みりの巣

みりの巣

『門出』/更級日記、菅原の考標女


『門出』/更級日記、菅原の考標女
で、菅原の考標女はものすご~く物語を読みたかったんやなぁ・・・
薬師仏をわざわざ、しかも等身大で作ってしまうほどに・・・
っていうことがわかります。引っ越す前、最後に見たときに涙が流れるほどに入れ込んでいるから。(^^)(笑) 

私も物に入れ込んだり、いらんのにわざわざ意味づけを後からしちゃって、そのあと逆に自分でつけた意味づけに縛られたりもするし、物によって自分で自分に暗示かけるクセもある。だからなんとなく気持ちがわかるような気がして、親近感が湧きました。(^^)○●○ 




☆ 日記文学の流れ

土佐日記(935年頃、紀貫之、女流日記文学)→
蜻蛉 (かげろう) 日記(975年以降、藤原の道綱母)→
和泉式部日記(1007~1008年)、紫式部日記(1011年)→
更級日記(1059年頃、菅原の考標女)→
讃岐典侍日記(1108年頃、藤原長子)→ 
十六夜日記(1280年頃、阿仏尼)


『門出』/更級日記、菅原の考標女
事実:父の菅原の考標は受領層であり、彼女が10歳の時、上総介(かずさのすけ)として赴任。




『門出』/更級日記、菅原の考標女

東路(あづまち /あずまち )の道の果てよりも、なほ奥つ方 (おくつかた) に生ひ出でたる人、

{ 東国への道の終わりの国(常陸国)よりもさらに奥の土地(上総国)で成長した人(私) }


いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、
世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、

つれづれなる昼間、宵居(よいゐ /よいい )などに、姉・継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまなれど、我が思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。

{ どれほど見苦しかっただろうか、「どうして思い始めたことであろうか。」
世の中に、物語があると聞いているのをなんとかしてみてみたい。と思い続け、

手持ち無沙汰な昼間や、夜起きているときに姉や継母といった人々がなになにの物語やあの物語や光源氏の様子などを、ところどころ語るのを聞くと、

ますます読みたいという気持ちが募るけれど、私の思う通りに、物を見ないで暗記してどうして話して聞かせてもらえようか。いやできない。 }



いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を作りて、手洗ひなどして、
人まにみそかに、入りつつ、「京にとく上げ給ひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せ給へ」と、身を捨てて額 (ぬか) をつき、祈り申すほどに、

{ たいそうじれったいので、等身大に薬師如来を作って、手洗いなどをして身を清めて、人のいない時にひそかに(薬師如来を安置している部屋に)何度も入っては、

「京都に早く上げてくださって、物語が多くございますと聞いているそれをすべて見せてください。」と、身を投げ捨てて額をついてお祈り申し上げるうちに、 }



十三になる年、上らむとて、九月三日 (ながつきみか) 門出して、いまたちおいふ所に移る。

{ 十三歳になる年に、京都にのぼろうということで九月三日に門出(夜になるを待って別の場所に移ること:平安時代)して、いまたちというところに移った。 }


・ 年ごろ遊び慣れつる所を、あらはにこぼち散らして、たち騒ぎて、
日の入りぎはの、いとすごく霧り渡りたるに、

車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ち給へるを、見捨て奉る悲しくて、人知れずうち泣かれぬ

{ 長年遊び慣れた所を、外から丸見えになるほど、家具などを取り壊して散らかして、忙しく動きまわり、
日が沈むころで、ひどくもの寂しく一面に霧が立ち込めているころに、

牛車に乗るということで、部屋の中を眺めたところ、
人のいない時に参っては、額を床にこすりつけ(て祈っ)た、薬師仏が立っていらっしゃるのが、見捨て申し上げるのが悲しくて、こっそりと自然に泣けてしまった。 }







まんが古典文学館 更級日記


更級日記


更級日記


更級日記〔新装・2色版〕

現代語譯更級日記

書籍 二玄社 【日本名筆選】 43:更級日記[藤原定家筆]

更級日記の新研究



© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: