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民主党など野党7党が、川口順子参院環境委員長(自民)の解任決議案を参院に共同提出したそうな。 中国出張期間を国会の許可なく延長して、参院の委員会を中止にしたからだという。 そもそも何で、自民党が延長を申し入れた時に許可しなかったのか?定例の委員会と、今正に火中にある国との対話の機会と、どちらに緊急性と重要性の重きがあるのか? そして正に今、緊張度を増している隣国を抱えた我が国にとって外交に明るい人材がどれほど必須であるのか? それさえもわからないのか? ・・・・・・・・・国益に対する そういう疎さが日本の舵取りをした数年間の危うさは既に忘却の彼方になったのだろうか?
2013年05月08日
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娘の机の上が 片付いているんです。 学校で使うものも趣味で集めているものも書きなぐったメモも描き込んだアニメコンテも何もかも積み上げて山となり、もはや用途の意を呈してないのが常態だった 娘の机の上が、綺麗に片付いているのです。 しかも3日坊主ではなく、ここ1ヶ月以上もの間。 4月から高校生になった娘。親の転勤に伴って東京から富山、愛媛へ、そうでなくても公立ならば住居地によって自動的に決定してしまう中学校とは違って自分で選んで、入試を経て、ようやく門をくぐって始まった高校生活。 選ぶ過程で、娘なりに一生懸命自分と向き合ったのでしょう。今の自分に出来ること。 出来ないこと。そうして心底から「変わりたい」という願いを掴まえた。だから、変わった。 「勉強なんて大嫌い!」 そのゲージが一気に反対方向へ振れることはないのだろうけれど彼女は今、誰に強要されるでもなく毎日机に向かっています。
2013年04月25日
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まるで山がちらちらと炎をあげているようにも見える。生きるために伸ばした枝葉を生きるために削ぎ落す過程で鮮やかに燃え上がる彩り。 なんて美しさ。なんて奇しさ。なんて優しさ。 この瞬間にここにいることの幸せ
2012年12月03日
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こんなにも 広く 青く 突き抜けた空の下 皆んな 同じ空の下
2012年11月26日
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少し強い風を伴った雨が通り過ぎる。厚い雲が行き過ぎようと急ぐ裾から切れ切れに青い空が覗き始める。雲の縁を白く輝かせながら 宇宙を越えて届く光。この一瞬限りの景色。
2012年11月12日
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さて、例のごとく下調べ怠りない夫の運転で、砥部焼の町へ。 まずは・・・マニアックな夫らしく(笑)いきなり「陶里ヶ丘」という、若手作家が窯を構える家が集まっている小高い丘陵地へ行きました。 風情のある大小様々の庭を抱えた普通の一軒家が、それぞれギャラリーを兼ねた窯元になっていて、瀟洒な暖簾や看板が掛かっているとはいえ、くぐるのにちょっと勇気がいります。 が、思い切って声を掛けて中へ入ると、作家それぞれ、思い思いの作風を湛えた空間を感じることができます。 何件か巡って、一番気に入ったのが「元晴窯」という窯元。ギャラリーとして写真に載っているスペースは作業中の様相を呈していましたが、入口を入った狭いスペースに少し展示してあった陶磁器は、白磁の地に茶色~黄色の線画を主にしたスッキリとした中にも個性的なデザインが目を引きました。(帰宅後、作家さんのブログを見つけました。「元晴窯のブログ」) 陶里ヶ丘を見て回った後で、砥部焼伝統産業会館へ。 倉造り様の建物の1階は、江戸中期から現代までの砥部焼の歴史資料館となっており、2階では窯元作品の展示販売をしていました。 約80軒ほどの窯元の作品を一堂に見ることが出来、受付には「砥部焼窯元巡りのまっぷ」なるものも。。。 「これが欲しかったんだよ!」と夫。 ・・・・・ならば、まず此処へ来るというのが一般的な順序というものかと思いますが(笑)。ただし、予断を持たずに新鮮な目で作家の作風と作意に触れようと思ったら、やはりいきなりの窯元巡りは楽しいものでありました。
2012年06月10日
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普段遣いの食器だからこそ、手に馴染むものを・・・ということで、磁器にしろ陶器にしろ実際に見て、手に取って、気に入ったものを選びとって使いたいもの。 現在まで使っている食器には、栃木の益子焼の共販センターで見つけた作品の作家さんに作ってもらったものがお気に入りであったのですが、そのうちの家族4人お揃いで作ってもらったマグカップが、長年のうちに予備で揃えたものも含め欠けてしまって、とうとう残りは1つになってしまいました。 富山にいる頃から後継「器」を・・・と夫婦で言っていたにも関わらず、越中瀬戸焼や小杉焼を見て回る機会もないままに過ぎて、欠けてはおられぬご飯茶碗を富山唯一のデパート大和で入手したのみでありました。 というわけで、引越しの後、生活スタイルも落ち着いてくる頃、愛媛観光(笑)まず始めに砥部焼を見に行くことにしました。 砥部焼は愛媛県砥部町を中心に作られる陶磁器です。18世紀後期に砥石クズを使って磁器づくりをしたことに端を発するとか。もともと後背の山地から良質の陶石が産出されるので、当時の藩の財政を立て直すためにも庇護を受けて発展していったそうな。ただ、多くが手作り成形であるために大量に生産されるわけでもなく、全国的な有名産地になるわけでもなく、一部愛好家に支えられて今に至っているようです。 (続く・・・)
2012年06月10日
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車を擦ってしまいました。細い路地を左折しようとしてブロック塀の角に車体の左側後部ドアを軽く。 選りにも選って新車を買おうかどうしようか・・・と夫が思案しているこの時に。 当然の如く、夫の反応は深い溜息と共に 「新車は止めた方がよさそうだな。車体感覚のない人間が運転するんじゃ・・・」 松山市の道路は狭くて入り組んでいて分かりづらい。気ままに立ち並ぶ家々を縫って走る昔からの生活道路をそのままに、主要幹線道路を結ぶバイパスも殆ど無い。 そういう市内を、初めての場所へ向けて、初めての道路、自他共に認める方向オンチが地図だけを頼りに無事に(―◆―;)行って帰って来れただけでも大仕事を遣り遂げた感があったmikkenでしたが・・・ そんなに頻繁に車を傷つけるような運転をしているわけでもないのに(前回は確か2年前、富山に移ったばかりの頃・・・やっぱり左へ回り込む時だった・・・) タイミングが悪かった。。。。。
