わるのかなぁなんて思う。これが最終学年の6年にでもなればいやでもやらなければいけなくなり目の色も変わってくるはず。 それまでの助走期間と思うことにしようと思うけれど、そうはいっても、ドサドサとやってくる課題をこなすのは相当な気力体力がいる。 入塾してから、親子のいさかいも絶えず本当に一時期はどうなることやらとも思ったのですが、本人がどうしてもやめたくないというので今のところ続けている次第。 毎日のように、親にくってかかってにらみつけるような顔をするようになった時、もうこれはダメだと思って塾へやめる電話を手にとったけれど、何度も何度もそれでもやめたくはないと食い下がってくるのは光太自身。 私自身が受験するわけではないのだけれど本当に中学受験というのは、まだまだ未熟な子供に親も寄り添ってやらねばならず、精神的ストレスも相当大きい。 勉強できて頭が偉くなることよりは、親への感謝の気持ちとか、心が順調に育ってくれる方が私としては嬉しいんだけどなぁと・・ 今は、塾のバスで帰りが一緒のお友達がいてとても仲良くやってるらしい。お互い刺激を受け合っているのか、今度は一緒に文化祭も見に行こうと言っている。パパが会社帰りに、二人がバスを待ちながらベンチに座ってバクバクおにぎりをほおばっている姿を目撃したようで、その姿を想像すると私も思わずニンマリしてしまった。 育ち盛りの子供達、学校から帰ったらすぐランドセルを放り出して今度は重たい塾カバンを持って3時間半の勉強が待っている。それが終わってほっとするとお腹がグーグーなってるんだろうなぁと。 二人でおしゃべりしながら、ちょっとしたものをつまむひと時が何よりも楽しいのだろう。 私も通塾経験があるが、やっぱり一緒の駅に降りる友達とは色々としゃべったものだ。今頃どうしてるかわからないけど、人生のある時期共に学んだ経験は一生忘れない。 どこの家庭にもいつかは訪れるこの受験という試練がうちにはちょっと早く訪れたと思ってこの2年半はがんばっていくしかない。長いマラソンになるから、息切れしないように上手に走っていこう!
September 6, 2012
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早いもので、kotaも4年生になり春休みから塾へ行くこととなった。 今まで遊びに忙しかった彼も、塾の宿題が山とあるのでどうなるかと思っていたが、やはり予想通り、いや予想以上に塾へ行ってやっていくのは大変だと最近痛感している。とにかく課題の量が多い。もちろん全部やっているわけでもないが、取捨選択しながらきっちりこなしていかないと大変なことになりそうだ。 塾の日は帰ってきたらもう6時間&塾で疲れきっている。塾の先生は、復習はその日のうちあるいは遅くても翌日までとおっしゃっていたが、それはほぼ無理に近い。 当日は、帰ってきてご飯を食べてお風呂に入る、それだけでもう遅い時間になる。翌日は唯一習い事も塾もないとなると、やはり公園で友達と遊びたい。そして、帰ってきたらすぐ切り替えられるはずもなく、どっと普段の疲れが出るのか眠気が襲ってくる。 なかなか塾のペースがつかめないままである。受験まではまだまだ長い道のりのようだが、過ぎてしまえばあっという間だろう。 週末はこのところ、ほとんど平日に出来ない塾の復習に追われる。それでもスキあらば遊びたい盛りなのでなかなか集中して勉強とはならないのが頭が痛いところ。 さっと集中して短期間ですませてくれればこちらも楽なのだけれど・・・ このところ私も睡眠不足気味。そして私がうたた寝しているうちに、さっと公園に抜け出すか、あるいは子犬とねんねしているか。 我が家にピュアラがいてくれたよかったと思うのは唯一、我が家の癒しになってくれるから。kotaも私に叱られたりすると、ピュアラをかまいに行く。そして癒されている。私も日中はピュアラが私のひざにぴょんぴょんジャンプして乗せてくれと訴えるのでひざに置いて癒されている。 ピュアラには面白いところがある。嫉妬犬であり、平和犬であるのだ。嫉妬犬というのは、ケージに入っている時に光太と私が仲良くしているとすごい剣幕で吠える。普段はほとんどいるかいないかわからないぐらいおとなしいのに「ワンワンワン!」とすごい声で。 平和犬というのは、kotaが私達親から叱られていたり、語調がきつかったりするのを聞きつけるとものすごくまた吠える。これは言い争いはいけないよと訴えているかのようだ。 犬を飼うことで、そういうことは期待はしていなかったが、おかげで怒りがエスカレートせずにすむように思う。 まぁ、最近の親子のもめごとの原因はほとんどが塾がらみだからなぁ。。。本人がとても行きたがっていたはずなのに、開けてみたら、家での課題が本人も思っていた以上に多かったようで大変。これからまだまだ続く試練の道。上手に息抜きしながら走って行こう!
April 19, 2012
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★恐怖のインフルエンザ 14日のバレンタイン夕方からうちの家に悲劇がやってきた。パパが前日ぐらいから体調が悪いと言っていた。夕方病院へ行ってインフルエンザAを発症してることが判明。 その直後、光太と私もなんとなく体がだるく熱をはかってみると微熱。翌日からは土日になるので夕食作ってる最中だったけれど手をとめて、急いで支度をして閉まる直前の病院に滑りこみセーフ。 とはいえ、インフルエンザの検査は発熱して12時間たたないとわからないということで、おそらくインフルでしょうという決め打ちでリレザンが処方されました。 私もここ数十年でインフルにかかったのは久しぶり。記憶がないくらい昔子供の頃にかかったような・・ その夜に予想通り光太は38度を超える熱。うんうんとうなっているので体を冷やしてあげようと起きては氷枕や体を冷やしたりと寝られない。こちらも熱測ると38度近くまであがっていた。二階ではパパがゴホゴホしている。あぁあぁ、みんながダウンしていても母は倒れて寝込んでいられない~~ 悪寒や体に節々の痛みなど明らかにインフルの症状で辛かったけど朝になったらみんなのおかゆを作ったり昼になったらまたご飯を考えて作ったりとこのご飯作りが何よりしんどかった・・・ずっと寝ていたいーーー!! でも、私の熱は1日もたてばさがったのだけれど光太の熱は丸2日間さがらなかった。今までこういうのも初めてで途中心配になって病院や薬局にも電話で聞いてみたぐらい。でも5日間出ている薬を飲みきってそれでもしんどそうなら連れて来てくださいとのことだったので我慢して待つことにした。 それで3日目にはようやくさがってくれたが、また喜んでちょっと起きていると夕方にはまた微熱が出てきたので結局5日間はおとなしくしていることにした。 熱がさがってからの方が私もパパも悲惨だった。そこから今度は特に夜横になると咳がとまらない。ゴホゴホゴホゴホ。咳をしまくっていると今度は腹筋やわき腹の筋肉が痛くなってきた。もう1週間以上になるがまだ咳が出る。おとといには、私だけもう一度病院に行って咳止めの薬などもらってきた。 パパももうそろそろ治るかと思ってきた頃、今度は会社から帰ってまた体の節々が痛いのと頭痛を訴えて早く寝ることにしてもらった。 光太は3日間学校休んで2日間の週末の休みがあり月曜に学校行くと、光太のクラスだけ火曜日から3日間学級閉鎖だとか・・・光太自身は元気なんだけど残念。長い長い3日の休みをもてあまし学校からもらったプリントはあるもののヒマでヒマで仕方のない様子。学級閉鎖の時は習い事もダメとかで時間が有り余るので、テレビを見たり折り紙したりと久々に幼稚園児のような遊びよう。 こちらはなかなか完治せず苦しんでいるのだけど、子供は回復が早くて羨ましい。
February 23, 2012
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★9歳のバースデーパーティー 先日の23日で光太は9歳になりました。今回はママの前日の思いつきで急遽友達を呼んでのホームパーティーにした。 産まれてこの方、ずっと誕生日が祝日ということもあり、必ずパパもいるので家族だけで昼間にお祝い会をしてきたが、たまには家族だけより友達も含めてお祝いをしてあげた方が喜ぶだろうなと思って遊べる人だけでも来てくれたらという感じで呼んだ。 前日にちょっとしたハプニングがあり病院へ行かなくてはいけなくなりバタバタしていたので、連絡が行き届かなくて、当日光太が電話で思いつく友達に連絡をして集まるという即席パーティーとなったのだが、6人が集まってくれて楽しくワイワイガヤガヤ賑やかなパーティーとなった。 この日は、光太も2時にはサッカーの試合の為に家を出なくてはいけなかったのだけど、集まってくれた友達もサッカーの試合があるため1時には出なくてはいけなくて練習着で集まってくれた。 10時集合ということにしていたのでみんなが次々にピンポーンピンポーンと集まり、まずはベイブレード大会。光太の今年の誕生日祝いは前々日に光太がこれがどうしても欲しい!というので私が光太と一緒に買いに走ったベイ太とかいう自動で回るベイブレードと対戦するスタジアムつきのベイブレード。先着10000名にはもう一つベイブレードがつくということで、23日に買うつもりが早く買わないと売り切れちゃうとせかされて買ったのだった。 買ってきた日に早速遊び始めて、ピュアラも騒がしいベイブレードの回る音にキョロキョロ。犬も目が回るのでは? ベイブレードがすむと次は久々に登場の人生ゲーム。これ家族でやっていると負けてくると泣き出してふてくされたりするので最近はお蔵入りしていたのだが、友達が来ると珍しく出してきて遊んでいた。 子供達が騒がしく遊んでいる間、ピュアラはやはりこんなに大勢が来てうるさく遊ぶことも初めてだったのでびっくりしたのか??鳴きはしなかったけれど、いつもはしないケージの中のトイレでもない場所でおしっこしてしまっていたので見つけた時は驚いた。犬もびっくりしておかしくなってしまったのね・・・ 最近はやっと伏せもできるようになって光太の指示をしっかり聞いている。伏せの次のピュアラの課題はお手。少しずつ出来るようになってきたが、お手をさせようとお座りというと伏せしてしまう。どうやらお座りと伏せを混同しているみたい。気長に教えていかなくては。なんせまだ人間でいうなら赤ん坊なのだから。 さて、子供たちがワイワイとやっている間裏方の私とパパは台所で大忙し。パパにはケーキの生クリームの泡立てをやってもらい、私はその間ベーグルやピザ、そしてチキンナゲットの準備。パパの生クリームの泡立てが終わった後はスポンジの土台に塗ってもらい、次はチキンナゲットを揚げてもらった。これ、テレビでやっていたのをメモして初めて作ってみたものだけれど、鶏ムネ肉を粗みじんにして玉ねぎすりおろしや卵やパン粉、片栗粉入れて、更に梅干しと青紫蘇が味のポイントで何もつけなくても美味しかった。これ何度もこれから作って食べたい味。冷めても美味しいのでお弁当にぴったり。普通のから揚げより絶対こちらの方が美味しい。 ベーグルはピザも焼くのでちょっと小ぶりにと思ってチビサイズ。キャラメルベーグルにした。チビなりにぷっくりふくれている。 ピザも11時40分頃に焼きあがり「お腹すいた~~」と一人の子が言うのと同時ぐらいに料理を出すことに。 「乾杯~!」をしてしばらく昼食タイム。みんなモグモグ。色々な学校の話しが出て聞くのも面白い。先生の話や女の子の話など。みんなそんなこと思っているのね~~ 1時には出発しないといけない子達が多いので昼食が終わるとすぐケーキタイム。スポンジは前日に焼いておいたからよかったものの、悠長に当日焼いていたらとてもじゃないけど間に合わなかった。今回来てくれていた友達の中に兄弟で卵アレルギーの子がいて、みんながケーキ食べる中食べれないのもかわいそうだなぁと思い、卵なしのカップケーキ(バナナ入り)を作るというのも当日に加わったため本当に息つく間もなく忙しかった。 ケーキは光太がいちごのケーキが好きなのでこれにも一苦労があった。前日お店に買いにいったら栃木産のが出ていたがかなり古いのかカビが・・・仕方ないので、別のお店に行ってみてもやはり同じ。仕方ないので今回は葡萄を買って飾ろうと思って買った後に、百貨店ならあるかもと思って足を運ぶとやはり高~いけれど綺麗ないちごがあった!しかも福岡産で多分放射能の心配もないはず。ゲットしておいて大正解。これ美味しかったし、やはりケーキにはいちごを飾るとグっとしまる感じがする。やはりいちごの赤に勝る果物はない。 それが、恒例のケーキに誕生日の数だけロウソクを立てて吹き消すのをしようと雨戸も締めて準備しているのに、光太はなかなか消さない。ふざけているのかロウソクがつくとその場から逃げだしてウロウロしてロウがポタポタと生クリームの上に垂れる。そのうちに、友達が「消さないんだったら俺が消す!」と言って吹いて消し出し本当に2本しかついてるのが残らなくなってしまって慌てて吹きに来た。何を考えているのだか?? 慌ただしい会だったけれど、それぞれに心温まるメッセージを書いてもってきてくれた子もいて幸せな気分に浸った。 光太もその後、サッカーの試合があって途中から雨模様になり見ている側は肌寒かった。ずっと立ち通しだったこともあり、私は足がだるくなってきていた。パパと二人でサッカーを見ながら、精彩を欠いている光太の動きになんともいえない思いが残る。もっともっとパワフルにガツガツと動けないものだろうか?ま、性格といえばそうなのだろうが、最近になってきてようやく光太はサッカーには向いていないのではないか?などと夫婦で会話したりするようになってきた。向き不向きはあるもので、何もサッカー選手になってほしいと思っているわけではないにしても、伸びの見えないボールから遠いところで走っている息子を見ていて歯がゆさが残るばかり。 「面白ければそれでいい。」と言うけれどはたして本当にそれで面白さを味わっているの?光太のように性格的にガツガツしていないのんびり屋さんには、サッカーのように俊敏に動いてガツガツと取りにいって点を入れるのを競う競技よりは、自分の番が確実に回ってくる野球やパパ曰くお相撲さんのように一対一で戦うものの方がこの子には向いているように思う。 でも、光太に聞くとサッカーは好きならしい。親は習い事の中で唯一見学しているものがサッカーなのでついつい口をはさみたくもなるが光太はスイミングも他の友達をさしおいてグングン飛び級しながら進級しているようだし、英語も先生からいつも良くできて驚くと言われて、ほんとに?と驚く。親が見てない方が伸びるのではないかと思えたりする。応援しているサッカーに関しては全く芽が出てない。 親の介入がない方が素直に伸びるかもしれない。勉強も。スポーツも。それならば、やはりのびのびと好きなことに打ち込める環境作り、体作りに親はせっせと努力するのみ。栄養のあるご飯を作ってニコニコ笑顔でいるのが一番の役目なのかも。 9歳健康で迎えられたことに感謝して。改めて、お誕生日おめでとう!!
November 25, 2011
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★ピュアラはアイドル ピュアラが我が家に来て1ケ月が過ぎました。変わったことといえば、光太の朝起きるのがさっと起きるようになったこと。私もそう。起きた時に寝室の扉を開けるとそこには必ず、ケージの中からこちらをじっと向いてお座りしているピュアラの姿が・・・クンともワンとも言わずに、とにかく黙って座ってこちらが起きてくるのを待っている姿はとてもいじらしいのです。 「ピュアラちゃん、おはよう!」と言うと耳をピクンと動かせてしっぽを振りまくって喜びを訴えます。そして、ケージを開けるとお腹を見せてゴロゴロしてすごい勢いで部屋中をダッシュします。フローリングでは滑るので、少し前にダイニングとリビングは全面コルクマットを敷きました。これで心おきなくダッシュできるため、ほんとウサギより速くダッシュし、光太は完全にそのすばしっこさでは負けます。 床に置いてある光太のランドセル、脱ぎ捨てた靴下、そして一番好きなのはサッカーのすね当て。見つけるが早いか口に加えて自分のお気に入りの場所でかじろうとします。 なので、光太も今までは床に脱ぎ散らかしていた靴下もそそくさと床でないところに片づけないといけなくて、私より上手にピュアラが片づけの躾をしてくれたことになります。(まぁ、結局片づけるといってもソファの上にあげたままということになるのですが・・・) ピュアラは本当に無駄吠えもないし、お利口さんでこんなわんちゃんでよかったと思っています。犬は飼ったことがなかったのですが、周りの話しを聞いたり、ダンナさんの実家のわんちゃんを見ていても、わんこがいるとさぞかし大変だろうかなぁと覚悟していたのですが、ぜーんぜん困るどころか、こんなわんこが我が家の仲間入りしてくれて本当に嬉しい限りなのです。 我が家だけでなくて、ピュアラは近所や光太の学校の友達の中でもアイドル。学校から光太が帰ってくるととたんに玄関が騒がしくなって「ピュアラちゃーん!」と子供達の声。女の子や男の子など変わるがわるやってきてはなでたり、抱っこしたりしにきます。 先日は、光太の友達で私がピュアラを飼うきっかけを作ってくれたわんちゃんが袋入りで遊びに来てくれました。そのわんちゃんはオスなのですが、ピュアラを見ると「ピュっ!」と顔を袋の中にひっこめてたじたじ。ピュアラはどうしたのだろう?という感じでじっと眺めていました。それが子供達にもおかしくておかしくて大笑い。今は犬の世界でも男の子より女の子の方が強いのかしら!? ピュアラはとても社交的で、誰にでも鳴くこともなくただただなでられるがままになっていて、これはお散歩中でもそうなのです。すっごく大きなわんちゃんなどが威嚇するような態度をとっても、動じることなく堂々としていて驚くばかり。私の方が大丈夫かとドキドキしているのですが、犬を飼っているというだけで散歩中の人には声をかけると、ママ友ならぬ犬友が出来るので楽しさも増えました。外でもワンワン鳴くことも一切なく、毎日光太が学校へ行く時に一緒に出て15分~20分ぐらい散歩して帰ってきます。日中は子犬なので構わないと、ほとんど寝ていることも多く、たまに外に出してやるとまたお腹を見せてしっぽをふりふりして部屋中ダッシュしています。でも、抱っこしてやるとすぐひざの上でも寝てしまいます。その他は、ケージの中でおもちゃをかじっては遊んでいます。光太の赤ちゃん時代のおもちゃをちょうど処分しかけていたところでしたが、残っていたおもちゃで遊ばせてみたら大正解。色々と使い道があるものです。 先日、ピュアラが色々なものをかじるのが好きなので、パパがピュアラにおもちゃを買ってあげました。それまでにも、骨の形をしたおもちゃも買ってあげたのですが、それはいまいち気に入らなかったようで、その代わり、今回のランコ(卵の形をしたスペイン製のおもちゃ)は音がなるのと、噛みやすいのと転がると思わぬ動きをするのとで飽きずにかみかみしています。 そして、もっと噛み続けているのがこちらの木の棒。これもパパが買ってあげたのですがそれはそれは何十分も気づけばガジガジガジやっていてなんと1日でささくれがいっぱい出来てだいぶんすり減っていました。食べちゃっているのです。翌日のうんちからいっぱいささくれの木くずが出てきて驚きました。「ピュアラちゃん、お腹大丈夫?」新聞紙とかも食べてしまうので、今は光太が赤ちゃん時代を思い出すかのように、床には何も置かず、ゴミ箱などもあげています。 何でも口にしてしまうし、食べるもあっという間なのですが、守っていることはエサは人間が食べた後ということ。犬は階層社会で生きているので、主従関係をはっきりさせるためにも人間の後で食べるということを守っています。 私達が食べている間、お腹が空いて空いてクーンクーン鳴いたり、その時ばかりはキャンキャン鳴いたりするのですが、それは無視。そして、私達が終わった後であげると数秒でペロリ。いけないことは、人間の食べ物を人間が食べている食卓からやったりすることです。そうすれば、必ず、犬は学習して人間が食べている時にやってくれば何かをもらえると期待してしまうから。 我が家は人間が食べている時にはどれだけうるさく鳴いてもケージの中に入れておいて一切人間の食べ物はあげていません。そういうものだと思わせるのが大事だと思うし躾も最初が肝心です。 光太にはずいぶんなめられてしまったところがあると思うので、子犬にはしっかりとなめられないように叱る時はビシっとです。一つ、困ったことは、朝晩冷えた時に、お腹の下にタオルを敷いてやるとタオル=トイレと認識してしまって、日中もトイレの上で寝たりして混同してしまっていたので今はタオルを取り払いました。 それまで、タオルをしかない時は、ちゃんと夜でもトイレの場所でトイレをしてリビング側で寝ていたのですが、夜タオルでおしっこしてしまうとその上でずっと寝ることになるため、どうやら日中もおしっこの上で寝るようになってしまうようなのです。タオルをしかないことで解決しましたが、最近は小春日よりのように温かいのでそれでもいいのですが、真冬になってくるとどうなるか・・・ ダックスは5度までは大丈夫で、個体差があるから10度までと思っても今のところ最低気温が10度を下回ることないので安心。今後どんどん寒くなるとやはり何もしかないわけにはいかなくてそこが今後の問題点。 7月の終わり頃から光太は今行ってるサッカースクールに加えて試合中心のスクールにも通うようになりました。それが往復車でも2時間以上かかるところで、正直遠いのですが、試合経験を積む上ではいいかなと。それも日曜スクールなので当初はキャンプに重なったりして行けなかったり、9月はアキレス腱を痛めていて行けなかったりでほとんど参加できてなかったのですが、ようやく3ケ月近くたって申し込んでいたユニフォームも出来てフル参加できるシーズンになってきました。 先日、雨降る中そのサッカーの試合を見に行くと見ている側がすっかり凍えてしまって、パパは今風邪ひき中。光太が平日行くスクールも風の通り道でいつも超寒いので、今後は寒さ対策をしなければいけません。ピュアラをひざに抱いているとちょうど良いカイロ代わりになるのですが、ピュアラが風邪ひいてもらっても困るので家でお留守番。いい子で、ずっと待っています。帰ってきたらそれはそれは喜んでとびついてきます。でも、うるさく鳴くこともなく黙ってしっぽふりまくってこちらについてくるので本当にかわいいいいわんちゃんです。出かける前にも気配を感じてうるさく鳴くかと心配しましたが、そういうこともなく黙っています。本当にけなげなわんちゃんです。 私は勘の強い光太の子育てではちょっとばかり大変な思いをしてきたので、わんちゃんはこのぐらいでちょうどいい感じです。神様もいい引き合わせをしてくれたのだと感謝しています。 最近、ベーグルを焼いている合間に、お菓子作りもやるようになりました。10月31日はハロウィーンだったのでパンプキンタルト。かぼちゃが美味しい季節なのでタルトにあいます。タルト作りはちょっと手間がかかって面倒なのですが、たまには家族の笑顔を見るためにはいいものです。そして、キャンプで掘ってきたさつまいもがいっぱいあったので大学芋とスイートポテト。スイートポテトにするにはバターがほとんどなかったので代わりに練乳と生クリームも入れてみるとこれはこれでなかなか美味しく仕上がりました。かぼちゃに芋にと女性が大好きなものが美味しい季節です。今月はもう光太の誕生月。あと今年ももう残すところ2ケ月。1年がたつのが早いなぁ!
November 2, 2011
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★子犬もキャンプデビュー 子犬の名前はピュアラ。光太が名付けました。なかなか覚えにくく言いづらい名前なのですが・・ さて、この3連休はピュアラも初外出&キャンプデビュー。今回は静岡のモビリティーパークへ。車で2時間のところがやはり連休初日なので行きで4時間ほど。帰りはすごい渋滞で5時間も!かなりハードなドライブ。ピュアラも車酔いするかなぁと心配してましたが、目的地についたとたんに嘔吐。泣き声一つあげず、ひとりで耐えていたのかと思うとけなげでかわいそうなことしたと思いました。帰りは外の景色見せたり、時々キャリーから出して抱っこしてやったりしてると酔わずに帰宅。人間も辛かった長時間ドライブ。さぞかし疲れたことでしょう。偉い!ピュアラ!!とみんなで帰ってきて褒めるとしっぽをふりふり。 毎度のことですが、うちの車ではキャンプの荷物は天井までいっぱいいっぱい。そこをピュアラを連れてしかも、ケージまでつめこんだのですから車の詰め込み率は120%!私のひざの上にはピュアラが入っているキャリーバッグ。身動き一つとれない状態でした。 なので、キャンプ場についただけでほっ!そこから大急ぎでテント設営、荷物の運び出し。そして、ピュアラのケージをパパが組み立ててピュアラも初めてほっとできるのでしょうが、最初はどこへ連れてこられらのだろう??という感じ。光太は初めてのピュアラとのキャンプにニコニコ。 光太も5度目のキャンプとなると、小物類の組み立てはお手のもの。いつものイスとテーブルの組み立てはお願い。けっこう手際よくやってくれます。ただ、子供なのでやっぱりすぐに遊びたいようで終わればピュアラも置いてすぐに遊び場へとんでいってしまいました。あらら、ピュアラちゃんはしばらくリードにつなげられたままお利口にお待ち状態。今晩のメニューは、毎回そのキャンプで何か一つ新しいチャレンジ料理ということで続けてきたのですが、ブラジル料理の「シュラスコ」名前は格好いいけれど、いたって簡単で牛モモ肉の塊を買ってきたらそれをよく洗って焼く時に、塩こしょうしてスライスして食べるというもの。私は普通の塩こしょうじゃなくて、クレイジーソルトを使ってみたのですが、これがグッド!パパがこの料理のために取り寄せたナイフで炭火で焼けるたびにその切り口にクレイジーソルトを振りかけながら食べる。「おいしい~~!」野菜もたっぷりいただきます。シンプルイズベスト!まさにアウトドアでしか味わえない醍醐味です。あとは、主食にお餅を持っていったのを焼いてはしょうゆをかけて食べるとお腹もいっぱい。ピュアラは人間が食べた後に食事と決まっているので、私達の食事を食べている間は光太のひざで暖をとっておとなしく待っていました。野外の夜はかなり寒く、持ってきたビールも冷たくて要らないぐらいなのですが、せっかくなので飲んでほろよい気分。 この日はお風呂に入った後、無事にこれで終わりと思いきや、私達は夜中ピュアラが「クーンクーン」という寂しげな泣き声で起きました。普段は私達の姿を見えるように和室のドアを開放して寝ているのですが、テントではそうすると外気が入って寒いので締めきってピュアラはリビング、私達は寝室と別れていたために姿が見えず寂しかったのでしょう。寒いのもあったのかも。一度外に連れ出し、今度はキャリーバッグに入れた状態で中にいれてやるとおとなしく朝まで寝てくれました。2日間ともこれで、夜泣きはクリア-。 おっと、あと一つとんでもない事件が。これはキャンプ場でのコインランドリーを使ったことでの発生。お風呂が終わってから洗濯物を入れたのでは時間のロスなので、入る前から着替えておいて洗濯機にいれてからお風呂場へ。時間を有効に活用しようとしたはずが・・・お風呂から出てコインランドリー向かうとちょうど終わった音が。なんとタイムリーと喜んでとり出すと、衣服全てに茶色のカビが!!!!すぐさま、キャンプ場の人にいって別の洗濯機で試してみましたが、やはり同じこと。終わってすぐにパンパンはたいてカビ落としをしてテントに戻りましたが、これには参った! 二度と、コインランドリーは使わないでおこうと思った出来事でした。 翌朝は光太のリクエストのスープで朝食。昨晩から仕込んでいたものを朝パパが炭をおこして温めてくれたものです。秋のキャンプはやはり朝も温かいものが欲しいです。具だくさんのミネストローネ。お腹がほっこり温まります。 2日目はイベント目白押し。午前中はイモ掘り。そして午後はハロウィーンパーティー。光太にとっては遊び天国です。朝食後、片づけ終わるとイモ掘りへ。それが今回の大事な忘れものは軍手。前回は洗剤とスポンジに新聞紙とお玉だったけれど、今回は作業にも必要な軍手がないない!イモ掘りのためには必要なのでフロントで購入。何度か忘れものをして完璧になるのかなぁ。 イモ掘りは、私はピュアラを抱っこしていたので、光太が掘るのを見学。パパは写真班。私は小さい頃から父との畑体験ではしに巨大ないもがあることを知っていたので、最初はひょろひょろしたお芋さんしかなかったけれど、そのことを光太に教えると終わり間際に端っこを掘り起こし見事巨大なさつまいもを掘り当てていました。残念なことに、最後はキャンプ側の写真撮影のためにタイムアウトでパパが光太の掘りかけをやってくれたのですが。 ピュアラも朝は寒いのでおめかししてイモ掘り見学。不思議そうにじっと見ていました。 帰ったら早速、炭火をパパにおこしてもらって焼き芋。炭火はおこしてから落ち着くまでちょっと時間かかるので、焼き芋とラーメンを同時進行。それが炭が少なくてラーメンを作るお湯が沸点に達せずなかなか出来上がらずというハプニングも途中おこりながらなんとか焼き芋もラーメンも美味しくお腹におさまりました。 あとは、光太が楽しみにしていたハロウィーンパーティへの準備。15時に集合して説明を受けて実際に行われる19時までの間には解散後、3時間はあるはずが、光太は自分で作る仮装に懲りまくり1時間近くは広場で一人残って作ってました。背中に羽をつけたり、胸にはテープをはって肋骨にしたりハロウィーンの飾り付けは延々と続きました。工作は大好きみたい。 私達はその間、手出しせずピュアラと遊んでいたのですが、そのうちピュアラも眠くなりダウン。 やっと完成!こんな怖いお面を選んだのは光太ぐらい・・・でも、光太らしい~ 夜まで待ちきれない気持ちを抑えながら、夕食は鍋。今回初めて入れてみた豆苗(とうみょう)がどうも光太は苦手だったようで珍しく食が進まなかったのですが。体を温めたらすぐにお風呂へ。パーティーが終わると遅くなるので、光太だけでも先にすませるように言うと最初は厭がってたのにパーティーのためならゴー! そして、ついにその時が。私もついて回ったのですが、夜道を仮装行列した一行が次々にキャンプサイトに回ります。「トリックオアトリート!(お菓子をくれなきゃくすぐるぞ!)」と言うとそれぞれのサイトがお菓子をくれるのです。受ける側は「ハッピーハロウィーン!」と言ってあげるそうです。光太の班は4つのところを回る予定だったのですが、3つのサイトがひとまとめになってお菓子をくれたのですぐに終わってしまいちょっとつまらない展開になりましたが・・やっぱり一つ一つ回ってほしかったようで。 その後はステージに立って仮装が誰が一番すごいかを競うコンテスト。もちろんすごい賞も待っているのだとか。家族の代表が一票を入れるので、どこもが大抵自分の子供を入れるだけでその票に差が出るのか不思議。1等賞は3票。光太も私の一票で一応壇上にあがれ、ジャンケン大会で見事一番いい物をあててくれました。コールマンのソフトクーラーボックス。これ欲しかったのよ~光太! 一応、ジャンケンは自分なりに考えて出したらしく次々勝っていくので驚きました。さすがここぞという時にはやってくれます。神様も一生懸命仮装を1時間近くかけて作っていた姿を見てご褒美をくれたのでしょう。 翌朝は、家族の好きなホットドッグ。あいにく、昨晩すごい雨が降ったので(まさにハロウィーンはギリギリの中決行)片付けもギリギリまで干してから。 3日間のキャンプは前日までの持ち物の準備に食材の買い出し、そして、当日は長時間のドライブにテント設営、そして食事作り、最後の日はテント撤去に片づけ、また渋滞の中ヘトヘトになって帰ってきての片づけ。山のような洗濯。キャンプ場ではゆっくりとあまりする間もなく、今回のところなど回ってみると色々な遊び場があるようなのですが周るのは無理。それでも得られるものは大きいからこそ頑張れるのでしょう。でも、ママ的にはほんとかなり体力的にキツイのですが。。。光太が来年は春も行こうと楽しみにしている姿を見ると、、、がんばってしまうのが親心。ピュアラもお疲れさん~
October 11, 2011
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★4度目のキャンプ 去年の秋にデビューして今回で4度目のキャンプ。長野→静岡→埼玉→山梨と色々なキャンプ場を体験中。回数を重ねるごとにパパのテントの設営の手際良さもレベルアップしてきたようで、ついには隣のキャンパーからテントを張るひもの使い方を教えてくれと言われるほどになっていた。 ママ「もう人から聞かれるなんてベテランの域 やね~」 光太「パパすご~い!」 と、キャンプの達人とまでいかなくても、もう4度目にもなると慣れてきてキャンプ生活を思いっきり楽しめているかというと私一人はそうでなかった。 まず、今回はキャンプ前に子犬を飼うということを私が率先して家族に提案してやることになり、そのやりとりで正直とっても忙しかった。思い立ったら吉日とばかりにすぐ動かなくては気が済まない性格なので熱があがると待ったがきかない。そもそも、そういうことを思い立ったのも間が悪く、キャンプ数日前。当然、キャンプの準備はそっちのけで子犬のことで追われる毎日。 それでも、どうにかこうにか今までの経験を頼りに前日の夜遅くに荷物の準備。当日の朝もパパっとやってみたものの、大事な忘れ物はお皿を洗うスポンジと洗剤。途中からアルミをお皿にはって使うことを考えて(ちょっとゴミになるけど)それで急場をしのいだ。まぁ、これだけの忘れ物ですんだのだからよしとしよう。 キャンプ出発日は連休の初日とあって混み混み。私は前日の食材の買い出しから荷物準備と疲れていたので車に乗ってしばらくするとグースカ。 そのうちに気づいたらパパがすごい山道を走っていて気持ち悪くなって目覚めた。もうずいぶん前に高速道路からは降りて下の道を走っていたらしいが、このくねくね道は元々車には弱いので非常にこたえた。しばらく我慢したけど、もうギブアップ。一人で歩いていきたくなったぐらい。 運転を代わり(運転も好きじゃないけど、背に腹はかえられぬ・・・)なんとかもちこたえる。お昼ご飯も車中ですませパワーアップ。やっとみんなヘロヘロになりながらも普段2時間でいけるところを5時間近くかかって到着。 パパも朝早くから車の上の荷物を入れるものをとりつけるのをやったり、狭い車の中に工夫して荷物をつめたりとした上に長い運転で疲れ果てているだろうに早速テント設営。いつものことながらここが一番の正念場。これさえ出来ればあとは楽。 手際よくテントも張られ、私も中の荷物を整えて、光太はテーブルやイスを組み立ててくれて割と早めに終わった。流れで炭もパパがおこしてくれて今夜のメニューは前日から私がつけこんでおいたタンドリーチキンとじゃがバターに焼きもろこし。 毎回キャンプでは新しい料理にチャレンジしようということで、今までは焼とり→芋煮→スペアリブ→そして今回タンドリーチキンとなった。これ、とっても美味しくて家族にも好評。また家でも食べたい味だったが、たぶん炭火で焼くからこそ美味しいのだろう。じゃがバターと焼きもろこしでご飯がなくてもお腹いっぱい! 翌朝は、朝食をすませるとここはキャンプの名前にリバーとあるぐらいだから川遊び、釣りをやらないとということですぐに釣り場へ行く。ヤマメやらイワナやらがとれるらしく、釣りというと以前光太が年長の時に近所の釣り場に行き初めて釣りをして家でお茶していると、父が倒れたという電話が入り良い思い出はないのだけど・・・今回はキャンプだし、思いっきり遊ぶことが目的。さー頑張ろう!ということで釣り始めて30分もしないうちに光太がまず最初の1匹を釣り上げた。「こうちゃん、でかした!すごい~~」とキャーキャー。 その後、パパも釣り上げ、私もひっかかっていいとこまでいったのに最後の最後で魚がうまいこと逃げてしまい結局目標の3匹には届かず、2匹だけ。周りを見ると5匹以上とっている人もいたのだけど。。。なぜだ??ま、光太が一人でつれたことは大きな収穫! お昼はその釣った魚を焼くのと、焼きそばということでパパが炭をおこしに帰ってる間、私と光太は川遊びへ。それが川の水が超冷たいのに、光太は外の暑さでだんだんエスカレートしてきて最初は足をちゃぷちゃぷぐらいだったのについに全身ずぶ濡れになるほどに入ってしまった。 最初から川遊び始めたらしばらくは食事どころではないだろうなぁと思っていたらやっぱりふと気付くともう1時前。パパがせっかくおこしてくれた炭もダメになってしまうということで帰ることにした。帰る前にずっと浸っていたのが、この滝つぼ。私は水着でないので光太には近寄れなかったが、ずっとずっとこの滝のところで遊んでいた。おぬしは修行僧かと思うほどに・・・きっと足はキンキンに冷えていたのだろう。 後日談だが、これが原因か、朝晩の冷え込みが原因かはわからないがキャンプから家に帰ってきてすぐ熱が出た。久しぶりの熱。その夜久しぶりの氷枕で寝て翌日は熱はさがっていたが学校休むことになったのだからやっぱり秋の水遊びは体が冷える・・・ さて、テントに戻るとこの暑さの中で光太は水遊びで気持ちよかっただろうが、パパは炭火をおこすのに真っ赤になって暑さに耐えていたようだった。網の上では先ほど釣った魚がうまい具合に焼きあがっていた。そして、炭火の威力がなくなってしまっていて焼きそばをしかけてもなかなか出来ないので、また新たに炭をおこすことに。 光太とパパが釣ったヤマメを食べたが淡泊な白身魚の味に似ていて「おいしいーー!」ということもないがまぁ食べれる味だった。なんといっても自分で釣って焼いて食べるというのがいい。まるで原始人になった気分。光太も骨と内臓と格闘しながら食べていた。 今の世の中、だれが釣ったかわからない、これまた誰が調理したかわからない魚にしても加工食品を食べてばかりいる子供が多い中、眼前の川で釣りあげて それを焼いて食べられるというのは幸せなことだと思った。 光太がまたヤマメを飼いたいと言い出したのだけどそれは難しいだろうということで、有り難くいただくことにしたのだった。 昼ごはんが終わるとまた次にもうおこした炭を有効活用するために夕食の準備。今夜のメニューはキーマカレー。飯盒も成功させなくっちゃ!ということでキーマカレーは野菜を細かく切ってお肉と炒めてトマトジュースで煮ている間に、飯盒を前回の失敗に懲りて(なぜかべちょべちょのおかゆみたいになった)長めに火にかけてみたら大成功!新米をもってきたのでぴかぴかつやつやの美味しい白米が炊きあがった。 夕食の準備の間、光太は一瞬寝るような体勢をとったのに、また起きあがってフロントにある図書館へ行くといって一人出かけた。そこにはいっぱいマンガがあるらしく、パパと食事の準備が終わってお風呂に光太を誘いに行くともくもくと読み続けていた。 お風呂は露天風呂になっていて、気持ちがいい。でも、初日は遅くにいったため、水はけが悪いしお風呂もぬるくて温まれなかったので、今回はかなり早めに明るいうちから入っておくことにした。ここは、お風呂などの施設のあるフロントからテントまでが坂になっていてちょっと歩くのがちと大変。今までこういうところはなかったなぁ~~まぁ色々と一長一短があり、そのキャンプでの思い出になるのだけれど。 お風呂場がキャンプの中にあるというのもまだいい方だと思う。今年埼玉にいったキャンプ場や去年行ったところは車にのってしばらく運転したところまで温泉に入りに行かないとないというのが多い。 私達はコインランドリーを回すのに、お金をとりにもう一度テントに戻って、また終わった洋服をとりにもう一度行ってと離れているだけにかなり面倒だった。 色々と家ではない不便を感じることも普段の生活が逆にいかに便利であるかを思い知る上で大事なこと。 夜は花火もして、星空を眺めて寝た。体にふく風が心地よい。夜はかなり冷え込んだので、途中からブランケットを体に巻いてシュラフに入った。9月とはいえ、やはり外は夜になると冷え込む。途中一度だけトイレにみんな立った。光太も今回は怒らずにすっと立ち上がった。(去年は起こすとなかなか行きたがらず抵抗して困ったのだった) 翌日は、キャンプのおすすめである農園へぶどう狩りへ行く。土地柄、甲斐路とロザリオビアンコがとれるということでロザリオを2房、甲斐路を1房とって、お互いの実家へもお土産に送った。農園のおばちゃんがとってもいい方で、光太が赤とんぼを追いかけて誤ってどぶ?の中に足をつっこんだのを洗ってくれたり、私達家族だけの貸農園状態だったのもあってか大きなかぼちゃをとって丸ごとくれたり、モロヘイヤも収穫して持って帰らせてくれた。なんだか田舎のおばさん宅に来させてもらったようなすごく温かいもてなしを受けてニコニコ顔で帰途についた。 もちろん、ぶどうもとりたてをモグモグ食べて。 帰りの車の中では雲が何に見えるかと光太と考えながらいったり、途中からそういえば、この3日間全然お勉強してないけど大丈夫??ってことで宿題(車の中につっこんであったらしい)をおもむろにやりだしたりと思った以上に早くついた。 もちろん、光太の大好きなレストランにも寄って。私達は山梨名物のほうとうを食べたが、光太は鉄火丼。それが多すぎて食べきるのがようようのことだった。サラダバーもあっておかわりしていたし、ぶどうも食べて時間たってなかったからそんなに空腹ではなかったと思うのだけど、とにかくどこかへ出かけると外食外食と外で食べる雰囲気が好きらしい。なんとなくわからんでもないが・・・ まぁ、無事に3連休のキャンプが終わり、翌日からは雨で更に翌日には超大型の台風がやってきたのだからもう1~2日ずれてたら大変なことになってただろう。今回は雨男光太の威力はなかってほっ!としたところ。次回は10月の連休に今年最後のキャンプが待ちうけている。初めてのわんこ連れ。どういうことになるやらまた楽しみ~♪
