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自分がいじめの加害者であることを、忘れてしまうのではないかと思うと怖くなる忘れてはならない忘れてしまっては、また気付かぬうちに人をいじめてしまうどうしたら、忘れずにいられるのだろうか
2007年01月09日
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私自身が、いじめられた側にいたこともあるから、被害者の心情を推察してしまう故に、子どもの前に立つ勇気と自信を失ってしまういじめられた側にいたことがある故に、自分自身がしでかした事の重大性を認識し、恐ろしくてどうしようもなくなるいじめられた側にいたことがある故に、「加害者として」自分がこれからどう生きていけばいいのかが分からないいじめ加害者・被害者の両方を経験している故に、混乱して自分がどうすればいいのかが分からずにいる
2007年01月02日
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自分が、いじめの加害者であることに気付いてから、一つの疑問を持つようになった人を傷付け苦しめたことに、今まで無自覚のままで生きてきた私が、子どもの前に立っていいのだろうかと・・・私には、子どもの前に立つ資格はないせめて、進路を決める前に、いじめの加害者であることに気づけていたなら、私は子どもと関わる職種に就こうなんて考えなかったせめて、進路を決める前に気づけていたなら・・・私なら許せない人を傷付けたことを忘れて、平然と子どもを指導する立場にいるなんてこと「後悔」なんて無意味だと思いながら、後で気付いて悔やむから「後悔」というのに・・・私はどうすればいいのか分からない保育士養成課程を脱退することは出来る脱退する場合、脱退届けを学科研究室から頂いて、必要事項を書いて1月末までに提出しなければならない脱退するべきかどうか迷っている私自身も、許せない人を傷付け苦しめておいて、それを今まで気付かないで、平気な顔をして子どもの前に立とうとしていたなんて・・・考えただけで、自分自身に腹が立つ
2006年12月22日
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私の家には2人の受験生が居る因みに、私は3人姉妹の一番上一番下の妹は高校受験二番目の妹は大学に行くらしいので大学受験二番目の妹に関しては、勉強が嫌だと言いながら、一応は勉強している一番下の妹は・・・勉強しているところを見たことがない家にいる時は、寝ているかパソコンをしているかの姿しか見たことがないこれでは、公立に受かる訳がない私立には行かせられないというのに・・・高校は、勉強しなくても入れると思っているのだろうか・・・一番下の妹には、絶対に公立に入ってもらわないと困る私は私立大で、二番目の妹が合格したら私立大に通うことになるだろうこれに一番下の妹まで私立校となれば、確実に家は破産する私の家に、3人分の私立の学費を払えるだけの余裕などあるはずがない一人を私立に通わせるのだけでも、精一杯だというのに(私のことである)・・・何処に、3人を私立に通わせられるだけのお金があるというのだろう少なくとも、私の家にはそんな余裕はないもし、二番目の妹が大学に合格して、一番下の妹が私立校に通うことになったら、私は大学を退学せざるを得ないだろうな家が破産する前にね
2006年12月12日
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私が小学校高学年の時、一部の女子からばい菌扱いをされている男子がいた私は彼が、ばい菌扱いをされているのを知っていたが、何も感じなかったそれどころか、「もっといじめられればいい」と思いながら傍観していた自分がいじめの加害者であることに、私はずっと気付かなかった自分がいじめの加害者であると気付いた時、情けなくて恥ずかしいと感じたいじめを直接行った者だけではなく、傍観者・いじめを囃し立てる者もいじめの加害者であるという考えを持っていながら、私自身が気付いていなかった人を傷付け苦しめた事実に気付かなかったなんて、こんな恥ずかしいことはない彼の人生を壊してしまったかもしれないと思うと、私はどうすればいいのか分からないどうしたら、人を傷付け苦しめた事実を償えるのでしょうか私は、自分の立場から、逃げるつもりはない私は、聞いてみたいいじめられた子達は、いじめ加害者(傍観者・いじめを囃し立てる者も含む)に何を望むのだろう教えて欲しい
2006年12月08日
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いじめは学校だけで発生するのではないそのことを、念頭に置いてほしい仮に、いじめ加害者を出席停止にしたところで、子どもによっては学校外でいじめを行う可能性があるいじめ被害者の連絡先さえ知っていれば、学校でなくても、いじめは行えるのである例えばメールでの中傷・悪戯電話・いじめ被害者の家に直接行っていじめる等が挙げられるこれらのことが予想されると仮定するならば、出席停止にするだけでは不十分であるし、緊急措置に至っていないと思うパソコンや携帯電話が普及していることを考えると、いじめをなくすことは皆無に近いと思う時代の流れに伴い、直接いじめるより、ネットいじめが主流になる日が来るのではないだろうかネットによるいじめが主流となった場合、今以上にいじめ問題に取り組むのは困難になるだろう何しろ、直接いじめているところを目にしなくなる訳だから、自殺やいじめ報復などが起きるまで、誰一人として気付かないということが起こり得ると思うからだ
2006年11月30日
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いじめ自殺の連鎖を止めたいなら、直接いじめを行った子ども達の声を報道するべきだと思う多くのいじめ自殺者の心情として、「自殺したら、自分の気持ちが分かってもらえる」等と復讐心のような感覚で自殺する子が多いだろうそれに歯止めをかけるのなら、自殺した直後のいじめを直接行ったとされる子ども達の声を報道すべきだと考えるそれは、嘘の方法なのではなく、子どもの本心を報道するべきなのである恐らくは、「いじめが楽しいからやった」等と、悪びれた様子もなく答えるだろうこれを、報道するべきだと言っているのだこれらを報道することにより、「自殺しても無駄なんだ」と知らせてほしいのであるこれは、最も簡単な方法ではないだろうかいくら大人が「命を大切にしろ」等と言っても、いじめの渦中にいる子どもには聞こえない食い止めることが出来ないのだ私は、一つの方法として、いじめた直後のいじめ加害者の声を報道するべきだと思う世間からみて、どんなに好ましくない言動を発しても、報道するべきである私は、いじめが起きて自殺が起こる度に、世間が「辛いなら休めばいい、学校に行かなければいい」等というのを聞くが、逆に疑問を感じる「何故、いじめられている子が、学校を休まなければならないのか、行かないという選択をしなければならないのか」これは、「お前が学校に来なければ、いじめが起きないのだからそうしろ」と言われている気がしてならないそれって、遠回しに「いじめられている方に問題がある」と言っていることと同じではないかもし、いじめられている方に原因がないと考えているならば、これらの言動に矛盾を感じずにはいられないむしろ、逆にするべきではないかいじめを直接行っている子が学校を休むべきではないか行かせないという対策を取るべきではないかあえて言うなれば
