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昔、小学生だった頃、男の子の遊びといえば虫取りであった。下校途中に、しいたけの栽培場があって(横浜なのですが・・)夏場は小学生がこぞって侵入し、クワガタやカブトムシの幼虫や成虫をとった。おかげでしいたけの栽培場はダメになり、学校に苦情が来たことがあった。捕ったクワガタやカブトムシを戦わせて遊んだものだ。 今はムシキングばやり。子供達は、私が図鑑でしか見たことの無いような、虫の名前を良く知っている。「コーカサスオオカブト!」「ヘラクレスオオカブト」なんて名前は、もはや男の子達の間では、もはや常識だろう。 先日昆虫写真家「栗林慧」さんの番組を見ていた。栗林さんの昆虫写真と言えば、「虫の目カメラ」で撮った、虫が大きく写った写真で有名だ。栗林さんは昆虫大好き人間で、昆虫がたくさんいるから、九州に移り住んで、虫の目線で写真が撮りたくて、虫の目レンズを自作してしまったすごい人である。 番組は、栗林さんが、熱帯雨林の幻の黄金に輝くクワガタを撮影に行く、という内容であったが、途中さまざまな虫と出会っていく。そのたびに栗林さんは呪文のように長い虫の名前をしゃべりながら、嬉々として虫を撮影していく。嬉しそうに虫の名前を言う、栗林さんの顔は、子供達が「ヘラクレス~」としゃべっている顔と同じ顔になっていたのが微笑ましかった。 写真を撮っているときの自分の様子はわからない。写真は一発勝負、真剣な顔して写真を撮っているつもりだが、実は栗林さんのように、でれでれの顔して写真を撮っているのかも知れない。そういえば、「写真を撮っている様子のほうが面白い」と言われたし、実際撮っている様子を写真に撮られているときもある。 虫好きも猫好きも、好きな生き物に接しているときは、同じような顔しているのだろうな、と思い、「ちょっと恥ずかしいな」なんて思いで番組を見てました。 でも野良猫にはあんなに長くて、呪文みたいな名前がなくて良かった。
2006.01.07
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今年は犬年である。干支に犬があって、何故に猫がないのか。「猫はネズミにだまされて・・・」というのは有名な話。干支に猫が無いのは、わかっていてもなんとなく寂しい。 ところで、日本人で自分の干支が分からない人はいるのだろうか。不思議なもので、干支なんか知らなくても暮らせていけるのに、知っている。自分の星座を知っているのもおなじ事か。 干支、星座だけでなく、最近は自分は何星人というのも知っているのが普通らしい。大学生が「私~星人だから今年は大殺界なの」(「だいさっかい」の漢字が合っているか不明)「俺は~星人だから・・・」と会話していた。ここで「おれ地球人だから・・・」なんて口をはさんだら、「オヤジギャグ!」と言われてしまうのだろう。 初詣でおみくじを引き、干支に星座に六占星術、これだけたくさん占えば、どれか当たるだろう。本当に占い好き、縁起好きな民族なのだろう。そういえば営業だった頃、サービスで、運勢の冊子を配っていた。あなたの適職なんて欄があって、自分の運勢に「銀行員」とあっったのが不思議だった。 当たるも八卦当たらぬも八卦。とりあえずいい占いだけ信じておきます。さてさて猫神様、今年の私の運勢はどんなものでしょうか。
2006.01.04
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。 私は、年明け早々失敗です。年明けというか、晦日というか、年越し蕎麦やお正月の食材を、晦日のアルバイト終了後(11時ごろ)に買って帰ろうと思っていたのですが、いつもは深夜まで開店しているスーパーも、晦日は10時までだったみたいで、すっかり買いそびれてしまいました。コンビニの蕎麦で年越し、ありあわせの食材でお正月です。最近は正月もなにもなく、お店は開いているものと思っていたのですが、そうでもないようです。正月の準備は、早めにしないといけないですね。 去年は「プチバブル」なんていわれるくらい、日本経済も復活してきたようです。去年、年頭の財界人の集いのなかで、「年末には株価は1万5千円台を回復する」と予想していた人がいましたが、その予想を越えました。株価にあやかって、今年こそ飛躍の年にしたいものです。皆さん、身体に気をつけて今年も頑張りましょう。
2006.01.01
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「年末年始は、バイトの大学生が皆帰省しちゃうから、何とかなりませんか?」と随分前からマネージャーに言われていたので、晦日から正月3賀日は、すっかりバイトを入れてしまった(入れたといっても夜だけだが)。写真なんか撮っていると、正月も何もない。このときしか撮れないものがあるからだ。 発売中の猫手の表紙写真は、おととしの正月に撮影した物。表紙では切られてしまって、下のほうしか写っていないが、門松と猫を撮りたくて出かけたもの。簡単な門松で少々がっかりした。今年は、早々に初詣の準備ができたお稲荷さんで、キジトラを撮影できたので、間に合えば年賀ブログに使いたいと思っています。 そういえば、今年の正月には夜中に雪が降った。そのおかげで、猫と雪を撮りに元旦から張り切って出かけた。その前の元旦には、大漁旗と猫を撮りたくて漁港を探したが、本物の漁師は船に大漁旗を掲げる風習はないらしい。釣り舟が何艘か掲げていました。 けっこう正月しか撮れないものがあるので、正月早々から動き回っています。まだ今年は撮りに行っていませんが、猫と海と富士山が綺麗に写るのもこれから1ヶ月がベストシーズン。三浦半島へ足を伸ばすので、そうそう行ってられませんし、天気に左右されるので、一ヶ月の間に数日チャンスがあるかないかでしょう。 やっと今年の紅葉と猫の写真も終わり。これからは猫と富士、猫と青空、上手くすれば、猫と雪のシーズン到来。暑くなるまでは猫写真のベストシーズン。撮りに行きたくって、正月お家でゆっくりなんてやってられません。
2005.12.28
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先日アルバイトをしていた時の話。某ファーストフード店で働いているのだが、最近やけに高額商品(高額といっても、たかが知れているが)が出るようになった。マネージャー曰く、ボーナスが出揃ったので、皆、懐が少し暖かくなって、ちょっと高めの物をこの時期注文するのだそうだ。年明けになると、今度は子供達がお年玉で少しリッチになって、また少し高めの物が売れるという。ファーストフードで「プチ贅沢」というわけだ。ジャンクフードだと思っていたが、どうやら国民食になってきたらしい。そういえば、私のサラリーマン時代の上司は、帰りが深夜になるので、マ○クが夕食だとよく言っていたのを思い出した。今こんなオトーサン達が、「プチ贅沢」を楽しんでいるのかも知れない。 こんなお店で、閉店後の片付けまでやっているが、一つ気になることがある。レジの前に「募金箱」があるのだが、この中にレシートが突っ込まれていることが多い。レジの前だから、店員の目の前、こんな人目につく場所で、募金箱をゴミ箱代わりに使う人の気が知れない。しかも募金箱は透明だから、突っ込んだレシートも丸見えだ。「恥じを知れ」といいたいが、言って分かる人なら、こんなことやらないだろう。まあ、レジの脇にでも、不要レシート入れでも置いておけば、改善されるかも。 私のいる厨房?からは全くお客さんは見えないが、いろいろな人がきている。もしみえたら、オトーサンにはレタス増量か。レシート野郎には、マスタード3倍だな。
2005.12.27
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クリスマスも終わって、今年も残すところ後わずか。遅ればせながら、年賀状の準備などはじめました。今年は、子猫達が生まれた年だったので、8匹勢ぞろいした写真を、加工して使おうと思っているのですが、思うように印刷できません。 私はデジカメを使っていないので、ポジフイルムをスキャンしています。Web上で見る分にはけっこう綺麗な発色でできるのですが、プリンタで印刷となると画面とかなり発色が変わってしまう。印刷方法や紙質でも発色が変わる。 最近はプリンターやインクの性能が向上し、写真も簡単綺麗にプリントできるようになった。がしかし、あのインク代が高いのはなんとかならないものか。フォトタイプのインクを全色揃えると、8千円なんてのはザラのようだ。3回もインク交換したら、本体が買えてしまうではないか。 ということで、普段から大量に印刷する私は、インク代もばかにならないので、3色プラス黒というシンプルなタイプを使っています。安いのはいいのですが、発色の調整は難しいようです。 現在文句を言いながらも、パソコンと格闘中です。しかし今日はすでに26日。年内に年賀状は完成するのだろうか・・・。
2005.12.26
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皆さん、メリークリスマス!この言葉、明日言うべき言葉か、今日言うべき言葉なのかよく分からないくらい信仰心などありませんが、とりあえずお祝いしておきます。 去年までは、さそわれて近所の教会へ顔を出したりしていましたが、今年はバイトがはいってしまいました。信仰心が無いのに行っても、場違いなところなので、行かなかったからといって、なにか縁起が悪いと言う事は無いでしょう。さすがに初詣は、しないと気がとがめます。生粋の日本人です。 24日が土曜日になるのは、80年ぶり?なのだそうだ。ホテルやレストランは予約でいっぱいだろう。 私は今日はバイトなので、昨日ちょっといいお酒を飲みました。しろちゃんたちには、ちょっと高級猫缶をあけたのですが、しろちゃんは気に入らなかったようです。猫にはクリスマスも何も関係ない。 関係ないといえば、今日の写真、もちろんクリスマスの時期に撮った物ではありません。5月ぐらいに撮ったものです。クリスマス向けにと思って撮ったのですが、クリスマスグッズ集めに苦労しました。毎年ツリーを飾ったりしないので、グッズなんてほとんど残していません。たまたま残っていたケーキの飾りと、たまたま持っていたベルを使いました。 スタジオ写真、けっこう小道具集めが大変だったりします。
2005.12.24