2012年05月11日
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1ヶ月前の我が家では・・・大量のパンダを増産(笑)しておりました。お引越しです。東京から富山へ来たのが2年前。太平洋側から、日本列島の背骨を越えて日本海側へ移動したのも大変な大旅行でしたが、今回はなんと海を越えてきました!瀬戸内海です。・・・というわけで、この4月からは四国の愛媛県人となったmikkenです。荘厳な立山連峰の威容は素晴らしいものでしたが、春の芽吹きが盛りとなった里山の優しげな姿もまた、日本ならではの美しい風景です。
2012年04月27日
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念願の初段を得て、年頭は3日の稽古始から土日もなく朝練から夕方は真っ暗になるまで剣道に励んでいる中学2年の娘。今日も朝6時にはお弁当を持って、県内で催される大会へ出かけています。小学高学年の頃には、お弁当というとおにぎり5~6個+おかずで完食してきた娘なのに、ここ半年のオーダーは、「おにぎりは止めて。海苔の2段弁当にするのも止めて。」・・・要するに、「海苔」を使ってくれるな ということらしい。まず、「おにぎり5~6個」という量が友達の興味をかってしまったこと。加えて、ある時、食後に歯に付いてしまった海苔を、友達に指摘されてしまったこと。この2点が、乙女心を甚く傷つけたらしいのです。食べ終わった後でちょっと気を付ければいいことでしょうに、一度でも「失敗した」「恥ずかしい」と思ってしまったらもうダメなんですね。今は、桜柄の女の子らしい大きさの2段のお弁当箱に8分目ほどのご飯とおかずを詰めて出掛けて行きます。・・・・・・で、丸一日運動して帰って来るときには当然、「お母さん! 今日のおやつは?!」我が家の剣士は 「実」より「見栄」が勝る 乙女な年頃です。
2012年01月21日
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今年の我が家の賀状は立山連峰から昇る日の光のエッジを、龍が先駆けて行く図に仕上げました。年が明けて、はや11日。「鏡開き」とはリセットし、新しく生まれる意を含むといいます。激動の辰の年なら、うねる大波、大気を泳ぎ抜けて脱皮するが如く自らをよりシンプルに軽やかに変えていく年にしたいものです。
2012年01月11日
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彼岸も過ぎて、秋めいてきた日の立山連峰から昇る朝日です。マメな夫が4枚の写真の視点を統一してくれました♪動画とは違う、切り取った一瞬ごとのつながりを お楽しみくださいませ。
2011年09月26日
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実を言えば、私は素麺があまり好きではありませんでした。子供の頃から、夏と言えばお昼は「素麺」。親戚などから届くお中元と言えば、なぜか「素麺」なので夏になると台所で顔を利かせる「素麺」の包みにホトホト嫌気がさしていました。しかも、手軽に作れるものだから親は、下手をすると冬場にまで「にゅうめん」を作る始末。かくして「素麺嫌い」の私が出来上がって、やっと結婚して家を離れた以後、「素麺」が食卓に載ることは殆どありませんでした。が、大岩山に来たこの日、メインイベントは名物そうめんを食べること。ということで、お目にかかった大岩そうめんは「かけそうめん」。薄色のだし汁に浸ったそうめんの上には、刻みネギと下ろしショウガのみ。そのシンプルさとショウガの香りにつられて、ひと口。・・・・・・・美味しいっ!サッパリとして、外気の暑さに参った体の熱がスーッと引いていくような爽やかな食感でした。「これなら、(そうめんでも)食べられる!」 と叫んだ私の感想が効いたかどうかはともかく、大岩山に行った翌週末に向けて夫が挑んだのは、かけそうめんの汁作りでした。我が家では、既にお蕎麦のだし汁や返しは(夫が仕込んで)常備してありますが、大岩そうめんの汁は明らかに違う!というわけで、夫がネットで色々検索した結果「どうやら 干し椎茸が使われているらしい」と調べがついた模様。早速、返し用の薄口醤油を探して見ると、たまたま手に取った品物が大岩山地元の上市町で造られたもの。何という勘の良さと運(?)の強さ!・・・・・いや、食への飽くなき探究心の積み上げの賜物!(笑)えーっと・・・返しの水と醤油と味醂の割合など、実際のレシピはともかく(!!)出来上がった、夫お手製の汁による我が家の「かけそうめん」がこちら。美味しいっっっ!!瀧路で食べたものより少し薄味に仕上げた汁は雑味が無く、もっとスッキリして、とっても我が家好みの味でした。かくして、我が家の冷蔵庫には、スポーツドリンク2種と麦茶とキャップに「だし汁」と「返し」と書かれたものの他に、新たに「汁」と書かれたそうめん用の汁が入った2Lのペットボトルがデンッと並ぶことと相成りました。
2011年08月02日
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先月、大岩山日石寺へ行ってきました。大岩山日石寺は立山連峰の裾野にあり、「大岩のお不動さん」と呼ばれるとおり、本尊は不動明王。境内には、国指定史跡大岩日石寺石仏、重用文化財大岩日石寺磨崖仏をはじめ、三重の塔、山門、六本滝、十二支滝があります。煩悩を流すという滝自体は大きなものではありませんが、支流毎に石仏が配置され、龍頭の口から水流が流れ落ちる景色が一興。とはいえ、ここに来た目的の第一は名物 大岩そうめんを食べること。 日石寺が最も栄えていたのは室町時代から戦国時代にかけてだそうで、その頃には1,600人とも言われるほど多くの僧兵がいたそうな。 麓には坊村といわれるお坊さんたちの集落が、多いときで60余りもあったようです。 戦国時代というのは人や物が盛んに遠くに運ばれもし、その折に遠く半周(今の兵庫県)から素麺が渡ってきたのではないかと言われています。乾物で持ち運びしやすく、日持ちも長く、調理も簡単な素麺は僧兵の精進料理として重宝されたようです。で、大岩山山道を挟んで最初にある2軒のそうめん屋のうち、行列が出来て人だかりがしていた「金龍」さんを横目に我が家がくぐったのは、「滝路」というお店。質素な作りの、閑散とした店内へ迷い無く入っていった夫についてお店に入ると、特に案内もないので片付けも追いつかないテーブルに着くも店内を歩き回っている店の者は近づいてきません。ぐるりと見回してみれば、店の中央にある柱に張り紙。「先に食券をお求め下さい。」・・・というような内容。そういうシステムか、と了解し、食券を買うと、その時点で漸く「かけそうめん3つ!」と厨房に呼び声が掛かって、テーブルの上も片付けられて、お茶が用意されました。「かけそうめん」関東でしか素麺を食べていない私には馴染みのないメニューでした。(つづく)