September 28, 2011
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★帰省 今年の夏休みもやっと終わった。正直長く感じた。給食のない毎日は、なんとなく普段は適当なものを昼に食べている私にとっては何食べよう?と頭を悩ませた。といっても、自分と一人の子だけ食べさせればいいのだから楽なもの。子だくさんのおうちなんかさぞかし毎年大変なことだろう。 8月の1週目はサッカーの短期スクールもあったり(今回は雨ばかりでどしゃぶりで、ボールが転がらないほどの日もありついてなかったが)スイミングの振り替えもありで帰省はいつもより少し遅めの9日からにした。 光太は私と一緒に新幹線に乗れる日がいつも待ち遠しいようで、パパは後から車で来てくれるのだが、実は行きも帰りも新幹線を使いたいらしい。今回は私が使わなくなった携帯の動画で新幹線の動きをずっと撮ってばかりいた。 9日は先週までの涼しい日とはうって変わって暑さの厳しい日で移動は大変かなと思ったけれど、お友達が迎えに来てくれたのでとても助かった。そのお友達とは、帰省した翌々日に会い、光太とそのお友達の子供とはずっと赤ちゃんの時からのつきあいなので一緒に遊びにいった。 扇町にあるキッズプラザというところだがここは親も子供も暑さ知らずでよかった。室内の遊び場で、一日中いてもずっと遊べるような色々な遊び場があった。二人とも長い間いるのかと思ったら、かなりの時間、しゃぼん玉作りのところにはりついていたが、昼ご飯を食べたら今度はそのお友達の家に行くということになったようで、早々に退散してお家で遊ばせてもらうことになった。ゲームをしたり、ベイブレードをしたり、ちゃんばらごっこをしたりと遊びはつきない。 赤ちゃんの時は遊び疲れたらベッドに二人並んでお昼寝することも多かったのに、今はひたすら遊びまくれる体力がついたようだ。私も二人が遊んでいる間は、お友達と楽しいおしゃべりタイム。色々と話はつきない。 また別の日は、私の高校のクラブ友達で、なおかつ子供の予定日が一緒だった子のところへも遊びに行った。去年も行かせてもらったが、まずは別の場所で昼ご飯を兼ねて集合。そこでは、クラブの別の友達も来てくれてまた話が盛り上がる。もちろん子育てのことが多い。まだまだ話足りなかったが、子供達が早く遊びたいモードなのでお家へ向かう。 子供達は、暑いので、お家でプールを出してもらってもぐったりして遊ぶ。そのうち水遊びにも飽きて家の中で私達親も含めて人生ゲームをした。そういえば、うちの人生ゲームは、光太が時々色々な理由ですねたりしてケンカの種なので最近はめったとやらなくなってしまったが、これは大勢でやった方が楽しい。 帰省の時にこうやって遊んでくれる友達がいてくれるのは本当に嬉しい。会社時代の人達にも連絡をとって会いたいなといつも思うが光太一人を置いてなかなか行動が出来ず結局会えずじまい。次回こそはと思う。 実家では、光太が来たらとらせようとして桃を一つ残しておいてくれた。実家の桃はかなり甘い。私が嫁ぐ年に初めてドドドドっとたくさんなって家族中が驚いた。きっとなかなか結婚しなかった私の旅立ちを桃も祝ってくれたのだろうと思う。それ以後、あまりならないと聞く。 光太がはしごに登って一つをもぎとると中には小さいアリがいっぱい。手渡ししてもらった私の腕にも桃からアリが無数に出てきて思わず落としそうになった。アブナイアブナイ・・・もう老木なので、木の中に虫がいるのだと言う。この木もいつまでもってくれるかな。 おじいちゃんは、病気の後、インターネットで将棋をするのが日課となっているようで光太も今、将棋が好きなので次回は一緒に出きるように将棋の板をもっていこうと思う。今回はいつものように碁石並べをして遊んでもらった。 畑仕事も毎朝起きていくようで、光太もついていった日があった。私はまだ寝ているうちに。帰りに近くのパン屋さんが開店したとかでパンを買ってきてくれたのでみんなそろったら朝食。いつもはじいちゃんの新鮮なトマトやきゅうりがポリポリ食べれるのだけど、今年はトマトがあまりとれず早々終わってしまったらしく残念だった。小さい時から、私はとれたてのきゅうりやトマトの味を知っているから、スーパーのは全く美味しいとは思えない。きゅうりもトマトもみずみずしさが違う。 お墓参りへ広島に行った日の翌日は、鞆の浦へ海水浴に行った。4年前にも行ったことがあった海だけど、あの頃は年中だったから波打ち際をチャプチャプしていただけだった。それが今年は驚いたことに、飛び込み台まで一人で泳いでいった。私もパパも行けないというのに・・・一応、ライフジャケットはつけているが、飛び込み台には親戚のおじさん達がいるとはいえ、一人で泳いでいくのだからたいしたものだと思った。スイミングを習わせておいてよかった。 飛び込み台からはその後、華麗にジャンプ!大胆な性格はこういう時にはもじもじしてないので助かる。10回ぐらいジャンプしたらしい。 私達はうきわを忘れてきたので、飛び込み台はおろか、足がすぐつかなくなるのでそのギリギリのところで平行して泳いだり、潜ったりしていた。今回光太が以前川遊びの時に周りの子供達がつけていたシュノーケルを買ってほしいといったので買ってもっていったがあまりうまく使えないので、私達夫婦が交互にチャレンジしてみたが、うーむ、なんだかあの密着感が苦手。一度は光太にシュノーケルをつけて岩場とか魚が多いところに連れていって私が小さい時に体験したような感動を味わわせたかったが、そういう場所はなかった。 でも、その代わりに、カニがいて驚いた。一緒に来ていた親戚の女の子と一緒にカニとりをしたり、おばあちゃんがとってくれたカニを帰る直前に逃がしにいったりで、しばらく本物のカニと遊ぶことが出来た。光太はチョキンとカニのハサミに手をはさまれた痛い思いもしたようだが、私も海に来たら昔はよくカニと遊んだものだ。 奈良に帰ったら、光太が奈良公園に行きたいと言うので、パパと3人で出かけた。思えば、帰省したらずっとお互いの家にいるぐらいでどこへも連れていったことがない。奈良公園へは、おじいちゃんが具合が悪くなって帰った時に私の母と光太と3人でおじいちゃんの体がよくなるようにと初めて大仏さんにお祈りにいったきり。あの日の夜に容態が急変しがのでいい思い出がないのだが、そんな父も今では元気にしてくれているのでパパと3人で出かけて鹿さんを遠巻きに見る。中には凶暴な鹿もいて、人が持っていた書類を奪い取って、ムシャムシャ食べてしまったのもいて驚いた。紙を食べるのは白ヤギさんとか黒ヤギさんの世界だけではなかったのだ! 私達も3人でベンチに座って休憩中にのそりのそりと背後に気配がしたので振り向くと鹿さんがやってきたので慌てて逃げた。角を持ってる牡鹿とかに胸をつかれたらほんとに危険。 光太も鹿を見たら「カワイイ~カワイイ~」と連呼していたが、この写真の直後、なでまくっていたのが鹿のお気に召さなかったのか突然胸を顔でつつかれて驚いたみたい。カワイイ顔しているが、鹿も怒ると怖いのだ~私も以前、鹿から逃げていて別の鹿に体当たりしたのを光太は見ていたので「ママ、鹿にぶつかったね~~」と思い出し笑いしながら言う。ほんとあの時は痛かった! 奈良公園に出掛けた日はこの夏一番の暑さだったと後でテレビで聞いた。それでも、光太にはいい思い出になったことだろう。次回はまだ連れて行ったことのない大阪城とか京都の方へ連れていってあげたいと思う。
August 29, 2011
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★今年初めての緑のカーテン 節電の夏とあって、5月の終わり頃に我が家で初めての緑のカーテン計画を立てた。プランターを9つ購入して、それにあわせて土も購入。朝顔の種は光太が1年生の時に学校で植えて収穫し、それを植えてはまた収穫しを繰り返したものが大量にあったので、まいておくと1週間ぐらいで発芽。規則正しく植え替えをして、あとはつるが出てきた頃にパパが一人でネット張り。 早起きのパパの一仕事で、私が起きてきた頃にはもうネット張りが終わっていた。あとは毎日欠かさず水やりをして成長を待つばかり。この頃はもう次々花が咲いてはぽたぽたと終わった花が落ちている。私が毎日ベーグルを焼いている台所からも朝顔が見える。台所とダイニングとリビングと和室の窓が全て南向きなために日当たりがとても良い。真冬は暖房もいらないぐらいだが、真夏は日差しを遮るためにはと考えて実行したのだが、当初の予想とは大幅に違ってすけすけ。カーテンにはなっていない。もっともっと葉っぱが生い茂ってくれることを期待したのだが・・・(台所の外の様子) ただ、ゴーヤは違う。光太が不思議とあの苦いゴーヤを好きなので、試しに1本だけ苗を買ってきて朝顔と一緒に植えてみた。つるがうまいことからみついて本当にうまいこと茂っていく。ゴーヤこそ緑のカーテンにするにはふさわしいのだろうが、1本でも立派なゴーヤ君がすくすく成長している最中なのに、これが全部ゴーヤとなると何本出来ることだかわからない。 先日、スーパーでゴーヤを今年初めて買ってきて光太の好きなゴーヤチャンプルーを作った。それも、1本が大きいので半分使えばまだ冷蔵庫にしばらく眠っている。ジュースにするといっても、そう何本もいらない。 と思うと、やっぱり朝顔は観賞用にはいい。お花が次々咲いてくると、見た目にもいい。来年こそはもっと、密に葉っぱが茂って緑のカーテンになるように工夫しなければ。 さて、節電の夏といってもここしばらくはめっきり涼しくなっている。天気予報だと今週の木曜あたりからはまた猛暑になるそうだが。7月の初めぐらいは暑くて暑くてたまらなかったが、変に涼しいと過ごしやすいが夏という感じがしない。パパも風邪をひいてしまった。光太も8月に入って短期のサッカーが始まったが、夕方遅くに始まるので暑い暑いという感じではない。 このまま、涼しく過ごし易ければ、ベーグル焼くにも非常にやりやすいのだが~~ すごく暑さが厳しかった時には耳から入る音で涼もうと思い、南部鉄器の風鈴を買って、やはり緑のカーテンにつるしておいた。チリリリリーンとなっていい音で癒されていた。やはり暑い時に聞くチリリーンの方が気持ちがいい。 夏休みが始まって、どうも親子共々生活が乱れててきている。この間なんか朝9時起きが2日も続いた。いけないいけない。こんな調子じゃ、夏休みが終わるとキツイ。私は寝坊した翌日からはパパの会社がサマータイム導入で5時半には起きているが、光太は何度起こしても起きない。困ったものだ・・・ この間から、急に光太の小さい時のビデオを見たくなりみんなで見ることにした。今よりうんと小さい時の姿が出てきて、光太もなんだか恥ずかしいようでニヤニヤ。 小さい時の姿を見ると改めて、かわいいなぁと思い返し、今、お小言ばかり言ってるけど、光太がいることそのものが幸せだと感じた。そして、どうも親に反抗ばかりして困ると思っていたが、そのことさえ、別に大した問題ではないように思えてきた。 小さい頃のように、無邪気に私を慕ってきてくれるのがどんどんこれから少なくなってくるのかなぁと思うとなんだか感傷的になって寝ている光太を抱きしめて今までの詫びと共に泣けてしまった。 母、猛反省の夏・・・たまには家族で小さい頃のビデオを見返すのが、子育てに疲れた親子にはオススメです。出来ることならもう一度あの頃に戻りたくなること間違いなし。そして、今ある幸せを大事にしようと改めて思うはず。子供が欲しくて欲しくてたまらなかった原点に戻ろう! 小さい時といえば、先日、光太が夕方に公園からセミの幼虫を持って帰ってきた。間もなく羽化するという。3匹もつかまえてきていて、2匹は途中で羽化失敗で死んでしまったが、虫籠に入れていた一匹が光太が寝た後もガサゴソガサゴソいってるのでふとのぞくとなんとまさに幼虫からセミの羽を出しているところだった。産まれたたてのセミちゃんはとてもかわいらしく、寝たばかりの光太を起こして二人でじっと観察した。薄緑色のまだ濡れたような羽で、ひたすら歩き続けようとする。 とてもかわいらしいので、二人で感動した。光太も「カワイイ~~~」と言って自分の携帯でバチバチ写真をとったり動画をとったりしていた。セミの抜け殻は今までいくつとなく見てきたが、セミが羽化する瞬間は産まれて初めて。これも虫好きの光太のおかげだ。子供がいると世界が広がる。ほんと色々なことを体験させてくれることに感謝である。 追記ながら、ずっとお世話してきたヤゴの羽化は残念ながら失敗に終わった。7月末にヤゴだったシオちゃんは枝につかまって明日にはトンボになるかなと楽しみにしていたのに、翌朝には死んじゃっていた。なかなか自然界の生き物を飼って、うまい具合に自然に帰すというのは難しいことなのだと感じる。大量にいるカブちゃんやクワガタ君達は今後どうなることやら・・・
August 2, 2011
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★初めて夏キャンプを堪能!2~3日目 前回の初日の日記に大事なことを書き忘れたのですが、今回のキャンプで疲れはしたものの、疲れをとる最高のお楽しみ・・・温泉に行きました。キャンプの中にもコインシャワーがあったのですが、暗くて狭くて薄汚~い感じのシャワー室では疲れもとれないのでパパにお願いして近くの温泉へ。 光太も温泉大好き。秋のキャンプでは寒さのために温まるために行ったのですが、今回はまさに疲れをとるために。 家族3人だと2000円。2日間とも行ったので4000円!キャンプ代ほどすることになるのですが・・・それでも、やっぱり通いたくなったのは疲れがとれてさっぱりするから。この楽しみがないともっと疲れは残っていたかもしれません。 初日温泉へは夕方早めに食事前に行きました。バーベキューの時にビールを飲みたかったので。(温泉は運転していかなければいけない場所にあり少しかかる)風呂上がりには冷た~いお水のサービスもあり最高!翌日は夕食も終えて、暗くなって行ったのですが、その冷たい水がなくなってしまいがっかりしていたらかき氷のサービスがあり大喜び。 ちょうど光太がかき氷食べたいなぁと言ってたところだったので願い叶って最高の気分でした。みんないちご味で舌が真っ赤になりながら気持ちよく帰りました。 さて、話が温泉にそれましたが、2日目の朝はやはり早朝からのカブトムシ、クワガタとりから始まりました。光太が4時半には起こしてねとパパにお願いしていた通りにパパは隣のキャンプの人達が遅くまでうるさく眠れなかったにも関わらず4時半には目が覚めて光太を起こしてくれました。 私も思いきって起きてしまい、一緒に虫とりへ。しばらくは土を掘り起こしたりしてクワガタを探していたのですが、少しするとパパがすごい勢いで手を振ってこっちに来るように合図しているので奥にある雑木林の方へ光太と走っていくと・・・ いました!カブトムシのオスが!!木のパパの背丈より少し高めのところにはりついていたのです。 光太もパパも自分で見つけたカブトをとるというのは生まれて初めての体験。私もこういう光景を見るのは初めてで感動しました。 カブトムシのオスは朝日に輝く森の中にひっそりと一匹だけじっとしていました。羽があるので、うかうかしていたらブーンと飛んでしまいます。最初は虫網でとろうとしてたのですが、パパは肩車して光太に手でとらせることに。 ちゃんとゲットすると虫かごに大事にしまい他にもいないか探したのですが、すぐにはなかなか見つからないもの。でも、これで昨日の光太の見つけた1匹と今朝のパパの1匹で2匹に。 気分よくテントに帰ってから朝食の準備。朝は持ってきたパンやらサラダやらを気持ちの良い森の空気の中でいただくことに。光太は終わるやいなやすぐに遊びに出かけていきました。キャンプの中にはスライダーがあって子供達の遊び場になっていたのです。そこは日差しを遮る木々がなく直射日光が照りつけてとても暑いのですが、子供達は何度も何度も繰り返してスライダーをやっていました。 私も片づけが終わってそっと見に行ったら光太はキャンプで知り合った子供達とお友達になったとはしゃぎまくっていました。元々幼稚園が森の中にあったところで泥んこになって遊んでいたので、こういう遊びは光太の得意中の得意。 そのうちに汗だくになって暑くなったようで川遊びに行こうと自然と誰かが声を発して一緒に行くことに。光太は真っ先に「もうオレは着替えてくる!」と叫んで水着に着替えにテントに走りだした。素早い素早い!先にお友達と遊んでいたようで、私達も後から色々な水辺で遊ぶものを持っていったりしてかけつけようとすると光太は戻ってきていて「遅いよ~!」 友達はもう帰っちゃったようで今度は家族で改めて水辺へ。私もパパも昨日とは違って今日はしっかり川へ入れるように着替えて。入ってみると本当に冷たくてひんやり~~冷たい~~気持ちいいけど、とてもじゃないけど上半身まではつける勇気がなかった。冷たすぎる!まずは魚とり。よく見ると小さな魚がスイスイ泳いでいて魚の網ですくうとたくさんとれた。 私達は冷た~い水にとてもじゃないけど、上半身までつける勇気はなかったけれど、光太はドボンとジャブジャブで全身水につかりまくり。でも、さすがに寒いとみえて時々真っ青になった唇をふるわせているので、そういう時は砂埋めして体を温めた。これがまた光太のお気に入りとなり何度もやってほしがったが埋めるのも体力がいる。 光太はしばし熱い砂で体を温められるとまた冷たい水に入りたがりそれを何度も繰り返した。私達も流れが速い川の中を散策して光太と共に行ったり来たり。けっこう水の流れが速いのでそれに抵抗して歩こうとすると疲れるものだ。お腹までつかると「キャーーー!」と声が出るほど冷たかった。 そのうち、歩くだけにも飽きてまた魚とり。今度は私が水辺にいっぱいお玉じゃくしを見つけたので一緒にとることに。お玉じゃくしをとるのにかけては私は経験者なので大得意。中学1年の時に忘れもしない思い出がある。一番仲良かった友達と登校途中に見つけた田んぼの側溝にいたお玉じゃくしをなんと制服のままで入り込み、ザボザボ手づかみしてとって学校に持参したのだ。担任の先生が、ちょうど理科の先生で、もちろん夢中になって遅刻してしまったのだけど・・・その無邪気な姿に先生はあきれてしまって叱るに叱れなかったと後々、三者面談の時に母はその話を聞かされては赤面していたのを思い出す。 そんな記憶がお玉じゃくしをすくっていて思い出し懐かしくなった。よく縁日で金魚すくいなんてあるけれど、金魚すくいなんかよりよっぽどお玉じゃくしすくいの方が楽しいと私は思う。スイ~っと逃げる逃げ足がお玉じゃくしは極めて速い。なかなかつかまえにくくてそれがまた面白い。カエルの子はカエルで光太もお玉じゃくしすくいにすっかりはまっていた。 何匹とったか?いったい今何時なのか?腹時計がグーーとなってきたのでそろそろ帰ることにした。すっかり遊び疲れたけれど、まだ帰ってやることがあるのがキャンプだ。とにかく休むヒマなどない。 光太は帰ってご飯も済ませるとすぐにまた友達と遊んでくると出かけた。私達は朝も早いし睡眠不足だし、遊び疲れてそろそろお昼寝したいなぁと思いゴロっと横になったが暑くて暑くてテントの中のお昼寝は汗ばかりかいた。それでもしばらく横になったお陰でちょっと楽になった。光太はといえば、休む間もなく友達と今度はカード遊び。よくも遊べるものだと感心する。 2日目の夕飯は光太のリクエストでハヤシライス。飯盒炊爨(はんごうすいさん)も初めて体験する。それが水加減が多すぎたのか火加減が悪かったのか本に書かれた通りにやったのにおかゆみたいになってしまった。そこから水分をとばすためにしばらく炭火で炊き続けることに・・・ご飯はイマイチの仕上がりだったがハヤシライスは簡単に出来て美味しかった。玉ねぎを多めにいれたのでその甘みがグッド! そして、炭火の威力が発揮されるのが焼き物。するめいかを知り合いの方からいただいていたのをさっとあぶることにした。家から持ってきた枝豆のゆがいたものを一緒に出せばビールのおつまみに最高!光太も巨大なするめいかをカミカミ。ハヤシライスにスルメイカも多くて他にはじゃがいももホイルに包んで焼いていたのだけどもうお腹がいっぱいで入らなかった。 キャンプに来ると、遊びに仕事に忙しすぎて間食する時間もなければ、暑すぎてその気持ちもおこらない。ただ、ひたすら3食はしっかり食べるのでダイエットにはいいと思う。事実、私は帰ってきて少しは痩せたようだ。 光太はいつ見ても遊んでいた。初日のテント設営と朝ご飯の時にいつも食べているヨーグルトの代わりに手軽にと、パパのアイディアでフルーチェを持ってきていたのだが、それを作ったぐらい。もう少しはパパやママのお手伝いを出来るようであってくれればまた疲れ度も違うと思う。 3日目の朝はちょうどなでしこジャパンの決勝戦の日でパパが朝早くから携帯のテレビで観戦していた。私も途中から見て、いよいよPK戦。ドキドキして見守ったが、本当に優勝した瞬間は信じられない感じだった。アメリカに勝つなんて・・・澤選手の「夢は見るものではなくて叶えるもの」という言葉に感銘を受けた。こうなりたいなぁと思えばそれに向けての必死な努力と諦めない強い気持ちが必要なんだと改めて思った。 キャンプ地での観戦なので、周りでも携帯で見ている人がいるのだろう。いい場面になると「オーーー!」と歓声があがった。本当に見ていてすがすがしい気持ちになる最高の勝利だった。 3連休あるとキャンプというのが今後の楽しとなりそうだなと思う。子供が小さいうちは家族と一緒に出かけてこうやって思い出を作る楽しみがある。あと数年すれば光太も友達同士で出かける方が楽しくて家族旅行なんて行かなくなるだろう。私が実家にいた時もそうだった。姉が5歳も離れているので、毎年夏に行ってた恒例の白浜の海水浴そして、別荘でのお泊りも姉が大きくなってくるにつれて自然となくなった。多分私が小学4年で最後ぐらいじゃなかったかなと記憶している。(姉は中学3年だ!) 目覚めたばかりのキャンプの楽しみももっと満喫しなければ光太が大きくなってしまう。こんなことならばもう少し早めにキャンプデビューしておけばよかったかなと思う。光太が小さい頃はホテル&温泉三昧だったが、それにも飽きて光太がアウトドア大好きだったことで私達夫婦もこうやって経験したことのない楽しみに目覚めることが出来た。光太のお陰。ありがとう、光ちゃん!まだまだパパやママ達の体力の続く限りキャンプを楽しもうね~
July 25, 2011
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★初めて夏キャンプを堪能!初日編 行ってきました!この連休は秩父のキャンプ場へ。家族で去年の秋、雨に始まる寒いキャンプデビューして初めての夏キャンプ。連日の暑さでこんな中、キャンプ場で過ごすのはどんな感じなのか想像もつかなかったけれど、満足度は120%!もう一度行きたいかと言うと、今はまだ疲れが残っていてすぐにハイとは言えないけれど、一度は家族で経験したかったことが出来てとても充実感ありです。 今回の目的は光太にクワガタやカブトムシをゲットさせること。そして川遊び。どちらも堪能出来て最高の連休でした。ただ、汗をかく量がハンパじゃない。じっとしていても汗が流れる暑い日の下で、テントを一から設営したり火をおこして料理を作ったりするのだから、汗がタラタラ、ガブガブ冷たいものを飲み続けながらの3日間でした。 キャンプ地に着いたのは予想された渋滞を乗り越え昼も過ぎた頃。普段なら2時間ぐらいで行ける場所が連休の初日とあって超渋滞で4時間ぐらい。私はひたすら前日までの準備の疲れで寝て過ごしたが、パパは「まだつかないの?」やら汗かいたのが冷房で冷えて「寒いよ~」と言い出す光太を相手にさぞかし大変なドライブだったことだろう。お疲れさん! さて、目的地に着いたからといってホテルのようにドテっと横になって温泉にというわけに行かないのがキャンプの大変なところ。まずはテントの設営。とはいえ、お腹がグーグー。まずは腹ごしらえ。お家からもってきたおにぎりや野菜ぐらいで軽くすませる。 周りには既に光太と同じくらいの年の子供達が虫網もって木を見上げながら虫とりに必死。光太もすぐにご飯を終えて虫とりにいくがこんな暑い中、虫もお休み中かいない模様。 そこで早速光太にもキャンプの仕事を経験させる。パパに教えてもらいながらテントの設営。 テントの屋根の棒を通したり、ペグを打ったりやることは山ほどある。寝る時に使うマットのクッションを膨らませるのもけっこう腰を使って疲れる仕事。最初は元気にやっていたが、二つもあってなかなか大変なので私と交代で。ただ、これは後でわかるのだけど、どこかに穴があいていて一つは寝ているうちに空気が抜けて痛かった・・・次回キャンプ用にもっと楽な、新しいクッションを購入しないといけないのが次なる課題。 汗水たらすこと1時間半以上たったか(とにかくキャンプ場に来ると時計を見ない生活なので覚えていないが)荷物もテントの中に運びこみやれやれとなったのが夕方近かった。夕食の準備で炭火を起こすのにも少し時間かかるからちょっとゴロリとしたいところなのに光太は間髪いれずに「川遊びに行こうよー!」ヒェ~~~今から川遊びなんてご勘弁を・・・というところだが、子供はキャンプ地に来てテントさえはればすぐ遊ぶのが当たり前。今から遊ぶと中途半端だから明日めいいっぱい遊ぼうよと説得しても無理。言い始めたらきかないのが子供の特権。 こういう時(つまり遊びなど自分のしたいことで頭が渦巻いている時)はやることが超素早い。普段はのろのろしているのに。気づいたらいつのまにか着替えを一人で済ませていた。私達も渋々ついていくことに。川遊びだから一人で行っておいでという訳にはいかない。歩くこと15分ぐらいか?で川についた。その中へ光太はドボンとすぐに飛び込んだ。気持ち良さそうに笑顔満面で。でも、すぐにあがってきたからよほど寒かったのだと思う。手をつけると真夏の炎天下だと言うのに、川の水はとても冷たくてびっくり。 ひと遊びしたら満足したとみえて(といより寒いから早く温まりたかったのだろう)帰ろうと言うとあっさりと応じたので、すぐ戻って今度は虫とりへ行こうよと言う。私達は夕飯の準備があるので遠いところへ行かないでと言って、後は光太一人に任せた。近くにはいっぱい子供達がいるのですぐに用意したら飛び出していった。恐るべし、子供の体力。楽しいことがいっぱいなので疲れないのか、疲れてても気づかないのか?気づいたら、もう女の子と友達になって、カブトムシをゲットしていて驚いた。他にも男の子がたくさんいたが、すぐにカブトをゲットした光太は、その女の子にオスとしての実力を認められて?か気に入られたようで光太の後をちょこちょこくっついて回っていた。なかなか光太もすみにおけんヤツじゃの~~とパパと見つけて笑っていた。 初日の夕飯はバーベキュー。パパの提案で今回のキャンプでは今までやったことのない料理に挑戦しようということでメインはスペアリブとなった。いわゆる豚肉の骨付きというもので、それをそのまま焼いたらいいのかと思っていたら、ちょっとした前処理をすることで美味しくなると本にあって私は前日慌てて買い物に走ったぐらいだ。 マリナードといって、お肉を軟らかくさせるひと手間がある。香味野菜やりんごのすりおろしやレモンに油に塩こしょうしたお肉をつけこんでおいてそれを炭火でジューっと焼く。生まれて初めて作って食べたが、美味しかった!ただ、パパのお肉が少し厚めにカットされていたので、なかなか中の方まで焼けず何度焼いたことかしれない。 この焼きあがったバーベキューに自宅で作っていったしょうゆベースの特製バーベキューソースを塗って食べる。焼きとうもろこしなんてとてもとても美味しかった。お腹が空いているから初日はスペアリブにフランクフルトソーセージ、とうもろこし、パプリカにナスに生しいたけなどなど焼いているうちに食べきれなくなった。私達はビールで光太はこの日のためにずっと飲まずにおいていてコーラで乾杯~~ 疲れ果てていたので、体にしみわたる美味しさを味わい、このままバタンキューしたいところだが、光太は胃袋さえ満足いけば、元気回復。夜のお楽しみはこれからといったところだった。確かに夜こそ虫達が活動するのだ。先ほどとったカブトムシに味をしめたのか、今度は私達も一緒に行こうというので後片付けをすませると虫とりへ。ほんとに休むヒマなどありゃしない・・・ みんなが木の上の方を見上げてばかりいるところパパが木の切れ端を持って木の根元あたりを掘り起こしていると、探し始めて1時間もしないうちにようやく小さいクワガタをゲット!パパも自分で見つけてゲットしたのは初めてらしく、光太と共に感動。すごく小さくてかわいいクガワタ君だった。 最初はクワガタどうかわからないぐらいだったがちゃんとツノがあるので間違いない。私自身ちゃんとこうして見るのは初めて。大事に大事に虫カゴに入れる。 そうそう、この虫とりの時には気をつけないとゴキちゃんがいっぱいいてよく見ないと見分けつかない。他にも私達のまさにテントを張ってる眼前の木が樹液もたっぷり出ているので、スズメバチもいて怖かった。カナブンや他のチョウ達もたくさんその甘い汁を吸いにやってくるのだけど、なんといっても怖いスズメバチ君がいるので、変に刺激しないように何度も言っておいた。それでもみんなが怖いもの見たさにその木に群れるので私達のテントの前はいつも虫ばかりか子供達でいっぱいだった。 クワガタ君をゲットしたら光太も大満足で、しばらくその後も探したが、早めに寝て翌朝早朝に起きて虫とりに行こうよということで帰った。光太は横になるとすぐに寝たが、私達の苦労はここから始まった。 隣のテントが団体で来ていて、その声がうるさくてうるさくて・・・なかなか寝付けず。数人の男の人の声が響きわたりほんとに困った。パパと一緒に寝られないね~~と言いながら、やっと寝入ったのはその人達が「もう1時半だ!」の声でようやく。そこのテントと道をはさんで反対側もいつまでも騒いでいたので今回だけは非常識な人達のお陰で睡眠不足だった。こういう時のために次回のキャンプに必要なのは耳栓だねということが教訓。さて、寝たと思ったら光太の「パパ、虫とりに行くから4時半には起こしてね。」のお願い通り、私達は4時半に起きることになる。眠い~~~ 2日目以降も盛りだくさんなので、また後日にアップします。
July 19, 2011
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★初めて一等賞&ヤゴ育て 月日がたつのは早いもので、もう6月。年の半分は消化していることになる。光太は1年生から毎日の日記を書くようにと入学式の時に6年間の日記帳をプレゼントしたが、最近は日記を書くのがたまってきてドバっと1週間ぐらいまとめて書く。覚えていないことも多く、「ママ~何月何日は何があったっけ?」と尋ねてくるのでそんなこと私が覚えているはずもなく二人で連絡帳を見たりしてあったことを思いだすのに苦労することになる。まぁ、日記というものを後から書くなんて意味がないのだろうが・・・ かく言う私もこうやって後日、あった事を思い出しながら書いているわけだから光太のことをせめられまい。 さて、6月に入って第一週の週末に運動会が無事行われた。例年より早くの梅雨入りで、その前の週末だと雨降りだったのだが見事に暑い日となった。日焼けが心配なほど。 まず、特記すべきは光太が初めて徒競争で一等賞になったこと。一緒に走るメンバーの決め方が、その年によって変わるらしく、去年はタイム順だったが今年は背の順。女の子が他に3人いて光太を含めて男の子は3名。6人で走る。 とにかく今回は100Mなので、直線コースではなくて、運動場の円周を途中まで走ることとなる。 一番外回り6コースを走るので、スタートは一番前で構えていた。私もビデオを構えスタンバイ。 パパも別の場所からカメラ構えて待つ。バインダーを通して我が子だけを追っているので周りがどうだかよくわからなかったが・・とにかく一番最初を走っていた。「がんばれーー!」と言ってるうちに、途中ビデオの画面から見失い・・・後から見ると空が映っていた。慌てて戻すと間近に光太が来ていて見事1位でゴールイン。白いテープをちゃんと切ることが出来た。間近に別の子も迫っていた。セーフ! 1年生の徒競争はスタートが出遅れて5位。2年生はスタートは悪くはなかったが3位。3年生は1位かなと冗談で予想はしていたが、まさにその通りとなった。私は小学生時代、徒競争では一度も1等になって白いテープ切ったことないので、我が事のように嬉しかった。短距離よりは中距離の方が得意だった。 1等になった子達の面々を見ていると、いつも公園で遊んでいる男の子達だったとパパが後で言っていた。やはり毎日毎日学校から帰ってきたらランドセルを玄関に放り出して「ただいま、行ってきます!」と出かけ、暗くなるまで遊んでいるし、休みの日も昼ごはんも食べるのを忘れて夕方遅くまで遊ぶほどだからよほど体力もついてきてるのだろう。あっぱれ!! 徒競争の他は沖縄の踊り「エイサー」というのをやってくれた。黒い服を着て、紫の長い帯みたいなのを頭巾にして巻いて、手には1Lのペットボトルで各自が作った太鼓のようなものを振り回して踊る。同じような子供達の集団なので、光太には青いサッカーのソックスをはいて目印にさせておいたお陰で追っていくことが出来た。 運動会の勝敗は、今年は初めて赤組が勝った。光太は3年連続赤組。去年、おととしと白組が勝っていたため今年も負けたら3連敗のところだったが、連負が食い止められた。 子供が必死になっている姿を見るのに、運動会は徒競争や踊りがあればいいのだろうが、欲を言えば、6年生までには一度ぐらいリレー選手に選ばれて欲しいものだ。やはり盛り上がるのはこの競技。今年は補欠の次だったというから出番はなし。他に盛り上がるのは騎馬戦。また応援団長(かなり競争率が高いらしいが)に選ばれるとパパのカメラの出番も多くなることだろう。光太は声も大きいからその分の条件は大丈夫。あとはクラスからの人気投票をしないといけないらしい。まだ先の話だけれど。。。聞いてみると、もちろん光太もなりたいらしい。いつかそういう日がくるのが楽しみだ。 さてさて、運動会の話はこのぐらいにしてその次の週にもらってきたヤゴの話に移ろう。 理科の授業の一環で、横浜市は毎年プール掃除の際に希望者はヤゴを持ち帰り、トンボに育てるのだと言う。他の学校はヤゴではなくて蚕だとも聞いたことあるが、うちの学校は毎年ヤゴらしい。しかも、昨今の放射能の心配から保護者からヤゴとりを中止にしてほしいという意見も出たことから、学校の判断で中止になっているところも出ていると新聞にあった。 うちの学校は新聞に出る2日前には既にヤゴとりが実施されていたので、時すでに遅し。まぁ、新聞では、保護者に放射能の数値を見せれば別に心配するには当たらないので、こういう機会を失うのはもったいないようなことも書かれたあった。 なので、我が校は放射能の心配をするよりは例年通り、子供達の体験重視になったわけだが・・・問題はヤゴの餌。そして餌やりの大変さ!あくまでも希望者ということで、虫が苦手なママが持って帰るのはダメというところも多いらしい。私は田舎育ちなので、虫は父の土いじりにくっついていたおかげでそこまで抵抗感はないし、もしあったとしても、光太に実体験をさせたいために我慢したであろうが、そんな私でも最初はヤゴの餌には閉口した。 まず、私も知らなかったが、ヤゴは肉食なので餌はイトミミズとかアカムシというものを食べる。ボウフラなども食べるらしいので、庭に放り出しておけば自然にボウフラが増えて餌を買ってこなくてもいいらしいが、蚊が増えて困るので、うちは餌を買ってくることにした。 ペットショップに行くと、懇切丁寧に教えてくれて冷凍されたアカムシを買ってきた。大量にあるのでお友達と分けたが、それをお家の冷蔵庫や冷凍庫に保存するのもなんだか抵抗ある上に、エサやりも意外と大変。 ヤゴは生きた餌しか食べないので、あたかも生きているように見せかけるため、はしにそのエサをつまんでゆらゆら揺らせなければいけない。これはかなり根気のいる仕事で、最初はヤゴは、はしや、その餌を怖がって逃げまくる。そこを辛抱つよ~くしばらくゆらゆらしているうちについに「パクっ!」と食らいつく。最初餌と認識するまでは1時間ぐらいかかって肩がこった。 光太の仕事なのに、光太は数分ぐらいやるともう「全然食べない!もう嫌だ!」と言って公園に逃げてしまった。何事も諦めるのが嫌な性分の私はその仕事を続行することになり、いつしか私になついた?ヤゴは私からは餌を食べ、光太がやっても食べないように。。。 というか、光太の諦めが早いのだが、光太は私が作ったヤゴの餌表(それぞれに名前を二人でつけて、最初に餌を食べたバクちゃん、ヤマちゃん、シオちゃんの3匹が1日に何匹食べたかを記録したもの)に1日3匹とか書いていると「ママの根気はすごいね~ぼくはほとほと感心するよ。」などとひとごとのように言う。「責任を持って飼うといったのは光太だよ。ちゃんと餌やりを諦めずにやりなさい。」と言うのだが、一向にすすまない。 なんだか最初は気持ちが悪いなぁと厭がっていたが、日数をかけた分だけヤゴへの愛情?も加わって無事トンボになってくれよと思う。しかし、これは光太のお仕事なのだからあまり私も加担しないようにしなければ・・・ヤゴは最初は一つの水槽に飼っていたのだが、共食いをするというので、今ではヨーグルトの空いたカップにそれぞれ分けて飼っている。そのうちの1匹(ヤマちゃん)は脱皮もしたので他の2匹よりは一回りも大きい。 何だか生き物を飼っていると、こんなに小さくても愛着がわいてきて、他にもまた生き物が飼いたいなぁなどと思ってしまう。飼ったら飼ったで世話やお出かけの時など大変なのだろうが、そろそろ光太のお世話?以外にベーグル作り以外にかわいいわんこちゃんでもいてもいいなぁなどと思ってしまう。 根底には、光太が生き物をかわいがる姿を見たいのだ。きっと二人目をずっと欲しかったのもそうだろうと思う。理想だろうが、兄弟愛というのか光太が幼き子をかわいがろうとする姿を見たかった。もう子供では叶わないとわかった今、生き物ならいいかという感じ??きっと兄弟がいたら兄弟愛どころか、それにもれなくついてくる兄弟ゲンカでほとほと親も疲れ果てるのであろうが・・・ うーん、ヤゴちゃんから兄弟愛への発想に発展するとはヤゴも奥が深いぞ~