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気象庁は「今年は暖冬」という予想を覆した。今年は本当に寒い。 寒いと期待してしまうのは、雪である。猫写真を撮り始めて約4年になるか、いまだ積もるほどの雪が降らない。去年、東京では少々降ったが、綺麗に積もるほどではなかった。 今年は寒いから、東京でも雪に期待する。ただ都会の野良猫は寒さに極端に弱いらしく、降っている最中はまったく外に出てこない。狙うのは晴れた次の日だが、晴れるとあっという間に雪が解けてしまって、あまり綺麗な雪景色と言うわけには行かない。瞬発力の勝負だったりする。 冬といえばやっぱり雪景色が欲しい。東北や北海道まで足を伸ばせばいいのだが、行って必ず猫と会えるというわけでもない。やっぱり勝手の知れた東京で降って欲しい。
2005.12.23
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「24」という数字で思い起こすのは、ジャック・バゥアーが主人公のアクション物でしょうか、それとも「二十四の瞳」でしょうか。 私にとって「24」という数字は、レンズの焦点距離です。24ミリという広角レンズです。一昔前なら「超広角」レンズだったのですが、技術が進んで比較的手に入りやすいレンズになりました。私が最初にこのレンズを買ったのは5、6年前でしょうか、まだ猫を撮っていなかった頃です。値段がとても安かった(1万円しなかった)ので興味半分で買ったのが最初でした。 興味半分で買ったレンズだったので、当初はそれほど活躍の場所がなかったのですが、猫を撮るようになって随分使うことが増えました。慣れている猫なら思いっきり近づけます。猫に思いっきり近寄りながら、背景も入れられる、便利なレンズだったのです。 ある日、猫カメラマンの相澤ご夫妻とお話する機会がありました。カメラの話からレンズの話になると、やはり24ミリを使っているということ。これ以上広角でも使いづらい、ということであった。猫カメラマン、考えることは皆同じ。確か猫カメラマンの北田友二さんも24ミリを使っているらしい。 当初興味半分で買ったレンズが、猫写真で重要なレンズになるとは不思議な因縁でした。現在使用中のものは24ミリとしては2代目になります。安いレンズはそれなりの写りなので、今は少しまともなレンズに変えました。 今日の写真ももちろん、24ミリです。猫との距離は50センチほどです。 ただし、近づける猫限定です。近づかないと猫がとても小さく写ってしまいます。でも近づけるからといって、このレンズで、お部屋の中の愛猫を撮ろうと考えないほうが無難です。何といってもたくさん背景がはいりますから、「部屋の中の写したくない物」まで写りこんでしまいますよ。
2005.12.22
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日向の木下でくつろぐ2匹の猫。下側の猫は結構有名なモデル野良猫で、雑誌なんかでもたまに見かける。 白黒猫の方は、一年ほど前から口内炎にかかっている。毛づくろいができないので、すっかり毛並みがボロボロになってしまった。口内炎ができると、ろくに食事ができなくて痩せてしまうのだが、「猫おばさん」のおかげで、ふっくらした体系を維持できて、なんとか暮らしている。 この公園は入場料が有料の公園である。わざわざ入園料を払って猫に餌を上げに来てくれる。もちろん餌だけではない、避妊や治療もしている。おばさんたちの努力には本当に頭が下がる。 ところでここは公営の公園なので、正月は28日から、3日までは休園になって中に入れなくなる。猫おばさんだって入れない。寒い時期に餌が無い状態は、猫にとってはつらいだろう。 心配になったのでおばさんは、正月にやってきて、近所の人たちが乗り越えている壁をよじ登った。ところが着地に失敗、足を骨折してしまった。 さあ大変である。休園中の公園で身動きできない。友人と一緒にきていたので、恥をしのんで公園の管理室に連絡、救助された。 おばさん、笑いながら話してくれたが、ひとつ間違えば大騒ぎになっていたところ。ここまで気合がはいっていると、もうこちらは土下座でもしなくてはいけないほどである。 今は年末にたくさん餌をあげて、なんとかしのいでいる。ここの猫達は比較的皆ふっくらしている。「病気で食べられなくなったりしたときに、少しでも体力が残るだろうから、ちょっと太めのほうがいいわよね」というおばさんたちの配慮だ。 おばさんたちの努力で、ここも確実に野良猫は減っている。減ってしまうのはちょっと寂しいが、増えすぎると問題になる。この公園だって、管理者は猫のことを嫌っている。おばさんたちは、何とか餌あげを許してもらっている状態だ。 野良猫はこの子達一代限り。猫おばさんたちの願いである。
2005.12.21
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この写真、なんだか分かりますか。黒猫2匹がおでこをすり合わせているところなのですが、黒猫同士だったので、なんだか繋がっちゃいました。 黒猫を写真で表現するのは難しいです。一昔前なら露出を決めるのも、ちょっとしたテクニックが必要でしたが、最近のカメラなら、カメラ任せでもさほど問題はないようです。何が難しいかというと、今日の写真みたいに固まりになってしまうことです。 せめて目が開いているときは、フラッシュ一発で、金色の目をうつしだせますが、目を閉じているときはどうしようもありません。フラッシュを使えば毛並に光が反射して、何とか表情が見えるようになります。それでもなんだか物足りませんね。 黒猫を撮るたびに思いますが、黒猫を撮る時はシルエットを重視しないといけないということです。たとえば、落ち葉の中に黒猫が丸くなっているのを撮ろうとすると、出来上がった写真は、落ち葉の中の黒い固まり写真になるでしょう。 意外に綺麗なシルエットになる瞬間って、少なかったりします。 それから、背景にも気を配ります。木立や、山は比較的黒く写るので、背景に入れると猫と溶け合って、どこに猫がいるか分からなくなってしまいます。 でも難しいだけに、綺麗に撮れた時の喜びはひとしおです。 黒猫を撮るときのコツは、フラッシュとシルエットですね。
2005.12.20
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久しぶりにヨドバシカメラのカメラ売り場を見た。ヨドバシにはちょくちょく顔を出しているのだが、「買えない」カメラ売り場にはなかなか足がむかなかったのだ。 この冬にかけて、各カメラメーカーはデジタル一眼を取り揃えたようだ。売り場にはデジカメがずらり揃っていた。 そんな中、私が使っているような、フイルムでマニュアルカメラは、売り場の片隅に追いやられていた。この片隅のスペースは、つい最近までコンタックスというカメラメーカーの場所だったが、カメラの生産を中止してしまった。 なんとなく寂しい気分だ。デジタルは進化して、フイルムと区別がつかない程になった。いまさらフイルムを使う理由はなんだろう。 それはフイルムカメラは「撮る気」にさせてくれるのである。フイルムは現像があがるまで結果は分からない。その場での勘がたよりという「緊張感」が撮る気にさせるのかもしれない。 カメラは道具である。道具が仕事をさせる気にしてくれる。いつかはデジタルに変わるのだろうが、金銭的にも、精神的にも、私のデジタル化はまだ先のようである。
2005.12.19
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先日教員の「心の病」による休職が、過去最高3500人になっているという記事を読んだ。教員の環境が厳しいことは解る。学級崩壊、理不尽なPTA、イジメ、自殺etc行き詰まって一人悩み、心の病になってしまうのだろう。 「心の病」は健常者からみて、理解することが難しい病気である。もちろん私だって、理解しているとはいえない。しかしながら、仕事に行き詰まって会社を辞めた人間として一言言いたい。「休職するなら辞めてくれ」 学校の子供達は先生を大人としてみている。学級崩壊だなんだで、全く言うことを聞かない子供だって、先生を「大人」としてみている。その「大人」が真っ先に学校を休んでいたら、子供達はどう思うだろう。「先生かわいそう」そう思う子が大半かもしれない、だが生徒の心の一部には「学校ってその程度の物」「いやでも学校に来させられている私は?」といった気持が湧かないだろうか。 「大人」は、良くも悪くも子供のお手本である。その「大人」が真っ先に休んでいたら、子供達も真似をするだろう。子供達が「心の弱さ」を真似してしまうことが恐い。 どうも学校の先生というのは、「社会人力」が弱いような気がするのだ。大学を卒業して、すぐ学校に入ってしまう。勉強を教えるだけならそれでも良いかも知れないが、学校は社会を疑似体験する場でもある。一般社会のストレスを知らない先生が、そのまま指導をするのはいかがなものか。 「辞めてくれ」などと暴言を書いたが、まずそれぐらいの覚悟をもって教職になっていただきたいということ。「何があっても教壇に立つ」という覚悟が欲しい。学校に行けなくなった時点で教員失格、子供達に「学校を休むお手本」を見せないで欲しい。もしそうして欠員ができたのならば、一般社会人からの教職員募集も良いのではないか。子供も大人も「打たれ弱く」なった。「麦は踏まれて丈夫に育つ」とさんざん言われたものだが、今は「踏んだら枯れる」ので、踏まないように大事に育てられた人が多いのだろう。先生方、もっと社会に出て「踏まれて」下さい。
2005.12.18
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ごめんなさい。今日もとりあえず写真だけでもUPします。
2005.12.17
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先日、若者(30代)を中心に「下流意識」が根付いているという話を聞いた。バブルの時には「一億層中流」時代なんていわれていたのが、時代は変わったものである。ただこの「下流意識」というのは、単に収入が少ないと言うことだけではないらしい。インタビューに答えていた若者は、自分を「下流」と称し「バイトして家賃払って、酒飲めて、いまが楽しければこれでいい」といっていた。「下流意識」というのは、現状で十分という向上心のなさ、も条件に入るという。 私なんか収入面でいったら、下流の下流。海までたどり着くぐらいの下流であるが、一応向上心はあるつもりだ。ただ、アルバイトをして副収入をあてにしてしまうと、正直に言って「これでもいいか」みたいな気持が浮かんでくるのも確かである。 お笑い芸人が先輩に「バイトなんかするな、芸だけで食っていくぐらいの気持がないとバイトで満足して、成功しないぞ」と言われたという話を聞いたことがあるが、一理あるようだ。 カメラマンとして、雑誌にのるようになってから、もう3年がたつ。当初は3年で写真集を出したいなんて考えもあったが、無理であった。今年も残すところ後わずか。来年こそはなんとか出版化にこぎつけたいものである。また営業をがんばらなきゃ! 年間数冊の写真集を出版できるカメラマンに、早くなりたいものだ。
2005.12.16
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猫の手帖1月号が発売になりました。表紙とグラビアを担当(巻頭のカレンダーは通年で担当)しましたので、お店でみかけたら、是非買って下さい。よろしくお願いいたします。 今回の猫手では、118Pの豪徳寺の猫写真も提供いたしました。こちらは都合上クレジットが入れられないので、なにかペンネームはありませんか、と聞かれたので、このブログのハンドルネーム「きじとら2000」を伝えました。ページの最後に、「協力きじとら2,000」と入っているのをみて、ちょっと変な気分です。 このブログは当初、自分の宣伝用にと思って立ち上げました。宣伝用だから、本名をそのまま使えばよかったのですが、ブログ初体験だったので、少々警戒してハンドルネームを使いました。今ではすっかり定着しているようなので、いまさら本名に代えられなくなってしまいました。 ところで、猫手のグラビアでは、神社などの名前が入っています。打ち合わせの時に、「地名は入れないで欲しい」と言ったのですが、編集側は「是非猫好きの方にお参りに行って欲しい」というので、名称を入れました。ただ有名になると、猫を捨てに来る人が増えるのも事実。「猫手」の読者にそういう人がいないことを願います。特に冒頭の神社ではつい最近も捨て猫されて、地域猫の会の方がひきとったばかり。しかも餌に毒を混ぜられたり、病気が広がっていて、ぼろぼろになったりしています。ここで書いてもしょうがないのですが、「絶対に捨て猫しないで下さい」 先日も久しぶりに撮影に行った港で、「猫おばさん」と話したのだが、いつもモデルをしてくれた子が、急にいなくなってしまったという。この港では、全部このおばさんが避妊したので、順調に?野良猫は減っている。モデル猫が減ってしまうのは寂しいが、病気になって、がりがりに痩せて、よだれをたらしている様子を見るよりはましである。
2005.12.15
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「この子がいなければ、全て上手くいくと思ったから」というのが、生徒を殺してしまった塾講師の動機だった。なんと短絡的で身勝手な動機だろうと思うが、「短絡的、身勝手」というのは、若年層の犯罪の特徴だろうか。本当によく聞くようになった。 ところで最近の中学校では、水泳の授業に出たくないと言えば、休めるのだそうだ。コンプレックス(私が聞いたのは、ニキビが恥ずかしいから、という理由)があって、みんなの前で水着になるのが嫌だというだけで、見学がOKになるという。それってズル休みじゃん、と私なんかは思うが、あくまでも子供の自由な意思を尊重するのだそうだ。 「自由な意思を尊重」って言うけど間違ってないか。自由な意思と我儘が同じ扱いになっている。 親も学校も、子供を大切にしすぎて、甘やかしすぎではないか。確かに、イジメや登校拒否、引きこもりといった問題があるが、だからといって腫れ物にでも触れるような扱いでは、子供はいつまでたっても我儘なままだろう。社会に出れば我儘は一切通用しない。そんなことを少しでも体験できるのは、学校という共同生活の場ではなかったのか。 欲しがれば何でも与えてしまう親。嫌がれば何もさせない学校。「身勝手で短絡的」な人間はこうして創られたのだろうか。 あまりにも「子供」というものを大切にしすぎて、「子供を大人に変える」ということを放棄しているような気がする。本当は、躾、教育を含めてこれが一番重要なことではないだろうか。
2005.12.14
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すみません。今日は写真だけのUPにします。風邪のほうは、すっかり良くなって写真撮り歩いていますから、ご安心下さい。最近の事件について書こうかななんて考えていたら、頭がフリーズして時間ばっかり経ってしまいました。しかし今年の漢字が「愛」だったのに、「愛」を全く感じない事件が続くのは、本当に皮肉ですね。明日までに脳みそ再起動しておきます。
2005.12.13
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「お風邪を召しませんように」なんてご心配をおかけしていながら、ついつい風邪をひいてしまいました。先週、ちょっと疲れてるなぁ、なんて思いながら活動していましたが、やっぱりです。全く無理が利かなくなりました。もう若くは無いって事を痛感いたします。 ところで、もうすぐクリスマス。お子さんのいらっしゃる方は、クリスマスのプレゼントをねだられているのでは? 私も子供の頃はねだったものですが、欲しかったものは、全くもらえませんでした。記憶に残っているプレゼントは「ワーゲンのミニカー」「計算機」「目覚し時計」ぐらいでしょうか。ミニカーは分かりますが、「計算機」っていうのは変ですね。小学校低学年の時のプレゼントだったと思います。いまでこそ計算機は100円ショップでも売っていますが、当時はICチップなどと言う物は無く、トランジスタをつかった電卓で、関数計算までできると親父が嬉しそうに説明していたのを覚えています。関数っていっても小学生にはちんぷんかんぷん。数字の表示が、まだ液晶の無い時代だったので、小さな電光掲示になっていたのが面白くていじっていました。本当に計算機が必要な年齢になる頃には、「カード電卓」時代になっていて、トランジスタ電卓はすっかり役立たずでした。 いまでは、「プレイステーション」とかプレゼントでもらえるのでしょうか。うらやましい限りです。高いおもちゃですね。 「高いおもちゃ」で思い出す事があります。私は中学の時、推薦で私立高校に行きたかったのですが、親の反対で行かせてもらえませんでした(双子なので二人同時に私学は無理)。そこで公立の高校に進む代わりに、カメラをねだりました(もちろん二人で一台)。無事受験を終えて、ヨドバシカメラで買ってもらいました。たしか当時で14万円ぐらいだったと思います。受け渡しの時に店員さんが「高いおもちゃですね」といったのが忘れられません。 あれから20年以上たちました。いまだにこのカメラは私のメイン機です。当時、私も親もカメラで食っていこうなんて、微塵も考えていませんでした。人生ってわからないものです。「高いおもちゃ」に逆戻りしないように頑張ないといけませんね。 こんな昔話をするのも「若くはない」ってことですね・・・。
2005.12.12
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「神社仏閣に猫はつきもの」とばかりに猫をさがして神社仏閣めぐり。最近では門前になにか教訓めいたことが書いてあったりして、特に信仰心の無い私でも感心したりします。「捨ててこそ、得るもののある、年の暮れ」とお寺の門前にかかれていた。除夜の鐘で108の煩悩を払いのける、12月にはふさわしい言葉。ところが山門をくぐるとなんとそこには、高級車が置いてある。「まあ、檀家さんをのせることもあるだろうから」とも思うが、なんとタイヤは17インチホイールに超扁平タイヤ。乗り心地を無視した、デザイン重視の選択である。教訓を書く前に、まず己からやれ! 猫のたくさんいるお寺で、猫撮影。そのうち幼稚園の子供達が、先生とともにやってきた。境内は広いので、珍しくは無い光景である。子供が苦手なニャンコと私は、山門の影でひっそりと撮影続行。やがて先生の子供達を集める声。どうやら子供の声がうるさいと追い出された模様。「大事な話し合いをしているから」といわれたようだが、先ほど観光バスで乗り付けた団体が、寺務所に入っていったのをみている。ここのお寺では、観光客相手に予約制で精進料理を出しているのだ。 「日本昔話」に出てくるような「貧乏寺」というのは、今ではすっかり影をひそめてしまったのだろうか。金回りがいいのは、あつい信仰の現れなのかもしれないが、なぜか煩悩剥き出しである。何のために坊主やっているのだろう、と考えるのは、私の僻みだろうか。 帰り道を変えてみると、小さな神社を発見。傾きかかった神社にしなびた社務所。古くから地元にある神社らしく、神社の由来が書いてあるのだが、看板が古くて読めない。猫には会えませんでしたが、他ではしなかったお賽銭をして、気持ちよくお参りしてきました。だってこの神社、入り口の掲示板と社務所の窓に「猫探してます」のポスターがはってあったのです。地元密着。やっぱりこうでないと。
2005.12.09
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当初、暖冬の影響で紅葉が遅れているという話だったが、11月が急に冷え込んだため、例年並になったようだ。東京近辺のイチョウやもみじも、綺麗に紅葉しています。ということで、私も猫撮りにいそしんでいます。ただ今年は例年になく、晴天が続いています。ほとんど雨らしい雨がふっていません。晴天が続くのは、撮影日和が続いて結構なことのようですが、実はそうでもないのです。青い空を背景に真っ赤なモミジ、その前に可愛いニャンコがいたら最高!なんて考えますが、仮に運良くこんな場面に出くわしても、普通に撮ったら、猫の目は真っ黒、モミジも色よく写りません。どうしても日向と日陰のコントラストが強くなりすぎます。しかもモミジはデリケートなので、日当たりの良いところは早くしおれてしまいます。今年は晴天続きなので、特にしおれるのが早いようです。こんなときは思い切って、モミジの木下に入り込みましょう。外側の葉っぱは枯れていても、内側は日陰になっている分、綺麗に残っています。また、モミジを空の光を通過して見ることになるので、発色はいっそう鮮やか。さらに良いことに、木の下は木陰になっているので、猫の顔に不要な影ができるのを防ぐことができます。ただ、猫と一緒に写せるほど低く枝を伸ばすモミジってあまりないのが事実。去年はあっても、今年になったら台風で枝が折れちゃったなんてことも。猫はきまぐれ、気候もきまぐれ、紅葉もきまぐれ、紅葉と桜はタイミングをはずすと全く絵にならないので、本当に大変。せめて猫だけでも言うこと聞いてくれないかな。でもこの三つの気まぐれ、どれも人間の言うことなんか聞きませんね。
