マルスの遺言

マルスの遺言

怒りの救世主キリストとマグダラのマリア


まるでグルーピー?追っかけファン、下手するとストーカーのようだ。
なぜかというと、あくまで一方的な想いだとされているからだからだ。
彼女が最後のハリツケにまで、まるで家族のように母マリアの側にくっついて面倒を見、キリストの側から離れないか?これが一方的な想いならまったくおかしなことではないか?
それとも教会側は女性の信者の代表が欲しかったのだろうか?女性はあくまで陰で支え見守り、決してでしゃばるなと?
マグダラのマリアの常識を超えた行動はキリストに性的な憧れまで感じて妄信しているとしか思えない。
これはどこやらの教祖様にマインドコントロールされてついていく女性信者のようではないか?
もし単なる追っかけなら、客観的に見て彼女はただの狂信者ではないか?
そうではいけない。そうであっては逆にキリストの名が汚れてしまうと私は思う。
キリストの復活も、実はマグダラのマリアだけが知る事実だったらしい。
これは教会が意図した女性信者のあるべき構図なら、彼女はでしゃばり過ぎなのでは?

そして以前から、マグダラのマリアは、キリストのブライド(結婚相手)ではないのか?という風に私は疑っていた。
それがどうやら当たっていたようだということを先日のテレビで知った。
タケシの番組でダビンチの「モナリザの微笑み」の謎についての番組だった。
モナリザは若いモナリザ像が実はもうひとつあったということだった。
若く初々しい優しい微笑を浮かべるモナリザと、年を取り大らかな愛の笑みを浮かべるモナリザと。
その両者に共通する胸をはだけ、装飾を身に付けない描き方から、彼女はマグダラのマリアだというのだ。
しかもキリスト教会に抹殺されていた「事実」を秘密結社の一員であるダビンチは知っていたという。
彼らが隠したがっていた事実とは、キリストはマグダラのマリアと(性的関係と書いてはいけなさそうだ)「結婚」していて子供がいて、しかもその子孫が現在生きているということだ。
子孫が残っているとまでは考えもしなかったが、それも当然といえば当然のこととなる。

何度も取り上げるが映画「最後の誘惑」では、キリストがハリツケになった後、彼はあの「神よ、私を見捨てるのですか」という言葉をもらす。
そしてその言葉を聴いた天使(これが後に悪魔だと分かるのだが)が降りてきて彼をハリツケから救う。
ストーリーの中で、死を免れて普通人に戻ったキリストはマグダラのマリアと結婚して子供をもうける。
マグダラのマリアは早く神に召され、残されたキリストはまた別のつまらない農家の女と結婚して子供を作りまくる。
そして年老いてみっともなくも無残に死ぬ。
この映画の原作本は、教会から異端の書とされて追放された。
なぜ?それがハッキリしなかった。
多分キリストがセックスをし、人類を救うためのハリツケの義務を逃れ、のうのうと自堕落とも思える普通人の生活をしたということが教会の気に触っていたのかと思っていた。
しかし、はっきりとした根拠があるならば、それはこの本が、極秘だった『キリストが「マグダラのマリア」と結婚した事実』を公にしたからだ。
教会の、キリストの秘密を暴いたということが、異端とされた一番の大きな理由だったのだ。

しかしいずれにせよ、結論として「キリストも人間だった」ということだ。
いや、誤解のないように「人間の形を借りて来た高い次元の魂の救世主」だということだ。
逆に言うと「救世主でも人間の姿を借りて人間界に降りてきた以上人間である」ということだ。
もしなにかを変えたかったら相手を知り、その懐に飛び込んでいくことが大事だと思う。
庶民の立場に立てる者こそが救世主だと思う。
彼はそれをやった!
彼は人間になり(いや、であり)人間を救ったのだ。
教会が何より一番封じたがっているのは『キリストも人間である』という事実なのだろう。









© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: