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毎日新聞朝刊のスポーツ欄に「続・女性の健康50話」(毎週日曜日)というのがあり、なかなか好評な欄だそうです。その8月3日(明日)から9月7日までの日曜日掲載分の6回にわたって、管理人が執筆を担当することになっています。主に「こころとからだの対話」「からだの声を聞く」をテーマにする予定です。興味のある方はご覧下さい。また、見られた方は、ご意見を頂けるとありがたいです。
2008.08.02
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ワークショップのお知らせです。「からだの声をきく-バイオフィードバック-」第2回第1回に引き続いて、今回は第2回を行います。Date: 2008年4月26日(土)第一部 9時30分~12時30分第二部 13時30分~16時30分In: イーストウェスト対話センター(大阪 朝潮橋)興味のある方は、是非お越し下さい。【第一部】「からだへの気づきの大切さ-ボディアウエアネス・バイオフィードバックの実践」 【第二部】「からだの実践を心身医学に結び付けるために-Alexisomia (アレキシソミア、失体感症)とソマティクス」 第一回に引き続き、ボディーワーク・ソマティックスと心身医学の研究、そして、アレキシソミアとソマティックスについて議論していきます。
2008.04.21
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ワークショップのお知らせです。おかげさまで、昨年10月の立命館大学での「21世紀統合医療フォーラム」のバイオフィードバックのワークショップに反響があり、その続編として行うことになりました。興味のある方は、是非お越し下さい。ワークショップ 第1回「からだの声をきく-バイオフィードバック-」Date: 2008年2月10日In: イーストウェスト対話センター(大阪 朝潮橋)
2008.01.10
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「今の自分のままを認める」というのは、なかなかに難しいものです。どうしても、「こうあらねば(だけどそうできてない)」「あんなことをしてしまった自分はダメだ」「いつもこんなふうになる自分を変えなければ」などと思ってしまいます。もちろん、「向上するためには自分を変えなければならない」「現状の自分に満足していては向上はない」というのも正しいでしょう。それが努力につながり、素晴らしい未来を開くから。しかし、今の自分を否定して、「変えなければ」「向上しなければ」という意識が強すぎると、自分らしさが見失われてしまいます。そうすると、心から前向きになれなかったり、無理が出てきたりして、自分らしく輝くことができなくなります。この2つは矛盾するようにも思えますが、実はそうではない。階段を登るときに、しっかりと今の一歩を踏みしめなければ次の段には登れないように、今の自分を肯定して認めなければ次の自分にはなれないのです。「知足」という言葉があります。「足るを知る」すなわち、今自分にあるものを知る。「足るを知ることは、成長を諦めることではありません。むしろその逆で、足るを知り、つまり自分を知り、その自分にできることを着実にこなして小さな幸せを蓄積していくことによってこそ、人間は成長できるのです。」(浅田次郎「絶対幸福主義」)「今の自分のままを認める」というのは、現状に満足して止まってしまうのとは違う。むしろ、次に進むために自分を認めることが必要です。もちろん、何でもかんでも自分を肯定すればいいというわけではない。欠点は欠点として認め、長所は長所として認める。ありのままの自分を正しく認めることが大切です。「自分を変える」のではなく、そのようにしていったときに自然に「自分が変わる」。変わったら変わったで、変わった自分も認めてあげましょう。
2007.12.24
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<新しいバイオフィードバックのかたち:Body Awareness Biofeedback>前回に述べたような従来のバイオフィードバックは、身体の状態をより適切な状態にコントロールする、ということに重点がおかれていました。このようなバイオフィードバックが有用なケースも多々あります。しかし、バイオフィードバックの本当の有用性は、身体を思うようにコントロールすることだけではありません。バイオフィードバックは、からだとの対話をする手段として、すなわち、「からだの声を聞く」手段として有用であり、後述する、「一人称のからだ」と「三人称のからだ」をつなぐものとしての役割があります。すなわち、コントロールできるかどうかよりも、コントロールを試みるプロセスにおいて、どうからだと対話し、からだの声を聞くかに重点をおきます。患者自身のからだの状態を、いまここで信号として客観化されたものを、治療者と患者が共に見て(共有)、共に考え、患者の主観的なからだの感覚との関係を考え、共に気づきへのプロセスを味わっていく。このようなバイオフィードバックを私たちは目指しています。このような、気づきや対話に重点をおいたバイオフィードバックをBody Awareness Biofeedback と呼んでいます。
2007.12.23
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<(従来の)バイオフィードバックの方法>例として「筋電図」を考えてみます。より筋肉を緊張させると、より筋電位が高くなります。この緊張度は自分である程度感じることができます。しかし、身体の感覚が低下している場合、この筋緊張を自覚できないことがあります。自覚がなければそのレベルを落とす(すなわち弛緩する)こともできません。また、自覚していたとしても、思うようにそのレベルを落とすのは簡単ではありません。知らず知らずの過緊張が習慣化すると血流も悪くなり、慢性疼痛の持続因子になることもあります。そうなると、疼痛のためにますます動かさなくなって緊張も強くなり、循環も悪くなる、という悪循環に陥ります。また、書痙や斜頚などでは、筋緊張が自分の意志に反して起こってしまいます。すなわち、) 筋肉の緊張に気づいていない(「知らず知らずのうちに緊張してしまっている」)2) 緊張に気づいてはいるが、緊張を取ることができないという2つの場合があります。1) については、緊張が習慣化して感覚が低下してしまったり、さまざまな心理的葛藤が筋緊張につながっていたりします。そのような場合は、それに気づくことが第一歩となります。2)の場合は、「なかなか思うように緊張が取れない」「力が抜けない」という場合です。この場合は、力の抜き方を知ることが第一歩となります。このいずれにも、バイオフィードバックが役に立ちます。まず、筋電図をフィードバックし、力を入れたり抜いたりしたときの変化をみます。ここで、筋電位が高いときと低いときとの「身体感覚の違い」に注意するようにします。次に、その感覚を手掛かりに、フィードバックを受けながら、筋電位のコントロールを試みます。これには筋弛緩法や自律訓練法などの特定の方法を用いる場合と、特に方法は用いず、自由に行う場合とがあります。初めはなかなか思うようにいきませんが、重ねるうちに可能になってきます。脳の中に今までに無かった新たな回路を作る、という言い方もできます。バイオフィードバックは、コントロールできているかどうかを客観的な指標で自ら確認しながらできるのがメリットです。リアルタイムで確認することで、身体の感覚と実際の状態とのギャップを埋めて、気づきが高まり、正しいコントロールができるようになります。そして、最終的にはフィードバックはなくても心身のよい状態を保てることを目指します。
2007.12.23