June 17, 2011
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★親子でお菓子作り 先週末は光太が食べたがっていたチーズケーキを一緒に作った。我が家でチーズケーキというと、レアチーズケーキとベイクドチーズケーキとどちらも半々の人気なのだが、今回はベイクドを食べたいというのでそちらにした。 うちはたっぷりとレモン汁を入れるのがお好み。夫婦ともに酸っぱいのが好きで、光太も酸っぱいのは平気。おにぎりも断然梅干し派。 ベイクドチーズケーキはレアと違ってクッキーを砕いて台を作る必要もないので、ひたすら混ぜるのみ。光太にクリームチーズを混ぜさせると、意外と重たいのに驚いたようで「おもっ!」とびっくりしていた。時々なめようとしたり。。。「まだまだそんなの食べても美味しくないよ。」と忠告するが今にもなめんばかりの接近ぶり。 順番に材料を混ぜていき、その都度ぐるぐるしていき最後にはオーブンへ入れて冷めたら冷蔵庫へ。簡単簡単。 焼いている間はいい匂いがただようリビングで私はピアノの練習。光太はお庭でゴールの練習をしていたが、そのうち飽きたのか一緒にやろうよと言ってきた。運動不足解消だし、つきあうことに。 私はなぜか絶好調で5点入りまくる。そのうち、右足だと面白くないので、左足もけれるようになるために左足練習をさせる。以前から口酸っぱく言ってるのだが、どうしてもスクールでは気持ちよく蹴りたい気持ちが先だって絶対左足を練習しようとはしない。家なら恥ずかしくないでしょとやらせているとそのうちうまくけれるようになっていった。 お庭での出来事というと、もうひとつ。光太は土曜日にとかげをつかまえて飼うと言いだしお家にある入れ物に入れて只今飼育中。といっても、かわいそうだから逃がしてあげなさいと忠告しているのだが、聞く様子がなく、親しくしている友達に見せたら・・・と言ってるが、その友達とは学校では会うが普段はあわないらしく、いつになるのだか。 パパが「光太につかまるぐらいだから、とかげもどんくさいな。」と言っていたが、いざとなるとすばしっこいのかもしれない。家ではのろのろ、ダラダラしているが、ここぞという時には素早い行動を見せるので親も驚くことがある。 さて、そのとかげの「とかちゃん」の餌は何だろうかということで光太はインターネットで調べると肉食らしいということがわかり公園にダンゴムシを探しに行ったのだが、公園に行ったら帰ってきっこない。当初の目的は忘れて遊びに夢中。帰ってきたらとっぷり日が暮れていた。いつものことだけど。 それで、パパと庭仕事していた時に見つけた根切り虫(白い幼虫)を入れてみたり、わらじ虫を入れてみたりしたが、あまり食べている様子はない。虹色の背中でとても綺麗なんだけどやはり野性のものは野性で生きないとかわいそう・・ここはまた説得しないと。とはいえ、飼いたい気持ちもよくわかる。ウーム。 日曜には昨日作っておいたチーズケーキがしっかり冷えてティータイムに食べるとレモンの酸味がよく聞いて我が家ではグッド。きっと一般的にはもっと甘い方が受けるのだろうが。 そういう我が家流というのがうちにはよくある。大抵私が作るものは砂糖を控えるか、油も控えるということになる。先日作った白玉だんご(白玉のおだんごの中にあんこを入れて白ごまをまぶして揚げたおやつ)の中に入れるあんこ、かなり甘さを控えたらやっぱりイマイチだった。もっと甘くした方がこういう時はいいみたい。 その時のあんこが余っていて、あんぱんを作ってみたが、あんこも作る時にずいぶん水分を飛ばしすぎたのかパサパサ、ぽろぽろ。それが家族にも不評だった。やっぱりあんこはしっとりでなきゃダメみたい。こういう失敗は売り物でないからいいけれど、いざ売り物でこういう失敗は許されない。 さくらパウダーも入れたさくらアンパンは味は悪くないと思うのだが、、、当分私の昼食となりそうだ。 日曜の夜には、光太に読んであげている本「ゆかいなホーマーくん」の中にドーナツが出てきた。自動ドーナツ製造機というのがあり、機械が壊れてドーナツが出来て出来て困るという筋なのだが、それを読んで光太は「ドーナツ食べたくなったな~」 それで月曜の昼過ぎにはイーストを使ったドーナツを作っておやつにすることにした。ミスタードーナツのような甘いケーキドーナツも美味しいが、ふわふわもっちりしたパンドーナツも美味しいものだ。子供達の給食でも人気の揚げパンのような感じ。家にある油が少なくてちょっとこげ気味になったが、そこはシナモンシュガーでお化粧してごまかしごまかし。揚げたては美味しくて一気に2~3コいけそう。。。ヤバイヤバイ。家でお菓子を作るとこれがいけない。なので、手につける前に光太がちょうど帰ってきて友達の家に遊びにいくというので、手土産にさせた。 それが箱に詰めていくと、持っていくのを嫌がる。どうやら自分がもっといっぱい食べたいみたいなのだ。また作ってあげるし、家に残ってる分は光太が食べればいいと言うとしぶしぶもっていった。かなりケチん坊で困る。 私は作ったらあげるのが好きでこれは母譲りかもしれない。いつもよもぎ餅やパンを母が家でせっせと作てはすぐに近所に配り歩いて「あれ?うちにはもうないの?」と言うと「お母さんは作ってあげるのが好きなのよ。」とよく言っていた。 この頃は光太のチェックが入るからあげずに何度も家で食べることもあるけれど、食べた後は「まだこれある?」とか「また作ってくれる?」と必ずつめの言葉がある。まぁ、そのぐらいの方がかわいいけれど。 この週末は家族でのというか、夫婦の中で子育てにおいてのターニングポイントを迎えた。光太の今一番したいこと、遊ぶことを優先にして勉強はちょっとおあずけでもいいかと。 色々と思うことがあるが、子供が自主的に取り組まないことには何も効果はうまれない。キーワードはそう、自主的にやること。「べんきょうしなさい」では絶対やらないんだよねー。以前から興味あることを夢中にさせてきたつもりだけど、最近ちょっと行き詰まり気味。ちょっと親子共々ゆっくりとお休みしてじっくり考える時期にきたようだ。まだまだ光太の人生はこの先長い。
May 23, 2011
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★2度目のキッザニア この土曜日は前日に思い立ってキッザニアに行ってきた。幼稚園の年中時代の春休み、奇しくも3年前の3月11日に行っていた。 前回は車で行ったため途中首都高で渋滞に巻き込まれ着いたのも10時15分と遅くまともに回れなかった。 今回は朝早くに起きてめいいっぱい遊ぶ予定で8時半前には到着。もう既に長い行列が出来ていた。 人気のパビリオンであるお菓子工房(ハイチュウ作り)は毎回すごい行列だとは聞いていたが、今回も入場して10分もたってないのに既にいっぱいで午後からの部しかないらしい。 隣にある、コカコーラの瓶詰をするボトリング作業のお仕事の予約をいれておく。今始まったばかりなのに、もう12時の予約になるらしい。集合時間は11時55分。それまでの間は、お仕事の予約は入れられないから、何か眼前で空いているお仕事があれば入れていくことにする。 ふと見ると、マジシャンの場所は光太入れても2人しかいない。待つこと15分ぐらいで9時すぐ案内してもらえるらしい。 光太もマジシャンはやってみたいと言ってたので迷わずやらせることにした。まずは光太達が先にマジシャンの服を着て中に入ってしばらく練習となる。その後は私達も入ってそのマジックの披露となる。光太はカードのマジック。もう一人は布と小さなコインを使ってのマジックとなった。 赤い服を着たかわいいマジシャンがそれぞれのマジックを披露。あがることなく上手に出来て拍手~種は親に明かしてくれないようで光太はニタニタしていた。 次に向かったのが筆記具屋さん。ここは90分待ち。そんな長い間待ってられない。ふと隣を見ると、空いていたのがおもちゃ工房。ここはパソコンでおもちゃのパッケージをデザインしてそのおもちゃはもらって帰れるというもの。ちょっと対象年齢は低い気がしたが、光太はトミカのおもちゃに目をつけたのかやりたがった。 3人しかいないので、すぐ開始。光太と光太より小さい子達が二人いた。パソコンを使うといってもマウスを使えれば後は好きなデザインを選んでクリックするだけなので簡単のようだった。ここはキッゾをもらえるのではなくて、キッゾを払ってするところ。言い忘れたがキッザニアでは働くとお給料として「キッゾ」がもらえる。キッゾを使ってサービスを受けることも出来るし、デパートで買い物も出来る。銀行もあって預けることも出来る。 光太が最初に体験したマジシャンでは8キッゾ給料としていただき、おもちゃ工房では10キッゾ使ったことになる。なので今はマイナス。とはいえ、3年前に働いたキッゾも使えるのでちゃんと持ってきていて既に手持ちが74キッゾからのスタート。 3番目に向かった先は、発明工房。ここでは紙を組み立てて立体的な飛行機を作り飛ばす。何度か飛ばしてみておもりの位置をかえたりして試行錯誤を繰り返し、より遠くに飛ぶことができるまでやる。 終わったらどうしたら遠くに飛ぶようになったのかのレポートを書く。紙飛行機といっても立派なもので一緒に入った二人が交互に飛ばして遊ぶ。紙飛行機好きな男の子向きかな。 私達は光太達が飛行機のレポートを書いている間に、座るところがあったのでちょっとしたものをつまむことにした。家から7時前のバスに乗って出てきて飲まず食わずで既に10時過ぎだからお腹もグーグー。喉もからから。光太ももちろんそうだろうが遊び(いやお仕事か?)に夢中で食べるヒマなどない。 ここ、キッザニアでは飲食物の持ち込みは禁止で基本的にいつ食べるかというと子供達はお食事を作って食べるというお仕事にうまいタイミングにつくか、あるいは軽食は売っているのでそこで買って食べるかになる。 ただ、うまい具合に食事のお仕事につけるともが限らないし、混んでいる時は食事を買うのにも並ばないといけないらしい。それにテイクアウトしても包んでくれたりしていないので、その場で食べきれないとずっと親が持ち歩かないといけなくてかなりお食事状況は不便らしい。 さて、4番目のお仕事体験はビルのメンテナンス。ちょうど発明工房に光太が入っている間向かいのビルでやっていたのがそうで、子供がロッククライミングのように高いビルに登っていき、窓ガラスのお掃除をし、そこから命綱1本で宙ぶらりんになりながら降りる。高所恐怖症ではとてもつとまらない。 同じ場所の隣でやっているビルクライミングはキッゾを払ってする体験となるが、ビルメンテナンスはお仕事でキッゾをもらうことになる。光太はどちらをやるか聞かれてキッゾをもらうお仕事を選んだ。 ここに来る途中でも「もっと稼ぎたい!」と言いながら走り回るぐらいなのでよほどキッゾをもらう体験が快感になったのであろう。 ビルクライミングの方は子供が登りきると下にいる係の人が大きな響き渡る声での発声がある。1日たった今でも耳に残っているぐらいの大声でふと周りにいる人達も何事だろうかとその場を振り返って驚く。子供が宙ぶらりんなのだから・・・勇気ある子供に拍手。 総じて、女の子の方が堂々としているように思えた。よく遊園地のジェットコースタ-でも女の子の方が得意だというけど、ここでもそんな感じ。無理矢理トライしたような男の子は登っている途中から腰が引けてしまって見ている方もハラハラする。ただ、見守りがいがあるので、光太もこれにチャレンジしてくれたら見る方も楽しかったのに~仕方ない、光太は稼ぐ方に喜びを見出してしまったのだから・・・ ビルのお仕事が終わると12時からのボトリングのお仕事が始まる前に光太の昼食時間とした。私達は既につまんでいたが光太はまだ。さすがにお腹が空いたようだ。それでも、すぐさま終えるとすぐにでもまた働きたいという。中途半端な待ち時間しかないので、お仕事センターに行ってどんな仕事が空いているか聞いておいでというと喜びいさんでとんでいった。 気付くと、宅配便のアルバイトとお仕事センターでのアルバイトを2つもこなして6キッゾもらっていた。(各アルバイトは3キッゾずつもらえる)普段はやることはのろのろしているのに、いざやりたいものがあるとこんなにすばしっこくやるのかと親も驚いたほど。 そして、頃合いよくボトリングの仕事になり、コカコーラを瓶詰する仕事をして(中の部屋はすごく寒かったらしい)お土産に自分が瓶詰したコカコーラをもらう。 さて、次に何をしようかと歩いていると車に乗っている姿が目に入り車を運転するには免許をとらなくてはいけない。そこで免許をとるところで並んだ。ここで私は強烈な睡魔が襲ってきた。椅子に座りながらその場でリュックを抱えて突っ伏すようにして仮眠。 前の晩は色々と準備することもあり、パパの帰りを待ってると寝たのは1時頃だったし、朝は早いしで完全に睡眠不足。ふと起きたものの、まだまだ眠い。 光太が免許をとる間、私達は親のラウンジでお茶することにした。眠気覚ましのあったかいカプチーノを飲んだらやっとすっきり。 もどってみると、光太はちょうど免許もとりおわり、レンタカーに乗る段取りを組んでいた。これを乗りたさに免許をとったのだから納得。 レンタカーは1度乗っただけでは物足りず、もう一度乗りたいといったのだが、係の人にも、ここでもう一度乗るともう他のお仕事が出来なくなるよとアドバイスされて断念。 そうなのだ。ここは午前の部は9時から3時まで。午後は4時から9時までと時間制限がある。3時までといっても実質2時前になると次々と終了札が出ていて人気なものほど早々終わっていく。気づいたら何もお仕事につけないまま終わることとなってしまう。私達はそれを知っていたので、最後の仕事としてシェフを予約していた。 シェフの集合時間は2時15分。料理する時間が30分ぐらいでそれを食べたら3時になるからちょうど良い。内容は、ライオンを見たてたライスカレーを作ってそのカレーは終わってから食べることが出来る。他にも料理を作るのは、ピザ、ハンバーガ-、パン屋などあったけど、撮影班のパパ的にも光太に山高帽のコックさんになってほしかったようでちょうど空いていてよかった。 ライスカレーを作るといっても、カレーそのものを作るわけではない。野菜を切って並べてライオンの顔にするのを子供達に任せるといったとても簡単なもの。光太はこういう工作系なのは大好きなようで真剣なまなざしでかぼちゃを切っていた。無事に終了すると、それを休憩場所で食べてキッザニアは終了時間となった。 料理のお仕事をする前のちょっとした時間に自分へのおもちゃをパパに買ってもらっていたし、思い残すことはないと思っていたが、実は働いたキッゾを使ってデパートの買い物をしたかったようで最後はちょっとふくれ顔。そうはいっても全ての願いを叶えることができないのがキッザニアだ。 それでなくても、やってみたかったはんこ屋さん(これはすごく残念がっていた)やハイチュー作りなども出来ずに終わったしなかなか全て思い通りにはならないものだ。時々、子供がワーワー泣いてなだめすかしている親の姿を見かけたが、やはりここはこういう事情だと諦めも出来る年頃にならないと難しいだろう。 この後はららぽーとで買い物をしたり、レストランで食事をしたりして、帰宅したのは夜7時過ぎ。たっぷり1日を費やした。帰りのバスの中ではこっくりこっくり右に左に二人のおじいさんの間に座っていた光太の頭が居眠りするたびに揺られていた。 あぁ疲れた疲れた。キッザニアでは親は一緒に入って遊ぶことはできないので、ひたすら楽しんでいる子供を撮影して立ち通しで足が棒になる。 それでも子供が働きたいと目をキラキラ輝かしている姿はけなげでかわいいし、今のこの時期にしか楽しめないことだろうなぁと思う。多分高学年になるとここでは満足できないことだろう。
May 15, 2011
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★高尾山登山 連休の2日目に家族で高尾山登山をしてきた。この山に登るのは光太は2度目。パパは小さい時登ったらしいが記憶なし。ママは初めて。 おととしにママは友人との富士登山の経験があり、新6合目で挫折して、山登りなんて二度とごめんだと思っていた。それが登る気持ちになったのは、以前光太が幼稚園の年長で登ってきて、「ママ、今度は家族で行こうね。」と言ってたのがずっと気になっていたから。 一度、家族で山登りしてみたいな。それも富士登山なんかいきなりハードルが高いから軽く高尾山ぐらいなら・・・とほんのかる~い気持ちでスタートした。 朝からお弁当作ってパパが運転すること1時間。ほどなく高尾山口につき、いよいよスタート。入口は色々なお店があってお祭り気分。帰りには何を買って帰ろうかなぁなどとうきうき。 登り出したのは、10時頃。最初はゆるゆるとした道だったけれど、15分ぐらいするといきなり上り坂、しかもかなり急激。最初はぺちゃくちゃしゃべっていたのにいきなり無口になる。 ふと見上げるとずいぶん高い所を人が通っているのが見えた。「え~あんなに高いところに行くの~?」とちょっと驚く。 だんだん、パパと私は上り坂ゆえに歩幅も小さく、ゆっくりになっていく。光太はといえば、スタスタ元気に歩いていってくねくね道が曲がっているので、そのうちに姿が見えなくなってしまった。 ちょっとした休憩所みたいなところがあり、パパと私は水筒からあったかいお茶を飲む。「ふぅぅぅ。。。。」「けっこう疲れるね~~」「光ちゃん、どこへ行ったんだろうね~」 次の休憩所では、パパが小腹が空いたので何かつまもうと言うので、ちょこっとクッキーを口につまんだ。もぐもぐ、もぐもぐ、ハ~~。。。先ほどから口はよく動くけど足がなかなか動かない。 やっと歩き出すと、先の方で口をとんがらせている光太発見。「もう、パパとママ遅いよーー!」「ごめん、ごめん。光ちゃん元気やね~」 こんな感じで、予想外に高尾山の上り坂はきつく、しかもいきなり急こう配になるので最初は慣れるのにしんどかった。でもある程度するとそれに体が慣れてきて平気になってきた。 そして、休み休みしながら、ようやく山頂かと思われたところがあり休憩。なんだ、最後はあっけなかったななんて思っているとそこは山頂じゃなくてがっかり。見晴らしがよさそうだけど、あいにく霞がかかってかはっきり見えない。 そこから少し歩いてまた休憩。そこでお弁当タイムにした。時間もちょうど昼。お弁当はささみに青紫蘇、梅干し、チーズを巻いた春巻きがメイン。いつもは家族が大好きな梅干しのおにぎりだけど、おかずに梅干入りなので今日は味付けなしの白いおにぎり。光太も私達とほぼ同じ量をパクパク食べる。 光太のお弁当が終わると、いよいよ頂上目指して出発。あと少しと思っていたがそこから長い階段があったり、お寺があったり、長い長い道のりがまだまだあった。もう長すぎ~~、もう歩くのいやだよ~と思ってきた頃にようやく頂上。高尾山山頂599m。頂上は人がいっぱいで砂埃で真っ白だった。 ヤッターーーー!!!達成感。10時からスタートして、お昼ごはん休憩をとったのが1時間ぐらいとして13時15分に着いたから2時間15分ほどかかった。正直、高尾山を甘くみていた。こんなに疲れるとは思ってもみなかった。 山頂での達成感の余韻にしばし浸った後は、ひたすら下山。もちろん、途中でリフトかケーブルカーに乗るコースで降りようとパパもママも思っていたところ、光太が爆弾発言。「稲荷山コースで帰りたい!」 稲荷山コースというのは初心者向きではなくパンフレットによると上級者向きになっていた。ひたすらまだまだ歩いて降りないといけなくて、しかも角度が急なようだ。 頂上に来て、もう歩くのはこりごりと思っているのは親だけか!?びっくりして降りる方もひざがガクガクして意外としんどいこと。途中で降りれないと言ったってどうしようもない。本当に降りれるのか?と確認したところ、光太もちょっと不安になったようでやっぱりそのコースは諦めた。 下山しかけてやっぱり諦めてくれて正解だった。下山はひざがガクガクして降りるだけといってもこれまた疲れるぅぅ。光太も行きの元気はどこへやら、急に休憩を何度も要求してきたり、疲れた様子。行きはよいよい帰りは持久力に難ありか?上級者コースにチャレンジしなくてよかった~~この初心者コースでこの調子なのだから大変だったことだろう。 どんどんどんどん調子にのって降り続けたらやっとリフトかケーブルカーを選ぶ場所まで来た。やっと楽ちんになれる!と思ってふと見ると長蛇の列。みんな考えることは同じ。1時間近くも並ぶらしいということで断念して自力で降りることにした。 結局コースは違えど、最初から最後まで歩いて下山することとなった。光太は園ではケーブルカーに乗ったのでリフトに乗りたがったが、そんな1時間も待てないということで歩き出すとかなりすねているようだった。 でも、歩きだしたら調子づいてあっという間とまではいかないが思っていた以上に早く降りれた。つかれたよーー!! 最後は締めのソフトクリーム!光太は最後の一つとなったブルーベリーヨーグルト、私達はバニラを食べて終わり~~はーーー疲れたね。でも光太の行きの体力には驚いた。意外と体力がついていたのね。この山を年長の時に登ったのもちょっと信じられない。 光太は、登山途中に買ってあげたうぐいすの鳴き声が出る笛がいたく気に入ったようで登山しながら度々、「ホ~ホケキョッ!!」周りの人が近くに鶯がいるのか不思議そうにきょろきょろするのがまた嬉しいみたいだった。 翌々日に、ママが家族で一人激しい筋肉痛に襲われたのはいうまでもない・・・
May 4, 2011
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★今私達に出来ること 3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震は一瞬にして人々の普通の生活を奪ってしまった。日々新聞に載っている被災者の人達の被害状況を知るにつれ、これはとんでもない地震だったのだと改めて感じる。 そして、今なお、原発の問題は解決していない。私達が今出来ることは節電、そして義捐金。一人でも多くの方の命が助かり、1日でも早く復興できるように祈るばかり。とはいえ、精神的に負った傷が癒えるには時間がかかるだろう・・・ 光太ぐらいの子供が一気に両親を失ってしまったという痛ましい話や、地震、津波で助かったにも関わらず、被災地での寒さ、食糧が十分にいきわたらないことによる飢えで亡くなるということが起こっている。 せっかく命拾いしたというのに衰弱されて亡くなるというのは今の時代にあって痛ましく想像を絶する。 テレビで報道される内容には災害拠点地には続々と世界中から支援物資が送られているというのに、それが十分に行き渡っていないというジレンマ。ガソリン不足のために細部に行き渡らないとも聞く。 こんな便利な世の中にあって、天災の前には人々の生活の基盤はあっけなく揺らいでしまう。ライフラインが復旧しないことにはどうにもならない現実がある。全国のボランティアの人達も助けたい気持がうずまいている。一人でも多くの命を助けたい、傷ついている人達の支えになりたいと心底願っている。 それでも、まだ近付けない現実がある。今慌ててかけつけても、ボランティアの人達が普通に生活出来ない状況なのでかえって被災者の方たちの負担になってしまうという。 私達家族も何が今出来ることかと考えてわずかではあるが募金をすることと、日々、節電を心がけることにしている。寒さで凍えるような東北地方の方たちに比べればこちらの寒さなどまだたいしたことではないのだろう。寒ければ厚着をし、なるべく電気を使わなくてもすむようにすることが大事だと思う。 よく言われることだが、明けない夜明けはないのだ。時間はかかるだろうけど、いつかは必ず生きていてよかったと思える日が来ると信じて諦めず生きてほしいと思う。 一番大事な家族を失い、大事な友達を失い、家や家財などを一気に失ってしまえば、前向きに生きていく希望も消えてしまいそうな気持でいる方がたくさんいることだろう。 でも、それでも前向いて生きていくしかない・・辛くて辛くてたまらないだろうが、なんとか前向きに生きていってほしいと思う。 被災者の人達の生活を思えば、こちらの方など慌てることはないはずなのに、普段の生活が一変してしまった。計画停電の影響やスーパーの品薄、ガソリンスタンドへの長蛇の列、並んだところで満タンには入れてもらえないらしい。どうしてこんなパニック状態にならなくてはいけないのか・・ とにかく落ち着くまでは不要不急の外出や買占めなどは控えてじっとおとなしくしているしかない。 とはいっても、まだまだ余震が続いていて予断を許せる状況ではない。昨晩も夜にガタガタと音がして怖かった。 地震当日はちょうど外出から帰ってきて家にいたところ。光太も間もなく帰ってくる時間だなぁと思っていた矢先のひどい揺れ。最初はひどいなぁと思っていたけど、その内おさまるだろうと思っていたら、どんどん揺れがひどくなりじっと家にいるのが怖くなって手足が震えながらも玄関の方へ向かった。 近所の方もわらわらと出ていて、慌てて学校へ光太を迎えに行った。もう下校途中で戻ってきている子達もいたし、小学校の近くの幼稚園で避難している子もいた。 私は小学校の校庭まで行ったがそこには光太がいなくて先生の顔がそのことを知ると曇ったので、また慌てて家に向かった。どこかで入れ違いになってしまった。 家に着くと、ランドセルが玄関にあるが光太がいない。またどこかへ行ったのか?と思い友達の家を探しに行ってる最中に、近所の方のおうちに避難していることを知り本当にほっとした。 パパにもしばらく連絡がとれず、メールの返事がない。東京の方も揺れがひどかったという情報を得てずっと不安だったが、やっとメールが入りほっとした。こういう非常事態では電話はつながらないからメールがいいというが、メールも届くにはかなり時間がかかった。 これほどまでの巨大な地震の経験はなく光太も毎日テレビやラジオで伝えられる悲惨な状況を最初の方はよく見ていたが、ある子育ての情報であまり子供達にはこのような状況を見せすぎるのも問題だとあり、なるべく控えるようにした。 大人でもこういう報道でかなり精神的に辛い状況になるのだから子供はなんでもないように見えてかなりストレスを受けているという。 そこで私はなるべく光太には家にいる時は録画している楽しい番組を見せたり、この時期にはちょうど良いと思って落語の絵本を買ってあげた。親子で読んではゲタゲタ大笑いしている。 こんな時期に不謹慎と思われるかもしれないが、ふさぎこんでばかりいても私達にはどうすることもできない。今私達に出来ることを精一杯してあとは楽観的に生きていくしかない。 1日も早く落ち着いた生活が戻ることを願ってやまない。
March 20, 2011
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★床屋なんてこの世の中からなくなればいい! 先週末やっと伸びまくった光太の髪の毛を切りに床屋へ連れていった。赤ちゃん時代から私がずっと切ってきたのだが、最近は自分のこだわりが強く、文句を言い出すようになってきたので床屋にまかせることにした。 それが、目にもささるぐらいに前髪が長くなっているのに床屋に行こうと言うとがんとして嫌がる。そのうち大泣きする始末それまでは切らないでというので切らずにやってきたが、後ろから見たらまるで女の子のように長髪だし、後ろは良いとしても前髪が目に入りそうなのは視力にもかかわる。 やっとのことで1時間以上かかる押し問答の末、光太が断念。私が床屋につれていったが、結局床屋についても素直に入ろうとしない。混んでいたこともあって待ち時間も長く、その間ずっと外からこちらをにらみつけるように立っていた。 私は格好よく切ってもらわないと一生床屋に行かないとなりかねいのでヘアスタイルブックを眺めていた。光太に見せて「自分が格好いいなと思うヘアスタイルがあるのならそれを言ったらいいのよ。」と言うと、最初は見るのもいやがっていたが、そのうちページをめくっていた。 選んだのは「ワイルド&ダーティーヘア」荒々しく汚い髪型と直訳するとなんだか今の光太の髪型そのまんま。結局切らない方がいいと言いたいのか? 順番が来て観念して鏡の前に座るとおとなしく目をつぶっていた。私がここに連れてくるまでの事情を説明してかなり長くなっているのですいて軽くして欲しいというとあっという間にさっぱりしたヘアに。気持ちよくさっぱりしたのでよかったと思ったが、光太にとっては切りすぎだと感じたようでまたブツブツ文句言いながら帰った。 髪の毛を切ってからはそうでもなくなったが、切る前はやはり長いから寝ぐせもひどくて毎朝ドライアーをガーガー朝からあてていた。もう2年生からドライアーを使って朝の身支度するなんて先が思いやられるなぁと思っていたのだが、最近はあまり朝することもなくなった。短いからはねても前ほどはひどくないからだろう。 なぜにここまで見かけに気にするようになってきたのか?「誰か好きな子でもいるの?」と聞くと「ママはいっつもそんなこと言う!」と怒っていたが、どうやら女の子が気になっているわけでもないらしい。どちらかというと女の子の話題は避けるような感じ。 しかし、光太のことを好きだと思ってくれている子がクラスにいてその子からは今年バレンタインのチョコがポストインされていた。その子の存在は何度かラブレターを渡されていたので気づいていてそのママからも「いっつも光太くんのこと言ってるのよ。」などと聞いていたので知っていた。 それがもう一つなぞのチョコがバレンタインの当日にポストインされていた。誰からなのか名無しなのでわかりようもない。どちらの子からも手作りのチョコだった 女の子はおませさんだからあれこれ考えて作ってくれたのだろう。当の本人の方はケロっとしていてそういう気持ちはない様子。 自分の小学校のこと思い出してもそんな低学年でチョコを渡した記憶もない。今の子は本当におませさんだなぁと思う。友チョコというのも流行っているようでだんだんバレンタインの意味も時代と共に変わっていってることを感じる。 先日懇談会があった。先生に3年生に向けての思いを保護者から一人一人発言するように求められた。10人弱ぐらいしかいなかったが、どの方も繰り下がりの計算や九九、漢字のつまずきなど気になるという学業面だった。私は光太の学校の勉強面は気にしたことはないが、赤ちゃんみたいな生活面が気になることを打ち明けた。 まず、朝は相変わらずさくっと自分から起きれないし、言われないと宿題もやらない。後の後までのばしまくってやりだしたらすぐ終わるのに・・・といつも思う。お風呂でもちゃぷちゃぷほっておけば1時間ぐらい遊んでいる。時間の観念は全くない。遊べることならずっと遊んでいたいのだろう。家に帰ったらまずあやとりしたり、折り紙したり最近はこちょこちょしたものをいっつも作っていてまるで女の子みたい。(先週末ワークショップに参加) それが漢検など自分の興味のある勉強だと自分で目標持って突き進む。だからいいのかなとも思っている。先日6級も無事合格したので次は5級を受けるつもりのようだ。 先生に普段の生活態度を尋ねるとやはりあやとり(男の子の間で流行っている)をいつもみんなで円陣組んでやっていて、床にもいっぱいあやとりのひもが落ちていて「これは誰のですか?」と言うと光太のひもがたくさん落ちているのだとか。あと気づけば授業中でもやっていたり、輪ゴムでもあやとりしていたり。まさにはまりまくっているようなのだ。 でも、「一生懸命やっている時は本当にお母さんにお見せしたいぐらい必死にやっていますよ。」と先生はこの先が楽しみだと言って下さる。そして「光太くんを見ているといっぱいいっぱい愛情を受けて育てられたんだなぁと感じます。」と。確かにうちのクラスは3人目や4人兄弟の中間など兄弟姉妹たくさんいる中で育っている子が多く、親の悩みも、あまりじっくり時間をかけてやれなくて・・・と。 それを思えば、私はかけられすぎるぐらい時間は光太にかけてやれる。夫婦の目が光太の身に全て注がれるわけだから光太にしては愛情いっぱいの裏返しで窮屈なこともあるだろうと思う。適度に見逃しておいてやるぐらいの方が本人は生きやすいことと思う。あまり過保護になりすぎないように気をつけないとと思うが、どうしたって光太のことが毎日の中心にはなりがち。 たまたま私は一人っ子を育てる親となったが世間並にもう一人二人いたってよかったと思う。まぁ授からなかったことを思えば、この子を一人育てられる親になれてよかったと思う。やっぱり一人もいないと寂しかっただろうなぁとか。いつも文句をぶちぶち言いながらも、こういう経験を全くしなかったら親としての成長なんて考えもしなかっただろうし。 光太は数日前からりんご病とやらになり、ほっぺたが真っ赤である。学校に行ってもいい病気なので真っ赤にしながら通っている。でも友達から赤いといわれるのが嫌らしく、先日からはマスクをしていくと言い出した。ちょうどインフルエンザ予防や花粉症などでマスクしていると一石二鳥でいいじゃないと言っている。普段なら絶対マスクなんて嫌がるのに・・・ 結局、髪の毛については、自分も新しい髪型がまんざらでもないと思っているらしく、「床屋なんてこの世からなくなればいい!」とまで言って泣いていたのに結果が良ければ忘れてしまった発言のようだ。今後もぐずらずに床屋に足を運んでくれますように!!
March 5, 2011
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★2011年が明けてから ふと気付くと2ケ月以上ブログを更新していない。その間に、光太は8歳の誕生日を迎え、サンタさんも無事に来て、2011年が明けた。今年は休みも短いので帰省せず、自宅でおせちを作って食べた。思えば去年も同じようなおせちを作っていたなぁとアルバムを見て思う。お正月は穏やかな天気が続き、家族でまったりとした時間が過ぎた。 お正月も明けて最初の週末に、以前から一度トライしようと言ってたスキーに初チャレンジした。天気も良いということで前々日ぐらいに決定して富士山のふもとにあるスキー場に行くことにした。 スキー用品は1年以上前に家族全員のものを新調していていつでも行けるような状態だった。あいにく去年購入してすぐに光太のひざ痛で行けなくなっていた。 私はスキーといえば、大学時代に友達に誘われて2度ぐらいしたきり。その時にスキーの楽しさに目覚めなかったために今に至るが、パパは違う。若い時にすっかりスキーのとりこになったらしく、一時期は指導員を目指していたというほどだからよほどはまってしまったのだろう。 その腕前を披露という時が来たのだが、家族みんなが初心者マークなのでパパは一人滑る訳にも行かず、ずっと指導役。私は新しいスキー靴が足にあっていないのか(サイズをお店であわせてもらったのに)歩くたびに足首が痛み、一刻も早く脱ぎ出したい心境だったが我慢してパパのご指導のもと、なんとか最初は頑張っていた。 光太はといえば、格好だけ見ればまるでプロのスキーヤーのようにきめていて、バリバリすべれます~って感じだけれど、もちろん滑ったこともないので、始めはすってんころりんを繰り返していた。それでも、怖がることなく自分で立ちあがっては自然と雪の上を滑れるようになっていた。 私は・・・やはり何事も若く好奇心旺盛な時に、ある程度の種まきとその後の苗を育てるぐらいにはしておくべきだったと思う。そうしておいて初めて、大人になって色々な趣味が開花するというもの。何歳になっても手習いに遅すぎることはないというが、体を使うものは下手すると大ケガしそうで怖い。 スキー板なんて、動く刃みたいなものだ。雪の上をスイスイ気持ちよく滑れる人にとっては味方になるが、まだ楽しめる域に達していない人にとっては、足の裏にとんでもなく危険物をつけて歩いていることになる。 何度か滑って転ぶが、スキー板をはめているとなかなか起き上がれない。体が子供と違って重たいので大変なことになる。よく転んでしまってなかなか立ち上がれない人を傍から見るとなぜすぐに起き上がらないのだろうと思うが、起きたくても起きられないのだ。 光太の場合は転んでも、また笑顔で立ち上がってまたやろうという気持ちが顔に表れている。(まさに七転び八起き) 私の場合は、もうただただ顔がこわばってくるだけ。そのうち、光太がパパに特訓されてるのを撮影することにしてスキー板をはずしてしまった。そして、ついにはレストハウスで休憩することに。お昼ご飯をすませたばかりだったので、お腹は空いていないのだけれど、とにかくスキー板をはずして休みたいの一心。 寒さで気づいたら、机の上でうたた寝をしていて、パパが荷物を私のそばにおきに来たようで、光太が宝探しのイベントで見事当てたDVDと、そりと、脱いだ服が置いてあった。 結局二人がスキーをやめたのはとっぷり日も暮れた18時前。あたりはナイターの照明もついて綺麗にライトアップされていて幻想的。パパと光太が鼻と顔を真っ赤にして帰ってきて「ママ~ぼくだいぶん、滑れるようになったよ!」と嬉しそうな顔。子供の、のみこみの速さには脱帽する。私が10回やっても出来ないであろうところを何回かで出来るようになっていくのだから。 とにかく、光太がスキーを楽しめる域に達してくれて本望だ。これもパパのお陰。もし私もパパもスキーなんて全然ということなら多分つれて行く気もしないだろう。私だって小さい時、スキーなんてつれていってもらったことがない。親に言うと、父も母も出来なかったからだろうし、両親の興味があるものによって左右されることはある。ただ、全く両親ができなくても友達とのつきあいによって出来るようになることだってある。 光太はまたスキーに行きたがっているのでシーズン中何度か行くことになるのかな。出来るようになるまでに痛い目にあわないことならばまだいいのだが、本当に滑って転ぶと痛い!痛い目にあわずして上手くならないのならつい尻込みしてしまう。 スキーに行った翌日スキー板とストックを持ち運びした指が痛かった。これまた筋肉痛との戦い。なんとか楽しめる域になりたいが、それまでのハードルはまだまだ高そうだ。きっと光太は次のスキーでまたずいぶん上達することだろう。あぁ~若さがまぶしいっ!
