24階のミミック

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初期 出血入院「切迫

2002年 5月  妊娠発覚


 妙に眠くて、だるくて、頭が痛い日が1週間以上続く。春だから眠いのかナー
なんて思ってたら、妊娠してた(笑)。
 子宮内膜症の治療を続けてきたおかげでめちゃくちゃ生理の周期が正確な私、
2日遅れただけでなんとなく予感はあったけど、1ヶ月待って妊娠検査薬で確認。
 本当は経済的にももうちょっと後のほうがいいのかな? なんて思っていたから
ダーリンがなんていうか心配だったけど、夜、報告してみると「よかったねー(^-^)」
と喜んでくれた!
 そんな一言で不安は吹き飛ぶものなんだね……。そこで、急遽楽天の日記の
テーマを「ゲーム」から「出産・育児」に変更(笑)。
 日々の心の動きを記録しておくことにする。

2002年 5月  産婦人科で確認。その後旅行へ出かける。


 家に一番近い産婦人科で5週目と診断される。この時点では心拍が確認できない
ので、まだ医学的? には妊娠とは言わないらしい。
 それで、3週間後にまた来るように言われる。
 この日の翌日から飛行機で3泊4日の旅行にでかける。実は、この時無理をした
らしく、大変なことになってしまう!

2002年 5月末  第2回目の検診


 旅行では一応妊婦であることを忘れ、思う存分歩き回って楽しく帰ってきた矢先。
少量の出血に気づく。旅行中も薄い出血があったものの、平気平気とタカをくくって
いた。
 第2回目の検診の時も、一応先生に言ってみるが、なぜかそのときは「出血して
ないから大丈夫」と言われる。
 おかしいなぁ? しかし、ここで赤ちゃんの心拍が確認できたので、「婦人科」
から「産科」へ移行することになった。
 完全予約になること、何かあったらいつでも受診できることなど説明を受け、
母子手帳 をもらいにいくように指示される。
 このとき「もしまた出血が続くようならすぐに来てください」と言われる。この
言葉を覚えておいてよかったと後に思うことになる……。

2002年 5月30  出血、そして入院


 数日後。 また出血 。今までの薄い出血と違い、 鮮やかな赤
 ちょっと心配になり、ダーリンに相談するが、わかるわけない(^^;。とりあえずたまご
クラブのトラブル百科なる付録本を読んでみると、「内診の後は出血する」と書いてある。
 ので、きっとそうなんだと無理に信じ込んで寝る。
 しかし、明け方トイレにいってみると、出血量がぐんと増えていた。粘性の赤いおりもの
のようなものまで出ている。
 急に怖くなり、朝6時に病院に電話してみる。
 しかし、たまたまそのときに出た医者は(本当なら女医さんしかいないはずなのに男の
人だったし)「とにかく今来てもしょうがないから朝、 診療が始まったら来て ください」
と言った。
 そこで仕方なく朝一番に行って、産科の窓口に出血を告げて緊急外来にしてもらうが、
やっぱり3時間待ちとなる。その間にもトイレに行くたびに出血量が増え、まっかな
おりものが大量に出てきたのに気がつく。
 そして、3時間後11時半、診察台で即刻入院を宣告される。
 病名は 「切迫流産」
 できたばかりの胎盤が、子宮からはがれ落ちそうになっているらしく、子宮内は血で
真っ赤だったという。さらに血に染まったおりものが大量に子宮につまり、それを排出
するために本来は閉じていなければならない 子宮口が1センチ以上開き始めていた
 子宮口は本来、出産のときまで閉じていなければならない。それが開いていたという
ことは、まだ生きている赤ちゃんを、身体が異物と判断して外に排出しようとする動き
だったのだ。
 そのまま、 重度の安静 を言い渡され、車椅子で病棟へ。

 とんでもなくツライ 「入院安静生活」 がスタートする。



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