2005.12.08
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私はそんなに「いける口」ではないのですが、ビールはよく飲みます。働いた後や風呂上りの喉が渇いているときなんか、夏冬関係なしにうまい!と感じます。ビールの本場はドイツですが、日本のビールは品質管理がしっかりできているので、味もトップレベルだそうです。そんなおいしいビールが手に入る日本人は幸せです。 ところが、私は最近ビールでなくて「その他の雑酒」と表記される「第三のビール」を飲んでいます。理由は?やっぱり安いからです。各社頑張って、いろいろと工夫していますが、味はやっぱり本来のビールには及びません。 発泡酒や、第三のビールは考えてみれば、おかしな存在です。インスタントラーメンはラーメンを模した物ですが、お湯をさすだ毛でできる手軽さという存在意義があります。インスタントコーヒーもそうですね、手軽さに存在意義がある。発泡酒、第三のビールの存在意義は「ビールより安い」ということ。 「ビールより安い」のはひとえに「酒税」の違いである。仮に「酒税」がなければ、発泡酒や第3のビールは、開発されなかったであろう。税金を安く済ませるために作られたビールもどきの酒。開発した企業もけなげだし、それを愛飲している国民もけなげである。 「第三のビールにも適正課税を」と言う声があがっていたが、現在の酒税法では、各社の原材料がまちまちのため、一律の課税ができないので見送られている。ところが、来年度のサラリーマン増税を機会に、酒税法を見直し、第三のビールにも課税を強化する動きが始まっている。 ビールもどきが、ビールと同等の価格になってしまったら、その存在価値は薄れてしまう。開発した企業の努力、コストはどうなってしまうのだろう。安いから助かると飲み続けている国民の気持はどうする。 お酒に税金をかけるのはいたしかたのないことである。「ビールと同等の物なのに、ビールより安い課税では税の公平性を欠く」そうだが、だったらビールの課税を安くすることで公平にしていただきたい。
2005.12.07
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以前、アクビの写真をまとめて雑誌に掲載してもらったときの話。「猫の歯が見えているとちょっと怖いので、見えないものをなるべく選びました」と編集に言われた。雑誌の講読対象が、女性と小さい子供なので「歯」を怖がることがあると言う。 牙をむき出しにして大きな口を開ける猫、考えてみれば「あくびしているところ」と言わなければ、ちょっと怖い顔なのかもしれない。猫によってはものすごい顔になる子も確かにいる。口を開けている写真だから「歯」が写るのは不可避なことであるが、牙むき出しの写真が並んだら、子供ならちょっと引くかもしれない 猫のアクビを見ていると、まずヒゲが前に向かって一斉に動く。次に口が、縦に長く開かれる。ここが第一のシャッターチャンス。このタイミングだと、ほとんど歯が見えません。次に縦に長く開いた口が、横に広がります。これも第2のチャンス。歯は全て見えちゃいますが、目を閉じていると(だいたい閉じているが、開きっぱなしでアクビすることもある)まるで笑っているような顔になる。 ところで猫あくび写真を整理していると、気がつくことがある。「あれ、こいつ牙がかたっぽない」とか「歯がかけてる」といったことだ。写真のニャンコは、ちょっと小さめの子だった。毛並みも綺麗だったので、まだそれほど年でもないのかなと思っていたが、写真をルーペで見ると「あれ、歯が全部無い」 実は結構お年寄りだったのでした。 歯がきれいにそろっているのは健康の証。お家のニャンコでも、口を開けっ放しにしてしげしげと見ることはないでしょうから、あくび写真が撮れたら、歯並びをチェックして見てください。
2005.12.06
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先日も書きましたが、私のカメラバックはとても大きいのです。ほぼつり用のクーラーバック大の大きさですが、布製です。ある程度の衝撃を吸収するために、布地の下にはウレタンがはいっているようです。そして色は黒です。 肩にかけながら撮影するのはちょっとつらいので、撮影中は地面に下ろしているのですが、するとあら不思議!ノラたちが集まってきて、カメラバックをベッド代わりにして寝始めます。どうやらカバンが、彼らが寝るのにちょうどいい大きさのようです。しかも日向だと、太陽光線を吸収してホッカホカというわけです。 レンズ交換や、フィルム交換をしなくてはならないので、「悪いなぁ、ちょっとどいて」とばかりに下ろして、バックを開けます。すると開けたカバンに入り込んでくる奴までいます。まぁ入るくらいは良いのですが、困るのは、「地面でコロコロしてから、乗っかってくる事」です。 日向でコロコロ楽しんで、ゆっくり居眠りしたいのでしょうが、カメラが砂だらけになるので、本当に困ります。慌てて出そうとすると、余計に砂が落ちたりします。 そういえば、猫カメラマンの相澤秀仁さんも、「カメラバックで猫が寝る」と言っていました。猫カメラマンは、餌だけでなく、簡易ベッドまで提供しているようです。でもなるべく砂を落としてからにしてください。カメラって本当に砂に弱いのです。 今日のような、小春日和は要注意です。だって今日私のカバンの中は、すでに砂だらけにされてしまいました
2005.12.05
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以前TV番組のなかで、受刑者の再犯防止教育として、動物の面倒を見させる刑務所があると知った。主に犬だったが、飼い主に捨てられ処分寸前のペットを、受刑者にまかせるのだ。受刑者たちは、最初仕方なく面倒を見ているが、自分達と似た境遇にある、捨てられたペット達に情が移っていく。出所する頃には「今度刑務所に入ったら、こいつが路頭に迷うから、絶対再犯はしない」と言ってペットとともに出て行く。 ちょっとできすぎた話ではあったが、再犯防止の教育方法として、処分される運命のペット達を任せるのは、ありかなと思った。 ペットを飼うことは、命あるものを愛して、命あるものから愛されることである。こうした体験は、机上の勉強や、講義を聴いたり、本を読んだりしても得られないものであるので、再犯防止教育には必要不可欠なものでは、と思う。 不幸にして、児童を対象とした性犯罪が続いている。性犯罪の前科を持つ者の再犯率も高い。前科者の監視強化は、今第一に必要なことである。だが、その次に再犯防止教育も考え直さなくてはならないだろう。 再犯防止教育について考える事は、今の社会に欠けてしまったことが見えてくるはずだ。そしてそれは、犯罪者を創らない社会に繋がっていくと思う
2005.12.04
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昨日、朝の番組で、コンテストで受賞した子供の作文が紹介されていた。私は、ダイジェストで紹介された文章しか分からない。全文を読んだわけではないので、これから書くことが正確ではないかも知れない。 作文の内容とは、子供はこの夏、自分の母親が母親を亡くした年齢になった、そして自分ももし母親を今失ったら・・・というものだ。「今時の子供だって、こんなに想像力たくましく、人の哀しみを思いやれる子がいる」と絶賛のコメントだったが、私には正直に言って困惑させられた作文であった。 まず作文のなかで、お母さんとは一切呼んでいない。全て名前(確かまゆみちゃん)とよんでいる。もう私なんかこれだけで困惑する。最近の流行なのかも知れないが、理解できない。そして子供は母親から聞かされていた、「母親のいない生活」に思いを巡らせる。手入れができないからと髪は短く切られ、服にはアイロンがかかっていない。食事は冷凍物ばかり。私も「まゆみちゃん」がいなくなったら、長い髪をとかしてくれる人がいない、服にアイロンをかけてくれる人がいない、温かい食事を作ってくれる人がいない、こうしたことを自然にやってくれていた「まゆみちゃん」に感謝する。 ちょっと即物的すぎないか。これでは母親は、まるでお手伝いさんと変わらない。子供の頃の、母親の喪失感とはこんな即物的イメージではなかった。もっと得も言えぬ喪失感にとらわれ、泣きじゃくり母親の懐に飛び込んだ記憶のあるのは、私だけではあるまい。きっとこの子も泣きじゃくったのだが、文章にしたので即物的表現となったのだろうか。 母親を「まゆみちゃん」と呼ばせること、何かこれに全て象徴される気がする。「友達のように付き合える親子関係」は最近の流行かも知れない。でもそれは、子供が母親と対等に付き合える年齢になってからのことだろう。 「友達親子」と思っていたものが、いつの間にか「メイドとご主人様」の関係に変化していないか。娘と母親の話だからそんなことは無いのかも知れないが、何か母親と言う存在すら変わってきたのかと考えさせられた。
2005.12.03
