misty247

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2005.05.21
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カテゴリ: 古今東西のお語
 <前半からのつづき>

 「お家かえりたいわあ、ここもういやや」これまで不平を言わなかった節子、常に離さぬ人形抱いて泣きべそかいていい、「お家焼けてしもたもん、あれへん」しかし、未亡人とは日増しに険悪な間柄になってもう長くはいられない、「この横穴、お家にしよか」池の先にある深い横穴に藁敷いて、蚊帳吊って、荷物移して住みはじめた。
 灯火管制には慣れていたが、夜の壕の闇はまさに塗りこめたようで、蚊帳の外にわんわん群がる蚊の羽音だけがする、西の空へ向かう特攻機の光みて、そや、蛍捕まえて蚊帳の中へいれたら、明るくなるんとちゃうか、百余り捕まえて中に放つと、ゆらゆらと光が走り、心がおちつき夢にひきこまれ、蛍の光を高射機関砲の曳光弾になぞらえて、敵機来襲バババババ、お父ちゃんどこで戦争してはんねんやろ、以前出した手紙に返事はない。
 朝になると蛍の半分は死んで落ち、節子が埋めた「何しとんねん」「蛍のお墓つくってんねん、お母ちゃんもお墓のなかにいてるねんて」未亡人から聞いて知って、清太も涙ぐみ、「いつかお墓いこな、布引の春日野墓地や、あしこにいてはるわ、お母ちゃん」樟の木の下の小さい墓。
 母の着物も底を尽き、大豆雑炊で暮らしていれば、節子の肋骨日毎に浮き出し、疥癬にかかって蚤虱に血をとられ、やがて体がだるいのか海へ行くときも「待ってるわ」人形抱いて寝ころび、外へ出ると清太は、家庭菜園から青いトマト、そのうち農家の芋畑から盗みとって、節子に食べさせていたが、七月末の夜、野荒しを農夫に見つかり、さんざなぐりつけられ、「すいません、堪忍して下さい」「なにぬかす、戦時下の野荒しは重罪やねんど」交番にひったてられたが、お巡りはのんびりと、農夫をなだめ清太には説教をして許してくれた。壕へ戻って泣き続ける清太を、節子が背中をさすりながら、「どこ痛いのん、いかんねえ、お医者さんよんで注射してもらわな」母の口調でいう。
 八月に入ると連日艦載機が来襲し、清太は警報を待って盗みに出かけた、頭上に殺到する機銃掃射、爆弾もまじるらしくすさまじい音響の交錯する中を、清太にとっては稼ぎ時、家人逃げ去った家へ忍び入り、着物リック持ち出して遠方で売るも、その年不作のけはいに農家は売り惜しみ、せいぜいトマト枝豆さやいんげん。節子は下痢がとまらず、常に離さぬ人形すらもう抱く力なく、そや節子に滋養つけさせんならん、指切って血イ飲ましたらどないや、いや指一本くらいのうなってもかまへん、指の肉食べさしたろか、見れば節子、髪の毛だけは伸び放題で、三つ編みにしてやると、「お兄ちゃん、おおきに」あらためて眼窩の窪みが目立つ。
 八月二十二日昼、壕へ戻ると節子は死んでいた。骨と皮に痩せ衰え、その前二、三日は、眼は蛍を追うらしく「上いった下いったあっとまった」低くつぶやくのみ、その一週間前、敗戦と決まって、清太は「聯合艦隊どないしたんや」、かたわらにいた老人が「そんなもんとうの昔に沈んでしもて一隻も残っとらんわい」、では、お父ちゃんの巡洋艦も沈んでしもうたんか、「お父ちゃんも死んだ」と母の死よりはるかに実感があり、生き続けていかんならん心の張りまったく失せて、それでも節子に食べ物を食べさせたがすでにうけつけぬ。
 夜になると嵐、節子の亡骸膝に乗せ、髪の毛をなでつづけ、すでに冷えきった額に自分の頬おしつけ、涙は出ぬ。ゴウと吠え木の葉揺り動かす嵐の中に、ふと節子の泣き声がきこえるよう。
 翌日、火葬場は満員で一週間前のがまだ始末できんといわれ、「子供さんやったらお寺のすみ借りて焼かせてもらい、大豆の殻でうまいこと燃えるわ」と教えてくれた。いわれた通り、行李に節子をおさめて、人形がま口下着一切をまわりつめ、大豆殻に火をうつせばパチパチとはぜつつ燃え上がった。

 昭和二十年九月二十二日午後、三宮駅構内で野垂れ死にした清太は、他に二、三十はあった浮浪児の死体と共に、布引の上の寺で荼毘に付され、骨は無縁仏として納骨堂へおさめられた。 <終>

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 ほんの六十年前、同じこの土の上で、このような世界が繰り広げられていたということに改めて驚かされます。終戦で中学三年というと今なら七十五歳の爺さん。現代の常識では考えられないことばかりの環境で少年時代を過ごしたその年齢の方たちが、今はコンビニの前でシャツを出した学生が買い食いしながら屯するのを横目に日々暮らしているのかと想像すれば、人の幸福観を根底から揺るがしてしまう、急激な時代の移り変わりというものほど強大で残虐な力もあろうかと思われます。
 戦争に投じた命、それに時間や宝物、かけがえのない物、多くを費やして、そのあと、戦争という行為が間違っていても戦争を全否定するのは、その時代、懸命に生きた人への間接的な生の否定に他ならず、それも戦争の犠牲と一言で片付けてしまうのは容易いけれど、追い討ちをかけるかの残酷な仕打ちだと思います。
 頑固者と嫌われようが若いモンの言うことなんぞ聞けるかと変に強情になった爺さんが多くても、仕方のないことのように思えてきました。
 生きていられることだけで感謝したくなるようなこのお話、躓いているときに読めば、心のもやを吹き飛ばして有無をいわせず、ただ黙って歩き続ける力が得られそうです。それがプラスか、それとも開き直りに近いものなのかは分かりませんが。背筋にくるお話です。





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Last updated  2005.05.21 03:33:22
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