2011年08月02日
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さて、黒部ダム湖を眼下にロープウェイで立山方向へ戻ります。微かに写っている 昇りと下り 2台のロープウェイの箱がご覧いただけるでしょうか。景観保護のため、或いは現実的には急な斜面は雪崩が頻発するため途中に支柱を立てることができず、ワンスパン方式であることが特徴です。水平長1,600m強、斜長1,700m余りで、この方式としては日本最長のロープウェイ。ロープウェイとトロリーバスを乗り継いで、室堂平へ。立山三山に囲まれた標高2,450mの地。ここで、1時間余りの散策。写真は雪解けの水を湛えたみくりが池。水面の凛とした美しさは格別です。左手の若緑の中にポツポツと見える白い点は高山植物のチングルマ。 別の角度からみたみくりが池。融けきらない水面の氷の縁が青く美しかったので1枚。山の麓に見えるのは、点在する山荘のひとつ、「らいちょう荘」。森林限界と言われる高地に生えるハイマツ。赤く見えるのは花だそうです。立山名物ライチョウは、このハイマツが生える岩場に巣を作るのだとか。残念ながら、この日、人出の多い遊歩道際にライチョウの姿を見ることは出来ませんでした。高地を1時間余り散策、さすがに息があがる箇所もありましたが、澄んだ空気と雄大な景色は、目にも肺にも心にも嬉しい一日でした。・・・にしても、石畳の遊歩道は頗る歩き辛いです。 環境省さん・・・・・上から下まで写真から抜け出たような山ガールも大きなリュックを背負った背中から スッテンコロリとコケてました。
2011年07月21日
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3連休最終日、「海の日」に立山アルペンルートへ行ってきました。 なでしこジャパンの初優勝を見届けてから、市内から見る山並が青く霞む、薄曇の朝に出発。 富山居住10年目の人に「こんな道、 引っ越してきて1年ぐらいの人間が知ってる道じゃないですよ」と驚かれる夫がドライブに選んだ立山駅までの途上で墨絵のような山影を見つけて一旦停車。立山駅からケーブルカーで美女平へ。さらに美女平から高原バスで向かう室堂手前で見た雪の壁。「雪の大谷」と呼ばれる有名な場所で、今年 立山アルペンルートが開通したは17mあったそうです。7月の今でも4~5mぐらいありました。3連休最後、台風が近づいて雲が出始めているとはいえ、人出は結構なものでした。始発から3本目のケーブルカーを狙って立山駅に着いた時、複数箇所ある駐車場が ほぼ満杯状況なのを目にして驚きましたが、チケット売り場の女性が言った「立山駅から黒部湖まで往復するなら (今日は)6~7時間掛かります。」という言葉に恐れをなして、当初室堂までの往復切符だけを購入した我々。ところが、ケーブルカーも高原バスも臨時便が出ていて、室堂まで結構すんなりと短時間で来たので、折角だから黒部まで行ってみようと、切符を買い足しました。立山トロリーバスもロープウェイも臨時便のおかげで大して待たずに乗ることが出来、結局立山駅から黒部湖まで合計2時間ほどで到着。脅かし過ぎは、客足(売り上げ)に響きますよ・・・おねえさん(笑)但し、紅葉が見頃になる秋は、ケーブルカー、ロープウェイの待ち時間も1~2時間が当たり前になるようです。(後半へ続く)
2011年07月20日
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今日のニュースのトップは 大概のところが九電の「やらせメール」だけど、日本にとって本当に大変な問題は菅総理が表明した全原発に対する「ストレステスト」の実施でしょう。国のトップが、チーム(内閣)の仲間や 部下や 地方首長を蔑ろにして、我が身の保身と責任逃れと言い訳の為に、目標に向かって動き始めた一団の足元からいきなり梯子を取っ払ってしまったのです!民主主義の国で、こんなことが起こってよいのでしょうか?民主党の言うところの「政治主導」とは霞ヶ関の蓄積したノウハウを塵芥と化しただけで飽き足らず、責任をとることを知らない首相の独裁を許すことなのでしょうか?
2011年07月07日
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5月31日から6月2日まで、山王まつりでした。神輿が出た1日は生憎の雨だったもので外出を控えましたが、昨日は夕刻になって雨もあがってきたので散歩がてらに賑わいを見てきました。富山大和(市内唯一のデパート)から日枝神社までの通りという通りは様々な屋台で埋め尽くされていました。どこもかしこも、こんな状態です。例年に比べて明らかに多いという屋台の数。どうやら、震災の影響で日本各地で祭事が控えられている昨今、香具師たちの行き場がなくなって、催されるお祭りに集中して出現するらしいということです。こんな懐かしい屋台も各種出ていました。神社の境内から聞こえるエレキギターの音に誘われて足を向けてみれば本殿の前に設えられた舞台におじさんバンド。ビートルズナンバーに思わず足を止めるのは、ドンピシャ・・・よりちょっと後の世代になる夫でありました。
2011年06月03日
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口先三寸でその場を乗り切ろうとする指揮官。主義主張をコロコロと変えて悪びれない輩たち。形勢不利とみた途端に戦場を逃げ出す大将。自身の思い込みだけで踊る道化。厚顔無恥の集団が今の日本を先導しているようです・・・かの人の言う「一定の目途がついたら」という言葉自体も空しいですが、そもそも責任をとる覚悟の無い指揮官の下で「一定の目途」が立てられるのでしょうか?それともまた、数の優勢に任せて実効性も無く、国の財政を使い尽くすまで、無茶苦茶な政策を強行採決するのでしょうか?