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<バイオフィードバックで用いられる指標>具体的に代表的なものを挙げると…。1)筋電図:筋肉の緊張・弛緩をみる。緊張が強いられる現代の生活では、持続的な筋緊張が関与する肩こり、頭痛、腰痛、慢性疼痛などが問題となっています。このような病態に関わる筋緊張の度合いを捉えます。2)スキンコンダクタンス:情動性発汗をみる。発汗の中でも手掌発汗は中枢性で、情動の変化に対応しています。ウソ発見器はこれを用いたもので、心理的な動揺でも鋭敏に変化します。覚醒の度合い、精神的な動揺/安定性、緊張/弛緩などを捉えます。3)皮膚温:皮膚の温度をみる。末梢血管の収縮拡張などによって、皮膚温は常に変化しています。ストレスがかかると末梢の血管は収縮して循環が悪くなり、皮膚温は低下します。皮膚温はこのような状況に応じた末梢循環の変化を捉え、自律訓練法などのリラクセーションの指標としても重要です。4)容積脈波:末梢血管の収縮拡張をみる。皮膚温とともに、末梢血管の変化をより直接的に捉えます。また、脈波から脈拍数が分かり、心電図をつけなくても心拍数を捉えることができます。5)呼吸:呼吸のパターン・深さ・速さをみる。呼吸はさまざまな身体調整法の鍵となるものです。意識と無意識の接点でもあります。呼吸を捉えることで、心身のさまざまな状態を推定することができます。6)心電図:心臓の働きをみる。心臓は言うまでもなくからだの活動の源です。身体的な状態はもちろん、心理的な状態によってもその鼓動は大きく変化します。バイオフィードバックでは主に心拍数と心拍変動を捉えます。心拍数は人間の生体リズムの源です。緊張すると「ドキドキする」と言われるように、自律神経系の緊張/弛緩の総合的な指標でもあります。7)心拍変動は、自律神経の働きを客観的に捉えたものとして、最も研究がなされている指標の一つです。心拍変動から、自律神経系の適応の柔軟性、交感神経・副交感神経のバランス、緊張の度合いなどを評価することができます。
2007.12.02
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先日のフォーラムを機に、バイオフィードバックについての文章を新しくしました。順にアップしていきます。<バイオフィードバックとは>バイオフィードバックとは…・刻々と変化している・今ここにあるからだの状態を捉えて・からだの状態とその変化の過程を・からだの持ち主に・いまここでフィードバックし・それを治療者と共有し・からだの状態を知り・からだの声を聞き・からだを望む状態に調整したり・気づきを深めたりする方法…です。私達のからだは動的なものです。「いま」のからだと「過去」-例えば1時間前-のからだとは違います。「未来」-例えば1時間後-のからだはまた変化しています。例えば、心臓は常に鼓動を繰り返していて、血液は常にからだの中を循環しています。そのために末梢血管に脈が生じ、皮膚の温度は常に変化します。汗の量は体温を調整するために刻々と変動し、胃腸は蠕動運動を行い、筋肉は緊張と弛緩を繰り返しています。そして、心理的なストレスによって、これらの動きは大きく変化します。このように常に変化しているからだの状態をとらえる手掛かりとしてさまざまな指標が考えられますが、バイオフィードバックでは動的な変化をとらえやすい指標、すなわち精神生理学的指標を主に用いて、それを治療的に扱います。
2007.12.02
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お知らせです。2007/10/20(土)-21(日)立命館大学にて「21世紀統合医療フォーラム」 - 心身医学と一人称のからだの出会い - が開催されます。ボディワーク、ソマティックス、心身医学に関係するさまざまなワークショップなどがあります。興味のある方はどうぞ。
2007.10.20
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前回、鎧(ヨロイ)という筋緊張のあり方について、本来「ありたい自分」と「あるべき自分」(⇒鎧)とのギャップが、さまざまな身体症状を生み出すのではないかと述べました。では、このような鎧や仮面をとればよいのかというと、そう単純なものではありません。この鎧や仮面はその人が生きていく上で、必要なものでもあるからです。ただ、それが歪みを生み出している場合には、少し鎧や仮面の「あり方」を見直す必要があるかもしれません。津村喬氏は、気功は「身振りの再編集」であると述べています。この言葉を借りるなら、「鎧の再編集」をする手助けをするのが、各種のボディワークや心身医学的アプローチ、身体を扱う心理療法の基本ではないでしょうか。ここで重要なことは、「鎧の再編集」を行うのは、その人自身であるということです。ボディワークは「鎧」に揺さぶりをかけます。心身医学的アプローチや身体を扱う心理療法も同様です。しかし、セラピスト(治療者、援助者)主導で「鎧」をとろうとしたり、ある方向に向かってあり方を変えようとすると、抵抗に遭ったり、余計にしんどくなってしまうことがあります。あくまでその人自身が「鎧」のあり方に気づき、その意味に気づいていくプロセスが重要なのです。そのあり方を変える方向や時期、再編集の方向性を決めるのはその人自身であって、セラピストではありません。アプローチを行うセラピストは、専門家の立場から、その人自身が再編集を行うきっかけを作ったり、手助けする役割を担います。クライエント(患者)の側からすれば、先に述べたように、鎧の意味に「気づく」ことが再編集への第一歩となります。そこから先は、決まった答はありません。それぞれに、自分がどのようなあり方をするのがよいのか、専門家の助けを借りながら、答えを自ら見出して、再編集を進めていくことになるでしょう。
2007.09.23
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オーストリア生まれの精神分析学者である、ウィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich:1897‐1957)は、抑圧された願望や不安・怒りなどの感情、ある種の性格的な態度は、筋肉の緊張と関連していることを明らかにしました。この筋肉の緊張は片桐ユズル氏によって「鎧(ヨロイ)」と訳されています。ライヒは、身体的な鎧と心理的な鎧は本質的に同じものであるとしました。このような鎧をときほぐすアプローチが、今日のさまざまなボディワークの流れの源流になっているようです。人間は成長の過程において、さまざまな人間関係の中で、身体的にも心理的にもいろいろな「鎧」や「仮面」を身につけていきます。生まれたての子供は感情をそのまま表現します。そのまま表現しても全て受け入れられる。しかし、成長するにつれて、感情の表現を抑制するようになります。これは社会性の獲得ということでもあり、必要な過程でもあります。しかし、十分な母親のアクセプト(受け止め)がない場合や歪んだ愛情によって育てられた場合は、過度に感情の抑制を強いられ、それを学習して生きることになります。また、人間は成長するにつれて、さまざまの周囲からの要求に応えなければならなりません。「○○らしくあれ」「○○としてはずかしくないよう」「○○としての役割を果たし」などです。このような中で生じる感情表現の抑制は、身体の抑制につながり、それが学習されて徐々に強化され、「鎧」や「仮面」の形成へとつながっていくと考えられます。このような「鎧」が筋緊張などを通してさまざまな身体症状を生み出します。「鎧」や「仮面」(あるべき自分)と、ありたい自分とのギャップがさまざまな身体症状となって表れる、とみることもできるでしょう。さて、これでしんどくなっている場合はどうすればよいのか、それについては次回に述べたいと思います。
2007.06.16
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心と身体は一体のものであり分けられないということは、以前にも書きました。しかし、情報があふれ、自然からかけ離れた偏った生活を強いられる現代社会では、種々のストレスやそれに伴う葛藤などから、この一体感が失われ、「乖離」してしまうことが多いようです。心身症に特有の心理的病態の一つと従来から言われているのがアレキシサイミア(Alexithymia; 失感情症)です。アレキシサイミアは感情の気づきや表現が困難で、内面への気づきに乏しい状態です。アレキシサイミアでは大脳辺縁系などの情動と、高次新皮質の知性との機能的伝達障害(=乖離)が関連していると考えられています。一方、日本の心身医学を創始した池見らは「アレキシサイミアのケースでは感情だけでなく、身体感覚の気づきも低下していることが多い」と述べ、その状態をアレキシソミア(Alexisomia; 失体感症) と呼びました。感情の気づきの低下した状態では、情動が抑圧されやすくなり、知性と感情や感覚との間のコミュニケーションがうまくいかないことなどから、抑圧された感情が身体症状化しやすくなるようです。また、あまりに強いストレスから、自分自身を守るため(防衛的)に身体感覚が低下することもあります。このようなことから、心身症や機能性身体疾患では、身体感覚の増幅や低下が生じやすくなるのではないかと推測されます。ごく単純に言ってしまうと、○アレキシサイミアは、情動と高次の知性との「乖離」で、「心の声」が聞けない状態○アレキシソミアは、もう少し原始的レベルである身体感覚と高次の知性との「乖離」で、「身体の声」が聞けない状態と言うことができるでしょう。心も身体も含めて統合し、全体性が保たれているのが本来の人間の姿ですが、全体性が失われ、さまざまなところで「乖離」が生じてくると、心身症や機能性身体疾患などのさまざまな病態を引き起こすことになります。「乖離」を少なくして、全体性を取り戻すためにはまず、「身体の声」や「心の声」によく耳をすませて、その声を聞いていくことが大切です。バイオフィードバックや「からだ・気づき・アプローチ」などの心身医学的アプローチは、乖離を乗り越え、全体性を回復する手助けをするものです。
