マルスの遺言

マルスの遺言

騙されないで!努力は要らない


昔(少し前)努力は要らない、努力は努力と感じないものであるということがある時期通説となっていた。経験のない若い者は本当なのだろうかと信じ込んだ者もいるだろう。しかしそれは嘘だ。同じようにその時代、通説となっていたことが今では嘘っぱちであることが結構ある。

例えばこれまた昔(?)よくマスコミで言われていたことだが「最近の新人類と言われる若者たちは気味が悪い。若いくせに老後の心配をして貯金を積み立てている。若いうちはそんな心配などするものじゃない!」などと言われていた。そして金を使わせようとしていた。
それがどうだろう、数十年もたたないうちに、年金を納めろ!の、老後の計画なくしてどうするんだと、世の中の言うことが一変してしまった。
戦時のプロパガンダはもちろんだが、他にハッキリ分かりやすいのはテレビでよくやっている健康に関することや食べ物のことだ。寝る前の牛乳が良いといえば、数年後には実は寝る前に飲むと良くないとなる。○○には○○が良いと言っていたのが、実は○○は身体に悪影響があるとくる。投資関係もそうだ。あれが儲かる次はこれだと言っておいてあれは実は危なかった、ヤバかったとなる。
我々は情報に翻弄されている。つまり、第三者の都合のいいように踊らされている。
アメリカの田舎に「ボスの弾くバイオリンで踊る」という言葉がある。我々は気づかないうちに音楽でのせられ、踊らされているのだ。

さて、努力の話だが、確かに好きなことをするのには楽しいのだから努力は要らない、ということは言えるかもしれない。しかし、私がハッキリ今!これからの若い人たちのためにそれを否定しておこう。そんな甘っちょろいことを言うやつは、実際に努力をした事がない人間である。そんな人間は長続きはしない。神に無限の才能を与えてもらっている幸福な人ならばそれも分かる。いわゆる天才肌の人間だ。あるいは誰もが認める美人?しかしそれでも、努力なしに成功することは出来ない。そういう人は、成功してからもっともっと努力が必要になる。逆に、妬まれて失脚するかもしれない。努力したことが無いので、人生の大切な選択を誤るかもしれない。競争の激しい業界ならなおさらそうだろう。

ひとつ言えば、その「努力は要らないうんぬん」で、スポーツの世界において、昔型のがむしゃらな体育会系トレーニング(といえるのか?)法が無くなって、頭を使う個々のペースを大切にしたトレーニング法に変わったのは良い事だった。そしてオリンピックなどで物怖じしないで試合に臨む若い世代が出てきたことは良かったと思う。これも思い切った「努力は要らない」説がなければ出てこなかった現象かもしれない。

確かに古い考え方は非常に害をもたらす事がある。そういう時は思い切ったことを提案して、既成概念を先ず破壊し!人々の考えを新たな思考に向かわせる必要がある。その意味では、その考えは時代に必要だったのかもしれない。

しかし、何度もいうように、完全に踊らされてはいけない。人は新しいことを突然言われると、思考能力が低下する。軽いショック状態で訳が分からなくなる。そこに提出された思考を定着させないことだ。よく考えてみることだ。

その検討の仕方に、日本古来の考え方と照らし合わせてみることを私はお勧めする。

『努力は裏切らない』

そういう古い言葉がある。こんなにハッキリとした”保障”があるのなら、私は当てにならない「努力は要らない」という言葉よりも、こちらの方をお勧めする。

あの宮崎駿のアニメ「もののけ姫」も当時言われていたことに、宮崎駿が「このままでは若者たちに誤解を与えてしまう」という危機感を抱いてアンチテーゼ?として作られた意味合いもある。だからこそ、主人公の少年が、苦労して努力してドロドロになって村を救おうとするのだ。(この辺はアニメ雑誌の宮崎さんのインタビューに本当に詳しい方はご存知だと思うが、アニメ雑誌じゃなかったかな?)

私はある時期、東洋思想に影響を受けた西洋哲学に傾倒する時期があったが、所詮そんなものは営利主義の国で生まれたご都合主義の思想でしかないことに気が付いた。そこまでたどり着くというか、経験を重ねるのに何年かかっただろう。私には無駄ではなかった経験も、これからの若い人たちには非常な無駄になる。私は結局、日本の昔から言われている先人の教え、ことわざ、言い伝えを信頼するようになった。回りまわってそこにたどり着いた。

結局、足元に答えはあったのだと、今でも信じている。





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