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先日新聞のコラムに、地球温暖化の原因は人間の排出した二酸化炭素が原因ではない、と言う趣旨のコラムがあった。地球全体から、自然に排出される二酸化炭素量に比べ人間が排出する二酸化炭素は数パーセント、専門家の間でも地球温暖化の原因に、人間の活動を原因とするのには懐疑的な人が多いという。京都議定書にいたっては、先進国が、第三国から二酸化炭素排出量を買うためのシステムを作っただけ、という。 私は専門化ではない。人間が燃料を燃やしたりすれば、それだけ二酸化炭素が増えて地球温暖化が進むと思っていた。それは間違いだったのだろうか。 しかし京都議定書による、二酸化炭素排出量の取引は疑問があるが、排出量規制には意味があると思う。これにより、各産業が本腰をいれて省資源、省エネルギー化に取り組んだのは確実だ。また、排出量を取引するより、自社で排出量を減らすための努力をした方が経済的でもあるから、より省エネ化が進んだ。 仮に人間が努力し、二酸化炭素排出量を限りなくゼロにできたとき、実は温暖化は他に原因があり、止められませんという結果でも、それなりに意味はあると思う。 省エネ、省資源は人間の夢でもある。少しのエネルギーで動き続ける機関ができれば、わずらわしい充電や給油などから開放される。永久機関については、錬金術と並ぶ人間の古くからの夢はないか。また、排出ガス規制で、少しでも空気が綺麗になって、緑が増えるに越した事は無いとも思う。 「省エネで二酸化炭素排出量を減らし、温暖化を止めよう」というのは、じつは「ウソ」なのかもしれない。でも分かりやすい理由であるし、それによって産業を動かす事ができた。それなりに排出量削減への動きは活発になった。仮に温暖化を止められなくても、人間に、地球に、いい結果を残す事は間違いないと思う。 環境を無視し、儲け最優先の資本主義社会を動かしたのである。「ストップ温暖化」かりに「ウソ」でも「ウソも方便」であろう。
2005.12.02
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猫カメラマンの私は、通勤ラッシュとは無縁の存在? 実はそうでもないのです。入園料の必要とされる、公共経営の公園は9時オープン。それに合わせて、少々早めに自宅を出る事も多いので、けっこう通勤ラッシュとぶつかっています。9時の開園と同時に「場所取り」ならぬ、「猫取り」のためにダッシュ!というわけでは無いのですが、10時を過ぎると、どうしても観光客が増えてしまい猫も私も集中できないので、9時から10時が勝負というわけです。という訳で、「ズレ勤」はいくらでも可能なようですが、どうしても通勤ラッシュとぶつかってしまいます。 通勤ラッシュの電車の中での私は、大変迷惑な存在なのでしょう。何といっても、大きなカメラバックを持っての乗車。イメージとしては、「すし詰めの車両に、釣り用のクーラーバックをもって入ってくる」ような感じです。「こいつ隣にくるな!」ってところでしょうか。 先日、すし詰め状態の車内で、隣に背の低い女性が乗ってきました。私のカバンが彼女の足元に来てしまったため、もみくしゃの車内で彼女は足元がおぼつかない状態に。電車から降りるときに一言「網棚に上げてください!」といわれたが、網棚に上がるほど小さなカバンではないのです。 まあこの程度の苦情ならいいのですが、通勤電車のなかで男性諸氏の心配事は「痴漢に間違えられないか」でしょう。幸い私はありませんが、床においてあるカバンにはカメラが入っています。電車の中、床に置いたカバンの中にカメラというだけで、とっても怪しい。間違われて弁明するときに、カメラに疎い人だったら説明しても分からないかもしれない、なんて心配しています。 まあ、通勤ラッシュの電車の中に、でかい荷物を持って入ってきた奴がいたら、「猫カメラマンかもしれない」と思って許してやってください。
2005.12.01
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11月も今日で終わり。今年も残すところあと1ヶ月となりました。巷はクリスマス1色、最近はショウウインドーだけでなく、一般家庭のイルミネーションも大流行のようです。青色発光ダイオードの普及で、今年は、「ブルー&ホワイト」が流行とか。ダイオードは消費電力量が少ないので、「ヘビーイルミネーションユーザー」のご家庭には朗報だろう。なにせこの月の電気料金は10万円を超える、なんてご家庭もあるという。 ところで、今年は「クールビズ」に続き、「ウォームビズ」を推進している。「クール」より「ウォーム」のほうが、CO2の削減には効果的であるという。国を挙げて省エネ、CO2削減に取り組もうという時に、「ご家庭でイルミネーション」とはちょっと?な感覚である。 せっかく、身近にできることから環境に取り組んだ年である。今年は「イルミ」より、環境のことを考えて、「消灯してキャンドル」はいかがでしょうか。キャンドルやキャンドルスタンドは100円ショップでも購入可能、生活雑貨店で買ってもそんなにはしないでしょう。イルミよりは財布にも優しいはず。 それよりなにより、ちょっと加熱気味の「イルミ競争」から外れて、優しい光を仲間や家族と楽しんでみませんか。「家を包むイルミネーション」より、「食卓に一本のキャンドル」の方が、財布にも環境にも、そしてなにより「心」に優しいと思います。
2005.11.30
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普通、切ったリンゴは、表面が酸化して茶色く変色してしまう。ところが、切り置きしても変色しないリンゴができたという。なにやら偶然の産物であるということだが、皮をむくのがめんどうくさい人向けに、カットフルーツとして販売できるようになる、ということだ。リンゴも「かわなし」の時代がやってくるのか。 かくいう私も、あまりリンゴが好きではない。リンゴがあっても、わざわざ剥いて食べる気にはならない。でもどうしても食べたくなれば、皮ごと食べてしまう。確かに剥くのは面倒なものだ。 便利な食品というと、猫餌の話になるが、レトルトパウチから出すと、もうほぐれていて、猫がすぐ食べられる、という商品のCMがあった。CMの流れていた頃は、猫を飼っていなかったので「ほぐすぐらい簡単だろう」と思っていた。がしかし、9匹の猫を面倒見るようになって、はじめてその便利さを痛感させられた。9匹の一回分の食事を用意するとなると、缶詰を3缶開けていた。結構缶詰は硬く固まっているので、ほぐすのが大変。そこへ9匹分の「早く早く!の大合唱」、猫餌ほぐしで、腱鞘炎になるかと思った程であった。今は2匹なったので、一缶開けてほぐすのも簡単である。 たくさん飼っていれば、「ほぐれた餌」も便利である。「皮むきリンゴ」や「骨なし魚」も便利だろう。まあ「ほぐれた餌」は別として、便利加工食品が増えるのはどうだろう。リンゴに皮がついてるから、食べられない。魚に骨があるから食べられない。という人間がまたふえるのだろうか。 「食育」という考えが広がってきている。好き嫌いで、食べられないものがあるというのは不幸なこと。何でもおいしく食べられるのは、うらやましいことだ。海老カニが食べられなくて、旅行先ではいつも指をくわえることとなる、「私」がそう感じるのだから、間違いない。
2005.11.29
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広島での女児殺害事件は、いまだに解決していない。不審者の影がちらついているが、有力な情報はないようだ。怖い世の中である。先日も近所の中学校の前をあるいていたら、下校中の中学生達が、「昨日不審者がでたんだって!」と大声で話していた。 不審者の発見には、警察官の職務質問は大変効果的である。やっぱり職業柄、怪しいと思った人間は、結構当たるようである。職務質問から、検挙した例も多い。 ところで、私は今までに2回、職務質問にあった事がある。一回目はサラリーマンの頃。夏休み、車で旅行するのが好きだった私は、旅館などの予約もせずに出かけることが多かった。その結果、車の中で野宿が多くなってしまう。宿代も節約できるので車で野宿の回数は多かったが、一回だけ深夜に警察がやってきて、職務質問された。県外ナンバーの車に男が寝ていたら、やっぱり相当怪しかったに違いない。「仕事は?」と聞かれ、「信用金庫職員」と答えてもなかなか信じてくれなかった。 2回目は、猫カメラマンになってから。国会議事堂近くの、地下鉄の出口付近に野良猫がいるという情報があり、喜んで出かけた。地下鉄出口にでると、出口の脇にある植え込みの影にニャンコがいた。出口の脇に座り込んで、まず猫にご挨拶と思ったが、意外に警戒心が強くて寄ってこない。ダメかなと思っていると、警察官が駆け寄ってきた。考えてみれば当然である。国会議事堂近くで、馬鹿でかい黒かばんを置いた男が、植え込みの裏でごそごそやってる。「何をしている」といわれて、「猫を撮ってます」と答えたが、猫はすでに逃走していた。カメラも、まだバッグの中である。結局バッグを全部開けて、機材のチェックを全て受けた。 普段、街の交番に警察官がいなくて、「頼りないなぁ、本当に仕事してんの?」なんて思うことが多いが、こうして見ると、案外しっかりパトロールしているようである。さすがに職務質問を受けると、はた迷惑な話だと思うが、それだけしっかりパトロールしている証拠でもある。 猫カメラマン、カメラをしまえば、ただの不審者。普段から猫探して、キョロキョロしているので、挙動不審に見えるだろう。近所で事件が起きない事を祈る。
2005.11.28
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先日の「排便ストライキ」で書いたが、「しろちゃん」はその後順調に排便している。毎日というわけではないが、2日か三日に一度はしてくれるようだ。ただ、ドアの前で座り込みして「出して!」攻撃は相変わらずである。 外に出さなくなったせいもあるのだろうが、朝方(3~5時ごろ)騒ぐようになった。騒ぐと言っても、鳴いたり走ったりではなく、困ったことに襖をがりがりやってしまうのだ。もう破いてしまった襖なので、諦めて放っておいてもいいのだが、ガタガタと結構大きな音がする。やっぱり階下への影響も考えて、止めなくてはならない。止めるとしばらくはやめる。こちらが布団に戻ると、またおもむろにはじめる。この繰り返し。 おきて見張っていればやらないようだが、寝ないでずっと起きているわけにはいかない。しょうがないので、布団を出て、毛布に包まって襖の前で寝ている。それでも寝付くと「ガタガタ」と始められてしまう。こうしたことを4,5回続けると朝の5時ごろになるようだ。そうすると「しろちゃん」は寝付く。「襖ガタガタ」行動を観察していると、どうやら押し入れの中に入りたいというよりも、音を立てて、人間が起きてくるのを待っているようである。彼女なりの意思表示なのだろう。「お外に行きたいよ」「ストレスが溜まってるよ」と気持は解るが、今出すわけにはいかないのだよ。今のところ、「襖ガタガタ」が始まったら、ちょっと遊んでやること位しかできない。やっぱり眠いのであまり長くは付き合えないが。しかし猫は頭がいい。必ず人間が起きてくる、効果的な方法を心得ているようだ。しかし困った!
