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映画音楽というのは、その作品のためにオリジナルで作ることもあるが、既存の名曲を当てはめて使うことも多々ある。後者の場合は、どの曲を選ぶかが制作者のセンスの見せ所だ。既存曲のどの部分をどの場面に使うかによっても、映像が生きたり、逆に感動がそがれたりする。音楽が映像の視覚的効果を高めているか、殺しているか――判断は、たぶんに観る者の主観にもよるとはいえ、映画を評価するかしないかの、重要な分岐点になるということは間違いない。『熊座の淡き星影』に使われた音楽は、19世紀後半にセザール・フランクが作曲した「プレリュード、コラールとフーガ」だ。単一曲を作品の全編にわたって流すという手法も、実はコクトー原作、メルヴィル監督の映画『恐るべき子供たち』を踏襲したもの。『恐るべき子供たち』で使われたのは、J.S.バッハの「4台のピアノ(もともとはチェンバロ)のための協奏曲 イ短調 BWV1065」だったが、この曲もメルヴィルの詩的かつ絵画的な映像とピタリと合い、映画を観た人がバッハの曲と知らずに、「あの映画音楽が欲しい」とレコード店を訪れたという逸話も残っている。こちらに『恐るべき子供たち』の冒頭の雪合戦のシーンがある。ジャン・コクトーの金属的な声音のナレーションにかぶって、バッハの整った旋律が流れる。まるで、この映像のために作られた曲のようにハマっている。全曲はこちらにいい動画がある。なんと指揮者のレヴァインがピアノを弾いている! ということは、これはヴェルビエ音楽祭ガラからのものだと思う。他にもアルゲリッチ、キーシン、プレトニョフと、いやいや、凄い面子が揃っている。しかし、改めて見ると『恐るべき子供たち』は、ポール(雪球を受けて倒れる)、ダルジュロス(街灯につかまりながら、雪球を投げる)、ジェラール(ポールに付きそう)の3人の少年役の役者のケミストリー(複数の役者が競演することで生まれる化学反応的な相乗効果)が、あまりに悪い(涙)。1:02あたりに登場するジェラールが一番少年らしい透明感を出していると思うが、ポールはごつい青年だし、ダルジュロスは明らかに女の子。しかも、この男の子のような髪型でアップになると、年以上に老けて見える。ポール役はのちにコクトーの養子となるエドゥアール・デルミットだが、彼をキャスティングすることが映画化の条件だと言ってコクトーが譲らなかったために、監督のメルヴィルが妥協したのだ。のちにメルヴィルは「ポール役はミスキャスト」と悔いている。ただ、キャストはともあれ、フランソワ・トリュフォーをして、「繰り返し繰り返し、100回は観た」と言わしめた映像美は素晴らしい。メルヴィルが『恐るべき子供たち』を撮ったからこそ、トリュフォーの『大人は判ってくれない』が生まれた。そうそう、甘草も出てくる。3:15あたりでダルジュロスがつまんで口に入れている、ゴムみたいなお菓子。あれが甘草。こちらが、『熊座の淡き星影』の重要なシーン。ジャンニが暖炉で自作の小説を焼き捨てる。ここに音楽がかぶさり、いったん中断する。続いて、ジャンニがサンドラを激しく責めつつ、肉体的に求めるシーンで再びピアノの旋律が聞こえてくる。こちらも、オーダーメイドの音楽のように映像と一体化している。「僕への愛を犠牲という仮面で隠した」「そうして得た倫理をたてに哀れな母と義父を責め立てているんだ」サンドラの「きわめて女性らしい偽善」をあばくジャンニの告発が、生々しくも痛い。途中で暗闇でビリッと服が破れる音が入り、てっきりサンドラの肉体が露わになるのかと思いきや、「セクシーに」シャツがはだけてるのはジャンニのほうだった… という微妙なハズシが、実にヴィスコンティらしい。ジャンニって、どこまで弱いねん?