2006年11月14日
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私は、いじめを見聞きする度に思うことがある「何故、いじめに関わった子どもの声を聞かないのか、報道しないのか」と一方通行に報道しているのでは、いじめ問題に取り組む手がかりすら掴めないと思うのだが・・・特に私は、直接いじめを行った子どもも達の声が聞きたい多分、いじめ被害者以外で、いじめに携わった子ども達を取り上げないのは、「いじめるのが楽しい、いじめられる方にも理由がある」等と、世間からはよく思われない言動を発する可能性が考えられるからなのだろうこれこそ、報道するべきだと私は思うのだが・・・いじめに携わった子ども達の声を聞かずして、いじめ問題に取り組むのは、私はやめた方がいいと思う子ども達の声を無視して、大人の価値観で取り組んでも、何の変化もみられないと思うから私は、いじめに携わった子どもの本心を、きちんと聞く必要がある子ども達の言葉が、聞く側としてはどんなに不快な言動であったとしても、それが今の子ども達のいじめに対する考え方であることを知る必要があると思う子ども達の声を聞かないで、大人がいくらいじめ対策に乗り出しても、無謀だとしか言いようがない私は自分がいじめの加害者であることに、最近やっと気付き始めた何故もっと早くに気付かなかったのか私が小学校高学年の時、一部の女子からばい菌扱いをされている男子がいた私は知っていたけど、別に何とも思わなかった陰で笑っていた見ているのは、面白かったもっといじめられればいいそう思いながら、傍観していた私は約2年間、傍観していたのだ一切の嫌悪感がなかった微塵もなかった彼がいじめられている姿が面白いと思った小学校を卒業して約8年・・・大学2年生になった頃、自分がいじめの加害者であったことに、ようやく気付いたのだだが、気付いただけに過ぎない私は、いじめに携わった子には、5つの段階を辿る必要があると考える第1段階:自分がいじめの加害者であることに気付く第2段階:自分がいじめの加害者であることを認める第3段階:いじめ被害者に対し、謝罪の気持ちを持つ(この場合の謝罪とは、完全な謝罪を意味する。僅かにでも、自分も悪いところはあったけど、向こう(被害者)もも悪いんだ等という気持ちがあるうちは、謝罪には含まない)第4段階:いじめ被害者に、直接謝罪する第5段階:自分が人を傷付けた事実を絶対に忘れずに、生き続けること私の場合、第1段階にようやく辿り着いただけに過ぎないのだいじめは、一人ひとりの責任であると考えているなので、ここで言っているいじめの加害者とは、単にいじめを直接行った子だけを指しているのではなく、いじめに携わった人の全ての人を指しているのであるこのような考え方になったのは、自分がいじめの加害者であったことに気付いてからの発想であるいじめに携わった人が、自分が加害者であると気付くのは、早くても10年位で、後は生きている間に気付くかどうか・・・ではないだろうか生きている間に気付けばいい方だと思う大体は、生きている間に気付くことなく、最期を迎えるのではないだろうか私は気付くまでに、約8年位かかったことを考えると・・・それくらいの時間が経たないと、気付かないのかもしれないいじめは、一人ひとりの責任である学校だけの責任ではないそのことを、一人ひとりが認識しない限りは、いじめ問題に関しては、前に進むことは出来ない私は、子ども達が不憫でならないいじめが人を傷付ける行為であることを、知らされないまま、大人にさせられてしまうのであるからいじめの事実を認めない・いじめと自殺の因果関係を認めないということは、子ども達にいじめは人を傷付ける行為ではないと言っていることと同じではないか(極端な表現かもしれないが・・・)大人がいじめ問題を軽視しているのだから、子どもがいじめの重大性を認識出来るはずがない
2006年11月13日
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文部科学省宛に届いた自殺を予告する手紙・・・いじめ自殺の連鎖・・・私が中学在学中の時である全校集会が開かれた学校宛に「いじめられていて、学校に行くのが辛い」等と書かれた手紙が、郵送されてきたそうだ差出人は不明いじめを受けているだろうということ以外は、何の手がかりもない手紙の内容が公開されなかったため、詳しいことは分からないもしかすると、いじめ加害者の名前が記載されていたかもしれないこの事実を知った私は、「自分と同じような子がいる」ことを知った同時に、「自分の今(当時)の心情を伝えるには、この方法を使えばいいんだ」とも、思った可能性が、今思えば考えられる後日、私は担任の先生に、その時の心情を綴った短文をパソコンで打ち、それを先生の下駄箱に入れ続けていた差出人なしでしばらくして、このことで学年集会が開かれた何故「学年集会」なのかというと、年齢を限定するような内容を書いたことがあったからだ今となっては、学年集会の時に、先生が何を話されたのかは、全く覚えていない子どもの場合、一度自殺が起きてしまったり、予告文等を公開されてしまうと、「今の気持ちを自殺したら、予告したら分かってもらえるんだ」等と単純に考えてしまう可能性がある子どもは自己中心的な存在であることを忘れてはならないそれともう一つは、いじめ被害者の心情は、自己否定感に埋め尽くされている状態でもあるため、全てを否定的にしか考えられず、自分の世界に引きこもっていることが考えられるこの影響で、より自分中心の世界に入り込んでしまい、このような事態を招きかねないのだ子ども特有の単純さ、自己中心的思考、自己否定感に陥っている状態・・・と思考回路が鈍っている時に、いじめ自殺・いじめ自殺予告などということを見聞きしてしてしまうと、単純に「これでいじめの辛さを伝えられるんだ」という考えに結びつきかねない思考回路が鈍っている中で悩んでいる子どもは、何でもいいから縋ろうとするあくまで、自分の体験を交えた推察にすぎない
2006年11月10日
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今日は、午後からピアノの発表会がありましたまだ、ピアノを習い始めて7~8ヶ月しか経っていないのですが、発表会に出ることに決めて、この日まで練習してきました1曲目:「雪」を弾き歌い、2曲目:「世界中の子ども達が」を歌い、3曲目「小さい秋見つけた」を歌って終わりました私が発表した曲は、全て子どもの歌です実習前に、練習になるかなと思い、あえて3曲とも子どもの歌にしてみました弾き歌いは、保育士なら当然出来なければならないことなので、あえて弾き歌いにしました本当は、3曲とも弾き歌いにしたかったのですが、3曲を弾き歌い出来る程の余裕が私にはなかったため、1曲だけにしたのでした歌も歌えなければならないので、歌だけにしたのでした緊張の影響で、1曲目を弾き間違いしたり、2曲目3曲目は、歌詞が出てこなかったり・・・と失敗はありましたが、最後までやり遂げましたでも、発表する前に「一緒に歌ってみて下さい」と言葉かけをしたこともあり、数人の方が歌ってくれたことが、心強かったです2曲目に関しては、明るくて弾むような感じの曲だったので、「手拍子をしてくれると嬉しいです」という言葉掛けに対し、数人の方が手拍子してくれたことが嬉しかった小さい子達から、順番に発表していったから、幼児からピアノを始めていれば、小学生でこれくらいのレベルの曲を弾けるのかなと、勝手に思いながら見ていた幼児では、習い始めって感じで、年齢が上がっていくにつれ、指がスムーズに動いていて、幼児くらいからピアノを始めると、これだけ指がスムーズに動くのかなと思いながら見ていた