2011年06月03日
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国会の内閣不信任案提出の動きに関して各局が街頭インタビューをとって報道していますがレポーターたちの質問は一様に「内閣不信任案が提出されるということですが どう思いますか?」で、引出される答えの殆どは「今、そんなこと遣ってる場合じゃないでしょう。」大概、この遣り取りが異口同音に繰り返されて番組は進行して次の場面に移る。この問題の世論を抽出するならば、質問が中途半端に過ぎると思います。「では、今の内閣で震災復興が進むと思いますか?」「今のリーダーで国が一致団結していけると思いますか?」質問するならそこまで聞いた結果を報道するべきではないでしょうか?・・・・・自分の思い通りにならないと誰彼構わず罵倒し、 協力を呼びかけておきながら人の意見を容れず、 一切の責任を負う腹も括れないという人間を 指揮官に置く国の危うい状態は 漢字が読めなくとも政治のプロであった人間を 世論を煽ってこき下ろした時よりも はるかに危機感を募らせて然るべきだと思うのですが。 今この事態になってまでもマスコミの民主党贔屓は変わらないようです。
2011年06月01日
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「暫くレンゲ畑見てないな~」「一面の赤紫・・・見たいなぁ~」と、GW間近になると呟くとも無く呟いていた妻に一日早い「母の日」プレゼントをくれた夫。隔年ごとにレンゲソウを作付けすると知って一昨年のブログを検索して、富山市内でレンゲ畑が見られる場所を探してくれました。何年ぶりだろう!!一面のレンゲソウを見ることができた上に、立山連峰の雄姿が背景なんて、なんて贅沢な風景!・・・あまりに感激してしまって、 接写することさえ忘れて、この写真・・・振り返っても、この景色。ちょうどこの景色に挟まれる形で建っている一軒家のご婦人はさすがに観光客慣れしているご様子。道路脇に駐車している私たちに お家の庭先を指差して「此処に車を入れたらいいよ。」と。「みんな此処で写真撮っていかれるがね。」「もう少しレンゲが一杯咲いてる時もあったがね。」「お山が綺麗に見える時に、また来られたがいいね。」目にも、心にも温かいひとときでした
2011年05月09日
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責任逃れの体質が政治主導という金棒を振り回して、国力と科学技術力を低下させていく遊興施設の電力無駄遣いを看過して生産現場に稼動縮小を求める見当違いな見識が被災地以外の経済にまで疲弊を及ぼすことになるのだろうか。
2011年05月09日
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先の日曜日にお花見をしてきました。お弁当を持っての、家族恒例のお花見。今年は「神通の桜」。川に挟まれた中州周囲にぐるりと植えられた桜が見事な富山では有名なお花見スポット。土地の高低差が大きい富山の川は河口まで数キロというところでも、流れの音が活き活きとして聞こえます。その音を耳に雄大な連峰と 仄かな桜を目に・・・おにぎりを頬張って・・・ 春を満喫。振り返り見れば、里山の景色。
2011年04月20日
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読み物としては、滑稽で済まされるかもしれません。事実だとしたら、恐ろしいことです。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110410/stt11041000390000-n1.htmhttp://sankei.jp.msn.com/politics/news/110411/plc11041101530000-n1.htmhttp://sankei.jp.msn.com/politics/news/110412/plc11041200230000-n1.htmhttp://sankei.jp.msn.com/politics/news/110412/plc11041200250001-n1.htmhttp://sankei.jp.msn.com/politics/news/110410/plc11041002340000-n1.htm
2011年04月13日
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桜の花が綻びました。開花宣言後2日後。まだ5分咲きぐらいかな。それでも 見事な桜並木。この遊歩道の桜は相当の樹齢を重ね居るようで、大人が二人でやっと抱えられるかというほどの樹の幹は幾重にも捩れ、波打ち、中には 幹の内側が殆ど洞になっているにも拘らず零れるほどの花、蕾をつけている老木があります。洞の縁には 真っ直ぐに伸びゆく新しい芽を抱いて。 日当たりの好い枝は、既に満開。
2011年04月12日
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近所の神社の門前にある桜の木は膨らんだ桜の蕾で枝をしならせています。境内の中には既に盛りを迎えた梅の木が。そして、一際鮮やかなレモン色のサンシュの花。春です。
2011年04月08日
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時が時だけに、仕方の無いことだけど、リーダーが心許ないから、どうしようもない成り行きなんだけど、このところ目や耳に入ってくる人々の気持ちがささくれ立って五感に痛い。少しの間だけでも視点を動かして世の喧騒を超えた次元の景色を眺めて大きく深呼吸をしてみたい気分です。
2011年04月05日
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専門知識が無い。(「原子力については詳しいんだ!」と豪語したご本人は 「臨界」の意味を知らなかったらしい・・・)専門家の説明が理解できない。{自分の了解できない見解を述べる人間は 片っ端から首を切ってしまうという・・・}誰も信用しない。{当事者の言うことを、政府が「信用できない」と公言しては、 内外に示しがつかなくなるのが必定。) そういう政府が役人も専門家も技術者も使いこなせずに無知がもたらす自分たち自身の不安と起こっていることが正しく把握できない苛立ちをそのまま国民に垂れ流している。(「政府が情報を制限している」(???) という意見が多いようですが 民主党政権の関心事は 専ら「自分たちが如何に選挙民にアピールできるか?」 それ1点にのみかかっている。 後で国民から責められるのだけは絶対避けたい、 つまり絶対に「責任」を問われたくない政府は、 寧ろ情報を無検閲でダダ漏れにし、 事の判断を他人任せにしてるように見える。) そういう政府の体たらくに乗じたマスコミが勝手に「専門家」を雇って事の真偽も合理性も無視したあらゆる情報をかき集め、それぞれが勝手なことを言い募っている。 だから国民が誰も信用できなくなって、風評に煽られ踊って大騒ぎ。
2011年03月31日
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タイがガスタービン発電機2基と付帯設備一式を東京電力に5年間貸与すると発表しました。自国の発電プラントを分解して、日本に運び貸し出してくれるというのです。http://sankei.jp.msn.com/world/news/110329/asi11032918400001-n1.htm20年前、日本が冷害で米不足に陥った際にも、インディカ米として最高級の「香り米」を快く供出してくれたのはタイでした。残念なことに当時マスコミによる針小棒大な報道被害と、何より日本米に固執した私たちの価値観の所為で、善意の米は大量に売れ残ることになってしまったわけで、当然、この無礼はタイにも伝わって多分に民衆の心を傷つけたであろうにも関わらず、です。そして、こんなにも温かいメッセージ。http://www.youtube.com/watch?v=zgy8bFVWM2E&feature=player_embedded真の「友愛」精神がここにあります。
2011年03月30日
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世界各国から寄せられる援助物資が日本国への入口で滞って被災地へ届かない。被災各地で自衛隊も医療関係者も疲弊しきっているのに最新医療設備とベッドを備えた米軍艦と軍隊が立ち往生している。日本政府のオペレーションシステムはどうなっているんだ?!
