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2006年03月14日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ラッキーウーマンの漫画化に向けてMIKIMIKIMIKIは
担当さんと打ち合わせしながら、
これまでお世話になった集英社の担当さんに
「ラッキーウーマン」の作品のコピーをどんどん
見せていくことにした。

「ラッキーウーマン」の内容は母親が障害児を育てていく様子も
描かれてるけど、MIKIMIKIMIKIが何故これに力を入れてるのかは、

すべての母親に対しての気持ちがあるからである。

私は生まれつき原因不明で聴覚に障害を持ったが、


私の父は遠洋漁業の船長で家にいないし、母の親は早死して近くにいなかった。最愛の弟が海の事故で突然亡くなったとき、私は母のおなかの中にいた。母は身重の身体で多くのショックを受けながらも生きていった。

その絶望の中、母は私をどんな気持ちで育てていったのだろう。
その母の気持ちも漫画で語りたい。

母は周りから「鬼」と言われるほど、私に対して厳しかった。

私に"友愛"というカード(障害者手帳)を首にかけてひとりで町を歩かせていた。

毎日私は白い目で見られていた。でもそれに私もなれてしまった。

胸にはイチゴ柄のブラジャーみたいな大きな補聴器をふたつはめられていたので子供たちからは

「ロボットみたい」
「耳坊」
「アメリカからきたの?」
といわれても私は????していた。(なぜか幸せな子でした)


おかずの名前を全部いえないと食べさせてくれなかった。
やっといえた、と思ったとき口にした食べ物は冷たかった。

私にとって言葉をうまく言わないと生きていけないものだった。

私が言葉をひとつ言えるようになるたび、母は少女のように喜ぶ。

どんなに悪い言葉でもだ。



と喜ぶので私はこれ以上いえなかったエピソードもある。

母に甘えたいと思っても甘えると「あんたはひとりで生きていけない!」

と母は私を突き放す。反抗期に入った私は家出を繰り返した。

その母から離れた私はどれほど解放的になったことか。

しかし、私はなぜか母と離れたとたん複雑だった。

離れて嬉しい気持ちと、離れてむなしい気持ち。

母は私を抱きしめてくれなかったけど、母は私を誰よりも思っていたことが
よくわかっていたからだ。

私から母に親孝行らしいものは何もしてない。

いつかラッキーウーマンの中で母を語ることができたら

母の生き方をつづってみたい。

母の生き方を伝えることで世の中の障害児の母を励ますことが

できたら嬉しい。

私を自立させることが母のせめての私への想いだったのだ。





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最終更新日  2006年03月14日 10時31分08秒
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