2005.11.27
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昔、私が営業職をしていた時のお得意様に、宮大工の棟梁がいらっしゃった。「2X4なんてプレハブみたいなもの作れねェ!」って職人気質の方だったが、お金のほうの管理も職人気質で困ったものだった。 建築士の偽造問題が話題に上がって久しいが、この問題、今の日本を象徴している。設計者、建築者、販売者、誰一人「こんなもんつくれねェ!」って一喝できる人がいなかったのは悲しい。生活がかかっているのは解る。従業員の生活を守らなくてはいけないのも解る。しかし、この人達の「プロフェッショナル魂」は何処へいったのだろう。 「魂のない専門家」というコメントがあったが、その通り。食品偽装する生産者、販売者。不祥事の続く、医師、教師。警察官が犯罪に走り、政治家は国民をかえりみず、保身に走る。皆、何のためにこの仕事を選んだのか不思議である。生活する金を稼ぐために仕事をする。それは当然。だがそれ以上に、高い意思、「プロフェッショナル魂」があったはずである。 結局、学歴社会に端を発しているのだろうか。結局、仕事につく目的意識が希薄だから、「魂の無い専門家」が増える。「プロフェッショナル魂」のない「プロフェッショナル」が跳梁跋扈している。 私も専門家の端くれである。くれぐれも「魂」を忘れない作品作りを心したい。「そんなもん撮れネェ!」って写真家でありたい。でもそんなことを考える前に、そんな仕事の依頼がくるほど有能ではないが。
2005.11.26
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年末ジャンボ宝くじの販売が始まった。もうすっかり年の瀬である。3億円の夢を見るため何度か買っているが、とんと当たらない。私の信じる猫神様は、猫だけに、お金には全く縁が無いらしい。猫写真に関しては、これだけ強運を与えてくれるのに。 3億円あったら、何に使う? まずカメラを買い換える(今使っているカメラは、全て修理が必要なのだが、だましだまし使っている。) パソコンを買い換える(今つかっているノートパソコンは、画面が逝っていて、外部モニターに接続して使っている。) 家を買う(しろちゃんのトイレ問題があって、今のアパートは大変) アパートを建てて、不動産収入を得る(食えないカメラマンじゃ老後が心配)・・・・・ 夢を見るつもりが、逆に現実をつきつけられてしまった。どうやら「3億円の夢」は、私のようにお金に切実な人間には、夢どころか毒のようである。 まあ、私が買ってもせいぜい10枚がいいところ。10枚で3千円。3千円紙切れにするのはもったいないなあ、なんて考えてる人には「3億円の夢」すら縁が無いのかもしれない。 「お金は寂しがりや」なのだそうだ。「寂しがりや」だから、仲間の少ない財布には、長く居たがらず、仲間のたくさんいるお金持ちのお財布に、集まりたがるくせがあるらしい。やっぱりドーンと、数万円が紙切れになっても、「3億の夢」が見られりゃ良い!っていうお金持ちじゃないとダメか。 嗚呼小市民。やっぱりこつこつやっていくのが一番、のようである。
2005.11.25
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韓国の大学進学試験の様子が、話題になっている。韓国では、日本以上に学歴偏重主義なので、大学に進学できるか否かが人生を決めるという。17、18ぐらいで人生決まってしまうなんてかわいそうな気もするが、日本だってそう変わらない。 バブルがはじけて、年功序列は崩れた。上場企業だって明日はわからないと言われるが、やっぱり「寄らば大樹」であろう。有名大学へ進学して一流企業に勤めるのは、やっぱり安定した将来を約束されるようなものと思う。 先日バイト先で、高校3年生と話をしていた。大学の話になり、「神奈川大学、法学部、法律学科卒」といったら、「僕が推薦で決まっている学部です」と驚いていた。大学も決まり、前途洋々たる若者の夢を打ち砕く、悪い見本の先輩で申し訳ない。「卒業後は信用金庫に勤めていた」と一様フォローはしておいた。 子供の頃から絵が好きだった。中学高校と絵と写真もやっていた。そんな私が普通科の大学へ進学を決めたのは、「絵じゃ食えない」とふんだから。進学した大学は、「そこしか受からなかったから」選んだ職場は「給料がいいから」。安定した仕事を得て、後は趣味でやればいい、そんな割り切りをしていたつもりだが、当時から「それでいいのか」という不安はあった。 結局、「食えない」とふんでいた道を歩くことになった。思えば、変な割り切りをせず、自分のやりたい道を選んでいればよかったのかも知れない。まあ、その道を選んでいたとして、有名カメラマンか画家になっていたかどうかは疑問であるが。 十代で将来を決めるのは難しいと思う。回り道も良いかも知れない。でも、もしやりたいことがあるのなら、慎重に進学先や仕事を選ぶべきだ。安定した生活は重要だが、人生それだけではないはず。 今、私の周りには、進学だったり、就職だったり、転職のために勉強している人がいる。34歳で仕事をやめ、写真で食えなくて、バイトしている情けない輩である。ろくなアドバイスはできないが、私をみて、改めて自分の将来について真剣に考えるきっかけになってくれればいいと思う。
2005.11.24
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猫の大便でアパートの環境が不衛生になる、ということでペット放し飼い禁止になった、ということは先日書き込みをした。「しろちゃん」もついに一日1回の外出も禁止し、完全外出禁止として、昨日で4日目となっていた。 子育て中は、子供達と同じトイレを使っていた「しろちゃん」であったが、ここ最近は全く使ってなかった。2つ用意してあるが、使うのは子供の「もん」ばかり。やっぱり臭いが気になるのか、と3つ目を玄関に用意してみたが、いっこうに使う気配は無かった。ただ、オシッコはいままでのトイレを使っているようだ。 1日、2日目までは、「がまんできなきゃトイレを使うだろう」ぐらいに考えていたが、さすがに3日目となると心配だ。4日目ともなると・・・。もう「お願いだから、大便して!」と頼み込むようになる。食事はよく食べるので、便秘でつらいといった様子はないが心配である。以前は最低2日に1回、立派な大便をしていたのだから、よほど我慢しているに違いないと不安だ。ハンガーストライキは聞いたことがあるが、「しろちゃん」は「排便ストライキ」か。5日目になったら外へ出してやろうかと弱気になった。 昨日4日目の夕方、天然ビール酵母を飲ませてみることにした。以前に子猫達が下痢気味だったので、整腸作用があるといって飲ませてみたら、もっと下痢になってしまった例の薬である。もう下痢でもいいから出して欲しい。2錠を与えてしばらくすると「しろちゃん」はいそいそとトイレへ。息をこらしてじっと様子をうかがうと、独特の臭いが!下ってもなく正常な大便をしてくれました。しかし大便をして、こんなに誉められる「しろちゃん」の気分はどんな物だろう。 大事なお庭を、勝手にトイレにされたら不快に思う気持はわかる。やっぱり、がんばって「夢の庭付き一戸建て」を建てなきゃならないようだ。甲斐性なしの貧乏カメラマンには、イスカンダルより遠い夢のようですが。 写真は、子猫の排泄を促す「しろちゃん」です。
2005.11.23
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さきほど、「爬虫類ペット女性に大流行」というニュースをやっていた。小学生の頃トッケイヤモリを、親にねだって買ってもらった私が書くのも変な話かも知れないが、正直疑問が多かった。 ニュースのなかでは、爬虫類ペットの大安売りの様子が流される。ペットたちは売価の半額にされ、5円から始まるオークションすらあった。半額の値段にされたり、5円と値をつけられたペット達の気持はいかがなものか、などと考えるのは、私がセンチすぎるのか。 爬虫類ペットは「手がかからない」「人間に媚びない」「放っておいても平気」というので人気なのだそうだ。「安売り」だったり、「放っておく」などという言葉は、ペットを飼うと言う行為からは程遠い気がする。まるで商品や、キャラクターグッズを買うような感覚だ。ただ、放送のなかで、女性達が一生懸命世話をしている様子があったのは、番組の良心であろうか。 爬虫類ペットだから、かける愛情が少ないと言うことは無いと思うが、「手がかからない」「簡単」などをキーワードにするのはいかがなものか。以前にも書いたが、ペットと暮らすことは喜怒哀楽全てを伴う物。癒しだけを求める物ではない。その点ははっきり言って欲しかった。
2005.11.22
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以前、編集部で「プロフェッショナルって何」と聞かれたので、「金をもらってる事」と答えた。「その通り!」と満足げな返事が帰ってきた。昔の職場で、私は営業職であったが、「給料とはいえ、金をもらっている以上はプロだ!」といわれたこともある。今改めて「プロフェッショナルって何」と考えている。 一級建築士が構造計算書を偽造し、問題になっている。建築士は設計事務所を構え、下請けとはいえ、フリーランスの仕事をしていたと思われる。「建築設計のプロフェッショナル」である。建築士は、普通に仕事をしていたのでは、仕事が減ってしまうため、偽造という安易な方法で仕事を増やしてしまった。 「ザ、ノンフィクション」という番組で、「旅芸人、オルカ」と銘打った番組をやっていた。ホームレスである「オルカ」は、路上でパントマイムをして日銭を稼いでいる。しかしながら、パントマイムで身を立てるという意識は無いらしい。お金をもらえるから、パントマイムをして見せている、といった感じを受けた。 「建築士」「旅芸人」そして「私」を含む三者は、「フリーランス」という点では共通。「金をもらっている」と言う点でも「プロ」といえる。ただ「プロフェッショナル」というイメージからは、程遠いようだ。 思うに、真の「プロフェッショナル」とは、ただ稼げるのではなく、「誇れる仕事をする」ことではないか。「誇れる仕事」とは、他から認められる仕事をすることであり、認められているからこそ、仕事が舞い込み、仕事で身を立てられるようになる。「建築士」は、仕事を増やそうと不誠実なやり方をした点で、道を外れてしまった。「旅芸人」は仕事に誇りを持っているようには見えない。誇りをもつため、芸に磨きをかけているようにも見えなかった。では「私」は・・・。 誠実に仕事をしているつもりである。仕事に誇りもあるつもりだ。ただそういいながら、「写真」で身を立てられない現実に甘えている点では、「旅芸人」と同等か。 誇れる仕事をして、身を立てる。やっぱり簡単な事ではない。「私」には、まだまだ修行と努力が足りない。「プロフェッショナル」への道のりは遠い。
2005.11.21
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昨日は勝手にお休みして済みませんでした。ちょっと身体が不調だったもので・・・・。身体の調子が悪いといっても、最近はやりの鳥インフルエンザとか、野良猫から猫インフルエンザをもらった、とかそういうことではありません。ちょっと外耳炎がひどくて。 自分が悪いのですが、つい耳を掻きすぎてしまうのです。掻きすぎて傷になったところにバイキンがはいって、炎症をおこしてしまうのです。年に何回かは、ひどくしてしまうことがあるのですが、昨日は久々にひどくて激しい痛みがありました。それでほとんど横になっていたのです。今日は、多少痛みは引きましたが、耳の閉塞感が強いです。明日まで残るようだったら、医者へ行こうかと考えています。 以前、やっぱり外耳炎がひどくて、医者に行った事があります。そのときの薬が残っていた記憶があるので、その薬を探し出して飲んでみました。当時、外耳炎は良く起きることだから、薬は残しておこうと思ったのを覚えています。今薬を飲みながら、当時の処方箋を見て驚きました。なんと2年前の薬!そんなに昔だったかな、というよりそんな薬、大丈夫だろうか。 今のところ副作用らしき物は出ていないので、多分大丈夫だろうと思う。しかし2年前といいながら、同じ失敗を繰り返しているのは情けない。でも人間、なかなか直せないことってありますよね。