最後のほうで、「オ・プレパラート・トゥット(用意してあるんだ、全部)」と言いながら、振り子時計――エロスとプシュケーの彫刻付き――を置いた棚の引き出しから、死ぬための薬の入った瓶を出すジャンニは、『恐るべき子供たち』のポールそのまま。このフランク作曲「プレリュード、コラールとフーガ」については、こちらに詳しい説明があるが、サン=サーンスの次の言葉が示唆に富んでいる。「不体裁で弾きにくい曲だ。この曲では、コラールはコラールではなく、フーガはフーガではない。なぜなら、フーガはその提示が終わるや否や元気を喪い、際限のない脱線によって継続されるのだから」コラールとはもともとは、「合唱」――単旋律を声を合わせて歌うこと――を指す。フーガとは遁走曲とも訳されるが、元来、イタリア語で「逃げること」を意味する。サン=サーンスはこの曲をけなしているのだが、「コラールではないコラール。フーガではないフーガ」と言葉を、コラールになりきれないコラール、フーガになりきれないフーガと読み替えると、サンドラとジャンニの関係をあまりに的確に言い当てているのだ。個人的にはこの曲は名曲だと思うし、バッハの影響も大いにあるが、バッハにはない「不調和」な部分、なにかしら「心地よくない展開」が確かにあり、だからこそ、その中にときどき出現する流麗なメロディが際立って美しく聴こえるように思う。そして、サンドラとジャンニという、1つになることもできず、逃げ出すこともできない悲劇的な姉弟の物語にこの曲がピタリとはまったのは、「提示が終わるや否や元気を失う」フーガが絶えず「脱線していく」、この曲の欠点ともいえる特性があったればこそだったのではないかと、そんな気がしている。
2009.09.30
もう1つの『恐るべき子供たち』である『熊座の淡き星影』は、登場人物のイメージも相当にダブる。『恐るべき子供たち』→『熊座の淡き星影』エリザベート→サンドラ(姉)ポール→ジャンニ(弟)ジェラール→ピエトロ(姉を崇拝し、弟の死にからむメッセンジャー的な役回りを果たす)だが違う部分もある。『熊座の淡き星影』には、ポールが心酔したダルジュロスがいない。そのかわり、サンドラの心を支配する亡父がいる。ベールを被った「誰かの像」をサンドラが抱きしめる官能的なシーン。ラスト近くで、ベールが取り去られ、その「誰か」が父親だったとハッキリする瞬間、亡き父がいかにサンドラを、そして間接的にジャンニを、支配してきたかを観客はまざまざと知ることになる。「姿を現さず主人公を支配する」という意味では、亡父の存在はダルジュロスに通ずる。サンドラの烈しさは、エリザベートを彷彿させる。結婚相手が金持ちだという設定も共通している。だが、ジャンニはポールとはかなり違う。まず、ジャンニは浪費家だ。「置物が減っているだろ? ラファエロ派の」とジャンニが告白し、サンドラを怒らせる場面があるが、要するに贅沢な暮らしをするためには、自分の稼ぎ(事実上、ほとんどない)では追いつかず、財産を切り売りしてしのいでいるのだ。また彼は、現実に自分の人生を切り拓いていくたくましさはほとんどないにもかかわらず、かなりの野心家なのだ。自伝めいたスキャンダラスな小説を書き、それで世に出ようと考えている。『恐るべき子供たち』も『熊座の淡き星影』も、姉と弟の禁じられた関係を描いているが、前者は姉が弟を想い、後者は弟が姉を追いかける。こうしたポールの性格付けだが、フランコ・ゼッフィレッリの自伝(創元ライブラリ、木村博江訳)を読んで気づいたことがある。それは、たぶんにジャンニ=ヴィスコンティ本人だということだ。これは今となっては意外に思う人も多いかもしれない。ヴィスコンティは大監督だ。彼が亡くなったとき、イタリアは国葬で偉大な芸術家を送った。彼の偉大さは最初から揺るぎないものだったように見える。だが、『ゼッフィレッリ自伝』に出てくるネオレアリズモの旗手ルキーノ・ヴィスコンティは、ほとんどそのままジャンニと言っていい。