マルスの遺言

マルスの遺言

大人は教えてくれない・二元論



私の好きな芥川龍之介が「侏儒の言葉」の中で言っている。
「人間は、人間であることを止めなければ幸せにはなれない」と。
当時中学生だった私は、こんな悲観的な言葉を聞いて笑えるほどウンザリすると共に、その通りだと思った。なぜなら、戦争はなくならないし、隣人同士でいつまでもいがみ合っている、少なくともお互いを理解できない壁(バカの壁)が存在する。。。本質的に変わることなく人類の幸福などあり得ない。

世の中は二元論で成り立っている。
二元論とは男と女、善と悪、光りと陰、中国思想で言うイン・アンド・ヤンだ。
二元論であることを止めてしまえば世の中ではなくなる。それは天国か地獄か?
だから人々は生まれてきた以上、社会に適応して生きていかなければいけないのと同じように、この二元論の中でのゲームに参加して生き続けるしかない。それを楽しむ物もいれば、ある部分でウンザリする物もいる。特に富める者と貧しい者ゲームにおいては。この世は使う者と使われる者の二種類しかいない。。。

今、世の中の悪は、ハッキリとした形では現れない。昔は慣習や、社会制度がそれほど入り乱れて体制を崩すようなことはなかったが、今では社会的基盤が生活においても崩れ去りつつある。そんな中で、これが悪だと、悪がハッキリとは認識できなくなってしまっている。
それは良いことなのか悪いことなのか?
私は昔の物事が全て良いとは当然思わないし、今となっては昔の美徳も幻想でしかない部分も大きいだろう。
昔に戻るようなことが有ってはならないのだ。
昔の良い部分を(悪い部分も)歴史に学びつつ、常に新しい世の中を作り上げていかなければならない。

しかし、悪がハッキリした形を取らなくなった今。怒りをどこへ向ければいいのか分からなくなってきている。特に今の若い人たちは、少し前の昔の状況すら分からないでこの世の中に放り出されてきて、ますます混乱し、そのイキドウリはモヤモヤとした形でくすぶり続け、ついには外に向け爆発するか、自らを卑しめるか、傷つけることになる。

ここでも、資本主義の論理が働いている。先にお金のことを始めた者が、後から始める者よりも有利だという理論だ。要するに、先に生まれて私腹を肥やしている者は、生まれたばかりで今生活を始めた者よりも有利だということだ。更に、すでに持っている者は持たざる者よりも圧倒的に有利だ。持つ者はさらに肥え太り、持たざる者はさらにやせ衰える。こんな事は経済に少しでも興味のある者ならだれでも知っている。これからはその貧富の格差がもっとハッキリしてくるだろう。狭い世界でも、世界的にも。

しかも、このことを若者たちに教える者は誰一人としていないのだ。

私は事実を言っているだけで、なにも物事を混乱させようという意志はない。むしろハッキリとさせたいのだ。
仕方のないこと、仕方のないことと言って世の中が変わった試しはないのだ!
デモクラシーを興した人々はそんなことを言っただろうか?

これは大きな問題である。人間は人間であることを止めなければ、幸せにはなれない。平和にはなれないのだろうか?
まさに小説の中で、自然の中に小屋を建て暮らした自然主義者の芥川の言った言葉が今、私の胸に迫ってくる。

人間は変わることはできないし、それが神のご意志なら、人類の何パーセントかでも変わろうと”本人”が”本人の意志で”欲しない限り変えてはいけないのだろう。しかし少なくとも、人間は変わることができなくても、人間の作り上げたこの人間らしい資本主義社会は、少しずつでも返られるはずだ。

資本主義社会が変わらなければ、世界の何も変えることはできない!


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