2007.05.03
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50台のある女性。約1年前から頭痛が始まり、さまざまなところのさまざまな診療科を受診されたのですが、よくならずに心療内科に来られました。自分の為に生きてきたというより、他人のために生きてきたようなその方の頭痛は、自分の問題よりも家族の問題によって左右されます。一見、「すごくいい人」でもあります。しかし、話を聞いていると、どうも「自分がない」感じです。周りの人達の状況に対する反応は大きいのですが、そのために自分を見失っているようにも見えます。本当の自分と、周囲の状況に反応し右往左往する自分との間の「ギャップ」が、頭痛となっているように思えてなりません。そのように右往左往しなければ、自分を保てなくなっているようでもあります。一言で言えば、「中心がない」感じ。心身症によくある過剰適応とはまた違うようです。過剰適応は、自分はあるけども、周囲への適応が過剰で、そのために自分を抑えてしまいます。すなわち、自分(自己=セルフ)が抑えられて自由にならないのですが、この方は、抑えるというより、自分(自己=セルフ)という中心がないのです。このようなケースには中心(セルフ)を高めていけるようなアプローチがよいのではないかと思います。自己(セルフ)と心、自己(セルフ)と身体、の間の対話を行うことによって、自分という中心が明確化します。そして、本当の自分と右往左往する自分とのギャップが小さくなり、失っていた自分を取り戻していけるのではないでしょうか。そうなれば、もはや頭痛は問題にならないでしょう。
2007.03.21
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心身症や慢性疼痛などの患者さんで、こういうケースがあります。・感情はいろいろあるけれど、それがうまく表現できない。・身体の緊張が高いけど、それを感じることができない。・身体の症状が感情や情動と関連がありそうだけれど、その自覚がない。 あるいは、認めたくない。一言でいうと、精神的・身体的なエネルギーはある程度高いのですが、その高いエネルギーの向く方向がばらばらであったり、相互のコミュニケーションがうまくとれないために、統合できないという状態です。そのためにエネルギーが有効に使われず、うつというわけでもないのに、疲労感が大きくなります。このようなケースでは、ばらばらな状況に気づき、統合していくというプロセスが必要です。でも、これはそうそう簡単にできるものではありません。一つの方法として、からだの感覚と「キャッチボール」や「対話」をするところから入るやり方があります。からだの感じていることにまずはよく耳を傾けます(からだの声をきく)。聞く耳を持つという姿勢がまずは大切です。「聞いてやるぞ」という姿勢ではなく、「よく耳を傾けてきく」という姿勢です。そして、今度はからだに働きかけます。動かしてみるのもよいし、言葉で話しかけるのでもいい。「キャッチボール」や「対話」は一方通行ではないので、やりとりを続けることが重要です。そのような「キャッチボール」や「対話」を続けていると、何らかの気づきが生じるはずです。それをきっかけとして、自分の中にある、感情、情動、知性、身体という要素が統合されて、有効に機能するようになっていきます。前述のように、決して簡単な過程ではありませんが、気づきが深まっていくと、少しずつ自然にすすんでいきます。ちょうど、野球やサッカーで、チームワークがうまくいかなければどんな強い選手が集まっていても勝てないけれど、チームワークやコミュニケーションがうまくいくと、選手力の総和を最大限にすることができ、勝てるようなものです。「からだ・気づき・アプローチ」はそのようなプロセスを助ける方法の一つです。
2007.03.10
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「からだ・気づき・アプローチ」の概念に基づく、具体的なアプローチの方法です。これには決まった答えはなく、日々模索しているところですが、現在のところは次のような方法を適宜組み合わせて行っています。(1) 何らかの身体からのアプローチ(主にリラクセーション法)を行う。 自律訓練法、リラックス呼吸法、筋弛緩法、場合によっては催眠など。 もし治療者が何らかの代替療法を行える場合は、それを用いることもあります。(2) バイオフィードバックを用いる。 身体で起こっている変化を眼に見える形にします。 下記の例を参照して下さい。(3) 心理療法の枠組み。 枠組みとして、治療者クライエントの関係も考慮した、心理療法の枠組みを用います。(4) (1)-(3)のアプローチで出てきたことをコンセプトに基づいて扱う。 どこまで扱うかは治療者の力量や枠組みによって変わります。例)バイオフィードバックを中心に行う場合(他の場合でもかなり共通するプロセスです)。1) バイオフィードバックによって、普段は気づかない、刻々と変化するからだの状態をとらえます。フィードバックされた身体の状態と、自分で感じるからだの感覚との間の乖離に気づくことが手掛かりになって、「身体との対話」が可能になります。また感情によって動く指標を用いる場合は、一種の外在化の形になります。2) 身体との対話を通して身体感覚や心身相関など、いろいろな気づきが深まり、それを治療者と共有します。そのような気づきは、やがて症状の意味に気づくことにつながり、自己の統合がなされて本来の自分を取り戻します。3) 感情の外在化を行った場合は、自己の感情に気づき、それを治療者と共有することでカタルシスなどの心理的プロセスが起こります。 また、身体の状態がどのような感情と結びついているかを確認する中で、症状の意味(身体が伝えてくれていること)に気づき、自己の統合へと進みます。セラピスト研修・見学のご案内
2007.02.27
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唄を忘れた金糸雀(かなりや)は後の山に棄てましよかいえいえ それはなりませぬ唄を忘れた金糸雀は背戸の小藪に埋(い)けましょかいえいえ それはなりませぬ唄を忘れた金糸雀は柳の鞭でぶちましよかいえいえ それはかわいそう唄を忘れた金糸雀は象牙(ぞうげ)の船に銀の櫂(かい)月夜の海に浮べれば忘れた唄をおもいだす(「唄を忘れたカナリヤ」 西條八十「砂金」より) あなたにとっての「唄」は何でしょう。その人が最もその人らしく輝けるもの?それを忘れたカナリヤは価値がないのでしょうか。いえいえそんなことはありません。唄を忘れた金糸雀も、月夜の海に浮かべれば、忘れた唄を思い出すように、忘れていた自分らしさは取り戻すことができる。カナリヤといえども唄を忘れてしまうことがある。あまりの難度の波がうち寄せたとき、人は自分を見失ってしまうかもしれない。それでも、象牙の船に銀の櫂、月夜の海に浮べれば、忘れた唄を思い出す。自分らしさを取り戻すことができる。唄を思い出すのに特別なものは要らない。ただ、月夜の海があればいい。ちょっとしたことが「象牙の船」になり、「銀の櫂」になり、そして「月夜の海」になる。
2007.02.21