January 10, 2011
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★キャンプに雨はつきもの 大雨で幕を開けた初キャンプに続き、第二弾のキャンプ地は富士山こどもの国。数日前から天気はすでにあやしかったので、どうか今回こそは!と祈っていると祈りが通じたのか天気は曇のち晴れ。天気さえよければ、場所も近いことだし問題なし。前回のキャンプの時と違って準備も一度経験しているだけになんだかなかなかエンジンがかからなかった。 前回のキャンプで問題になった荷物対策で今回はルーフキャリア(車の上に荷物を載せるもの)を購入していたのだけど、パパも仕事で毎晩遅いため、結局取り付けは行く日の朝となった。 パパがルーフキャリアを取り付けている間に、私は車の中で食べる予定の朝食用サンドイッチと、昼キャンプ地で食べる予定のお弁当を用意していた。ここ数日は、キャンプの夜食べる予定のものを予めカットしておいたり、向こうでやることを少なくしようと思うとずっと準備のことが頭にあって食べることばかり気になっていた。 お互いがそれじゃ行こうかとなったのがもう9時過ぎ。パパも遅くに帰ってきて早朝に起きてこれだから運転前にもうひと仕事終えたという感じ。今回は近場とあって少々の渋滞でも平気だった。2時間もすれば到着して、そこからは名前の通り見事な富士山が眺められた。 ついてすぐ受付をすませるとテントの設営にとりかかる。雨が降ってないのだから前回に比べれば楽ちん。といっても、私の頭一人ではとても出来ないのだけど、こういうことの得意なパパにあれこれ指示されるように動いているとあれよあれよといううちにテントとタープが出来上がる。 中の荷物をどんどんテント内に運び込んでテーブルやイスの設置が済み、寝る時のマットをふくらまると(これが意外と重労働)とりあえず一旦昼食をとることに。私の手弁当でみんな一息つく。この時期でも痛むといけないからと思ってクーラーボックスに入れたおいたらなんだか冷たい・・もう少し前にクーラーボックスから常温に出しておけばよかった。こういう時にチンして温められないのが悲しい。 食事をすませたのが既に14時半過ぎ。ここからテントのロープ張りを光太がパパに教えてもらいながらお手伝いする。 やっと一通りの仕事が終わると、いざ遊びに!フロントの方へ向かうと大抵の遊びは15~16時には終わってしまうので今から何かに参加するのは難しいとのことで、明日思いっきり遊ぶことにして今日は散策することにした。 歩きながらも富士山が見事に眺められるので気持ちがよかった。光太もあっという間にちょっとした岩場にのぼっていってははしゃいでいる。 今日の天気はまずますだけど、どうやら明日はあやしくなるようで、今のうちにしっかり見ておくことにした。こうして改めて富士山を見ると本当に見事に端正な形をした山だなぁと感心する。このような描いたかのように綺麗な山は富士山意外にないのではないだろうか。 光太も「ぼく、今週のニュース(学校の週末の宿題)は富士山を描くよ!」と目に焼き付けていた。でも、見ているそばから刻々と富士山の姿は変わり、どんどん雲が押し寄せてきていや~な予感がしていた。 夕方になるともう肌寒くて、ここではダウンを着こまないと寒いくらい。あたりはちょうどこの季節ススキの穂がいっぱいでそれが真っ白な絨毯みたいに見えてとても綺麗だった。 先ほどお弁当を食べたばかりなのだけれど、ここの夜は早いので、もう早々に炭火をおこして夜ごはんの準備することにした。炭火も落ち着くまでには少し時間がかかる。パパが火起こしをしてくれている間、私と光太は近くの岩場でかくれんぼをしたりして過ごした。 今日の夕食はサトイモと牛肉を煮込んだいも煮鍋。初めて購入したダッチオーブンを使った料理となる。これも、すぐ出来るように家で材料は全てカットしておいたので、後は焼いて味付けしたら煮込めばいいだけ。サトイモを大きくカットしているので少し時間はかかったけれど、それでもこの寒い中フーフー言いながら温かいものを食べるとほっとする。 最初はカレーにしようかなと思っていたのだけれど、カレーというのは香辛料が入っていて温まるようだけど、夏にカレーを食べたくなるようにこれは体を冷やす食べ物。だからやっぱりほっこり鍋が食べたくなり直前でメニューを変更にした。 パパ的には、炭火を起こしているのだから炭で焼くのもしたかったようだが、前回バーベキューをしているし、とにかく秋のキャンプは寒い!温まる鍋で大正解だった。 ご飯の代わりに締めはうどんを鍋にいれて、最後は汁も残さずいただきま~す。普段なら鍋だと翌日も余ってしまうこともあるが、こういうところに来ると余っても困るので3人で食べきれる量を作って夕飯はおしまい。その後、すぐ温泉の時間がせまっているので急いで温泉に行くことに。 ちょっとその前に、翌朝のスープもしかけておいたら大成功。残りの炭はけっこう威力を発揮してくれる。これも家で野菜(にんにく、玉ねぎ人参、セロリ、ナス、ズッキーニなど)ときのこと味のでるベーコン、それにトマト缶を入れてコーヒーを飲もうと沸かしていたのだけど飲む時間がなかったのでそれをザーっと全部入れてコンソメとローリエ、塩、こしょうを入れておいたもの。温泉から帰ってきたらもうそれなりにスープになっていて、霜が降りるのでタープの内側においておいた。 翌朝また温めて、食べる直前に大豆の水煮を放り込めば出来上がり。家だとコトコトと煮るのにガスを改めてガスをつけないといけないけれど、炭火だと一旦炭をおこすと、こうやって残り炭でもう一品できるのだから本当にエコだなぁと思う。それに、寒くても炭火にあたれば、暖房器具もいらない。家にいても野外で上手にキャンプ生活のように炭火で毎日食事を作っていれば、光熱費の節約になるかも!?(まぁ、キャンプ地に来てやるからこそ雰囲気も楽しめていいのだけど) 車で20分ぐらいかかるところへ真っ暗な中パパに運転してもらって温泉に向かう。体の芯まで温まって帰ってきたらもう21時。光太は車の中で「ママ、帰ったらトランプしようね!」なんて言ってたけれど、気づいたらグーグーいびきかいて寝ていた。テントの中に入ったらすぐにシュラフにもぐって寝入ってしまった。隣のテントからはウノをする家族の笑い声が聞こえてきたが、そんな余力は我が家はどこにもない。私「パパ、隣ウノやってるね。」パパ「若いんだよ。」と若年寄夫婦の私達は光太の後を追いかけるようにもうグースカ。とにかく前回の長野県に負けないほど、ここ富士山の夜も寒い。今回はブランケットに加えて本格的に分厚い毛布も持参していたので、みんなブランケットを体に巻きつけてシュラフに入り、その上から毛布をかけて寝た。 翌朝はパパは早々に目覚めて赤く朝日に輝く富士山を眺めたようだが(まさに早起きは三文の得!)私が7時に起き、光太が7時半頃に目覚めた頃には富士山はすっかり雲に覆われてしまっていた。 朝からパパが例のスープを温めておいてくれたので、あとは、家からもってきたベーグルをホイルで温めて一緒に食べると早々に、片づけ開始。前回の時に懲りて、ゆっくりする間もなくチャッチャと撤収の行動開始。周りを見ても、朝食後はすぐ撤収という感じだった。11時にはチェックアウトだからそんな流れになるのだろう。 もう今回で今年のキャンプもおしまいになるので、掃除も兼ねながらの片づけとなる。早々に片づけ始めても結局はいい時間になった。フロントに向かうと、光太は来た時から気になっていた竹細工工房を体験することになった。色々なものを作れるだけれど、光太が選んだのはマジックロープというもの。まさに手品のような仕組みになっているのだけど、ものの20分ぐらいで出来て喜んでいた。光太はこういう工作が昔から大好きだ。 その後、ディスクゴルフをしたり(これは以前家族でしたことがあるが、光太が意外とうまくて私に教えてくれるほど)ヤギや羊にえさをやったり、ターザンロープをしたり、廃材が置いてあるところから好きなものを選んで好きなものを作るというトンカチ工房でやってる最中で時間切れになってしまった。 ここ富士山こどもの国は遊ぶところがいっぱいで、キャンプをしながら1日ではとても回りきれない。次回はここへキャンプはなしに、遊ぶことを目的に来たらいいなと思った。 今回はこんな遊び場がいっぱいあるところで光太は涙をポロポロ二度ほど出すこととなった。一つはすすきでフクロウ作りというこれも工作。途中で思い通りにフクロウの形がならず、いじっているうちにつぶれてきてしまい、ポロポロ泣きだした。仕方ないんだよとなだめすかしてもダメ。結局パパが係の人に伝えてもう一回分だけのススキを用意してもらい、私はその光太が放り投げたススキでリメイクして二つのフクロウが出来上がって光太もにっこり。 もう一つは、トンカチ工房でのこと。時間もおしてきたのと、またして雨模様になってきて周りもそろそろ帰りだした時のこと。光太は何を作ろうかと迷ったあげくにカメを作ると決まったものの、結局時間切れなのと、自分の頭で思っていたほど簡単にはカメはできないことの苛立ちとで(くぎがうまくつかえない)またして泣きだした。まだまだ小学二年生になってもこういところはバブちゃんで困ったさんだなぁと思う。 しいていえば、3つめの涙もある。夜のトイレ。冷えるのでやはりトイレが近くなる。キャンプ地では真っ暗で寒い中歩いて離れたトイレまでいかなくてはいけない。光太はいやがっていやがって泣く。これは前回のキャンプの時もそうだった。トイレに親が行くタイミングで誘うと怒りながら真っ暗な中一人で飛び出して、一人で帰ってきたのだからたいしたものだと思った。暗いのが怖いのではなくて、起きるのがいやなのだ。それでも、目が良いから暗闇でも一人で行動できる。 普段のように便利な生活に比べれば、楽しいばかりのキャンプではないが、それもまたいい思い出になることだろう。
October 27, 2010
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★初キャンプは大雨 よほど普段の行いが悪いのか?初めてのキャンプで楽しみにしていたこの連休は大雨で幕を開けた。 行き先は長野県南部にある、「うるぎ星の森オートキャンプ場」。自宅から行きだけでも5時間半、帰りは行きより更にひどい渋滞で休み休みで8時間もかかった。 道中だけでもくたくたなのに、着いてしばらくすれば雨降る中テントの設営。 一応、このキャンプに向けて予行練習のために近くの公園で設営はしておいた。ただ、容赦なく降り続ける雨のために、作業に時間と体力が想像以上にかかった。 光太は受け付けの人にお願いして、薪がたかれている温かい場所で読書して待っておいてもらうことにした。 そうでもなければ、この寒さと雨の中、風邪ひいてしまってキャンプどころではなくなってしまったことだろう。 パパとママで頑張ったものの、テントを立てて中に荷物を運びこんでの作業が終わったのは2時間以上かかってしまったかも。光太を迎えに行くと待ちくたびれた顔をしていた。 ゆっくり休憩とる間もなく夕食の準備にとりかかることになる。初日は疲れているだろうからと、簡単に簡易コンロで焼きそばにしようと野菜は切って持ってきていた。 それがカチャカチャ何度やってもダメ。もしかしたら気圧の関係で(かなり高度が高い)カセットコンロはつかないのか?周りからは早々に炭火の匂いがただよって笑い声まで聞こえている。 こうなったら、炭をおこすしかない!パパが別の作業で手がいっぱいだったので私が本を見ながら炭おこし。これがなかなかつかない。着火マンも買ったばかりなのに不調。これも気圧の関係か?全然使い物にならなくてイライラする。 すぐ食べれるように、さつまいもやじゃがいもはアルミに包んでそばに転がしてあるのだけれど、火がつかないことには食べるに食べれない・・・雨はおさまるどころかひどくなるばかり。滝のようにタープの屋根にたたきつけるタープにたまる雨のしずくの形がまるでさつまいもみたいなので、光太が「わ~~雨のさつまいもだ!」とゲタゲタ笑っている。子供はこんな状況でも楽しさを見つける天才なのかも。 やっと火が燃えて、焼きそばを焼く。お腹も空いていたからもりもり食べた。その後のじゃがバターや焼きイモもグッド。美味しい美味しい!光太は既にお腹がいっぱいでさつまいもはほとんどお腹に入らなかった。 私達は夕食にはビールでもと、この日のためにノンアルコールのビールも持ってきたいたのに、寒くて寒くて冷たいものを飲む気がおこらない。温かいものが飲みたい! お湯をわかして食後にはしょうが紅茶を飲んだ。ほっと一息ついたら今度は寝間の準備。疲れてはいるけれど、マットの空気を入れておかないと、これでお風呂に入ったらたぶん疲れた何する気もおこらない。 これは予定では光太がやる仕事だったのだけれど、光太も長いドライブで疲れているし、一人ではとてもじゃないけど、二つの大きなマットの空気入れは重労働で無理。これも電気サイトだと電気式に入れるのがあって、羨ましいなぁと思えた。 今回のキャンプは初めてにも関わらず、せっかくキャンプ生活をするには、電気なしのサイトを選んだのだけれど、疲れきっているとそういう文明の利器を使いたくもなる。 唯一、救いだったのは、近くといっても車でくねくね山道を15分もかかるが、温泉施設があったこと。そこに20時前に車でたどりつき、21時閉館までの間しばし温泉につかって体の疲れをとった。 その日の夜は雨音と寒さで一旦は寝たものの、トイレに行きたくて目覚めて以来はなかなか寝れなかった。パパも一緒。 光太はトイレに起こすと、怒って怒ってなかなか立とうとしない。それで余計にこちらも目覚めてしまう・・・ 翌朝はなんとか雨は小康状態。これまた天気予報では2日とも雨だったのだが、午後からはなんとか晴れてきてくれた。それで早速天気の様子をみながら湿気を追い出すために、マットを干したり昨夜の大雨をたっぷり吸い込んだものを色々と干す。こういう作業もかなり時間がかかる。 この日の昼食は秋味体験ということで予約をしていたのを食べにいく。シシカバブ、マッシュポテト、チリコンカン、ねじりパンとどれも趣向をこらしていて美味しかったし、楽しめた。 キャンプでの生活は設営だけでも疲れていて、気づいたら食べることばかりになるから、1食ぐらいは手抜きした方がいいよと近所の友達ママから教わっていた。 レトルト食品を使うよりは、ちょっとお金はかかるけれど、こういう手作りの食事をとれるのは、アウトドア料理の勉強になるし、いいものだと思った。 その後、腹ごなしのために光太が行きたいと言っていたフィールドアスレチックに行った。私達は1日目の大雨で運動靴がずぶ濡れになってしまっていて替えといってもテントで普段使いしようと思っていたサンダルしかない。それでアスレチックを歩くといっても本格的には歩きにくかったが光太はサンダルでも身軽にひょいひょいと楽しんでいた。 ここにきてやっとまともに遊べたという感じだった。キャンプ場に来たら何に重きを置くか決めておかないと中途半端になると何かに書いてあったけれど、本当にその通り。 子供にとっては、野外で思いっきり遊びに来たつもりなのに、親がテントをたてて料理してにこだわりすぎると遊ぶ時間はあまりとれなくなる。体力がなんといっても残っていない。 子供はそこまでも体力を消耗していないから外で食べれるのはいつもと違うけれど思いっきり遊べるかというと、普段の公園で遊ぶ方が思いっきりサッカーなど出来ていて下手すると不完全燃焼で終わってしまう。 今回は虫網(といっても魚も釣れる用の大型網)と花火も持参してきたから、光太はいつそれが出来るのか楽しみにしていたはず。 それが雨で花火はできないし、虫といっても、クワガタやカブトムシがとれる季節でもないし、光太は外遊びがしたくてもうずうずしていた。少しの時間だったけれど、フィールドアスレチックが出来てよかったと思う。 アスレチックから帰ってきたら早々に、炭火をおこして炭火のメインだったバーベキューの準備。 焼きとりをする予定だったので、串にとりとネギはすべて通しているし、野菜はカット済み、あとはしいたけや、ししゃも、えびなど串刺しにして焼けばいいだけ。焼きとりは初めてのことだったので量がわからなかったが、結果として食べきれなかった。持っていた量の半分で十分だった。 この日の夜空は満点の星でまさにこのキャンプ場の名前のごとく星の森だった。目が悪い私でさえ、かなりの数の星が見えたのだから光太の見ている星の数はすごいものだろう。これは感動だった。2泊してよかった。最初はどうなることやらと思ったけれど、1泊だけならこの夜空の星を見ることなく、雨にぬれて寒いだけで帰らなければいけなかった。 ただ、帰省の時も同じなのだけれど、自宅でないと落ち着いて便通がないために2泊は正直辛い。キャンプ生活だと、トイレが離れていて寒いから水分を控えようとするから余計に便秘もひどくなる。 最終日、朝早く起きてパパがごそごそしているなぁと思ってみると、飯盒でお米を炊こうとしていた。でも、ホットドッグを作ろうと用意してきたので、炭火を起こしてパンを網で温めるのが光太の役目。 フライパンでウインナーを炒めてサラダ菜をしいたパンの中にはさみ、マスタードとケチャップで完成。コーンスープとヨーグルトにフルーツ、紅茶も飲んでゆっくりしていると早く起きたのにもう8時半すぎ。 そこから洗い物や干しもので時間がとられる上に、色々なものを片づけていかないといけない。気づくと11時で、11時半がチェックアウトなので慌てて慌てて少し遅れたけれどなんとか間に合わせた。火事場の馬鹿力とはこのことで、お尻に火がついて動いてやっとだった。気付くと周りもみんな撤収していて私達が最後の方だった。 今回のキャンプで残念にもキャンプ日が雨になってしまうと思いきってキャンセルするか、もし強行するのであれば、ブルーシートがもっとしっかりしたものでなければいけないということで、翌朝早速パパが注文した。 あと、私達も雨の日は長靴が必要。夜にはブランケットをもっていったけれど、もっと分厚い本格的な毛布がいる。わざわざ朝から炭火をおこさなくてもいいように、ガスバーナーもいる。とにかく秋のキャンプは想像以上に冷えるから温かい食べ物、飲み物が欲しいから、すぐに手早くお湯がわけると助かる。ただ、問題はうちの車はセダンなので、物が入らない。今回でも、前日に私が仮に車に積んでみてどうも全部入りそうになくて青ざめた。 一時は車のディーラーさんを呼んで、車を借りるか買うかという話も持ちかけてみたほど深刻だった。でも、2泊3日も貸してもらうことはできないみたいだし、買うなんて先立つものがない。結局天井まで高くのせまくってなんとか載せていった。 光太も荷物の中にうずもれている状態だった。今回はまだ夏前にもらったカブ君も一緒につれていったが、ほんとにその小さなカブ君のおうちさ入る隙間もないほどびっしり! 今月末にはもう一つのキャンプを予定しているが、荷物対策を考えねばならない。一つには現場に荷物を送るという方法とルーフキャリアを買うというもの。車を買い替えられればいいが、さほど乗ってもいない車を買い替えるもばからしい。 光太がもし産まれていなくて、私達夫婦二人だけだったらきっとこんなアウトドア生活を楽しむなんてこともなかっただろう。光太が大のアウトドア派なので親も体験させたさに目覚めかけているという感じ。ただ、こんなこと言っても始まらないが、もう少し若夫婦ならばもっと遊びも充実させれて満喫できるのだろうな。 老体に鞭打ち、がんばって次なるキャンプを楽しめるように準備をしよう。始まりが大雨と最悪だっただけに、もう後は怖いものはなしだ。天気さえよければ、もっと楽しめるはず!次回のキャンプに期待しよう!!
October 12, 2010
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★夏休みが終わり 長かった夏休みもついに終わった。27日からは学校が始まり、昼過ぎに帰ってくるとそうめんを少しだけ食べたらすぐに友達と遊びに行くといって水鉄砲を持って公園に飛び出していった。 久しぶりに会った友達と遊べるのが嬉しいのだろうと思ったが、ずっと帰ってこないので日中は40度近くにもなるし、熱中症で倒れていやしないか心配で時々公園をのぞきにいった。 男の子ばかりが数十人いて、その中に光太もいた。そのうちサッカーが始まり、みんなで砂埃をたてて楽しそうにやっていたので、またそっと帰ってきた。その日は結局公園から帰ってきたと思うと近所でも遊びだして、夜7時過ぎまで遊び続けたので、翌日の土曜日は早朝から明らかに具合がおかしかった。 お腹が痛いというし、汗もぐっしょりかいている。ぐったりした感じでしんどいと連発。熱中症にでもなったのか心配して、熱を測るけど平熱を少し上回るほど。どうやら昨日冷たいお茶を公園でがぶがぶ飲みすぎて疲れも出てかお腹をくだしているようだった。土曜日は1日中ごろごろしていた。やれやれ・・・これからまた残暑厳しい中暑い学校での生活が始まるのだから、体調管理には気をつけないと。 お腹下しは帰省中、おじいちゃんの家でもなった。その日は友達の家に朝から出かけていて、曇の日だったけれど蒸し暑いので家でプールを出してもらいずっと水遊びをしていた。頭の上から水をかけてもらっては「修業だ~」と言って喜んでいた。それがその日の夜遅くになって、突然起きてきて「お腹が痛い~~」と泣きだした。おばあちゃんもその光太の泣き声にびっくりしてこちらにやってきたほど。しばらくトイレに行ったり来たりを繰り返し12時前になってやっと寝入った。きっとプールが終わった後も涼しい部屋で冷たいデザートを食べたりしてお腹が冷えまくったのだろう。お友達といる時は特に調子にのりまくっているので、仕方ない。お腹が痛くなったらいやだから冷たいものも飲みすぎないようにしようなど、経験を通して学習してもらうしかない。 私も『やっと寝れるぞー!』と思って横になったのもつかの間、携帯電話のコールがなって起きた。パパから。時計は4時20分。こちらは半分夢の中のような状態だが、パパが昨晩11時頃に家を出てこちらに向かっていたので今はまだ東名高速のパーキングエリアからかなとか思っていると「もう家の前にいるんだけど。」「ウソ!?本当に??」びっくりして眠気もふっとんだ。 毎年、夏休みのこの時期、高速道路の渋滞は必至で、去年も夜に出て家についたのがお昼前だったかで12時間近くかかっていたので今回も昼頃につくだろうとのんびり構えていた。それがまさか4時台に着くことになるとは!!どんなに飛ばしたんだろうと思ったが、今回は会社から帰って、いつもは仮眠をとってくるのにとらずに(一睡もせず)出発したようだ。なんという大変なドライブだったことか・・・でも、それが大成功で5時間ぐらいでついたのだから新幹線なみの速さ。すごいすごい。とにかく眠たいという状態なので、とりあえず荷物は後にして、すぐに寝床に入って寝てもらうことにした。『きっと光太も起きたらパパが隣にいて驚くぞ~』と思いながら・・・ お腹痛いといって寝た光太だけど、目が覚めるとパパが隣にいたので、案の定驚いていた。おじいちゃんも(早朝一人でバイクに乗って畑に行くのだが)その時に、車が家の前に止まっているので驚いたことだろう。おばあちゃんも起きてきたらもう来ていたので「あらまぁ・・・」みんな予想以上の早いパパの到着にびっくり。 パパが到着する1週間前に私と光太は新幹線で帰省していて実家に泊っていた。この1週間は光太の奈良でのお友達のお家に遊びに行かせてもらったり、グリコの工場見学に行ったり(これが往復で6時間近くかかる辺鄙な場所で大変だった!)、私の中学時代の友達がアメリカから帰国して実家にいるということで会いに行ったり(私も光太も初めてその友達の超べっぴんなハーフの子と出会い、私達が積もる話をしている1時間だけ遊んでおいてもらった)毎日出歩いていて盛りだくさんの日々だった。 このハーフの子とは初対面だけど、子供同士だからすぐ仲良くなるかと思ったけれど、女の子だし、英語しか通じないので(私の友達の家に、他にもたくさん子供はいるので預けていったのだが)意外と帰ってきたら黙ってビデオを見ているだけにとどまった。これが男の子同士ならすぐ仲良くなるのだろうけれど残念。 それを思えば、光太にとっては赤ちゃん時代からのおつきあいの男友達が二人いるが、その子達とは久しぶりに会ってもずっと楽しく遊んでいて、「帰省中何が一番楽しかった?」と聞くとやっぱりお友達と会ったのが一番だったようだ。 私も実家に帰っていても、一時期は友達とゆっくり会える心境でもない時があったので、今回はゆっくり会える時間が持てて友達にも感謝している。まだまだ会いたい友達もいるのだがなかなか全て網羅しようと思うと時間的にきつい。思えば、私は関西での生活がずっと基盤だったので友達も関西に多い。結婚してみんな散り散りになってしまってはいるが、会社時代の先輩や友人などにも会いたいが、光太を預けてあちこち出かけるには両親の負担も大きくてままならない。まぁ、それはいずれ実現するのを楽しみにしている。 2年前に心筋梗塞で倒れた光太の大好きなおじいちゃんも、今ではぼちぼちとではあるが好きな畑仕事も朝に2時間ほどしながら、おばあちゃんと暮らしている。そんな生活の中にお邪魔させてもらい、私は出来る限り洗濯や掃除、食べることなどを積極的にやるようにした。ただ、遊びに行くことも多かったので日中はひたすら出かけていることが多かったが。 光太も朝一番のおじいちゃんとの畑は1日か2日だけは来てからすぐにつきあっていたが、毎日遊び疲れていて起きれなくてという方が多かった。私も一度一緒に行ったが、光太はトマトをとりながらも本命は虫とり。虫網をぶんぶん振り回し、カエルやらトンボとりに嵩じていた。 日中家にいる時は、おじいちゃんから字の特訓を受けたりもした。おじいちゃんは達筆だし、おじいちゃんの言うことは何でも「はい!」と聞くので光太にとっては字のいい先生となる。おじいちゃんに言われて毎日ひらがなの『あ』から『ん』までを3度書くようにしていたのだけれど、3日坊主で終わってしまった。 パパが来てからは、初めて甲子園に二人で行ったことが一番のイベント。東海大相模の試合を見に、朝から出かけて他の試合も見れたようだ。結果として、東海大相模は決勝戦まで勝ち進んだのだから、強いところの試合を見れて刺激を受けたに違いない。パパから甲子園に行ったおみやげに硬球ボールを買ってもらって帰ってきた。 光太はサッカーをやっているが、本人としては野球にも興味があるようだ。今年からはプロ野球観戦にもつれて行ってもらっているかからか、ラジオで野球結果を言ってると真剣に聞いている。おじいちゃんの影響があってプロ野球なら巨人ファン。 お盆にはお墓参りにパパのお母さんと一緒に広島まで行った。例年は早朝に出発するのだけれど、お墓参りをする頃には日があがって暑いので、夜中に出ることにした。それがまた大成功で2時に家を出て広島には7時頃につき、いつもよりは比較的楽にお墓参りもすませられた。今年は猛暑なので、暑さ対策も万全に。熱中症で倒れる人も多いから出来る限り日が上がる前に仕事を終えたいところというのがみんなの思い。夜運転するのも大変だが、日中暑い中運転することを思えば苦にならないようだ。 とはいえ、諸事情で広島は日帰りすることにしているので、昼ご飯をとり、ゆっくりしてまた17時には出発。それで夜21時過ぎに奈良に帰ってきた。パパの運転お疲れ様~毎年思うが、もう少しお墓が近ければもっと頻繁にお参りにも行けるのに・・・いつも広島からの帰りは宝塚あたりで渋滞する。将来、車が渋滞したら車体から羽が出てきて空を飛べればいいのだけれど。そんな機能があれば最初から道を走らず、飛んで行くに違いない。日本全国の人がお盆の時期は北に南にと移動しているのだろう。道が混むのも仕方ないが、なんとかならないものか。 ただ、一つ光太にとっては広島での楽しいことがあった。カラオケ。さすがに都会ではこんな楽しみを家ですることは出来ない。田舎では昼間っぱらから大声で歌っていても誰も文句を言う人はいない。最初は嫌だ嫌だと照れていたのに、一度歌ってみて、みんなに上手い上手いと褒められ、なおかつ、カラオケシステムで歌を採点してくれるのが面白いようでずっとマイクを離さないぐらい歌い続けていた。昼ご飯後も、一人カラオケルームに先に行ってそのうちみんなで集まり熱唱していた。 この親戚の家で再会した、これまた親戚の子供と光太は気が合ったようで女の子だが途中から遊び始めた。女の子の方が「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と慕ってくれたようで普段、弟や妹のいない光太にとってはたまらない喜びだったことだろう。一生懸命、下の子のお世話をしていた。外で虫とりでもしようかとなると、その女の子に手首に巻く虫よけをつけてあげていた。それがなかなかうまくつけてあげられなくて必死になって玄関先で汗をかきながら頑張っている姿が我が子ながらかわいくて思わず、パチリととってしまった(親ばか~) いずれ遠い先だろうけれど、かわいい女の子を見つけて大事にしていくんだろうな~と思わず想像してしまった瞬間だった。光太は何でも自分で指揮をとりたいタイプなので「俺に黙ってついてこい!」じゃないけれど、従順なこの従妹みたいなおとなしく自分を慕ってくれるタイプが一番気が合うと思う。自分を前面に押し出してくるような気の強い女の子とは絶対ダメだろう。ちと気が早い想像だけれど・・・ それにしても、この夏の暑さは半端じゃない!帰省から帰ってきた翌日からサッカーの特訓が1週間あったけれど、みんな熱中症になりやしないかと心配するほどの炎天下。 いやはや、この暑さはいつまで続く?あともう少しで記録更新の連日の暑さになるらしいが。早く涼しい秋が来てほしい。趣味のパン焼きもこう暑いと焼く気もおこらない。
August 29, 2010
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★夏休みがスタート ついに夏休みがスタートした。この夏は家にはカブト虫がつがいでいる。6月末に近所のお友達にもらったもの。光太は大喜びでその日のうちにカブト虫のえさとおうち、他に必要なもの(土やカブト虫のとまる枝、コバエよけシートなど)を買いに行った。 最初はそのえさを買いに行ったお店の人に聞いて、つがいのメス、オスを別々に離して飼っていた。夏休み前頃に一緒にさせたらということだった。一緒にさせる前の二匹の行動を観察していると面白かった。 オスは割とおとなしく食欲もないのだけど、メスはひたすら食べては寝るの繰り返し。夜に行動するらしいが、私も光太もいつも早く寝るので姿を見ることができない。日中は土にもぐっている。パパの話によると夜さかんに動き回っているらしい。朝になって見ると、エサがなくなっているので、しっかり食べているようだ。夜食べるだけ食べて、朝はグーグー寝ているようだ。 しかし、その動きの激しいこと。たまたま夜中トイレに起きて見てみると、メスがひたすらブンブン羽を出して飛び回り、必死で中から出たがっていてカリカリカリカリお家の中を足で掻きあがろうとしている。そしていつ見てもメスだけはコバエシートをつきやぶり屋根とコバエシートの間の狭いところにはまってしまってもがいている。ひっくり返っていると弱るという話をパパが聞いてきて、もがいていると元にもどしてやるのだけど、下におろしてもまたすぐカリカリカリカリ掻きあがってきて上にいる。じゃじゃ馬娘のカブトちゃんだ。 光太はカブト虫のオスをカブちゃん、メスをかんちゃんと名付けていたが、本当にメスのかんちゃんの激しさはすごい。 メスはオスに比べて小さめのお家に入れていたので、ついにオスのところへお嫁入りさせることにした。最初メスを中に入れるとお互い「なんだ?これは??」みたいな感じで逃げ合っていた。そのうち夜はどうしているかなぁと思うと、やっぱりお互いケンカしあっていると光太は言う。 どうも相性が悪いらしい。交尾もしそうにない。光太は無理無理オスとメスをくっつけさせようとするがどうやっても無理みたい。この暑さなので日中はじっとしているが、カブト虫も小さいお家にいるのがかわいそうな気がする。 もうひとつ我が家には生き物がいた。学校の帰りつらつらと長い何かの葉っぱと共に持ち帰ったこおろぎ。学校の校外学習の時につかまえたものらしい。大小合わせて10匹以上いる。朝にはきゅうりなどをあげていたけれど、共食いしてかわいそうなので外に逃がしてやることにした。生き物の世界は弱肉強食。そのことがわかったことも一つ勉強になったようだ。 さてさて、夏休みは、2日目から学校のプールがあった。一番暑い真昼前の1時間だけなのだけれどこの猛暑なので少しでも水に入れると気持ちがいいようだ。 家にいても、連休はお庭でプールを出してはずっと近所の子供達と行ったり来たりして遊び続けていた。それで風邪をひいてしまった。そういえば、夏休みの初日は病院へ行って風邪薬をもらってきて飲んでいる。周りにも気がつけば風邪ひいている子がけっこういる。いわゆる夏風邪。夜寝た時の寝汗が冷えて風邪ひいたり、冷房の冷えで風邪ひいたりプールの冷えもあるかも。 とにかく今年の夏は猛暑だけれど、乗り切るには栄養とって休息とりながら一番暑い時をやり過ごすしかない。 今日は私のバースデー。そして、11年目の結婚記念日。これほど暑いと食欲もあまり出ないし、ケーキを食べる気もしない。夜にはW杯ぶりのサッカー観戦があるが、お出かけするのは夕方だからまだまだ暑さが厳しいなぁ・・・長い夏休みも過ぎてしまえばあっという間なのだろうが、この夏、何か光太にとって一つやりとげることがあればいいなと思う。暑いので、毎日やっていることといえば、かき氷を作ること。これは一人率先してやっている。毎日毎日食べてもまた食べたいようだ。これを食べている時だけはすこぶる機嫌がいい。
July 24, 2010
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★連日のW杯観戦 このところ食事時は毎日サッカーW杯の録画を見ながらとなっている。いつもはテレビを観ながらは禁止だけれど、今だけ特別。光太はアルゼンチンのメッシのファンなので、特にアルゼンチンの試合は念入りにメッシの動きをマークしている。 先日、日本では3時半から試合のあったデンマーク戦はなんと光太も起きて一緒に観た。その日、おもらしをしていて「あ~あ、もうぬれているわ。」と言ってたら光太も気持ちの悪さもあったのだろうが、普段ならそれでもグーグー寝るのに私達がテレビをつけて観ているとムクっと起きてきて「ぼくも観る!」と視聴率は30%もあったというからかなり苦しい思いをして起きて観た人も多いのだろう。でも、この日は気持ちよく快勝してくれたから眠い朝もすがすがしく過ごすことが出来た。日中も眠気がさしてきて大変だったが、勝ってくれているから気持ちがいい。これが負け試合だったらさぞかし気分の悪い朝だったことだろう。 29日の夜11時から行われたパラグアイ戦も「生で観たい~」と言って8時早々に仮眠した。この日は夕方サッカーがあって、みんな友達が今日はパラグアイ戦を起きて観るぞと言っていたらしく自分も録画で最初は観ると言ってたのに生で観たくなったようだ。 日本代表の今頑張ってる姿が将来のこの子達のサッカーの未来にかかっているかもしれない。まぁ4年に一度のことなのだから、少々夜更かししたっていいか・・・観たいという気持ちが強いそれだけ日本もいい試合をしているということだ。 というのも、練習試合の時は全く日本代表はふるわず、子供達も日本は大丈夫か??という感じだった。光太も「ママ、僕、日本じゃなくてアルゼンチンを応援してもいい?」などと言うぐらい。それがいざ始まってみると、カメルーンに勝ち、オランダには1-0で負けたものの、あの強豪相手に1点でおさえたのだからがんばったものだ。 なんといっても感動したのは、デンマーク戦。本田のフリーキックは何度録画で観てもお見事と言うしかない。その後の遠藤のフリーキックもまたここしか空いてないというところに見事的中。最後のとどめは本田の見事なパスを受けて押し込んだ岡崎の3点目。はらはらドキドキしなければ観られない試合ではなくて、なんだか気持ちよく最後まで観戦できた。勝った後は気持ちよかった 思えば、2002年のW杯を観戦中は光太はお腹にいて私のお腹をボコボコ蹴り飛ばしていた。この子は元気な男の子だろうから、パパと大きくなったらサッカーやらせたらいいね。などと言っていた。その時から8年後になる今、まさに光太はサッカーに毎日燃えている。不思議なものだ。 結局パラグアイ戦は、両者一歩も譲らず、苦しい戦いがずっと続き、延長戦でも決まらずと、観る側も、もちろん試合している側も苦しい試合だったが、PK戦で負けた。光太も夜11時に起きてから夜中1時半過ぎても決着がつかないので寝るに寝れない。でも、苦戦の後敗れた時はなんだか信じられないようなそんな結末だった。心のどこかでまた日本が勝ってくれるような期待があった。 サッカーはチームプレーだから、できれば最初から最後までチームワークで決着がつくようなやり方なら納得がいくのにと思う。PKで決まるのは、はずした個人の気持ちを思うと辛く切ないやっぱりPKまで持ち込まず、点をとって勝てなかったことにそもそもの問題がある。PKはサッカーではないと思うから、みんなもはずした選手は責められないし、はずした選手も次に向かって前向いて進むしかない。 新聞ではツイッターにはずした選手を励ますメールが続々と入っていたという。日本代表も最後涙ぐみながらもその選手の肩を抱きよせながら励まそうとするシーンが見られてこちらも涙が出た。残念な結果となったが、日本中の人があのPKのシーンを固唾をのんで見守り、そして祈りを込め、気持ちが一つになった瞬間だったと思う。日本人ということを意識するのはこういう時。試合が始まる前の国歌やみんなが一致団結して円陣を組む時、日の丸をあげて応援団が日本を応援する時、否が応でも愛国心が湧く。 それが小さい子には愛国心というのはまだないに等しく、負けたその瞬間から「じゃ、ぼくアルゼンチン応援しよ!」と言うからびっくりする。負けた後のなんとも言えない喪失感や辛さの余韻に浸るヒマなく、あっさりと日本を切り捨てて次のことを考える余裕に驚いた。 同じことをサッカーを習いにきているママが言っていて笑えた。この子達には愛国心はないねと。強い国、強い人が好きなのだと。そこに国境はない。そういう意味ではすごくグローバルな考えなのかしら。まぁ、そんな深い意味はないのだろうけど、少なくとも、あの負けた直後にすぐアルゼンチンを応援しようという変わり身の速さの発言は私には到底まねできない。頭の切り替えがいいといえばいいが、無情といえば無情 子供の目にはどのように日本代表の戦う姿が映ったのだろうか。もう一歩というところでなかなか1点が入らない。もっともっと攻めて攻めて攻めまくってほしかったが、最後の方は力尽きてきたのか、負けたくないという気持ちが強すぎてかえって守りの姿勢になりすぎたのか・・・デンマーク戦で見せてくれたあの勢いが見られなかったのが残念だった。 あのような試合運びになれば、パラグアイにも勝てたのではと思うが、そうさせてくれなかっただけパラグアイも強かったということか。 今回守備陣の良さがよく評価されるが、守りが固いという日本の良さを生かしながらも、今後はもっともっと素晴らしい攻撃陣が出てくることを望みたい。 今後、また4年後・・・というと、光太は6年生。なんだか6年生になっている姿はまだまだ想像できないのだけれど。その頃には自分自身ももっとサッカーがうまくなっていて、サッカーを観る目ももっと肥えてきていることだろう。その時には出来れば今回果たせなかった8強への夢をぜひとも果たして欲しい
July 3, 2010
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★戦わない子育て あれやこれやとやってみたが、一向に光太は親の言う通りには動かない。宿題してから遊ぼうというのも、なんだかんだと言い訳つけてから先に遊びに行ってしまうし、漢検も近いから勉強しないとと言ってるのだけどなかなかエンジンがかからない。もう20日の試験まで時間がないからこちらも焦ってきて一生懸命サポートしようとするが当の本人がのんびりしているものだから拍子抜けする 学校から帰ってからすぐ宿題したくないのなら、すぐ遊んでもいいが朝早起きしてやろうとしてみたが、やっぱりギャーギャー朝から騒いで無理 もうパパとも話あって光太にあれこれ言うのはやめようと言うことになった。きっと本人は自分で気がついてやるだろうと。そうでないと毎日戦う私達はへとへとだ このところ毎朝毎晩光太と戦い続けて出た結論は「光太と戦わない」ということだ。子供にこうさせようとあれこれ言ってみたところで、本人にやる気がないと無理だし、かえってうるさく言うことで勉強嫌いになりそうだ。 光太は小さい頃から自分というものをしっかり持っている子だから、親が指図するとそれが自分の不本意なことだとすごく抵抗する。好き嫌いもはっきりしているし、とにかく従順で素直なタイプではない はっきり言って支配的な親だと非常に疲れる子育てになる。私達も今まで7年と少し自分達のよかれと思うやり方で育ててきたがこのやり方では行き詰まりを感じ始めてきた。 きっと自分で気づき、自分で考え、自分で目覚めないことには親がなんべん口酸っぱく言ってもできないことってあるのだろう。 思えば、私は中学の時遅刻の常習犯だった。すごく仲の良い友達と二人で学校に行っていたのだが、その子と通学途中に何かに夢中になると学校行くのを後回しにしてしまうようなタイプだった 後々まで言われたのがおたまじゃくし事件。中学1年の時、担任は生物の先生で優しく大らかな先生だった。私とその仲良しの友達とで学校行く前にふと田んぼの側溝におたまじゃくしが(確かこの6月頃)無数に泳いでいるのを発見。気がつけば、私達は裸足になってその側溝にはまっておたまじゃくしをたくさん袋に入れるのに興じていた。たくさんとったものを先生に(もちろん大遅刻)持っていくと先生も怒るのも通り抜けて唖然としていたのを思い出す その後の三者面談の時に母にもそのことを先生から告げられて母は真っ赤になって「まぁすみません・・・」なんて感じで苦笑していたが、先生は私達の無邪気な姿を見て半ばあきれながらも叱らずにおいてくれたことを今思うと感謝する。 この間この時のことを母に言うと「N先生は、まぁこんな子達も今時珍しいなと気に入ってくれてたのよ。」なんて言っていた。「お母さん、思えば私っていつも遅刻していたし(母は知ってたか?知らなかったか?)学校の帰りに柿山に登って柿をもいで食べてて叱られたりいちじくを友達をいっしょにとってはまた叱られたりと散々なことしていたのに、なんであまり叱らなかったの?」と聞いたら笑っていたが、よその柿をとって二階で一人食べていた時はさすがにすごく怒られたが、それ以外でガミガミ叱られた記憶はあまりない。 マンガをよく借りてきては勉強もせずにこっそり読んでいるとよく叱られた記憶はあるが、とにかく叱られたって読みたいのだから何度叱られてもきかなかった。 思えば、光太が私の言うことをきかないのは仕方ないかもしれない。人に迷惑をかけていたりしたら言わねばならないが、私だって勉強せずにマンガばかり読んでいたのはある程度は母なりに戦っていたがそれ以外のことについてはうるさい母ではなかったと思う。 子供はあることに夢中になると他が見えないものなのだその悪友とはその後テニスクラブに入り練習に明け暮れ、絶対市の大会で頑張ろうと誓いあってかなりいいところまで行ったことも懐かしい記憶だ。 その後、その友達と受験のために塾も行き出したがお互い励ましあってお互いの志望校に無事合格した。私はこの塾の時代に大好きな英語の先生と出会ったことで英語の勉強に燃えて英語が得意になった。辞書をめくって新しい単語の意味を知るのが楽しくて仕方ない時代だった 光太も今は友達と遊ぶのが楽しくて仕方ないのならそれを好きなだけさせてやるのが一番なのだろう。先に宿題やって遊ぶなんて理性的に計画的に物事をすることなんて無理。 これが周りの友達も塾に行き出したりして遊び相手が少なくなり、自分の周りの環境が変われば自分も変わるかもしれない。ただ、今はやりたいことを思いっきりさせておけばのびのびとやるのではないかと思えてきたのだ 朝も親が決めて早起きしようとやってみても無理だったが、自分から7時になればムクっと起きて支度をのろいがやっている。それでなんとか間に合うからそれでいいのだろう。もっと余裕を持って支度してなんて思うけれどそれは出来ないのだから望んでもこちらのストレスになるだけだ。 ストレスをお互い(子供も親も)感じないためには相手に求めないこと。これは親子関係だけでなくて夫婦関係についても、職場の上司との関係についても言えることだろう。とにかく余計な期待を相手にしないこと期待は自分にさえしておけばいいのだ。相手に求め、それが自分の思うようにならないとこちらもストレスを感じるのだから、最初から求めなければいい。 親子といっても相手は他人。だから自分の思うようには動かない。相手にも相手の意思があるのだから。子供だから親の言うことを聞きなさいと思ってきたけれど、そういうのはここぞという時のためにとっておいた方がよさそうだ。 このところお互いにとてもストレスのたまる関係だったが、求めない、戦わないを基本に相手を尊重する関係でいようと心がければずいぶん楽になってきたように思うまだまだ完全にそうなりきれない時もあるかもしれないが、意識して子供を支配しないように心がけたい。 親がいつも前に立って歩くのではなくて、子供が先に歩いて行くのを半歩後ろぐらいでそっと見守る(しかも口はチャックして)ぐらいが自立心旺盛な光太にはちょうどいいのだろう。 頼られたり、褒められたりしたらどこまでも頑張るタイプにはガミガミくどくどのお説教は全くきかない。それどころか逆効果。もしもっとこうすればいいのにと思うことを子供がやっていても自分で気づいて行動できるまで待つ。数日や数ケ月で結果が出なくてもいつか出来ると『信じて待つ』。これが一番難しいことだけれど、一番親として必要なことなのかもしれない
June 5, 2010
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★やるべきことをやってからは無理? 先日家庭訪問があった。先生に会うとすぐいつも抱えている問題をぶつけてみた。「先生、いつも『宿題をしてから遊びなさい。』と言うのですが、なかなか言うことを聞かないのです。」と1年生のうちは、途中から私も光太のやり方に任せて学校から帰ってきたらすぐ遊ぶというやり方を黙認してきた。(というか、いくら言ってもきかないので仕方なく・・・)でも、家に帰ったら帰ったで、ご飯食べるのは遅いし、お風呂入ると遊ぶしで、まともに宿題をしようとする時間になるのが遅いことが度々で、そうなると翌朝起きるのが遅くなり悪循環だった。 なので、2年生になったら宿題も少し時間がかかることもあるので帰ってきてすぐやってしまったから遊びに行こうよということにした。が、これがなかなか、なっかなか実行できない。いつも私が説教している時はわかったような顔になって「次からはそうする。」と言ってはいるが、いざ学校から帰ってくると後ろに友達がついてきていて「ママ!遊んんでくるっ!」と飛び出していく。「光太、宿題してからでしょう?」と言うと「絶対、帰ってからやるから!」とこれ以上言わせまいとするかのように脱兎のごとく飛び出す逃げ足は速い それで、帰ってくるのも約束した時間の17時というのを大抵やぶって18時も過ぎてこちらも「大丈夫かしら・・・」と気をもんでいるころに「ただいま~~」とのんきに帰ってくる。それからは、ママとの約束の時間をいつも守らないので心配になることや結局いつも約束を守ってくれないことの説教が始まっていつも疲れてしまう。 宿題してからご飯なんて言ってたこともあったけれど、そうなると本当に力も出ないみたいでぐずぐず言うので先にご飯にさせると今度は眠気との戦いになってしまい、「やっぱり先に宿題すまさないと後でしんどいでしょう!」ということになる。それでも、絶対帰ってからすぐやることはない。一度か二度しぶしぶ、しかも大泣きしながら抵抗しながら怒りながらやって出ていったことがあるがそこまでしてやらないといけないのか??と情けなくなって言うのをやめた。 いやいや勉強やったって何の力にもならない。それが、先生にそういう現状をご相談すると「えっ!意外です。学校ではすごくなんていうかクールな感じ・・・」とのことで、やっぱり外でせいいっぱいいい子しているので、家でさんざん私に甘えているのだろう。いつもあたられるのは私で、私の方はほとほと抵抗する光太を説教したり、言うことをきかせようとすると疲れてしまう もう2年生なのだから自分の意思でやると言ったことはやるだろうと、少しほったらかしにしてみることも大事なのかもしれない。時々、自分の口にチャックして、言いたいけど我慢して「一体この子はいつやるのだろう?」と黙ってみているとずいぶん遅くなってから「さて、そろそろやるか・・」と言ってやり始めることがある。とにかく始動が遅く、やり出したらさほど時間のかからないことでも、最後の最後まで後回しにするタイプ。サッカーをやっている日などは、行く前に少し時間があるので、宿題をすませて行こうねと何度も話をしているのだが、結局嫌だ嫌だと言い続け、その少しの隙間時間でも遊びに行ったりしてしまう。 私もパパも休日などはやるべきことをさっさとやってしまってから気持ちよく遊びに行きたいと思って早起きしてさっさと用事をすませてと手際よく動いている最中に、ふと光太を見るとのーんびり、朝食もまだとらずに本をパジャマのままで読んでいたり、一人遊びにふけっていたり、空中をぼんやり見ていたり、何やら異次元の世界を一人生きているような気がする。 私達が「ほらっ!今日はもうすぐしたら出かけるから先にやるべき勉強をすませてっ!」とはっぱをかけると「は~い。」と生返事をしたままそこから30分たっても1時間たっても進まない。まだぼんやりしていたり、何やら自分の好きなことをマイペースにやっている。それでいよいよ時間がせまってきて、私達夫婦が脅し文句で「やることやってないんだったら今日のお出かけはなしだよ!」とか「光太は今日は留守番ね!」などということになると「それはやだっ!!」と言って反抗し、いやいやしぶしぶやりだしてもなかなか終わらないとヒステリックになって大泣きする このところ、週末はサッカー観戦が多かったのだが、行く前に少しでも家庭学習をすませておこうとすると、それはひどい抵抗して「やりたくない!」「勉強なんて大嫌いだ!」と言い出す始末。以前は自分で勝手に漢字の勉強したり、自分からすすんで楽しんでやっている風であったので、親もそれなら漢検でも受けてみるか?という風にすんなりすすんできた。本人も10級、9級と合格して、気をよくしていたのに、今度の8級となると3年生の漢字になり今までのように簡単には解けない。その上、以前なら辞書をひくのも楽しみながらやっていたのに、この頃は面倒くさがってひこうとしない。根が面倒くさがりというのは困ったものだ。勉学に面倒だなどと言ってると伸びるものも伸びない。 というのか、以前のように漢字に対する意欲がこのところうせてきているように感じる。自分が思っているほど簡単に解けないことに苛立ちを感じて嫌気がさしてきているのだろう。 でも、一度自分でやると言ったからには、最後までやりきろう!と私の方もそんな中途半端な行為は許さないからバトルになるもう次の漢検はとりあえずは申し込みすませていて、それは私がやりなさいといったのではなくて、光太がやりたいと言ったからパパが申し込んでくれているのだと。少し難しくなったからと言ってすぐ途中で投げ出すのはよくないと。今回でいやならやめればいいが、とりあえずもう申し込んだ以上は最後までやり通せと言うと本人も自分が言った以上仕方ないと思っているのだろう。しぶしぶ「わかったよー!」と言いながら勉強したりしなかったり。次の漢検は6月半ば以降なのに、まだまだ勉強の方は進んでいない。 こんな感じだと、とてもじゃないけれど、中学受験なんて厳しいなと思う。今まで何でも飲み込みが早いし、私も絵本を読んであげるのが好きだったので毎日夜絵本を読んであげていたからか、文字を読めるようになるのも書くようになるのも人一倍早かった。早熟なタイプで、こういうのは中学受験にむいているのかもとパパとも話をしていたが、やっぱり私達主導で動くよりは、光太主導で動かないと無理で、勉強だってやらされている感が出てくると思いっきり反発を食らう 学校の先生の話だと、実行委員など自分から立候補して、そういうことには意欲マンマンでクラスのみんなからの信頼も厚いらしい。それはそれですごく素晴らしいこと。私なんかみんなの前で話すことなんか真っ赤になって出来ないタイプだったから半ば尊敬のまなざしで光太を見ている ただ、おしゃべりに夢中になって先生のお話を聞いていないことがあったり、時間内でやり切れないと諦めて途中は書いてない状態でプリントを出したり・・・字もえっ?というほど汚なかったり(先生は汚いとはおっしゃらなかったが意外だったと)やはり色々話を聞いているとやっぱり家で時間内にしようということが苦手なタイプであることがよくわかる。 時間を意識して過ごさせるようぼちぼち訓練していくしかないかな。先生も「クラスでリーダー的な存在ですが、相手の気持ちを配慮しない言葉をかけたりした時には厳しく言うようにしています。」とおっしゃっているので、私も今後とも自己中心的な行動や相手を思いやらない態度をとった時にはきちんとしからなければと思う。それはやるべきことをやってから遊ぶとか以前の問題で光太の人間性に関わることだ。 ただ、やはり一人っ子だからと言われても仕方ない態度、相手を怒らせてしまったり、すぐすねたり、相手との良好な関係を作りそれを維持していくのがまだまだだと思う。兄弟がいればそれが自然と家庭の中で日々ケンカしたり仲良くなったり繰り返すことで学んでいくだろうことがその経験に乏しいのだと思う。だからどんどん学校や帰ってきて「やるべきことをすませてから」友達とどんどん遊んで関わって友達関係を作ることに時間を割いて欲しいと思う。それはゲームで遊んでいるだけでは無理だと思い、今はまたゲームをとりあげている状態。もっと友達ともまれなければ・・・ そして、自分の意見を主張する以上は、相手にも相手の言い分があること。常に自分の思う通りには世の中動かないこと。再三再四言っていることだが、それを友達関係の中で学んで欲しいと思う
May 16, 2010
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★後悔先に立たず このGW中に久しぶりに家族で遊園地に行った。そこで光太は初めての体験をした。それは絶叫マシーンのジェットコースター。今までは身長制限で出来なかったけれど、120cmを超えたのでずいぶん色々な乗り物にチャレンジできるようになった。 乗ったのは、パンフレットに絶叫系アトラクションと紹介されているもの。時速110キロ、最大高低差78m。今思いだしても、小学2年生がよくこんな恐怖の乗り物に乗ったものだというか、乗らせてしまったものだと思う。身長がいくら超えていたにしろ、少々無茶だったのでは??と思う。 光太はまさかこんな速い乗り物が世の中にあるものとは思ってもいなかったことだろう。私は光太の隣に、パパは私達の後ろに乗っていた。私はパパと結婚して光太がまだいない頃に何度かいやいや乗ったことがあったが、ほんとに久しぶり。カタカタカタカタ・・・私達を乗せたジェットコースターは頂点にのぼりつめてついにあの恐怖の旅が始まった。私は動き出してすっごくすっごく後悔した。もうしがみついているしかない。 光太はまず、前の手すりにも手が届かなかったので、上から降ろされるレバーをじっと持っているしかない。あの恐ろしい速さの動きが始まると、あまりにもの速さに顔をゆがめて恐怖に表情が固まっていた。パニックにでもならないか大泣きしないか、それが心配でなんとか助けてあげたかったのだが、私もほんとに怖くてたまらない!なんでこんなのに乗ってしまったのだろう。。。と後悔しきり。とにかく止まって欲しい、早く終わって欲しい!! 「光ちゃん、絶対落ちることはないから!」と叫んだものの、このうるさい音の中でどれだけ言葉が届いたか、そして、めくるめく恐怖の繰り返しの中でどれだけの効果があったかわからない。光太を出来れば抱きしめて安心させたかたったがそういうわけにも行かず、ふわんふわんと浮き上がる気持の悪い思いと次の瞬間にも吹き飛ばされそうなすごい勢いの中、自分も手すりにしがみついているのが精いっぱい。光太がどうなるかばかりが心配で気が付いたら乗り物がやっと止まっていた。「すごい空の旅でした・・・」とかなんとか光太が一言もらしたけれど、そんな言葉をもらすのは余裕に思えた。 私が「光太、大丈夫だった?怖かったね~」と言うと、「いや、大丈夫!」などと最初は余裕な言葉を出していたが、あとあとしゃべっているとやっぱりすごい恐怖だったようで「もうあの乗り物は一生乗らない!」と言っていた。やっぱり光太はパパではなくてママに似ているのだろう。というか、この年頃であの乗り物に何度も乗りたいと思える子ははたしているのだろうか? 私も光太もスピード系の乗り物はダメ。スピードが出るといっても、ゴーカートとかならば全然平気な二人だけれど、あの高低差と速さのあいまった恐怖の乗り物は苦手だ。それに反してパパはジェットコースターは大好き人間。何度も何度も繰り返して乗るぐらいだからスピード狂だと思う。きっとレーサーとかになれる素質はあったのだろう。全く怖さを感じないというのだから驚きだ。とても同じ人間だとは思えない。 今回もやはり私達の姿を動画で後ろの席から撮っていたといからびっくりした。改めて見るだけでも、あの時の恐怖感を思い出して光太も私も震えたけれど・・・あのさなかにカメラを持っている余裕があるなんて。 とにかく、もう二度と乗りたくないのがジェットコースターで、改めて遊園地の中の乗り物をよく見まわすと、ジェットコースターばかりよくあるものだ。遊園地って楽しいイメージだけれど、何でこんな怖い乗り物に長い時間並んで乗りたいと思うのだろうか?と不思議に思えてきた。若い時はこれほど恐怖感はなかったように思うけれど、年をとってくるともうあの速さが怖くて仕方なく、高所恐怖症かと思えるほど高いところも苦手になってきた。 その後、光太とスカイサイクルという高いところを自転車に乗って運転するというのもやってみた。光太はケタケタ笑って「これ面白い!」と言っていたけれど、私は足がすくんでしまって笑えなかった。本気で怖い!! どれもこれも怖いものばかりで、安心して乗れるのは観覧車ぐらいだった。ちゃんと窓ガラスがある部屋に入っての高い場所ならば全然平気。観覧車になら何度乗っても気持ちがいいのだけれど、連休中だから観覧車に乗るのも並ぶ。 どれもこれも並んでばかりで、長いものだと1時間ぐらい待ち。それでもこの暑さの中、並んでは乗って、乗っては並んでを繰り返し閉館ギリギリまで遊んだ。疲れた・・・光太の笑顔と「あ~遊園地にこれてよかった!」の言葉に救われたけれど、遊園地というよりは私は恐怖の館と名付けたい場所だ。 恐怖の館といえば、光太はパパとおばけ屋敷に入ってこれまたすごい恐怖を味わったようだ。生首が飛んできたり、目がギョロギョロ動いたり、ドラキュラがいたというからさぞかし怖かったことだろう。 その日の夜は夢でうなされておたけびをあげるかなぁと恐れていたけれど、私もパパもぐっすり寝てしまっていて気付かなかったのか、光太もぐっすり寝たようだ。あぁ、ジェットコースターがトラウマになならければいいのだけれど・・・いい年になって恋人と遊園地に行こうよということになって「オレはジェットコースターはダメ・・」という子にしてしまったのではないかと少し後悔している。やっぱりジェットコースターデビューはもう少し後の方がよかったのじゃないかな~ まぁ、この一番怖い思いをしたジェットコースターのお陰で?その後、子供用のジェットコースターに乗ったら余裕で両手をあげたりしていた。ガツンと怖い思いをしたから後は何でも平気になったようでそういう意味ではよかったのかもしれない。それにしても怖かった~久しぶりにジェットコースターは本気で怖い!!乗ってしまって動き出したら降りることは出来ないのだから、二度とあんな思いをしたくないと思えば乗らないことだ。 なぜ乗ることになってしまったのか?パパ曰く「光太が乗りたいと言ったから」というが、怖いもの知らずの発言だったのだろう。乗って後悔していたのは私と同じ。久しぶりに乗れて楽しめたのはパパだけ。でも、どれだけ怖い思いをしたといっても他の乗り物にはどんどん乗りたいと言っては喜んで乗っているのだから、昔から乗り物は大好きなだけあって、遊園地は楽しいのだろう。でも、周りを見回してみてもやはり光太と少し大きい子ぐらいがせいぜいで高学年になるともう来ないのだろうか。小さい子達でいっぱいだった。あとはカップルぐらい。遊園地で遊べるのもあと数年かなぁ。
May 3, 2010
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★桜満開の中、ターザンごっこ 昨日は、まずまずのお天気だったので、かねてより、サッカーに行く途中に桜でいっぱいで気になっていた場所へお花見に行った。 住宅街の中の一本道の隣に浄水場があってそこにずっと桜は植わっているのだけれど、近所の方に聞くとそこは外から見るだけで中には入れなくなっているらしい。残念。 その満開の桜並木の下を歩きたかったけれど、少し離れたところから眺めて歩くことになった。 少し歩くと、公園もあるのでそこで持参したお弁当を食べ、遊ぶことにした。サッカーボールなどももってきたけれど、ふと見ると子供達がターザンロープで遊んでいる姿が・・・ 光太も迷わず、突進。そこから遊ぶこと4時間近く。ずっと飽きずにターザンロープを使って遊び続けた。途中、その公園の近くに光太の園友達がいたことを思い出し、連絡をとって遊びにきてもらった。そうすると、最初はこの公園で知り合った友達と遊んでいたのだが、そのうちその子供達も帰ってしまい、最後まで残って遊んでいたのが、光太と園のそのお友達。ずっとターザンロープをやっていた。 私達夫婦は、そのすぐそばに敷物を敷いて根が生えたように座ってはお茶してしゃべったり光太を飽きずに眺めたりしていた。 そして、久しぶりにごろっと横になって空を眺めた。気持ちのいいこと!空の高さ、雲の形の変化が時間とともに変わっていくようで飽きずに眺めていた。こんなにゆったりとした時間を外で持てるのは久しぶりで本当にリフレッシュされた。この頃はパン焼きを毎日しているので、あまり外に出てゆっくりする時間はなかった。 それが、こうやって空を飽きずに眺めるとなんと気持ちのよいことか・・・時折、桜の花吹雪が舞い散り、なんだか夢見心地だった。もしこれで暖かいとうとうとと昼寝しただろうけれど、あいにくじっとしていると肌寒い気候。光太は動き回っているので、半袖に着替えたけれど、やはり夕方からは冷えてきて長袖をはおらせた。 光太も久しぶりに園の友達と時間を忘れて遊ぶことが出来て楽しかったのだろう。ケタケタと笑ったり、地面にごろごろしたり二人の戯れはいつまでも続いた。 春のこの季節は、いつもなら花粉症で苦しんでいて、お花見もマスクが手放せないのだけど今年は春になっても寒い気候が続いたせいか花粉の飛散が少ないのか二人ともそんなにひどくなく外でマスクなしで過ごせて嬉しい。 ただ、じっとしている私達にとっては17時にもなると体が冷え切ってしまい、家に帰るとストーブをつけたほどだ。光太はこれだけ遊んで帰ってきても、また近所の子供達と一緒に遊び出した。結局今朝はなんだかごろごろしていて、昼過ぎになって咳もよくするのでお休みさせている。遊びすぎで疲れたようだ。幼稚園なら大事をとって休ませられるけど、学校となるとそうそう休んでいられない。早く回復してくれるといいけれど・・・ うちの庭も以前は春になると色々なお花が咲き乱れていたのだけれど、ガーデニングという趣味も続かなかった。私のように気分のむらがある人間にはよっぽどこれだと思うものしか長続きしないようだ。 それでも、おととしに植えていたチューリップや水仙、ムスカリなどは球根なので相変わらず見事に咲いてくれて驚いた。家のものが忘れていても、春になるとちゃんと植物は咲き時を覚えていて、綺麗なお花を次々と咲かせ楽しませてくれる。お花にはかわいそうだけど、球根を疲れさせすぎないためにも早めにお花はカットして、またお礼肥えとして肥料を後でやっておくと毎年またお花が楽しめるので、今朝カットしてリビングに飾っている。家の中にお花があるとその芳しい香りで酔いそうになる。特に水仙は香りが強い。5月ぐらいになると玄関横に大好きなライラックが咲く。この花は綺麗な紫の色で香りがすごくよくて近所の人もこの花があっていいね~とよく言ってくれる。植わっている花は家を買った時に既に業者さんにそれぞれの家によって決められていたのでこちらは選ぶことは出来ない。ライラックがあるのはうちとあと少し離れたところにあるぐらいで、この花があたって嬉しい。またパン焼きに飽きたら、今度はガーデニング復活しようかな。お花はいつ見ても気持ちのよいものだ。元気でない時もぱっと気持ちを明るくしてくれるから不思議。私にとってパンは作って美味しいと食べてもらえることで私のパワーはわくけれど、お花はただそこにあるだけで癒される。お花もうまく育てて、パン焼きも出来てと何でも生活をうまく楽しめたらいいのだけれど、まだまだ余裕がない。 パン焼きをしていると全てが後回しで、パンの発酵中にあらゆる家事を済ませるけれど、その中に季節的にやるべきことを考えておいて秋だと球根を植えておけばいいのだと思う。パンも発酵して寝かせている間に育っているように、お花も球根を植えていると冬の間寝てくれていて春には見事にお花を咲かせてくれるのだからさほど手間もかからない。 同じように、子育ても寝かせているうちに育つこともあるように思う。光太はこの頃、急に英語に興味を持ちだした。まだ習いにいったことはないのだけれど、パパが英語が大好き?でそのCDを流しているといつの間にか光太がいっぱい覚えているので驚いた。 興味の芽というのはある時突然芽吹くように思う。それまで全然興味のなかったことでも、ある時何かきっかけがあるのかないのかわからないけれど、突然すごくそのことに興味がわき夢中になっている。それが光太だ。今はほっておいても英語のCDをかけていると自然と本を見ながら繰り返ししゃべっている。別にしなさいと言ってるわけでもないのに。 こういうのが一番頭の中に入るだろうなぁと見ていて思う。いやいや勉強しているより、自分から知りたくて、学びたくてしているという感じ。親があれこれやらせようとすると、無理だけど、既に出てきた芽をちょちょっと刺激すると面白いぐらいに伸びる。今折り紙熱は冷めて英語の芽が出てきた。出てきた芽も水やりを怠ると枯れてしまうから、私が出来る水やりといえば、せっせとCDをかけてやることぐらいかな~。ま、この頃勝手に自分でCDをかけて聞いている時もあるので、親が水やりしなくても自然の雨水さながら自分で育っていくのかもしれない。 時間をかけて色々な芽が育っていく光太を観察しているのが親として一番面白い。
April 11, 2010
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★折り紙にはまる 春休みまっただ中。光太は今日はパパに初めてのナイター野球観戦につれていってもらっている。私はサッカーの観戦も時々は抜けて、パパと光太だけで行ってもらい一人パン焼きをしたりしている。いつも家族3人で行動を共にしてきたが、だんだんパパと二人という男同士の世界もいいのではと思ってのことでもあるし、自分のパンをもっともっと極めたいという思いもある。 最初は「ママがいかなきゃいや!」と言っていた光太も最近は私がいかなくてもパパと二人で平気?になってきているように思う。二人でどんな会話をしているのだろうか? よく子育ての話を聞くにつけ、中学生ぐらいの男の子は全く母親の話など聞かなくて困っていると。その時に出番になるのがやはり母親ではなくて父親だと。でも、いきなり今まで子供とのいい関係を築いてこなかった父親が説教したところで反抗期の子供が聞く耳を持つはずがなく、やはり小さい時からの信頼関係がまたそういう嵐の時代を迎える時に役にたつのだと思う。 一般的に父親は子供に対して母親より甘いという家庭が多いようだが、うちに限っては例外なのか、父親もけっこう厳しく光太を育てていると思う。二人して厳しい者同士だと光太もさぞかし窮屈な思いをしていることだろう。私はパパがふるえあがるほど厳しく光太を叱った後も、自分なりにフォローしていて光太は「ママは優しい、ママは好き」と思ってくれているようなのだが、パパはそういうフォローは一切ないので「パパは怖い、パパは嫌い」となってしまいがちなのだ。 ある時、光太が真顔で「パパは僕のことが好きなの?」と聞いているのを聞き、やはりこれではいけないと思った。パパは心底光太のことを思って叱っていたとしても、それだけではやはり光太も自分に対しての愛情に不信感を持つのだろう。母親ほど父親は子供との接点が多くないのだから、その少ない接点の中でパパがよかれと思って光太を叱ってよくしてあげようと思っていても空回りしているのならまずい。 これはもっともっと父親との何気ない接点を増やし、パパのことを好きになってもらわないと!!と思う気持ちもある。3人で行くとパパの存在がどうしても薄れてしまう。私的に理想なのは、男同士二人の会話でママのこっそり悪いところを言い合って笑ってくれたり、また反対にママを助けてあげようなと頼もしい男同士の会話をしてくれたり、はたまた私にはできないような将来の話、会社での話、社会の話など色々としてくれたらなんて思う。やっぱり女親には逆立ちしたって出来ないことがある。口うるさくお小言を言うのは母の役目でいいのだろう。 うちの実家では、母はいつも「私はいつも鬼のお母さんで損な役回りやわ。お父さんだけいい役で!」なんて言ってたけれど、ほんとのところどうなのだろうか。父は普段は確かに子供には甘い親だった。でも、何かっていう時にはバーーンと机をたたいて厳しく叱られたことがある。その時は三角の眉がつりあがって怖かった。普段は優しいお父さんだから、余計にびびってしまう。 光太は二人の親から年がら年中、お小言をぶちぶち言われるのに慣れすぎてちょっと親をなめてかかっているところがある。お小言を3つ言っても5つぐらいは褒めてやれば子供はすくすくと育つという。確かに親が叱ることってちょっと自分に余裕があってしからないようにしようと心がけていればだいぶん言い方も変わってくるし、子供も変わってくる。 あまり親の言うことを聞かせようと思ってばかりいると猛反発を食らう。特に反抗分子が多いうちの子供のようなタイプはきつく言えば言うほど牙を余計にむいてはむかってくるのでこちらもかなり疲れる。叱っていうことをきかせるより、ほめて言うことをきかせるほうがどれだけ気持ちがいいことかしれない。時に、いっぱい今日はほめてやったなぁという時は笑顔が多かった1日のように思う。 光太がこの頃はまっていることは、折り紙。せっせせっせと折っている。年中年長ぐらいの時はちょっと折り紙をやってもすぐできないと諦めてしまっていたが、最近は必死になって折ろうとしているところがすごいと思う。私もあえて助け舟を出さずに、一人で漕いでいるところをそっと見ているという感じ。「ママーこれできないよー!」言ってくることもたまにあるが、「そっか~じゃ、またいつかできるようになるよ。」という何とも助けにならない言葉しか言わないので光太もその日は諦めてまた別のことをしたり、でも改めて別の日にがんばったりしている。 いつか一人でできるようになることだろう。その時はきっとすごくうれしいはず。何でも親がちょっと手をかしてやればできるようになるのは早いけど、あえて手をかさないしほっておく。あらゆる体験というのはそうやって光太にやらせてきたので自分でやるという気持ちが強い方だと思う。 周りを見ていると、そうはいっても、母親が代わりにやっていたり、父親が必死になって組み立てていたりということも多い。うちは親二人付き添いで行っていても二人とも手を出さないでじっと光太を見ているだけ。 やってあげたら結局はその子のためにはならないと思うから。手出しもしないし、口出しもしない。作品については「よくがんばったね。」と褒めるけどここをこうすればとかもっとこうした方がいいなどとは絶対言わないようにしている。たとえそう思ったとしても・・・ その時に教えることは簡単だけど、あえてじっと出来る時がくるまで待つことも必要じゃないかなと思う。今できるようになり出した折り紙もきっと自分で楽しくやっているからこそ楽しいのかも。あれこれ私が口をはさみ始めるとぷいっとそっぽむくかもしれない。せっかく出てきた芽をつみとるような余計なことをしないでそっと見守っておこう。
March 30, 2010
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★子離れの準備 光太の9級の合格書が届いた。しかも1問だけ筆順で間違えての150点満点中149点というのだからたいしたものだと思う。試験を受けた後、自信があると言ってたが本物だったようだ。 なんでも、好きなこと、得意なことがあると自信につながると思って漢検を受けさせているがすっかりはまっている。次は8級に向けて4月頃からぼちぼち勉強かな。とはいえ、光太は見るそばから漢字をどんどん覚えていくので特別な勉強はあまり必要がない。記憶力のいい年頃で羨ましい。 私は光太の記憶力に反比例するかのように聞いたそばから忘れていく。先ほど聞いたばかりの名前ももうおしゃべりした1時間後には忘れてしまっている。そもそも受験時代のように覚えなくてはという緊迫感がないからだろう。 そう思うと、光太達の世代は覚えなくてはという気持ちがなくても勝手に頭に入っていくのだからすばらしい。まぁ次から次へと新しい情報が入ってくるのですぐ忘れてもいくのだろうが、九九(いんいちがいちから始まる)なんかも教えるとすぐ覚えてしまった。なんでもかんでも教えると覚えるのが早いので教えがいもある。 幼稚園時代には百人一首も教えるとすぐ暗記してしまった。私も小さい時に家族で百人一首をしていて一人とれないのが悔しくて、その後二階にあがって一人暗記して家族のみんなを驚かしたことがあった。非常に負けず嫌いだった記憶がある。 光太の性格は負けず嫌いな性格の激しいところもあれば、すごく生活態度はのんびりのんびりしていてこれは一人っ子の特長かなぁと思うぐらいのーんびりしているところもある。 そうかと思えば、今日は久々に家族で公園に行ってサッカーで遊んでいたら光太の友達もやってきて一緒に遊ぶことになった。聞くとはなしにそのやりとりが聞こえてくるがその言葉のきついこと、パパと二人で帰ってきて光太を諭したが・・・やはり夫婦二人ともがきついからだろうか。性格はかなりきついようだ。 男の子だから、あまり優しすぎても心配になるが、要は強いところも優しいところもバランスよくあればいいということだ。ま、こんな偉そうなこと言ったって二人の子供なのだからトゲがあっても仕方ない。 この頃、ほんとにこの親あっての子供だなと思うことがある。光太のことをあれこれ悩むのは自分たちのことを嘆くのに等しい。 よく性格判断で血液型が出されるが、私は典型的なB型。これだ!と思うとまっしぐら。はまりだしたらとまらない。爆発的なパワーがそういう時には注がれるが、また冷めるのも早くいわゆる熱しやすく冷めやすいタイプ。ただ、はまってしまったことについてはなかなか冷めないことも。今のベーグル作りがそれだ。もうはまりきってしまったのだ。 それに対してパパは典型的なA型。冷静沈着。私が気がつかない細かいところまでチェックが入る。夫婦になるには私の暴走するところを抑えてくれてちょうどいいのだろう。逆にパパだけだと慎重すぎて進まないこともあるのだから。そこは感覚重視の私の鶴の一声で決定することもある。 光太はパパと同じ。だが、今のところ典型的なAにも見えない。熱しやすいということもないし、かといって冷静だということもない。まだまだ定まらないやんちゃな時代の子供だからか。ただ、周りのお母さんからすればすごくしっかりしているねぇと言われることが多い。自分が光太ぐらいの年の時と比べれば確かにしっかりしていると思う。私なんか父母や姉の後を何も考えずにただついていってただけなのだから。 光太には時々「参った!」と思うことがある。何をと具体的に言われるとすぐにあげられないが、本当にああいえばこう言うという感じですぐ文句を切り返してきて、その言ってることがなまじ間違ってもいない時があって苦笑してしまう。 大人になったらどういう子になるのか??全くまだわからないが、思えば、男の子は親から自立するのも早いというから今から覚悟だ。私は毎日せっせせっせとベーグルを作っているが、光太はなぜママがいきなりベーグル作りにはまっているのかわからないようだ。試作のベーグルを毎日食べられるのだから文句は言わないが、ほんとのところ、光太がいつか自分の手から離れていく時、空の巣症候群にならないための準備なのかもしれない。子供はいつかは私達夫婦の手元から離れていく。その時に自分に何も残っていないのは寂しい。今は子離れの準備期間かもしれない。
March 14, 2010
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★試行錯誤 本格的に毎日ベーグルを焼いては送る毎日が続くと、ほっと一息つく間もない。気がつけば、髪の毛ものびっぱなしになっていて驚く。 パパを7時半過ぎ、光太を8時前に行ってらっしゃいと送りだすと、ラジオをオンしてベーグルの仕込みが始まる。粉を計量し、少し時間差を作ってはもう一つのこね機でも仕込みを始める。 生地を発酵させている間が、家事の時間。30分あると頭の中ではあれとあれができるなと考える。あと10分のベンチタイムの時は、『お風呂掃除がいれられる!』など。ちょうどベーグル作りの合間合間に家事を効率的にはめこんでいく。それはジグゾーパズルみたいにパチリパチリとおさまっていく感じがして気持ちがいい。 先日はパパと光太がいる休日に新作のベーグル作りをしていて、発酵中の30分を使って急いで買い物に出かけた。パパにメモに書いて頼めば大抵きっちりと買ってほしいものをそのまま間違いなく買ってきてくるのだが、やはり主婦の買い物というのはその場で見て「あっ今日はこれが安いな、これを買おう。」とか、「これがきれていたな。買っておかないと・・・」など見てから思いついたりするものが多いはず。それがメモでお願いしていただけではできないので、その日は「今日は私がぱっと行ってくるね。」と飛び出したのだが、近い場所への買い物とはいえ30分というのは短かった。 お店は日曜でごった返していて、なかなか思うように動けない。その上、買い物を目移りしたりしていると予想以上に時間がかかる。『発酵がオーバーになると困る!!』と心の中では気になりながら大急ぎで家に着くと玄関でパパからの携帯がなった。どうやら1次発酵終了してパン焼きがピーピーなっているのを知らせてくれようとしたようだ。私も「ギリギリセーフ!、パパ、車と荷物いれておいて!!」と交代して、すぐ準備して台所にたつ。 まさに、一人赤ん坊がいるようなものだ。なんだか光太が赤ちゃんの時を思い出すようで懐かしい。あの頃は光太が寝たと思うと近所のお店に1週間のまとめ買いをしにいっていた。どちらかが留守番していてもよかったがけっこうドカっと買い込むので一人ではたぶん荷物も運びきれなかった。帰ってきて真っ先に外からリビングに寝ている光太の様子を見ると寝ているであろうに、眠りが浅かったのか泣いているのが見えた時には置いていったことにすごく罪悪感があった。 今、生地が寝ている間に急いで買い物しにいってるとあの頃を思い出す。二人目の赤ちゃんを欲しくて欲しくて涙した時期が長かった。それで、結局自分でいつまでも引きずっていてもいけないと思って前に向かって歩き出した。そしたら、この毎日はまるで赤ちゃんを産んだお母さんのようなものだと気付いた。 もちろん、私の大事な子供(ベーグル)は毎日誰かのお口に運ばれたりする。美味しかった!!の言葉をもらえるとすごくうれしくてやっぱりこういう仕事が自分の天職だと思う。本当の子育てとなるとこうばかりはいかない。色々とまだまだ悩みはある。 会社でOLとして仕事をしていた20代の頃は会社に勤めながらもケーキの道に進むことばかり考えていた。パンの道に目覚めたのは仕事をやめて料理教室に通っていた友達がパンを習い始めてだった。一緒にパンを習いに行き、気がつけばその子はすぐ辞めてしまったのだけど私はすっかりパンの世界にのめりこんだ。それから自分で習ったパンをすぐに家に帰って復習し、毎日毎日パンを焼くようになった。 パンを習うのが楽しくて楽しくてたまらず気がつくと師範の免許ももらった。今でもご近所の方から「教えればいいのに。。」と言われるが、私は教えることより、家で自分の段取りを組んで一人楽しく焼いているのが好き。そして、それを色々なところに送っては美味しいと言ってもらうのが何より嬉しい。こういうやりとりが何より楽しいひと時だ。 先日会社の先輩から「ところで何でベーグルなん?儲かるの?」とメールもらったが、儲けようと思っている人はパン作りなど選ばないだろう。たぶん好きでないとできない仕事だと思う。毎日せっせと作ってそれが色々な人の口に入って『美味しいな、幸せだな』と少しでも思ってもらえれば、それが私にとっての幸せだと思う。 9年ぶりに以前やっていたリクエストパン工房をベーグル専門にしてやり始めた。大きさを変えたり、粉を変えたり、色々と試行錯誤の毎日。以前はかなり大ぶりなサイズで出していたけれど、食べきりサイズで色々な種類を食べたいというお客様の声を反映して、小ぶりにしてみた。ただ、やはりベーグルを食べる時の満足感、価格との兼ね合いもあり、あれこれ試行錯誤の結果、、もう少しサイズ的にボリュームもアップして、1セットを3コ入りにしていたけれど2コ入りにして3月1日からはやってみようと思う。 今はあれこれと試行錯誤しているが、こういうことができる生活自体、幸せなことだと神様に感謝している。 父がおととし倒れて明日をも知れぬ毎日だった時、光太のひざが痛いといってもしかしたら何か病気なのだろうかと思って悩んだ時、そして二人目がなかなか授からず、いたずらに時間を費やしたあの日々。そういうことを思うと、今、何の障害もないことが私にとって万歳なのだ。 ちょうどリクエストパン工房が軌道にのって全国へ私の作品を送り出して楽しくて仕方なかったあの頃、それがだんだん自分一人では大変になってきて、その頃妊娠していることがわかり中断。そして今再びやりだしたわけだが、細々とでいいから長くやっていけたらいいなと思う。ライフワークというのか、やっぱり私はこの仕事が大好き。 色々な新作を作り出す為に試作を繰り返したり、とてもいい感じにしあがってくると本当に嬉しくなる。ただ、うまくいかないことだってある。思うように味が出なかったり、ボケた味になったり。それでも毎日毎日ベーグルを作ることを続けていきたい。もっともっと美味しいベーグルを作っていきたい。この熱意だけは誰にも負けない。 一つ一つが手作りだから量産はできない。大手のベーグル屋さんと違って成型も機械ではなくて一つ一つが手成型。でもそれがまた楽しい。機械で大量生産するのではない手作りの良さをわかってその美味しさを感じてくれる人が確実に増えている。そのことが今の私を支えてくれる。 20代のOL時代に夢としていたところに今はいる。長い間あたため続けてきた「人の記憶に残るような味を出すお店を持ちたかった。」このことを実現するのには、自分だけの力ではなくてパパの助けがあってこそ。ベーグル作りを手伝ってくれているわけではないが、HPの制作はパパがいてくれないとできなかった。本当に感謝している。例えば、材料も思いがけずあるベーグルの注文が増えると急きょ材料が足りなくなることもある。明朝焼きたいのが足りない、そういう時に会社帰りに材料を買ってきてくれることもある。本当に大助かり。 次元は違うけれど、オリンピックに出ている選手がメダルをとるまでには色々な人の支えがあると聞く。そして毎日毎日すごい努力をしているのだろう。私にとってオリンピックに臨む選手のように金メダルという目標はないけれど「美味しいわ!またお願いね!」の一言が私にとって毎日のご褒美の言葉なのだ。これからも毎日試行錯誤して日々前進するぞーー!