2011年03月28日
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私が購読しているメルマガに紹介されていました。☆Twitter内で発見した感動ツイート http://www.leaders.ac/jump/vj3o/a0n7u2v08is3w8u1p5日本人であることを、心から嬉しく思います。
2011年03月24日
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たった今、文字通り命を掛けて事態の収拾と沈静化と改善に不眠不休で取り組んでいる組織や個人へは心からの感謝とエールを送ります。たった今、日本全体で必要なことは責任の在り処を突付くことではなくて国民の思いが、被災地の人身の安寧と復旧へ向かってひとつになることだと思うから。・・・ただ、事態の起こった時、初動の一番大切な3時間もの時間を大勢で乗り込んで、即時収拾に動かなければならない大切なマンパワーであったはずの現場の人間たちに向かって怒鳴り散らすために留め置いたり、一番冷静沈着であるべき人間が記者団の前でいきなり泣き出したり、場当たり的に訳のわからない委員会やら担当を増設し、甚大災害に対する指揮系統を分散させて自己保身を図ったり、現実に遣るべき仕事が山ほどの現場から各地、各組織の要員を引き剥がして訳のわからないまま回を重ねるばかりの会議に留め置き、現場の収拾を阻害したり、しかも、よりによって「200年に一度の災害に備える必要などない」として災害予知や災害被害の様々な防止措置をすっぱり切って捨てた張本人、節電担当になって何をするかと思えばコンビニを視察してる勘違い人間をこの1000年に一度という災害の任に当たらせたり、こんなにも悲惨な甚大災害を質にとって、23年度予算を通してしまおうとしたり、いきなり野党党首に電話をして、「副総理になってくれ」と頼んでみたり、どれもこれも、この期に及んでまでパフォーマンスと自己保身をすることから発する言動ばかり。こんな人間と与党だけには、もはや庇う言葉など一言もありません。
2011年03月20日
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石原都知事は14日の記者会見で、今回の大震災に伴う被災地支援のため100億円以上を拠出すると 表明したそうな。都の積立金などを活用し、必要な物資提供などを行うとも。「被災地には首都圏の電力需要を支えてもらっている。 東京の責任としてあらゆる手だてを講じていく」 また、東京電力による計画停電を受けて「節電は自らの生活を守るだけでなく 被災地の復旧の後押しにもつながる」とも。カッコいいですね~。訳のわからない、実のない掛け声ばかりのどこかの誰かさんとはひと味もふた味も違いますね~。自治体住民の血税を以って蓄えたお金をこういうふうに生かして大きなエネルギーに変えて循環させる。自分たちのお財布のことにばかり汲々としているどこかの減税一辺倒の一派とは視界の広さが違ってますね~
2011年03月14日
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この日、富山市内の上空は厚い雲に覆われていましたが、山の端だけが朝陽に輝いて まるで別世界への入口が開いたかのような景色を見せました。朝焼けに浮かぶ 立山連峰です。ブルーグレーの重苦しい雲の彼方、山の端が真っ白に輝き始めたのを見た夫が身支度もそこそこにカメラを抱えて撮影ポイントの神通川縁まで急いで車を走らせ到着した時には 既に光の色が、雲の流れが変わっていました。数分後の景色も また然り。 全く違う様相を見せていました。撮りたい景色は一瞬。 一期一会の世界です。・・・思えば、生きていくこと一瞬ごとは全てが一期一会の時空間だと言える気がします。この富山で暮らしていく時間の積み重ねも侮って過ごすなんて ホントに勿体ないことなのかも(笑)
2011年03月02日
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記事のアップがすっかり間遠くなっているブログです。新しい年が明けて はや月半ばを過ぎておりますが、北陸の冬初体験のmikkenは見るもの全てが既に初めての景色ではあるのですが、それに加えてこの2週間余りの間に盛り沢山の初体験を遣り過ごしてまいりました。 車の鍵穴が凍り付いて、キーが差し込めず お湯をかけて漸くドアを開けました。 除雪も為されていない 恐ろしく凸凹な道路を 「車が壊れるんじゃないか」とビクビクしながら恐る恐る運転しました。 アイスバーンと言われる道を運転。 タイヤが滑るという事態を身を以って体験。 恐かった・・ ついでにABSが効くということの体感を実感。 ・・・ブレーキを踏む自分の足が、 まるで直に道路を掻き削っているかのような感覚でした。。。 道路を走っている最中、 融雪装置が吹き上げる水に フロント、サイドのガラスを思い切り叩かれました。 最初、何事が起こったのかとギョッとしました。 雪かき・・・・・・ は、専ら夫の仕事となっておりますが、 出勤前に、駐車場と車の上と官舎周辺の雪を掻き落とし掻き払いする作業のために 朝早くから夫婦共にフルモードで色々な準備に動いています。 雪国の朝は早い・・・・・・・・大寒波到来の日本列島、もっともっと大変な思いをしながら生活をしていらっしゃる方々を尻目に「寒い・・・・・眠い・・・・・」と呪文のように繰り返している罰当たりなmikkenですが、結構、内容の濃い毎日を過ごしています。
2011年01月19日
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一晩で 景色が変わりました。ホワイトクリスマス・・・といえば聞こえは好いですが、屋根から雪が落ちてくる音に驚かされます。夫と息子は 朝から雪かき。夫は昔東北に住んでいた頃を思い出しつつ、初めての景色、初めての作業に身も心も固まりながらの息子は集めた雪をリヤカーで 運ぶんだか・・・撒くんだか・・・こんな日も 娘は朝からお弁当を持って部活動。
2010年12月25日
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とうとう本格的に降り始めました。降り始めて5時間後の今は、家々の屋根や木々の枝が白く染まってまるで砂糖菓子のようです。関東に住んでいる時には、雪が降れば車の運転をしないと決めていましたが、降雪が常態の北陸で生活をしていくのにそんな悠長なことは言ってられません。・・・そもそもこの土地で雪が〇センチ積もって交通マヒが起こるとか、そんな棚ボタのようなお休みが下りてくるわけもなく(笑)早速、息子の下校迎えのために降りしきる白いものを掻き分けるような運転、初体験でした。
2010年12月24日
