ヤマト・オワリ連合軍とエミシ・ニギハヤヒ連合軍は、約束どおり、 8 日目にフジの広大な裾野の平原で対峙した。
そして、夜明けにミヤがヤマト・オワリ連合軍の先頭に立って戦勝の祈りを捧げた後、戦いが開始されたのだ。
エミシは、本来狩猟民族であり、このような平原よりは、山中での戦いを得意としている。
その点は、ニギハヤヒはヤマトと同様、平地での戦いのノウハウも持っていたため、今回の戦いは、エミシの将軍アータルではなく、ニギハヤヒの将軍ガイが戦略を練っていた。
ガイは、エミシの優れた弓術を活用するために、エミシの部隊を展開し、狩りの要領でヤマト軍を中央に追い込んで、弓矢で叩こうと考えた。
そこで、平原の四方八方から火を放ってヤマトを撹乱しつつ集中させるように仕向けたのだが、イソタケルは逆にその火に向かって各部隊を進撃させたのだ。
ガイは、イソタケルの本隊だけが中央に残るような常識破りの戦術に呆れながらも、これはこれで自分たちには有利な戦況であるから、総攻撃を命じた。
しかし、ここからがイソタケル本隊の凄いところで、ガイが総攻撃を命じるよりも先に中央突破で突っ込んできたのである。
包囲して殲滅してくださいといわんばかりの陣形に、ニギハヤヒ本隊は分散してヤマト軍を包囲にかかったのだが、これもイソタケルの戦術で、開いて包囲してくる前に総帥の彼を先頭に突撃したのだ。
人間の心理として、退路を絶たれ、あるいは囲まれることを当然恐れるものなのだが、イソタケルはむしろそれを逆手にとって、相手よりも先に進むことで突破を容易にしたのである。
結果として、包囲するよりも先に中央を突破されたエミシ・ニギハヤヒ連合軍は、アータル、ガイの本隊がイソタケル本隊と直接戦うこととなってしまった。
そして、実際の戦闘が始まるや、アータルとガイの本隊は、イソタケルだけでなく、ヤマト本隊の勇士たちの強さに舌を巻くことになった。
何とイソタケル、軍を分散させた段階で、本来各部隊長となるべき精鋭を自分の隊に戻し、精鋭中の精鋭で本隊を組んで当たったのだった。
しかも、分散させたのはミヤを無事にオワリに帰すためのおとりでもあったのだ。
本隊の先頭に立ったイソタケル、相手方の主立った勇士を次々と打ち倒して総崩れに陥れた。
オオヒコが自信を持って派遣した名将軍ガイも、見事に中央を突破された戦況に打つ手がなく、アータルも、こうなっては既に結果は見えていたため、迫ってきたイソタケルにあっさりと降伏した。
しかし、イソタケルは、勝負は決したと追撃せず、その間にエミシ、ニギハヤヒとも全軍を撤退させたため、その後しばらくは、両軍に戦端が開かれることはなかった。
ヤマト軍は、サガミ、ムサシと挑発するかのように縦断したが、エミシ軍もフジの会戦で彼らの実力を思い知らされたため、衝突を避けて距離を取って偵察するにとどめていた。
イソタケルは、示威行為を行いつつ猛進し、ツクバに至ったところで、エミシ・ニギハヤヒ連合軍に会見を申し入れ、講和を結んだ。
父のハヤミ国王は、隙あらば、元は同族であり、ヤマトでの政争に破れて東北に逃れ、今なお大きな勢力を持っているニギハヤヒ一族を滅ぼそうと考えていたため、イソタケルの措置を快くは思わなかったが、重臣たちは、数では圧倒的に不利であったはずのヤマト・オワリ連合軍にとって、この戦果は満足すべきものであり、講和締結を労って呼び戻すべきだと取り成した。
ハヤミ自身も、少ない軍勢であり、クマノタケルを倒したイソタケルの名声でスルガまで行けば十分と考えていたため、予想をはるかに上回る満足すべき戦果ではあったから、講和と息子の帰還に同意した。
ニギハヤヒ・エミシ連合軍がヤマトと講和を結んだ理由は、同じニギハヤヒ一族の出身であるイソタケルとは戦わないで済ませたいと考えていたこと、イソタケルは、地域の住民に多大な損害を与えるであろう大規模の戦闘を、明らかに避けてくれたように思えたこと、そして何よりも、最初のフジ会戦で、自ら打ち倒したエミシ軍ニギハヤヒ軍の勇士達を敢えて殺さず、捕虜ともせずに戻し、名誉を重んじるような配慮をしてくれたことから、当初徹底抗戦を叫んでいたエミシ族も、彼なら信用できると考え、講和締結に応じたからであった。
対するイソタケルが講和に応じた本当の理由は、何とスルガまで同行させたミヤをオワリに帰してから寂しくなり、早く会いたくなったからだったのだ。
文章のつながりの都合で、今日は短めで続く。
画像は、寝室で走り回っている一郎四郎と、寝転がって見ているトメコです。


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