February 28, 2010
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★ラブレター 光太が少し前に同じクラスの女の子からラブレターをもらってきた。「じつはこうたくんのことが大すきなんだ!・・・」と女の子らしくかわいい絵つきでかわいい便せんと封筒に入ったものだった。 「ママ、ぼく、今日こんなのもらったよ。」と照れるでもなく私に渡してくれるので「何何?」と言ってみると1枚の便せんにびっしりとしっかりとした文字で書かれてあって驚いた。小学1年生でもこうやって自分の気持ちを隠すことなく正直に手紙を書いてくれるものなのだなぁと思うと、かわいいなぁと思った。 以前、近所の女の子がやはり小学1年生の頃だったかに光太はラブレターをもらい(きっとあれが一番最初)私も「お返事を書いてあげたら?」と言うと、一生懸命覚えはじめたばかりの文字でたどたどしく書いて、渡しに行っていた。それも今思えば、今ぐらい寒い時期だった。 今日はバレンタイン。女の子が男の子に告白をする日というのは、もう遠い話なのか最近は友チョコといって女の子から女の子に贈るものもあると聞く。 光太はバレンタインが来る前に、「ママ、ぼく3月にあの子に何かあげようかな~」と言うので、「光太、3月のホワイトデーというのはバレンタインにもらったお返しで渡す日なんだよ。」と言うと「別にいいじゃん!」と言う。ラブレターもらった女の子のこと、まんざらでもないらしいのだ。 先日、学校行事があり、光太に聞いてこっそりその女の子を見てきたが、メガネをかけてすっごくかしこそう~な顔をしたかわいい子だった。まさしく才女という感じ。それに比べ、光太を見ると友達とふざけてケタケタ笑っていて本当に3歳ぐらいの年の差を感じた。小学生のうちは女の子の方がほんと見かけはしっかりしているものだ。 私はとても奥手の方だったので、小学生の時男の子に告白するなんてとんでもなかった。ただ、あの頃はなぜか男の子に人気もあって色々な男の子に告白された。今思うと、きっと好きだとか嫌いだとかいうのはまだ小学校のうちは、もっと幼い感情なのではと当時を振り返る。「あなたともっとあそびたい。」というぐらいの気持ちに近いと思う。 それでも「○○ちゃんのこと好きだよ!」と面と向かって言われたり、紙飛行機になっておうちにラブレターがとんできたりした時は素直にうれしい気持ちがしたものだ。小学4年の時に私は転校したが、その時に私のことを好きだと言ってくれた子が大学になった時にどうやってか私の家に夜中やってきた時はちょっと怖かった。いわゆるストーカーというものか?どうやって知ったのだろう??もちろん、その場でバイバイしたけれど・・ 思い出は思い出の中で美しいのが一番なのかもしれない。初恋の相手とも会わない方がいいというのは言い得ていると思う。お互いが思い出の中で若く綺麗なままで覚えているのがいいのであって、おっちゃん、おばちゃんになって「あの時の・・・」となると興ざめだろう^^お互いに。 私がバレンタインでチョコを渡した記憶は高校生になって意中の先輩に渡したことだけど、あれも今思えば、周りの友達もほぼ全員意中の先輩に渡していてブームみたいなものだった。友達らとチョコ売り場に行き、どれにしようかと悩んだことを覚えている。 どちらかというと、自分から積極的に告白する方ではない。いいなと想っていてもそんなそぶりは全く見せずといった感じで接するのできっとわかられないことだろう。恋愛においては全くといっていいほど素直ではなく屈折していた。 そのことをある時後悔して、すごく素直になった相手が今のパパだ。それこそ毎日のようにラブレターを書いていた。パパからは一度もお返事をもらったことはないが。 私は両親にもことあるごとに手紙をよく書く方だった。父や母は今でも小さい時からの手紙をよくとっておいてくれている。私もそういえば、手紙というのは大事にとってファイルしている。ちょっとへこんだ時や、原点に帰りたくなったときはそのファイルを見てくすっと笑ったり、元気になったりする。 先日、母から久しぶりに手紙をもらった。いつも私が手紙を書くので、たまにはと思って筆をとってくれたらしい。いつもは字を書くのを嫌がる母だが、達筆でさらさらと長い手紙だった。父が入院した時を思えば今こうやって元気にくらせていることは感無量であると。本当に私もそう思う。 そして、私も今、パン屋さんを再開し始めたわけだが、それも家庭をおろそかにしてはいけませんよ、と。一番は家庭ですよと。いつも厳しかった母らしく、最後はたしなめてあった。言われるまでもなく、家庭をおろそかにしてまでパンをやろうとは思っていない。パパや光太に迷惑かけない範囲でやっていこうと思っている。 ただ、まだ慣れていないのか、パン焼きがたび重なると好きなこととはいえ、疲れて倒れ伏していることが多い。光太を産む7年前やっていたのとは確実に体力が衰えているということだ。もっと鍛えなくては! 母からの初めてといっていいほどの長い手紙に母の私への温かい気持ちを感じて思わず涙してしまった。手紙というのはやはり電話で話すより、メールでやりとりするよりもっと相手の心を動かすものなのだ。 母からパパと光太にもらったバレンタイのチョコを私もつつきながら、この年になっても子供のことを想ってくれる親がいるというのは有り難いことだと、とても感謝している。 今年のバレンタインは私からパパと光太に早めにガトーショコラを焼いた。父にもそのうちの一つを贈った。よく昔から焼いているので失敗することもない。かなり甘さを控えて作ったがちょうどいい感じ。 こうやって心をこめて作ったものを渡す人がいるというのは幸せなことだと思う。
February 14, 2010
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★復帰 光太はやっと2月からスクールに復帰した。接骨院の先生が「2月からは様子みながらですがサッカーやっていいですよ。」とOKサインが出たのだ。長かった。2ケ月は休んだかな・・・それがスクール復帰の初日はあいにく雪が降った翌日だったので超寒かった。じっとしていると足先が凍ったようになってきた。 それでも、元気に嬉しそうに走り回る光太を見ていると、本当に意外と早く復帰できてよかったと思っている。専門の先生の話だと時間がかかると言われたので、サッカーが出来るようになるのは春かなと思っていた。予想外に早くきた春に夫婦共々ほっとしている。 とはいっても、まだそのスクール初日も実は足が痛いといっていた。サッカーの後に接骨院の先生のところにいくと「おそらくこの寒さなので冷えて、のびていた筋肉ががまた縮んだのでしょう。」と言われた。でも、それは仕方のないことで別に気にすることではなく、2月いっぱいぐらいで治療も終了する方向らしい。 光太のひざが痛いといって出かけられない日々が続いて、私はすっかりパン焼き人になった。しかも焼くのはベーグル専門。ご近所さんにも焼いてはせっせと配っている毎日。毎日のように美味しかったという反応を聞くと、嬉しい限りだ。 やっぱり私はこのダイレクトなやりとりが好きなのだ。美味しかったと反応が来ると俄然またがんばる気がする。そして次回はもっとどんなのを作ろうかと考える。こういうのを作ったらどうだろうか?というアイディアが浮かぶ→試作する→家族に食べてもらう→これはいけるとなると出してみる。この繰り返しなのだが、毎日とてもハリがある。体力もいるが。 色々な要因が私をこういう毎日を送ることから遠ざけてきた。でも、いつまでもうまくいかないことを引きずり続けても人生の持ち時間がもったいない。数十年先から今までの自分を眺めると、あの時の数年は先に進みたくても進めなかったんだなぁと自分を憐れむことだろう。 でも、もういつまでもうまくいかないことに時間とお金をかけて生きていくわけにはいかない。自分は何のために生まれてきたのか自分は何をしていると幸せなのか、それを探して生きていてやっとたどり着いたのが今の自分なのだと思う。 人生の70%ぐらいはうまくいかないことの方が多いのかもしれない。うまくいくことは残りの30%ぐらい。しかもうまくいかない期間はもがいてももがいても先に進めない。こんな自分はいやだと自分で自分のことが嫌になるのに、そこから脱出できない。泥沼にはまりこんだような状態。 ただ、ひょんなことからその泥沼から脱出することが出来る時がある。それは自分でも予想外のことで、全く想像さえしなかったことでもあるのだけど、今の私はまさにそういう状態。光太がひざを痛めて動けない時はとにかく家族みんなが暗く沈みこんだような状態だった。それがそのことがさほど心配しなくてもいいのだとわかり、時間がたてば治るとわかると、一筋の光がさしてくる。 そして、ふと自分に出来たこの自由な時間に、今までできなかったことを思いきってやってみようかと思った時にはもう行動していた。気が付いたら毎日忙しくパンを焼いている毎日になっていた。これはまるで、光太が産まれる前の状態だ。毎日毎日明けても暮れてもパンを焼いていた。そのパンがベーグルに変わっただけ。 でも、私はすごく今幸せを感じている。家族が健康で(光太も間もなく完治する)自分がやりたいことができる。これ以上に何も望むことはない。たぶん、何をやってもうまくいかない状態から、気がつけば隣の道にうまい具合に迷いこめて結果的にはその道は自分が以前から通りたい道だったのだ。 同じようなことが独身の時、仕事をやめるべきか否かで悩んだことがあった。そこで自分を偽って生きていくより、やりたいと思ったことをやって生きていく方がいい。と行動してみてあとから色々なことがついてきた。頭の中であれこれと悩んでいるうちは何も変化は起こらないのだ。 神様はリスクを伴う行動を起こした人にだけ幸せを感じられるようにしているのかもしれない。いつまでもうじうじと悩んで先に進まない人は一生変化がなく「○○することが夢だったの。」と年をとってから後悔することになるのだろう。行動することからすべてが変わる、そして全てが始まる。 今、私はようやく長年足かせとなっていたことから解放され自分の目指していた方向へ歩いていこうとしている。自分が歩いていく先々にも色々な障害はあるだろうが、それでももっと若い時に私が夢としていたことを今実現している。自分の作ったものを誰かに食ベてもらえるお店をしたかった。仕事しながらもそんなことをずっと夢想していた。それが今現実のものとなっている。 まだ一歩も歩んでいない時は、どうすれば夢に近付けるのかそんな本ばかり読みあさっていたが、ほんの少しの勇気と行動力さえあれば夢は自分のものになるのだ。 やっと長い時間をかけてたどりついた自分の夢のステージを大事にしたい。そしてこれからが本当の人生の始まりなのだと思っている。
February 6, 2010
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★ついにDSを買ってあげる ひょんなことから光太へDSを買ってあげることになった。去年の10月にDSを買うかどうか我が家でも光太と議論になり、結局私達夫婦の意見で当面見送りとなって落ち着いていたはずだった。(光太自身は欲しかったのだろうが、私達が反対しているのでそれ以上は言わなくなっていた。) 何が何でも反対と思っていた理由は、子供はこの時期にDSでちまちまと遊ぶよりは外で思いっきり体を動かして遊んでほしいと思っていたから。 だけど、11月半ばあたりからひざを痛めてサッカーは出来なくなり、体育も見学、もちろん帰宅してからの公園で遊ぶというのも(ほとんどが友達とサッカーして遊んでいたので)できない、習いだしたプールも出来ないとないないづくしの現状で家で遊ぶことと言えば・・・みんな持って遊んでいるDSということになった。 最初は家で誕生日に買ってあげたベイブレードで遊んでいたのだが、DSを買ってあげるとすっかりDSにとってかわってしまった。 あれだけ「うちはDSは買わないよ。」と言ってたのに、心の変化が私に訪れたのは、一度うちに友達が3人遊びに来てくれて、光太がはまっている「ベイブレードをしよう!」と誘っても光太以外はみんなDSを持っていてそちらで遊ぶ方が楽しいようで、光太だけオブザーバーになっていてそれだけでつまらないとぼやいていたことがあった。 みんなが自分のDSを持ってピコピコと楽しそうに独り言を言いながらやっている中、光太がみんなの持っているのを割り入るように見せてもらっている姿を見て、初めて心が動いた。 『あっ・・・これは買ってあげないと確かに一緒に遊べないかも・・・』 それまでは、光太が買ってほしいと訴えても、みんなから仲間はずれにされると訴えても、「みんなが持っていてもうちはうち。その間自分でサッカーの練習でもしておいたらいい。そのうちサッカーやる友達ができる!」と言い張っていたけれど、サッカーができなくなるとそうも言ってられない。それに、以前担任の先生がおっしゃっていたように、DSは今や子供達のコミュニケーションツールなのだと。 持っているか持っていないか、それだけのことで仲間になれたり、仲間になれなかったりする。それは金銭的な問題で渡せないのではなくて、おうちの方針として持たせるべきかそうでないかを考えて持たせないと決めていた。 それがこの現状をまのあたりにすると、やはり親の意見ばかりを押し付けていても、子供の世界では無理があるのではと思った。子供にも子供の言い分があるのを時には耳を貸してやらなければいけないことを感じた。 まぁ、ひざを痛めていなかったらサッカーをやっていなさいと言い張っていて心境の変化も訪れなかっただろうが、光太にとってはひざを痛めて色々なストレスがある中、テコでも動かない親の意見が変わったのだから棚からぼたもち?だったかもしれない。 それにしても、これで遊んでいる間はみんなそれぞれの画面に向かっておとなしく「あっ!クソー!!こらーー何やってんだー!」とか汚い言葉を使いながらエキサイトしいてる。じっと動かず不健康といえば不健康なのだけど、これが今の流行りの遊び方なのなら仕方あるまい。 ま、そのうちにDSにも飽きて、かくれんぼをしたり、室内でサッカーをしたりしていた。(光太はキーパー役)そちらの方がよっぽど生き生きと楽しそうに遊んでいるからちょっとほっとしながら見ていた。 ただ、DSを渡す際にDSを使うにあたっての我が家でのルールを4つ決めておいた。それに光太のサインをさせておいて誓約状のようにしておいたのだが、使いだしてしょっぱなからルール違反をしてすぐ没収。とはいってもすぐ出してあげたのだけど。あまりルールに縛り付けすぎてもこちらも窮屈。その都度、光太と話合い、どうすればよいのかを考えを出し合う。没収して使わなくさせることが目的なのではなくて、ルールを持って節度ある使い方をしてほしい。 光太のひざの方は、先週ひざの専門医に診てもらい、やはり大腿二頭筋を痛めているのと腓骨(ひこつ)神経も傷めているそうで少し回復には時間がかかるそうだ。 いわゆる半月板損傷とか、靭帯損傷とか教科書に名前がのっているようなケガではないのだけれど、最近光太と同じような痛みで病院にかかってくる人が中学・高校生ぐらいから大人にもちらほらいるらしい。サッカ-やラグビーをやっている人に多いのだとか。光太ぐらいの小さい子では光太が初めて。 とっても穏やかで優しい先生で、以前診てもらった先生と二人で教科書のような辞書を片手に、ああでもないこうでもないと首をかしげながら、光太の今後の処置を考えてくださった。 大人ならもう少し手立てもあるようだが、子供なので打つ手も限られるようだった。結局ビタミン12剤を大人の3分の一ぐらいの量で3週間分処方された。末梢神経に働きしびれ、痛み、麻痺などを改善するようだ。光太にとって初めての錠剤。最初は飲み込みにくいようだったが、3回目ぐらいからは慣れてきて上手に飲んでいた。 2月にサッカーのスク-ルに復帰する目途を立てていたが、まだまだ2月は無理そうだ。リハビリ始めて早い人で3ケ月で治っているが、光太は診てもらった人の中でも比較的悪い方の部類みたいで3ケ月よりもう少し長くかかるようだ。12月半ば頃からリハビリを始めているので、そこから3ケ月としても3月半ば、更にもう少しとなると4月になるのだろうか。 焦っても仕方ないので、長い目でみて完治するまでリハビリに励むしかない。相変わらずお風呂あがりのリハビリと2日に一度行く接骨院のリハビリと病院に行く日は階下にあるリハビリも行う。こうやってサッカーをやらない時間にもサッカーをやりたい気持ちはふつふつとわき、この気持ちが今度サッカーをやれる時に下支えとなってくれることだろう。 失ってみて初めてわかるありがたさ。それを実感するためならこの体験もありがたいことだ。 先週の日記にも書いたが、光太のひざ痛のお陰で私のパン焼き熱も復活した。マイナス転じてプラスとなる。人間万事塞翁が馬(人間の吉凶・禍福は変転し、予測できないことだから安易に喜んだり、悲しんだりしない)本当に困った状態こそ、最大のチャンスなのかもしれない。ほぼ毎日焼いているので、ついに粉がなくなってしまい購入しに行かなくては焼けない。今週焼いたパンはお正月に黒豆の甘煮を作って一部冷凍しておいたものをベーグルに入れ胚芽も混ぜて焼いたもの。これを横半分にスライスして甘く煮た黒豆を混ぜたクリームチーズをぬるとダブルの黒豆であいそう! それから友達の家で持ち寄りランチパーティーをする時に焼いたくるみレーズンシナモンベーグルとコーヒーパンを丸い形に焼いたものがむくむく膨らみ表面もつるつるして良く焼けた。焼き立てを食べてもらえるのは嬉しいものだ。実は、ベーグルの方が朝早くから仕込んだ為に砂糖と塩を入れ忘れていて失敗してしまってびっくり!大慌てでやり直し。写真は二度目に焼いたものなのでちゃんと焼けてほっとしたが、砂糖と塩の役割を改めて確認。デザートにはクリームチーズ系で。私も友達も酸っぱいものが好きなのでレモン汁をかなりきかせたらさっぱり系になってよかった。 パン焼き熱はまだまだ冷めそうにない。しばらく焼いてなかったので、やり始めるととまらないように、光太もしばらくサッカーをやっていないので今度やる時にはやりたい気持ちが爆発してのびのびといいサッカーができることだろう。私もパンを焼いてない間でも、本を読んだり、ネットで色々調べ物したりと作っていない時にもパンには関わってきていた。何事も続けることが肝心。 光太にも「こういう足を痛めてサッカーが出来ない今こそサッカーがうまくなるチャンスなんだよ。いっぱいサッカーの本を読んでサッカーをよく知ることも大事だよ。」と伝えると澄んだ目でうなづいている。ただ、今はサッカーの本を読むよりはDSでサッカーの遊びに嵩じている。これも仲間と遊ぶという意味ではいいこともあるのだろう。
January 23, 2010
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★パン焼き熱復活 光太がひざを痛めてどこにも出かけられない日々が続き家にいることが多いと、私のパン焼き熱が再びむくむくと復活してきた。 このところ光太が産まれる前にそうだったように毎日のようにパンを焼いている。 やっぱり何といっても油を使わずヘルシーなベーグルから。光太も大好きなレーズンにシナモンをたっぷり入れた定番のシナモンレーズンベーグルを焼く。焼く前に茹でることから独特のもちもち感がありベーグルは食べ始めるとはまる。食べ方は横半分にスライスしてクリームチーズをたっぷりぬる。お好みでジャムを塗ってもいい。もちろん焼き立ては何も塗らなくてもベーグルそのものの味を楽しめる。 うちの家族ではレーズンが入っているとパン生地が甘く感じるので何もつけずに食べる。ベーグルは何度作ってきたことかわからないが、最近はレシピを検索していると油をいれるのもあるみたい。でも、せっかく油を入れずに作れるパンなのだから入れずに作りたい。 サンドイッチにするのなら胚芽のパンがお勧め。私はご飯なら雑穀入りや玄米のように茶色くて噛みしめると味わいのあるのが好きなように、パンでも白いパンはあまり焼かない。北海道産の粉に必ず、全粒粉や、ライ麦などを少し混ぜて焼く。焼きあがりの生地につぶつぶとしたものが入っていて香ばしい。 パンを焼く時間がなくてスーパーで仕方なくパンを買う時に私が好きなパンはローマンミール。このパンは見かけが茶色い食パン。以前は6枚切りをよく見かけたけれど、最近うちの近くのスーパーでは3枚切りしか見かけない。麦の恵みという別のメーカーのものがあるが、このパンよりもっと茶色くて味わいがあってほんのり甘くて美味しかった。 自分で作る胚芽パンはいつもは8分割ぐらいのプチパンにしてそこに野菜やチーズ、ウインナーをサンドして食べるのがパパのお気に入り。でも、今回はあえて筒型のパンにしてみた。以前はこれで食パン生地のパンを焼いたり、くるみとレーズンのパンを焼いたりしていた。筒で焼くとパンの耳がたくさん出来るので耳好きな私としては嬉しいけれど焼きあがって開けるまではどのように膨らんでいるのかわからないのでドキドキする。2次発酵で型の8分目ぐらいまで来ていると焼きでも成功する。 パンばかり焼いているかと思えば、時にはむしょうにカントリークッキーを食べたくなって作ってみた。久しぶりに作るオートミールクッキーだ。ここにはレーズンにナッツ類に松の実に、チョコチップ、台所に立って何か他にはないかと探して黒と白のゴマも入れてみた。 光太がちょうどこの時にやってきて「ママ~クッキー作っているのにゴマまで入れてやばくない??」と疑わしい顔でやってきたけれど、平気平気。ゴマはセサミンパワーで体にとってもいいのだから入れないのはもったいない。 焼いている間、得も言われぬ良い匂いがただよってきて二階にいるパパまでもが「さっきからすごいいい匂いがするんだけど・・」クッキーを焼いていると本当にティータイムが楽しみないい匂いがする。バターと砂糖、それに卵がとけているのだから、いい匂いがするはず。そこにナッツや色々な材料がゴロゴロ入っていて焼く前の生地の段階でも美味しそうで食べてしまいたくなるぐらいだ。 粉はほとんど入らず、ここにもまたライ麦の全粒粉も入れた。とにかく食べてもヘルシーで元気になれるパンやお菓子を作るのが私のモットーだ。焼きあがりはとっても美味しかった。これは温っかい紅茶にあわせて食べたい。今回は欲張って色々とあるものを入れてみたけれどシンプルにオートミールだけというのもいいかもしれない。 オートミールというのはえん麦(オート麦)をひき割るなどして加工した食品で、タンパク質が小麦粉より多く、食物繊維やビタミンB1にも富んでいるらしい。積極的にとりたい食品だ。よく海外ではお湯にオートミールを入れてそこへ牛乳なども混ぜお粥のようにして食べるようだが、べちょべちょした食感よりクッキーに入れてサクサクと食べる方が私は好き。 天気も悪く外もすごく寒い時に作ってみたのがくるみチーズパン。これは昔、チーズ好きさんの意見から私が作りだしたもの。生地にはピーカンナッツとくるみを入れていたが今回はピーカンナッツがなかったのでくるみだけにした。それからチーズも以前はカマンベールチーズを入れていたのだが、うちでよく買うアーモンドチーズを入れて、トッピングのエダムチーズもなかったので省いて焼いた。これがなければ焼けないではなくて常に家にあるもので気楽に焼いてみようと思っていると意外とどんなパンでもできるものだ。もちろん粉がなければどうしようもないが・・・ チーズパンは焼き立てに食べると中のチーズが舌にはりついてやけどしそうで危ない!少し粗熱がとれたところで豪快にガブッと。中にはチーズがとけた後の空洞があるからその洞穴が光太が面白いようで指をつっこんでいたが、元々、作っている時はチーズが生地にめいいっぱい入っている。 同じように、中に詰めて焼くパンとして次にはあんパンを焼いてみた。あんこも小豆から炊いてなのだが、あんこを炊いている時に電話がかかってきて少し中断していると生地の方が先に出来てしまって、あんこを冷ますのに慌てた。アツアツのあんこを入れるわけにはいかないから。でも、冬場なのですぐにあんこも冷める。さめて分割したあんこを分割した生地に入れて包んで焼く。 今回は生地の中に白玉粉を多めに入れてみた。白玉粉を入れるともっちりするので、あんことの相性もいいかとやってみたのだけれど、焼きあがった食感に感じられるほどではなかった。 以前どこだったかで、大福餅がパンの中に入ったパンを食べて驚いたことがあったけれど、成型の時に入れて焼いてみたらどうなるのだろうか?餅が膨らんで破裂しないかな?調べてみると大福餅入りパンというのがあるようなので今度トライしてみたい。 あんこはかなり甘さ控えめにしてみたが(小豆の量に対して半分の砂糖)あんパンにすると生地の分、味がボケるのでもう少し気持ち砂糖が多い方が一般受けするかもしれない。うちの家族では甘さ控えめでちょうどいいのだけれど。 最後のパンはコーヒーパン。これはコーヒー好きの方に人気のパンだった。焼いている時からコーヒーの香りがプンプンする。むっちりした大ぶりのパン。冷めてからもしっとりしている。ただ、コーヒーの飲めない光太にとってはダメだったようで唯一このパンだけは残していた。子供向きではないけれど大人にはこのパンにカフェオレを飲みたくなるパンだ。 以前はパン生地にはバターやショートニングなど使っていたけれど、最近パンを焼く時はその代わりにオリーブオイルを使う。これも先ほど言ったように、食べて健康であることが一番だと思うから。 クッキーの時はパターを使ったけれど、やはりバターと砂糖を使うのは美味しいけれど体には悪い。バターだけ食べるより、砂糖と一緒になると更に太ってしまうと以前聞いたこともある。だから砂糖とバターをダブルでとってしまう正統派の甘いお菓子は美味しくはあるが悪魔のお菓子だと思う。そんなこと書くとそれを売ることを職業としている方には悪いけれど。 だから私はできれば、パンにはバターではなくてオリーブオイルを使ってみようと思うし、(マーガリンは絶対ダメ!)砂糖も白砂糖ではなくて茶色い精製されていない砂糖を使う。 私が以前体調が悪い時に(光太ではないけれど常時ひざが痛かった)病院で「あなたは体が冷えています。砂糖は食べてはいけない。これからは人参茶を飲んで体をあっためなさい。」と言われたことがあった。甘いお菓子は、特に白い砂糖を使ったお菓子は体を冷やし関節などの痛みを引き起こしていたようだ。ストレスから必要以上に甘いものを食べ過ぎていたので、体も悲鳴をあげていたのだろう。 その頃から砂糖をなるべく使わないケーキを作ろうとしたり色々とやってみたけれど、やはりそれに懲りすぎると美味しさの面では欠けるものが多い。硬かったり、見栄えが悪かったり。それから紆余曲折で、今ではほどほどにバターや砂糖も時にはとるけれど、自分で作るパンには油も体にいい油、砂糖も精製されていない砂糖を少しだけ、なるべく甘さはドライフルーツなどで感じるようにすることなどと健康には気をつけるようにしている。 パンというと作って終わるまでに、大抵2時間半はかかるので、ちょっとそれは大変という時にささっと作るのがクイックブレッド。マフィンや同じ生地をリング型でドンと焼くこともある。これはりんごヨーグルトブレッド。りんごが入っていて甘酸っぱいブレッドです。ここでもオリーブオイルが大活躍。卵にオリーブオイルを混ぜてほんの少しの砂糖とりんごに粉を入れて焼けば出来上がり。光太が大好きなマフィン。りんごの代わりによく熟れたバナナを使うことも多い。思い立ったらすぐできることがクイックブレッドのポイント。出来たての熱々を食べたいけれど、冷めてもレンジで30秒ほどチンすればまた焼き立てのような感じでいただける。 これからも体によく美味しいパンやケーキを作っていきたい。
January 17, 2010
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★ひざ痛のリハビリ 11月から言い出したひざ痛のことで正月明けも病院に走ることになりました。 12月はひざの検査を待つ間にインフルエンザにかかったりして踏んだり蹴ったりの月だったのですが、結局総合病院でMRIの検査をしてもらった結果異常なし。これで半月板損傷という疑いは晴れたのですが、そうは言っても痛みが消えるわけではなく、困っていたところ、コーチに相談するとやはりここは労災病院に行って専門医に診てもらう方がいいということで、年末に接骨院で紹介状を書いてもらっていたのでした。 紹介された先生はひざの専門医でもあり、以前Jリーグのチームドクターもされていた方なので、この方に診てもらえれば安心と思っていたのですが、タイミングが悪く週一度、1時間しかその病院に来られない上に祝日も重なり正月明けまだ3週間後にしか先生に診てもらえそうにないことがわかりました。ダメ元で、4日病院が正月明けに開くのを待ち、電話で先生が来られることを確認した上で出かけたのですが、なんと受付では先生は今日は休みとのこと。がっくり!! 電話で来られると確認しているのに、なんと無責任なことでしょう。その受付の方に嘆いても仕方ないので、結局その日はとんぼ帰りになり無駄足になりました。その晩のこと、光太があまりにも今度は足首の方が痛くて痛くて眠れないと訴えるので、翌朝を待ち接骨院の先生に相談したうえで、「痛みがあるのならそれを優先しましょう。」と言われその日に労災病院に再び足を運ぶことになりました。 というのも、私が光太が夜にひざだけでなく足首も痛いと言い出して泣きべそをかいているので気になって家庭医学大辞典をみていると、小児ではひざ痛を成長痛と見過ごして重大な病気が潜んでいる可能性もあるので(骨のガンである骨肉腫など)専門医に診てもらう必要ありとあったのです。 もし、万が一そんな怖い病気になっていた場合は肺に転移すれば5年~10年の命とあって冷や水を浴びせられたような気持ちになりその晩は、それはそれは心を痛めました。もしそんなことになったらどうしよう・・・パパにそのことを相談しようと思いながら痛がる光太のひざをさすりながら自分もいつしか一緒に寝入ってしまい朝を迎えました。 なので、悠長に3週間先に専門医に診てもらえるからと安心などしていられない、一時も早く診てもらわねば、と接骨院の先生にもそのことを訴えると「確かにそのお気持ちは私も息子を持つ親の身なのでよくわかります。」と言ってくれてすぐ労災に足を運ぶように勧められたのです。 労災病院は見かけ古臭いような感じだったのですが、中はまだ新しい感じで綺麗で驚きました。昨日、パパと一緒に受付のところまでは来ていたので、道中車で来るのもそんなに迷うことなくこれて10時前にはつきました。受付では紹介状の先生以外の先生で構わないので診てもらいたい旨を伝え、整形外科の外来で待つこと1時間15分。やっと呼ばれ、中待合室に移動し、そこでもまた15分ほど待ち、やっと診察。 パパより少し若いか同じぐらいの年の先生がいて、ベッドに光太を横にならせてひざを触ってどこが痛いのか聞かれました。以前総合病院でもレントゲンとMRIをとって異常はなかったのですが、労災でももう一度検査のためにレントゲンはとりたいとのことでそこからさらにレントゲン室に移動になりました。レントゲンはすぐとられそこからまた待つこと1時間ほど。携帯のメールでパパとやりとりしていて、パパもその日は初出勤で半日だったので午後から合流してくることに。 ちょうど光太が呼ばれる数分前というグッドタイミングにパパが待合室に現れ一緒に診察を受けることになりました。ここでもレントゲン結果に異常は見当たらないということで大腿二頭筋の損傷ということにおさまりました。足首の方はひざを痛めている後に片方の足首をぐねってしまい痛みをかばって歩いているのでアキレス腱に負担がかかっているのだろうと言われました。 とにかく、病的な心配はないという判断を得て私は一安心。でも、念のため、当初診てもらう予定だったひざの専門の先生にも診てもらえるように18日の午後には予定を入れてくれました。その日はそのままリハビリセンターの方へ移動してリハビリもして帰ることになりました。時間はお昼はとうに過ぎ、2時半。お腹もすきすぎてグーグーなっていました。待ち時間の間に、こんなことになろうかとバッグにしのばせてきたお団子を家族3人こそっと口に入れて急場しのぎ。 リハビリのお医者さんにも診てもらった後に、リハビリ担当の方に色々とプログラムを組んでもらって、筋肉をほぐすリハビリを3種類して帰りました。そのリハビリをお風呂あがりに毎日することを約束してやっと解放。会計もすませて帰るともう17時前。お昼御飯抜きだったので、お腹と背中がくっつきそうですぐに夕食の準備にとりかかりました。 しかし、この日は疲れた~~こういう大病院は一日仕事とは覚悟していたけれど、本当に疲れ果てました。光太も数冊本を持って行ってのだけれど、途中からそれも読み終わり飽きてしまっていました。接骨院に行くのに8時に家を出て帰ってきたのは17時なのだから、出入りはあったものの、9時間もかかったのですから、光太が小学生でつくづくよかったと思いました。これがまだ幼稚園ぐらいの年頃なら待てずにいたことでしょう。 一瞬でも重大な病気かもと頭をよぎった時は光太の子育ての悩みなんかふっとんでとにかく生きていてくれさえすれば・・・と祈る気持ちになりました。この子がいなくなることなんか一時でも想像するだけでも胸が痛みます。それを思えば、命が奪われるわけでなく、いつかは治るものなら頑張るのみ。コーチからも『リハビリを楽しむ気持ちでやっていると割と早く改善もみられることでしょう』とメールがありました。何事もプラスにとらえ今やってるリハビリのおかげでいつの日かは思いっきり好きなサッカーが出来るようになると信じて毎日を過ごしていきたいと思います。 接骨院の先生曰く、「これからは坦々とやるべきことをやっていきますよ。2月に運動できることを一つの目安にしてがんばろう。」と。まだ今年は始まったばかりですが、先をみて過ごしていれば過ぎ去る年月はあっという間だと思います。元気にサッカーボールを追って走り回れる姿を見る日まで共にリハビリがんばろう!(運動ができないので家でピアノのレッスン)
January 9, 2010
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★2010年のお正月 あけましておめでとうございます。年末年始は光太のひざのことで慌ただしく過ぎ、今年は帰省しないので我が家で過ごすお正月となりました。いつもは両方の実家で過ごす為、料理上手な二人のおばあちゃんの味を渡り鳥しながら堪能しているだけでしたが、今年は久々に私が腕をふるうことになりました。 思い起こせば、結婚しておせちを作るのは今回を含めて4度目になります。 新婚当時はまだ光太もいなくて、私がおせち料理を習ってきたばかりだったので、二人のおばあちゃんにご披露し、食べてもらうことにしたお正月でした。 両方の実家と新婚当時の家が近かった為、お正月に限らず、誰かの誕生日や父の日、母の日、クリスマスといった時には、我が家で二人のおばあちゃん達が色々と作ってくれるものと私が作ったものをみんなで持ち寄りよくパーティーをしました。父が度々畑で作った作物をバイクで届けてくれたり、母が作ったちらしずしや、つきたてのお餅や作りたてのお惣菜を届けてもらったのもこの時期。 パーティーをし、お腹いっぱい食べた後には必ずUNO大会。なかなか決着がつかず夜遅くまでかかったこともありました。それでも車ならお互いの家に両親を送り届けても15分もあれば帰ってこれる距離でした。 思えば、パーティー好きの光太があの頃いればさぞかし嬉しがったことでしょう。光太の大好きなおじいちゃんや二人のおばあちゃんが目と鼻の先に住んでいてしょっちゅう遊びに来てくれたのですから。 光太が生まれてからは、両方の実家を行ったり来たりのお正月を過ごしていました。光太が1歳になった翌年のお正月が奈良にいて過ごした最後のお正月で、そこからは引っ越しの連続。まずは長い急な坂道の上に立っているマンションでの生活が待っていました。 2006年は今住んでいるうちに来る前の賃貸で借りていたおうちで過ごしたお正月。その前の年に流産をしていた為、帰省せず家でちょこっとしたおせちを作って過ごしたお正月でした。年が明けてからの連休は熱海温泉で過ごし、帰りにはパパの親戚の家に初めて遊びに行き光太はそこで初めてジェンガの遊びを教えてもらいました。 2007年、今度は光太が年少で毎日のように風邪ひきで喉を腫らせては高熱を出して園を休んでいた年で、やはりお正月前にも熱を出し帰省せず家で過ごしました。なので私がおせちを作ったことを覚えています。この年のお年玉はパパからサッカーボールを買ってもらい、年中になった5月に今の家に引っ越しててきました。 そこから2008、2009は帰省して過ごし、特に去年はおじいちゃんが病院で過ごしていたために、病院から帰って実家に帰った時はなんとも寂しい気持ちがしました。やはりいるべき人がいるべき場所にいないというのは落ち着かないものです。 今年はこちらで過ごした年。父も病院通いはしているものの、なんとか元気に実家で過ごしてくれていること、義母も元気で暮らしていてくれること、みんなが離れていても元気で暮らしていてくれると、2010年のお正月は穏やかに天気も恵まれた中で気持ちよく元旦を迎えました。 光太は、大みそかは12時までは起きると宣言しながら睡魔に負けて10時半頃にはダウン。いつもは8時に寝なさいと言われているけれど、この日だけは紅白を見ながら起きれるとあって朝からかなり興奮していたのでたぶん疲れてしまったのでしょう。 実家にいた時は、母が一人で頑張っておせちを30日頃から作り始めていて、私自身は手伝った記憶がないのです。お餅作りの丸めぐらいは手伝った記憶があるのだけれど。 そもそも今はこれだけパンやらケーキやら、そしてお料理作りも大好きなのに、実家にいた時に母に習った記憶がないのが思えば不思議に思います。 姉と話をしていて、姉は母から教えてもらったレシピでやっているというのが意外と多いのに対して、私は自分でネットで調べたりテレビで見ているものをメモして控えたり、本を買ってきたりして作っているものが多いことに気付きました。それでも、結局味付けは小さい時から慣れ親しんだ味に落ち着くのですから、舌の記憶というのは、母から娘に引き継がれていくのでしょう。 今年の私のおせちは、たまたま我が家の折りこみチラシか何かに入っていたミニ新聞にのっていた奥園とし子さんの簡単なおせち作りというのを参考にしてやってみました。 煮しめには普段は鶏モモ肉を使うけれど、それだとだんだん固くなってしまうので、肉団子にし、その肉団子にも麩をいれるという工夫があります。私はその肉団子に飾り切りした残りの人参やしいたけやレンコンのみじん切りも入れました。 栗きんとんは、普段は栗の甘露煮を普段は使いますが、それだと甘ったるくなりすぎるので缶詰のパイナップルを使ってあえています。これだと甘酸っぱさがちょっと味のアクセントになっていい感じです。パイナップル以外ならりんごなどもいいかもしれません。 一番私が気に入ったのはピーナッツ入りの田作りです。40gのいりこに対して100gものピーナッツを甘辛く煮詰めるのですがこれは普段のおやつにも作りたいほど美味しいです。 他はいつも作っている紅白なますにゆずの千切りをのせたものに、圧力鍋ではあっという間にできあがる黒豆。圧力鍋はいつもこの豆を炊くときと、ビーフシチューを作る時に大活躍。元々、母が圧力で豆を炊くのが上手で私も結婚して数年してやっぱり自分でも豆を圧力で炊こうと思って買ったのですが、圧力鍋があると数時間炊かないといけない豆も数分の圧力をかけてあとは30分放置するだけでふっくらとした美味しい豆ができるのだから使わない手はありません。 今年は黒豆がいつもの父の手作りの黒豆に加え、義母からもたくさんいただいたのでうちの家は豆だらけで感謝です。私のやり方は、300gのお豆に対して半量の砂糖を入れて煮含めます。この甘さ控えめで作った黒豆はパン生地に入れて焼いても美味しいし、ヨーグルトにトッピングしてもよし、ホットケーキミックス粉にいつもホットケーキを作るようにして入れると豆入りホットケーキになって栄養価もあがります。更に、普段200gのミックス粉だと3人で食べるのに量が足りないのですが、豆でかさが増えるのでちょうどよい分量になります。蒸しパンの具にもできるし、かなりすぐれものです。 黒豆は普段から毎日のご飯にも混ぜて炊いているのでたくさんある豆もあっという間になくなることでしょう。黒豆入りのご飯はほんのりピンク色になってきれいです。光太も雑穀ご飯はあまり好きではないけれど、黒豆ご飯は香ばしいと言ってよく食べてくれます。 あとは、スモークサーモンにクリームチーズをのせてくるくる巻くと紅白のお花のようなものと、天然有頭海老を甘辛く煮てお庭からとってきた緑をあしらいます。よくレストランに行った時にも、ヒントを得ることがありますが、緑の葉や、小花などを少し飾るとぐっとおしゃれになるのは本当に不思議です。ちょっとしたことなのだけど食べるというのは、ただ舌の上で感じるだけではなくて視覚的にも美しいと感じるものであることが大事なのだと思います。 他には意外や意外と光太の好きな数の子。パパは数の子が好きでないのだけれど、光太はあの食感が好きなのか食べたいと言うのでかつおぶしをかけて食べました。それからゆずの皮には大きすぎるので、たくさんいただきものであった一回り小さいかぼすの皮にいくらを入れます。 もうひとつ光太の好物の出汁巻き卵を作れば、あとはあったかいものを用意するだけです。 お雑煮は、昆布とかつおで出汁をとっておいて、鶏肉をいれて父が送ってくれたにんじん、大根を入れて柔らかくなったら、なると巻き、小松菜を入れてお酒としょうゆと塩であっさりと味付けします。お餅の焼き目をつけて(お餅の番はパパの役目)お椀にお餅を入れて汁を注げば出来上がり。お餅も義母が送ってきてくれたもの(これは親戚の方の手作り)と、母が送ってきてくれたもの(これも手作り)で、母のお餅はついに30年使い続けたのでつぶれてしまったらしく、手作りのお餅を食べられるのもこれで最後になっちゃうのかな・・・もちつき機は一番母が使っていた機械のように思います。 光太も大人より少し少なめに盛りつけたおせちを朝から全部食べてくれました。「お正月というのは、このおせちが3日間続くんだよ。」といっても甘いものが好きな光太にとっては「美味しいから好きだよ!」という返事があってまだ作りがいがあります。でも2日目に同じように並ぶと少し箸の進みが悪かったので、3日目はどうなるかな。 実家にいた頃はこれに加えて、菊花かぶやたたきごぼう、高野豆腐の甘煮、竜眼肉(うずら卵をとりひき肉で包んで甘辛く煮るもので家族みんなのの大好物!)こんにゃくやにんじん、しいたけの含め煮などが並んでいました。それと紅白のかまぼこ。かまぼこは母の実家が愛媛なので毎年母が頼んで送ってもらっているのですが、けっこう塩分も多いし、パパが練り物をあまり好きでないのと、今年は配送の手違いで我が家の荷物に間に合わずなし。私はこのかまぼこやじゃこ天をおやつのように食べて育ったのですが、パパは水分がないのでのどが詰まるらしいです。 今年の一工夫は、テーブルのセンターに家にあった赤い布を置いたこと。朝、何かおめでたいお正月らしい飾りつけがないかと考えて急きょ思いつき、二階にしまっていたのを取り出して、パパにアイロンをかけてもらいテーブルクロスをかけた上に長く置きました。赤と緑なので、クリスマスにもいけそう。 今年は、少しずつこういったテーブル周りの小物も増やしていきたいです。テーブルクロスや、ランチョンマットなどは母の手作りの刺繍のものがたくさんあるのですが、どうも光太のようによくこぼす子がいるともったいなくて出しそびれています。本当は色々と出してテーブル周りのものでも遊びたいのですが。でも、そうやってもったいながって出さずにしまいこんでいるのが実は一番もったいないと思うので今年からはもっと使いこんでいこうかなと思っています。使いこんでこそ物の価値というのはあがるのですから。 お正月早々、長くなりました。今年も1年よろしくお願いいたします。
January 2, 2010
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★踏んだり蹴ったり 光太が22日夜中に発熱し、翌朝病院にパパにつれていってもらうとインフルエンザ陽性。熱が出る日の夜、一緒にお風呂入っている時にひざ痛のことを聞くと、「今日は教室で両方の足首がジンジン痛かったんだよね。」と言ってたことを後から思うとインフルエンザの前兆だったのだと思った。いわゆる関節痛。 でも、聞いたその時は、まさかインフルとか思わず、『右ひざが痛いのをかばってびっこして歩いているので足首に負担がかかったのかな?それなら左の足首だけ痛くなるのはわかるけど、両方痛くなるのはおかしいな。』と思っていた。 夕食時には「今日はオレの前(席順)はみんな全滅!」と言ってたので、「えーーっ!そんなにお休みなの?」「光ちゃんはママが作ったお料理を全部残さず食べてるからインフルにかからないのかな~」とよいしょしてうだうだ食べていた食事を早く食べ終わるよう促していた。それでもその日は今思えばあまり食欲がなかったようだった。それでも全部食べていたけれど・・ 夜中「あついーしんどい~」の声で寝入りばなのところをたたき起こされた。パパがその日は遅く帰ってくる日でちょうどパパが寝床にきたところだった。額に手を当てると熱い。熱が出たのは10月末以来。最近は園時代と違って光太もめったに熱が出たりはない。雨の日でもやるサッカーで鍛えられているのか?と思っていたら、ついに夜中の発熱。冷やしまくったら、すぐに今度は寒いと言い出してあっためて寝る。4時半ぐらいに一度熱を測るとまだ熱かった。夜が明けるのを待つのみ。 翌朝は天皇誕生日で祝日。パパも休みなので、クリスマスパーティーをするために、少し気が早いけどサンタさんが来ることにしていた。光太も夜中の熱のさなか、「サンタさん来るかなー?」と言ってたので朝まだ熱があったけれどサンタさんが来たということでツリーの下に大きな赤い袋のプレゼントの山を置いておいた。 朝まだ微熱があったけれど、ツリーの下を見て何かあることに気付きにやにや笑いながらまっしぐら。中を見てベイブレードやサッカーボール、サッカーの本、お菓子などを見つけて「わーたくさんある~」と喜んでいた。早速ベイブレードで遊び始める。熱があってもそのぐらいはできるようだ。 ただ、そうはいっても昨晩の急な発熱、関節痛があったので病院で検査してもらうことにした。もしインフルなら手遅れになると怖いからだ。一応、以前10月末に熱が出た時にインフルの薬リレンザを出してもらっていてあの時は陰性だったので使わずにいたのが家にあったのでいざとなっても安心できるがとりあえず、お医者さんにインフルだという結果が出ないことはあやしくてもまだわからない。その日は祝日だけど、午前中だけは診療があって助かった。 パパが連れていってくれた間、私はクリスマスパーティの用意があるので一応準備をすすめていた。熱があってももしかしたらさがってくるかもしれないし・・・いや、さがってくれよと祈りながら。クリスマスケーキを作るのでまずはスポンジ作り。その間にオーブンで焼く鶏のモモ焼きの漬け汁を作ってつけこんでおく。そして、ケーキのデコレーションのいちごを洗ったり切ったり、生クリームを泡立てたり、ケーキに塗ったり。 これは夜のパーティーの準備で、昼はピザを作って食べようと思っていたから、同時進行でピザ生地作り。そして具の準備。そうこうしているうちにあっという間に1時間ぐらいたち、パパからの電話で光太がインフルエンザ陽性ということを聞かされた。やっぱりと思ったものの、ちょっぴりショック。せっかく今日は家族で楽しくクリスマスパーティーの予定が・・・ でも、帰ってきて光太はインフルの検査で泣いたらしく少し変な顔をしていたが、(あの検査は私も経験しているがすごーく痛いのだ!)昼のピザが焼きがったよとテーブルに出すと食欲はあるようで食べ始めた。昼食後すぐにリレンザと風邪薬を飲み、夕方に眠くなったのか少し横になっていたが、鶏のモモ焼きは食べたい!ケーキも食べたい!と執念で起きてきた。 結局、予定通り、その日の夜はクリスマスパーティーは決行。光太用の特別の飲み物で乾杯して、鶏のモモ焼きを光太も丸ごと一つ食べた。先に皮の味のよくついたところを食べ終えてしまったので丸々一つ食べきるにはかなり時間がかかったがケーキを目指してがんばって食べていた。 オーブンで豪快にジュージュー焼くのだけどなかなか美味しくできた。焼きあがりはすごい油でびっくりしたけど・・・実家にいた頃は、クリスマスといえば母がよく作ってくれていたのを懐かしく思い出す。もちろん、クリスマスケーキもいつも作ってくれていた。実は、私は今年のケーキは前日にロールケーキにしようとして作ってみたが焼き時間が足りなかったようで失敗してしまった。仕方ないので、そのケーキをつぶして生クリーム、アーモンドブードル、ナッツ類レーズン、チョコを入れて光太と丸めてチョコボールを作った。 せっかくのクリスマスにチョコボールだけじゃ華がないので、やっぱり作ることにしたのだ。今回のスポンジはいつも作るのより少し甘めにして、その分生クリームは甘さ控えめにした。それが家族にも好評だった。しかし、ホールで作ったケーキは家族3人だと3日間かけて食べ続けた。でもスポンジ自体は軽いのでペロリだ。(ただカロリーは高いので要注意だけれど) 光太もその日は昼微熱があったけれど、リレンザを飲むとすぐ熱はさがり2日間熱がさがっていて3日目の今日受診するともう外に出ても大丈夫と言われた。学校を休んでいるうちに冬休みにも突入してしまった。 24日にはひざ痛の精密検査(MRI)を受けるために1週間前からずっと待ちに待って過ごしてきたのにこのタイミングの悪さにがっかり!インフルエンザにかかってしまっては検査が受けられない。 病院に電話すると年明けに来てくれと言われたので、11月半ばに故障していて2ケ月たってもまだ痛みの原因がわからない状態とはこちらも生活が成り立たず困ると訴えた。 しばらく電話での押し問答があったけれど、やっとのことで次の週に予約はとれないけれど、朝一番に来て予約をとってもらえれば、先生が時間のあいた時に診てもらえるとか。よかったよかった。しかし、診てもらうだけでこれだけ待たなければいけないとは・・・本当に1日も早く原因を知って処置をしてもらいたいところだ。 今年のクリスマスは健康に迎えたとはいえなかったけれど・・・やっぱり家族みんなが元気でいることが何よりなのだ。去年の今頃は、私の父がクリスマスとお正月を病院で迎えていた。光太と冬休みに入ったら会いにいったことを思い出す。去年は本当に父の件で何度も足を運び心も落ち着かず、バタバタしたが、今年の年末年始は休みも短いしこちらでゆっくり過ごそうと思う。とにかく光太のひざが早くよくなってほしい!