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「身体を扱う」ということと「心を扱う」ということの関係について触れてみます。現代の西洋医学では「心」は「精神」として分離し、「身体」とは別に扱うのが当然とされてきました。心理療法では「心」を扱うのが一般的です。しかし、西洋医学のような分割主義では本質をとらえきれないことから、人間を全体としてとらえようとする動きがいくつか出てきました。心身医学や統合医療、ナラティブ・ベイスト・メディスンなどです。いずれも心も身体も含めた全体から捉えようとするものです。東洋では古来「心身一如」という概念があり、心と身体は切っても切り離せない、表裏一体のものであるとされてきました。わが国では「身(み)」という言葉があり、心や身体という概念を超えた統合体としてとらえられています。一方、西洋では、心と身体を分けた上で、その関係性を見ようとする発想が根強いです。我が国にユング心理学を紹介した河合隼雄氏は、いくつかの文献で物理学者のデイビッド・ボームの比喩を引用して、心と身体の一体性について述べています。「透明な四壁で囲まれた水槽の中を、一匹の魚が遊泳しているとする。このとき互いに直角になる二つの側面からその魚の姿を撮影し、それを二枚のスクリーンに映写したときの、二枚のスクリーン上の二つの映像が心と身体であり、魚が人間の実体である。」二つのスクリーンの映像は活動する実体のある面を映し出していて、それが「心」と「身体」の状態であり、活動する実体はスクリーン上の二つの内容より高次元のものであって、この存在が人間存在である、と述べています。すなわち、心と身体の関係性は、別個のものが互いに関係し合うというものではなく、一つの実体のある側面を投影したものということです。このように考えると、「心」と「身体」は、本来分けられるものではないことが分かります。従って、意識するしないにかかわらず、「身体を扱う」ということは「心を扱う」ことになり、「心を扱う」ということは「身体を扱う」ことになるのです。例えば、医師が身体的な診察を行うとき、聴診器を当ててもらうだけで安心した感じがする、という経験のある人もあるでしょう。身体の力を抜くリラクセーションによって、心の壁も取れて、いろんなことが話しやすくなる、ということもよくあります。心理療法では「心」を扱いますが、その「身体」に及ぼす影響は無視できません。心理的な状況が変化したときに、倦怠感や動悸、胃痛などの身体症状が改善することはよくあることです。このように、「身体を扱う」ままが「心を扱う」ことになり、「心を扱う」ままが「身体を扱う」ことになる、という観点を持ちながら、心身を扱うということが重要です。
2007.02.13
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心身症や機能的な身体の症状が出る疾患では、自分の感情に気づきにくくなったり、からだの感覚に気づきにくくなったりすることが、病態に関わっていると言われています。アレキシサイミア(Alexithymia; 失感情症)は感情の気づきや表現が困難で、内面への気づきに乏しい状態です。アレキシソミア(Alexisomia; 失体感症)は身体感覚の気づきが低下した状態です。心身医学の草分けである故池見ら(1986)は「アレキシサイミアのケースでは感情だけでなく、身体感覚の気づきも低下していることが多い」と述べ、その状態をアレキシソミアと呼びました。一方で、身体の感覚が過敏になるという報告も多くあります。現代のストレスフルな生活の中では、ストレスやアンバランスな生活などからさまざまな乖離が起こってきます。例えば、感情と知性のコミュニケーションがうまくいかない、身体と知性のバランスが悪くなる、などです。感情の気づきが低下した状態では、本能的なレベルの情動が感情として発散されないために抑圧され、抑圧された感情が身体の症状となって表れるということが考えられます。それが、身体感覚の過敏性という形になることもあります。また、慢性的なストレスにさらされた状況では、感情や身体の気づきを鈍くすることで自分を守る(=防衛)ということもあります。このような状態では、自分のからだの感覚や感情に気づいていくというプロセスが必要です。言い換えれば、無視していた、あるいは、聞かないようにしていた「身体の声」や「心の声」に耳を傾けるということです。そして、身体の症状の持つ意味(からだが伝えていてくれること)を知ることも重要です。そのようなプロセスを促すのが「からだ・気づき・アプローチ(Mind-Body Awareness Approach)」です。「身体の声」が聞けるようになると「心の声」にも気づきやすくなります。その第一歩として「身体の声」に耳を傾けるところから入るのが「からだ・気づき・アプローチ」です。例えばバイオフィードバックでは、普段は気づかない、刻々と変化するからだの状態をとらえます。フィードバックされた身体の状態と、自分で感じるからだの感覚のとの間の乖離に気づくことが手掛かりになって、「身体との対話」が可能になります。「身体との対話」を通して、徐々に感情との対話(心との対話)もできるようになり、心身の本来の姿を取り戻していきます。
2007.01.28
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ある患者さんが言われていた、うつで落ち込んだときの対応です。全ての人に適応できるというわけではないでしょうが、ご参考までに。1)あわてない。あたふたしない。 落ち込んでいるときに、あたふたもがいても余計に深みにはまってしまうので、余計なことはせずに改善するのを待つのはよいでしょう。ただし、薬が必要な場合にはきちんと服用します。2)自分の気持ちを優先する。 自分がしたいと思うならそれをする。したくないなら、しないという選択もある。周囲よりも自分の気持ちを優先することで、エネルギーを回復するということです。3)人に助けを求める。 まじめで人に迷惑をかけたくないという気持ちが強い人が、気を使い果たしてうつになることがあります。そういう人は、人に助けを求めるのは悪いことと思っていることがありますが、助けを求めて楽になる方が、かえって迷惑をかけないことも多いものです。うつは基本的にエネルギーの枯渇した状態なので、自分を責めたりがんばったりすることは、さらにエネルギーを使うことになり、悪化させます。じたばたせず、気を使わず、余計なことを考えず、自然な回復を待つような姿勢がよいと思います。
2007.01.20
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「子供はまず自発的行動を抑えることを、それが習慣になるまで学ばなければならない。自然な行動の実際のはけ口がないと、自然な行動の反応に伴う活動や、それを果たす身体活動は抑制される。」(「心と身体の対話」バーバラ・B・ブラウン)子供は感情のままに表現したり、行動したりします。そして、次には大人の行動をまねすることで社会適応の仕方を学んでいきます。まねして学んでいるうちはいいのですが、やがて大人になると、感情のままに行動したり、自然に行動したりすることを「抑える」ことを「それが習慣になるまで」学ぶことになります。これが、感情の抑圧や行動の抑制の習慣化につながります。こうなると、筋肉は緊張して行動の用意を整えても、それが実行されることはなく、不完全燃焼の状態から慢性的な筋緊張へとつながっていきます。慢性的な筋緊張は血行を悪くし、肩こりや緊張型頭痛、腰痛などの慢性疼痛の一因になります。慢性的な筋緊張はこんな深いところから生じていることがあるのです。また、そのもう一つ奥には感情の抑圧があります。感情を抑えることが習慣化し、行き場を失った感情は、筋緊張だけでなくさまざまな身体症状につながることにもなります。このような感情の抑圧から、感情の気づきや表現に乏しくなった状態は失感情症(アレキシサイミア)と呼ばれ、心身症との関連が深いとされてきました。このような状況では、慢性的な筋緊張の背景に「身体感覚のシャットアウト」も起こっていることが多く、これを失体感症(アレキシソミア)と言われます。感覚や感情を遮断することで防衛しているともとれるし、症状の持続因子になっているともとれます。このような感覚や感情に気づいていくプロセスは、感情や感覚の「復興」であり、非常に重要なプロセスであると考えられます。
2007.01.02
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なかなか弱音を吐かない人もあれば、すぐに弱音を吐く人もあります。すぐに弱音を吐く人の中にも、弱音を吐きながら上手に自分を調整して、仕事ややるべきことをやってしまう、という人と、すぐに弱音を吐いて挫折してしまうという人があります。弱音を吐きながらやっていける人は、上手に自分の感情を処理してやっている人であり、周りが大迷惑ということでない限り、それでいいでしょう。すぐに挫折してしまう人は、なかなか物事が達成できないことが逆に重荷になっていることがあります。弱音を吐くのはいいですが、その分一つ一つ物事を達成するようにした方がいいかもしれません。問題は、弱音を吐かないでがんばる人の場合です。一見素晴らしいように見えるし、実際周囲からは「いい人」「がんばっている人」と評価されます。この中にも、本当に吐くべき弱音がないから吐かないという人と、弱音を吐きたくても吐けない、という人があります。でも、本当に吐くべき弱音がない、なんてことがあるのでしょうか??弱音を吐きたくても吐けないという人の場合、意識で弱音を吐かないので、「身体が代わりに弱音を吐く」ということがあります。心身症はこういう状態のことがあります。特に筋緊張が強く、緊張型頭痛や肩こり、慢性の痛みなどの場合は、こういうケースが多いようです。身体は意識と無意識の中間にあると言われます。弱音を吐けない葛藤が無意識のレベルに蓄積されていくと、もっと大変なことになりかねません。そういう意味では、「身体が弱音を吐いている」という状態は悪くはないのですが、その「身体の声によく耳を傾ける」ということが一番大事です。身体が吐いてくれている弱音を無視して、さらに深刻なことにならないように、よくよく身体の声に耳を傾けてみましょう。
