mikken☆のあしあと

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ドラゴン、昇天


ドラゴン、昇天




 まるで、雪解けの水が流れる沢を吹き過ぎてきた風だった。

 たった今、足音も軽くぼくの脇を駆け抜けていった娘は、既に夕暮れの色を濃くした町の大通りの温い空気の中、凛とした一筋の気配だけで日常を切り裂いた。

 長い髪を留めたリボンの鮮やかなエメラルドグリーンに誘われて、ぼくは思わずその姿を目で追っていた。娘は大通り沿いにある店のひとつへ、風が流れ込むように入っていった。



 間口1メートルほどの小さなドアを押し開けると、そこはまるで晶洞の中だった。大小様々、透明なものから金色や紫色と、色まで様々な水晶のクラスターが棚という棚を埋め尽くして煌めいていた。ちらちらと炎のように揺らめく光に包まれて、ぼくは一瞬世界を忘れた。光の洞窟の奥から声がするまで、ぼくはそこに人がいることにさえ気がつかなかった。



「いらっしゃい。」

水晶が結晶するのと同じくらいの年を重ねていそうな老人の、枯れた声だった。
ぼくはどぎまぎしながら、思わず正直に答えてしまった。

「いえ、今ここへ綺麗な娘さんが入ったのを見たもので。」

老人は少し笑ったように見えた。そしてちょっと悪戯っぽい顔になって、

「あの娘があんまり浮かれておったので、誘われてしまったというわけですな?」と言った。ぼくは聞いてみた。

「何かとても嬉しいことがあったのでしょうか?」

すると老人は少し淋しげに
「ちょうど今夜が、昇天の時なのですよ。」と答えた。



 「昇天?」

驚いているぼくに、老人は長い話を聞かせてくれた。

古の時代から今なお生き続けているドラゴンの種族の話を。

竜王の僕となるドラゴンは、若いうちに人間の世界で人間として育つ期間を経なければ、一人前にはなれないのだということを。

そうして老人は言葉を継いだ。

「あの娘は長い長い勉強の時を終えて、今夜ドラゴンとして空へ戻るのです。」



 皓々とした星々の光を遮るものとてない新月の夜空の下、あの娘は真夜中の静まりかえった町の大通りに凛として立っている。

娘は一度だけ振り返ってみせた。
思いも掛けぬ立会人となったぼくに涼やかな視線をとめ、世話役を担った老人にはほんの少し頷いてみせたようだった。

と思う次の瞬間、娘の周囲の空気が揺れて、輝く緑がプラチナ色の光の飛沫に弾けて散った。



エメラルドグリーンのドラゴンが、まるで乳緑色の銀河を従えるように、縁が金色に輝く翼を羽ばたかせながら空高く舞い上がり、星々の後ろの漆黒へ消えていった。



 まだ夢うつつに夜空を見上げるぼくの目の前に、ちらちらと光を零しながら舞い落ちてくるものがあった。
あの娘の髪を留めていた、エメラルドグリーンのリボンだった。

(了)


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