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年季が入った転勤族である夫は 日常的に暮らす部屋には極力(箱)モノを置かない主義です。従って、普段使わないモノは押入れや倉庫に仕舞うのですが、その収納術たるや 感嘆するものがあります。信じられないほど沢山の 大きさも形もまちまちの箱物たちが限られたスペースの内に見事に収まっていきます。傍で見ていると、まるで3Dのパズルが組み立てられているかにも見えるワザです。・・・で、奥行きのある収納スペースの中は奥に、手前に、上に、下に、時には斜めにモノが重なっているわけで、年に1回しか使わない、けれど必ず必要なものを引っ張り出す時には、・・・・・ パズルを解いて、また組みなおさなければなりません。斯くして、今年も漸くクリスマス・ツリーがお目見えしたのでありました。
2010年12月23日
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まるで空中に浮かんでいるかのように見える山並。立山町へ向かう途中で得ることができる絶景です。雪化粧を纏うと、その雄姿は益々近く見えます。・・・富山独特の極端にマイペースな運転マナーの中でハンドルを握りながらささくれ立ってしまう気持ちも、ふと顔を上げてこの雄々しい姿が目に入ると肩の力も抜けるような気がします。
2010年12月20日
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我が家の週末の夕食は、平日より少ーしだけ豪勢になります。心身ともに目一杯で、仕事に、学校に通っている夫、子供にとって週末は家族で過ごす大切な時間&ホッとできる時間。翌日早起きしなくて済むとなれば、私も晩酌のご相伴(笑)今週末は日曜日の午後に夫の仕事が入ってしまったため、一日潰れるとあって、土曜日はちょっと力が入りました((笑))富山市内唯一のデパート(!)「大和」へ行って「チーズ王国」でナチュラルチーズを3種購入。フルムダンベール・・・塩気がそれほど強くないブルーチーズ。 匂いなど癖も強くないので食べやすかったです♪ 干しぶどうと一緒に食べると尚美味しい。 記憶違いで 冷蔵庫にひっそりと在ったドライブルーベリーを合わせましたが、 これでもgood!でした。 ミモレット・・・・・・森元首相が小泉元首相に振舞われて話題となった、あのチーズ(笑) ここのミモレットは少し苦かったな。ラングル・・・・・・・もの凄ーく柔らかなカマンベール風チーズでした。 表面がシワシワで見栄えは余りよくないですが、 味は濃厚で結構美味しかったです。同じく大和の地下のDONQでバゲットを1本。後は富山のきときとの鰤とろと甘エビのお刺身。晩酌はラトゥール・ボワゼ ヴァン・ド・ペイドック メルロー 2009。千数百円のテーブルワインですが、結構美味しかった♪夕飯は「ご飯」と決めて譲らない息子のためにご飯も炊いて(そのくせしっかりパンも確保する息子であります)、前日、余りに寒かった為にクリームシチューを大量に作ったので、その残りも加えて、・・・栄養学とか食べ合わせとかそんなもの知ったことかの好きなもの尽くしの食卓。大満足でした♪♪♪
2010年12月19日
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朝、出かけようとしたら 車が凍ってました。親切なお隣さん(駐車場スペースにおける)がペットボトル入りのお湯をかけてくれて、事無きを得ました。日中、車に乗って色々と用事を済ませましたが、車中は冷風モードにしないと居られないほどの暑さとなりました。厚い雲が途切れて、太陽が覗いた束の間でした。夕刻になると、街は身体に染み入るような冷気に覆われて家の中にいても、窓際で吐く息は直ぐに蒸気になる有様。一日のうちでこれだけ寒暖差があると 活動するのにメリハリがついて、・・・反って良いのかしら?・・・(^0^;)
2010年12月17日
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・・・誰が・・・ではありません。サボテン達です。サボテンというのは冬場は水遣りを控え(種類によっては完全に断水し)冬眠させます。ものによっては土の中に埋もれてしまうほど縮小して生き延びるのが本来の姿。しかしながら、温室も無い環境で生きる彼等。流石に買ったばかり(環境が変わったばかり)のものは家の中の日当たりの良い場所に置いて労りもしますが、我が家に長くいるサボテン達は外気温が0度以下にならない限りにおいてベランダに野晒し状態です。冬の声が聞こえてきて、水遣りはとうに止めていますが、先月辺りは季節外れの高気温が続いた時と、北陸では常態という雨続きの空模様が重なり、ベランダで野晒しのサボテン達はその恩恵(?!)を充分に受けたのか・・・殆どの群生サボテンが、この状態。昨日から本格的に雪の季節となったこの土地で、漸く家の中へ運び込まれたサボテン達。日照時間も少なくなり、当然灌水も無く、過酷な環境に入らなければならない時期に丸々と太っちゃって。どうなることやら。。。
2010年12月16日
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すっかりご無沙汰をしているうちに、世の中そろそろ冬本番の様相。私にとっては、人生ン十年にして初めて迎える北陸の冬です。関東の冬と北陸のそれは、まず 空の色が違っていました。空気が張り詰め、風が肌をさすとはいえ、関東の冬は晴天も多い。部屋に射し込む陽の光の角度を見て、季節を感じたりしていたものですが、見晴かす立山連峰が薄っすらと雪化粧を纏い始めてからこちら、富山の空がすっきりと晴れた日は・・・数日あったかどうか。「住みやすい都道府県ランキングで上位」という評価と、「自殺者数においてワーストランキング上位」という実態が混在するところ。・・・兎にも角にも、迎える冬の仕度は情報を取ることから始めなければなりませんでした。私は子供の送り迎えや 保護者が集まる場で。夫は職場と、ネットの口コミで。そうして、まず自家用車のためにスタッドレスタイヤを購入し、交換。主に周辺市街地を走るのだけど、何かあれば新潟、或いは長野を越えて太平洋側へ高速を走らなければならない我が家の事情を鑑みて、タイヤはミシュランが良いだろうということになりました。次に子供たちの通学用コートと冬靴。情報により、北陸の雪は湿度が高く、雪道となる歩道は積もる雪と、除けられた雪と、融雪された残骸とで大変な有様だとか。よってコートと靴は「絶対(!)防水仕様」とのこと。靴は・・・さすが土地柄、靴専門店には冬靴コーナーが充実していて選り取り見取り。娘はシンプルなブーツ型で中がモコモコふわふわになっている温かそうなものを、息子は長靴型で中は発熱素材使用、履き口が締められる実用タイプのものを、どちらも厚底でしっかり防水仕様。思ったより手間取ったのが、コート。全国展開の洋品店やら大型ショッピングセンター内の専門店やらを見て廻りましたが、「撥水」はあっても「防水」はなかなか見つからないものです。北陸のスポーツ用品専門店なら・・・ということで漸く適当なものを見つけました。・・・中1の娘としてはデザイン的にイマ一つ物言いた気でしたが、親としては見た目の格好より「実」を取らせてもらいました。私のコートは、序に入った紳士服店で入口に並んでいた「広告の品」の中にサイズもデザインも色も手頃なものがあったので即決。さて、後は親の冬靴と、夫のコート。悩んでいる間にも、とうとう今日は空から降る雨がボタ雪に替わった富山の景色。早く決めなければなりません。。。
2010年12月15日