2006.12.29
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心療内科の外来で診ている患者さんが興味深いことを言っておられたので、ご本人の許可を得て紹介します。その方はまじめな方で、いろいろな状況に左右されやすく、過度に反応してしまうために、しんどくなってしまうという傾向のあった主婦の方です。先日、その方がいつものようにドキドキする感じ(動悸感)があったので、自分で脈をとってみたところ、特に速くもなっていなかったし、乱れてもいなかった。そのときに、ふと身体の中から「全然大丈夫じゃん」という声が出てきて、思わずそれをそのまま口にして言った。すると「ふっと楽になった」と言われるのです。また、ストレスがかかる場所に、出かけようかどうしようか迷っていたとき、いつもなら無理をして出かけてしんどくなってしまうということも多かったのですが、そのときは「やめたかったらやめたらいいじゃん」という声が聞こえてきて、やはりそれをそのまま口にして言った。すると、すっと力が抜けて楽になったというのです。これは「自分で自分に言い聞かせる」というのとは違います。自分で言い聞かせるという場合は、本当はそうは思ってないけども、そう言い聞かせて、(多少無理矢理に)そう思うようにする、というやり方です。これだと少ししんどさが出てきてしまいます。しかし、今回のようなのは全く無理することなく、「心の内からの声」が自然に出てきて、それが思わず言葉になり、それを聞くことでふっと楽になった、ということです。「心の内からの声」を言葉にすることで心身の力がふっと抜けて楽になる。みなさんも一度使ってみてはどうでしょう。
2006.12.02
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「ストレス」という言葉は、今日では当たり前のように使われていますが、そもそもこの言葉を医学や生理学の領域で始めて使ったのは、「セリエのストレス学説」で有名なハンス・セリエ(1907-1982, ウィーン生れ)でした。しかし、その前に、ストレスに対する身体の反応を見出したのはウォルター・B・キャノン (1871-1945, 米)です。キャノンは、ほえる犬を前にして緊張状態にある猫の血中に、アドレナリンという交感神経系の神経伝達物質が多く存在することを発見しました。このようなときの身体の反応は「闘争-逃走反応」とか「緊急反応」とよばれます。原始的には、敵に遭遇したときに、「戦うか、逃げるか」という状況です。こういうときには心拍が上昇し、瞳孔が開き、消化管の動きは抑えられ、といった戦闘モードの身体の状態になります。これがストレス状態を初めて記述したものです。次に、先に出てきた、ハンス・セリエが、外部からの刺激(ストレス)が加わったときの身体の反応には、それがどのような刺激であっても共通した反応があるとして、これを「一般適応症候群」と呼びました。「ストレス状態」=「ストレッサーが加わったときの生体内部全体での反応の状態」をより正確に表したのがこの一般適応症候群です。セリエは、これには3つの時期があるとしました。1)警告反応期:最初の反応の時期2)抵抗期:適応が獲得され、抵抗力が上昇した時期3)疲憊(ひはい)期: 高度のストレス状態が長く続くと、ついには適応しきれなくなって、疲憊してしまう。このようなストレス反応は、「防衛」ともとれるし、「適応」ともとれます。防衛とは以前の状態への回復を目指すことを意味し、適応とは新しい状態に合わせていくことを意味します。セリエはストレス状態を「防衛」よりも「適応」とみなしたようです。今日の複雑な人間社会における、いわゆる「心理社会的ストレス」に対する反応は、これらの「闘争-逃走反応」や「一般適応症候群」よりもさらに複雑なものでしょう。これをそのまま当てはめるのは無理があるかもしれません。しかし、ストレスに対する研究のはじまりはこういうところからであった、ということは押さえておいて、必要に応じて原点に立ち返りつつ、より複雑なストレス反応について考えていくことが重要だと思います。
2006.11.04
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アレキシサイミアは感情の気づきや表現が困難で、内面への気づきに乏しい状態であること、そして、このアレキシサイミアには新皮質レベルと大脳辺縁系レベルの脳の”機能的解離”が関与しているらしいということはすでに述べました。日本の心身医学の草分けである故池見ら(1986)は「アレキシサイミアのケースでは感情だけでなく、身体感覚の気づきも低下していることが多い」と述べ、その状態をアレキシソミア(Alexisomia; 失体感症)と呼びました。一方で、欧米を中心に「身体感覚増幅」、すなわち、身体の感覚が過敏になる、という状態が身体化障害の患者などにみられるという報告も多くあります。心身症患者においても、アレキシサイミア傾向と相関してこの身体感覚の増幅がみられるという報告があります。つまり、心身症や機能的な身体の症状が出現する疾患においては、自分の感情への気づきが低下し、身体感覚の気づきが低下したり、身体感覚の増幅が起こったりしているというわけです。感情の気づきの低下した状態では、前述の脳の機能的解離などに伴って、もう少し本能的なレベルの情動が発散されないために抑圧され、抑圧された感情が身体症状化しやすくなるということが考えられます。それが、身体感覚の増幅という形になるのでしょう。また逆に、慢性的なストレスにさらされた状況では、感情や身体の気づきが鈍くなることで自分を守る=防衛的な機序で、身体感覚の気づきが低下することも考えられます。このようなことから、心身症やその周辺疾患では、何らかの身体感覚の逸脱が併存するのではないかと推測されます。バイオフィードバックはリアルタイムで刻々と変化する身体の状態をフィードバックするので、普段は気づかない身体の状態を知ることができ、「身体との対話」が可能になります。そしてそのときの身体感覚に注意を向け、その感覚とフィードバックされる情報を手掛かりに、心身の状態をセルフコントロールすることを目指します。心身症のように身体感覚の逸脱した病態に対して、バイオフィードバックは本当の身体の状態と自分で感じる身体の感覚をマッチングさせ、逸脱した身体感覚を回復させる方法として重要です。バイオフィードバックで身体感覚が回復して、気づきが高まるプロセスの中で、前述の脳幹や大脳辺縁系と大脳新皮質の機能的解離が改善され、伝達機能が回復していくと考えられます。バイオフィードバックはいわば「身体の声を聞く」方法であり、自己の内的感覚を高める方法です。バイオフィードバックによって身体感覚の気づきが深まると、自分の感情にも気づきやすくなります。すなわち、感情の気づきや表現ができるようになり、アレキシサイミアやアレキシソミアの病態が改善されると考えられます。
2006.10.21
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nature 誌の2006年8月号によると…マウスの鼻で、これまでのものとは違う嗅覚受容体が見つかり、その一部はフェロモンを感知する働きをするという。そして、これらの受容体の遺伝子はヒトでも見つかっており、ヒトのフェロモン受容体が見つかることも期待されるという。この受容体は鼻にあるが、匂いを感知するものとは違うようである。(nature, August10, 2006)フェロモンというと性フェロモンを思い浮かべるが、それだけではないらしい。⇒ウィキペディア(Wikipedia)「フェロモン」人間の感覚は五感といわれますが、それ以外にもいろいろあるようです。このフェロモンは臭覚の一部とも言えますが、第六感とか、いろんな感覚を組み合わせて生じる感覚とか、ありそうです。感覚が鈍るということは、生きる力が鈍るということでしょう。いくら何かが存在していても、変化が起こっていても、それを感じることができなければ、その人にとっては存在も変化もないのと同じだからです。心身症の患者さんでは、この感覚が過敏になったり、鈍くなったり、バランスが悪くなったり(ある感覚は過剰で、ある感覚は鈍いなど)している可能性があるようです。特に身体感覚について健常人と比べて逸脱する傾向があるようです("身体感覚逸脱症"とも言う)。また、失感情症(アレキシサイミア)や失体感症(アレキシソミア)とも関連がありそうです。心身症のアプローチにおいて、”感覚の回復”というのが、どうやら一つのポイントのような”感覚”がしています。