2006年11月03日
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いじめ自殺が連日のように報道されているが、私が一つ言えることは、子ども達は、「死にたくて死んだ子は一人もいない」ということ子ども達が自殺をしてしまうのは、死にたいからではなく、仲間から生きていてはいけない、自分が生きることを拒否されたから、死んだだけ直接言葉で言われなくても、いじめという行為自体が、そう言っていることと同じ子どもにとって、仲間に受け入れてもらえないこと程、辛いものはない子どもにとって、特に思春期と言われる時期は、家族よりも仲間が重要な存在になるその重要な存在から、自分の存在を拒否されることは、子どもにしてみれば、奈落の底に突き落とされたようなもの奈落の底に突き落とされた子どもの思考回路は低下し、次第に何も考えることが出来なくなり、その結果として、極端な行動をとってしまう
2006年11月02日
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自殺なんかしても意味がない遺書があっても意味がない結局、死人に口なしなんだよ「勝手に自殺した奴が悪い」としか思っていない自殺で、いじめを抗議は出来ないよ自殺して馬鹿を見るのは、いじめられた本人生きて訴えるしかないいじめの辛さや苦しさを生きて訴えるしかないんだと、いじめを見聞きする度に思うのであったでも、そう思う前に生きる気力がなくなってしまうから、自殺する子が出て来るんだよねただ、いじめられている現実から逃れられればそれでいい逃れられるのなら、死んでも良いいや、逃れたいから選びたくないけど自殺する、かなどっちにしても、いじめを受けている子の状況というのは、自己否定感に埋め尽くされているから、正常な判断というか思考回路が鈍くなってしまっているそのため、極端な考えと行動を取ってしまう一つ言っておくけど、好きで自殺する子はいないと思う
2006年10月22日
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私は、彼らに会ってみたいと思う会う可能性のある場所は避けたいと思っていたのに、今は会ってみたいと思っている前なら、彼らに会う可能性のある場所に行くのが嫌だったから、成人式に行くのを嫌がっていたでも今は、会ってみたいと思う来年成人式になる行ってみようと思う会いたくない気持ちもあるけど、会ってみたい気持ちもある彼らはきっと、私のことなんか覚えていないだろうなましてや、自分達が人を傷付けただなんてことは、尚更覚えていないと思う覚えていない以前に、人と傷付けただなんて全く思っていないと思う人間って都合の良いように出来ているから、自分に都合の悪いことは、忘れやすいようになっているある意味、都合の良いように出来ていないと、生きていけないのだと思う私はまだ、許せていないけどね許す気もないのかもしれない彼らに会った時、私自身がどんな反応を示すのかを実験してみたい何事もなく終わるかもしれないし、微妙な変化が表れるかもしれない行ってみないことには分からないから、行ってみようと思った
2006年10月10日
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今日は市内で児童館まつりがあり、私はそのお手伝いをさせて頂きましたお手伝いと言っても、それぞれの遊びコーナーを担当しただけですが・・・私の担当コーナーは工作でブンブンごま作りでした皆さんは、作ったことありますか?私は子どもの頃に作ったかどうかは定かではないのですが、ブンブンごまをしたことはありますでも、子どもの頃と違い、回せませんでした子どもの頃は遊べたのに・・・遊び方を忘れてしまったようです練習する時間は少しあったのですが、結局回せませんでしたこのコーナーを担当したのは私を含めて5人でしたが、ブンブンごまを回せた人は一人だけでした作り方を教えることは出来ても、遊び方を教えられないなんて・・・私の場合は、子どもに遊びを教えられないのでは、保育士失格、と思ってしまいました非常に恥ずかしかったです台風の影響で人が少なかったようですが、それにも関わらず、足を運んで下さったお子さんや保護者の方に楽しんで頂けるように、お手伝いをさせて頂きました自分が回せなかったがために、作り終えた後、お父さんやお母さんと一緒に来られた子には、「お姉さんは回せないから、お父さん・お母さんに回してもらおうか」と言って、お願いしていました保護者と一緒でなかった子には、「おうちに帰ったら、お父さんかお母さんに回し方を教えてもらってね」と言って終わりました実に情けない・・・でも、楽しかったです子ども達や保護者の方が来て下さって、賑やかでした工作コーナーは、きちんと宣伝出来ていなかったこともあり、他のコーナーよりは、人が少なかったので、このへんは反省しなければならない点でしたまた、実践しているところを見せられなかったのも、反省点ですやっぱり、実践しているところを見せながら宣伝しないと、子どもに伝わらないですね最後は大抽選会で終わりになりました大抽選会は、本当に盛り上がりましたこの抽選会は、このまつりに携わった人の全員が参加しました番号が読み上げられていく度に子ども達の残念そうな声や自分の番号が読まれた時の喜びが歓声として聞こえました商品は20個でしたので、20人に当たることになっていました一部の男の子達の間では、水鉄砲を狙っているようでした段々景品が少なくなっていくと、女の子達は選ぶまでに時間がかかり、番号読みを待っている子達にせかされているような雰囲気を感じ取っているようでした大抽選会が終了後、後かたづけをして帰りました帰り際に水たまりで遊んでいる男の子と少し話しをしていたら、水たまりから児童館まつりのしおりを見つけ、その直後に「それこの子が落としたんだよ」と言って指さした何となく落とした理由を推測した私が「抽選会に当たらなかったから、落としたの?」と聞いたら、「そうだ」言った八つ当たりしたのかと思いながら、「折角作ってくれたのを落とすなんてもったいないから、持ち帰っちゃお」と言って持ち帰ったのであったちなみに子どもの前だからこう言っただけですだって、一端拾ったものを、元に戻すなんて、私が捨てたことと同じになりますから
2006年10月07日
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私は今でも、彼らに私の存在を認めてもらいたいと思っているこの欲だけは、消えないようだ憎んでいるけど、許せていないけど、認めてもらいたい思いは消えない人間というものは、常に他者に自分の存在を認めてもらいたい気持ちを持ち続ける生き物なのかもしれない恐らく人間は、生涯を通して、この欲だけは持ち続けるのだろう私も、生涯を通して、持ち続けるのだと思う決して消えることはない「認めてもらいたい」という欲だけは
2006年10月03日