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「富山は魚が美味しいから!」転勤が決まったとき、異口同音に聞かされた言葉ですし、富山人たちも一様に力強く言う言葉です。お刺身大好きな私たちはワクワクとする期待感に溢れていました。・・・しかしながら、此処ではマグロはメジャーではありませんでした。どうやらブリとかメバルとかハマチなどがメインらしい。しかも、初めて富山のスーパーの魚売り場で目にした魚の名前たるや「さす」 とか、「ふくらぎ」 とか、「はちめ」 とか・・・「これ何の魚ですか?」と店の人に聞いたら、「この人何を聞いてるの?!」と言わんばかりに目を見開かれてしまいました。それでも お刺身を色々試したり、それぞれに美味しいと言われる調理方法を聞いて煮たり焼いたりしたものですが、どれもイマひとつ・・・。しかも 主婦の殆どが働いている土地柄ということで、食品売り場ではお惣菜が幅を利かせていて、その種類と量たるや瞠目するものがありますが、お刺身も殆どが盛り合わせになっていて、柵で売っている比率が格段に低いのです。東京とはいえ、築地に近い場所に住んでいたもので生魚(特に大好きなマグロ赤身♪)に関しては寡頭競争の中良い品が比較的安価に手に入りやすかったので、「魚が美味しい」はずの富山で余り美味しい魚に出会えず「?」と夫と顔を見合わせる日々でありました。お寿司屋さんで「どこに行けば美味しい魚がありますか?」と聞けば、「魚屋さんより、スーパーの方が良い魚が手に入ります。」といいますし。偶々機会があって、地元の女性が数人顔を寄せる席で聞いてみましたら、「スーパーで『朝獲れ』と表示されている丸々1本の魚を買い、 その売り場で捌いてもらって調理するのが一番!」「・・・・・但し、マグロは無いけどね。」その助言に基いて『朝獲れ』を買うようになって、比較的美味しい魚に中る確立は増えた・・・・・・・・・かも。(笑)
2010年09月06日
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車が無いと日常生活に支障を来たすといわれるほどの車社会、富山です。徒歩20分ぐらいのところなら「歩く」と言ったら「東京の人はそうなんだな」と妙な納得のされ方をしてしまいました。主婦の殆どが働いているという社会で、当然の如く車の量も相当に多いのですが、走行車両の多さという以上に、富山独特の運転マナーの不文律らしきものに日々 度肝を抜かれております。基本的に、皆さん恐ろしいほどに「マイペース」です。速度制限40km/hの道には、40km/hで走る車と60km/hで複数車線を左右にすり抜けていく車が混在しています。物理的に、或いは交通法規的に不可能でない限り、曲がりたいところで右折します。渋滞を起こそうが一切お構い無しに。時には 反対走行車線を自分の車体で遮るのも全く厭いません。車間距離を空けて走行しようものなら、走行車線ではこちらの直前に割り込んできますし、交差点では 目の前を右折車が横切っていきます。急ぐ気配も無く、のっそり、ゆったりと。渋滞車列の中に 脇道や道路脇駐車場から割り込もうとする車があると1台入れてあげるつもりで車を止めれば、次から次へと割り込みの車が後に続いて車列に入ってきます。・・・「割り込みをするのも、させるのも、1台ずつ」という暗黙のマナーは全国的なものではなかったようです。1車線の中に車列が2つできることも稀ではありません。脇道から出てくる車は、交差する道路に出る直前までスピードを緩めません。こちらが驚いてブレーキを踏めば、これ幸いとそのまま横切るなり車線へ割り込んで行くなりしていきます。大体において、ウィンカーを出すのが遅い。察するに、殆どの運転手は自分のハンドルにしか興味がないようです。周囲を走っている運転手に対する意思表示も心配りにも全く頓着なし。ことほど然様に危険な運転が横行しているにも関わらず、スムーズな走行を遮られて沫や事故にもなりかねない状況が頻発していながら、クラクションを鳴らす車は殆どありません。・・・人の運転に文句をつけない代わりに、自分の運転にも文句はお断り・・・ということなのでしょうか。車を運転する際の危険予測に加えなければならない要素が多過ぎて、おっかなびっくりの毎日です。。。
2010年08月19日
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合掌造り集落の世界遺産としては余りに有名な岐阜県の白川郷に隠れた形ではありますが、富山県(岐阜県境)の五箇山にも相倉と菅沼に合掌造り集落があります。「白川郷・五箇山合掌造り集落」として世界文化遺産に登録されています。上の写真は相倉集落。白川郷や菅沼集落と違って、山間にひっそりと佇む静けさが感じられます。* * * * * * * * * *富山に来て、富山の人と話をした一番最初はホテルの受付の女性。その後、市役所の住民課、福祉課、息子と娘の学校の先生方並びに事務方・・・と、必要に応じて会話を重ねてきましたが、最初に感じた印象は・・・「富山の女性は早口である。」とにかく、「マシンガンのように喋るというのはこのことか」と思うほど。こちらが口を挟む間も与えてくれずに、まるで「自分の職務は手っ取り早く済ませるぞ!」という強固な意志が窺えるようです。しかも、こちらの都合などお構い無しのタイミングと押しの強さ。・・・これが、病院の受付や看護士になるとなぜか「上から目線」の口調が加わります。。。スーパーなどのレジ係はともかく、商品陳列の係員とか、小売店の売り子とか、どう見ても「購入をありがとうございます」というよりは「売ってやる」という構えと口調。「・・・・・・・・・・・・・」と、裏日本の人情の洗礼を受けて、これからの相対を思って意気消沈していました。ところが、どこの無愛想な顔も2度3度と顔を合わせるうちに、こちらが「えっ?」と面食らうほどの笑顔と気遣いを見せるではありませんか!富山の人が自らを称して「人見知りだから・・・」という気質は、表日本育ちの根暗な(爆)人間から見ればとっても極端な警戒心の発露だと見て取れました。
2010年08月13日
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扉の写真とは関係なく(^◇^;)、以下は富山市内車道のお話です。。。自動車で富山に入ってまず驚いたのが、道路が広いこと。東京のように数車線があって広いというのとは違って、1車線の幅にゆとりがある。・・・しかも、市街地には殆ど歩道+自転車道があって、これもかなりゆとりある道幅。路面電車の線路が共存しているとはいえ、随分走りやすそうだな~と、喜んでおりました。・・・・・・・・・・・・・当初は。融雪溝が多いのはすぐに気がつきました。見た目以上に困ったことは・・・・・・梅雨時の長雨で実感しました。完全な車社会である雪国における冬場のスタッドレスタイヤの影響なのか、単に道路補修が間に合わないのか、道路が歪んでること・・・歪んでること・・・ちょっと雨量が多くなると、車道の両脇に点々と出現する水溜りの半端じゃない深さ。走る車は 殆ど自分の手元のハンドル以外頓着してないから(・・・この辺の事情については、また後日(笑))、平気で水溜りの水を盛大に跳ね上げて走り行きますが、・・・・・・こちとら、歩道を歩く人がいるかいないか、そればかりが気になってしまいます・・・・・大きな道路は水はけのよい材質を使った快適な道路ですが、まだ殆どは降った雨が道路を濡らして、てらてらと光る滑り易い道路。道路の素材とは別に、もっと驚いたのが1車線の道路が、走るうちに突然2車線になること!2車線の道路の境界線が、走るうちに突然フッと消えてること!!地元道路に慣れていない人間にとっては「???!」な状態なのですが、地元民は平気で・・・・・1車線に2列の車列を作って走行している・・・・・「1車線だよねっ? ここ、1車線だよねっ?!」と、隣を通過している車たちに呆気に取られていると、・・・・・やがて、全く変わらぬ道幅の中央に1本の車線が現れてくるのです。主婦の殆どが仕事を持っている=車を運転している=車が多い社会で、この走り難さは・・・・・ちと、ハンドルを取られます。。。