2006.10.14
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アレキシサイミアは精神活動と情動との機能的解離が関与しているといわれています。「(アレキシサイミアは)精神機能を行う大脳新皮質と情動回路にあたる旧脳(大脳辺縁系、視床下部等)との機能的解離が原因ともいわれる。」「この両者の解離は、新脳の精神活動が、旧脳の生存機能を無視することとなり、またその逆の現象も起こり、身体的な疲労に調和した精神機能の静穏化がさまたげられ、過剰な活動が行われることとなる。」(「ストレスとコーピング-ラザルス理論への招待」 R・S・ラザルス講演、林峻一郎編・訳 より引用)現代のストレスフルな生活では、新皮質の活動ばかりが強いられ、それに対応するべき情動の活動が抑えられてしまうという傾向があります。その結果、心身の活動がアンバランスになり、歪みが身体症状として表れたのが、心身症などのストレス関連疾患ということになります。具体的には「24時間、寝ても醒めても常に考えてしまう」という人や、「職場での嫌なことが忘れられず、ずっと頭にある」という人が、感情の気づきや表現に鈍くなり、何を見ても感動できなくなったり、身体の感覚が鈍くなってきたり、他人から見られる自分と本当の自分との間に解離があるように思われたりすることがあるようです。また、このような表面的なレベルにとどまらず、もっと深いレベルで感情の気づきに乏しくなることもあります。そのような場合は、精神分析的な「防衛」としての意味があったり、ある意味適応的にそうなっている場合もあります。すなわち、意識的か無意識的かはわかりませんが、「そうでもしなければやっておれない」という状況です。このような機能的解離を少なくして、自分自身の「身体の声」や「心の声」を聞いていく方法の一つが、バイオフィードバックなどの「身体・気づき・アプローチ(Mind-Body Awareness Approach)」です。
2006.10.07
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心身症患者ではストレスに対する自律神経系の反応が低下しているということでした。そのようなストレスに対する自律神経系のさまざまな指標の反応を、精神生理学的に評価する方法を「ストレス・プロファイル (Psychophysiological Stress Profile; PSP)」と言います。ストレス・プロファイルでは日常ストレスに近いストレス負荷によって、自律神経系や筋緊張などの生理的指標がどのように変化するかを調べ、その反応の仕方や自分で感じる身体の感覚との関係などを調べます。典型的には、メンタルワークストレスによって、スキンコンダクタンス(情動性発汗)は上昇し、末梢の血管は収縮して皮膚温は低下し、心拍数は上昇し、前額などの筋電位は上昇します。しかし、その反応の仕方が過剰であったり、低すぎたり、反応自体は普通でも、ストレスの影響が後まで残る(回復の遅延)ことがあったり、ストレスがかかる前から不安定であったり、ストレス前の方がかえって緊張が高かったり、というようにいろいろなパターンがあります。また、情動性の指標は反応が高いけど、末梢血管の反応は低いなど、指標による違いがでてくることもあります。そのとき、その人に特有の反応のパターンを評価するのがPSPです。心身症患者全体では、ストレスに対する反応は低反応ということでしたが、全てがそうというわけではなく、個々のケースでいろいろな反応がみられ、そのパターンに合わせたアプローチの仕方を検討する必要があります。そのようなアセスメントを行い、どんなアプローチがよいかを検討するのにストレス・プロファイルは使われます。もちろん、健康な人でもいろいろなパターンがあり、その人に合ったストレスマネージメントやリラクセーションの方法を検討するのにも有用です。
2006.10.05
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自律神経というのは身体のいろんな機能を調整している神経です。例えば心臓をバクバクさせたり抑えたり、汗を出したり、血管を開いたり閉じたり、瞳孔を開いたり閉じたり、胃腸の動きを調整したりしています。自律神経の働きが乱れると、いろんな症状が出てくると考えられています。このような自律神経の乱れからくる病態をよく「自律神経失調症」などといわれます。しかし、この「自律神経失調症」というのはクセモノです。一体全体自律神経がどう「失調」しているのか、おそらくはあまり誰も分かっていない。また、ホントに自律神経が「失調」しているのかどうかすらわからないまま、この病名がつけられたりしています。そんな中で、慢性的なストレスが関連した心身症の患者さんにおける、自律神経系のストレスに対する反応を、健康な人と比べて調べてみました。すると、心身症の患者群の自律神経系の知的作業ストレスに対する反応性が低下していることを示す結果がでてきました(「心身医学」45,685,2005)。すなわち、心身症(この場合は慢性的なストレスを受けた人達と解釈してよい)患者では、自律神経の反応が鈍くなり、外的状況に適切に対応できなくなっているようなのです。このことと、個々の心身症の症状がどう関係してくるのかはまだはっきりはわかっていませんが、一つの大きな要因となっていることは間違いなさそうです。このあたりがもう少しはっきりしてくると、心身症の評価や治療へも応用できそうです。現在研究を進めているところです。
2006.10.01
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2月に学会でウィーンに行ってきました。いくつかのウィーンの地を訪れるだけでも、その威厳と落ち着きのような独特の雰囲気を感じることができました。実際に行ったことはありませんが、他のヨーロッパの都市とはまた少し違った雰囲気なのではないかと想像します。町は日本の同規模の都市と比べると、ごみごみした感じや雑然とした印象がなく、よくまとまった町だなという感じです。移動は市電が改札もなく、自由に移動できるので便利です。そんなに大きな町ではないのに(人口は神戸市より少し多いくらい)、この町はいろんな面で世界の中の独特の位置を築いてきたところだということが、随所に伺えます。2004年12月のBlog で書きましたが、「アメリカにはたんに空間があるだけだ。ヨーロッパ諸国は時間のうえに築かれている。」 (ベルナール・ファイ 「アメリカ文明論」)という言葉もある程度うなずけました。しかし、一方で、時間に縛られているという見方もできるかもしれません。現在のウィーンはあたかも「過去に流れていた時間が止まっている」かのような印象があります。しばらくは大きな変化はなさそうです。その変化のなさを、落ち着いて心地よいととらえるか、物足りないと感じるかは人それぞれでしょう。
2006.05.27
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この本に関しては、あまりにもいろんな解釈や考察ができ、すでに深い解釈も数多くあります。何か解釈を加えることでこの小説の本来の姿が曲がってしまうようにも思えます。こういう小説は思うところは自由にして、「このように解釈できる」というようなことは言わない方がよいのかもしれません。それを踏まえた上で、この小説では、現実なのかメタファーなのか単なる実体のない象徴なのか分からないものがいくつも出てきます。現実世界にもよく見てみるとこのようなメタファーや象徴ととれることが結構あります。心理的な葛藤が身体症状となって表れるという場合がありますが、その症状はその人の葛藤の象徴的な症状(すなわちメタファー)であることがあります。例えば、感情や情動の表出ができず、ため込んでしまったり、抑圧してしまうという人が「嘔吐」という身体症状を呈するケースを見ることがあります。この場合、抑圧した感情を言葉や表情で表出する代わりに「嘔吐」という形で表出しているのでしょう。身体症状というのは実に不思議です。どうして他ではなくその身体症状が出るのか。「脆弱部位に出る」というのは表面的なことに過ぎません。例えば「頭が痛い」という言葉は単に症状としての「頭痛」以上のことを意味したり、「頭痛」とは別のことを意味することさえあります。このような文脈やメタファーとしての身体症状を考えてみると、その症状の意味も見えてきそうです。
2006.02.25