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諦めるしかないよ犯罪者になるよりはマシだと思う自殺の方がね昔からイジメはあった今に始まったことじゃないイジメられたくらいで自殺するなんて、どうかしてる「いじめがあった」というのは本当「いじめがなかった」というのも本当ただね、立場が違うと、これ程の捉え方に違いが出てしまうだけ自分が傍観者なのか・いじめの被害者なのか・いじめの加害者なのか・観衆なのかにより、いじめに対する捉え方が変わるだけいじめられていることを言ったところで、返って来る答えは「弱い奴が悪い・お前にも悪いところがあるのだから直せ」という言葉が返って来るだけ何年経っても、いじめと性犯罪は被害者が加害者扱いされる時を重ねても変わらないいじめられる方が悪いという偏見昔からいじめはあった訳だから、この偏見も昔から存在していたということになる今更、この偏見を変えることなんて出来ないこの偏見は、幾年にもわたり、受け継がれてしまっているのだから被害者は耐えられなくなると、自殺か報復の手段をとる私は思うよ報復よりは、自殺の方がマシだってだって、報復はいじめの傷以外に、犯罪者というレッテルがつけられる二重の苦しみを背負うよりは、自殺の方がマシじゃない自殺になってしまうと、死人に口なしだから、いじめ関係者は好き勝手なことが言えるけど・・・遺書を残しても、死人に口なしで、白を切り通されてしまえば、真実は永遠に闇の中いじめ報復も自殺も、結局無意味「勝手に死んだ奴が悪い、あんなことくらいで死ぬなんて・・・」お決まりの台詞諦めなよいくら声を上げても、その偏見が変わらない限り、無駄なのだから・・・いじめの現状が、これなんだよ
2006年09月11日
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自傷行為を行うことに、全く興味を示さなくなった自傷関連を見聞きしても、全然影響されない嘘みたいだけど、ホントの話驚いているのは、私自身なんだけどね一体、今までの自傷衝動は何だったんだ?興味がなくなると、こんなにもあっさりしてしまうものなのか?今まで、自傷にすがりついていた自分が、馬鹿みたいに思えてならない本当に、あの衝動は何だったのだろう?不思議だよあれが、10代の人が経験する、衝動性であったのだろうかただ、いじめ関連を見聞きすると、多少は逃げ出しそうになるどうしても、いじめに関連する内容だけは、駄目なようだこだわり続けるなんて、成長してない証拠私はまだ、中学生のままなんだね
2006年09月08日
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復讐することの無意味さを知りながら、復讐することで生きようとする者達がいる自分にとっての嫌な体験が、必ずしも復讐に結びつく訳ではない多くの人・もの等に出会い、その出会いを通して、自らを成長させることが出来れば、自分にとっての嫌な体験を、「生きる糧・強さ」に変えることが出来るだろう経験の中で様々な「気付き」が起これば、自らを成長させるきっかけを与えるでも、「出会い」という接触を避け、自分の殻に閉じ籠もってしまったら、自らを成長させる事は難しいそれが、精神的な成長を止めてしまいかねない精神的な成長が止まったら、どうなるのか?傷付けられた時の年齢で止まってしまう身体的な成長はしても、精神的な成長は止まっている訳だから、実年齢より幼くなる幼いのは、時間がその時点で止まっているからだ成長しないままで年齢だけが過ぎていく嫌な体験をしたまま、時間が止まった訳だから、その時抱いた怒り・憎しみ・恨み・恐怖・嫉妬・等というマイナス感情も、そのまま継続する成長が出来ていないので、マイナス感情を引きずったまま、自分の世界に閉じ籠もる復讐自体を理解出来ないかもしれないましてや、年月が経ってからの復讐なんて・・・だが、復讐者にしてみれば、時間が止まり、自分の世界に引きこもっているため、傷付けられた状態のままなのだ
2006年09月04日
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いじめ関連を見聞きするだけで、未だに気分が沈んで泣いてしまう他者のいじめ体験なのに・・・他者のいじめ体験を通して、自分を見てしまう人間は孤独には耐えられない孤独にさせられたら、どう生きていけばいいの?ましてや、人生経験の浅い子どもが、この体験をしたら・・・孤独に耐えられないから、自殺が起きるいじめの影響で人が信じられなくなり、それが関係して人との接触を怖れるようにもなり、余計に孤独になるそれが災いして、対人恐怖・不登校・引きこもり等になっていくこうなったら、自分の世界に閉じ籠もってしまうわけだから、思考回路が狭くなる全てを自分の都合の良いように解釈し、自分の思考回路にそぐわないと自責の念に囚われマイナス思考になるこの空間に居続けたら、精神的な成長は止まる
2006年08月28日
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自傷行為自体は落ち着いているけど、何だかな自傷行為をしている時は、「生」への執着心が強かったのに、自傷行為をしなくなったら・・・「生」への執着も薄れているように感じる自傷をしている時って、「生きたい」気持ちの表れでもあったから、その行為がなくなったら、どうでもいいって感じになっている生きる事に対して別に、死にたいとは思わないけど、無駄に生きている感じかな時間を無駄に使っている気がしてならないまだ、自傷をしている方が、「生き続けていたい」という思いが強かった自傷をすることがなくなった分、「生」に対しても執着が薄れているかも・・・何となく、そう感じている
2006年08月22日
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自傷関連を見聞きしても、動揺する事はなくなった完全に動揺がなくなったかどうかは、怪しいところだが・・・私が意識している部分の中では、切りたい衝動に駆られたり、シンクロとかが起きないから、多分、動揺しなくなったかな落ち着いてきたみたいただ、未だにシンクロのようなものを起こしてしまうのは、いじめ関連これは、まだまだ時間がかかりそう見聞きするだけで、反応しているしね
2006年07月27日
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「弱いお前が悪い」といじめっ子は言うでも、弱い人間でないといじめない矛盾してる本人達(いじめ加害者)は、矛盾に気付かないけど・・・最も、本人達は、矛盾しているかどうか、なんて事は関係ないだろうけどね
2006年07月18日
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子どもは、親がいないと生きていけない罵声を浴びせられても、殴られても、子どもは親から離れようとはしないどんなに小さくても、何となく分かっている親に捨てられたら、生きていけない事それと、信じている部分もあるいつかは、「愛してくてる」と・・・親に捨てられたら、子どもは生きていけないんだよ・・・
2006年07月17日
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人の輪の中に入っていけない私の中では、「誰にも受け入れてもらえない」先入観が、自ら仲間に入る事が出来ない理由寂しがり屋のくせに、仲間に入る事が出来ない
2006年07月16日