「ルキーノの劇団は常に大金がかかったが、『揺れる大地』による損失は痛手だった。彼の兄弟たちが彼の資産をあれこれ買い取り、彼を溺愛するウベルタはなんとか手を貸そうとした。しかしこれほど金遣いの荒い人間には、どんな手立ても追いつかず、借金取りとの約束の期限を延ばせなくなると、私はこっそり彼の財産を売り捌きにやられた――ルノワール、銀の灰皿などである。私は有能な骨董商人になった。彼の抑圧されたもろい部分が最もよく見てとれたのは、この時期だった。毎晩書斎で練った企画は実現されなかった。誰も彼の援助に興味を示さず、彼自身の金も底をついた。私は彼が頼りにできる数少ない1人だった」(『ゼッフィレッリ自伝』より)映画『揺れる大地』で、ヴィスコンティは自身の政治的なプレゼンスを高めたいという密かな野心を持っていた。「赤い貴族」と呼ばれたヴィスコンティは、ゼッフィレッリによれば「本気で」シチリア漁民の貧しさにショックを受け、何とか社会を変革しなければいけないと、これまた「本気で」考えていた。そのためにはシチリアの搾取されるばかりの貧困層を描くことで、イタリア社会の矛盾や悪を暴き、さらに映画を選挙直前に公開することで、共産党に優位な「風」を吹かせようと目論んだのだ。結局「風」は吹かず、ヴィスコンティが心から同情し、映画で啓蒙しようとしたシチリアの漁民ですら、共産党には投票しなかった。彼らは共産党の本家であるソ連がどんな社会か、ヴィスコンティよりも知っていたのだ。シチリアの労働者のこの行動は、映画の商業的な失敗以上に、ヴィスコンティには響いたらしい。『山猫』での、「シチリア人は向上を望まない」という台詞は、このときのヴィスコンティの実体験から来たのかもしれない。ヴィスコンティの「社会革命」への意思は、かなり純粋なものだったのだろうが、それを実現しようとする姿には、貴族階級の自己批判ではなく、むしろ貴族階級ゆえの強い自負心や世俗的な野心――社会の大きな枠組みを自分自身の手で変えようという――が見て取れる。そうした「ヴィスコンティの共産主義」を、私生児として貧しい家庭に生まれ、美貌と才覚だけで自分の道を切り拓いてきたゼッフィレッリは、きわめて冷たい視線で見ていた。「ルキーノの共産主義なんて、バカげていると思っていた」とまで言い切っている。確かにそうだ。ヴィスコンティ家といえば、ヨーロッパでも屈指の名家。家族のための劇場があるような広大な屋敷に生まれ、あちこちに別荘があり、食べていくために仕事する必要などない人間。ヴィスコンティの趣味のよさ、ヴィスコンティの教養、ヴィスコンティの人脈――それらはすべて、20世紀にいたるまでイタリア社会に揺ぎない格差が温存されたればこそ培われたもの。そうした身分の人間が、本当に「貧者の味方」になれるだろうか? 労働者が残酷に搾取されない社会では、彼のような人間は生まれもせず、育ちもしない。ヴィスコンティがシチリアの貧しい漁民を華やかな映画祭に連れて行き、彼らがこれまで見たこともない、想像したこともない、今風にいえば「セレブな」世界を見せてしまったこともゼッフィレッリは批判している。ヴィスコンティが来る前、彼らは確かに貧しく、労働は厳しかったが、そこにはある種の均衡が保たれていた。だが、知らなくてもいい世界を知ってしまったことで、彼らは堕落した。きつい労働を避け、映画で有名になった景勝地を見に来る観光客相手の「安易な」商売に走るようになったのだ。『揺れる大地』撮影という実務、そして、その向こうにある政治的野心のために、ヴィスコンティは不動産を1つ手放している。それでも足りずに、ゼッフィレッリがヴィスコンティ家の骨董を売ってはお金を作っていたというわけだ。ゼッフィレッリは、ヴィスコンティと別れたあと、自分の力だけでさらにのしあがり、有名になってひと財産作るのだが、ヴィスコンティの収支は、実は常にマイナスだった。