さて、戦争のPTSDで、感情を失い、禁断の関係ながら、叔母(姉?)に助けられて同棲し、落ち着いた生活を始めた常和氏、学歴詐称なのですが、神戸商船大学卒として、亡父の友人のコネで、一流商社に就職することができました。
秀才タイプで仕事もコツコツやる真面目に見える常和氏でしたから、まずは順調に出世コースに乗り、叔母の献身の甲斐もあって、PTSDも癒されつつありました。
ところが、当時としては珍しいテレビの仕事の担当となり、その番組収録のゲストとして出演して出会ったのが資産家の娘であった神坂高子だったのです。
結果的にはこの出会いが彼だけでなく多くの人の人生を破滅に向かわせることになるのですが、常和氏、嘘とは言えないものの独身で通していましたから、番組担当者が、気を利かせて恋人募集中と高子に声をかけたのです。
彼女、戦争で婚約者を失くして以来、選り好みして贅沢したこともあって恋愛をことごとく失敗し、縁遠くなって今で言うアラサーになってしまったため、それまでなら鼻にもかけなかったであろう常和氏に、妙に興味を持ってしまったのです。
高子は最初、常和氏のことを感情のよくわからない変な男だとは思ったのですが、神戸商船大学卒で一流商社員と紹介されれば、恋人候補として悪くはないなと思ってしまいました。
彼女、今まで、いい人というか、誠実で裕福な人としか付き合ったことがありませんでした。
実は、彼女の最初のお相手は、戦時下であったことから、お互い大学生でしたが、婚約まで進んだ京都帝国大学の学生でした。
しかし、彼は学徒動員で戦死してしまいました。
戦後彼女のお相手となった男性たちは、皆氏も育ちもよい超エリートで、後に有名な政治家になった者や、大企業の社長になった者も居た錚々たる面々が揃っていたのです。
ところが彼女、その凄い面々に対し、自分よりも年下とか、男にしては背が低いとか、顔が不細工とか、食べ方が汚いとか、本質的な問題ではなくつまらないことでケチをつけまくり、折角のチャンスを逃しまくっている内にアラサーになっていたのです。
当時のアラサー、特に女性にとっては、結婚するためには今と違って深刻を通り越して致命的だったのですが、彼女、それ以上に当時の、いや、今でもある程度あてはまる、女性としては致命的な欠点を持っていたのです。
恐らく 10
年後なら、女性であっても評価されたのだと思われますが、彼女、仕事をさせれば付き合って来たエリート男性たちと対等以上にできたのですが、全てに天才で、同郷だった二人の総理大臣をガキ扱いできた母親とちがって、家事が全くできなかったのです。
炊事、掃除、洗濯、女性の美点になりそうなことが全くできなかった、いや、嫌いだったのです。これは、致命的な欠点でした。
常和氏、ハンサムと言うよりは個性的な容貌でしたが、当時としては背が高く、見てくれは悪くはないし、外交官だった父の教えで、レディーファーストが身についていましたし、大卒(詐称)で一流商社マン(これは真実)ですから、それまでの恋人候補とはスケールが違いましたが、付き合ってもいいなと思ってしまったのです。
本来、氏はともかく育ちに問題があった常和氏は、裕福に育った高子さんの花婿候補としては、真っ先に除外しておくべき相手だったのです。
育ちの貧しさもあり、戦争のPTSDで感情に欠陥があった上に、平気で嘘をつき、嘘に嘘を重ねて行く常和氏は、所詮生きて来た世界が違う人間だったのです。
ところが常和氏、絵の才能があったことから、誰でも名前を知っているであろう大変有名な画家と親交があり、その画家から仲間たちに、絵がうまいのに、大卒で商社マンになった変わり種と言う噂が広まっており、その噂を聞いた中に、高子の父貴尚氏の友人も居たため、貴尚氏は娘から常和の名を聞いた時、そのことを思い出し、彼をそれほど警戒せず、普通ならしていたであろう興信所の調査もあまりまともにしなかったのです。
むしろ、母鶴子の方が、常和氏を一目見て、あいつは信用できないと直感していました。