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いじめ事件が起きた時、学校側は事実を隠そうとする事実をうやむやにしてしまえば、子ども達は自分がした事の重大さに気付かないまま、大人になる大人が、そういう子どもを作り出している、と私は思う子ども達が重大事件を起こしても、実感として湧かないのは、大人の態度に関係があるんじゃないかな例えば、ある新聞に書いてあった事だが、子どもが万引きをしたと店から連絡を受けた親の中には、「金を払えばいいんだろ」と半ば逆ギレして帰っていく親もいるというこれを聞くと、万引きした子どもよりも、親が問題だと思ってしまう親自身が、盗みの善し悪しを理解していない事をうやむやにしてしまうと、子どもが哀れに思う善し悪しを曖昧にさせられたせいで、大人になるまで気付く事がないまま、成長してしまうのだからいじめに対する周囲の軽視さが、うやむやにさせられてしまう理由の一つかもしれないが・・・「どうしていじめられたくらいで自殺・殺傷なんか・・・」という人がいるそれは、大人の考えであり、発達段階にある子どもには、まだその考えまで達する事は難しい様々な経験を通して、やっと大人の考えまで辿り着く子ども達が極端な極端な選択に出てしまうのは、大人の考えにまで成長していないからだましてや、発達段階にある子どもの世界観は狭いというのに、辛い体験をしてしまうと、更に世界観を狭めてしまう狭まってしまえば、極端な考えしか出来なくなる大人の価値観で、子どもを見ているから、そのような発言をしてしまうのだ
2006年07月13日
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人間には、二つのタイプがある一つは、この世界(現世)に適応出来る人間二つ目は、この世界(現世)に適応出来ない人間適応出来ない事を認識し始めると、生きづらさを感じるこの「生きづらさ」が、「生」への執着心を失わせていく人と関わりを持てない私には、生きにくい世界
2006年07月05日
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子どもでも、許される事と、許されない事があると思う子どもだからと言って、何でも許してしまうと、子どもが可哀想イジメを、単なる子ども同士のトラブルと捉えてしまう事に、恐怖を感じる自分の行いに気付かないまま、大人になる事が恐ろしいイジメに対する周囲の軽視さが、イジメ被害者・加害者・傍観者を苦しめているように感じる「いじめられたくらいで・・・」イジメは、周囲が判断するのではなく、被害者の主観により判断されるいじめ被害者を重要視しなければ、何を基準に「いじめ」と呼ぶのだろうか周囲が認めなければ、「いじめではない」と言うのなら、この世にいじめは存在しない!いじめに対する軽視さが、いじめがなくならない要因の一つではないか
2006年06月30日
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私が望んでいるのは、謝罪ではない「生きていてもいいんだよ」と言ってもらい、「私の存在」を認めてくれる事を必要としている期待しても無駄なのに、どうしても望んでしまう認めて欲しい・・・私の存在を・・・彼らに認めてもらう事を、一番望んでいる「誰か」ではなく、「彼ら」なのだ彼らでなければ、本当の意味で、私は自分の存在を確立する事は出来ない
2006年06月28日
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死にたくないけど、この世界を生きていくには、困難さを感じる人と関わりを持てない人間が、生きていける世界ではない私にとっては、生きづらい世界でしかないでも、生きづらくさせてしまったのは・・・私だって、人を遠ざけたのは、私自身なのだから・・・人に対する先入観さえ持たなければ・・・駄目ね・・・私はまだ、相手に対して望みを懸けている相手に対して望みを持っている限り、私の時間は動かない嫌がらせを受けた時のまま、その時間に留まり続けているどうしても、望んでしまう望みを捨てられないから、成長出来ないと分かっているのに・・・
2006年06月26日
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「いじめ」という言葉を見聞きするだけで、思い出してしまう嫌がらせ体験嫌がらせを受けていた時に抱いていた感情が蘇り、泣いてしまう事実だけならいいなのに、何故感情まで思い出す?私の中では、未だに決着がついていない出来事今は落ち着いているけれど、彼らに偶然出会した時、又は、彼らが幸せになる事を聞いた時、私の沈められている憎しみや怒りといったマイナス感情が暴走するであろう私は、彼らが幸せになるのが許せない私は自分が悔しい嫌がらせを受けた時から、時間が止まったままで、未だに動かす事が出来ていないから外見は大学生だけど、中身は中学生のままこんな思いをすると知っていたなら・・・
2006年06月22日
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私の言動が、嫌がらせの種を与えてしまう気がして、必要な時以外は、殆ど話をしなくなった「必要な時」と言っても、日直や誰かに話し掛けられない限りは、話はしないなので、話し掛けられなければ、一日中黙ったままという事もあった私は自ら「話す事」を閉ざした中学を卒業して、彼らから解放されたが、人を目の前にした時、何を話したらいいのか分からなくなっていた聞きたい事があっても、それを言語化出来なかった「話す事」を閉ざしてしまうと「こうなる」と現実を突きつけられた気がして、ショックを受けた何とかならないかと思い、2年半位は高校生活を送ってはみたものの、結局駄目で、服薬自殺を図った授業でマッチを使った事から、学校を放火しようとしていた事を思い出してしまった学校が火事になれば、学校に行く必要がなくなると、単純に考えていた私はそれだけ、学校に行くのを拒否したがっていたそれから、嫌がらせを受けていた事を思い出してしまい、このような日記になってしまった
2006年06月19日
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なるべく予定を入れて、疲れさせる家に帰って来たら、寝るこの方法で、自傷騒動を抑えている時間を与えなければ、衝動が襲ってきても、遠ざけられるだから、なるべく空き時間は作らないただ、この対処法がいつまで続くか・・・
2006年06月10日
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不安定になり始めた時期に反応するみたい丁度、今頃から不安定になり、自傷が再発した不安定になった時期が来ると、その時の事を思い出してしまい、流されてしまうようだ今のところは、再発せずに済んでいるけれども、どうなるかは分からない私が、時期に反応しなければいいだけなのだけど・・・
2006年06月07日
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悔しくて悲しくなる悔しくて腹が立つ結局、全て無意味だった私、何の為に我慢してきたんだろう中学卒業したら、生き直せると信じていたのに・・・だから、我慢してきたのに・・・それが、壊されるなんて・・・我慢してきた私が馬鹿みたい私はこの世に適応出来ない
2006年06月01日
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凄く悔しくて、とても惨め人との接触を避け続けてきた付けが、回ってきているのだと痛感させられている人に対するイメージが崩せない・壊せない根強い思い込み思い出してしまう嫌がらせ体験就職の事を考えると、改善しなければ・・・と思うのに、結局避けてしまう避けたら、改善できないよ人と関わる職種に就こうと考えている私が、これでは・・・仮に就職出来たとしても、就職した後が続かない直ぐに辞めてしまう気がする現在の状況から、成長していなければの話になるけど・・・