晩年はゼッフィレッリと(後にはヘルムート・バーガーと)暮らしたローマの邸宅も売るハメになった。そうはいいつつ、まだ、イスキア島に豪奢な別荘があったのだが(呆)。『揺れる大地』の前後、不動産や骨董品はあるが、現金での収入がないというヴィスコンティの状況は、まさに『熊座の淡き星影』のジャンニそのものではないか。ジャンニは野心作の小説を自分の手で焼き捨てるが、そうした挫折も、内に秘めた大いなる野望と現実の落差に打ちひしがれていた、映画監督初期のヴィスコンティの心情と重なる。ゼッフィレッリは書いている。「(ルキーノは)自分の芝居や宝石店への支払いのために家族に泣きつき、家族は彼の才能を満足させるためにヨーロッパ最大の企業の1つを手放さざるを得なかった」。ヴィスコンティが『ルートヴィヒ』で倒れ、左半身麻痺の車椅子生活に入ると、今度は姉たちに、ロールスロイスをねだった。「メルセデスではだめなの?」と尋ねる姉たちに対して、ヴィスコンティは、自分がまだ意気軒昂なところを世間に見せつけるためには、ロールスロイスでなければと言い張ったという。こうしたトンデモな弟のありえないワガママを常に聞き入れていたのが、姉の1人ウベルタ。ついでにゼッフィレッリは、のちに「自分はヴィスコンティの未亡人」と主張したヘルムート・バーガー――彼がヴィスコンティと会ったのは、この『熊座の淡き星影』の撮影中だった――の誠意のなさもさりげなくバラしている。ヴィスコンティが生死の境をさまよっていた入院中、バーガーは見舞いにさえ来ず、バーガーを待っているヴィスコンティに、姉たちはその事実を隠すのに必死だったというのだ。ゼッフィレッリがヴィスコンティの元を去ったあと、ヴィスコンティはブライアン・オーサーもそこのけの信じられないぐらい汚い手を使ってゼッフィレッリの仕事の邪魔をした。ゼッフィレッリが舞台の演出をすれば、ブーイング隊を雇って罵声を浴びせさせる、イタリア・オペラ界への強い影響力を使って、ゼッフィレッリにはオペラの演出をさせないように手を回す。「ルキーノは打ちひしがれた私が、彼の元に戻ってくるのを待っていたのだ」と、ゼッフィレッリ(まったくワカラン、ゲイ術の世界)。ゼッフィレッリはヴィスコンティの元には戻らず、ハリウッドで成功を収める。そして、紆余曲折を経たあと、最終的に2人は和解する。きっかけは、事故で瀕死の重傷を負ったゼッフィレッリの見舞いに、わざわざヴィスコンティが出向いたことだった(ますますワカラン、ゲイ術の世界)。そして、ゼッフィレッリが迎えた「魔の3月17日」。それは自作映画のラッシュを見ていたとき。「私は陰に呼ばれ、ルキーノ・ヴィスコンティが死んだと聞かされた。私の気持ちは言い表せない」。葬儀の様子。「しばらくして顔を上げると、彼をおそらく誰よりも愛していた彼の姉ウベルタが目に入った。彼女は泣いていて、私はこらえ切れずに泣いた。すると突然カメラマンが突進してきて、柩の傍で涙に暮れる私の写真を撮ろうとした。ワリー・トスカニーニが私とフラッシュの間に割って入り、ルキーノの姪と甥たちが楯になってその汚い行為から私をかばった。人々の壁に囲まれて、私はやっと友を悼むことを許されたのだ」。長い愛憎劇の終わりに、ゼッフィレッリはヴィスコンティを、「私の師」「私の生涯で唯1人の偉大な人物」と結論づけた。『熊座の淡き星影』でヴィスコンティは、現実に適応していく姉と、それができずに苦悩する弟の姿を描いた。そのベースにはとヴィスコンティ本人と姉ウベルタの関係があることを、ゼッフィレッリははからずも解き明かしてくれた。そして、ジャン・コクトー的世界は、常に未来への予言をはらむ。ジャンニと同じように、ルキーノもウベルタより先に逝ってしまうのだ。<続く>
2009.09.29