2005.11.20
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先日猫の手帖編集部より連絡を頂いた。2006年1月号のグラビア写真が欲しい、という内容であったが、困ったことに「お寺で、人物と猫の絡みが欲しい」ということであった。野良猫と人物の絡みでも難しいと思うが、さらに寺社仏閣でとなると、さらに手持ちは少ない。人物に関しては撮り下ろしになるので、1週間の期間をもらった。 正直、当ては無かった。寺社仏閣にいる猫と絡んでいて、しかも撮影OKなんて人、なかなかいない。とりあえず、寺社仏閣は多い鎌倉へと出かけた。猫が多くて有名なお寺に行ってみたが、ネコを撫でてる人なんかいない。普通に猫を撮っているうちに、午後になった。諦めて場所を移動。次のお寺は、さらに人が少ない静かなお寺なので、期待もせずに行って見た。 いつもいる猫すら姿を見せない。まあこんなものか、と腰をかけてしばらく境内を眺めていた。休んでいてもしょうがない、腰を上げてふとお寺の右手を見ると、何たる幸運!いつもの猫が、女性のひざの上で休んでいるではないか!ちょっと気兼ねしつつ,猫の話をしながら撮影を頼んでみると、これもOK。フィルム1本分撮らせてもらいました。 撮影しつつ、お話しを聞くと、最初は側で寝ていたのだが、やがて猫の方で「こいつは安心」とふんだのか、かってに膝に乗っかってきたという。しかし期待以上のシチュエーション。どうやら猫神様のご利益はあらたからしい。困ったときの猫神頼みである。 ちょっと暗かったので、高感度フィルムを使わざるを得なかったこと、また背景のバリエーションがほしかったので、後日知人に頼んで撮らせてもらった分も含めて、編集部に持ち込んだ。結果は好評で、両方とも使われそうだ。一安心である。 写真は江ノ島の神社なので、今回のお寺の猫ではありません。
2005.11.18
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本日、午前零時にボジョレヌーボーが解禁になった。ボジョレヌーボーという言葉が、日本で聞かれるようになって、もうどれくらいになるだろうか。まだこの10年ほどではないだろうか。 ボジョレヌーボーの輸出量の4割強は、日本向けだそうだ。つくづく日本人というのは、イベント好きな国民なのだろう。しかし約半分の量を消費とはすごい。そんなにワイン好きの国民だろうか。 日本人がそれほどワイン好きということも無いだろうが、何よりも価格の手頃さが受けているのかもしれない。若いワインなので、さほど高価なものは無い。今年は夏が暑かったので、最高の出来だそうだ。そんな話題性も手伝う。ヌーボーをかたむけながら「今年はやっぱり違うね」なんておしゃべりするのも楽しい。でも去年の味なんて、どれくらいの人が覚えているのだろう。かく言う私も、ろくに覚えていないが、「やっぱり香りがいいね」なんてしゃべるのだろう。ちょっと定着してきたハロウィンが終わり、ヌーボーが始まり、もうすぐクリスマス、そして正月がやってくる。本当に忙しい国民である。まあ庶民レベルで楽しめるイベント。下戸の方には悪いが、家族や友人とボジョレヌーボーについて、ワイワイやるのも楽しいだろう。
2005.11.17
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紀宮様、黒田善樹様、ご結婚おめでとうございます。昨日は、皇室を離れて民間人になるとはいえロイヤルウエディングではあるから、お祝いムード一色になるかと思っていたが、意外に落ち着いていた。民間人になられることを意識されたのか、控えめ演出だったことが原因なのかも知れない。民間人のほうがはるかに派手な結婚式をする中、皇室ならでわの余裕を感じたのは私だけか。 民間では「セレブ」がはやりである。「セレブ」がはやりというのも日本人らしい。そういえば、バブル全盛の時代には「ハイソ(ハイソサエティ)」がはやりであった。その流れなのか、「今日のファションはウン百万円!」なんて全身ブランド物で、埋め尽くしていたりする。貧乏人の僻みかも知れないが、どう見ても成金趣味である。結局、中身が成金であるから、高価なブランドの「衣」を借りなくては落ち着かないのだろう、と勘ぐってしまう。 そんな中、紀宮様の披露宴での着物は、さすがと思わせた。披露宴の着物は母親である、美智子様からの借り物であった。「ジミ婚」に徹したから?多分そういうお気持であったのだろうが、晴の舞台である「披露宴」に、母親の着物を着て出席したいと考えるところに、皇室ならでわの伝統と余裕が感じられる。本来、高価な晴の着物など、親から子へ代々受け継がれていくものである。それが家系や血筋の証明だったりする。「ウン百万で買ってもらいました~」なんて言ってるのは、成り上がりだから受け継ぐ物がありません!と言ってるようなものか。「金ならあるから買えばいい」ってもんじゃない。金では買えない「皇室」という血筋の余裕であろう。
2005.11.16
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「芸術は爆発だ!」目を見開いた形相で声高に叫ぶ、そんなCMが流れていたのは、私が小学生の頃だったか。当時、変な絵を描く芸術家だというのは知っていたが、ドリフが面白おかしく物まねをやっていたので、その印象のほうが強かった。 そんな岡本太郎氏を、少しでもまともに理解できるようになったのは、社会に出てからか。「理解」などと軽々しくいえないほど偉大な芸術家だったとは、当時小学生だった私には全く想像できなかった。 そんな氏の事を少しでも理解できるのは、氏が芸術を多くの人に楽しんでもらうために、積極的に商業化?を進めたことである。商業化といっても決して「マス」への迎合でないのが、岡本太郎らしい。「座ることを拒否する椅子」などは典型的で、座れなくも無いが、これを「椅子」といっていいのか悩むし、買っても置く場所にも悩むであろう。美術館以外置く場所が無いのでは?と思うぐらい「岡本太郎」色が濃い逸品である。 実は、「芸術は爆発だ!」というCMも氏の戦略だったわけだ。マスコミを使いながらも、解りやすいCMでなく、あれだけ「岡本太郎」色の強いCMに仕上げた。スポンサーはよくあのCMでOKしたものだ。確か音楽用テープカセットの宣伝であったと記憶しているが、なんのCMだったか定かでない。だが理解不可能な言動と行動で、「岡本太郎」は当時なにも解らない「ガキ」だった私の記憶にも鮮明に残された。 ところで当時、キリンのお酒のおまけに、「岡本太郎、顔のグラス」というのがあった。「グラスのそこに、顔があってもいいじゃないか」と氏が宣伝していた。まだ「ガキ」だったので、親にせがんで、お酒を飲んで手に入れてもらわなかったことが、悔やまれるオマケである。「岡本太郎」度は薄いが、実用で楽しめる「岡本太郎」である。
2005.11.15
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月曜は燃えるゴミの日。眠い目をこすりながら、生ゴミをまとめて指定のゴミ袋へ。しろちゃんは案の定、玄関の前で外へ出たいと待っていた。先日も書いたように、一日1回まではOKと思っているので、ゴミだしと一緒に外へ出た。そのとき、息子の「もん」も一緒に飛び出した。「もん」は遠くにはいかないので、何の気なくそのまま階下のゴミ捨て場までしろちゃんと一緒に降りていった。ゴミを出すと、聞きなれない猫の大声が聞こえる。しろちゃんもその声に反応して興奮気味。どこかの部屋の猫がしろちゃんをよんでいるのかと思ったが、ちょっと尋常な声ではないし、開いている窓がみあたらない。「どうしたの?」としろちゃんの側へ行くと、しろちゃんは興奮気味に擦り寄ってきて、部屋に帰りだした。もしかして、と思って急いで階段を駆け上がると、思ったとおり、鳴き声の主は「もん」であった。いつもはドアを開けてあるのだが、今日はうっかり閉めてしまった。部屋に戻れないし、お母さんにもおいていかれて不安になった「もん」は、絶叫していたらしい。今月で生後7ヶ月。なりはすっかり大人猫だが、まだまだ子供。「しろちゃん」もまだまだ子供と認識しているらしい。その後しばらく大好きな外出もせず、「もん」のそばにいた。最近はオッパイを飲むことはすっかりなくなったが、やっぱりまだまだ子供らしい。人間にとって、甘えん坊はかわいいが、ちょっとあの「絶叫ぶり」はちょっと恥ずかしいな。先日うちの親子写真を使ったので、今日は野良の親子写真で。
2005.11.14
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ちょくちょく撮影に行く神社に、昼ごろになると決まって、猫をリードにつないで散歩するオジサンがいる。近所の会社で飼っているということであったが、完全室内飼いなので、ストレスが溜まらないように散歩に出しているという。 この神社には野良猫がたくさんいる。餌や健康管理、神社の掃除まで面倒を見てくれる人がいるのだが、それを知ってか、捨て猫をする人が後を絶たない。もちろんオジサンの猫もこの近所で捨てられていた子。 うちの「しろちゃん」も捨て猫である。猫は完全室内飼いもできる生き物であるというが、一度外の楽しさを知ってしまうと、難しいみたいだ。「しろちゃん」もどうしても外へ行きたがる。仔猫たちが生まれ、室内にいなくてはならない頃は、さすがにほとんど室内で過ごしていたので安心していたが、最近は頻繁に外出するようになった。ところで、困るのは外で用を足してきてしまう事である。つい先日、大家さんから通達があった。全室に配っているということであったが、ペットの糞で困っているから、ペットを放し飼いにしないように、という内容であった。さて困った。仔猫の「もん」は一度外出したが、それに懲りたのか、出かける事は無くなったのでいいが、「しろちゃん」は問題である。ドアの前で、開けてくれるのを待っているが、出すわけにはいかない。我慢してもらっているが、急に全く禁止するのはかわいそうなので、一日一回は許す事にした。でも目標は完全室内飼いである。最終的にはオジサンのように、リードで散歩が必要になるかも。「しろちゃん」の外出の後をつけた事もあるが、車の下、フェンスの上、自由自在に歩き回る。こんな「しろちゃん」をリードで散歩なんてできるのだろうか。今度オジサンにあったら、コツでも聞いてみようか。
2005.11.13
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うちのペット、しろちゃんの朝は早い。4時ぐらいから起きはじめるようだ。足をかんだり、襖をバリバリしたり、電話の上に乗っかって「ピッ、ポッ、パッ」と音を立てて、人間を起こす技まで覚えたらしい。 今日もしろちゃんの「足かみ」攻撃で目がさめた。TVは、つけっ放しで寝てしまったらしい。「TV寺子屋」という番組をやっていた。時計を見るとAM5時。こうして起こされると、たまに見ることができる番組である。今日は老人ホームの選び方について話ている。話のなかで「ペットは人生の杖」と言う言葉が出てきて、思わずメモった。 ペットは、落ち込んだときなどに、確かに心の支えになったりする。でも考えてみればこの「杖」は、わがまま放題でイライラさせられたり、正直、排泄物で不快な思いしたり、莫大な医療費がかかったり、ご近所とのトラブルも心配。そしてやがては「死」と別れの「哀しみ」もあたえるだろう。それが「杖」なのだろうか。 映画「マトリックス」のなかでは、人間は機械を動かすための電池である。カプセルのなかで「培養」されているのだが、生命維持だけでは人間は狂い死にしてしまうので、現世を生きている「幻想」を見せることにした。ただその「幻想」も、楽だけではやはり狂ってしまうので、楽があれば苦もある「人生」という幻想を見させている。という設定だった。 人生楽ありゃ苦もあるさ。人間とは我儘で、楽だけでは生きていけないらしい。そう考えると、ペットは人生の「白い杖」だと気づく。人生は長い道のり。人間はその道のりを歩いていく。決して喜や、楽といった平坦な道のりではない、怒や哀といった凹凸のある道のりだ。ペットはその凹凸を、事前に教えてくれているのだろう。そして、つまづいて転びかかった時には、支えてくれる。ペットはただの杖ではない。きっと人生を導く「白い杖」である。 あれっ、しろちゃん、もしかしてこの番組見せるために起こした?