2006年05月31日
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人に対する苦手意識が、このまま続くようなら・・・私は、自分の殻を破れない人と接触するのが怖い人と話が出来ない現在の状態が、この先、変わるとは思えない私は、社会に適応出来ないかもしれない現在の社会で、生きていけないかもしれない現在の状態に変化が表れないようなら・・・適応出来ない自分が悔しい・・・
2006年05月30日
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私は信じていた正確に言えば、信じたかった・希望を見い出したかっただけかもしれないでも、期待を裏切られたそれが、酷くショックだった多分、嫌がらせを受けた事よりも、ショックが大きかったと思うショックを受けた私は、今まで以上に殻に閉じ籠もるようになった中学を卒業したら、彼らから解放されて、自由になれると信じていたのに・・・本当の意味での解放が望めないなんて・・・もう一度、生き直せると思ったのに・・・私は、それまで以上に、生きる事に対して無気力になった何に対しても無気力になっていった中学を卒業したら自由になれるって信じていたのに・・・今まで、そう信じて我慢してきた事は無駄だったの?こんなはずじゃなかった・・・悔しい・・・こんな現実が突きつけられるなんて・・・知っていたら、我慢せずに自殺していたのに・・・我慢してきた私が馬鹿みたいと、中学を卒業して、高校生になってからの私の心情です現在も、そう思う部分はありますが、当時程ではないと思っています(多分・・・)多分、私が服薬自殺を図ろうとした(高3の夏休み中)大きな切欠の一つが、嫌がらせを引きずった上で・・・の事よりも、「中学卒業後の現実」が大きかったように思います他にも、細々とした切欠はありましたが・・・一番大きな切欠となったのは、恐らく「中学卒業後の現実」ではなかったか・・・と、最近思うようになりました(最近とは言っても、今年に入ってからですが・・・)自分の期待を裏切られた事が、相当ショックだったのだと思います
2006年05月29日
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「どういう子どもを育てたいか・育ってほしいか」【保育内容総論】という授業で、このような問いをされたこの問いは、私が何故保育士を選んだのか、にも由来する因みに、自分の嫌がらせ体験にも関連がある自分の世界だけにとどまるのではなく、自分以外の人間にも関心を持ち、その世界を視野に入れられる人になってほしい最近は、自己中心的な人が目立ってきていると聞く事実かどうかは分からないが・・・自分の世界を持つ事が、悪いのではないただ、自分の世界だけにとどまって、自分以外の人間を視野に入れられない事が、問題なだけだ生きていく以上、人との接触は避けて通れないその時に、初めて自分以外の人間を意識し、その人にも考えがある事を知るもしも、受け入れ態勢が整っていなければ、自分以外の人間は排除するという事になりかねない人間は、一人一人違う100人いれば、100人の考えがある同じではない外見は同じ人間だけれども、中身は違う自分と考え方が違うから、自分の微妙に違う部分があるから、「排除しよう・仲間はずれにしよう」等という価値観は持たせたくない同じ「人間」ではあるけれども、「価値観・考え方」等は異なる事を伝えたい私は、子ども達に「自分と違う部分がある人は排除しよう。仲間外れにしよう」等という考えは持ってほしくないなるべく早い時期から伝えていかないと、ある程度発達してしまうと、価値観等に変化を起こさせるのは難しくなると思ったため、保育士を選んだ私は、いつ頃から、他者を意識し、他者にも考えがある事を知ったのだろうもう、思い出せない乳幼児は、自分以外の世界を知らない為、他者が存在する事・その他者に考えが存在する事も知らない自分が関心を引くものには、他人が使っていようが構わずに手を伸ばして、物の取り合いになる相手にも、欲求がある事を知らない為に起こるまだ、知る段階にまできていないから起こるだけの事
2006年05月25日
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もしも、私が彼らを殺してしまったら・・・私は、自分に与えられた試練を、「生きる力・生きていく糧」に変えられなかった事になるどんな状況に陥ったとしても、生きる事から逃げず、自分の都合だけで人を傷付けない事・・・私にはそれが、出来なかった事になる【山形県の一家殺傷事件】の加害者について貴方(加害者の事)は、自分の都合だけで人を殺した被害者は当時、自分の都合だけで貴方に性的ないじめを行った貴方がした事も、被害者が当時した事も同じお互いに「自分の都合だけで人を傷付けた事」に変わりはない
2006年05月21日
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もしも、加害者の供述が事実なら、彼はどれ程長い間、自身の中の葛藤と戦い続けてきたのだろう山形県一家殺傷事件・・・加害者は、被害者から学生時代に性的ないじめを受けていたと、涙ながらに訴えたという彼は、被害者は初めから殺すつもりだったと答えたという周囲の人間は、きっとこういうだろう「何で今更?もうずっと昔の事ではないか」と私は、このような言動を聞くと、悲しくなる彼にとっては、昔の事ではないのだきっと、昨日の事のように思い出される出来事であろう過去を「過去」に出来ないから、苦しむでも、私は彼に言いたい貴方は今、生きている貴方には、自分の体験を生きていく力に変えられるだけの時間があるそれは、過酷な時間かもしれないけど、貴方には時間があるだけど、被害者にはそれがない貴方が奪った被害者の人生を貴方は奪ったましてや、関係のない人達まで殺傷した理由があれば、人を殺していいの?人の人生を、貴方が奪っていいの?貴方は被害者に、「自分が何をしたのか」を考える・気付かせる事なく殺した生きている間に、気付いたかもしれない可能性を、貴方は奪ったそれに、どんな状況に置かれても、それは貴方にとっての試練であった事を、貴方自身は気付かなかったこれは、貴方だけに与えられた試練ではない人間に与えられた試練だと、私は思っているどんな状況に置かれても、生きる事から逃げ出さず、自分の都合だけで人を傷付けたりせず、生きていく事これが、人間に与えられた試練の一つであり、「生きる」ということなのではないか何となく、そう思い始めた私も、試練を達成しなければならない嫌がらせを受けた事は、私にっての試練だと思っているどんな状況を与えられても、私が生きていけるのかを試されているのだと思うようになった
2006年05月18日
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何故、私は男子から嫌がらせを受けた時、「死にたい」と思ったのだろう生きる事に、無気力になっていったのだろう無視をされた訳ではない暴力(言葉・肉体的)を振るわれた訳ではない金品を巻き上げられた訳ではないなのに、「死にたい」と思った「生きていたくない」と思った何故そう思ったのか何がそう思わせたのか自分の中で、答えに近いものが得られない自分でも、よく分からない
2006年05月16日
