みみ の だいありぃ

みみ の だいありぃ

星になったおじいちゃま


トイレに入るのも、扉を閉めるのが怖かった。
だから、すこーしだけ空けておいた。
顔を洗うとき、目をつぶるのが怖かった。
だから、顔を右半分、左半分、と、片方ずつ洗った。
私の大好きなおじいちゃまが亡くなるまで・・・

私は母方の祖父母にとって、初孫である。
だから、親戚中に本当にたくさんの愛情を注いでもらっている。
祖母は、祖母が嫁いで母達が小学校に入った頃から、私が高校生のころまで、40年近く、高校で英語の先生をしていたという、きびし~いお方。
その反面、祖父は、やさし~い人だった。

母が恥ずかしいって思うくらい「この子はべっぴんだ。この子はかしこい。世界一!」って言っていたらしい。
じじバカね。
でも、祖父は、なにより、私の目が好きだったようだ。

祖父はとにかく優しい人だった。
母たちが子供の頃から、とにかく、優しかったらしい。
宿題が終わらなかったら、母が横で寝てるって言うのに、祖父が夜通しがんばってくれたらしい。
風邪を夜通し起きて看病してくれる。
夏は子供たちが寝付くまで、ずっとうちわを仰いでいてくれる。

祖父は昔から大の動物好き。
動物と会話が出来た。
ジョリーはおとこらしくしっかりした子だったけど、おじいちゃまにはすごく甘えた。

ある時、祖父が運転していたトラックから、犬が落ちてしまっていたらしい。
京都から伊丹に帰る途中だったかな?
祖父はショックで、さがしまくったらしい。
でもね、5日後に帰ってきたんだって。
本当の話です。

そんな祖父は、孫達に、スーパー優しかった。
私は、おじいちゃまが大好きだった。
祖父母の家は、自転車で15分くらいのところ。
中学生のころから、祖母に英語を習っていたので、週に一回、一人で祖父母の家にチャリで行った。
勉強が終わると、待ちに待った祖父と散歩。
途中でアイスクリームを買ってもらったり、文房具を買ってもらったり。
私が喜ぶ顔を見るのが生きがいだったみたい。
子供の私は、そんな祖父にものすごく甘えていた。
私が祖父母の家から帰るとき、どこまで行っても、マンションの階段に立つ祖父の姿が見えた。
点になるほど遠くても、まだ見えた。

そんな祖父が、具合が悪くなった。
糖尿病だったのだ。
祖父が入院し始めたのが、高1の春だった。
それまでにも数ヶ月入院、なんてことはあったけど、今回のは長かった。
祖父の病院までチャリで40分以上。
バスで20分くらい。
でも、チャリにのって、一人でお見舞いに行ったときもあった。
私が行くと、ものすごく喜んでくれた祖父。
祖母は毎日いたけれど、母とかと一緒に訪ねるのも合わせたら、週に2回は最低行っていたかな。
私達が帰る時は、車が見えなくなるまで祖父は窓に立って手を振っている。
私がバスで帰るときは、バスが来るまで待っていてくれる。
チャリで帰るときは、もう米粒より小さくなっても、手を振って立っていてくれた。

でも、いつの間にか、祖父には私がだれだかわからなくなった。
「あんたさんはだれでっか~。健康そうなかわいい子で。うちにも孫がおりまんねん。あんたさんみたいにべっぴんさんでっせー」とかね。(こんな感じ。関西弁、自信なし)
はじめはショックだった。
その日は夜、声を上げて泣いた。

わからなくなった後、おじいちゃまんところにお見舞いに行くねとかいって、男の子と遊んだことも一回あった。
後悔している。

高1の秋、数学のクラス中。
窓際に座っていた私は、ふと、強烈に祖父のことを思い出した。
木の間に小鳥が一羽、舞っていた。
光がきれいだった。
おじいちゃま・・・
なんだか、強く思った。
その後、時計を見たら10時55分。
10月2日だった。

その日、家に帰っても母がいない。
弟たちは「お母さん、どこー?」とか聞いてくる。
さあ、なんて言ってると、電話がなった。
母からだった。
「おじいちゃまが亡くなったの。3人で自転車でおばあちゃまの家まで来て」
なんだか良く分からなかった。
でも、長女として、弟たちをまとめて祖母の家にいかなくっちゃって思った。

祖父母の家に着いたら、叔父もおばもみんないた。
で、冷たくなったおじいちゃまが、なんだか白い服を着て寝ていた。

祖父は11時ごろ、亡くなったそうだ。
すっと息をひきとったらしい。

横たわっている祖父を見て、訳が分からなくなった。
おじいちゃまのつるつる頭を触ってみた。
冷たかった。
嘘でしょって思った。
鼻をみたら、綿が詰まってる。
口をあけても詰まってる。
綿なんかつめたら、もし、生き返ったらどうするのよ!!
必死で綿を取り出した。
おじは泣きながら私をとめた。

綿のことは諦めた。
おじいちゃまの頭にある、わずかな髪の毛をとくことにした。
一本でも乱れないように。
私は祖父の側を離れられなかった。

祖父をおかんに入れるとき、おじたちが声を上げて泣いた。
祖母も母も私も弟たちも、みんな泣いた。

それから、お通夜。
そして、次の日はお葬式。

その時、愛犬ジョリーは、祖父の死を知っていたのだろう。
一晩中、悲しそうな声で、ずーっとずーっと泣いていたらしい。
お隣さんが、「おたくどうかした?ジョリーが悲しく泣いていたから」って言うほどだった。

お葬式の間じゅう、おじいちゃまの優しい思い出ばっかりが頭に浮かんだ。
おかんに花を入れるとき、私は辛かった。
白い菊に囲まれたおじいちゃま。
似合わないよ。
バラとかゆりがすきなんでしょ。
石でおかんにくぎを打つとき、私はみんなを阻止した。
まだ分からないよ、生き返るかもしれないよって。
でも、無駄だった・・・。

骨になったおじいちゃまは小さかった。

おじいちゃまが亡くなって、しばらくは悲しみと戦った。
学校でも、急に泣き出したりしてしまった。
でもね、ある時、考えを変えた。
おじいちゃまは、今度は、いつでもいつでもそばにいてくれるんだって。

高校1年の夏、アメリカ留学の試験を受けた。
結果が分かったのが10月の終わり。
おじいちゃまに伝えたかったな。試験に受かったこと。
絶対、めちゃくちゃ喜んでくれたのに。

それからは、顔を洗うとき、ちゃんと洗える。
夜も一人でも怖くない。
おじいちゃまがいてくれるから。

お星になったおじいちゃま。
祖母の弟によると、祖父は霊界で位が高いらしい。
だから、私達のことを守ってくれるんだって。
ほんとかどうだか、さっぱりわからないけど、そんな気がする。
だから、ジョリーが亡くなったときも、キャッコが亡くなったときも、おじいちゃまと一緒って思うと、気が楽になった。

お星様になったおじいちゃまは、永遠に私の側にいてくれる。
アメリカも、日本も、一瞬で移動できるし。

10月2日の頃、お盆の頃、いつも自然におじいちゃまを思い出す。
おじいちゃまは、ちゃんと私に会いに来てくれているのだ。
高1の10月2日の数学の時間に来てくれたのと同じ。

好き勝手に生きてきて、今はアメリカにいる私。
日本の家族のこと、おじいちゃま、よろしくね!
そして、私のことも、よろしくね!

死っていつかは必ず来る。
だから、いつ、その時がきてもいいように、いつでも愛する人達に、愛しているってことを伝えていたい。
自分も後悔しないよう、思いっきり生きていきた


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