2005.11.12
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「宇宙空間にメッセージ」という見出しの記事を読んだ。宇宙空間に10万枚の紙を積み込んだプリンターをうちあげ、地球から通信し、結婚のお祝いメッセージなどを印刷、宇宙空間にばら撒く様子をカメラで中継する「ビジネス」の構想だそうだ。これを進める近畿大の教授によれば、「宇宙には膨大なビジネスチャンスがある」そうだ。 いかにビジネスとはいえ、なんと下らないことに宇宙空間を利用しようというのか。ばら撒いた紙は、太陽熱や、大気との摩擦で燃えるという。しかし、使い終わったプリンター衛星はどうする。ビジネスになって、たくさんの業者がこぞってプリンターを打ち上げ、皆でばら撒いたらどうする。 今でさえ、地球の周辺には、人工衛星のかけらや、ロケットの破片で危ない状態にあるという。将来宇宙旅行が可能になって、いざでかけたら、窓の外はくだらないメッセージの紙ゴミだらけ、だったら幻滅だろう。 SF漫画家、星野之宣さんの作品、「2001夜物語」の中の話。意思を持ったロケットを、地球外生命体に出会ったら地球に報告するように発射する。ロケットは地球への報告という目的のためだけに、何百万年も黙ってたびを続ける。そして何百万年もの無言の旅の末、初めて出逢った地球外生命体の乗る宇宙船は、ロケットが打ち上げられた数十年後に開発され、光速を超えて旅をし、ロケットを追い抜いていた地球の宇宙船だった。 技術開発は、あっという間に過去の技術を陳腐化する。そんな物悲しさを宇宙空間という、時間軸をも超越可能な宇宙空間を舞台に描いた作品であった。 人類は地球上での乱開発で失敗している。それは人類の「将来を考える力」が足りなかったからだ。特にビジネスが絡むと「今」しか見えなくなる。その結果、あわてて取り戻そうとしている。 同じ感覚で宇宙まで開発するなら、人間はまた同じ轍を踏むことになる。宇宙開発は人間のロマン。まだまだ膨大な時間がかかるだろう。今しか見ていない技術で、乱開発をすれば、悲しい結果を将来の人類に残すこととなろう。 宇宙空間の開発には、地球上よりはるかに長いスパンでの、開発構想が必要であろう
2005.11.11
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杉村太蔵議員が、「ニート、フリーターセミナー」を開いた。「ニート、フリーターと議員は紙一重」なる珍発言はおいて、「ニート、フリーター」を同一に扱うのが、お国らしいやりかた。国は、「税収が減る」とか「年金などの社会保険の徴収ができない」などの面でしか問題を見ていないので、ニート、フリーターを同一に扱うが、この二つは似て非なるものである。 ニートは健康なのに、働くことや、社会に属す事に全く興味がもてない状況にあることであり、この点でフリーターとは異なる。人間として問題なのは、ニートのほうである。 ある番組で、「老人はニートみたいなもの、日本人はニートを目指して働いている」と発言があった。もちろん暴言ではあるが、一理はある。 ニートの原因は「働かずとも、食えてしまう状況」が第一原因であるが、社会に魅力が無い事も原因であろう。これから退職を迎える団塊の世代に向けて「これからが本当の自分の人生だろう~」なんてCMがながれている。自由な時間が増えて、好きな事ができる、その気持ちはわかるが、それでは「いままでは偽の自分の人生だった」のか。 自分を殺して、家族のために働いてきた。会社のために身をささげてきた。それも事実。ただ、それは選択肢のなかから、あなたが選んだ人生。その人生が「本当でない」としたら、それをみて育った子供は、「本当でないあなた」に育てられた後輩達はどうします? 会社が嫌で辞めちゃって、写真撮りながらバイトしている私が言えることではない、かもしれない。だが、仕事や生活が、ルーチンワークになっているなら、いかに働いていても、意識上はニートとたいして変わらないのでは? そんな事をしていると、いざ退職していろいろ始めても、何事も急速につまらなくなっていきます。本当に老人ニートになりますよ。遊びだけでは人間満足できないのです。 生涯現役!ぐらいの気持ちが欲しいですね。ニートの問題は、日本社会が持つ「仕事の意味」への認識に原因があるのでは。
2005.11.10
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最近猫ネタとは関係ない話になってしまうが、今日も猫とは縁遠い話ですみません。 最近横領のニュースをよく聞く。単位も億というからオドロキである。短期間に使い込んだ訳ではないのだから、どうして分からなかったのだろうと不思議に思う。これでも私は以前金融機関に勤めていたので、お金の管理が徹底されているのは、分かっているつもりだ。まず、独りでお金を動かせる事は無い。メクラバンを押す人もいるが、その後にまだチェックが入る。月に一度は必ず担当者を入れ替えての検査もあった。金融機関の看板を掲げている事もあり、不祥事は信用の失墜。当然であるが、管理体制は厳しかったし、なにより顧客のほうからクレームがつく。 行員が、定期預金証書をカラーコピーで偽造し、顧客の預金を横領していた事件もあったが、今回の酒販組合の年金といい、敷島製パンの健康保険組合の横領など、莫大な資金の集まるところなのに、資金の管理がずさんなのには驚かされる。理事や事務長などの、いわばトップのやっていたことだから、チェックが甘かったのもあろうが、保険料に対する認識の甘さが感じられる。これは社会保険庁にも通じるな。 私もそうだが、年金保険料や、健康保険料がどう使われているかに感心が薄い。会社に入ってしまえば、健康保険組合を選んだり、企業年金を選んだりできない。そんなところに原因があるのかもしれない。社会保険庁もそうだ。黙っててもお金は入ってくる。お金を入れた人が、急に「入れた分下ろさせてくれ」と言ってくる事も無い。顧客からのクレームも無い。現金を直接扱うわけでもないので、書類を流すだけ。いくらでも操作できてしまう。 企業年金、や組合保険への公的な検査体制は無いのだろうか。もはや内部監査体勢だけでは信用できない。一般の人間に監査することは、難しいのだから、数年に一度でもいい、公的機関による、徹底した監査体勢の強化が望まれるのでは。
2005.11.09
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「はしれちょうとっきゅう」という童謡を子供の頃、よくテレビで聞いていた。新幹線の時速250キロは、この曲で覚えた。現在の新幹線は、275キロだという。童謡の歌詞は変わったのだろうか。 台湾の日本製新幹線が、時速300キロをたたき出した。F1マシンが、時速300キロ前後で走る事を考えても、ものすごい速度である。100人近い人間が乗ったものが、時速300キロで移動することができるなんて、素晴らしい技術力である。 中国では、「神舟」というロケットで有人宇宙飛行を成し遂げた。これから宇宙ステーションの計画まで広げていく計画まである。また、大金をはたけばであるが、一般人の宇宙旅行まで可能、宇宙旅行ビジネスが始まっている。 人間は、技術力を使って、地上をすばやく移動し、宇宙にまで進出していく。ところがその一方で、橋ひとつなければ、川の対岸にさえ人は渡れない。「神舟」の有人宇宙飛行に歓喜する一方で、大震災にあったパキスタンでは、道路が寸断され、地上で孤立する人々があふれたのは皮肉だった。 人間は小さな存在である。だから、それを補うように技術力を進化させた。技術の進歩は、いままでできなかったことを可能にしている。人間はどこまでもいけるのだろうが、人間だけでは、川ひとつまたぐ事ができない。技術が進歩するたびに、人間の小ささを痛感させられる。
2005.11.08
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