December 26, 2009
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★悩ましいひざ痛 光太のひざ痛の診断がまだ下らないままストレスフルな生活が続いている。しばらくは学校の送迎も必要なほど、歩くのも痛がっていた。接骨院ではしばらく電気治療と湿布をすれば治るだろうとの見立てだったが一向によくならず、それどころか痛みが増しているというので、総合病院のスポーツ整形を紹介された。 そこでは、レントゲンをとったが、先生も首をかしげるばかりでわからない。翌週まで待ってMRIに入って検査することになった。クリスマスイブだけど光太は午後から検査だ。 痛みがあるままずっと何の処置もされずに検査を待つのがすごく長く感じられる。この病院に任せてはたしてよいのか悩むところでもあった。 サッカーを習っているスクールのコーチに相談すると、別の病院を紹介された。関東でも有名なところらしい。そのスクールに来てくれているサブコーチが以前靭帯を切って手術されたというしそこなら安心して診てもらえそうだ。 早速予約をとろうと電話を入れると、今かかっている病院の紹介状があると一般で予約するよりはスムーズにいくし待ち時間も短くてすむらしい。今インフルエンザも流行っているから病院の滞在時間は必要最低限にしたいところ。 それではと思い、接骨院から紹介された総合病院の先生にMRI検査待ちなのに、無視して紹介状を書いてもらうのもどうかと思い、元々通っていた接骨院の先生にコーチが紹介してくれた病院への紹介状を出してもらえないかとお願いすると、今の段階であれこれと動き回るよりは、総合病院で24日のMRIの予約を入れているのであればその診断結果を待ってからセカンドオピニオンをとってはどうかと言われた。 親としては、毎日痛がる子供を眼前にすると紹介してくれている先生を信用してないわけではないが、少しでも名医といわれる先生に診てもらいたいというのが本音。もう少し早めに気づいて、最初から信頼しているサッカーのコーチに病院を聞いておいて、その病院への紹介状を接骨院の先生に出してもらえればこのように気をもむこともなかったが後の祭り。二股みたいなことになってしまい、なんとなく気まずい。 でも、接骨院の先生は「お気持ちはわかりますが、まずは総合病院のスポーツ整形の先生の診断結果が出てからにしましょうよ。」と温かくおっしゃたので波風立たせず、その言葉を信じることにした。 もう一つ、気持ちがざわざわすることは、光太の学校の先生からの言葉だった。光太の学校での様子を見ているとそんなに右足に痛みがあるようには見えないと。時々はそのことを忘れているようなしぐさや、そうとは見られない行動があり、「本当に痛いのか?」といぶかしいところもあるようだ。「痛いんだよね?」と聞くと、思い出したようにびっこを強めにひいたりして、それが余計にあやしく思えるようだった。母親がかえって心配しすぎると子供も甘えてしまうところもあるかもしれないので、ドーンと構えておいて「大丈夫だよ」ぐらいの方が大事かもとも言われた。 同じようなことをサッカーのコーチからも言われて、11月中のスクール中に傷めたようだけどというと、でも、その後のスクール中にアシスタントレフリーとしてコーチのお手伝いに回っていたときがあったが「あの時こうちゃんは走ってましたよね。」と。そう言われれば疑惑が残る。でも、家にいる時は明らかにひざを曲げたり伸ばしたりするときに痛がるし、どういう時に痛くなるのかと聞いても、なんだか要領を得ないが、本当に痛みが走るのは確かで、痛くなったり痛くなかったりするようだ。 ここは光太の言うことを信じるしかない。だいたい、自分にとってウソついたって何のメリットもないはずだ。自分の好きなサッカーを長らくできないし、そのことで友達とも下校後公園でサッカーで遊ぶことができず、仲間はずれにされていると言っては大泣きしているぐらいだし、習いだしたプールも行けず、学校の体育も見学だなんて生活がずっと続いていて、それをわざとやっているはずもない。光太にとって今の状態はかなり行動制約があっていやなことばかりなはず。やはり本当に痛いはずなのだ。ただ、それが四六時中の痛みではなくて、何かした拍子にその痛みを感じるようになっているのだろうと思う。 接骨院の先生は最初から光太の言葉にウソはないと信じてくれていて、「この子は一貫して足を伸ばした時に痛いと言っているんですよね。だから何かがひざの裏にはさまっているのではないかなと思うんです。半月板が損傷しているのか、滑液包(カツエキホウ:通常関節の周りにある袋)が炎症を起こしているのか?」それが何なのか検査しないとわからないと。 なんだ変な病気でなくて、割とすんなりと治ってもらうものならいいのだが、総合病院の先生がもし、半月板が損傷していると手術という言葉を出したので抵抗があったのだ。スクールのコーチはまずこんな小さい子が手術ということ自体があり得ないと話をされていたので、ということは、総合病院の先生に任せていいのかとこれまた私達親側から総合病院の先生への疑惑が残っている。 とにもかくにも、24日のMRIの検査結果を聞いてからでないと何も先には進めない。光太にとってのクリスマスプレゼントは、何より元の元気な足を返してもらい、普段通りの元気な生活を送らせてあげたい。そのことにつきる。やはり健康が一番。早く光太の大好きなサッカーボールを蹴って走り回る姿が見たい。
December 21, 2009
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★得意なことを伸ばす 光太の誕生日を迎えた後ぐらいから、右のひざが痛いと言い出し、サッカーも最近は見学に。以前にもこういうことがあり、整形外科に行ったところ、骨に異常がないので、成長痛かなということだったので、今回もすぐには病院に行かずにしばらく様子をみていた。2週間たってもまだ痛がるので、サッカーをやってるママから接骨院につれていくといいよとのことで、すぐつれていった。 レントゲンをあてることもなく、仰向けやうつぶせに寝かせた光太の足に手をあてて、どこが痛いかと聞いただけで「これは右のひざ裏の腱を傷めています。成長に伴う痛みではありませんよ。」と言われ電気治療をするために毎日通うことになった。加えて湿布と夜寝る前のストレッチをママがやってあげることに。 痛いと言ってすぐにつれてきたらもっとすぐに治ったかもしれないのにと後悔したけどなんせ、接骨院に連れていくということは頭になく、成長痛ならいずれ痛みもおさまるはずと信じていた。 今度からは何かあればすぐ接骨院にお世話になりそうだ。ただ、今のところ3日通ってみたが、痛みは増してきているらしい。まだ来週になっても痛むようなら包帯にしましょうと言われている。この週末は足も使えないので天気が良ければ遊びに行く予定がおとなしくしているしかない。 熱もない元気な子供がおとなしくしているのは難しいのだが、今光太がはまっているのは、誕生日に買ってもらったベイブレード。今朝も、さらにもう一つパパから買ってもらった最強というベイブレードで私と戦っていたところ。 これは先日漢検の合格発表が届き、10級に無事合格していたのでご褒美。今年は、読書感想文のコンクールでも学年代表に選ばれて賞状をもらったし、漢検の合格証書も立派なものが届き、ダブルに褒めてあげようということで誕生日から引き続きプレゼントがいっぱい。本当に1年生にしてはよく頑張ったものだと思う。漢字に関しては自分が好きなので勉強も苦にはならないようで、このことが自分のすごい自信になっているようだ。 先日担任の先生との懇談会でも、読書感想文の代表に選ばれ、ビデオ撮りがありそれがテレビに流れたことで、クラスのお友達からも「すごいねー!」と褒められ光太自身、自信になっていると思いますと褒められた。このことで、色々なことでやる気が高まり、意欲が見られると。自分の頑張ったことがこういった形で表彰されるとやはり頑張りがいがあるようで、本当に良い経験をさせてもらったと思う。 光太はたぶん今後も自分がやる気になったことについてはすごく頑張る子なのだと思う。あまり周りがあれこれと口うるさく言わなくても自分でしっかりやる子なのだとわかった。かえって、うるさく言われることでいやになるタイプなので、とにかく自分の得意なことをやって伸びているところを褒めて、また更に頑張るという具合にいけそうだ。 私も家庭教師をしていたから色々なタイプの子供がいたことを思い出す。細かく指示をあれこれ出した方がよいタイプや、光太のようにある程度ほっておいた方がいいタイプと。これぐらいできなくてどうすると発破をかけた方がいいタイプと、できてることを褒めて伸ばしていくタイプ。光太は典型的に褒めて光太のやり方にまかせてほっておいたら自分でやっていくタイプだ。かなり自立したタイプで扱いやすい。ただこれは勉強についていえばの話だ。 問題は生活習慣。早寝早起きするとか、ご飯をさっさと時間内で食べるとか、食べたら歯を磨くとか。そういう生活習慣が褒めたらスムーズにすすむかというとそうはいかない。何度言ってもちんたらちんたら、のろりのろり。こちらの口調もついつい厳しくなってしまう。なんでも褒めたら動くかというとそうではないから子育ては一筋縄ではいかない。 11月最後の日曜にマリノス対清水エスパルス戦を観に行った。ホームの試合では最終戦だったが、見事2-0で勝った。私達が観戦している中ではまだ負けなし。でも、優勝争いからは5年ほど遠のいているらしい。この日はパパからマリノスのタオルマフラーを買ってもらい必死で応援していた。サポーター席をとったために、ずっと試合中立ちっぱなしで休めなかった。今年は何度かサッカー観戦に足を運んだが、テレビでサッカーを観るのとはまた違う迫力があり、なかなかいいものだった。 プロのサッカー選手になってきた人達はいったいどのような生活を積み上げてきたのだろうか。きっとサッカーが好きで好きでたまらなくて、努力努力の連続で勝ち得てきたのだろう。自分の得意なことを伸ばすのは比較的容易い。それが何なのかを見つけるのがまずは第一段階。それを伸ばしていくのが第二段階。やっていく上でスランプが度々あるがそれを乗り越えていくのが第三段階。プロになっている人達などは、ケガや故障をしたりスランプに陥ったりを繰り返し、決して生きていくのも楽な道ではないのだと思う。 好きなこと、得意なこともそれを生活の糧にしなければいけなくなると別の苦しさがあるはずだ。楽しくやって伸びているうちが一番いい時期なのだろう。 光太は12月からスイミングを始めるようになった。幼稚園の年少で初めてプールに入った時のことを今でも忘れられない。その日は私も外から見ることができて大勢のママ達とビデオ片手に待っていると、一人大泣きしてバスタオルを離さずプールサイドで立ちつくしている子がいた。光太だった。よほど珍しかったようで幼稚園専属のプロの写真の方もバチバチ写真をとってくれていて、その泣き姿がだんだん笑顔に変わっていく写真が今手元にある。貴重な成長の記録だと思う。 園の時代は、プールはあまり好きではなかったようだが、今年になって小学校のプールで潜ることをやって以来、プールが好きになったようで突然「ぼく、スイミングを習いたい!」と言い出した。早速体験して入会した。週に一度園バスのようなスイミングのバスに乗って1時間習いにいく。バス停までは送迎するが園時代がまた来たようで懐かしい。同じバスに同じ学校の子が乗っていて早速スイミング生活を楽しんでいる。きっと今よりもっと体力がつくことだろう。スイミングには進級テストがあるようで、段階があがっていくことがまた楽しいようだ。プールのバスに一度私も乗ったことがあるが、自分が何のクラスに入っているかだの、1年生でも一番上のクラス(ゴールド)に入ってる子がいるだの、おしゃべりがつきなかった。光太もスイミングを楽しみながら身についていけばいいなと思う。スイミングの金曜日はいつもより熟睡している。
December 12, 2009
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★7歳バースデーおめでとう! 11月23日で光太は7歳になった。毎年恒例、昼間にホームパーティーをするために、ママは朝から大忙し。ケーキの生地は少し前に焼いて冷凍保存してあるので自然解凍してホイップクリームを塗り、いちごを飾るだけ。 ホイップクリームは私の好きな中沢の乳脂肪36%をいつも塗る。あっりとしていてとても美味しい。 メニューは、秋鮭と海老の長いもグラタン、かぼちゃのサラダに大好きなアーモンドスライスをトッピング。ちょうどケーキのデコレーション用の生クリームが少し余ったのでチンして柔らかくなったかぼちゃとさつまいもをそこに入れてマッシュし、マヨネーズと塩こしょうで味を調える。レーズンを入れてもおいしいが今日は入れずに。 長いものグラタンは長いもをすりおろしかつおだし、牛乳を少しと塩こしょうで味付けしてホイップするともうホワイトソースが出来上がり。ここにはバターは入らないのであっさり。 秋鮭とえびは塩こしょうしておいて、下味をつけてバターでこんがりソテーし、そこにキャベツとしめじを入れて最後にお味噌で軽く味つけ。これをグラタン皿にいれてレンジで5分ほどチンするとほっくり感が増す。さらに、ピザチーズをのせて今度はオーブンで焼き目がつくまで焼くとできあがり。 ステーキを焼いてお祝いするのが時間もかからずに楽で、しかもみんなも喜ぶかもしれないのだが、父が心筋梗塞で倒れて以来、我が家のメニューもけっこう魚を中心に作るようにしている。1週間に最低でも3回は魚を食べるように気をつけておけばいいのだとか。しかも青背の魚がいいというから、ぶりの照り焼き、さばの味噌煮やさんまの塩焼き、あじの干物などをよく食べるようにしている。 忙しい時はまぐろを買ってきて納豆と一緒に丼ものに。青背ではないが、こちらでは金目鯛がよくとれるようでお店によく並んでいるので煮つけして食べるのも美味しい。母は愛媛の出身だったので鯛が大好き。太刀魚や鰆などあっさりした白身の魚好きだった。でも私は体の為には白身よりは青背の魚を好んで食べるようにしている。 食べ物が体を作るのだから、家族の健康は作る人が気をつけなければいけない。学校に入ってからは昼食が給食になり、とても栄養バランスもとれていて美味しいものをいただいているので感謝感謝。給食代を払わない親がいるとか以前どこかで話を聞いたことがあるが、こんな立派な食事をさせてもらっているのに文句を言うなんて言語道断。世の中にはとんでもない親もいるものだと思う。 これは先日テレビのドラマを見て思ったのだが、親から愛されて育たなかった人は不幸なことにうまく子供を愛せない。常に自分の子供のトラブルを学校のせいにしたり子供のせいにしたりしていて自分が悪いのだと思っていない。給食代を払わないという親が本当にいるとすれば、自分のことは棚に上げてなんでも人のせい、学校のせいにしているのではないかと思う。 先日見たドラマのママは自分が幼い時に親から愛されて育たなかったために自分の子供にもつらくあたるのだった。そのためその子はママから愛されたいのに愛されないストレスでついには声が出なくなってしまう。自分の仕事のこと、ダンナのこと、そして一番最初に産んだ子供のことだけは大事にしていて二人目には辛くあたってついには実家に預けてしまう。 でも自分自身親に愛されていなかったと思っていたが(病気の姉がいて両親はいつもそちらの看病が忙しかったようだ)本当は父も母も自分のことをずっと愛していてくれていたということを知り、そして、つらくあたっていたわが娘から心のこもった手紙をもらいだんだん孤独だった心がとけていく。そして最後には本当に自分の子供を愛せる親へと変わっていく。涙がポロポロ出てティッシュを離せないドラマだった。 このドラマを見ていると、現代は昔と違って色々なことが便利になった反面、親の愛情がうまく伝わらない時代ではないかと思う。たとえば、ママが働くことで家事の時間がとれないからと冷凍食品ばかり利用していては、我が家の味が子供に伝わっていかないと思う。どんな料理にしても家庭の味というのがあり、それを食べて子供は育っていくのだからきっちりと食事を作ること、これは親の役目だろう。 要は、両親が自分を愛してくれているという実感は自分にかけてくれた時間にあるのではないかと思う。料理の得意な親は手料理で、手芸の得意な親は手作りの服やかばんなどの持ち物で、体を動かすのが得意な親は思いっきり公園で遊んでやる。 何か自分の得意な分野で思いっきり子供に時間をさいてやることが愛情なのではないかなと思う。得意な分野でというのは自分も楽しんでその時間を費やしているからいいのだ。もし、いやいやつきあっていると子供は察知するから心から楽しむというのが大事なのだと思う。 私の母は手料理が美味しかったし、裁縫も上手だったので母の得意なことで私はたくさんの愛情を受けたと思う。遊ぶ担当は父だった。両親の間で特に役割分担したわけではないだろうが、こまごまとした母の愛情と畑で汗を流したり、スポーツを楽しんだりすることは父から教わり、一緒に遊んでもらった記憶は生涯忘れることはない。 だからこそ、私は母のように手料理にこだわり、週末できる限りパパと一緒に光太と公園で遊んだり出かけたりするようにしている。 光太にとっての家族の記憶が私の手料理とパパやママと公園で遊んでもらったりしたことが折り重なって幸せな記憶となっていってくれることを祈りたい。 光太の今年の誕生日祝いのプレゼントはパパが選んだサッカーチェスだった。だが12歳から対象とあって難しすぎた。昼間のパーティーで私達夫婦には赤ワインが入っていたのでほろ酔い気分。そこに難しい(といっても12歳が理解できる程度のものだが)説明書を読んでいたって頭に入ってこない。 せっかちな私が理解するのに待ち切れずゲーム開始は中断。もうひとつおまけに入っていた総合格闘技ボードゲームもまた説明書を読む気も起こらないほど難しそうで、面倒くさくてパス。 最初光太はサッカー盤をほしがっていたのだが、こちらのチェスの方が実際の試合の時などに役に立つということでパパがこちらを選んだ。確かにサッカ―盤は、さして頭を使わなくても、ガチャガチャしていて得点が入るのが楽しいゲーム。 だが、サッカーチェスは当たり前だが、サッカーがわかっていないと楽しめない。フォーメーションなど勉強になることも多いが、即効的に遊べるかというと大人でもある程度説明書を読んで理解するのに時間がかかりそう・・将棋だって駒の進め方がわからなければ遊べないように、ゲームの仕方を理解しないと楽しめない。 結局、しばらくお蔵入りになるか、あるいはパパの酔いがさめて改めて勉強しておいてもらい私と光太にルールを説明して楽しむかということになった。(パパ、今後のためにがんばって理解して教えてね~)ただ、今、遊ぶ気持ちマンマンの光太にとってはもちろんつまらない展開に。 せっかくの誕生日、ホームパーティーも気持ちよく終わり、さてさて楽しくボードゲームでもと思っていたところが雲行きあやしく、光太がふてくされ始めたちょうどその時、パパがネットで注文していたおもちゃが次々と届いた。 一つは祖父や祖母達からいただいたお祝い金を使って光太が買いたいといってたベイブレード。昔のこまと違って機械のこまだ。遊び方は単純でベイブレード用の台の中でベイブレードを回してどっちが強いか戦うというもの。ひもを強く引っ張ればこまは簡単に回る。回り方が強いものが近くにいるこまを跳ね飛ばしてしまう。光太はベイブレードを見た瞬間顔がぱっと晴れてニコニコの笑顔に。 とっても単純で一緒に遊んだら、私なんてすぐ飽きてしまった。 しかし光太は一人でもずっとずっと回し続けて大声で自分で実況しながら遊び続けていた。それほど子供達を魅了するものなのだろうか? 私が小さい時に回していた、いわゆる昔のこまの方が面白かった。縄を巻いて投げて引っ張る。うまく回った時は嬉しいし、回るようになるまでにはいっぱい練習したと思う。その回るようになるまでに練習をたくさんしたからこそ回るようになった時の嬉しさが大きかった。いわゆる達成感があったのだ。こうやって昔の方がよかったというのは年寄りの特徴だなぁと思いつつも本当にそう思うから仕方ない・・ あれを思えば、このベイブレードは機械の力で回っているだけで自分の努力というものが何もなくて昔のこまで楽しんだ私やパパにはつまらない。でも光太達にはこれが楽しいのだという。自分だけ持っていなくて仲間はずれにされると(以前のゲームじゃないけど)言っていたのでこれは別に無害だからと買ってやったが、人畜無害だが、益もなしといったところ。 まぁ、戦いものが好きな男の子にとっては自分の分身が激しく戦ってくれることに満足するのだろう。メタルものなので重たくて、落ちるとけっこう威力もあって、おかげで家中傷だらけになりそうで恐ろしい。 同時に届いたゲームは3種類。今年のドイツ年間ゲーム大賞受賞に選ばれたというドミニオンという家族で遊べるボードゲームと、漢字の好きな光太に漢字博士という漢字ゲームと、アルゴという頭のよくなるゲームだ。最後のはひらめきと論理、ルールは簡単だが奥が深いというからこういうのはまだとっつきやすそうだ。 いわゆるゲーム機で遊ぶのはうちの家は反対だったが、その代替案としてこういうボードゲームには賛成。ただ、単純なものでないだけに親も理解するのに一苦労しそう。でも、この苦労にこそ久しぶりに使っていない頭を使うという意味では良い効果があるはず。一気に頭を使うゲームばかりが5種類もできてどれが一番はまるかが今後の楽しみ。 当の本人は一番頭を使わないベイブレード遊びにずっとはまっている。もう3時間以上も同じことをくり返しているが飽きる気配がない。親の思惑と違って頭を使わない遊びの方がまだまだ楽しい年代なのだろうか? とにかく心から嬉しそうな顔がたくさん見れた今日という日に乾杯!お誕生日おめでとう~
November 23, 2009
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★達成感 やっと文化祭が先週の土曜日に終わった。懸念された新型インフルエンザによる影響もなく晴天のもと気持ちよく始まりそして終わった。この日のために文化祭委員である私達は忙しく働いた。無事に終わって本当にほっとした。終わった日はずっと立ち仕事だったので、足腰にズドーンと疲れが来てじんじんとだるく立てないぐらいになった。 思い起こせば、文化祭委員に先生に指名された時は、心の準備なく突然だったこともあり内心いやいやな気持ちだった。でも、委員の仕事を通して知り合った学年の違うママ達との出会いに心から委員を引き受けて良かったと思える。 私はサッカーでも同じみのミサンガ作りの担当になったのだが、一緒に担当を組んだママとは打ち合わせをしながらも、仕事以外に同じ男の子を持つ親同士、悩みを話したり聞いたりでとても楽しい時間を持てた。 本番を間近に迎えると毎日学校へ行って準備することもあり、正直かなり体力的にきつかったが、担当同士協力して乗り越えることができて、終わった直後には二人で手をとりあいやるべきことをやり終えた達成感に浸った。しんどいからこそ、やり終えた時に感じる心地よい疲れがあるものだとつくづく感じた。こういう達成感は学生の時以来、久々の感覚だ。 ただ、委員にあたっていると、文化祭そのものは楽しめない。ずっと担当の教室にこもって通しで教えるわけだから、ほかのブースを回れるわけでもなければ、光太がどんなことをしているのかは見れなくて残念だった。 でも、パパにそのあたりのことはお願いしてビデオを撮り、写真も撮っておいてもらったので大まかなことは想像できた。光太は木工教室で壁掛け(コースターにもなる)を作ったり、昔遊びのコーナーでこま回しを教えてもらったり、体力測定をしたり、音楽の合奏に参加したりしていた。 中でも一番印象に残ったのが、音楽の合奏だった。この日のために練習を積み上げてきての発表会という形式ではなくて、当日まで何の楽器を使うのかは知らされていなくて、当日参加して決め(光太は太鼓)先生に教えてもらいながら一つの曲をみんなで合奏できるように作り上げていくというもの。 最初はどうなることやらという感じの状態でも、だんだん子供たちの真剣な練習によりうまく一つのものが仕上がっていく様が手にとるようにわかりなかなかよかった。最後には立派な合奏になっていて、それこそ一つのものを仕上げていく達成感を味わえたことだろう。 子供も大人もこの達成感があると気持ちがいいものだ。それにはある目標があって、それに向けて練習をする。その過程が長ければ長いほどやり終えたときの達成感も大きいものになるのだろう。光太の合奏は短い時間で仕上げるものであったが、最後まで仕上がった時の「やった!」というすがすがしい顔が印象的だった。 このことを思えば、日々子供というのは成長していて、そのたびに小さい達成感や大きな達成感を感じながら大きくなっているのだろう。見守る大人達がそういう子供の気持ちをすくいとってあげて評価してあげるときっと気持ちよく伸びていくことだろう。 先日、光太は以前ここにも書いたが、夏休みに頑張った読書感想文のコンクールで学年代表に選ばれ、みんなの前で表彰されたらしい。賞状をもらってきて、みんなの前で表彰されるのはうれしかったけど、またすごく緊張したようなことを言っていた。良い経験をさせてもらったと思う。 夏休みに読書感想文を書くのは1年生になって初めての経験で、帰省していた時なので私の実家にいたときのことだ。本は読んでいたので、「さぁ、これを読んでの感想を書いてみようか。」と言ってみたところでなかなか筆が進まない。初めてのことだから何をどう書いていいのかわからなかったのだろう。私も光太を導いていくのが難しかったが、ちょっとしたことがヒントになって、書き始めるとすらすらと筆が進んだ。それからは、また止まってはまた励まして進んでと本当に最後まで書き終わるには苦労した。それを清書するのにも夏の暑い日に1時間半はかかった。手に汗を書きながら、原稿用紙も汗でふにゃふにゃになっていた。 でも、一年生ながらも光太は漢字が大好きで難しい漢字でも自ら調べて書こうとする。その頑張りの甲斐があって今回の表彰だったので、さぞかし達成感があったことだろう。「あれだけ最初はいやだと言って泣いていたけど、こうやって賞状ももらうと気持ちがいいいんじゃない?」と聞くと「ほんとそうだね。来年もがんばる!」と目を輝かしていた。 どんなことでも達成感を味わおうと思えば苦労なしには得られないもの。がんばった結果こうやっていい気持ちが味わえればまた次に頑張る気持にもつながる。また残念ながらいい結果がつながらなくても、頑張ったその過程を評価してあげればまた次につながっていくことと思う。 いつだったか、私が学生の時に知った言葉でとても記憶に残った言葉がある。《理想は高く、目標は小刻みに。》自分の理想は高くていいが、ひとっとびには飛べない。一歩一歩確実に進んでいくことが大事。毎日コツコツ努力していればいつか高い理想に近づいてきていることだろう。そして、小刻みに設定した目標を達成するたびに小さな達成感を味わいながら進んでいければいいなと思う。
November 14, 2009
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★甘えさせることって(続き)昨日に引き続き「甘えさせることって」続き 他にも色々と開眼することもあり、今まで光太にしてきた自分の過ちを反省し、その日は光太が帰ってくるのが楽しみでならなかった。いつもなら「○○しなさい」といってもなかなか言うことのきかなかった光太もこの日は帰ってきて私が「ママは今日こんないい本を読んだの。気持ちを変えるから今までごめんね。」ときっと光太には何のことやらわからないであろうことなのだがどうしても伝えたくて伝えたら光太は「いいよ。」とニコニコ笑って私を受け入れてくれた。 それで、その日はまずは光太が「じゃ、ママ!遊ぼう!!」と言ってきたので、いつもなら「まずは宿題してでしょ!」と言うのだけどアドバイス通り「いいよ^^」と笑って受けこたえると喜々として野球盤を持ってきて二人で遊んだ。その次には久しぶりにカードでウノをしてまだまだ遊びたがっていたけれど、18時近くなったのでそろそろお腹も空いてきて「じゃあ、あと15分でママも夕食しあげるから光ちゃんも宿題しあげよ。」と言うとあっさりとしはじめた。きっと遊んでもらった満足感で満たされているのだろう。なんだかその後の二人の関係も和やかだった。 夕食後もいつもならだらだらしていてまだ出来てないことを指摘して、それでもすぐ動かない光太にイライラしていたのだが、光太が「じゃぁママ、これが終わったらまたママとたけとんぼ飛ばして遊ぼう!」と言うのでまた「いいよ。」と言うとニッコニコして「急いで時間割もあわさないと遊ぶ時間がなくなっちゃう!」と言ってあわて始めた。それからは二人で楽しくたけとんぼを布団の上でとばしあって笑い転げたりした。その後本を読んでやって布団の中でずっとお話をしたりして気がつけばたっぷり時間がたっていたからか光太はやっと眠りに落ちた。 とても私にとっても満たされた時間だった。いつもは早く寝かせようと思うのだけど、なんとなくそうやって思っていた自分は何だったのだろう?と思うぐらいに光太がいてくれることに幸せを感じた半日だった。 結局、私が変わらなければ子供は変わらないのだ。駄々っ子で隣のうるさいおばあちゃんからあれこれ小言を言われて肩身の狭い思いをしながら暮らしていた時代のことも懐かしく思い出された。もしかしたら、もっと今のような広~い気持ちで光太に接していればよかったのかもしれない。でも、あの時はあれで精一杯だったのだ。それにいやだいやだの反抗期全盛期で私はほとほと疲れ果てていた。聞き分けのいい今だからこそ、光太の心にも私の言葉がすんなり入り、私も少し余裕の心が出来たからこそできたのだろう。 やってみたらこの気持ち良さを味わうためならもういつだって「はい、いいよ!」と言って子供を受け入れてやればいいのかもと単純に思う。今までもしかしたら不要な我慢を強いてきたこともあるように思う。私もパパも小さい時は我儘に育てられた記憶がないからこそそんなことしていいのだろうか?とか、はたしてそういうことをして悪い方向に行きやしないかと不安でもあった。しかもなかなか自分が育てられてきたやり方を変えていくことは難しいものだ。自分の叱り方なり、思考パターンは長年培ってきたものなのだ。でも、自分のされてきた子育てを振り返りいいところはいいで見習い、悪いところは悪いと改めていかなければ、負の循環は光太の子育てでも繰り返されてしまうのだと思う。 子供を良くするも悪くするも親次第。ほとんどの親が子供を上手に褒められないがために屈折して子供は生きてしまっているように思う。本当はどの親だって子供がかわいいのに。その子のためと思って善意でやっていることがかえってその子をダメにしてしまっていることがいかに多いことか。 母がよく私に「あんたのようなぼーーっとした子はお母さんがビシっと言わなければどんな子になっていたことか。」と言う。それは誰もわからない。母だってその時その時、必死で私のことを思って子育てにあたってきてくれたのだろう。でも人としての道をはずさず、こうやって今生きてこられたことに感謝しながらも、母のように絶対支配的に子育てするのは私の子育ての中ではあり得ないのだと感じた。母のやり方では光太はうまく育たないのだ。これが女の子の育て方と男の子の育て方がまた違うと言われる所以なのかもしれない。 いや、女の子、男の子関係なしに、親というもの、子育てする上での信念はぶれてはいけないと思うが、本当にその子のことを思っての子育てかどうかは常に省みたほうがいいと思う。親はともすれば、自分のコンプレックスを子供に反映したりしがち。子供のためと言いながら自分のためであることだってある。事実、そういう親を私もたくさん見てきている。そういう親の元でただ言われるがままに育てられている子はかわいそうだと思う。 子供が生き生きと自分の力で考え工夫しどんな困難にもめげずに生きていける力をつけてやることこそ親の役目。温かく見守っておいてやればあとは勝手に子供は育つのだ。きっと細かいことを言う親ほど子供をダメにしてしまうのだろう。 言わなくても子は育つ。信頼してあげること。そういえば、父はいつも私のことを信じているからね。と言ってくれていた。そして家庭が大事と言っていた。自分が子育てをして初めて子育ての難しさにも直面してきたが父の教えが時々ふとした折に「あっ!お父さんが言ってたなぁ。」とか「お父さんはやってくれたなぁ。」と感謝する。前も書いたがあの頃は父も週休2日ではなかったのに、その貴重なお休みの1日を使って、週に1度は学校の校庭で遊んでくれた。畑にくっついていって土いじりしたり、虫をとったりして遊んだ記憶は今でも忘れない楽しい思い出だ。お店に行っては毎週好きな本を一冊買ってもらった。あの頃のなんともいえない幸せな記憶が今私が光太を育てる時の原点になる。 母は出来のいい姉の教育に必死だった記憶があり、私はいいように放任主義的に泳がしてもらったからかあまりきつく勉強のことを言われた記憶はない。が、いつも秀才の姉と比べられるのがいやでもあった。そしていつかは見返してやると思っていた。でも、結局姉のことも大好きなので見返すといっても憎んでいたわけではなくて、いい意味ですごく影響を受けて大学は同じところに受かり同じ学部に進んだのだから、姉の影響は大きい。 親になってしまえば、姉も妹もない。同じ子供を育てる親だ。まぁ少し人生の先輩ではあるのだけれど。母にはなんでも手作りの温かみを受けて育ったなと思う。一緒に遊んでもらった記憶はないのだけど(小さい頃は遊んだよなどと言われるが写真もないし全然記憶はない)洋服や食べ物はいつも母の手作りで誕生日会などは母が作ってくれたケーキでみんな友達で祝ったことを覚えている。 私が家の中でこちょこちょとパンやケーキや手作りが好きなのは明らかに母の影響だ。私が大人になってから会社を辞めてパンやケーキの世界に入りたいと言って断固反対したのも母だし、つきあう人のことを断固反対したのも母だった。だからこそ色々と確執もあって私自身母に反抗した時代もあった。でも、母は私のことを思ってやってくれたのだろう。今だからこそ思えるけど、その時は涙したことも多い。でも、逆にいえば、母は子離れしていなくて私のことを大事に思うがゆえに何をしでかすかわからない娘のことが心配で、自分の目の見える範囲で監視しておきたかったのかもしれない。つまり私を信じていなかったとも言える。つまり過保護過ぎたのだ。女の子だから仕方ないが、私をもっと信頼してやってごらんと任せてくれたらもしかしたら生来の無鉄砲な性格なので、やってみて失敗しては泣いたかもしれないが、またそこから這い上がる強さも持っていると思うので何かを経験したことだと思う。 母のせいにするのもいけない。たぶん自分自身でも両親を泣かせてまで自分勝手にやる勇気もなければその世界で成功する自信もなかった。ただ熱意だけはあった。そこは若さゆえにとびこめばよかったのかもしれない。本当に自分がやりたいと思うものを見つけた時には親も後押しして、見守ってくれてもよかったのでは思うと同時に、あの時の自分に大丈夫だからやってごらんと言ってあげたい。今、この年になってできる環境が整っても熱意があの頃ほどない。あまり成功するかどうかなど頭でっかちになって先のことばかり心配していると動けない。事を起こすには熱意と勇気とタイミングが必要だと思う。 不幸なことには、やりたいと思ったことを親の反対でさせてもらえない葛藤の時代が長すぎたということだ。とりあえず、やらせてみたら子も納得がいく。そしてまた次のステップに進めるのだ。 光太は男だから余計に私の元から離れるのも早いと思う。その時の心の準備はしておかねばならないだろう。つまり自分を持っておくということだ。そして、子供をいつ何時も信じて育てるいうことだ。親の意見を押しつけるのではなくて常に子供の意見も聞いて納得いくまで話あうということだ。 毎日笑顔で子育てできるママを目指したい。それは理想かもしれないが、出来ないことはないはず。だって一番それが私にとっても楽で光太にとっても楽なのだ。相手を自分の思い通りに動かそうとしないこと。子供といってもしっかり相手を尊重してやること。まだまだそうはいっても経験の浅い子供のこと。色々と泣いたり喚いたりあるだろう。私も開眼したとかいいながらまたいつものようにガミガミと叱ることもあるだろう。でも、それはどうやらいけないことらしいと心の片隅にでも常に意識しておくことでずいぶん変わるように思う。 子供は親を育てるために生まれてきてくれたんだと思う。未熟な親は子供によってだんだん本当にあるべき親になっていくのだと思う。きっとそれが心底わかってできるようになるのは光太が自分の子供を持つ頃なのかもしれない。なかなか親自身変わることって難しい。親だって完璧じゃない。それどころかかなり感情的な動物だし、色々なことが人生生きてるとある。でも子供を産んで育てていることで今まで気付かなかったことがいっぱい気づけた。それは大人同士のつきあいでは気づき得ないものだ。人生半分ぐらい生きてくると、色々とわかってくるものだ。
November 2, 2009
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★甘えさせることって 先日久し振りに子育ての本を一気に読んだ。パパが仕事の関係で数冊会社から持ってきてくれた中にあった「子どもってどこまで甘えさせればいいの?」という本だ。 子育ての本は、以前は光太のことで悩むことも多かったからか(特に2歳頃)寝入った後にはよく読んで勉強になることも多かった。今でも子育てのメルマガなどは定期的に配信されていて読んではいる。本を読むことは好きなので同じようなタイトルになるけれど、魅かれるものは購入して気がつけば二階の本棚には数十冊の子育て本が並んでいる。 気にいった本は夫婦で共通理解として認識しておいてもらおうと思ってパパにも読んでと手渡すこともあった。忙しいパパなので私が特に感銘を受けたところは赤線で印したり、光太が寝静まった夜の二人の時間に私がかいつまんで話ししたりと子育ての話はつきない。 読んだ直後はパパも生まれ変わったように優しくなり、私も声色が変わりしばらくは家庭に嵐が巻き起らない平和な時代が来る。それが1週間もしてくるとだんだんところどころ我慢してきたのが限界になり、『甘い顔をしてたらいい加減にしなさーい!』ということになり、気づけばいつものガミガミくどくど、ぶちぶちと叱り飛ばしている私とパパがいる。反省。 だから子育て本というのは役に立つような立たないようなところがあって、結局のところ子供は何も変わっていない。子供を育てる親側の問題だとつくづく思い、ある程度読んだしもういいやと思っていた。しばらくは効く薬のようなもので、それをずっと継続し続けなければ意味がない。しかも、年中の途中ぐらいから光太も落ち着いてきてあまり私もイライラしなくなっていた。 とはいっても、基本的にうちの家はパパもママもうるさい系だと思う。周りの家庭の子供達を見て、特に穏やかだなぁと思う子を見ると『どうしたらあのようになるのか・・』『やはり育て方が悪いのか・・』などとパパと反省はしてみてもなかなか自分自身を変えられない毎日であった。まぁいきつくところ子供の気質がどうやら原因らしいという親のせいでもない子供の持って生まれたものが原因ということで折り合いがつく。これは一番親にとっても子供にとっても害がない。だって気質なのだから変えようがない。親の育て方じゃないと思うことでこちらもほっとする。で、結局親から見て子供の気になるところというのは変わることはない。目をつぶらない限り永遠にバトルは続く。 それが今回ばかりはけっこう目から鱗といった感じがした。甘やかしと甘えさせるの違いを説いた本で、この手の本は以前も読んで『ふーん、言葉は似ているけど似て非なるものなのね』と思っていた。ただ、それが自分の生活には活かされてこなかった。今回読んだ後はなぜかすごく腑に落ちてストンと自分の中で、こうすればもっと子育ても楽になるんのでは?というヒントがいっぱいあった。 思えば、私達親も自分の親から受けた子育てを知らず知らずのうちに繰り返しているのだと思う。うちのパパも自分の母親には褒められたことがないと言い、私も記憶の中で、母から褒められて育ったという記憶はない。昔は今と違って褒めて育てる時代ではなくてどちらかというと、発破をかけるつもりでか出来ないところを指摘したり、くさしたりして何くそという反骨精神で強くならそうとしていた時代なのかもしれない。 ただ、私の父はあまり私に対して怒ることもなく、それは今となっては母から「そうよお父さんはいい役でいいわね。」などと言う母の冗談ぽい愚痴?を聞くと家庭の中には鬼役(お母さんごめん!)は一人いるだけでいいのであって、二人とも鬼だと心休まる暇がなく、きっともし二人が鬼の家庭だと子供はパンクしてしまうことだろう。時々、子供が親に刃を向けたりして世間をあっと驚かせるが、それは親が見ているようで子供を見ていなかっただけなのだと思う。 私が読んだ本の中で衝撃的だったのは、我慢させる心を身につけさせたかったら我慢ばかりさせているとダメ。愛され甘えさせられて安心している子ほど「我慢強い」というよりほとんどの場合で「我慢しないでもやり過ごすことが出来る」というくだり。我慢させすぎると我慢できない子供を育ててしまうことになるらしい。これには目から鱗だった。 私達夫婦は光太が特に一人っ子で我儘に育ちやすい環境にいるがゆえに、ともすれば何でも買い与えてやってわがままに育ってはいけないと思い、よその家庭では許しているようなことでもけっこう厳しめに我慢させすぎたように思う。 もう一つ、衝撃だったのは子供の要求には「はい、いいよ」と応じるのが一番というアドバイス。『えーーそんなことばかりしてたらわがままし放題になるんじゃー』と思って構えすぎてきたように思う。それがこの一言を聞いてこうやってすんなり甘えさせる子育てこそが一番親子ともども楽で幸せになる道なのかもと思えるようになった。ちょっと字数がオーバーしてしまったのでこの続きは明日のせます。