ジャンニは、アンドリューにヴォルテッラの町を案内して回る。廃屋となった修道院の残された、崩れたバルツェ(崖)も、もちろん出てくる。現実のバルツェはヴォルテッラから数キロ離れているが、映画では町はずれの丘が崩れていっているかのように、現実に少し色づけがされている。「ヴォルテッラは死にゆく運命」と、ジャンニ。ヴォルテッラの町に入ってすぐの通り。ここは今商店になっているが、通りや建物の風情はまったく変わっていない。サンドラの夫・アンドリューはアメリカ人。彼のキャラクター付けは、ある意味、非常にステレオタイプのアングロ・サクソン。今はサンドラの母の夫になっている弁護士に会い、サンドラ&ジャンニとの和解を仲介しようとするアンドリュー。「話しあえばわかるハズ」みたいな、ノー天気な発想が、いかにもカネに困ったことないお坊ちゃま風。「友愛」で物事を解決しようとしてる、個人資産80億超のどっかの国の首相みたい。弁護士はサンドラへの敵意丸出し。自分がサンドラたちの財産を守ってきたのだと主張している。この2人が話してるのが、エトルリア博物館。後ろにごろごろしてるのは、すべてエトルリア時代の骨壷。サンドラのほうは、この弁護士が父を密告して破滅させ、母を追い詰め、自分のものにしたのだと信じている。独白するサンドラ。話の内容より、半裸のサンドラ(クラウディア・カルディナーレ)の肢体、完璧な横顔の美しさに惚れ惚れ。この横顔にこの目の瞳孔の位置。まるでコクトーのドローイングのよう。さらさら和解する気のない姉弟は、豪華なダイニングのシャンデリアに、裸電球をつけて弁護士を迎える。歓迎する気持ち、ゼロ。不動産という財産はあっても、現金収入の少ない姉と弟。広大な屋敷を維持していく力はもうなくなっているのだ。そんなサンドラに、金持ちアメリカ人のアンドリューは願ってもない相手。だが、姉と弟のただならぬ関係を告発する弁護士の言葉をはっきりと否定しないジャンニの態度に、アンドリューが激昂して殴りかかり、和解のためのディナーを自らブチ壊す。抵抗らしい抵抗をせずに逃げまどう、情けない優男ジャンニ。さっきまで「話し合えばわかる」と言っていたクセに、突然暴力男に豹変してジャンニをボコボコにする、けっこう骨格のしっかりした長身のアンドリュー。このあたりの描写は、ラテン男とアングロ・サクソン男のステレオタイプなイメージにぴったり。耽美的なイメージのあるヴィスコンティ映画だが、つぶさに見ると実は非常に暴力シーンが多い。これはどうやら、ヴィスコンティの父が家庭内暴力男だったことが原体験としてあるらしい。この部分はコクトーとまったく正反対。コクトーは2度の世界大戦を体験している世代の人間で、第二次世界大戦のパリ占領時代には、失明すれすれの暴力を民衆から受けたりしているが、作品中にリアルなバイオレンスシーンが出てくることは決してない。さて、アンドリューとジャンニ、2人の男を虜にしたサンドラは、もちろん、禍々しいほどの美貌。クラウディア・カルディナーレは、カラーの『山猫』のときより美しいかもしれない。これは白黒作品におけるメイク効果の賜物だという気もする。山田宏一の『わがフランス映画誌』(平凡社)に、フランス映画界のメイクの大御所アレクサンドル・マルキュスのインタビューが載っているが、「モノクロ映画とカラー映画ではメーキャップの差がありますか」という山田氏の質問に対し、マルキュスは、「もちろんです。メーキャプの技術、顔のつくりかた、すべてがまったく異なります。100パーセントの違いがあります。モノクロ映画のメーキャップはカラー映画にはまったく無効だし、カラー映画のメーキャップはモノクロ映画には全然向いていません。というのも、モノクロ映画は単に白と黒とその中間の灰色だけでなく、白と黒の間には無限の色合い(ニュアンス)があるのです。つまり、白から黒に至る色の諧調が無限なのです。ところが、カラー映画は光の三原色、緑と赤と青だけで、その三色の組み合わせから他の色をつくることはできるけれども、モノクロ映画のような幅広い色の諧調をうみだすことはできない。