そして、彼が娘と結婚前提に交際すると言いつつも、叔母の高瀬梨乃さんと同棲して道ならぬ関係にあることを突き止めたのです。
ところが、娘に常和には女が居るのではないかとそれとなく確かめると、そんなことは絶対ないとむきになって否定したので、鶴子さん、何と梨乃さんに直談判したのです。
梨乃さん、上品でとても 50
代とは思えない美女、今で言う美魔女が訪ねて来たので、この人は何者かと思っていると、鶴子さん、単刀直入に、「私は神坂鶴子と言います。私の娘高子が、辻村常和さんと結婚前提のお付き合いをしていると言うのですが、彼は、あなたと一緒に住んでいますね。あなたと彼は一体どういう関係なのか、教えてくれませんか。」と聞いたのです。
梨乃さんは、彼女の質問に衝撃を受けました。
つまり、彼女、常和氏から高子さんとの交際を全く知らされていなかったのです。
顔面蒼白となって黙ってしまった梨乃さんを見て、鶴子さんは、彼女は常和氏の愛人であるが、娘と彼のことは全く知らなかったことを見抜きました。
「私は、あなたが何者で、辻村常和氏とどんな関係であるのかを詮索しようとは思わないし、娘が、常和氏と結婚したいと言うならそれも構わない。しかし、あなたは二人の結婚を許せるか、二人が結婚したら自分はどうするか、それだけを聞きたい。」
この時に、鶴子さんか梨乃さんがごねるなりなんなりして二人の結婚話をぶっ壊しておけば良かったのですが、鶴子さんは
、全てに超天才だった反面、後の孫の一郎君のようにサヴァンだったのか、かなり人間的には欠けた面もありましたから、こんな応対になったのだと思われます。
梨乃さんに至っては、日本女性らしい
つつましさで、最初は、何も言えませんでした。
梨乃さん、眼前の上品な夫人の正体はわかりましたし、一流商社員らしくなく貧しい常和氏のためには金持ちの妻がいいだろうし、自分自身のためにもこんな関係を続けていてはいけないので、ここは身を引くべきだと思いましたから、神坂家のことを確かめました。
鶴子さんの口から彼女の夫の貴尚氏は、一流企業を退職後大阪の工場高校の校長を務めており、大変裕福で広大な土地を所有しており、大阪の郊外の自宅も敷地 3
千坪の邸宅であることも聞けましたから、身を引く決意を固め、そのことを鶴子さんに伝えました。
鶴子さん、それさえ聞けば良かったのですが、あと腐れの無いようにと、長州閥の知人を動員して梨乃さんの引受先は確保しました。
梨乃さん、思わぬ世話までしてもらえましたから、その日のうちに書置きを残して失踪したのでした。
常和氏にしてみれば、高子さんとの結婚はまだ決まった話ではないというスタンスでしたし、今住んでいるアパートも梨乃さんが借りているものでしたから、突然梯子を外されたようなもので、高子さんとの結婚を進めざるを得なくなってしまったのです。
つまり、高子さんと違って、常和氏は、高子さんのことをそれほど思っていたわけではなかったのです。
ここで鶴子さんのもう一つ抜けていたことは、梨乃さんのことを娘の高子さんには全く教えなかったことです。
夫にも話さなかったのですが、代わりに、何と孫の一郎君が小学 4
年生の時、夫の貴尚氏が亡くなると、常和氏と梨乃さんとの関係を彼に話したのです。
普通の 10
歳の小学生だったら、全く理解できなかったのでしょうが、 10
歳にして旧仮名遣いの本をすらすら読める程度の学力も理解力も持っていましたし、当時両親の関係が既に破たんしているとしか言いようがないものであることも見抜いていた天才児でしたから、ああ、両親の不仲にはそんな伏線もあったんだと納得しました。
続く。
画像は、保護した元野良猫ヤマトの兄と思われる黒猫と、ヤマトの現在です。

あるサヴァン症候群の男のお話 112 常和… Dec 25, 2022
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