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日本人は心理的な症状に対して「恥じる」気持ちが他の国の人に比べて大きいと言われます。先日もある患者さんが、「風邪を引いて仕事を休むことができ、おかげで精神的に休むことができて今は調子がよい。」と言われていました。その方はとても自分に厳しく、気持ちが落ち込んで抑うつ症状があっても、休むことは許されないというのです。ところが、風邪という身体の病気だと、休むことが許せるというのです。心が落ち込んでいるときは「心の風邪」と言っていいでしょうが、「身体の風邪」は休むことが許されても「心の風邪」は休むことが許されないのです。外来では休職の診断書を書くことがしばしばあります。その際、明らかに抑うつ症状がメインであっても、精神的な症状では理解が得られにくいから「自律神経失調症」などの身体の病名にして欲しいと言われることがあります。それだけ、「心の症状」は理解されにくく、本人も「恥」という意識があるのでしょう。心の悲鳴や葛藤が身体の症状として表れることはよくあることです。「身体化」などと言われます。その場合、心の悲鳴や葛藤に気付くことは容易ではありません。心の悲鳴や葛藤を認めたくないという意識があるからか、この「身体化」は比較的日本人に多いという説もあります。一方、欧米では、精神症状を身体症状として表す「身体化」は低レベルのことと思われる傾向があるようです。精神症状を正面から扱うことにそれほど抵抗ははなく、カウンセリングや精神的な相談を受けることはむしろ高等なこととされるのです。どちらがいいというわけではありませんが、身体の症状が心の悲鳴であったり、心の症状が身体の悲鳴であったりすることもあります。本来心と身体は表裏一体、「心身一如」です。どちらも症状として表れているからには何らかの「意味」があるのですから、その意味を無視するわけにいきません。何らかの「警告」であることも多いでしょう。とらわれすぎるのも問題ですが、いずれの症状も目をそらさずに向き合うことが大切です。心の症状も身体の症状も、過度に振り回されたり軽視することなく、その「意味」を考えることが解決への一歩となるのです。
2005.12.23
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「『ストレス』の肖像」(林峻一郎著・中公新書)の中に興味深い記述があったので、紹介します。「持続的な情動変化の時には、交感神経と同時に副交感神経系も緊張することが分かってきた。」「持続的な情動への圧力による、相反した二種の自律神経系の同時興奮による身体内のアンバランスこそ「ストレス」状態なのだ。」自律神経というのは、身体の様々な機能のバランスを調整している神経系で、意識的ではなく、自動的に働いているものです。この自律神経には「交感神経」と「副交感神経」とがあります。交感神経は、活動・緊張・戦いなどのときに緊張する神経であり、副交感神経はそれに拮抗する神経です。すなわち、身体を休ませる方向に向かわせる、いわば安息と憩いの神経ということができます。戦いのときのような一時的で激烈なストレスに対しては、アドレナリンやノルアドレナリンを介して交感神経が緊張し、交感神経優位の状態になります(キャノンのストレス学説)。しかし、現代の生活ではそのようなストレスよりは、持続的で繰り返される不安や怒りなどが大きいと考えられます。そのような持続的な情動変化の時には、交感神経と副交感神経とが同時に緊張することが分かってきたということです。働きが相反する神経系が同時に興奮すると、体はきわめてアンバランスな状態になってしまいます。すなわち、どちらもが緊張してしまって適切に調整することができなくなってしまうのです。心身症の一つに「過敏性腸症候群」という、便秘や下痢と腹痛を繰り返すものがあります。腸の動きを亢進させるのは通常は副交感神経ですが、この心身症の背景にこのような自律神経のアンバランスな状態があると考えると理解しやすくなります。もちろん、心身症の背景には自律神経だけでなく、さまざまな要因が関与しているので、これだけで全てを説明することはできませんが、理解の一助にはなるでしょう。
2005.08.13
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以前の"Body Thinking"でアレキシサイミアとアレキシソミアについて少しだけ触れました。心身症患者にはアレキシサイミア(Alexithymia)=失感情症の傾向があると提唱したのは、アメリカのSifneos(シフネス)という精神科医です。以後、アレキシサイミアは心身症の病態の重要な一つの要素と考えられてきました。アレキシサイミアの特徴を簡単に言うと・自分の感情や、身体の感覚に気づくことが困難である。・感情を表現することが難しい。・自己の内面への気付きに乏しい。といったことが挙げられます。すなわち、内面の感情や感覚の気付きが低下して、感情を伝えることも障害されている状態をいいます。これには、発達早期の母子相互の感情的な交流が障害されていることが関与しているとも言われています。また、家族病理との関係や社会文化的な因子との関連もあると言われています(感情の表現をあまりよしとしない民族に、アレキシサイミアの傾向が高いなど)。生物学的なメカニズムとしては、・感覚や感情を司る脳幹部や大脳辺縁系と、認知や言語機能に関与する大脳皮質との伝達機能障害が関係している・左右大脳半球の機能の解離がある・右大脳半球で何らかの機能障害があるなどの説があります。感情の気付きや表現に乏しいと、徐々に内面に抑圧された感情がたまりやすくなり、身体症状化することになります。単にそういう傾向がもともとあるという場合もあるでしょうが、あまりにストレスフルな状況の中で、「そうでもしなければやってられない」という状況から、アレキシサイミアの状態になることも考えられます。「特に問題ありません」「全て何事もうまく言っています」という患者さんの背景に、このような病態が隠されていることがあるのです。このような場合は、少しでも感情を表出できるように援助することが大切になってきますね。このようなアレキシサイミアはアレキシソミア(Alexisomia)=失体感症とも深く関係しているとされています。実際、感情と身体感覚への気付きとは深く結びついているようです。このアレキシソミアは、心身症においてさらに重要な概念なので、また改めて書きたいと思います。
2005.07.19
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The Great Connection / アーニー・ワレン著 の訳本(ディスカヴァー・クリエィティブ訳)。「本書は、主人公であるボブ・ハサウェイが人との-とりわけ自分自身との-関わり方を学んでいく物語である。あなたはこの本の中にあなた自身を見るだろう。そして、自分自身がどんな人間なのか、自分が本来の力を発揮できないのはなぜなのかを知るだろう。」以上、「はじめに」より引用。「上司からの無理な要求に悩み、川辺にたたずむボブのかたわらに、いつかひとりの老人がいた。『あなたは自分に満足していますか?』その老人の問いかけは、ボブの人生を大きく変えることになった-」以上、表紙より。このような類の本は物語ではないのが普通ですが、この本はストーリーがあるので読みやすい。そして、中味は示唆に富んでいます。「成功の秘訣は、全面的に自分を信じることだ。自分がどんな人間かも分からないのに、どうして自分を信じられる?自分を知って初めて、自分が信じられるんだ。」クレイター先生の言葉は重みがあります。自分を認め、自分を信じることができれば、相手を認めることもできるでしょう。「人に合わせる人生はもうやめるんだ。きみにしかない長所に目を向けなさい。きみはきみ自身にならなくては。」クレイター先生の言葉によって、主人公のボブは自分の道を歩み始めることができました。自分を信じることができず、受け入れることができないと、アンビバレントな感情が生じたり、心の病に陥りやすいようです。次のステップに進むには、まず現在の自己を知り、ありのままを受け入れるところから始めなくてはならない。そんなことを初めとして、いろんなことを教えてくれる本です。この類の本は教説的になってしまったりすることも多いのですが、これなら一つの物語としても読めるのでお勧めです。
2005.06.20
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笑うことによって免疫にかかわる物質が増えるなど、身体によい変化が起きることは以前から言われています。リウマチの患者さんにおいて、ストレスで増えるホルモンである「コルチゾール」と炎症に関連する「インターロイキン」の値が、落語を聞いた後には下がっていた、という報告もあります。ところが、落語だけでなく、涙を誘う人情話や、怪談でも落語を聞いたときと同じ効果があったそうです。(2005/2/25 読売新聞 「医療ルネサンス」より) 笑いがよいからといって、笑いたくもないときに笑ってばかりいてもよくないのではないかという思いがありましたが、「やはりそうなのか」という印象です。心身症の病態の一つに「アレキシサイミア」(失感情症)というのがあります。これは、感情の気付きや表現に乏しく、内にたまってしまうことで身体症状が出てしまうというものですが、悲しい気分なのに無理に笑っていても、発散どころか余計に感情が屈折してしまうでしょう。「よく笑い、よく泣き、よく眠る。これが心と身体のバランスを保つ秘訣である」と同記事は締めくくっています。無理に笑ったり、無理に泣いたりするのではなく、自然に感動したり感情を表現できる状態であることが大切なのではないでしょうか。