2010年07月29日
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「選挙権がないのか?!」と叫んで(笑)翌日のこと。3月まで住んでいた東京都○○区の選挙管理委員会から封書が届きました。中に入っていたのは、○○区当該投票所にての投票所入場整理券。要するに、4月に転出した私たちの選挙権はまだ○○区にある、と。投票日当日当該投票所に行くことが出来なければ、入場整理券裏面の請求様式を使って、○○区選挙管理委員会宛て投票用紙を請求しろ、と。いくら大切な選挙とはいえそのために裏日本から出て行くわけにはいかないので当然投票用紙を請求することになりますが・・・7月1日日中に投函されてきた用紙に、自署で請求書式を記入して投函するのはどんなに早くたって翌日以降。不在者投票は選挙前日までだというのに、間に合うのか??・・・・・・・と、思ってましたらなんと週末を挟んでいたにも関わらず、投函した3日後に「速達」で投票用紙が届きました。他自治体選挙管理委員会への不在者投票は、居住地の当該投票所で、選挙日前日までに行えば良いということで、程々の余裕はあったのですが・・・4月頭の転出者がどれほどの数に昇るのか知りませんが、その殆どに「速達」を使って投票用紙を送っていたら、事務諸費用ってどのくらいになるんでしょうね?ともあれ・・・・・総選挙までして国民の民意を得て始動したはずの郵政改革を、反論も議論も許さず、たった1日足らずの国会審議の後に、数の優勢を以ってして覆して悦に入る暴挙を平然と為す現政権にNOを投じる機会を無駄にするつもりは無く、1票は物申して参りました。。。。。
2010年07月11日
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近づく参議院選挙に向けて、各候補者の声が姦しく聞こえてくるこの頃。無責任&手前勝手極まりない現政権に一矢報いたいと思っていましたが、・・・・・・・・・投票所入場整理券が届きません。なんと!自治体の選挙人名簿に登録されるには、転居後3ヶ月ほどの時間がかかるのだとか!今回の参院選に投票するには3月23日時点でその自治体に住民票がなければならないのだそうです。その昔、選挙において支持者の住民票を動かしてまで票を操作した党があったという不正に対する対策なのだそうですが、この4月の人事異動時期に懸かっては、浮いてしまった票の数たるや 相当に昇るのではないでしょうか?
2010年06月30日
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富山市民になって3ヶ月近くが過ぎ、富山について語ることは山ほどあるのですが、引越し最終日の記載が終わらないうちは書けないという律儀なmikkenです((笑))長らく間が空いてしまいましたが、引越し最終日の備忘(?)録をば。。。荷物を運び込むのが午後1時からの予定でしたので、午前中に転入届等々を済ませてしまおうと、市役所直近のホテルに泊まりました。薄曇りの空の下とはいえ、最上階のレストランから見える立山連峰の姿は東京から来た人間には圧巻で気持ちのよい眺めでした。バイキング形式の朝食で、早速「さすの昆布〆」とか「ホタルイカの黒作り」とか「白エビのナンタラ・・・」とか耳馴染みのない食べ物に挑戦した後、市役所へ向かいました。8階建て、前面は硝子張りの市庁舎の内部は、中央部が吹き抜けになっている洒落た造り。市民課で転入届けを済ませ、障害福祉課で息子の療育手帳申請、学校教育課で娘の中学校入学許可書取得、等夫と私で手分けをして諸手続きを済ませた後、昼食を摂っていざ転居先へ。荷物の運び込みの約束時間少し前に官舎に到着しましたら、官舎の前には某有名キャラクターがデンッとおわします4トントラックと2トントラックが既に到着の様子。・・・・・あれっ? 我が家の荷物を運んでいるのはD社のはず??なれど、我が家の到着を待って新居のドアホンを鳴らしたのは、やはり 余りに有名な4桁の数字を染め込んだユニフォームを着た4人の男子。「本日のお引越しをお手伝いさせていただきます○○引越しセンターです! 作業員を紹介させていただきます!」「・・・そういえば、D社はお宅と合併したんだっけ。」と合点した夫。「D社はこちらに支社がないので、我々が指示を受けました。」とのこと。ともあれ、荷の扱いにかけては定評のある会社のことなれば文句のあろうはずはなく、粛々と荷運びが始まりました。・・・・・が、直にリーダーと思しき男性の溜め息の回数が増え、 次第に大きくもなり始め・・・・・とうとう、冷蔵庫を運び込んだ時に、「荷物の積み方が雑だったようで、荷台の中でこんな傷ができてます。 苦情を申し立てますか?」・・・見れば、厚いダンボールで梱包してあった冷蔵庫の前面にザックリと開いた穴。 その下の冷蔵庫表面には黒い傷。機能に支障を来たすような深いものではなく掠り傷だったので、「古い冷蔵庫だし、別にいいです。」と答える我々の言に「・・・そうですか?」と、不服(?)そうなA社作業員。「私たちなら こんな仕事の遣り方はしないのですが・・・」と嘆くこと頻り。分解したラックの支柱と棚板はバラバラに荷造りされ、外した本棚の棚板と棚受けダボもバラバラに荷造りされたらしく、どこへ押し込まれたか行方不明、夫が分解して、他へ紛れてしまわないように本体に貼り付けておいた部品まで、取り外されてどこかへ紛れ・・・というわけで・・・「ラックも本棚も原状復帰できません。」と情けない顔。元来、購入後自分等で組み立てたものなので、「運んで置いてもらえれば、後は自分たちで追々に片付けていきます。」と夫が言えば、「・・・では、そのようにします。」と、もの凄~~~く不本意そうに作業に戻ったA社作業員。後は、黙々と・・・・・(いえ、一度だけ仲間内で叫んでたかな? ・・・・・『まだ「本」の箱があるの?!!』と。)トラックの中の荷を全て運び込んでくれたのでした。「・・・・・えーっと、これでいいのかな? 作業の終了報告書の紙も預かってないし、ハンコも貰わなくていいのかな? ・・・・・とにかくこんないい加減な引継ぎの作業は初めてなので・・・。」と、これが最後のボヤキとなり、A社の作業員たちはキチンと挨拶をして帰って行ったのでありました。
2010年06月26日
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