November 1, 2009
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★日光へ紅葉狩りへ この週末は渋滞覚悟で紅葉狩りに私と光太にとっては初めてとなる日光へドライブした。パパは日光へは大学時代にバイクに乗せてもらって行ったことがあるらしい。私は一度紅葉狩りの名所である日光へは行ってみたいと思っていたが、毎年すごい渋滞しているのを見ては尻込みしていたのだが、なんとなく行ってみたくなりパパに話を持ちかけて即決。偶然、光太の通う小学校の6年生も修学旅行で私達に先行して出かけているところだった。光太も5年後には行くことになるはず。 朝は5時半起きで6時半前には出発した。いつもはうだうだして起きない光太も起こすとすぐ飛び起きた。よほど楽しみにしていたのだろう。出発して間もなく高速道路に出ればラジオで日光方面が既に渋滞していることを聞く。この先まだまだ長いのにもう渋滞しているなんて・・・と悪い予感。7時になるとこれまた普段は朝の食欲なんてさほどないのに光太が「7時になりました!おなかすいた!!」と後ろの席から訴えるのでお弁当を作ってきたのでそれを食べることにした。渋滞しているためのろのろ運転なので朝食をとりやすい。私は朝食後すぐ気分が悪くなる。 どうも私は車酔いしやすいので困る。この気分悪さがいつも出かける気分をそいでしまう要因でもある。やっぱり車の中での飲食は私にとってはご法度だ。しかも高速1000円の影響であっちこっちで事故渋滞にはまり今回は大変なドライブだった。朝早く起きているために途中から頭も痛くなり、前日は文化祭委員の定例会でほぼ1日費やしていた為疲れも出たのかのどの痛みもあった。なんとなく体調もすぐれないままでの出発だったのが禍して渋滞が早く抜けてくれないかと祈るのみ。気分の悪さを忘れるためには寝るしかない。目を閉じているうちにうつらうつらと眠ってしまった。 気づくと栃木に入っていた。だが東北道はまだまだ続いた。いよいよ紅葉で有名ないろは坂にさしかかると車の多さに驚いた。本当にすごい車。ずっとのろのろ。まだ動いていたうちはいいが、少し先に展望台で有名な明智平レストハウスがあるところまでくるとついに車がとまってしまって動かない。光太と私は車から降りて歩いていくことにした。歩いたらすぐつくのに、その一歩のために残ったパパがついたのは12時半すぎ。栃木まで着たらどこか美味しいところで食べようと下調べもしていたけれど、もうあれこれ言ってられない時間になって仕方なくそのレストハウスで食事をとることにした。やはり美味しくはなかった。まぁお腹が空いているのでとやかく言ってられない。 家から出て6時間以上たってようやくたどリ着いた明智平からの眺めは見事だった。頑張ってきた甲斐があるというもの。赤や黄茶や緑、オレンジなど色とりどりの紅葉で彩られた山がいい感じだった。 レストハウスからロープウエイに乗れば、あの有名な華厳の滝が一望できる展望台につく。光太もロープウエイに乗りたがったので少し並んですし詰め状態のロープウエイに乗る。紅葉の中で真っ白な滝の水が二筋見えた。華厳の滝と白雲の滝。華厳の滝の奥には中禅寺湖も見えた。天気が曇っていたためにすがすがしい青空ではなかったのが残念だったが見事な景色に渋滞の疲れも吹き飛んだ。気温も12度でたくさん着こんできたが、やはり肌寒い。手袋までは要らないだろうと思っていたが持ってきたらよかったと後悔した。 ここからの景色をパパがパチパチ撮っていると(ママもいつもデジカメ・パパはいつも一眼レフのデジカメを持ち歩いている)光太もお下がりの携帯電話のカメラは使っていたが、今回はパパのカメラの望遠をのぞいていて写したいと言う。そのうち、頼めばパパとママのツーショットも撮ってくれた。光太が一眼レフで二人を撮ってくれたのは初めてだった。手ぶれしているのもあったが、構図はばっちり上手にとれていた。光太もこういうことが出来るようになったのかとパパと感心。ただ、パパは高価なカメラを誤って落としてつぶされやしないかと内心ひやひやしていたことだろう。でも、二人で写し方がうまいねと褒めるととても嬉しそうな笑顔でもっと撮りたいと意欲満々だった。 さて、展望台から降りると今度は車を中禅寺湖の方へ進めた。駐車場にとめて、そこから歩いて20分というイタリア大使館の方へ向かった。そこからの景色がまた絶景らしい。光太と私は学校の秋探し(今、秋らしいものをたくさん見つけて学校の教室を飾っているらしい)と称して、たくさんの葉っぱを拾いながら歩いたので20分どころかその倍ぐらい時間がかかった。自宅の近くの公園なら種類がここまでないが、黄色や赤、茶色など大きさも色々で形も色々な葉っぱをスーパーの袋一杯に拾うことが出来た。途中燃えるような真っ赤なもみじの木があってその色が特に印象に残った。作った色ではなくて自然の色というのはなんて美しいのだろうか。しばしその色に見とれた。 中禅寺湖畔のイタリア大使館からの眺めは本当に美しかった。光太は湖に石を投げ込んだりして遊んでいたが、その投げ込む石の音がやめば本当に周りは人も少なく静寂そのものだった。数枚家族の写真を収めて景色を目の中に見おさめると、時刻は4時前だったが、あたりは薄暗くなってきて寒くなってきたので、長居はせず帰途に急いだ。 帰りは宇都宮経由でぎょうざやチャーハン杏仁豆腐などを食べて帰った。本当は栃木で有名なチーズケーキも買おうかと思っていたり、口コミでも複数書き込みのあったパン屋にも寄ろうかと思っていたのだが、どこに行くにもとにかく車が混んでいて身動きがとれなかった。日光といえば、日光東照宮にもいきたかったが、とてもじゃないけど一日でこの紅葉シーズンには回れない。回ろうと思えば泊まりがけにするしかない。本当はパパは足湯にも立ち寄ろうと思っていたのだが、渋滞でどうすることもできなかった。しかも帰りは道を間違えてしまい、やっとのことで帰宅できたのは23時近く。本当にパパは一日運転で疲れきってしまっていた。私達乗っているだけで眠りほうけている側でもこれだけ疲れたのだからパパは疲労困憊だったはずだ。それがその日風呂に入って片付けて寝たのは12時半なのに、翌朝6時半にはもう起きているのだからいつものことながらすごいと思う。 日光の紅葉の景色は想像以上に素晴らしかったが、もう一度あの渋滞にはまりたいかと思えば否。やはりトップシーズンに行くには恐ろしい場所だ。かといって、日光へ行くからにはせっかくなら紅葉のシーズンに行きたいし・・・やはり平日に行くに限るのだ。ただ、光太も幼稚園生ではないので平日学校を休むわけには行かない。今までなら元気休みと言って家族の旅行も混まない平日に楽しめたが小学校になってしまったらそれができなくなったのが致命的だ。週末出かける限り、この渋滞地獄は避けられないのだな。とにもかくにも疲れた。でも紅葉は素晴らしかった。パパ運転お疲れ様。連れてきてくれてありがとう~~
October 25, 2009
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★お祭り男&スポーツ三昧 「祭りだ、祭りだ、わっしょいわっしょい」こんなに光太が祭り大好き男だとは。先週末の連休初日と中日は地域の祭りのおみこし担ぎで明け暮れた。 当日誰でもおみこしが通るところに来ればおみこしが担げると書いてあったので、近くの公園に来る時間を待っていたら予定より30分も早くに声が聞こえてきた。光太はすぐ飛び出していって、私も家着のまま、しかもつっかけで飛びだしたら大失敗。結局夕方遅くまで練り歩き最後は夜店や出し物も見ていくことになり、2時に家を出て帰ってきたのは夜の7時過ぎだった。パパなんて半そでのまま出かけたから寒そうで、帰りはみんなで肩をよせあって帰った。 おみこし担ぎも出だしは光太の気持ちは超ブルーで始まった。公園に行くと、青いはっぴを着ている子供達がいっぱいいて、光太はそれを着たかったのにとふくれっ面していた。 パパが係の人に聞いてくれたところ、はっぴを着ようと思うと前もって担当者に言っておくか、当日でもみこしが出る最初の場所にいっておかねばならないようだ。残念だなぁと思っていたら、ふと、私と一緒に文化祭委員をしているママがそこにいて祭りのお手伝いをしているということが幸いした。光太に特別にはっぴを貸してくれた。文化祭委員をやってて得したことはこれが初めて?だ。 ベソをかいていた光太に、慌ててはっぴを着せてねじり鉢巻きを頭にしてやればすっかりお祭り気分で、気分も晴れたようでよかった。何も親が言わなくても、気がつけばサササ~っとみこしの一番前のいい場所をちゃっかり陣取っていた。普段はやることなすことのんびりしているのに、「いざとなったら、やるんだね~」とパパと感心。その時以来、ずっとわっしょいわっしょいと元気に大声を出しながら常に前の位置をキープし続けていた。みんなもやりたいので、時々は後方と代わっていたけれど、いつのまにか前にいて、みこしを担ぎ続けていた。 それが2日目のみこし担ぎも最終になってきた頃ちょっとしたハプニングがあった。ずっと最前列をキープしていた光太も時々みこしの上下に振る振れ方が大きくそれがしんどいのかつらそうな顔をしてうつむく事が多くなってきていた。「疲れたのなら代わりなさいよ。」と時々声をかけていたが、首をふって俄然がんばっていた。それがふとした瞬間にもう一度顔を見ると涙目になって口から血を出している。びっくりしてすぐ駆け寄り周りに「ちょっとすみませんーー!!」と動きをとめてもらっておみこしから離すとポロポロと涙をこぼし大泣きし始めた。よく見ると唇から血が出ていた。 ちょうど光太がみこしから離れる少し前頃からみこしを上に下に振る振り方が激しくなっていて、それまでは最前列の右手にいたのがいつのまにか真ん中にいた。そこは頭からすっぽり入ると自分の力では出られないから危ないなと思っていた矢先だった。案の定、おみこしが上下した拍子に光太の顔にあたって歯で自分の唇を切ってしまったようだ。そんな痛い思いをしているのに出るに出れずほんのちょっとの間でも、がんばって自分一人で痛みに耐えていたのかと思うとかわいそうなことをしたと思った。こんな近いところで両親ともいたにも関わらず、こんなちょっとした事故を避けることはできなかった。 ちょっとしたケガですんだからよかったものの、集団の力でとなると場所によっては大けがするのだから、小さいうちは親がよほど注意してやらねばならないと思った。来年からはあの場所は危険だから入らないようにと後で言っておいたが、本当に楽しいはずのお祭りもこのハプニングですっかり気分は落ち込んでしまった・・・ 以前、関西の岸和田のだんじり祭りだったか確か死者が出た記憶がある。あそこまで激しいお祭りでないにしろ、祭りというのは気分も盛り上がり普段とは違うエネルギーに満ち溢れているからプラスのエネルギーで動いている時はいいが、一歩間違えれば大きな事故を引き起こすようなマイナス面もないではない。特に楽しい気分で気も緩みがちな雰囲気であるがゆえに、これからもこういうところでは事故に気をつけなければと肝に銘じた。 連休最後は、昭和記念公園まで出かけた。私が大好きなコスモスを見に行く予定だったけれど、当初の目的とは大きくかけ離れた1日となった。この日は体育の日でもあり、スポーツフェスティバルと称して、ちょっと変わったスポーツを案内していた。6種目のうち3種目以上参加すれば参加賞ももらえるというもので、どれも初めて聞くようなスポーツばかりであった。私達はもちろん全種目制覇。係の人に驚かれたぐらいだ。 やってみたのはローンボウルス、クロッケー、ホースシューズ、ペタンク、ディスクゴルフ、ターゲットゴルフの6種目。パパが一番楽しかったというのがローンボウルス。光太はディスクゴルフ、私はクロッケーと見事に分かれたが、どれもやってみて楽しめた。中高年向きでそんなに激しく動くものではないので私にはちょうど心地よかった。光太もどれも初めてにしては上手にこなしていた。(ローンボウルスの指導中) とってもいい天気の中、家族3人で色々なスポーツにも触れて、お弁当も美味しく食べられて最後は当初の目的だったコスモス鑑賞。随分歩いたがやっと小高い丘一面にコスモスが咲いている様は圧巻だった。遠くにピンクの絨毯が見えてくるとまだかまだかと思って歩き疲れていた気持ちも一気に吹き飛んだ。 近づくと、数日前に来た大型の台風の影響で花はずいぶん痛んでいたけれど、それでも係の人が手作業で倒れたコスモスを一つ一つ起こしてくれたようで、見ごたえのある景色となってみんなの目を楽しませてくれた。今日1日の疲れもこの景色で癒された。コスモスのはかなげな姿、ちょっとした風にも枝を左右に揺れながらもしっかりと咲いているかわいい花の姿が昔から大好き。よく友人にもプレゼントにはコスモスの花を添えて手渡したものだ。 コスモスといえば父が家に遊びに来てくれた去年の6月、光太と一緒に庭にコスモスの種を植えてくれた。私が好きなのでリビングから一番見れる場所に穴を掘ってくれていたのにそれが一向に芽が出なくて、どうしてかなと思っていた。その9月に父が倒れた。 コスモスは何か父の異変を悟っていたのかもしれない。その父も今ではあの大病から1年以上がたち、なんとか元気で母と暮らしてくれている。心臓や、脳の定期検査やまだ完全に治らない床擦れのために病院ばかり通う日々ではあるようだが、それもだんだんよくなってくればまたいいこともあるだろうと思う。 生きていたらいいこともあるし、またいやなこともある。あまり遠出もできないだろうから、父にとっては楽しみも少ない日々かもしれないがそれでも生きていればまたいいこともあると思う。もうダメかと思われた時にも、諦めないでいてよかったと思う。でも、父の意志というよりは、神様の思し召し。人は自分の意思で生きているのではなくて生かされているのだと思う。何かを成し遂げる為に。父はまだこの世になさねばならないことが残っていたので生かされたのだろうか。 なんだか最後は人生論になってしまったが、生かされているうちはしっかり生ききらなければ。そして、しっかり人生を楽しまなければ。それにはいっぱい色々なところへ行くこともいいし、色々な人と話をすることもいい。家族であっちこっちへ出かけられる日々も人生の中では後から思えば短いものだ。これからももっともっと家族で色々な場所へ行ってたくさんの感動を味わいたいな~~
October 17, 2009
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★ゲーム この頃避けられない問題に直面してきて私達親がとうとうと光太に説得したことがあった。それはゲームについてだ。どうやら光太の友達がみんなゲームを持っているらしい。「ぼくだけ買ってもらえない。僕だけ仲間外れにされる。」とちょっとふてくされて言ってたのが気になった。 うちの家の方針としてゲームは買わないよと言っている。それは両親ともにゲームに興味がないこと。そして、何よりそれが成長期の子供にとっていいものだとは思えないからだ。もし両親で方針が違えばどちらかの影響力で変わってきたかもしれないが、私もパパもゲームで遊ぶことに興味がないし、それを良しと思わないことで一致しているのでたぶんどれだけ光太が訴えても買うことはないと思う。 「ゲームを持っていないと仲間はずれにされる。」たぶんこの言葉を聞くと親も殺し文句でくらっと来るのだと思う。事実持っていない事で遊べないとなるとかわいそうではある。もっと子供は外で体を動かして遊ぶべきと思っても遊ぶ相手がいないと遊ぶこともできない。それももっとも。光太はサッカーが好きなので、いつも遊ぶ友達と学校の宿題が終わるとすぐ公園に行き「サッカーしようよ!」と誘っても、ゲームにみんな夢中になって「あとで。」ということになってみんな公園にきてもベンチに座ってゲームしていてつまらないという。 ならば、「一人でサッカーの練習すればいいじゃん!」というけど「そんなのつまらない!」内心そりゃそうだろう・・・とも思いながら代替案をあれこれ出してみた。他に公園に来ている子で、サッカーしている子と友達になって一緒にやればいいじゃない?などなど。 ここまでしてゲーム機を与えない理由には、両親に興味がないだけではなくて、ゲーム機の弊害が気になるからだ。それぞれの家庭には家庭の色々な考えがある。うちの家庭ではゲーム機を今この時期に与えることで視力は低下するし、もっと体を動かして遊んで体を鍛えるべき時期にそういう機会を失ってしまうのはもったいないと思うことと、やり始めるとまるで麻薬と一緒でゲーム中毒になることが困ることだ。時間制限したり、ルールを守って遊べばいいと言うが、そんな聞きわけのいい子供ではない。 結局ゲームをしてもらっていると都合がいいのは親の足元を見られていると思う。公園で遊んでいるとケガするかもしれないしどこへ行ってしまうかもしれなくて危険だけどそれを買い与えているととりあえずみんな仲間同士がピコピコやっていて安全だ。でも、私はどこへ行っても会話もそこそこに画面ばかりみてゲームをやっている姿がどうも好きになれない。サッカー観戦に来てもお父さんと会話するでもなく、ずっと待ち時間をゲームとにらめっこして過ごしている男の子がいた。また、みんながそれぞれのゲームを手にもち床にべったり座りこんでずっと黙ってやっている低学年の子供達。メガネをかけている子も多い。 今の時代、DSを持っていないと仲間に入れなく会話もできないかもしれない。でも、あえてそれを与えないという選択肢でもって子供が得るものもあると信じている。要は親の一貫した姿勢が大事だと思う。光太にゲームをやることの弊害をとうとうと説明すると「ぼく、ゲームはいらない!」と自分で強がってか言っていた。今の時期、考えが古いと思われようとゲームをやってる時間があるならもっと有意義に時間を過ごせることがあるだろうと思う。ま、親も相当頑固なのでこの意見を変えるつもりはない。 親がダメだと思うものはどんなにねだられようとも一貫して与えない。ただし、休日の日、家族と過ごせる時はもっと体をいっぱい動かして一緒に遊ぶ。また、平日の過ごし方も今後一緒に考えていかなくてはいけない。サッカーがうまくなりたいのなら、一人でリフティングの練習でもできるではないか。親のエゴと思われようが、納得できないものを与えたくはない。 その代わりというわけではないが、本を読むこと、本を買うことは全く制限がない。 興味がある本はどんどん買い与える。本代もバカにならないが、本を読むことは想像力もつくし、自分の知らない世界をどんどん知ることができる。うちは図書館で借りて読むのはあまり好きではないので、(気に入ったのを何度もまた読みたいし、神経質かもしれないが、誰が読んだかわからない本はこのインフルがはやっている時期もそうでない時期もなんだか気になる)読んでみたいなと心に触れるものがあれば即買い。 この間光太が赤ちゃんの時から読んできた本リストを作ってみた。もちろん、もう赤ちゃんの本は読まないので家の倉庫に眠っているが、一冊一冊懐かしく手にとりながら、夜寝る前に何度も何度も読み聞かせてきた絵本の名を書きあげてみた。441冊になった。本に加え、こうやって日記をつけてきたのを印字しファイルしてきているものや、アルバムなどの量も膨大になるので、だんだん置場がなくなってきて困るのだが・・・光太に聞くと、けっこう記憶に残っているみたいで二人で懐かしいね、と話していた。親子の絵本を通じたコミュニケーションが光太と私との成長の歴史になっている。あの時はこんな本にはまっていたなぁとか本を見るとその時の光太の喜んでいた顔まで浮かんでくる。 本を読んであげるのは私も大好きなので、おかげで光太は字を読めるようになるのも早く、漢字を書くのも大好きで色々な難しい字をあれこれ書いてみては私を驚かしてくれる。本を読むことも暗いところで読んでいると目に悪いので注意するが、世界の偉人伝などは面白くもっと読んでほしがる。世界にはたくさんたくさん、色々なすごい人がいるんだなぁと私自身も知らなかったことを知って感心する。もっともっと本は読んであげたいし、外遊びももっとしたい。ゲームをやってる時間があればこういうことに時間を費やしたい。といってもこういう考えの人はほぼいないので、光太も友達が減るかもね・・ ただ、「ゲームをもってないから友達でないというのなら本当の友達ではないんだよ。」と言っている。本当の友達って困っている時に助けてあげたり、辛い時に話を聞いてくれたり、まだまだ光太たちにはわからない世界だろう。でも、苦楽を共にすることでわかちあえ、強い絆で結びつく。絶対ゲームを持っているだけで結びついている人間関係では作り得ないものだ。早くこんなことで悩まなくてもいい中学の部活などに入って汗を流してくれればなにより。今の時代、中学生になればさらにDSより上のゲームがあるらしいが。 その頃になればもっと自分の頭でしっかり判断してやるかやらないか考えもできていることだろう。 子供達よ、もっと外遊びで元気になれ!未来を担う子供達がゲームばかりのバーチャルな世界だけで大きくなっていくのはすごく残念な気がする。その恵まれた体を持って生を受けた以上は、(しかもいくら体を使っても寝れば元気になれるというらやましいエネルギーがみなぎっている時代は)ちまちまと手先だけ使って遊んでいてはもったいない。早くそのことに気づいてほしいな。もっともっと自分の体を動かして思いっきり走ってみる、体をのばしてみる、転んでみる、どろんこになって友達と遊ぶことの楽しさに気づいてほしいな。(卒園した幼稚園の森の中で遊び回る光太達)
October 6, 2009
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★海へ 夏休みが終わって来年こそは海へ行くぞ!と誓っていたらひょんなことから海で遊ぶことが実現した。ただし、海で遊ぼうとして行ったわけではないから光太はずぶぬれになっても、着替えが万全でない。パンツや靴下、靴までぬれてしまって本人もずいぶん気持ちの悪い思いをしたことだろう。それでも、またもう一度海で遊びたいというのだからやっぱり自然で遊ぶに勝る遊び場はないのだとつくづく感じた。 その日の目的は鴨川シーワールド。シルバーウイークは世の中の渋滞情報を聞きながら「みな様、ご苦労さまやなぁ・・・」と思い静かに過ごしていた。パパの予想では連休明けの週末はみんな疲れて出かけないだろうということで急遽水曜に計画し、土曜日に行くことになった。 ここから鴨川は遠い。朝9時に開くので5時過ぎに起きて6時に出発という計画になった。3時間はかかる計算だ。運転はパパに任せて、途中から私は眠ってしまって気づいたら着いていた。5時起きはパパはいつものことだから、全然平気だが、私は朝早いのが辛く、結局ずっと午前中は頭が痛くすっきりしないまま過ごす。前日に委員の仕事が重なっていて夜寝るのも遅かったことも災いした。しかも暑さが厳しかったので日差しのきつい中外を歩いていると、どんどん体力を消耗した。 鴨川シーワールドに着いたのが8時半前で、6時過ぎに出かけたので2時間と少しでついたことになる。特に行きは渋滞もなしに行けた。着いて起きたら駐車場からは海が見えた。それで少し元気になった。私は海を見るのが好き。なんだかあれこれ計画してくれたパパには悪いけど、海を見るとずっと海の波を見て過ごしたいような気がした。海はずっと見ていても飽きない。 シーワールドでは開園前に並んで、いくつかのイベントから二つまで選べることになっている。その順番の札をもらうとすぐ家から持ってきたサンドイッチで朝食をとることにした。これも昨晩疲れた体で用意したものだ。こういう一つ一つの作業がいざ出かけるとなると、負担に思うのも年のせい・・・でも、海を見ながら食べれるなんて最高!私は気持ちがうきうきした。光太も食べるよりは、すぐ海で遊びたいという感じ。大好きなサンドイッチも少し食べればすぐ波の方へと駆け出して行った。もちろん服のままで。着替えは光太に用意させていたので「まぁ、少し波打ち際で遊ぶぐらいならいいだろう。」と安易に考えていると、パンツから何からずぶぬれになって帰ってきた。 今思えば、靴下や靴を脱がせなかったのは反省・・・ずっとシーワールドで過ごす間、びちょびちょのまま歩いていてさぞかし気持ち悪かったことだろう。シーワールドが開園してからはパパの計画通り、忙しくあっちやこっちのショーを見た。ここが私との違いで、パパは何事も計画を立て計画通りにしかも、せっかく来たからには200%ほど消化したいタイプ。私は無計画に行き当たりばったりでその時に魅かれたものに時間を無制限に過ごしたいタイプ。もちろん消化率は30%ほど。後でこんなショーがやってたんだーと後悔することもあるが、それはそれで自分の好きなものも見れたことだしと納得し、だからといって次から綿密に計画を立てることもない。 今回はパパの計画で全部のショーを制覇したのだけど、私は4つのショーのうちシャチ以外は心を打たれなかった。アシカにしても、イルカにしてもどこでも水族館へ行けば見れる程度の技だし、そもそもこうやって動物に技を仕込んで芸をさせみんな人間達が拍手しているのも滑稽に思えた。人間の勝手で、こんな大自然の海のそばにいるのに、運悪く人間に捕獲され、ずっと芸をするために日々厳しい訓練を受け、大きな海原を泳ぐこともなく芸当するだけで人生(じゃなくて魚生)を終えるなんて悲しいなぁと思う。 もしかしたら、海原で家族で一緒に楽しく過ごしていたかもしれないのに、ある日人間に拉致されてずっとこんな狭い中で飼われるなんて哀れだ。家族と離れ離れになって毎日泣いているのかもしれない。でも、こうやって連れてこられたことで、普段は人間の目に触れることのない生態が見れたり、その素晴らしい能力を披露してくれることで、私達は感動することができる。こういうプラスの味方がパパの考えみたい。ただ、私は基本的にこういう人工的な遊び場は嫌い。いわゆるディズニーランドもその類。そんなところに足を運ぶぐらいなら、山や野原を歩いて自然に触れたほうがよっぽどいいのではないか?と思う。といっても、この時代ディズニーランドなど知らないで過ごすのもどうかと思うので、一度は経験させているが年間パスポートなどとって足しげく通いたいとまではとても思わない。 こういう否定的な見方をしているので、イルカのショーではすごい睡魔が襲ってきて、しばしうたたねしてしまった。唯一違ったのはシャチのショーだ。正直、4つのショーの最後で、「もうショーばかりいいや。どうせどれも似たり寄ったり、海見て過ごしたい。」と思っていたのだけど、こればかりは違った。感動した。人間とシャチが見事に共鳴しあっているように思えた。 ショーの後、光太は開園前に選んだイベントのシャチのキスを受けた。パパと一緒に行ったのだが、パパがキスを受けた感想は「ざらっとした舌が出てヒヤ~~!!」と思わず叫んでしまうような感じだったらしい。光太はどうだったのか聞いても恥ずかしがってかにやにや。写真を見ると、ほっぺたにキスを受けたのではなくて頭にあたっている。何やらコソコソ話をしているように見える。こういうことができるのはここにシャチがいるおかげ。動物と身近に触れ合えるのは、漁師さんでもない限り可能性は皆無に近い。 シャチのキスが終わったのが2時過ぎ。もう帰ろうかということになったが、光太はもう一度海の白いところ(波打ち際)で遊びたいという。よほど海で遊ぶのが気に入ったのだろう。私もさせたいのは山々だが、着替えがもうないし、帰りはお寿司を食べて帰ろうといってたのにずぶぬれになってはレストランも入れないと心配して、もうやめて帰ろうと説得。でも、光太は絶対折れなかった。泣いて泣いて「せっかくここまで来たのに~~」私達も根負けして気のすむまま遊ばせた。パンツをはかずに、ズボンをはいてシャツ一枚とはだしで。 こんなニコニコしている光太を見たのは久しぶりだった。最初に戻るが、やっぱり人工的なものより、自然に勝る遊び場はないのだと確信した。しょせん、水族館は人間が作ったもの。自然にはかなわない。寄せては引いて、寄せては引いて、延々と続く自然の営みの前では人間はただ波がそこにあるだけで楽しめる。ずっとずっと波と戯れていた。最初は少し遠慮しながら、そのうち一旦ずぶ濡れになると、だんだん大胆に動き始め、腹ばいになったり、さぁ来い!と言わんばかりに波に立ちはだかったり光太の動きを見ているだけでも飽きなかった。 私は光太を写真で撮ろうと望遠がないので近くに行って撮っているうちに大きな波に足をとられて一瞬でずぶ濡れになった。もちろんジーパンから靴、靴下までびっちょり。一旦ぬれてしまうとある程度覚悟が出来て裸足になって靴を乾かし、靴下も砂の上に置いて、しばらく砂浜の上でじっと光太を見ていた。熱い砂の上で裸足になるのも久しぶり。真夏だったら光太じゃないけど、水着になって海辺で波と遊びたいところだ。だけど、私には着替えがないのでじっと我慢。懐かしく海で遊んだ家族との思い出を思い出していた。時々、光太が私におみやげと言って、貝殻を持ってきてくれた。 この日は暑かったので、浜辺で光太と同じように遊んでいる人達は多かった。でも、見ていると光太ほどずぶ濡れになっている子もいなかった。そのうち、ずっと水にぬれているので体を砂で温めてというと、素直にこちらに来て砂の上で体をつけるとジーンズやシャツが砂まみれになって、帰ってきての洗濯が大変だった。 普通、夏場に海水浴に来れば海の家などで最後はシャワーを借りれるが、今はシーズンオフなのでもちろんそういう施設もない。予測はしていたことだが、光太は砂まみれの体をハンカチで払い落として服を着て帰った。体が少々汚れたってこうやって遊べたことに大満足の顔だった。 そういえば、幼稚園の時代にも園の先生方から「光太くんは泥んこになるのが園で一番ぐらいに好きですね。」と言われていた。卒園の時にいただいたDVDの中にも泥んこになって大笑いしていた笑顔が印象的だった。泥んこになるのも好きならば、水浸しになるのも大好き。シャチのショーでも最前列に座っている人たちは何度もシャチのはねる水を受けては水浸しになっていたが、光太はそれを見て「ぼくも前に行きたい!」と言っていた。今思えば、どうせここで水遊びするのだから、最後のシャチのショーでは前に座らせて水浸しにさせてもよかったのだ。 帰りは予定通り、地魚を扱う人気の回転寿司に寄り光太はたらふく食べた。私達と同じぐらい食べてまだお腹が空いていると言っては、パパの顔を青ざめさせた。あれだけ波打ち際で走り回ったのだからよほどお腹も空いていたのだろう。回転寿司の隣にあるお店の巨峰ソフトクリームを食べて車に乗ると瞬間的にグースカ眠り始めた。帰りは渋滞にはまり3時間かかった。往復5時間強。パパの運転お疲れ様だ。もう少し海に近いところに住んでいれば週末はもっと気軽に浜辺で遊べるのにな~この年だから、日焼けしたくはないが、海を見るのは気持ちがいい。海の水の色が時間と共に変わっていくのも綺麗だし、海の音も心安らぐ。将来は窓を開けるとそこに海が見え、海の音が四六時中聞こえるようなそんな場所に住みたい。新鮮な海の幸も毎日食べれるし、もう日焼けだだって気にしなくてもおばあちゃんになればみんなしわくちゃでシミだらけ。ただし、綺麗な海じゃないと見ていても気持ちよくない。 数十年後でもまだまだ日本の海は綺麗だろうか。 今回海を見ていて、新婚当時行って感動したオーストラリアの白い砂の海岸を二人で思い出していた。とても綺麗な砂浜にこれまたとても綺麗な真っ青な海だった。あの時に買ってきた絵の額を今リビングに飾っているが、いるかが気持ち良さそうに泳いでいる。いつまでもいるかや海の動物が喜ぶ海ならばいいが、水族館にいる方がかえって綺麗な水で安心ということにならないことを願う。 いつの日か地中海やカスピ海、アドリア海やエーゲ海といった海外の海辺を訪れてみたい。この6月ぐらいからだったか3000ピースの究極のジグゾーパズルをパパと作っている。あと完成までわずかになってきた。その風景がモンサンミッシェル。ここは海の中に立つ島でまるでお城みたいだが、かつては修道院だったらしい。この頂上からの景色が素晴らしいらしいいつの日かここからの海を見に行きたい。
September 27, 2009
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★胸が痛い・・・ 先日ちょっとした騒ぎがあった。といっても家の中だけでのことなのだが・・・光太が学校から帰ってきて「ママ、代表に選ばれた!」というので、何のことかと思ったら夏休みに頑張った読書感想文の1年生代表に選ばれたようなのだ。夏休みに苦労した甲斐があったというもの。必死になって清書したのに、もう一度清書してくるようにと先生からの連絡と原稿用紙が入っていた。しかも急で明日までにと。 いつものことながら、宿題はすませたけれど、この課題は遊んでからやると言う。絶対遊んでからこの課題をやるのは時間がかかるし無理だなぁと思ったのだけど、光太が言うようにさせた。帰ってきてやり始めて40分ぐらいたち感想文の半分ぐらいが済んだ頃になって突然胸をおさえて「胸が痛い・・・」と言う。以前も夕食時に何気なくこういう言葉を言ってたことがあり、気になってはいた。でも、しばらくするとおさまっていたので様子を見ていた。 「どういう痛さ?」と聞くと「ズキンズキンと痛い」と言う。そのうちお布団の方へ転がり込んでいき「頭が痛い・・・」言い出した。もしかしたら、新型インフルエンザにでもなったかなと思った。ちょうど一番仲良しの友達が少し前にかかったところで、いつ光太がかかっても不思議ではなかった。 熱を計ると平熱。でも、しんどそうにしている。小児科にいくつか電話をかけてみたがどこも時間外でやっていない。ちょうどパパが運良く帰ってきてくれて、あれこれ調べてくれ今の時間でもやっている小児科へ連れていってもらった。連れていく前、光太は「歩けない。」というような状態だった。家族3人マスクをして、もう絶対新型インフルにかかっていることしか頭になかった。 それが病院について先生の話を伺っていると今熱もないとインフルにかかってるかどうかのキットを使うことも意味がない。インフルかどうかもさることながら、胸が痛いということが一番懸念したことだったが、光太が年中の時に突然かかった肺炎の話をすると、首をかしげておられて、突然肺炎になってしかも入院せずに治るということはまずあり得ないと。ということはその時の肺炎と思われたものが治りきっていない可能性は?と聞くとまずそれもあり得ないと。 たぶん、以前心臓が痛くて肺炎と言われた時のことがトラウマになって何か痛みがあると思い出すのかもしれないと言われた。事実歩けないと言ってたのに、血圧を測ろうということで別室に連れていかれる時にはスタスタと歩いていた。ただ、かなり子供にしては血圧が高いと言われたので、少し気になった。でも、お医者さんが言うには、なれない場所に連れてこられてこういう検査をしてなので緊張から血圧もあがっているのでしょうとのこと。 心臓が痛いという時に一番お医者さんとしても嫌なことは、心筋症というものらしい。それはこういう子供でも死に至る病気で、ウイルスなどが引き金になってなるらしい。ただ、その場合は脈も不整脈になり、血圧も下がるのだとか。だから今回光太は心臓が痛むといってもそういう最悪のことは心配しなくてもいいわけだ。なんだかほっとしたような気が抜けたような感じで帰途につくと、光太も安心したのか車でグーグーいびきをかいて寝はじめた。9時過ぎているし眠たいはずだ。 この病院騒ぎで、結局感想文の清書はその日は出来ず、翌朝早起きしてやることになる。しかも登校するギリギリの時間に仕上がった。ほんとこっちの方が心臓に悪い。 翌日、友達に言われたが、新型インフルエンザを疑うのはまず熱が出ていないととのこと。熱もなしにインフルを疑うのは無知すぎるということだ。平常心の時は当たり前のことなのだが、いざ、しんどそうな我が子を前にすると意外と冷静ではいられないものだ。結果、何もなくてよかったのだけど、新型インフルエンザでも死者が出ているのだからいい加減にいつもようにちょっとぐらいの熱なら「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」ではすまないこともあると思う。 光太の心情を察するに、あの課題を仕上げるのが苦痛すぎてつい胸が痛いと言ったのではないかなと思う。そのうち引っ込みがつかなくて自分で自分を病気にしてしまったのかもしれない。仮病とまで言ってしまうとかわいそうな気もするが、普段でも少し苦手なものを最後まで食べるように言うと(といっても光太は好き嫌いはほぼないく、味付けでしょうががききすぎていたり、何かの味が強すぎて食べにくい時のこと。)さっきまでパクパク食べていたのに急にお腹を押さえて「おなかが痛い・・・」と床にうずくまったりする。いわゆる都合のいいウソだ。 「ウソつきは泥棒の始まりだ」とか、「ママはだませても、おてんと様はだませない。」「ウソつくと後で絶対バチがあたる。」とか強く言うとその時は神妙な顔をして反省している。ただ、また繰り返すことがあるのでやっぱりウソをつくことに、良心の呵責を感じさせることが大事だと思う。たかが、小さなウソでも積もり積もると大きなウソになるし、それを平気でついてもらっても困る。 まぁ、ママの年をずっと人前では「26」ということにしている私も罪深いのだろう。そういえば、私の母もある時からいつ年をきいても「36よ。」と答えていたからカエルの子はカエルだ。 ただ、私が26といったとて誰も信じたりしないだろうから、こういう明らかなるウソ?ごまかし?は罪ではないのかな。となると光太の明らかなるウソにはたまには目をつぶるべきか。。。 先日、ウソのようなことがあった。といっては失礼だが。応援していた横浜マリノスが王者鹿島アントラーズに勝った。日産スタジアムに観戦しにいくのがこれで5回目になるのだが、1引き分け、4勝で負けなしだ。その日は駐車場も混んでいて入れないかと思ったが諦めずにずっと並んで待っていると、一番出しやすい最高の場所が空いた。ラッキー!!ついていた。 光太はこの日、感想文をがんばったご褒美でパパから以前からずっと欲しがっていた応援グッズのマリノスの旗を買ってもらった。勝ちが決まった後は、右に左に振り回し危なかった・・・でも、勝ってよかった、よかった。光太の好きな中澤選手も試合中に何度かぶつかったことでうずくまるシーンもあり痛々しかったが、最後まで戦い抜いてくれた。次回は10月の対名古屋グランパスだ。すっかりサッカー観戦にはまってしまっている。
September 21, 2009
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