2005.04.09
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「老人と海」ヘミングウェイ著(新潮文庫)を読みました。老人はとてつもない大きなカジキと命がけで格闘し、ついに捕らえるが、帰りに鮫に食べられてしまう。自然との壮絶な戦いと、空しさ。老人が、過酷な状況を常に客観的に見ている視線がおもしろい。主観的な心の動きについての表現はあまりありません。これは、アメリカ文学らしい、とも言えます。訳者、福田恒存の後記がおもしろかったです。「アメリカにはたんに空間があるだけだ。ヨーロッパ諸国は時間のうえに築かれている。」 (ベルナール・ファイ 「アメリカ文明論」)「ヨーロッパは空間を必要とし、アメリカを発見した。そこでは空間が時間のかわりをし、未来が過去のかわりをした。」「アメリカの文明は時間から解放されて、はてしなく横にひろがる現在という空間のうえにうちたてられたものといえましょう。」その通りだと思います。ヨーロッパには時間がある。過去の伝統という時間が必ずついてくる。しかし空間が不足している。アメリカには時間がないかわりに空間がある。だからどうしても深みにはかけるが、力強さはでてくる。ヨーロッパには時間に基づく思想がある。しかし、逆に時間に縛られてしまう可能性もある。心身医学の心と身体の関係=心身相関、についての捉え方にも、このような側面がかかわってくると思います。アメリカは空間的にとらえようとします。「心」と「身体」は分離した独立のもので、両者に関係がある、という捉え方から抜けきることができません。ヨーロッパは日本(東洋)に近い見方ができます。すなわち、「心身一如」の考え方です。心と身体は分離できない、混然一体となったものであるというものです。これを分けてとらえるところから、いろんな矛盾が生じてきているのが現在の医療でしょう。しかし、分割してとらえることも場合によって必要であることは間違いありません。両者の見方を適切に使い分けることが重要なのでしょう。
2004.12.18
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「クラズナー博士の あなたにもできるヒプノセラピー」 (A・M クラズナー著)より…・右脳派、左脳派など、人によって情報処理の方法が異なるように、情報の受け取り方もそれぞれ異なる。私達は色々な情報を外部から感覚器官を通して受け取るが、それぞれに好みの学習チャンネルがある。五感、すなわち、視覚・聴覚・感覚・臭覚、味覚を経由して表現される個人の言語処理を研究したものをNLP(神経言語プログラミング)という。・五感の中でも視覚・聴覚・感覚の三つは主な学習チャンネルであり、私達はそのうちの一つを主要な情報処理システムとして使い、他のチャンネルよりも発達している。つまり、1)視覚タイプ=絵を見ている、2)聴覚タイプ=音を聞いている、3)感覚タイプ=感覚を体験している、の3つのタイプに分かれ、それぞれに理解しやすい言葉がある。「NLP」については様々な本が出ているので、詳しくはそちらを参照して頂くとして、このような得意な学習チャンネルを想定しておくと、いろんな場面で役にたちそうです。同じことをわかってもらうのでも、視覚タイプなら図や絵で書いて説明するか、視覚的な言葉を使えばよいし、聴覚タイプなら耳に響く言葉で話すのがよい。感覚タイプなら感覚に訴える言葉を使えばよいということになる。なかなか簡単にそのようにはいかないにしても、こういう「得意チャンネル」を理解しておくことは決して無駄にはならないでしょう。
2004.12.12
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松竹映画 「砂の器」を見ました。丹波哲郎主演、森田健作が共演の分。最近のテレビドラマとは若干構成が異なっているようですが、この映画は名画として知られています。ハンセン病にまつわる親と子の「運命」。著名な音楽家となった和賀の過去には、ハンセン病の父親との深い絆があった。しかし、著名になり過去を断ち切りたい思いから、過去を知る、恩人でもある元巡査の老人を殺してしまう。普通のコメントは言い尽くされていると思うので、少し違った角度から見ます。事件は当初全く手がかりのない難事件と思われた。しかし、方言や会話にでてきた地名らしきものなど、ほんのわずかな手がかりから地道な捜査を重ね、ついに全貌が徐々に解明されていく。分からないことを調べ、専門家の意見を参考にし、その土地に足を運んで聞き込み、次第に点と点を結ぶ線が明らかになっていく。心療内科の臨床もそのような面があります。病気の後ろにかくされた心理社会的背景をいろんな手がかりから解明していく。それは、本人でさえ気づいていないことも多い。解明するだけが目的ではありません。解明できたことは何らかの形で伝えます。そうすることで、今までとは違った、新しい道が開けてきます。その道を進むかどうかは、当然ですが、あくまで本人次第です。
2004.12.04
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奥田英朗の短編小説集です。「空中ブランコ」は直木賞を受賞しています。ご存じの方も多いでしょうが、奇抜な精神科医・伊良部一郎のもとへ、さまざまな悩みをかかえる患者がやってきておりなすやりとりを描いたものです。この業界を描いた小説はいくつもありますが、この2冊は専門家の眼から見てもおもしろい。伊良部は周囲の眼など全くおかまいなし。遠慮や気配りなどとは無縁の気さくで自由奔放な医師だが、そこを訪れる患者達は度肝を抜かれながらも、なぜか続けて通わずにおれなくなります。そして、気がつけば何となく問題も解決に向かっていく。面白い話として読んでもよいでしょうが、治療者と患者諸氏との間に何が起こっているのかを考えるとかなり深いものがあります。描かれている患者はとても愛すべき人達だけど、どこか神経質であったり、不器用であったりします。一方伊良部はそんな患者達に気さくに話しかけ、一見どっちが患者か分からないくらい幼稚な面を見せたりもするのですが、その言葉はときに患者をハッとさます。また、奇抜な行動はあっけにとられながらも、どこか核心をついたところがあります。そんなこんなやりとりをしているうちに、患者は知らず知らずのうちに伊良部のペースに引き込まれていきます。癒されるという言葉がこういう場合適切かどうか分かりませんが、あえて使うならば、徐々に癒されていくのです。もう一つ注目すべきところは、伊良部の自然さというか、淡泊さというか、あっさりさというか。精神療法は結構「まったり」していることも多いのですが、それとはかけ離れています。ここに登場する患者達にとっては、「まったり」よりも「あっさり」の方がかえって心地よいのでしょう。そんなことを「まったり」解説してもどうかと思うので、一度「あっさり」読んでみるのがよろしいかと。。。
2004.11.29
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Body Thinking = 身体は考える。身体は智恵を持っている。例えば心拍数を自分で上げ下げすることなど、到底できないと普通は思います。しかし、トレーニングをすればそういうことも可能になります。ヨガはそういうコントロールを行う一つの方法です。バイオフィードバックは西洋のヨガとも言われ、身体をコントロールする科学的な方法の一つです。そういう方法を用いて鍛えれば、身体はどんどん賢くなる。そのときに大事なのは、身体の感覚です。今、この身体の感覚がおかしくなっている人が多いといわれます。過敏すぎたり、体感が鈍かったりする。鈍い方は、失体感症=アレキシソミアと呼ばれることもあります。失感情症=アレキシサイミアは以前から言われています。感情への気付きや表現に乏しい状態を言い、心身症の病態に関係しているとされています。それに加えて、失体感症や過敏症(まとめて体感逸脱症、と呼ぶこともあります)が、心身症の病態に深く関与しているようです。
2004.11.28
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