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託児ボランティアは、今回で2回目である前回は、1歳3ヶ月の子と、1歳4ヶ月の子であった今回は、2歳8ヶ月の男の子と4歳の男の子であった【2歳8ヶ月・4歳の男の子】お母さんと離れるのが嫌(2歳8ヶ月)で、大泣きして母親にしがみつく15~20分位は、大声でずっと泣き続けた遊びに集中できるようになり、絵本、玩具で遊ぶ時々、母親を思い出しては不安になる事があったが、遊びに誘い、気を紛らわせた自己主張が強く、自分が関心を持つものには、人が使っていようがお構いなしに、手を伸ばす4歳の男の子は、我慢を覚え始めたのか、「貸してあげてね」等と言うと、貸してくれる4歳の男の子と2歳8ヶ月の男の子は、室内を走り回り一緒に遊んでいた2人とも、ボールプールの中から、ボールを全て出し、元に戻す競争をした絵本は乗り物・虫の本を見ていた戦闘ヒーローごっこをお互いにしていた2歳8ヶ月の男の子は、一人で遊ぶよりは、先生の側に来て、一緒に遊ぶ事が多かった4歳の男の子は、自分の関心の引くものが見つかると、一人でその遊びに没頭していた4歳の男の子は、活発に動き回っていた【気付いた事等】2歳位になると、自己主張が強くなり、自分の気持ちを優先させてしまう為、喧嘩になりやすいと感じた自分の関心を引くものを目にすると、人が使っていようが手を伸ばしてしまう結果としては、取り合いになる今回は、ものの取り合いが目立った主に、2歳8ヶ月の男の子が4歳の男の子から取り上げる行動が目立ったお互いに抵抗するのだが、4歳の男の子に「少しの間、貸してあげてね」等と声掛けをすると、貸してくれる事が多かったただ、4歳の男の子でも、どうしても譲れないものがある時は、「遊び終わったら貸してあげてね」等と声掛けをして、その間、2歳8ヶ月の男の子には別の遊びで気を引かせた2歳位になると、言葉もはっきりしてくるので、自分の思いを伝えてくる4歳位になると、我慢を覚え始める頃でもあるので、「譲ってあげてね」等というと、友達に玩具等を貸してくてる性別の特徴なのか、戦闘ヒーローごっこや乗り物・虫の本を見る事が多かったボール遊びの時、人に投げて遊ぶ姿が見受けられた為、「人には当てないよ」等と声掛けをした排泄は、声掛けをすると、自分でトイレへ行く事が出来る余談乳幼児にとっては、母親以外の世界を知らない為、母親と短時間でも離れるという事は、無人島に置き去りにされた感覚なのではないかと思った
2006年05月07日
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もしも、彼らに偶然会ったら、殺すかもしれない今でも、憎しみにしがみついている私がいるから、その可能性はある彼らに会わずに済んでいるから、憎しみが穏やかなだけで、居合わせてしまったら、きっと止められないと思う
2006年05月06日
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障がいを持った事が、不幸なのだろか「可哀想」なのだろうか障がいを持つ子と持たない子の間に、違いはある?のだろうか少なくとも、「子ども」のうちは、差はない気がする自分の思い通りにしようとして、様々な手段を使い、相手を動かそうとしたり、嫌な事・思いが伝わらなかった・通らなかったり等すると、泣く事で伝えようとする言葉を獲得していない間は、「泣く」事でしか伝えられないそれ以外の表現方法を、まだ獲得していないからだ子どもの特徴(心理・感情面)としては、障がいを持つ子・持たない子と差はないように思える言葉が使えなくても、泣く・怒る・笑う等の表現は出来るただ、「何故嬉しいのか・悲しいのか・怒っているのか」等を、言葉で説明するのが困難なだけ感情のコントロールが不十分な点は、障がいを持つ子・持たない子の差はない「障がいを持っている」子は、怖い・分からない等のイメージを抱き易い「突然」泣き・人を叩く・暴れるというイメージがある?のだろうかここで、一つ想像してほしい事がある障がいを持つ子・持たない子に限らず、自分の世界というものを持っているだろうその世界を無断で侵入されたら、不愉快に思わないだろうか不愉快だと感じた時に、言葉が使えるなら、その不愉快さを「言葉」で伝える事が出来るだろうまだ、言葉を獲得していない段階の子は、行動で示すだろう口より先に手が出るのは、説明出来るだけの言葉を獲得していないから言葉を獲得していけば、口より先に手が出る事も少なくなるだろう私もそうだが、多くの人は言葉がある世界に馴染み過ぎている馴染み過ぎた故に、障がいにより言葉が使えない人を、異質な存在と見てしまうのではないだろうか
2006年05月05日
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自分の身体は、自分で動かしているのではないと、障がいを持っている子達と接している度に感じる脳によって、人間は動かされている
2006年05月04日
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貴方は、何の為に生まれて来たの?私は何故、生まれて来たの?きっと、私が生まれて来たのは、多くの子どもと出会う為だと思う理由を付けてもいいよね「子ども」と言っても、障がいを持っていない子ばかりではない障がいを持って生まれた子もいる「障がい」と言っても、知的遅延を伴うもの、知的遅延は伴わないけれど、身体の一部が不自由等がある又、知的遅延・身体の一部が不自由ではないけれど、一つの分野に関しては、どんなに時間をかけても、覚える事が困難な軽度発達障がいの子もいる又、障がいではないけれど、難病にかかり、その病気が原因で、周囲から差別を受ける子もいる難病や障がいは、誰の責任でもないだが、障がいや難病の事を知らない人達は、好奇の目で見、遠ざける何故、遠ざけたり、好奇の目で見るのかというと、一つの理由として「何も知らない」からではないだろうかその難病がある事・障がいがある事、その存在自体を知らないからではないだろうかそれが、偏見へと繋がっているのではないだろうか好奇心を持つ事は、悪い事ではないと思う知らなければ、知っていけばいいただ、それをせず、単に好奇の目で見る事に問題なだけ・・・と私は思っているとは言っても、自分の興味を持たないものに目を向けるなんて、人間はなかなか出来にくいのも事実ではあるが・・・
2006年04月26日
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ピアノが思うように進まない1週間で1曲も進まない進まない自分に腹が立つ進まない事で焦りが出て、泣き出してしまう泣く時間があるなら、練習しろ!そう思っていても、涙が止まらない悔しくて悔しくて、堪えきれずに泣いてしまうピアノが好きだから、弾くのは好きだから、進まない自分が嫌いになる多分、思うように進まないのは、練習の仕方が悪いのだと思う・音符を読むのが遅い・指の移動がスムーズにいかない・・・等曲のレパートリーを増やしたいのに、進まないのでは話にならないこれが切欠で、自傷再発しそうで怖い私はまた、再発させてしまうのだろうか自傷癖を・・・
2006年04月22日
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今は、とても落ち着いている受け止めてくれる人が居てくれるだけで、安心を感じられるものなのねその安心が、ほんの僅かではあるけれど、自信に変わって来ているように感じる安心が自信に繋がるやっと、人前で「泣く」という表現方法を使えるようになった但し、カウンセリングの中だけに限るけど・・・これが始まりかな人前で「泣けた」という事は、感情が表面化した事だからあくまで、私の場合に限るけど