だからモノクロ映画ではどんな顔もつくることができるけれども、カラー映画でできることはほとんどその15パーセントにすぎません」と答えている。「白と黒の間の無限のニュアンス」が、『山猫』にはない神秘性と魔性をカルディナーレの表情に与えている。ジャンニの告白を聞くサンドラ。ジャンニのこの台詞は、『恐るべき子供たち』(コクトー)でポールがダルジュロスに寄せる想い、「漠然とした強烈な苦しみであり、性欲も目的も伴わぬ清浄な欲望」を彷彿させる。特に下のアイラインを太く入れたサンドラは、常に眉を寄せて、不穏な表情。亡父の胸像の前で、ジャンニの死を知らされる直前のサンドラ。聖書の文言が、サンドラの運命を暗示する。ジャンニの自殺など、思いもしなかったサンドラは、過去を清算し、アンドリューと新しい人生を生きることを一度は決意している。だが、人は、本当に過去から、そして血の因習から、自由になれるのか?サンドラがジャンニの死を知って答えを出す前に映画が終わることで、重い命題が観る者に突きつけられる。ヴォルテッラを去り、アメリカ人のアンドリューと新たな生活を始めるということは、サンドラのアイデンティティを捨てることでもあった。そのサンドラの決意を、非業の死を遂げた父と弟、2人の死者がはばもうとしているのだ。Mizumizuはこのラストシーンをそう解釈した。<明日に続く>
2009.09.26
崩れゆく町、ヴォルテッラを舞台に、没落していく名家の悲劇を描いたルキーノ・ヴィスコンティ監督の『熊座の淡き星影』。物語はまず、フランス語・イタリア語・ドイツ語・英語の飛び交う上流階級のパーティから始まる。おそらくはスイスのレマン湖のほとりだろう。そして、そこからBMWカブリオレに乗ったイタリア人とアメリカ人の若い裕福なカップルが、アルプスを越え、フィレンツェ郊外の古い田舎町ヴォルテッラにやってくる。吐息で愛撫するように、生まれ育った町の名をささやくヒロイン。ちょっと突っ込むと、この冒頭のシーン、レマン湖のほとりの街から高速道路に入り、ローザンヌを通過、その後いったん高速を出て、アルプスの山の田舎道に入り、山を越えてイタリアへ、それからまた高速道路でフィレンツェ郊外にと、車窓からの景色が移り変わるのだが、イタリアに入ったあたりの風景が、ヴォルツァーノ周辺のドロミテ地方の山のように見える。レマン湖から来るなら、サン・ベルナール峠を通って、アオスタのあたりに抜けてくるハズなのに、有名なサン・ベルナール峠は画面に出ず、もっと西の石灰質のドロミテらしき山が出てくるのがなんとなく変。もしかしたら、アオスタ周辺にもあのような景色の場所があるのかもしれないが・・・それはともかく、この『熊座の淡き星影』、ヴィスコンティ映画の中でも、Mizumizuが『白夜』と並んで好きな作品だ。ヴィスコンティ中期の作品は、以下のようにヨーロッパでのメジャーな映画祭での受賞作が目白押しなのだが、白夜 (1957)(日本1958) ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞 若者のすべて (1960)(日本1960) ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞 山猫 (1963)(日本1964) カンヌ国際映画祭パルム・ドール 熊座の淡き星影 (1965)(日本1982) ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞ヴェネチア国際映画祭では、比較的個人の感情に焦点を当てたキメの細かい作品が評価されているように思う。カンヌで最高栄誉に輝いた『山猫』も、歴史の転換点に立たされた旧特権階級の心情を扱ってはいるが、むしろ個人の力ではもはや抗うことのできない時代の大きな流れそのものがテーマだったように思う。