







日本野球発祥の地
この地には、もと東京大学およびその前身の開成学校があった。1872(明治5)年学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏(1843~1927)が学課の傍ら生徒達に野球を教えた。この野球は翌73年に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本格的な試合ができるまでに成長した。これが「日本の野球の始まり」といわれている。76年初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っている。
ウィルソン氏はアメリカ合衆国メイン州ゴーラム出身、志願して南北戦争に従軍した後、71年9月にサンフランシスコで日本政府と契約し、来日、77年7月東京大学が発足した後に満期解約、帰国した。
同氏が教えた野球は、開成学校から同校の予科だった東京英語学校(後に大学予備門,第一高等学校)その他の学校へ伝わり、やがて全国的に広まっていった。
2003年、同氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。
まさにこの地は「日本野球発祥の地」である。
2003年12月 (財)野球体育博物館



「伝統の一戦(巨人・阪神)」誕生の地 洲崎球場跡 新砂一丁目1・2付近
洲崎球場(別称・洲崎大東京球場)は、日本プロ野球草創期の野球場で、昭和11年(1936)2月に日本で6番目に結成されたプロ野球チーム「大東京軍」の本拠地でした。プロ球団結成への気運は、昭和9年開催の日米野球で高まりました。同年12月に大日本東京野球倶楽部(現在の読売巨人軍)が結成されると、東京、大阪、名古屋に相次いでプロ球団が誕生し、昭和11年には7球団によるプロ野球公式戦が開始されました。しかし、東京にはプロが使用できる野球場はなく、在京球団の本拠地建設が急がれました。そのため、洲崎球場はわずか3ヵ月ほどで完成し、秋のシーズンの最後を飾る「東京第二次リーグ戦」が開催されました。シーズン終了後には、巨人とタイガース(現在の阪神)による初のプロ野球日本一決定戦(3連戦)が開催され、沢村栄治投手擁する巨人が初代王者を獲得しました。この試合は、日本プロ野球史上屈指の好ゲームといわれ、洲崎球場が最も輝いた時でした。現在でも「伝統の一戦」といわれる両チームの熱戦は、ここから誕生しました。日本プロ野球の歴史を刻んだ洲崎球場は、昭和13年の3試合を最後に閉鎖されました。わずか3年間とはいえ、日本プロ野球界繁栄の礎を築いた貴重な野球場跡として記録に残すものです。
平成17年2月 江東区教育委員会。

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