2006年04月17日
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復讐なんて無意味人を憎むなんて孤独なだけもう、戻れない生き直したいと思っても、過去に遡る事は出来ない「現在」を生きるしかない私が失った時間は、もう二度と、取り戻す事は出来ない私は、過去を受け止めて生きていく行ったり来たりの繰り返し時には自分の過去に反発して、「どうして私がこんな目に遭わなければならないの」と思ってしまう時には、「自分の過去を、時間をかけて受け入れていこう」という気持ちになる一進一退でも、過去は過去でしかないいつまでも、過去にしがみついていたくはない私は、現在を生きたい本当は、いじめられていた頃に戻って、今度は自分の言葉で、「止めて」って言いたいだけど、絶対に過去には戻れない私は、自分の過去を受け止めて、現在を生きていくと決めた仮に、復讐して幸せを手に入れられたとしても、それは人を不幸にした上で成り立っている幸せそれが、本当の幸せと呼べるものなのか・・・不幸の上に成り立っている幸せなんて、「幸せ」なんかじゃない!そんなの、「幸せ」なんて呼べない!少なくとも、私はそう思っている
2006年04月09日
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閻魔あいは、つぐみにお父さんとお母さんが離婚した原因を、過去に遡り見せる。つぐみのお母さんは、夫が仕事にのめり込んでいく事に、寂しさ・孤独感を感じ、それが浮気の引き金を引いてしまう。夫は、妻を愛していた故に、過ちを許す事が出来ず、妻がやり直したいと申し出ても、その一切を拒絶する。だが、その日の夜、悲劇が起こる。妻が事後に遭い、亡くなった。その時、夫は妻の亡くなった現実が受け止めきれず、「俺のせいじゃない」と、思わず口にしてしまう。閻魔あい:「悪いお父さんね。自分のせいのに、それを認めようとしないなんて・・・。お父さんが許してあげていれば、お母さんは死なずに済んだのに・・・。助ける事が出来たのにね。お母さんがいなくて、寂しかったでしょう。辛かったでしょう。私が、貴方のお父さんを地獄へ流してあげる。さあ、受け取りなさい」そう言って、つぐみに藁人形を手渡そうとするつぐみ:「嫌だ!いらない!」と言って、拒絶するが、つぐみの手には、藁人形が・・・閻魔あい:「後は、貴方が決める事よ」閻魔あいは、憎しみにより生き返り、地獄で罰を与えられたそれが、復讐代行だった自分の憎しみを封印し、様々な人間の憎しみ恨みの復讐代行を行ってきた400年という気が遠くなるような、年月をかけて、自分の罪を償い続けただが、時を越えて、あいの憎しみの相手の祖先に会った時、あいの閉ざしていた憎しみが、再び蘇り、復讐心に支配されていくもう、誰にも止められない閻魔あい:「流せばいいの。恨んでいる相手は、地獄へ流せばいい。ずっと、恨んでいるんでしょ」つぐみ:「あんなの嘘よ!貴方が作った嘘の世界よ!本当じゃない!」閻魔あい:「あの時、何があったか知らなくても、貴方は心の中で、ずっとお父さんの事を恨んでいる」つぐみ:「違う!そんな事思ってない!」閻魔あい:「お母さんが死んだのは、お父さんのせいだと思っている」つぐみ:「思ってない!」拒絶したものの、「俺のせいじゃない」という言葉が引っかかり、混乱していく閻魔あい:「よく考えてみるのよ、つぐみ。貴方が本当に恨みを晴らしたいと思うなら、その赤い糸を解けばいい。糸を解けば、私と正式に契約を交わした事になる。恨みの相手は、速やかに地獄へ流されるわ。但し、恨みを晴らしたら、貴方自身にも代償を支払ってもらう。人を呪あば、穴二つ。契約を交わしたら、貴方の魂も地獄へ堕ちる。極楽浄土へは行けず、貴方の魂は、痛みと苦しみを味わいながら永遠に彷徨う事になるわ。大好きなお父さんが、貴方からお母さんを奪った。辛いでしょう、つぐみ。苦しいでしょう。心が二つに引き裂かれて。助けてあげる。楽になれるわ。糸を引いて。心を解き放って」そう言って、あいはつぐみに藁人形を手渡すどんどん混乱していくつぐみそれでも、糸を引く事を拒否し続ける閻魔あい:「もう苦しまないで。つぐみの力になりたいの」あいに混乱させられ、憎しみに支配されそうになり、つぐみは糸に手を伸ばすが・・・父親が来て、つぐみを引き止める事が出来た閻魔あい:「可哀想なお母さん。全部あの人(お父さん)のせいよ。貴方が裁くのよ」そう言って、父親とつぐみに、過去へ遡り、事故現場の光景を見せる父:「俺が死ねばよかったんだ」父親は、お母さんが亡くなった時から、ずっと後悔していたどうして、妻の過ちを許してやれなかったのか・・・どうして、寂しさに気付いてやれなかったのか・・・ずっと、後悔していた閻魔あい:「今更謝っても遅いわ。起こってしまった事は、もう取り返しがつかない。後悔なんて意味ないわ。失ったものは、もう戻らない。糸を解きなさい。私が恨みを晴らしてあげる。さあ、糸を解きなさい」あい、止めてつぐみに復讐をさせないでお願いだから、これ以上、つぐみを混乱させないでもし私が、あいに追い詰められる立場だったら、どうだろう私の場合だと、内容はイジメになるけど・・・閻魔あい:「悪い人達ね。自分達のせいなのに、それを認めようとしないなんて・・。あの人達が貴方をいじめなければ、貴方はこんなに苦しまなくて済んだのに・・・。苦しまずに、生きる事が出来たのにね。ずっと、一人で孤独だったでしょう。辛かったでしょう。私が、貴方を苦しめた人達を地獄へ流してあげる。さあ、受け取りなさい。後は、貴方が決める事よ。流せばいいの。憎んでいる相手は、地獄へ流せばいい。ずっと、恨んでいるんでしょ。貴方が苦しいのは、あの人達のせいだと思っている。よく考えてみるのよ。貴方が本当に恨みを晴らしたいと思うなら、その赤い糸を解けばいい。糸を解けば、私と正式に契約を交わした事になる。恨みの相手は、速やかに地獄へ流されるわ。但し、恨みを晴らしたら、貴方自身にも代償を支払ってもらう。人を呪あば、穴二つ。契約を交わしたら、貴方の魂は地獄へ堕ちる。極楽浄土へは行けず、貴方の魂は、痛みと苦しみを味わいながら、永遠に彷徨う事になる。彼らは、貴方から時間や希望・自信を奪った。辛いでしょう。苦しいでしょう。心が二つに引き裂かれて。助けてあげる。楽に慣れるわ。糸を引いて。心を解き放って。もう苦しまないで。貴方の力になりたいの。今更遭い謝っても遅いわ。起こってしまった事は、もう取り返しがつかない。後悔なんて意味ないわ。失ったものは、もう戻らない。糸を引きなさい。私が恨みを晴らしてあげる。さあ、解きなさい」現在の私に、あいがこれらの事を口にされたら、徐々に自分の境遇を受け入れていこうとしている最中なのに、乱されてしまうまた、憎しみの渦の中に、戻されてしまう折角、落ち着き始めているというのに、心が掻き乱されてしまうどうして、受け入れていこうとする邪魔をするの邪魔しないで!私は、誰も憎みたくない!人を憎んで生きるのは嫌!お願いだから、これ以上、私の心を乱さないで!「もう苦しまないで。貴方の力になりたいの」なんて言われたら、私・・・私、糸を引いてしまう復讐してしまう受け止めて生きていこうと決めたのに、揺らいでしまうお願い私の心を、揺さぶらないで人を憎んでいた頃に、戻りたくない!
2006年04月08日
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