そして、なぜかMizumizuの嗜好もヴェネチア国際映画祭のほうに合致している。黒澤明監督作品でも同じで、最も好きな黒澤作品は、ヴェネチアが絶賛した『羅生門』と『七人の侍』、カンヌで評価された『影武者』は、どうにも・・・個人的な嗜好はともかく、この『熊座の淡き星影』は、ヴィスコンティ作品の中でも、極めて重要な位置にあると思う。ヴィスコンティはイタリアで劇団を組織し、フランスの前衛的な演劇を紹介する役割も果たしたのだが、そのときにジャン・コクトーの2作品を舞台にのせている。また、1949年にコクトーらが主催した、商業的な成功に縁のないビアリッツ映画祭、別名「呪われた映画祭」には、ヴィスコンティも処女映画『郵便配達は2度ベルを鳴らす』を出品している。ビアリッツ映画祭は2度しか続かなかったが、このときにコクトーが設立したシネクラブ「オブジェクティブ49」は、のちのヌーベルバーグの「ゆりかご」と評された。『熊座の淡き星影』は、ヴィスコンティ作品の中でも、とりわけジャン・コクトー的世界とのつながりを強く感じさせる。特別な愛情で結ばれた姉と弟の閉ざされた世界が、「外部」の人間の介入によって崩れていくさまは、コクトーのギリシア悲劇の色濃い『恐るべき子供たち』と共通する。そして、『熊座の淡き星影』に描かれた「死にゆく町」は、のちの『ベニスに死す』へと発展し、家族内の特別な愛憎は『地獄に堕ちた勇者ども』で、ついに明確な形で一線を越えてしまう。ヴィスコンティにとっての生涯のテーマ、破滅へ向かう特権階級の物語という流れでは、『山猫』と『ルートヴィヒ』の中間に位置する。つまり、『熊座の淡き星影』は、ヴィスコンティ的世界を作り上げた過去とヴィスコンティ芸術を完成させる未来とをつなぐ作品だといえるのだ。白黒で残っている映像はかなり悪いのだが、それでもその映像美には、無限の色彩を感じる。物語のほとんどは、ヴォルテッラの古い邸宅の中で展開していくが、その内装・家具・装飾品たるや、イタリア貴族文化の粋だと言っても過言ではない。もちろん、ヴォルテッラ特産のアラバスターの壷なども、さりげなく置かれている。一時期、ヴィスコンティのローマの邸宅で生活をともにしていたフランコ・ゼッフィレッリは、「彼(ヴィスコンティ)の趣味のよさは並外れていた」と自伝で書いている。部屋中に様式も時代もまちまちなものが散乱しており、先祖伝来のものも、ヴィスコンティが趣味にあかせて集めたものもあったが、それは小市民の好む複製品とはかけ離れた世界だったという。ゼッフィレッリはヴィスコンティの邸宅を「アラジンの洞窟」と呼んだが、『熊座の淡き星影』のルッツァッティ家も、まさにそうした雰囲気。なかでも、重要な役割を果たすアイテムが、ギリシア神話風の彫刻を施した振り子時計だ。『熊座の淡き星影』の物語そのものは、ギリシア悲劇『エレクトラ』をベースにしている。ミケーネの王アガメムノーンと王妃クリュタイムネーストラの間に生まれたエレクトラ。アガメムノーンがクリュタイムネーストラとその愛人によって殺害されると、エレクトラは弟のオレステスに謀って、母とその愛人を殺害させる。母親を遠ざけ、父親を独占しようとする娘の心理状態を表す、「エレクトラ・コンプレックス」のもとにもなった逸話だ。だが、この振り子時計の彫刻は、別のギリシア神話をモチーフにしている。羽のある若者と娘の絡み合った構図から見て、これは「エロスとプシュケー」だろう。こちらがルーブル所蔵の有名な「エロスとプシュケー」像。プシュケーに恋したエロス(キューピッド)は、プシュケーを他の男性から遠ざけ、怪物が棲むという宮殿に彼女を迎える。神であることを明かせないエロスは、夜の間だけプシュケーの寝所に現れ、決して灯りをつけない。恋してはならない相手に恋したエロスの想いは、そのまま、『熊座の淡き星影』の弟ジャンニのそれでもある。この時計のエロスとプシュケーの像の間に、ジャンニは姉への手紙を残していく。また、時計の置かれたチェストの引き出しから、ジャンニは「死ぬための薬」を取り出す。この場面は、『恐るべき子供たち』でポールが毒薬を取り出して飲む場面そのままだと言ってもいい。ヴィスコンティの作品には、ときどきコクトー原作映画そっくりの場面が出てくる。『夏の嵐』でフランツ(ファーリー・グレンジャー)が疎開したリヴィアの部屋に窓から飛び込んでくるシーン→『双頭の鷲』でスタニスラス(ジャン・マレー)が女王の私室に飛び込んでくるシーン(庭で犬が吠え立てているところまでソックリ)『山猫』で、タンクレディ(アラン・ドロン)が叔父の城にやってくる初登場シーン→『悲恋』でパトリス(マレー)が狩りから叔父の城に戻ってくる初登場シーン(犬がじゃれついてくるところまでソックリ)『家族の肖像』で、爆死したコンラッド(ヘルムート・バーガー)が、台の上に運ばれたあとの死に顔のカット→『悲恋』でナタリーが死んだパトリス(マレー)に対面するときの、死に顔のカット(そのまんま)つまり、すべてこの人↓ジャン・マレーの演じたシーンなのだ。『熊座の淡き星影』では、フランスの女優マリー・ベルが娘と対立する狂気の母親を演じているが、マリー・ベルが最初に母親役を舞台で演じたのは、ジャン・マレーの強い要望を受けてのことだった(そのときの詳細については、こちらのエントリー参照)。このときベルの演じた、アグリッピーヌも狂気の母だった。ヴィスコンティは、ジャン・マレー+マリー・ベルのこの舞台をわざわざパリに見に行っている。『熊座の淡き星影』でマリー・ベルは、鬼気迫る名演を見せている。女の心の底にとぐろを巻く憤怒と虚栄――白粉がやけに濃い、元ピアニストの老女の狂気は、正視できないほど。娘のサンドラは、母が愛人の弁護士と謀って、ユダヤ人だった父をアウシュビッツへ送ったのではないかと疑っている。母のほうは、娘が弟と禁断の関係を結び、自分たちを陥れようとしているのではないかと疑っている。母がなぜ狂気の縁に追いやられたのかはつまびらかにされないが、彼女は半分ユダヤ人の血が流れている自分の子供を「怪物」と畏怖し、「汚れている」と罵倒する。訪ねてきたサンドラに見せる激しい敵意。それが狂気ゆえなのか、過去に起こった「何か」のせいなのかは、最後までベールに包まれたままだ。時代は第二次世界大戦後。ナチスによるユダヤ人狩りが一家に負わせた深い傷と、そもそもヨーロッパに根強いユダヤ人に対する偏見という一筋縄ではいかない問題が、母と娘の間に横たわっている。サンドラは、高名な化学者でもあった父を深く敬愛している。ベールをまとった彫像を抱きしめるサンドラ。Mizumizuの選ぶ『熊座の淡き星影』の「もっとも官能的なカット」。何も生身の男女が裸で絡むばかりが、官能シーンというわけではない。相手はベールをまとった彫像。ベールの下に何があるのか、観客にはこのときはわからない。だが後から、それが非業の死を遂げたサンドラの父の像だとわかる。風の強い夜、庭で美しいヒロインが、ベールをまとった彫像に近づき、うっとりと触れ、きつく抱きしめる――それをここまで艶めいて演出できるヴィスコンティは、やっぱり腐ってる・・・ じゃなくて、やっぱり偉大だ。そこに現れる弟ジャンニ。長々と抱擁しあう2人の再会シーンは、まるっきりラブシーン。一瞬「キスしてる?」と思わせる場面も。美しい姉弟の顔に庭の木の枝が、入墨のような影を落としている。これもジャン・コクトーの『美女と野獣』に想を得た演出ではないかと思う。月明かりの古城。気を失ったベルと彼女を抱いて運ぶ野獣に、木々が入墨のような影を落とすという、かなりイメージが似た場面がある。
2009.09.25
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